はてなキーワード: 誕生日とは
元々あまり記念日とか誕生日とかイベントとかどうでもいいタイプで、祝って貰えたら嬉しい〜!ありがとう〜!くらいで祝って貰えなくても特に何も無い通常通りなんだけど
100歳まで生きると言っていた祖父が85歳で亡くなった。
本当に突然のことだった。前日には親戚の集いがあり、祖父も参加していた。もちろん自分も参加した。お酒を飲んで親族と楽しそうに話して、「来年もまたみんなで集まれますように!」と言っていたのにその次の日に亡くなってしまった。
その日は祖母が外出の予定があった。昼過ぎに家を出て、夕方ごろに帰ってきた時には祖父が倒れていて体が冷たかったそう。祖母は倒れていた祖父を見つけて救急車を呼んでくれたけれど、心臓が止まってしまっていて、病院に着いた頃にはダメだと言われた。祖母はショックからか、いつも溌剌としているのに全く元気がなく会っても一言も言葉を発することがなく、そんな祖母を見て心が痛くなった。辛かった。
祖父は私のことを自慢の孫だと何度も何度も褒めてくれた。小学生の時に塾のテストが良かったときも、中高生の時に大会出場してくれた時も、就活で内定をもらえた時も。内定をもらえた時、絶対に祖父母に連絡をしていた。「内定貰えたよ!」と送ると、必ず「さすが!自慢の孫だ!」と返してきてくれた。まだ就活は続くのに、もう内定をもらっても祖父の褒め言葉は聞くことができない。
夏には避暑地にある祖父が所有している別荘へ1ヶ月ほど泊まって過ごすのが毎年恒例になっていた。80を過ぎて免許も返納し、スーパーへ行く足が無くなってしまい困っていたので、免許を取ってスーパーへ連れて行った。一度だけ。来年こそは高速運転もマスターして、ゴールデンウィークに一緒に行く予定だった。「ゴールデンウィークまでに就活終わって行けたらいいね」とよくLINEしてくれていたのに、叶わなくなってしまった。もう、祖父と共に別荘で過ごすこともできない。朝の散歩コースを一緒に歩くこともできない。一緒に選んで買った、最近新しくしたパソコンやスマホだって、もう使う事はない。
祖父は本当にパワフルな人間で、毎朝5時に起きてはラジオ体操をして、毎日一万歩も散歩をしていた。本人は100歳まで生きるつもりだったので、私が20歳の誕生日の時には「〇〇ちゃんに美味しいものを食べさせられるのはあと16年しかないな!」と言っていたのに。本当に元気な人間だったので、親戚みんなが100歳近くまで生きると思っていたし、100歳は無理でも、90歳までは生きると思っていた。本気で思っていた。なのに、こんなにあっけなく天国へ行ってしまった。1番最初の孫で、誰よりも可愛がられてきた自覚があるので、余計に辛かった。でも、60年近くずっと一緒に暮らしていた祖母はもっともっと辛いだろうし、母もずっと泣いているので自分だけ辛くなって泣いてちゃいけないと思いながらも、これを書いて涙を流している。
全てを投げ出して祖父と母を支えてあげたいものだけれど、残酷なことに時間というのは変化なく進んでいく。今日もやらなくてはならないことがあるし明日も明後日もある。祖父に「その企業から内定貰えたのか!すごいな!さすが自慢の孫だ!」と言ってもらえるように明日からの就活を頑張るのがとりあえずの目標である。気合を入れて、なんとか乗り越えていきたい。
明日には海外に住んでいる従姉妹も帰国して駆けつけてくれるらしい。元気な人だったので、最期は病気で苦しむことなく亡くなるだろうと思っていたけれど、その日がこんなに早くくるとは思わず、ふと思い出すと涙が止まらなくなる。最後の最後に親族にたくさん会え、大好きな孫の顔を見れたのはよかったのではないかと思いたい。今日のことを忘れたくないためにここに書き記した。祖父がくれた偉大な愛を、忘れずに生きていく。
おかあさんが手術する 入院する リハビリに時間がかかるものだそうで、3週間弱入院する
トーチャンは家事できるけど猫の面倒を見ないといけないから実家に帰ってきた 猫はカーチャンのベッドを好き勝手している 今年買ってあげたドラム式洗濯機を父はぶんぶんぶん回している 1回ごとに槽洗浄をするけどそんなにするもんなのか?
多分何にもすることないけど何かあった時のためにバーチャンちに正月行くのは免除してもらった
トーチャンは流石に行く カーチャン側のジーバーは亡くなってるからある意味楽だ
病院のナースステーションになにか付け届けをするべきなんだろうか 死んだばーちゃんの時は個包装でちょっといいお煎餅買ってったけど…
なんか受け取ってくれない病院もあるみたい…
でも年末年始面倒見てもらうんだから持っていきたい…迷惑だろうか…
お見舞いもコロナ対策で身内だけしかだめとか厳しいから…どうしよう…
なんか考えることいっぱいある
有村麻央さんのメインコミュがどうしても受け入れられなかった。私はA+まで読んだ。ダメだった。このブログはA+コミュまでの全てのネタバレ、また別キャラのメインコミュのネタバレを一部を含みます。ネタバレを知りたくない方は見ないでください。
私は元々かっこいい女性キャラや王子様気質の女性キャラに惹かれる趣味で、有村麻央さんももちろんそれに惹かれて好きになった。そもそもそこから間違っていたのかもしれない。
「カッコいいアイドルを目指す3年生の女の子。初星学園アイドル科の寮の寮長をしており面倒見がよい。後輩達からは小さな王子様(リトルプリンス)として慕われている。幼い頃から歌劇のスターに憧れ、子役として活躍していた過去を持つ。」
というもの。
以上からも見てとれるように、彼女はカッコいい女性アイドルとして大きく売り出されているので当然そのようなコミュなのだろうと思って喜んで彼女をプロデュースしはじめたし、私と同じような方もいた事だろう。結論から言うと、全然違った。いや、全然違うこともないが本当に、たまに思い出しては泣くくらいには受け入れられなかった。
ここから先はメインコミュを含む話です。有村麻央さん、姫崎莉波さんのコミュのネタバレが出てきます。
まずメインコミュのあらすじをざっくり述べると、有村麻央さんをプロデュースすると決めたプロデューサーは有村麻央さんの本当の魅力は「かっこいいこと」ではなく「本当は可愛いところ」に目をつけた。それから、有村麻央さんを「可愛くてかっこいいアイドル」として成長させていく…という内容。(多少違くても目を瞑って)
有村麻央さんは公式プロフィールにもあったとおり「かっこいい」を目指している。そのため、カッコよくなるために色々な努力をしているのだ。
私は彼女のそういうところに惹かれてプロデュースを始めたので、そもそもこの時点でプロデューサーとの意見が食い違っていた。この時点でやめるべきだったのだろうけど、知り合いのPから「A+まで読めば意見が変わる」「最後まで読んだ方がいい」と言われ、私自身もアイマスを信じて先へ進んだ。だけど、結局のところ有村麻央さんは「可愛くてかっこいいアイドル」として頑張ることを心に決め、髪型まで変え、プロデューサーに「可愛い服を一緒に買いに行ってくれませんか」と頼むまでに成長する。
