はてなキーワード: 猟奇殺人とは
なるほど。いいことだ。私はそう思った。
否定的な人は「分岐を否定するならもう映画でいいじゃん」と語っている。
なるほど。典型的な中身空っぽのスノビズムだな。相手にする価値がない。
そんなはずはないだろ。
選択肢排除モード否定派はもうちょいまともな論客を連れてきてくれ。
相手側のレベルが低すぎるとアウフヘーベンに至れないからこっちもいい迷惑だ。
なぜ私が選択肢廃止に肯定するのかといえば、今までのアサクリシリーズにおける選択肢のあり方に不満があるからだ。
過去作のネタバレはしたくないからどれのどれかはボカすが以下のような状況が出てくる。
「追いかけていた仇敵をぶっ殺す機会が遂に到来したぞ!どうする!」
B 殺さない。我が刃が断ち切るは生命ではなく憎しみの連鎖也。
ここでAのような選択肢を選ぶと因果が血の海に染まり相応の報いがやってくる。
Bの選択肢だとちょっと釈然とはしないが色々なあなあな感じでそこそこ平和な終わりを迎えられる。
これを「プレイヤーが自由に道を選べる自由な物語」だと捉える人はいる。
でも私はそう思わない。
なぜならAのエンディングが明らかに「お前の間違った選択によって主人公は不幸な人生を送ることになった。正義のアサシンの心を持たなかったお前のせいです。あ~あ」といった空気で展開されるからである。
は?アサシンのゲームでボスをアサシンしたことを咎めてくるなら題名を「正義マン・クリード」にでも変えろって話じゃねーんですか?だよなぁ?
でもこれが最初から選択肢一切なくていきなり「お前を許そう。俺は正義のアサシンマンだから」といきなり主人公が口にしたらその場ではクソゲークソゲー連呼するかも知れないが、エンディングで感じる不快感に比べればまだ許せるレベルだろう。
結局のところ、何が一番気に食わないかと言うと、さも当然のように「正義のアサシンとして振る舞うゲームの時間だ。ちゃんと選べよ」という態度を取られることが気に食わないのだ。
アサシンクリードは結局のところは、刃に血を吸わせることを楽しむ猟奇殺人犯ごっこのゲームなのに、いきなり真面目ぶって「いい子ちゃんクイズ」を始められるのは鬱陶しすぎる。
その選択肢の影響がその直後のムービーにだけ影響するならまだしも、何十時間も先のエンディングでいきなり「お前は本当に正義のアサシンじゃないなあ。これはその報いだよ」と言われるのでは慎重に選ぶしか無い。
でも待ってくれ?
道中でさんざん殺してきた何百人のモブキャラ達にもそれぞれの家族や人生があったのに、それに対しては何のお咎めもないとはどういうことだ?
一貫性のない倫理観に対しての強烈な違和感を感じながら、これまで殺してきたモブキャラと眼の前に居るネームドとでは命の重さが違うのだとばかりに「許そう。俺は正義マンクリードだから」といきなり偽善を振りかざせと?
繰り返すが、この選択をムービー中にキャラが勝手にやるのならば、それについては「私のコントローラーを離れた状態で勝手にやったこと。これはアニムスの記憶が見せるムービーであり、私は介入できないなら仕方ない」と割り切れる。
コントローラーを握った状態、さっきまでバシバシ殺しを繰り返してきた手でストーリー上の正解選びをやらされ、それが終わったらまた殺しを楽しむ血みどろの殺人鬼に戻れという仕組みがごっこ遊びとして実に違和感がある。
トゥルーエンドというご褒美のためにその違和感をグっと堪えさせられることに私は強烈な「不自由さ」を感じてしまうのだ。
私だって2周目はそのモードで遊ぶかも知れないし、配信者達がIFモードでどういう選択を選ぶかには興味がある。
単に私が嫌なのは「私がコントローラーを握った状態で、正解あてクイズをさせらる」ということだけだ。
私がやらされずに済むならそこには何の問題もない。
もしもここで「でも実はですね。選択肢なしモードで見れるエンディングは正解じゃないんですよ。本当の正解は攻略情報を検索して選択肢ありモードを遊んでみてくれよな」と言ってくるようならもう呆れるしかない。
その時はもうどうでもいいか、自分がコントローラーを握って辿った一本道とは別のルートにUBIの考える「正しい歴史」があるというだけならまあ許そう。
本当にただただ私がいい加減つきあいたくないのは「さあ、正義のアサシンマンタイムだ。お前の偽善を見せてくれ」という態度で選択肢を委ねられることだけなんだから。
そういう状況であえて「ヒャッハー!」するのが好きな人もいれば「うんうん。正義マンボタンは自分で押したいもんね」って人もいるのは別に否定せんよ。
私がやらずに済むという選択肢を与えてくれたことに感謝しよう。
いやどうだろう?
