はてなキーワード: ネグレクトとは
久しぶりに映画を鑑賞したので、感想を備忘録としてまとめておく。
ネタバレ注意。
年の暮れも近づいて寒風が吹きすさぶなか、これほどの恐怖と癒しを味わえるとは思わなかったので、いい記念になった。
『スカーレット』について論じる前に、前提に触れておきたい。
少年少女を主人公に据えて普遍的かつドラマチックな物語(以降、ドラマと呼ぶ)を展開する場合、シナリオのテーマは必然的に「これから大人になる子供たちへの応援歌」になる。
何故かと言えば、大人にならない人間はおらず、あらゆる受け手に刺さるテーマだからだろう。
こうなると、あらゆるシナリオ上の敵は「大人になるための障害物」「大人になることへの恐怖」ということになる。
最終的に、物語の中で主人公はこれらの強大な敵を乗り越えて、大人になっていくということだ。
これはたくさんのドラマに触れてきた人なら自明のことだと思うが、親を超えればいい。
つまり、大抵の子供のドラマにおいて、テーマは「親殺し」になる。
古今東西、子供が主役のドラマは星の数ほど生まれているが、脚本家には何を「親」にして、どう「殺す」のかが問われるだろう。
ここで、『スカーレット』の話に戻ろう。
先の前提を鑑みて『スカーレット』のシナリオを俯瞰した時、スカーレット(主人公)はどう「親」を「殺した」のか。
結論から言うと、スカーレットは親を殺せなかった。正確には「殺さなかった」。
「殺し方がうまくなかった」とか「殺しはしたが中だるみした」とかではない。「殺さなかった」のである。
カレーを作ろうとしたがルーを買っていなかったレベルの失敗で、これは叩かれても仕方がない。
なぜこんなことになったのか。
おそらく、これは脚本が下手とかそういう次元の問題ではないと私は感じた。
話は脱線するが、果てしなきスカーレットはハムレットを翻案したものなので、ハムレットの構造にも触れなければいけない。
ハムレットは行間のある物語であるため、様々な解釈があるが、端的に言えば主人公は「父の呪い」から始まり、「父の呪いを断ち切って」己の遺志だけを残して死んでいく。
詳しくはここでは割愛するが、ずっと父の呪いに悩まされ、懊悩していたハムレットであったが、最後は純粋な義憤によって剣を取って悪を処断し、理性的な政治家として死んでいくのである。
もう一度『スカーレット』に戻ろう。
ハムレットのテーマを踏まえると、『スカーレット』は「どう親を殺すか」という問いだけではなく、この「ハムレットがどう悩み、どう大人になったか」を翻案するという大変重い十字架を背負って出発している。
ハムレットは数多くの翻案作品があり、翻案を明示していなくてもハムレットをフレームワークとして利用したと思われる作品は数多くある(ディズニーのライオンキング等)。
残念ながら、『スカーレット』に関しては「戦って負けた」とは言えない。不戦敗である。
何故そう言えるのか。
ここからネタバレになるが、何と『スカーレット』では、父の呪いが最後にやってくる。
物語の大団円、最後の最後に父の亡霊が「自分の人生を生きろ」と告げ、スカーレットが子供のころに描いた父の似顔絵(母親に破り捨てられたもの)に変化して消えていく。
恐怖である。「親殺し」どころか、これで主人公は「親の命令に囚われて一生を生きる」ことが確定してしまった。
死者の国を旅し続けて、数多の試練を乗り越えた末に、似顔絵を描いた幼少の自分の精神に戻ってしまったのである。
その後王になったスカーレットは、集まった民衆に向かって無邪気に父から受け継いだ理想をそのまま語り、条件付きの平和を約束する。
いやいやいや。なぜそうなる。
単純に突っ込むとこれで終わりなのだが、冷静に登場人物を振り返っていくと、この物語が内包している恐怖が浮かび上がってくる。