確かに、有村麻央さんは1人の高校生の少女としては大きく成長しているのだ。己の体の成長や、自分に見合わない「かっこよさ」へ向き合うことをやめ「かわいさ」とも向き合うという勇気を持った彼女には、もちろん大きな賞賛を与えたいと私は思った。
だけど、私が求めていたのはそうではなかったというのが本当の気持ちである。
私は、彼女の「かっこよさをとことん追求して、なりたい自分になってみせる」という気持ちを大切にして欲しかった。そして、世界で一番かっこいいアイドルとして、誰にも負けないくらい輝く一番星になって欲しいと、そう願って学マスを始めてしまったのだ。
少し話は逸れるが、彼女と同級生の姫崎莉波さんは、有村麻央さんとは反対に「面倒見が良いタイプなのに以前は妹系アイドルとして無理をしていたが、なりたい自分に素直になってお姉さんアイドルになる」というコミュだったわけだが……どうして有村麻央さんは、「なりたい自分になる」ではダメだったのか?と、コミュを全て読み終えてからも、ずっとそう感じてしまう。
もちろん「ありのままの自分」を認めるのは大切だし、彼女がアイドルとして伸びるためには本当はそうなるべきだったのかもしれないけれど、「なりたい自分」として輝けるアイドルがいる傍ら、どうして有村麻央さんはなりたい自分ではダメだったのか?と何度も何度も考えてしまった。それがコミュを受け入れられなかった理由だった。
正直、彼女の理想は否定されてしまったんじゃないかと、彼女が本当になりたいアイドルに本当にこれでなれるのか、と、ずっとずっと悩んで、有村麻央さんの担当をやめるかどうかまで悩んだし、正直今も悩んでいる。でも、彼女のかっこいいところも、自分に向き合う努力を出来る彼女のことも、もちろん本当は可愛いところだって好きだ。だからやめたくてもやめられない。でも、きっと今後出てくる誕生日の限定曲だって、私はきっと心の底から喜ぶことはできない。公式のコミュを受け入れられなかったから。それが本当に辛くて、悲しくて、そしてなにより有村麻央さんに申し訳ないとすら思う。こうして私が「カッコよくありたいと思う有村麻央のままでいて欲しい」と思うことすら今の彼女のプロデュース方針や努力とは相反するものだ。だからこそ彼女の担当を降りるべきかと、今でも悩んでいる。ずっと。こんなにも悪い意味で「綺麗さっぱりコミュを忘れたい」と思ったことは人生で初めてだった。
彼女はなりたい自分になってはいけなかったんだろうか。かっこいいアイドルとして成長してはいけなかったんだろうか。「かわいい」を見出すのはいちファンの勝手な感想であって、それをプロデューサーが見出すのは違うんじゃないか?アイマスにはもう「本当は可愛くなりたい」アイドルがいるんだから、しっかりとかっこいいアイドルだってもっと表に出してよかったんじゃないのか?
「小さくても胸が大きくなってもそれをものともせずカッコよく舞台に立ち続ける有村麻央」の未来をどうして私は見れなかったんだろう。
有村麻央さんのメインコミュがどうしても受け入れられなかった。私はA+まで読んだ。ダメだった。このブログはA+コミュまでの全てのネタバレ、また別キャラのメインコミュのネタバレを一部を含みます。ネタバレを知りたくない方は見ないでください。
私は元々かっこいい女性キャラや王子様気質の女性キャラに惹かれる趣味で、有村麻央さんももちろんそれに惹かれて好きになった。そもそもそこから間違っていたのかもしれない。
「カッコいいアイドルを目指す3年生の女の子。初星学園アイドル科の寮の寮長をしており面倒見がよい。後輩達からは小さな王子様(リトルプリンス)として慕われている。幼い頃から歌劇のスターに憧れ、子役として活躍していた過去を持つ。」
というもの。
以上からも見てとれるように、彼女はカッコいい女性アイドルとして大きく売り出されているので当然そのようなコミュなのだろうと思って喜んで彼女をプロデュースしはじめたし、私と同じような方もいた事だろう。結論から言うと、全然違った。いや、全然違うこともないが本当に、たまに思い出しては泣くくらいには受け入れられなかった。
ここから先はメインコミュを含む話です。有村麻央さん、姫崎莉波さんのコミュのネタバレが出てきます。
まずメインコミュのあらすじをざっくり述べると、有村麻央さんをプロデュースすると決めたプロデューサーは有村麻央さんの本当の魅力は「かっこいいこと」ではなく「本当は可愛いところ」に目をつけた。それから、有村麻央さんを「可愛くてかっこいいアイドル」として成長させていく…という内容。(多少違くても目を瞑って)
有村麻央さんは公式プロフィールにもあったとおり「かっこいい」を目指している。そのため、カッコよくなるために色々な努力をしているのだ。
私は彼女のそういうところに惹かれてプロデュースを始めたので、そもそもこの時点でプロデューサーとの意見が食い違っていた。この時点でやめるべきだったのだろうけど、知り合いのPから「A+まで読めば意見が変わる」「最後まで読んだ方がいい」と言われ、私自身もアイマスを信じて先へ進んだ。だけど、結局のところ有村麻央さんは「可愛くてかっこいいアイドル」として頑張ることを心に決め、髪型まで変え、プロデューサーに「可愛い服を一緒に買いに行ってくれませんか」と頼むまでに成長する。
確かに、有村麻央さんは1人の高校生の少女としては大きく成長しているのだ。己の体の成長や、自分に見合わない「かっこよさ」へ向き合うことをやめ「かわいさ」とも向き合うという勇気を持った彼女には、もちろん大きな賞賛を与えたいと私は思った。
だけど、私が求めていたのはそうではなかったというのが本当の気持ちである。
私は、彼女の「かっこよさをとことん追求して、なりたい自分になってみせる」という気持ちを大切にして欲しかった。そして、世界で一番かっこいいアイドルとして、誰にも負けないくらい輝く一番星になって欲しいと、そう願って学マスを始めてしまったのだ。
少し話は逸れるが、彼女と同級生の姫崎莉波さんは、有村麻央さんとは反対に「面倒見が良いタイプなのに以前は妹系アイドルとして無理をしていたが、なりたい自分に素直になってお姉さんアイドルになる」というコミュだったわけだが……どうして有村麻央さんは、「なりたい自分になる」ではダメだったのか?と、コミュを全て読み終えてからも、ずっとそう感じてしまう。
もちろん「ありのままの自分」を認めるのは大切だし、彼女がアイドルとして伸びるためには本当はそうなるべきだったのかもしれないけれど、「なりたい自分」として輝けるアイドルがいる傍ら、どうして有村麻央さんはなりたい自分ではダメだったのか?と何度も何度も考えてしまった。それがコミュを受け入れられなかった理由だった。