連綿と歴史が連なっていく設定のアサクリシリーズにエンディング分岐なる意味不明な不純物をいきなり突っ込んできたことに対しての憤りはやっぱ消えない感じはあるぞ?
先日、加害者母親の初公判があり、そのあまりにも猟奇的な有様が話題となったススキノ首切り殺人事件だが、事件後しばらく被害者について様々なストーリーが語られ、勝手なイメージが作られていった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/shueisha.online/articles/-/149779
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/e5d925f3be18f2016f12e415fbadd4d908b8091a
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.news-postseven.com/archives/20231222_1928255.html?DETAIL
これらの記事のブクマコメントを見ると、「被害者は加害者を騙してレイプし、その後写真や動画を使って脅迫、加害者に付きまとっており、加害者の家族は娘を守るため加害者と共に復讐した」みたいなストーリーを組立てていたブクマカも少なくなかったようだ。
しかし先日の公判で語られたことは、「加害者と被害者は合意の上で性交したが避妊をせず、加害者は怒りを抱いた。その後加害者は父親と共にススキノを探して被害者を見つけ出し、SMプレイを持ち掛けて再会の約束をした。そしてススキノのホテルにて犯行に及んだ」というものだった。
つまり、まず性交自体は合意のものだったし、被害者が付きまとっていたという事実はなく実際には加害者が被害者を探していたのが事実だった。また再会の約束をするのに実際に会わなければならなかったのは互いに連絡先を知らなかったということであり、当然動画などでの脅迫も実際には無かったということが明らかになった。
このように、猟奇殺人の被害者を勝手なストーリーでストーカー・脅迫犯扱いしていたのがはてなブックマーカーという人々であり、これまでも様々な冤罪に加担してきたが、今回も全く変わっていないということを露呈している。
今twitterでは、フェミニストたちによる殺人・暴力行為の肯定・支持が堂々と広まっており、それに対して多くのfavが集まっているという現状がある。
7月に起きたススキノの首切り事件のことは皆さんよく覚えていると思う。初報の段階で首無しの死体が発見され、加害者一家が逮捕されたあとは犯人が首を自宅に持ち帰り、それを弄ぶ映像を撮っており、それに両親が協力していたという狂った事件だ。
逮捕されてすぐ正気が疑われ、現在は一家全員鑑定留置という日本の刑事事件史上例のない事態になっているのだが、この事件について加害者を擁護・支持するフェミニストが多くみられている。
週刊誌報道で加害者の親族が、被害者は女装した男性であり加害者と性的関係を持っていたという旨の記述をしたことから始まったのだが、これにより加害者はトランスジェンダーの被害者にレイプされ、その防衛や復讐として殺人をおこなったのだというストーリーが作られ、広まっていった。
加害者を擁護・支持、果ては殺人行為まで肯定するツイートは本当に数多くあり、探せば山のように出てくるが、例えばこれ。
https://twitter.com/WCZ4C0i8Y4UcWvu/status/1684493684577046528
殺人に快哉を叫ぶツイートに1.5万favがついている。favしているアカウントの属性も見てみるといい。フェミニズム、ミサンドリー、反トランス、反出生etc...というアカウントがたくさん並んでいる。
また現在は消えているが、犯人の減刑署名(裁判すらまだ始まっていないのだが)も行われ、3日で1000以上の署名があったようだ。
https://woman.excite.co.jp/article/lifestyle/rid_Jisin_2230024/
実名で活動するフェミニストでも、千田有紀が殺人行為を正面から肯定こそしていないものの「やりきれない事件」「これは私たち社会の問題、私たちが受け止めるべき問題」と言い同情的な姿勢を示している。
https://news.yahoo.co.jp/profile/commentator/sendayuki/comments/16903207949305.e714.00041
逮捕から日が経ち、殺人の瞬間やその後持ち帰った頭部の皮膚をもぎ取る光景を撮影していたなどの犯人の異常で猟奇的な行動が明らかになってからも、殺害を支持する声は後を絶たない。
数日前でさえもこのようなツイートがあり3000fav以上を集めている。
https://twitter.com/LDK2B_T/status/1728382563389944090
やっぱりすすきの首切り事件は正しい。男に侮辱凌溽されて中途半端にやり返したらライト級チンコチャンピオンみたいな輩に更なる暴行を受ける。
警察は被害届無視するし検察は不起訴にするし裁判官は量刑減らすし、自分の尊厳守るためには最初からヤると決めて復讐遂げることは常に考えておくべきだな