劇中冒頭の処刑時に主人公に聞こえない遺言を呟き、終盤まで主人公を惑わせつつ、最後に呪いを仕掛けてくる「偉大な父」である。
劇中、なぜか腑抜けとして扱われているが、親しみやすい人柄で子(スカーレット)と民衆からの信頼は篤い。
特に正義もなく極悪非道を貫いているサイコパスのラスボスである。
民衆から慕われている王(アムレット)を民衆の前で殺害できる政治的な超能力を有している。
死の間際、スカーレットの顔面に唾を吐きかけてくるレイパー役も担っている。
あらゆる悪人に手を差し伸べて怪我を癒す看護師であり、道中でスカーレットに守られ続ける存在である。
子供を守って通り魔に刺されて死者の国にやってきて、愛の歌だけでスカーレットを現代の渋谷に飛ばし、ダンスと歌でスカーレットを精神的に生まれ変わらせた。
死の間際、スカーレットに「いきたい!いきたい!」と言わせて死者の国から旅立たせる白馬の王子様役も担っている。
スカーレットはなぜこんなにも性的なメタファーを遠慮なく使われているのか、SNSでは非難も起きていたが、冷静になってほしい。
アムレットは一生を呪ってくるリアルな父、クローディアスは自分を愛してくれずネグレクトする悪魔の父、聖は本来望まれている理想の父だ。
この物語は「父の言いつけを守り、悪しき父に耐えることで理想の父に愛される」という構造になっている。
そう、描き手は「父から愛される」ことを心の底から望んでいる。
「親殺し」ではなく、「親の言いつけを守ることで親の愛という永遠の平和が約束される世界を取り戻す」物語なのである。
王になったスカーレットが民衆に条件付きの平和を約束したのも、このように解釈すれば納得がいく。
「描き手がそのように愛を受けてきた」からだ。
描き手はおそらく、条件付きの愛しか知らない。
何故スカーレットは唾を吐かれたり「いきたい、いきたい」などと言わされているのか。
「可愛らしい女の子でなければ愛を受けられない(自分が愛されないのは女の子ではないからだ)」
「女の子なのだから、遠慮なく父の愛を受けられるはずだ(息子ではない存在なら愛を受ける資格があるはずだ)」
「性的に求められることが愛だ(自分が愛されないのは性的に求められない存在だからだ)」
つまり、描き手は自分の代わりに少女主人公に父からの虐待と愛を存分に受けさせている。
それによって癒しを感じているのだろう。
私は過去の細田守作品をほとんど知らないが、この作品がこの有様なら、おそらく主人公に関わる男性陣は全員「父化」しているのではないか。
ネグレクトしてくる悪魔の父か、なんだかんだで主人公を愛してくれる理想の父かのいずれかだ。
与えられた仕事を放棄して指示や改善要求を無視し労働者の保護を盾に
明らかに増えている。
主に
・職場で喋り続けて何もしない
・指示されたことをやらない
などである
一つの物事に対してみんなで取り組む会社の場合「職場ネグレクト」が湧き出てくる
働く能力がないわけではなく
「自分は被害者だ」と先に言うことで議論を封じ、自分自身の問題(業務放棄)が見えにくくする
組織側が指導しにくくなることを狙った戦略で自分の仕事を放棄する
いや、違う
Z世代ではなく
「パワハラ」「ブラック」という言葉が注目を集め、部分的な情報でも同情が集まりやすい
なので
と言う図式を作れば
「指摘されたらパワハラと言えばいい」
制度は正しい方向に進んでいても、
その裏で責任放棄の口実にする人が一定数現れるというのが現実なのである
それをそれぞれ10ずつ処理すればよかったのだが
それを先輩Aが指摘すると「私は先輩Aイジメられてる!」と喚き立て
一生懸命働いたとしても新人の群に冷笑され「向こうがいじめてきた」という無い理由で