正直、彼女の理想は否定されてしまったんじゃないかと、彼女が本当になりたいアイドルに本当にこれでなれるのか、と、ずっとずっと悩んで、有村麻央さんの担当をやめるかどうかまで悩んだし、正直今も悩んでいる。でも、彼女のかっこいいところも、自分に向き合う努力を出来る彼女のことも、もちろん本当は可愛いところだって好きだ。だからやめたくてもやめられない。でも、きっと今後出てくる誕生日の限定曲だって、私はきっと心の底から喜ぶことはできない。公式のコミュを受け入れられなかったから。それが本当に辛くて、悲しくて、そしてなにより有村麻央さんに申し訳ないとすら思う。こうして私が「カッコよくありたいと思う有村麻央のままでいて欲しい」と思うことすら今の彼女のプロデュース方針や努力とは相反するものだ。だからこそ彼女の担当を降りるべきかと、今でも悩んでいる。ずっと。こんなにも悪い意味で「綺麗さっぱりコミュを忘れたい」と思ったことは人生で初めてだった。
彼女はなりたい自分になってはいけなかったんだろうか。かっこいいアイドルとして成長してはいけなかったんだろうか。「かわいい」を見出すのはいちファンの勝手な感想であって、それをプロデューサーが見出すのは違うんじゃないか?アイマスにはもう「本当は可愛くなりたい」アイドルがいるんだから、しっかりとかっこいいアイドルだってもっと表に出してよかったんじゃないのか?
「小さくても胸が大きくなってもそれをものともせずカッコよく舞台に立ち続ける有村麻央」の未来をどうして私は見れなかったんだろう。
久々に免許更新のハガキがやってきた。あの頃とくらべて私は東京に転居しカーシェアを数千キロ乗り最近では車も購入したが、それでも5年間優良を維持できたのは良かったと思う。
免許更新のハガキを見ると、優良なら都外での経由更新が可能と書いてある。
そういえば誕生日までに名古屋に行く予定がある。5年に1回しかないレア更新チャンスを逃すわけにはいかない、ということで経由更新をやってきた。
愛知県警の経由更新のページを見ると、証紙が必要といった記載がある。しかし、東京都は証紙を廃止しているので入手することはできない。
https://www.pref.aichi.jp/police/menkyo/tetsuzuki/koushin/shikenjou/keiyu-koushin2.html
どうすれば良いかと言うと、以下の警視庁のページにある通り「免許証更新手数料納入済通知書」を免許試験場などで入手すれば、愛知でも住所地の証紙相当として受け付けてくれる。鮫洲でも江東でも(府中でも良いが府中は受け取りでどうせ行く必要がある)、経由更新したいので金を払いたいといえば手続きの方法を教えてくれるので従えば良い。おすすめは食堂のカレーがうまい鮫洲。
https://www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp/menkyo/koshin/koshin/koshin09.html
もちろん東京都で講習を受ける必要はないので、支払い列がスムーズであれば30分もかからずに通知書は入手できる。
注意点としては、ハガキが必ず必要(今も優良かどうかの確認に必要らしい)なのと、事前にどの県で更新するかを決めておく必要(通知書に記載するため)があるくらい。
各種案内を見ると、証明写真も必要といった記載がある。免許試験場には専用の写真機があるのでそれで撮影できるだろう…と一見思いがちだが、 少なくとも愛知県では試験場の写真機は経由更新には利用できなかった(免許証を作成するのは東京側だからかな?)。金はかかるが、事前に証明写真を用意しておくと安心。
私は写真を持たずに行ってしまったが、試験場の受付付近に国際免許証用と思われる(一般向け、有料の)証明写真機があったのでなんとかなった。
県内の更新所でどこでも経由更新ができるわけではなく、例えば愛知県では平針運転免許試験場でしか行えないので、名古屋から1時間ほどかけて平針に行く。
愛知県民の通常の更新では事前の予約が必要(そこには予約バトルがあるらしい)のだが、経由更新では予約不要で行けば良く、当日総合案内に聞けば手順を教えてくれる。
あとは指示に従っていく。支払いコーナーで何も言わないと免許証の送付を含めた手続きを想定されてやや高額になってしまうのだが、自分で東京に受け取りに行くと主張すれば(そしてそれが制度上可能であることを警視庁の Web ページを見せるなどして示せば)送料は不要になった。他にも別室に通されたりなんやかんや例外処理があったが、1時間もかからずに講習まで終わった。講習自体は愛知県民と一緒に受けた。
県民の方は講習後に新しい免許を受け取るが、経由更新では既存の免許証に経由更新のスタンプが押されたものを受け取ることになる。
その後は残陽の中ライブ会場に向かい、翌日金沢観光をして東京へ帰宅した。
通常の更新は誕生日の前後一ヶ月可能だが、経由更新ではここまでの手続きを誕生日までに終える必要がある。
受取は自宅送付にするか、2,3週間後に東京都の府中運転免許試験場で受け取るかのどちらか。送付であれば、先述の通り愛知で送料を追加で支払うことで手続きができるのだと思う。
私は東京都に住んでいて府中にはいつでも行けるので直接受け取りに行くことにした。試験場の "みどりの窓口" に今の免許証を持っていけば新しいものと交換してくれて、手続きが完了する。事前に電話をして、免許証ができているかを確認すると確実。
こうして新しい免許が手に入った。普通の更新と比べてなかなかやることが多かったので一般にはおすすめしないが、住んでる場所以外の免許試験場に堂々と(用事を持って)入れる機会はそうそうないので、官公庁の施設が好きな皆様にはおすすめしたい。免許試験場は大体変な場所にあるというのもポイントが高い。
でもいなかったかもしれない。
小学校のころはクラスの同性であればみんな友達!って思ってたし、中学校に入ってからは部活の仲間が同じクラスにいたので、特に困ることはなかった。
ただ修学旅行の班決めではかなり迷った。うちの班に来なよってみんな言ってくれたけど、誰かの誘いに乗ったらもう一方の友達を裏切ることになるんじゃないかと思って、先生にどっちでもいいです、と言ったこともあった。
あの時選んだ班に後悔はない。けどどの班に行っても同じような感想だっただろうなと思った。
私はみんなのことが好きだと思っているが、本当はうっすらみんなのことが苦手なのかもしれない。
みんなのことを好きでいたい。好きでいなければならない。
たくさんの欠点がありながらみんなが仲良くしてくれたのは、この位置があったことも大きい。
教室内でのいじられ、というのは別によかった。みんな度を越したものはしなかったし、私もみんなが好きだったから。
もちろんみんなは好きだ。好きだけど、中学生だった。
今でもよく覚えているのは、私の誕生日にずっと無視されたことだ。
あの日は辛かった。
全員から無視されていたわけじゃない。同期の半分はいつも通り接してくれたし、後輩たちも別になんともなかった。
部活が終わるまでガン無視されて、さすがに涙が出てきたころに、「◯◯、誕生日おめでとう!」と言ってきた。
部活後にプレゼントも渡されたけど、それまでの無視が辛すぎて全然プラマイゼロではなかった。
なんだったんだあれ。ほんとに何?謎だ......
