Category: ドライブ
九九九苦
先月、盛岡の開運橋たもとで買った、2000万サマー宝くじ、ハズレでした。
二等の一番違いはあるんですが、これはスカですね。もう絶対買わない。
天王町から、国道101号線を北西へ。
八郎潟の出口、男鹿大橋を越えて、生鼻崎の手前に、ネズミ捕りのレーダーがありました。
その先、男鹿の街の手前から、県道59号線へ。
鵜ノ崎海岸です。
岩場なのに遠浅、不思議な地形です。
2009年に男鹿半島に来た時には通らなかったルート。
奇岩もたくさんありました。
その途中に、こんな場所があるのでした。最初の目的地。
菅江真澄も登ったという自然石の石段。なまはげの鬼が造ったという伝説があるそうです。
あとから言うのもなんですが、夏場に行く場所ではありません。
15分ほど休み休み悪戦苦歩。
姿見の井戸。未来が短い人は霞んで、自分の姿が見えないんだそうです。
しっかり見えました、ぼけているのはカメラのセッティングのせいです。
上り切りました。
入母屋造りの社殿が並んでいます。
赤神神社五社堂。
神社のHPによれば、五社堂は赤神神社の本縁とされており、中央堂に主神として赤神を祀ったので、赤神神社の名称になったとされています。
建保四年(1216)別当円転が霊夢に感じて鎌倉の右大臣源実朝公に請願、円転に命じて叡山山麓の山王上七社を勧請したもので二社廃れたので五社に配祀されたとされています。
各堂の名称は向かって左から、「十禅師堂」「八王子堂」「中堂」「客人(まろうど)権現堂」「三の宮堂」と呼称されています。また、この五社堂は建立、再建、修理の年代がよく解るため、近世社寺建築の編年上重要な建物とされております。現存の五棟の社殿は江戸時代の中ごろ(1710年宝永7年)に建てられたものといわれ、向拝、屋根、柱、組み物などに珍しい工夫がみられます。平成10年10月1日より3年6ヶ月、平成の大修理が行われました。
上の石碑、羽黒山の代りに鳥海山が入ってますね。
珍しい建物だと思います。
再び汗を滴らせながら、石段を降りました。
案の定、往復とも誰にも会いませんでした。
海辺に風車が一基ある、男鹿市街に戻り、海鮮市場で昼飯。
海鮮丼、1200円ですが、どうなんでしょう、どれが地場産?
お盆が近いせいか、子供連れの家族が多くて、賑やかな海鮮屋でした。
二等の一番違いはあるんですが、これはスカですね。もう絶対買わない。
天王町から、国道101号線を北西へ。
八郎潟の出口、男鹿大橋を越えて、生鼻崎の手前に、ネズミ捕りのレーダーがありました。
その先、男鹿の街の手前から、県道59号線へ。
鵜ノ崎海岸です。
岩場なのに遠浅、不思議な地形です。
2009年に男鹿半島に来た時には通らなかったルート。
奇岩もたくさんありました。
その途中に、こんな場所があるのでした。最初の目的地。
菅江真澄も登ったという自然石の石段。なまはげの鬼が造ったという伝説があるそうです。
あとから言うのもなんですが、夏場に行く場所ではありません。
15分ほど休み休み悪戦苦歩。
姿見の井戸。未来が短い人は霞んで、自分の姿が見えないんだそうです。
しっかり見えました、ぼけているのはカメラのセッティングのせいです。
上り切りました。
入母屋造りの社殿が並んでいます。
赤神神社五社堂。
神社のHPによれば、五社堂は赤神神社の本縁とされており、中央堂に主神として赤神を祀ったので、赤神神社の名称になったとされています。
建保四年(1216)別当円転が霊夢に感じて鎌倉の右大臣源実朝公に請願、円転に命じて叡山山麓の山王上七社を勧請したもので二社廃れたので五社に配祀されたとされています。
各堂の名称は向かって左から、「十禅師堂」「八王子堂」「中堂」「客人(まろうど)権現堂」「三の宮堂」と呼称されています。また、この五社堂は建立、再建、修理の年代がよく解るため、近世社寺建築の編年上重要な建物とされております。現存の五棟の社殿は江戸時代の中ごろ(1710年宝永7年)に建てられたものといわれ、向拝、屋根、柱、組み物などに珍しい工夫がみられます。平成10年10月1日より3年6ヶ月、平成の大修理が行われました。
上の石碑、羽黒山の代りに鳥海山が入ってますね。
珍しい建物だと思います。
再び汗を滴らせながら、石段を降りました。
案の定、往復とも誰にも会いませんでした。
海辺に風車が一基ある、男鹿市街に戻り、海鮮市場で昼飯。
海鮮丼、1200円ですが、どうなんでしょう、どれが地場産?
お盆が近いせいか、子供連れの家族が多くて、賑やかな海鮮屋でした。