その先輩Aの仕事量はもともと多かったので
それが再分配され仕事量増大
無敵の新人が喋って遊ぶのを見ていると私も転職すべきな気がする
職場ネグレクト達は「賃金が低いせいだ!俺らは悪くない!」とぼやくが
※残念ながら私は裏垢女子ではないので、アンチフェミの餌みたいな記事を求めていらっしゃった方はブラウザバックでお帰りください。
ストレスを求めてインターネットをしてる人はスマホを置いて瞑想してください。(優しさ)
私も君たちカスの一員でした。
だからなんとなくわかるんです。
自認がカスの皆さんは恐らくどこかに罪悪感を抱いていたり、先のないこの活動になんとも言えない空虚感があったりするんじゃないですか。
それと向き合ってカスみたいな活動との付き合い方を変えて欲しいなという願いから、この文章を書いています。
まずは私の事をお知らせしましょう。
皆さんと同じような人間ですよ。
タダマンを求めて毎日裏垢女子を巡回し、全然おもんないポストに精子くささを隠したコメントをしたり。
お、こいつは住んでるとこ近いぞみたいな人と一度やりとりするために欲しいものリストから彼女にねだられても買わないようなものを送ったり。
たまに上がる色んなエロい自撮りでシコるみたいな感じでしたね。
PayPay詐欺にも合いましたね。
同じじゃないかもな。
大事な人との関係が悪くなって、そこから逃げるために裏垢に来たんです。
でも、やめられなかった。
色々試行錯誤した。
プロフィールを変えて、やりとりの仕方を変えて。
そしたら、会えるようになった。
ホテル代だけで済むことも普通だったし、むしろ向こうが出してくれることもあった。
やりたいことは、できるようになった。
でも、虚しさは消えなかった。
むしろ、どんどん深くなった。
なんでだろう。
俺、多分遊びに向いてなかったんだと思う。
会っても、すぐやることやって終わり、みたいなのができなかった。
色んな話を丁寧に聞きたくなってしまった。
ただそれだけ。
人の痛みも、気になってしまった。
そしたら、見えてきたんです。
話すのに泣く子がいた。
どこか遠い目をしてる子もいた。
何を見てるのか、わからない目。
ニコニコしながら壊れちゃったのかな、という子もいた。
明るいんだけど、どこか空っぽな感じ。
明言はしない。
でも、やりとりから痛みが伝わってくる。
薄々勘付いてたものが、形になってきた。
彼女たちは、壊れてる。
性が壊れたトラウマ。
愛着障害。
境界知能。
そういうものを抱えて、ここにいる。
そして俺も、壊れてた。
罪悪感と虚しさを抱えたまま。
ここにいた。
ああ、これはこういう構造なんだ。
お互いに傷つけ合ってる。
誰も幸せになってない。
もしかしたら君も、これから工夫して頑張ろうとしてるかもしれない。
「どうやったら会えるか」を研究しようとしてるかもしれない。
でも、頑張る前に。
まず自分自身がどういう構造の中にいるのか、よく理解しとけよ。
ここで少し、概念の話をさせてください。
知っておいた方がいい話です。
裏垢にいる女性たち、全員がそうじゃないけど、かなりの割合で福祉や医療が必要な状態にある人がいます。
例えば境界知能。IQ70から85程度で、知的障害には該当しないけど、生きづらさを抱えている。ケアされなかった発達障害。診断されずに大人になって、社会でうまくいかない。過去のトラウマ。虐待、ネグレクト、性被害。愛着障害。幼少期に適切な愛着関係を築けなかった。メンタルヘルスの問題。うつ、不安障害、依存症。
こういう人たちは、適切な支援を受けられていない。
「私にはこれしかない」って思ってる。
そして、君たちと出会う。
君たちの方はどうか。
孤独だよね。
何かから逃げてるよね。
恋愛は面倒くさい。
相手を理解して、尊重して、時間をかけて関係を築くなんて、できる気がしない。