こんなこと書いてたら特定されるかな、まあされないだろう。私の周りの人はみんなこんなとこ読まないから。
よかったけど、やっぱりここでも特定の仲良しグループとかはなかった。
部活仲間とはかなりの時間を一緒に過ごしたが、クラス内で仲が一番良かったのは誰?と聞かれると、答えられない。
ここでも私はみんなが友達だった。
昼休みに集まって食べる人は固定されていなかった。たまに1人で食べることもあった。
1人は別にいい。(よくないけど)
同窓会にも行かないことにした。
多分行ったほうがいいんだろうけど、誰かと待ち合わせて行くこともできない、自分が孤立しているところを知り合いに見られたくない。
私が今一番会いたいのは高校の友達なのに、半分くらいは来ないから行かないと決めた。
でも大学に入ると、入学初日なのにもう結構なグループができていた。なぜ?謎すぎ!なんとかしてくれ!!
友達はできた。
初めて、特定の1人とずっと一緒に行動することになった。
大学は高校と違ってグループができていて、それもなかなか苦しい。ずっと1人。寂しい。会話がしたい。
話しかければいいのに。助けてって言えばいいのに。
なんでしないんだろう。何も変わらないのに。
ここにきて今まで目を逸らし続けた問題に向き合わなければならなくなった。
ずっと見て見ぬふりをしていた。
孤独は解消できない。どうすればいい?
友達がほしい。
私は最初から人間のことを人間扱いなんてしてなかったのかもしれない。
友達から休学するって言われたときに真っ先に思い浮かんだのは自分のこと。
最悪。
みんなに迷惑をかけている。
勉強してよ。
勉強するか〜。
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- 貴方の"怨み"と"対象"を共有し、共感の元に怨縁が生まれる。
- 「ヤツが許せない!」そんな想いを抱える者同士が集う場所。
- 怨みを"言葉"に変え、"呪詛"へと昇華。実行までの進捗管理も可能。
- 復讐のプロセスを冷静にデータ化。「進行度グラフ」で可視化する機能あり。
🔗 「怨友機能」:
- ユーザーからの「呪いのアドバイス」「共感リアクション」で呪詛加速。
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1. 「笑顔に亀裂を走らせる呪法」
「ランチに誘われない。それが何か?**私の分の呪詛弁当**を持参してるから。」
「彼女が私の知らない男と歩く姿を見た。次はその影を踏む呪いを……。」
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🌒――――――――――――――――――――――――――――🌘
全然ダメだったし。いい歳して本気で婚活したのに、マジで時間の無駄だったし。でも、まぁ、ちょっとくらいは嬉しいこともあったし…思い出してあげるし。
一回だけ、すごい気合入れてプロフィール写真選んだら、いいねがいっぱい来たし。そりゃそうだわ、あんなに盛れた写真、なかなか撮れないし。で、その中の何人かとメッセージのやり取りしたし。中には毎日メッセージくれる人もいたし。マメな男っていいわよね、まぁ、結局会うまでには至らなかったけどし。
あと、何回かデートに行ったこともあったし。奢ってくれた人もいたし。私、お金ないから助かったし。まぁ、奢られたからって好きになるわけじゃないし。その後、連絡が来なくなった人もいたし。私から連絡するのも違うし。私を逃すなんて見る目ない男だわ、本当にし。
年収高い人ともマッチングしたこともあったし。メッセージのやり取りで、さりげなく高そうなレストランの話とかしてくるし。私、そういうの詳しくないから、ちょっと引いたし。でも、まぁ、お金持ちは嫌いじゃないし。結局、その人とは予定が合わなくて会えなかったし。私、忙しいから仕方ないし。あの時、無理してでも会っておけばよかったかしら、ちょっと後悔だし。
写真より実物の方がいいって言われたこともあったし。まぁ、写真写り悪いのは自覚してるし。でも、それって褒め言葉なのかしら、ちょっと複雑だし。その人は、私の仕事の話に興味持ってくれて、色々聞いてくれたし。私の仕事、すごいんだから、もっと評価されていいと思うし。結局、その人ともそれっきりだし。私、何が悪かったのかしら、本当に謎だし。
あ、あと、誕生日にメッセージくれた人もいたし。まぁ、プロフィールに書いてあったから、当たり前といえば当たり前だし。でも、ちょっと嬉しかったし。私、普段は誕生日なんてどうでもいいと思ってるけど、やっぱりお祝いされると嬉しいし。その人とは、結局、一回も会わずに終わったけどし。私、見る目ないのかしら、不安だし。
もう、婚活なんて疲れたし。いい男なんて、この世に存在しないし。私、悪くないのに、なんでこんな目に遭わなきゃいけないのかしら、本当に。
2000年代前半にインカレの起業サークルに所属していた。ビタービットバレーのちょっと後、ライブドア事件の前ぐらいかな。iモードが流行り始めて一攫千金できそうだけど、1990年代のようにホームページ作るだけで数千万円とかは無理な時代。
あと無給~月5万ぐらいで学生をインターン生として数百時間働かせるブラックベンチャーや、そういった企業に学生を紹介する人財(笑)ベンチャーやNPOが跳梁跋扈してた時代。
まぁそれはさておき、当時100人ぐらい居たほぼ同期生のうち、自分が思う成功例と失敗例についてなんとなく語る。一部フェイク含むし、上場企業の社長は特定できそうだから除く。
・成功例①
新卒でITメガベンチャーに就職し、パズドラブームちょっと前にゲーム制作会社向け人材派遣業・受託開発業を創業。あっという間に数百人規模の会社にして、最終的に30代半ばで50億程で会社売却。今はエンジェルっぽいことやってる。西麻布がホームのようだが、酒の飲み方が汚いとたまに話が回ってくる(嫉妬もあると思う)。