状況からして正当・過剰防衛はあり得ず、また復讐だというのも加害者の親族の証言しか情報が無く不確かである上に、首を切断し家に持ち帰り撮影するなどの異常な行動が復讐心からくるものなのかは普通疑問に思うだろう。
だがそんなことはどうでもよく、全力で猟奇殺人を擁護・支持している人々がこれだけいるのが事実なのだ。
また殺人ではないが、8月には尼崎市にて酔った男が間違えてインターフォンを押したところ、住人の女性が自らドアを開け、男の顔面を切りつける事件が起きた。さらに女性は近隣住人の通報で駆け付けた警察官を殴打しており、異常な攻撃性が見て取れる。
https://www.kobe-np.co.jp/news/backnumber2/202308/0016752339.shtml
この事件に対し、フェミニストからは「女性を逮捕するのはおかしい」「正当防衛である」という意見が噴出した。
https://twitter.com/gaitifuji/status/1696134627818361037
これも調べれば多数出てくるのだが、この代表的なツイートは1万fav以上を集めている。
こうしたアカウントの中には、自分は鉈を常備しており、必要だと思えば先制攻撃も辞さないと宣言するアカウントも見られた。これは立派な治安マターではないだろうか。
https://twitter.com/females_db_park/status/1696564296866582581
また男児に対する加害が称賛されるのも界隈の特徴で、男児を殴打してやったというような話を武勇伝的に書くアカウントなども見受けられる。
自分はtwitterで様々な界隈をウォッチしているが、例えば暴言や(騙りと疑われるものを含む)殺害予告などは様々な界隈で共通してみられるものの、
実際に起きた殺人・暴力事件を正面から肯定する発言があふれ、それに多数のfavがついている界隈はなかなか見たことがない。
それこそ日本保守党を支持しているような界隈でさえも、「○○人を殺す」「○○人はもっと殺すべきだった」みたいなツイートにfavが集まっているのは見たことがない。
「男女平等パンチw」とかネタにしている連中とは比べ物にならない、ドス黒いものを感じる。
異常な人々が集まるツイッターでも、この界隈の攻撃・暴力賛美は群を抜いているように思う。
追記:
これらのアカウントはフェミニストなのか、みたいなことを言っているブクマコメがあったが、
少なくともgaitifujiやfemales_db_parkはトランス排除系のフェミニストととしては有名なアカウント。
ツイートを少しでも調べればフェミニズムに関して肯定的なツイートをしているのはすぐに分かる。
bioや自称してなければフェミニストではない、みたいなバカな切断処理をする前に少しは調べたらどうだ?
自称が確認できないなら「フェミニスト」ではない、みたいなことをもし本気で言ってるのだとしたら、まあネットには「右翼」も「表現の自由戦士」も「ネオリベ」もほとんどいなくなるだろうね。
・衝動的
・計画性に乏しい
・他罰的
・無責任
・他人を利用しようとする
・他人を平気で傷つける
サイコパスは社交的で高いコミュニケーション能力を持ち他人から魅力的と移ることが多い。そのため詐欺師、猟奇殺人犯、カルト宗教の教祖に多い。具体例は松永太、テッド・バンティ、ジョン・ゲイシー、ジム・ジョーンズ
一方ASDは非社交的で性格の悪さを隠せない上、言動も挙動不振な事が多いため後述の要領の悪さも相まって他人に嫌われやすい。
他罰思考と嫌われやすさの結果社会を逆恨みし通り魔になることも珍しくない。岡山駅突き落とし事件の犯人、東海道新幹線殺傷事件の犯人小島一朗、近所の子供を襲うことを危惧して父親に殺された引きこもりニートの熊澤英一郎もASDである
発達障害の有無と学力は無関係であるが、勉強の出来るASDも一定数いるためそういった個体は仕事の出来ない無能な高学歴となる。
しかし、幸か不幸かASDの特性がハンデになりにくい職種の場合経済力と社会的地位を得てしまうため、職場でパワハラをしたり、金目当てで結婚した妻にモラハラをしてカサンドラ症候群を発症させてしまう
サイコパスはルールを守ろうという意識がないため、利益になると感じれば平気で破る(バレないという補償さえあれば状況次第では殺人も辞さない)。刺激や快楽のために不利益になる状況でもルールを破ることすらある
一方ASDは頭が固いためルールに過度なまでにこだわる。例えば家の中で倒れている人が居ても「他人の家に勝手に入ったら不法侵入だ」「助けたら会社に遅れる」などの理由で放置する
サイコパスは刺激を好み、退屈しやすいため、しばしば危険な行動を取る
一方ASDは同じ事の繰り返しを好む。そのため少し予定が狂っただけで怒り出したり、毎日同じ運行を繰り返す鉄道を好む。ごく一部の例外を除けば創造性に乏しい
いいかえるとサイコパスは悪意に満ちた人間、ASDは悪意のない悪人といったところか
おまけ
医者「殆どの発達は全く出来ないぞ 運動も当然全く出来ないぞ」
一般人「….で、でも発達には才能があるよね!」