だから裏垢に来る。
実際、工夫すれば会える。
やりたいこともできる。
でも、それで満たされるわけがない。
なぜなら、君は愛する力を持っていないから。
心理学者エーリッヒ・フロムは『愛するということ』の中で、愛は技術であると言いました。
愛は恋のように「落ちるもの」じゃない。
愛する力とは、相手を一人の人間として尊重すること。相手の幸福を自分の幸福として感じられること。相手を消費せず、対等な関係を築けること。
君にはこれがない。
俺にも、なかった。
だから会えても、やれても、満たされない。
一方、裏垢にいる女性たちには、愛する力の前にまず福祉が必要です。
境界知能やトラウマ、発達障害、愛着障害を抱えた状態で「愛しなさい」と言われても、無理です。
福祉です。
裏垢にいる女性の中には、過去のトラウマを無意識に繰り返している人がいます。
虐待やネグレクトを受けて育った子どもは、「私には価値がない」「私は愛される存在じゃない」と学習します。
君たちとのやりとりが、彼女たちを傷つける。
「やっぱり俺は孤独なんだ」を強化する。
お互いに、傷を深め合ってる。
ここまで読んで、気づいてほしい。
誰も得しない。
誰も幸せにならない。
じゃあどうすればいいのか。
具体的には、心療内科やメンタルクリニックの定期受診。公的な福祉機関、市区町村の福祉課、保健所、生活困窮者自立支援制度など。女性の傷つきをケアするNPO、性暴力被害者支援、DV被害者支援、生活支援など。
これらに繋がることで、安全で安定した生活を取り戻せる可能性がある。
君ができることは、彼女たちを消費することじゃない。
もし本当に彼女たちのことを思うなら、こういう場所があることを伝えること。
君には、愛する力が必要です。
具体的には、相手を人間として尊重する練習。対等な関係を築く経験。自分の孤独と向き合うこと。逃げてきたものと、ちゃんと向き合うこと。
裏垢で消費的な関係を続けても、愛する力は育たない。
むしろ、どんどん失っていく。
会えてても、やれてても、満たされないのはそのせい。
もし君自身もメンタルヘルスの問題を抱えているなら、カウンセリングや心療内科に行くのもいい。
孤独の根っこに、何があるのか。
逃げてきたものは、何だったのか。
それを見つけるために。
最後に、これだけは伝えたい。
人と正しく繋がれない人は、孤独になる。
あらゆる問題の根源にある。
君がこのまま裏垢で消費的な関係を続けていたら、10年後、20年後、どうなってると思う?
会えてる。
やれてる。
でも満たされない。
その繰り返し。
彼女たちがこのまま福祉に繋がらず、傷つけられ続けたら、どうなると思う?
どちらも、孤独に行き着く。
そして、変われるなら、変わってほしい。
生物学的に男性と比べると女性は筋肉隆々ではなく小柄な傾向があるってだけで、
「下民よ近づくな、麻呂が汚れるでおじゃる!」とか「朱に交われば~」とか「マイナスオーラが~」とかの話じゃなくて、
クマ🐻🐻❄️と一緒だよ
大型獣にちょっかい出したら、最悪殺されるし、殺されなくても大怪我するよ
実際、虐待やネグレクトを通報して、刺された/殴られた/嫌がらせを受けたとか、めちゃくちゃあるあるみたいだぞ
流石に子どもの命には変えられないから見かけたら力になりたいとは思うけど、
明らかにヤバそうな奴を『女だから』『ガキだから』『オッサンだから』『隠キャオタクっぽいから』『デブだから』『ガリだから』で
早炊きとか予約とかはわかるんだが、メニューの中に「調理」があるのが驚いた。
最近は炊飯器でなんでも作ると聞いたことはあったけどあくまで裏技的なもので、公式にメーカーがそういうモードをつけてるとは思わなかった。
さっそく米も買って炊いてみることにした。