・成功例②
就職せずに自分で広告代理店起こすも、直後にリーマンショックが来て一回倒産&自己破産。その後、オタク業界で再起。色々あって現在年商60億ぐらい。最初の自己破産の時に迷惑をかけた人には、全額返済したみたい。
・成功例③
教育系ベンチャーに就職し、30歳ぐらいに同業で独立。最初は学生を雇って個人指導塾を経営していたけど、法人教育や通信教育(ネット)に手を出してから一気に成長。年商100億ぐらい。
・失敗例①
新卒で大企業の新規事業開発部門に入社するも激務で退職。リーマンショックで再就職うまくいかずその後連絡取れなくなる。30歳前後の頃、こいつに騙されたが連絡先を知らないか、という話がFacebookで回ってきた。しばらく忘れていたが、30代半ばにふと検索したら地方で詐欺をして捕まっていた。有罪かは不明。
・失敗例②
新卒で不動産系メガベンチャーに就職し、その後、会社の同期同士で独立。しばらくは順調そうで、たまにメディアで顔を見ていた。なぜかその後、暴力事件を起こして逮捕。現在は不明。
・(余談)自分
文系だが高校時代からコミュニティサイトを運営していたこともあって、Linuxとかサーバー管理的なことを自己流でやっていた。起業にあこがれていたが、ちょうどリーマンショックのタイミングで怖気づき、結局、日系中堅企業に就職。就職時にアピールしたためか、3年目ぐらいで新規事業に携わらせてもらい、PCやネットの知識はそこで重宝された。アラフォーの現在までに2回転職し、現在は年商100億規模のベンチャーの管理職。小さいが事業部的な組織なんで、企画から実行まで全部自分の裁量で回せるのが気持ちいい。副業可な会社でそこそこ資産もたまったけど、何やっていいのか分からず日々本業に追われている。
「成功例」としては、色々な意見があると思うがとりあえず金銭的な成功を基準としてみた。もちろん会社内部は大変かもしれないし、私生活は良くないのかもしれないが、億円単位で稼いでいたらまぁ成功と言えるだろう。また逆に借金ぐらいだったらいくらでも自己破産できるし、失敗とは言えないと思う。ただ逮捕されたらさすがに他人に迷惑をかけたということだし、さすがにそれは「失敗例」と判断してみた(不起訴とかまでは知らん)。
当時のサークルの名簿があったからググってみたら、上場オーナー経営者が数人、上場企業の役員が数人、その他、親の企業継いだ人、中小企業の社長、地方議員、医者、弁護士、社労士、インフルエンサー、情報商材販売数人…みんないろんな人生送ってるなぁ。でも名前でググって出るぐらいだから、それなりに活躍しているんだと思う。
当時は渋谷の道玄坂や桜丘町、六本木とかの安居酒屋やら安中華料理屋やらでよく飲んでたなぁ。25ぐらいまでは付き合いあったけど、そのあたりから成功失敗が別れるようになり、結局離れ離れになってしまった。いまだに繋がっているのは、飲み友達になった数人ぐらいで、あとは年賀状やFacebookの誕生日メッセージで「今年こそ飲みましょう」というやり取りをしているのが数人ぐらい。アラフォーに突入し、とりあえず生きてるだけで丸儲けだな、とは感じる。青春でした。
mixiのニュース見て、当時のことを思い出して書いた記事がホッテントリ入りしてる。嬉しいm(_ _)m
色々な大学生が参加しいるインカレサークルなんでで割合は国立:早慶:MARCH:他で、1:3:4:2ぐらい。早慶多かったけど、圧倒的、というほどでも無かったかな。男女比は9:1ぐらい。あと「自己破産ならいくらでもできる」ってのは気楽に書きすぎたかもしれないけど、ちょっと上の世代の社長で借金が原因で妻子残して失踪したり、自殺しちゃったりした人がいるんだよ。それらに比べたら、借金は自己破産して人生やり直せるんだから、失敗とは言えんよなぁ、と思って。
あとホッテントリ入りで自己顕示欲刺激されたんで、もう1人成功例を上げておく。
・成功例④
自分の知っている中では、同世代一番の成功者。彼も20代でウェブサービス作って、30代で会社ごと数十億円で売却した。知名度が高いB2Cサービスで、同世代(現在30代~40代)でネット使ってる人なら10人に1人は知ってると思う。確かに便利なんだけど、俺は悔しいから使わない(笑)
そうだった!指摘ありがとう。訂正した。
id:delta-ja 2000年後期は金持ち父さんとか女子高生がドラッカーとかそういう時期だったね。氷河期の下ゆとりの上の世代はそこそこ幸運に恵まれてる世代だけど、増田周辺は打率が良いな。アフィだけ齧って撤退の連中が多かった感
はてなの起業エントリが一番盛り上がってたのも2000年後半ぐらいだった気がする。そういえば、2000年代に流行ってたものとしてSEOを忘れてたわ。pagerankが高い大学公式サイトからバックリンクをもらうために、大学の教員に頼んでゼミや学会分科会やらのサイトを無料で作ってたなぁ。そこからさらに自前のサイトにリンク貼ったりして(教員承認済み)。
id:akiat 「年商が高い=企業が儲かっている」ではないことを知っていて書いているんだろうけど、「借金しようが自己破産しようが気にしないと」いう前提があるということが分かった
年商は分かりやすい目安だからね。もしかしたら②や③も赤字や債務超過になってる可能性もあるけど、さすがにそれは外からじゃわからないし。
id:kuippa 50億100億ゆーてるけどほんまかいな。解像度1桁ちがってない? はてなで年25億。タイミーで268億。100億超えは 東証プライムでも上位1582に相当。飲み屋話真に受けてない?自社の決算書見た?
