Posted
on
ドナ・バーバ・ヒグエラ『最後の語り部』(東京創元社)
ドナ・バーバ・ヒグエラの『最後の語り部』を読む。聞きなれない作家だが、著者はラテン系アメリカ人の児童文学作家で、本書はデビュー二作目にあたるという。本書は“物語をテーマにした物語”だということで、ミステリではないけれども非常に興味を持ち、とりあえず買っておいた一冊。ところがいざ読んでみると、これがまあ面白くて、上質の児童文学どころか、大人も十分に楽しめるバリバリのエンタメ小説であった。
地球に彗星が迫り、最後のときが近づいていた。人類は巨大宇宙船によって、他の惑星へ移住する計画を立てるが、宇宙船に乗ることができるのは、ごく一部の者たちだけであった。長い航行になるため、人々は睡眠状態のまま運ばれ、子供たちは睡眠中にさまざまな知識を脳にインストールされ、到着後には新世界の若き担い手となるよう期待されていた。また、その間は「世話人」というスタッフが管理することになっていた。
十三歳のペトラは、いつも昔話を聞かせてくれた大好きな祖母を残し、科学者の両親と宇宙船で出発する。だが、ペトラが目覚めとき、船内では世話人の手による革命が起こされ、予想もしない世界が出現していた。ペトラは彼らの計画を阻止すべく、物語を語ることで抵抗をするが……。
▲ドナ・バーバ・ヒグエラ『最後の語り部』(東京創元社)【amazon】
本作は基本的にはSF、しかも「世代宇宙船」的な要素も含まれたディープな設定である。ただ、読み終えた今は上質なファンタジーのようにも感じる。それはどこかしらノスタルジックな雰囲気を漂わせたストーリーや世界観が影響しているからで、そのノスタルジーは、やはり“物語”というテーマによるところが大きいだろう。
これがただの物語であれば、そこまでは思わなかったかもしれない。本作でいう“物語”とは、口承文学・伝承文学の類である。神話や伝説、昔話、歴史など、語り部が話して聞かせる物語だ。最大の特徴はもちろん本という形を取らないことだが、そのため口承文学は内容が一定せず、語り部によって、あるいは語るたびに物語が変化するのが大きな特徴である。
その場その場で話して聞かせるから、完全に同じ物語にならないのは当然としても、それ以上に語り部が意識して物語を変えることもある。それは語り部が生きた時代を反映させるからであり、昔からそうやって物語が語り継がれ、時代に合わせて変化してきたのだ。
本作はそうした“物語”の持つ力、歴史の持つ力によって、人類を救う少女の話である。いったいどうやればは物語で人類を救うというのか。ここが本好きには堪らないポイントであり、それは読んでからのお楽しみである。
宇宙船の中で革命が起きるというのも面白い設定だ。〈コレクティブ〉と名乗るこの集団は、平等な世界を目指し、すべてを分かち合う世界を構築しようとする。そんな彼らが地球崩壊の危機に直面したとき、革命、つまり宇宙船の乗っ取りを計画し、すべての過去を消して国を作ろうとする。
まあ、どこかで聞いたような主張だが、その手段をエキセントリックかつSF風に仕上げることで、うまく語り部の存在と絡めていてお見事。
ただ、〈コレクティブ〉は普通の存在ではなくなっているため、彼らの世代交代の過程はもう少し書き込むべきであり、説得力も増したはずである。手を抜いたわけでもなかろうが、そこはちょっと安易に流しているように感じた。
ついでに他の気になる点を挙げると、児童向けということもあるのか、バリバリのSFではあるが科学水準の内容にけっこうムラがあるのはいただけない。また、ご都合主義的な展開もちらほら感じないではない。これらは著者のツメの甘さと取ることもできるが、おそらくはストーリーの都合で調整している節がある。
ストーリー優先なのはわかるし、確かに成功はしているのだが、それだけにこういう疵がもったいなく感じた次第である。
と少し文句をつけてはみたが、長所がそれらを大きくを上回っているので、あまり気にすることもあるまい