そうそう、こんなだったよなと思いながらずいぶん高騰した米を丁寧に研いでひたひたに水を入れボタンを押す。
ピピピ・・と音が鳴ったらかきまぜ蒸らして少し待つ。しゃもじで茶碗にご飯をよそいながら、ふいに涙がこぼれてしまった。
俺の家は幼少の頃から親がネグレクト気味でなかなか家に帰ってこないことが多かった。
子供の面倒を見ないというだけで、お金は適当に渡されていたし、俺自身はそれほど辛い思いはしてなかった。
ただ下の妹は甘えん坊で、親が帰ってこないことが寂しいとよく泣いていた。
話し相手は俺しかしないから妹はずっと俺にくっついていた。俺は妹の面倒を見るのはすごく面倒で嫌だった。
一緒に遊んでも全然楽しくないし、だから無視することも多かったんだが、そうすると妹は寂しくてずっとグズってしまうのだった。
外で友達と遊ぶときも妹はくっついてくるので邪魔だったが、一人にするのも怖いので仕方なかった。
親は帰ってきたとしても遅い時間だったから、夕飯はいつも妹と二人で食べていた。
毎日朝と夕方にご飯を炊いて、自分の分と妹の分をお茶碗によそって、ほら、とテーブルに並べていた。
炊飯器の蓋を開けたときのあたたかい湯気に包まれる瞬間だけ、俺は妙に寂しい気持ちになっていたのを思い出した。
すぐに蓋をしめればその一瞬の寂しさはもう忘れる。気を抜いたら妹が味噌汁をこぼしたりして危ないからだ。
そんなことが一気に思い出されて、思わず涙がこぼれてしまっていた。
俺にとって家族での食卓の風景というのは、妹と二人きりで食べてた食事だ。
おかずなんていつも決まってるし炒め物とかそんなのしかできなかった。
例えば、
社会人になりたての頃は、
そこから40代になった今は、一応一部上場の企業に勤め、年収は1,000万を超え、子宝には恵まれなかったが、妻と2人でささやかに暮らしている。
現在、弱者男性ではない理由は、他人に期待しなかったからだと思う。
まず近親者に問題が多かった。家族でもこれだから赤の他人や行政が親身になって自分を救ってくれるとは到底思えなかった。
みんな自分の事で精一杯なのに、なんで何も持たない俺を気にかける?他人にとって俺を助けるメリットはない。だから自分を助けるのは自分しかない。ずっとそう思ってた。
独学でスキルを学び資格を取り、体当たりで色んな場所に顔を出してコネを作ったり、落とされても何度も挑戦して転職もできた。
途中では、挫折もしたし、恥も沢山かいた。ぞんざいな扱いに傷ついたり、悔しい思いも数知れない。
社会人のスタートが遅かったから年下にこき使われることも頻繁にあった。情け無い気持ちになっても自分のプライドを抑えた。生い立ちとか学歴とか、未だにコンプレックスだらけだ。
運が良かっただけとか生存者バイアスとか言われるかも知れない。でも誰かの救いを待ってるだけでは現状は悪くなるばかり。自分は自分しか救えない。これは真実だ。
そして、これからの人生で何が起きて、また弱者男性になるかわからないが、そんな時でも他人には期待できない。困らないような準備を今からしておく。
みんな頑張れ。
自分はそこそこ賢いと思い込んでるおバカちゃん達の歯切れの悪い言い訳が笑えるんだが、
「やるとしても今じゃない」「他にもっと優先すべき事がある」っていう詭弁には何かズバリの名前はないのかな?
これがなんで詭弁なのかと言うと、
だよ。
以下追記
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ある提案に対して、「やるとしても今じゃなくてもいいだろう」「他にもっと優先度の高いことがあるはずだ」などと言って、内容について直接の批判はせずにネグレクトすることで実質的に否定しようとする詭弁に、何か通りの良い呼び名はあるだろうか?