①は伝聞だけど、②と③と自分の話は裏付けあるよ。てか、B2B分野なら一般的な知名度皆無でも年商10億単位はザラだし、B2C、B2B問わず年商100億超の非上場企業もたくさんありまっせ(参考1)(参考2)。
id:gwmp0000 起業 自営業 大学の起業サークルって具体的には何すんだろ? 会社作って経営すんの? 全員自分の会社を作るのかね??
毎月、30歳ぐらいの若手社長呼んできて講演してもらって、その後、懇親会的な感じ。自分1人だと挫折しそうだから、同じ方向を向く仲間やライバルが欲しい人が多かったかな。一緒に会社作るための人を探そうって人はあまりいなかったと思う。みんな我が強いから。
id:TakamoriTarou どういう人が集まってる大学なのかそっちのほうが気になった。企業サークルなんてのがあるんか。
インカレだからいろんな大学の人がいたよ。ガチ起業勢が1/3、意識高い陽キャ系が1/3、その他が1/3ぐらい。自分はその他枠だな。悪く言うとキョロ充に近かったと思う。
id:tkm3000 40代前半で上場企業役員ってなれる?
なれるなれる。新興市場なら、今だと社長40代後半、役員40台前半って会社も多いから。あとは30代で自分の会社を上場企業に売り払って、その事業部の執行役員経て役員になるとか。サラリーマンできる経営人材は貴重。
id:by-king 失敗の定義が逮捕になってないか。夢破れて今はしがないサラリーマンやってますとかそういう話かと思った
成功してメディアに出る以外で、その人のその後を知れるのは悪いニュース(逮捕)ぐらいしかないので…。名前ググっても出てこない半分ぐらいの人は、たぶん普通にサラリーマンとか公務員やってると思う。
ワイの誕生日やん、て書こうと思ったら書かれてたわ
スウェーデンで今年、ある男の子が10歳の誕生日を迎えた。生殖科学者や医師たちもこの日を祝った。この小さな男の子の誕生は特別だった。移植された子宮から生まれた、世界初の人間だったからだ。
この男の子は、生まれつき子宮がない35歳の母親が、家族ぐるみで親しくしている61歳の友人から子宮の提供を受けて、2014年に誕生した。当時、この実験的な医療処置を受けた女性はわずか11人しかおらず、彼女はその中の1人だった。
それから10年が経ち、世界中で135件以上の子宮移植が実施され、50人以上の健康な赤ちゃんが生まれている。この手術は、家族にとって重要な意味を持つ。レシピエント(臓器受容者)たちは、他の方法では妊娠を経験することができなかったからだ。
https://www.technologyreview.jp/s/350427/who-should-get-a-uterus-transplant-experts-arent-sure/
https://anond.hatelabo.jp/20241215222347
これ良いね
パパとして200人くらい会って、テンプレ化できてきたので書いてみるわ、マチアプも同じだろ知らんけど
さすがにマチアプで100人以上会ってる人いないやろ?居たら逆に心配になる
人は最初に見たものを正しいと思う癖があるので、たまに「この方法が正解であとは間違い」と思ってる人がいるので注意が必要
ただ、どちらにせよするのは「条件すり合わせ」だと思う
この水準じゃないと会わないみたいな条件があるはずなので、そこをすり合わせる
パパ活なら外見的な話、マチアプならプロフィールに全部書いてることがそれだと思う
自分側に条件が追加であるなら聞く、会ってから「違ったわ」となるのはかなりしんどい
どこに惹かれたか言う
いつ暇か聞く(土日/平日、朝昼夜)
というかとにかく丁寧な対応見せて良いと思う、その後相手に丁寧な対応見せるシーン無いじゃん?
「!」はちょいちょいつける、「。」はつけない、絵文字はできるだけ少なめで
「うん」と「うんうん」は使い分ける
連投しない
(これ意見色々ありそうだけど、最初の店選びでキャラ出すのつらくない?相手のこと知るのがいちばん大事なんだから)
オープン席/半個室/個室を確認する、密室になる場合は許可を取る
できるだけ相手のエリアまで行く、ただし知り合いに見えられたくない人も居るので注意する
「いきなりお互いの共通趣味の場所に行く」は有り、お互い慣れてる場所だから、ただし会話できない場所はNG
駅から遠すぎる場所は避ける(歩くのしんどい、夏暑い、冬寒い、雨だとしんどい)
迷ってたら迎えに行く
会ったら正直に褒める(褒める点無いなら会うな)
相手の靴確認、ヒールの場合は歩けそうか確認する(たまにヒールだけど余裕な人いるんだよね)
会話デッキ
・天気
・場所について、よく来るのか、詳しいのか
・相手の見た目
・お店
・感謝
・疲れてないか
個人的にはいきなりタメ口でいいと思う(文面は丁寧語、会ったらタメ口。人によるかも)
店入ったら良い席を譲る
・お互いのことを知る
・共通点と違うところを見つける
改めて自己紹介する
・自己紹介
・趣味、何が好きか
→出てこない時は、休日何してるか、家で何をしてるか、YoutubeやTikTokで何を見るか
・出身
・動物は好きか?猫は好きか(俺の場合、猫カフェデートへ繋げる)
・お酒は飲むか(俺は聞かない)
・体動かすのは好きか
・勉強は得意だったかなど(勉強得意勢の会話と、勉強苦手勢の会話を分ける)
・最近のとりとめもない話
・連絡先交換
パパ活だと「別に」「別に」「寝ること」「わかんない」みたいな地獄だと30分で話題尽きるけど、マチアプならないよね?
あとマチアプならもっと深いテーマあると思うんだけど、そういうのは2回目でいいよね
俺は「いい人いる?他の男どうやってんだろ」みたいなのよく話すけどどうなんだろうね
最初ぐらい払ったら?
