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hiromi1960

Author:hiromi1960
広島県東広島市在住
政治や社会問題に物申す
子供たちにツケを回さない社会を目指す
中央大学法学部卒


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あまりに身勝手で あまりに怖い事件です。
この事件の一報を聞いた時、
1本のナイフで そんなに多くの人を殺傷できるのかと
まず、そのことに驚き、
そういう凶器を 普通に売っている現実に驚きました。

犯人の供述を聞くにつけ、
その身勝手さに 怒りを超えて 憎しみさえ感じます。
小、中学校では、成績優秀で 運動もでき、
ある意味、目立った存在だった彼。
それも 親に作られて、親の見栄のためだったような主張。
中学までは、神童と呼ばれ、高校でただの人だと知る人は、
この世の中多い話だ。
それを 親だの社会だののせいにすること自体が弱い。
田舎で 一番でも もっと大きな世界ではただの人だ。
それは、人生初の挫折だろう。
私自身もそうだった。
中学まで 学年でも1番か、2番。
県内有数の進学校に進んだら
550人中200番くらいだった。
ショックだったし、学校も辞めたいと思っていた。
しかし、それは現実だと 受け入れなければ、生きてはいけない。
親が書いた作文や絵で 優秀な評価を得ていただけ と言っているが、
私もそうだったが、
だから、親を恨むのは、おかしい。
親との関わり方、育て方にも 問題はあるだろう。
しかし、だからと言って 何の罪も利害関係もない人を
殺傷していい理由にはならない。

進学校で 自分自身の存在が見えなくなり、
その後も 過去の栄光は取り戻せないことが、
彼の中の孤独感を募らせたのだろう。
でも、何の努力もしていないじゃないか!
成績優秀なことが、人の最高の価値ではないし、
派遣だから不安定と思うなら
何か資格を取る努力をするとか、
仕事以外に 自分を表現する場所w持つとか

最近、こうした理由なく無差別殺人事件を起こす人が多い。
その共通点が、自分の居場所を失っているということ。
でも、居場所は、人に与えてもらうものではなく、
自分で作るものだということを 親も学校も教えていないのだ。

西鉄バスジャック事件を起こした少年が、
ネットに書き込みをしていたのも
「欲しいもの  存在感」と書いていた。
私は、涙が出て止まらなかった。
親は、引きこもりの彼と 休みの日には、サイクリングに出かけたり、
できるだけ関わろうとしていた。
でも、彼が求めているのは、親との関わりではない。
社会の中での存在感なのだ。
他人の中で 自分を表現できない。
下手に 子供の頃の成績が良かったりすると、
変なプライドもあって いい意味でばかになれない。
こんなはずじゃ~
と思いはじめる。

自分の本質と向き合えない。
自分の感情をコントロールできない。
こんな若者が、とにかく増えている。
尊い命が、奪われていく。
償うことのできない命。

そんなに社会や親がいやだったら
一人で 死になさい!
こういう事件を起こした犯人が、共通して言うことは、
「あっと驚かて 死のうと思った」(今回の犯人は、言っていないが)
大きな事件を起こして注目されることが、自分の存在を主張することだと思ってるのだ。
それなら ダイナマイトでも体に巻いて
一人で 爆死したらどうだろう。
他人を巻き込むという弱さが、
どこかで 誰かに助けてもらいたいとか、
止めてもらいたいとかいう気持ちが見え隠れする。

最近、小学校などの義務教育を受けさせない親が増えているというが、
家庭という単位、親子という関係では、
学べないことが、たくさんあります。
一生、親とだけ生きていけるわけではないのですから
他人の中での自分の居場所のつくり方を知るためにも
学校には、行かせるべきです。
親に出来ることには、限界がありますし、
まず、行かせてみて それからでも判断はできるのに
入学させないというのは、いかがなものかと思います。

余談ですが、
もし、死刑を廃止したら こういう犯人にどんな刑罰がふさわしいんでしょう。
もちろん、死刑にしても足りないですが。
7人分の死刑にしたいくらいです。

おととい秋葉原にちょっと行きましたが、
突然、後ろからとか、横を歩いてる人が、
ナイフで切りつけてきたら
そんなことを考えながら歩けない。
怖い世の中になってきました。

テーマ : 秋葉原無差別殺傷事件 - ジャンル : ニュース

コメント

凶刃に倒れた、「若者たちの居場所」

はじめまして。
容疑者が社会に居場所を無くしていたという事は、おそらく間違いないでしょう。
そして評論家の中には、「大量殺人というパフォーマンスの場として秋葉原を選んだ」と言う人も居ます。

しかし、今回凶刃を向けられたのは、秋葉原という居場所を持っている若者たちだったのです。

犠牲になった若者たちだって、日々閉塞感に悩んでいた筈です。そして、自分たちの居場所であるアキバの街を大事にしていた筈です。

容疑者は、そんな風に居場所を持っている若者たちから、居場所を奪うという凶行に出たのです。

こんなものは、パフォーマンスでもなんでもありません。

伝えるべき相手を殺してしまう様な行動が、パフォーマンスなわけがないでしょうに。

これからも秋葉原は若者たちの居場所でありつづけるべきだし、立ち直るべきだし、その為にも規制で縛ってはならないと思います。

はじめまして、コメントありがとうございます。
何か大きな事件が起こると 規制だとか、厳罰だとかの議論になってしまいますが、たった一人の異常者のために ささやかな喜びや 日常を奪われたのではたまりません。
今回の事件で アキバ系と言われる人たちが、被害者の救助に力を貸してくれたと救急の人が言っていました。
その一方で 携帯で苦しんでいる被害者の写真を撮って 笑ながら送信している人たちもたくさんいたとか。
それも 本当は異常ですね。
周りの人を 大丈夫かと不審に思いながら生活しなければいけないなんて 悲しいし、しんどいですね。
努力することと それが報われた時の達成感を味わえるような環境を 今の若者や子供たちに与えないといけないのかもしれません。

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2008/06/12 | フィギュア萌え族(仮)犯行説問題ブログ版・サブカル叩き報道を追う | 秋葉原のテロ。碓井真史さん「幸福象徴の秋葉原に恨み」竹田圭吾さん「いや、サブカル解放区への同化」 まず、この手の事件が起こると決まって行われる「文集晒し」ですが、これ程インチキな報道はありません。例えば、私は小学校・中学校・高校のそれぞれの卒業文集で言っている事は違いますし、性格傾向はともかく価値観なんて、社会に出てからいくらでも変わるものなのです...

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