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このような論法は、論理的誤謬(fallacy)の一種として「相対的剥奪の誤謬」(fallacy of relative privation)と呼ばれるものが最も近いと考えられます。
これは、提案や議論を直接批判せずに「もっと重要な問題(または優先度の高いこと)があるから」という理由で実質的に無視したり却下したりするもので、「より悪い問題への訴え」(appeal to worse problems)や「not as bad as」(それほど悪くない)誤謬とも呼ばれます。
あなたの例の「他にもっと優先度の高いことがあるはずだ」がこれに該当し、内容の本質を避けつつ相対的に矮小化する点が特徴です。
一方、「やるとしても今じゃなくてもいいだろう」というタイミングを理由にしたものは、厳密には上記と重なる部分もありますが、話題を逸らす回避策として「燻製ニシンの虚偽」(red herring)にも似ています。
これは、議論の本筋から無関係な要素(ここではタイミングや延期の可能性)を持ち込んで注意をそらすものです。
どちらも直接的な否定を避け、ネグレクト(無視)を通じて実質的に提案を弱体化させる点で共通しています。これらの呼び名は論理学や議論術の文脈でよく使われ、通りの良い表現として適していると思います。
https://anond.hatelabo.jp/20251013192216
まず、〇出しS〇Xは愛情の証、ゴムありは愛がなくてダサいという風潮を作る。
具体的には、TikT〇kとかでAIやインフルエンサー使って若者を狙ったステマさせればいい。
で、一方学校では「中絶は子供に対する殺人だ」みたいな道徳の授業をやる。
育てらんなきゃ赤ちゃんポストにシュー、すりゃええよみたいな話もセットで。
そうすると婚外子の捨て子が増加して社会問題になってくるので、
子育ては日本人としての義務だ、子無し・同性カップルでも子育てすべき、
ってドヤ顔コメンテーターやタレントにワイドショーで発言させて、
Y〇utubeやらで切り抜きをガンガン流す。
独身はズルい、独身も子育てしろ日本しね、ってな風に独身者にもヘイトを集めて、
ワンイシュー政党「日本のみらいファースト」が孤児の国民への育児割当制度
「企業の管理職になるには管理能力の担保が必要。育児管理経験のないものは管理職になれない」
それっぽい統計データやエビデンスを官僚や御用学者に作らせて箔をつけて、
自分は関係ないしいいや、と大多数が思っているうちに徐々になし崩し的に適用範囲を拡大。
まず、家庭が崩壊しないのなら地学年の内は家庭内で見てあげてください。低学年以降は用尾施設に入れるのが良いです
この際、養護施設の職員のレベルは大変ひどく、ネグレクトや暴力があるので、特に教育課程を卒業後に、それを見越して訪問する頻度を増やしてください。
愛の手帳で1,2級を取得して、養護施設に入っていたら、生涯を終えるまで、手当で生活できるように設計されています。この設計については日本国に感謝しかないです。ありがとう。
自分の家庭内や独立して生活をさせようと思うと、上記の恩恵を受けられず、子や親の出費が増えます。
悩む際にどういった福祉制度があるのかをAmazonで書籍を4,5冊読んで、教育から青年、老後の流れを把握して、自分たちにぴったりなのは何かを選択してください。諸制度を理解し、適切に福祉につなげる、制度を活用するのが親の責任です。
あとIQが低いので、公教育の特別支援クラスのようなものに入れるのには私は賛成しません。周囲の健常な子ども達の人権意識が昭和から育っておらず、いじめや差別を受ける可能性が非常に高いからです。
弁護団は、そうした生い立ちを量刑に適切に反映させる必要があるとして、被告と面会して成育歴を分析するよう宗教学者に依頼。
厚生労働省が定める「宗教の信仰等に関係する児童虐待」の4類型のうち「ネグレクト(養育放棄)」にあたると判断したという。
弁護団は(略)教団に恨みを抱くようになり、教団側に祝電やビデオメッセージを送る関係だった安倍氏を襲撃することになった経緯を裁判で説明する方針。その上で、個人的な恨みによる犯行で、政治的な動機はもっていなかったと強調するとみられ、
https://digital.asahi.com/articles/AST9M1Q2YT9MPTIL001M.html
初めての投稿。
何不自由なくしてくれたが、母親が不機嫌でしんどかったというツイートが炎上?している。
炎上理由は、そんな完璧な母親はいない。何不自由なくお母さんは頑張ってくれたのに感謝はないのか?とのこと。
確かに母親も人間。プログラムで動く、完璧な機械人間ではない。とはいえ、この問題は、不機嫌な人と一緒にいたいか?居心地がいいか?という話では?