テーマや設定だけでなく、キャラクター造形も悪くないし、主人公ペトラの成長も自然に描かれている。ストーリーも冒険小説といっていいぐらいのハラハラドキドキがあり、ミステリ好きにはちょっとしたサプライズも用意されていて、それがまたストーリーの重要なファクターになっている。
さまざまな魅力を備えた、贅沢かつ魅力的なエンタメ小説なのである。
地球に彗星が迫り、最後のときが近づいていた。人類は巨大宇宙船によって、他の惑星へ移住する計画を立てるが、宇宙船に乗ることができるのは、ごく一部の者たちだけであった。長い航行になるため、人々は睡眠状態のまま運ばれ、子供たちは睡眠中にさまざまな知識を脳にインストールされ、到着後には新世界の若き担い手となるよう期待されていた。また、その間は「世話人」というスタッフが管理することになっていた。
十三歳のペトラは、いつも昔話を聞かせてくれた大好きな祖母を残し、科学者の両親と宇宙船で出発する。だが、ペトラが目覚めとき、船内では世話人の手による革命が起こされ、予想もしない世界が出現していた。ペトラは彼らの計画を阻止すべく、物語を語ることで抵抗をするが……。
▲ドナ・バーバ・ヒグエラ『最後の語り部』(東京創元社)【amazon】
本作は基本的にはSF、しかも「世代宇宙船」的な要素も含まれたディープな設定である。ただ、読み終えた今は上質なファンタジーのようにも感じる。それはどこかしらノスタルジックな雰囲気を漂わせたストーリーや世界観が影響しているからで、そのノスタルジーは、やはり“物語”というテーマによるところが大きいだろう。
これがただの物語であれば、そこまでは思わなかったかもしれない。本作でいう“物語”とは、口承文学・伝承文学の類である。神話や伝説、昔話、歴史など、語り部が話して聞かせる物語だ。最大の特徴はもちろん本という形を取らないことだが、そのため口承文学は内容が一定せず、語り部によって、あるいは語るたびに物語が変化するのが大きな特徴である。
その場その場で話して聞かせるから、完全に同じ物語にならないのは当然としても、それ以上に語り部が意識して物語を変えることもある。それは語り部が生きた時代を反映させるからであり、昔からそうやって物語が語り継がれ、時代に合わせて変化してきたのだ。
本作はそうした“物語”の持つ力、歴史の持つ力によって、人類を救う少女の話である。いったいどうやればは物語で人類を救うというのか。ここが本好きには堪らないポイントであり、それは読んでからのお楽しみである。
宇宙船の中で革命が起きるというのも面白い設定だ。〈コレクティブ〉と名乗るこの集団は、平等な世界を目指し、すべてを分かち合う世界を構築しようとする。そんな彼らが地球崩壊の危機に直面したとき、革命、つまり宇宙船の乗っ取りを計画し、すべての過去を消して国を作ろうとする。
まあ、どこかで聞いたような主張だが、その手段をエキセントリックかつSF風に仕上げることで、うまく語り部の存在と絡めていてお見事。
ただ、〈コレクティブ〉は普通の存在ではなくなっているため、彼らの世代交代の過程はもう少し書き込むべきであり、説得力も増したはずである。手を抜いたわけでもなかろうが、そこはちょっと安易に流しているように感じた。
ついでに他の気になる点を挙げると、児童向けということもあるのか、バリバリのSFではあるが科学水準の内容にけっこうムラがあるのはいただけない。また、ご都合主義的な展開もちらほら感じないではない。これらは著者のツメの甘さと取ることもできるが、おそらくはストーリーの都合で調整している節がある。
ストーリー優先なのはわかるし、確かに成功はしているのだが、それだけにこういう疵がもったいなく感じた次第である。
と少し文句をつけてはみたが、長所がそれらを大きくを上回っているので、あまり気にすることもあるまい
テーマや設定だけでなく、キャラクター造形も悪くないし、主人公ペトラの成長も自然に描かれている。ストーリーも冒険小説といっていいぐらいのハラハラドキドキがあり、ミステリ好きにはちょっとしたサプライズも用意されていて、それがまたストーリーの重要なファクターになっている。
さまざまな魅力を備えた、贅沢かつ魅力的なエンタメ小説なのである。