普通にバイバイ、都内なら駅まで見送る、可能ならホームまで行く
1回目に必ず「じゃあ次は◯◯か◯◯しましょう」まで行く、これがないと普通に切れる
都合いい日(土日/平日/朝昼夜)を確認しておく
・映画館(会話がない)
・混んでる場所
おすすめは
・好きなもの食べに行く
・甘いもの食べに行く
・おしゃれカフェ
・猫カフェ
女子がある程度着飾れる場所で、お互いのことが知れる(会話しやすい)場所がよい
ちょっと深い話になっても、いつでも外部からの情報で話題が切り替えやすい場所ならなおよい
あと女子が「かわいい〜〜」とか「あーこれ好き!」って言える場所がよい
3回目でも良いと思うけど、早ければ2回目で深い話をしちゃえるのが良いよね
2回目ですごく仲良くなってから、3,4回目で新情報出してガッカリみたいな展開によくなるからね
知らん
下ネタは控えるべき
・その他の会話デッキ
流行語とか、紅白とか、そういう当たり障りないニュースめっちゃ使えるんだよね
「じゃあこれから一緒に見つけていこう」
これしかない
これ、俺はパパ活だから聞くけど、マチアプなら聞くタイミング難しそう、でも大事だよね情報として
てか何なら「彼氏いるの?」って聞くわ、そこから彼氏の愚痴が始まる
・お手紙
気を使ってくれるのはありがたいけど、時には甘えるのもスキルだと思う
私には未来があると信じて疑わなかったけど、その未来は砂のように手ですくった瞬間から少しずつこぼれ落ちていた。
認めたくなかった。
友達よりも職場の同僚よりも私の人生はうまくいってるって思ってたけど、みんないつの間にか結婚して出産していった。
結婚が全てじゃないって言う人はたくさんいたけど、やっぱり私たちを囲む世界には独身か既婚かの壁が大きくてすごく辛かった。
既婚者の苦労はみんなわかってるけど独身の苦労は誰もわかってくれないし気に留められることもない。
そんな無視されてる存在でいるのがすごく嫌だったし、好きで独身でいるわけじゃないのに色々言われるのにもう疲れちゃった。
夜のティータイムが私のささやかな楽しみだけど、もう何も考えずにその時間を過ごすこともできなくなった。
もう年末だし実家に帰らなきゃ行けないなと思いつつ、お母さんやおばあちゃんに彼氏が出来たかどうか聞かれるのが嫌で帰りたくないって思ってる私がいる。
けど実家に帰らなかったら寒いワンルームに1人だし、気晴らしに外に出れば楽しそうに過ごしてるカップルを見なきゃいけないのも嫌だなぁ。
結局色々言いながら実家には帰ると思う。
小学校の時はよく男子にちょっかい出されたし、中学の時は部活の先輩に告白されたこともあった。
大学生になってからは友達より早めに垢抜けたし、年上の彼氏がいたから同い年の子達とは違う経験をしてた。
みんながサイゼでご飯食べてトリキで飲んで彼氏の学生寮のマンションに入り浸ってる間に私は色んなホテルや一見さんは入れないお店にも行けた。
キラキラしてないけど入りたい旅行会社の内定をもらえたし、同期の中では私が1番かわいかった。
大学のゼミの子達は先行と全然関係ない大手会社の受付とか事務に就職していった子が多かった。
受付とか事務って男の人にニコニコするのが仕事みたいでそういう仕事はしたくないって思ってた。女の子だからとか関係なく正当に自分の仕事を評価してもらいたかったし、
そんなに勉強をすごくする方じゃなかったし、若ハゲの教授のゼミで愛想笑いをするのも得意じゃなかった。
職場の人は良い人ばっかりだったけど、私はあの人たちみたいにはなりたくないしなれないなって感じるところもあった。
職場に入った頃はそんなゆるい温度感にすごく私は合っているな〜って思ってたんだけど、夏頃に同期に誘われて行った合コンであったベンチャー企業の人たちのポジティブさというか向上心のある感じを見ちゃうと自分の職場が急に違うなって思えてきて「ここは私の居場所じゃないかも」って感じ始めたの。
それがきっかけかわからないけど、会社帰りに夕食がてらカフェに寄ってTOEICや韓国語を勉強し始めた。
韓国トークをする友達と韓国で旅行したときは私が成長しているなって実感できたし、ニューヨークでメトロポリタン美術館に行ったときにイケメン外国人に話しかけられたときもちゃんと会話できてインスタ教えてもらえたのも勉強のおかげかなって思った。
でも、その頃からだろうか。私の中で何かが少しずつズレ始めた気がするのは。
韓国語や英語を勉強して、旅行をして、新しい人や世界と繋がるのは本当に楽しかった。そう思っていたはずなのに、いつの間にか周りの友達たちは結婚して、子どもを持って、話題が変わっていった。昔は一緒に旅行やショッピングの話をしていたはずなのに、今では子どもの習い事や夫婦の関係、家のローンといった現実的な話ばかりになっていた。
私が海外での思い出や、最近買ったお気に入りのコスメの話をしても、みんなの反応はどこか薄い。それなのに、ふとしたタイミングで言われる言葉がある。いいなぁ、自由で、とか。独身だからできることだよね、とか。そのたびに胸の奥がちくりと痛んだ。私は自由を楽しんでいるつもりだったのに、なぜかその自由という言葉が妙に重く感じられるようになっていた。
それでも私は自分らしく生きたいと思っていた。誰かに縛られることなく、自分の人生を自分で選びたいと。でも、ある日ふと気づいてしまった。自分らしくと言いながら、私が選んできた道は、本当に私が望んだものだったのだろうか、と。
年末が近づいて、とうとう実家に帰る日が来た。駅から家までの道を歩きながら、冷たい風が頬を刺す。玄関を開けると、お母さんとおばあちゃんの明るい声が出迎えてくれた。おかえり、寒かったでしょ、と言われて、一瞬ホッとしたのも束の間。食事の席で案の定、彼氏は?の話題になった。
焦らなくていいのよ、とおばあちゃんが優しく言った。でも、そろそろ考えないとね、と続けた言葉が胸に刺さる。私は無言で笑ってごまかした。
その夜、部屋に戻って荷物を整理していると、古いアルバムが目に入った。開いてみると、幼い頃の私がそこにいた。誕生日のケーキを囲む家族、学校の運動会で笑う友達たち。どの写真も明るく、未来に向かって輝いている私が写っていた。
その写真の中の私を見て、思わず涙がこぼれた。未来があると信じて疑わなかったあの頃の自分。けれど、今の私はどうだろう。いつの間にか、周りの価値観や目線に振り回されて、自分自身を見失っている気がする。