例えば、飲食店。はちゃめちゃに美味しいご飯を提供してくれるが、常に不機嫌。美味しいご飯を食べている時にため息をつかれたり、常にスタッフに怒ったりするお店があるとする。
この気持ちの答えがツイ主が呟きたいことだと思う。
朝早くに起きて、冷食と昨日の残りで弁当を作ってくれて、洗濯もしてくれて、お仕事もしてくれて、学費を支払ってくれるけど、
土日以外不機嫌。常にため息ついて、ドアを閉める時は爆音で。同業の父親と仕事の愚痴。疲れてるから片付けは後回しで、2007年に消費期限切れたカルピスがいまだにある。洗濯以外の家事はほぼ祖母任せな母親と過ごした。
優しい人は、朝起きて、弁当作りなんて素敵!仕事も頑張ってるんだからそんなの許してあげようよ!母親は完璧人間ではないよ!と言うだろうが、私子どもも完璧人間ではないことを忘れているでしょと思う。
なんならこちら側の方が完璧ではない。人生初めて数年しかしていない初心者は中年プレイヤーよりわかってない。お客はその店の諸事情なんてわかりっこないのに、諸事情に合わせろ!こっちも頑張ってんだぞ!わかれよ!と無理言ってるのと同じ。
しかし子どもは自分を守るために無意識のうちにそれに対応しちゃう良客なので、身を削りながら、適応していく。
わかんないんだよね。何不自由なく生活させてくださったってことはわかるんだけど、ありがたさを感じなくなる。その結果、家がいてもいい安全な居場所ではなくなる
私は嘘でも相手が喜ぶことを言ってしまう癖がつき、その結果2度も反抗期がなく育ち、ずっと前から息苦しさとか出てたので、大人になってから精神科に行ったら「鬱症状」と言われた。
反抗の仕方も、怒りのコントロールは抑えるだけしかわからない。そのため、すぐに癇癪起こすようになっちゃった。
今は、置き手紙で反抗して、彼氏の家で居候している。癇癪とか、息苦しさとかも落ち着いてきた。
多分世の中こういう人は多いと思うのに、今回の炎上を見て思うけど、家庭でのフキハラってまだまだ浸透していないんだね。
私自身も、これが「機能不全家族」と言われるのがはっきりわかったのも、カウンセリングしてからだった。誰に対してもキツイ状況なんだなーと俯瞰して見れた。
毒親って暴力やネグレクトとかそういうイメージが強いけど、言葉の暴力や不機嫌な空気感の暴力もあることももっと知られて欲しい。いまモヤモヤしている人はぜひ、今のモヤモヤをメモにしてほしい。カウンセラーにそのメモを渡したら、安心すると思う。
話題のツイートに戻るが、じゃあツイ主のような経験している人は、どうして欲しかったかというと、ツイ主も言っているけど「笑っていて欲しい」だけ。
完璧ではないことはわかってる。でも、「私は仕事で頑張ってるの!」とか、「私も親から不機嫌にされたの!」とかそんなの子どもはわからないから。それは子どもに対しての甘え。仕事で頑張ってるんだから、あなたもギブしなさいよ!(甘えさせろ!)ということ。見返りを求めすぎている。だからイライラするのだ。こっちも完璧ではないのでギブばっかできない。ましてや不機嫌オーラでそのギブはマイナスになってるのに。
つまり!笑って欲しいの!
好きな人には笑っていて欲しいのと同じように、笑っていて欲しいの!!
しんどいときには、部屋にこもってもいいから、笑っていて欲しい。疲れたねって笑って言って欲しいし、ため息つくなら笑っていて欲しい。そしたら家庭も明るくなって私みたいな子どもはできないと思う。とはいえ、精神的にしんどい人は「笑って」という言葉を嫌うので、ガチ目に笑えない人は精神科に行くべき。