その瞬間、紅茶に入れるために買った豆乳のパックが思い浮かんだ。あれはきっと何かの象徴だった。冷たい豆乳を注ぎながら、自分の心を冷たい孤独で覆い隠していたんだと思う。
私、何してるんだろう。
そう呟いた夜、翌朝、私はひとつの決心をした。このままじゃいけない。未来は砂のようにこぼれていくけど、それをただ見ているだけじゃ、本当に全てを失ってしまう。私の人生を作るのは、周りの誰でもなく、私自身だ。
年が明けたら、何かを変えよう。大きくなくてもいい、小さな一歩でいい。でも、その一歩を踏み出さなければ、私は一生、同じ場所に立ち尽くしたままだ。
そう心に誓った瞬間、外の空が少しずつ白んできているのが見えた。新しい年は、もうすぐそこに来ている。
「大抵に、何もかもおかしい」
この時期になると、世間が一貫にクリスマスという不思議な状態に入るのは、毎年のことながらうんざりする。ピカピカの誕生日を心の底から祝う人なんて、いったい世の中に何人いるのだろう。でも、ディズニーランドで見たハリボティ・ホームのような世界が結構、大真面目で演じられている。ライトアップにシャレオの音楽、キラキラの雪やキャンディークのイルミネーション。誰かの作り上げた個人的大喜劇を全国の突っ赤なイベントにするのは、最もこの国らしい。
私は29歳、独身。毎年この時期が来ると、一緒にして欲しくなる。消費をんだものの減額セールのためにごリンをしたり、ケーキやクリスマス決めつけで家中を食い散らすとか、何かと迷惑だ。大体、周りを見てもわかるように、何でもかんでも恋人をでっちあげして楽しんでいるように見える。私のいたる所でも、「クリスマスは何をして過ごすの?」という話題を分かち合いのように振られる。回答に迷ったおしゃべりながら、自分の何のためにまともなプランもない自分を磨り倒されていくような気分になる。
充ち満ちた学生時代の飯の光景や、サークルで出会った知り合いがちょっと笑顔で水玉を貼ったケーキをラインにして撮ってるSNSの写真が盛り上がる。何を学んだらこうなるのか。平和すぎるドラマをこの盛上げ方に携えている不思議なのは、自分の我慢や不調な環境を、ある意味解放しているのかもしれない。
でも、「公開された大パーティー」に自分がそのり躊躇したことなんて、一度だってないと思う。うん。本当はそんな感情も出したい。エンドレスが少しも有意義であれば、と、その地味な心がどこかでうごく。だからこの時期になると、フォンデの問題も、ネクタイの名書も絶対に出来ない。
25歳の誕生日は、人生の節目だと思った。何か特別なことをしようと決意し、それが「刺青を彫ること」だった。小さい頃から、刺青には不思議な魅力を感じていた。自分の肌に刻まれるデザイン、それが一生消えないということに、恐怖とロマンを感じていた。だからこそ、この特別な日を機に、自分をもっと強く、もっと特別な存在に変えたいと思ったのだ。
デザインは、長い時間をかけて選んだ。シンプルな花のモチーフで、右腕の内側に彫る予定だった。それは、祖母が生前大切に育てていた庭の花を象徴するデザインだった。幼い頃、祖母の庭で遊んだ思い出は、今でも心の中に鮮やかに残っている。祖母が亡くなってからというもの、その庭も荒れてしまい、花はもう見ることができない。だからこそ、その花を自分の肌に刻むことで、祖母との思い出を永遠に持ち続けたいと思った。
刺青スタジオに入ると、特有の消毒液の香りと機械の音が迎えてくれた。緊張で手汗が止まらない。それでも、後戻りはできない。自分を奮い立たせ、アーティストに腕を差し出した。「大丈夫ですか?」という声に、うなずくしかできなかった。
針が肌に触れると、言葉にできない痛みが走った。思っていたよりずっと鋭く、深い痛みだった。最初の数分はなんとか耐えたけれど、次第に呼吸が荒くなり、冷や汗が額を伝う。痛みと共に、過去の記憶がフラッシュバックするようだった。祖母の笑顔、庭に咲く花の香り、そして祖母に手を引かれて歩いたあの日の温もり。そのすべてが、痛みとともに胸を締めつける。
30分が経った頃には、耐えきれなくなっていた。アーティストが「少し休みますか?」と聞いたとき、思わず「もう無理です」と答えてしまった。彼は驚いた顔をしたが、優しく笑って「ここでやめるのも勇気です」と言ってくれた。結局、刺青は半分しか完成しなかった。花の輪郭がわずかに見えるだけで、色も入っていない中途半端な状態だ。
スタジオを出た後、腕に巻かれた包帯を見つめながら、情けなさと安堵が入り混じった気持ちになった。自分は弱いのか、それともこれでよかったのか、答えは出ない。ただ、祖母のことを思い出しながら、その半分だけの刺青にも意味があるような気がした。
それは、完璧ではないけれど、自分の歩んできた道の一部を象徴するものだ。半分の刺青は、自分の弱さと、そして祖母への愛情の象徴だと思う。そして、痛みと向き合ったその時間が、自分にとって忘れられない誕生日の思い出となった。
人生は完璧である必要はない。半分の刺青も、半分の自分も、それで十分だと感じた。祖母が空の上で笑ってくれている気がして、少しだけ涙がこぼれた。
中三女子です!2週間後にお父さんの誕生日なのですが何をあげたらいいですか?値段は2000-5000くらいで考えてます。お父さんは趣味はなく温泉にいくのが好きなくらいです。世のお父さんたちは娘になにをもらったら嬉しいですか?教えてください!!
人とコミュニケーションとるのが苦手で煩わしすぎてほとんど友達いない。
基本友達いなくて全く問題ないし1人でどこでもいけるんだけど、たまに人生経験が足りないなーと悲しくなることがある。
なんかオシャレな飲食店でバースデープレート頼んでサプライズで友達の誕生日お祝いしたりとか友達がいないと経験できないことがしたい。
同じ飲食店に行くとしても、美味しいご飯を食べることではなく、友達に喜んでもらうこと、みたいな経験。
キラキラインフルエンサーのキラキラ投稿には憧れないけど、鍵垢でこういった内容の投稿してる人をみると羨ましくなってしまう。
と思って友達を作ろうとしても、だんだん面倒くさくなって途中でフェードアウトしてしまう。
みんなどうやって友達作るんだーーーー