はてなキーワード: 役者不足とは
本来の意味は「大勢が笑うこと」なので一人で笑うときに「爆笑」を使うのは誤用である、とされることもあったが、実際には「爆笑」という語が使われはじめた昭和初期からすでに一人で笑う場面でも用いられていた。「大勢が笑うこと」説のほうに根拠がない。
「的は射るもの」なので「得る」は誤用である、とされることもあったが、もとを辿れば「不失正鵠」すなわち「正鵠を失わず」という慣用句であり(正鵠=的の中心)、それが「正鵠を失う」と肯定形で使われるようになり、その対義語として「正鵠を得る」という言葉が生まれ、そして明治末には正鵠を的に置き換えた「的を得る」や「的を射る」といった表現が出てきた、といったややこしい変遷があったもので、少なくとも「的を得るは誤りで的を射るが正しい」とはされなくなっている。
「汚名は返上して名誉を挽回すべきだ」とされることもあったが、もともと「挽回」という言葉は「回復」などと同じく「(悪い状態から)元に戻す」という意味なので、「病気を回復する」などと同様に「不振を挽回する」「衰運を挽回する」など、マイナスの意味の言葉と組み合わせて用いられることも多く、よって「汚名挽回」についても誤用でないとされる。「汚名を挽回する」という表現は明治末にはすでに見られる。
「全然」は「全然〜〜ない」のように否定形で受けなければならないので「全然〜〜だ」というような書き方は誤用である、とされることもあったが、実際には明治の頃から否定を伴わない形で多く使われており、「否定で受けなければならない」というルールには根拠がない。
本来は「後ろめたいことがあって相手に会いづらい」という意味なので「高級店に入りづらい」などの意味で使うのは誤用である、とされることもあったが、この表現の要点は「後ろめたい」よりも「相手に会いづらい」という部分であり、そこから考えれば「高級店に入りづらい」などもあくまで自然な応用の範疇で、誤用と言えるほどの意味の飛躍はない、とされるようになった。
本来の意味は「能力に対して役目が軽すぎること」なので「役目に対して能力が不足している」という意味で使うのは誤用である、とされることもあったが、そもそもは「役に対して不足(=不満)を言う」という意味であり、「こんな難しい役目は私には無理だ」と不満を言うことも「役不足」の範疇だった。「彼には役不足だ」などと言って不満を含まない用法は本来の使い方でない、とは言える。それも明治末にはすでに例があるので最近生まれた用法ではない。ちなみに「役者不足」という言葉は最近の造語であると言われることもあるが、こちらも少なくとも昭和初期には現在の意味での用例がある。
他には?
一般に「役不足」と「役者不足」の誤用については以下のように説明されると思う。
「役不足」とは「能力に対して役が不足している・地位が低すぎる」という意味だが、逆に捉えて「役に対して能力が不足している・地位が高すぎる」と誤用されることが多い。「役に対して能力が不足している」ときは「役者不足」と言うべきである。
こうした言説について少し検証してみたい。
精選版 日本国語大辞典
やく‐ぶそく【役不足】〘名〙 (形動)
① 振り当てられた役に対して不満を抱くこと。与えられた役目に満足しないこと。
※滑稽本・八笑人(1820‐49)四「くじ次第にして、役不足(ヤクブソク)をいひっこなしだよ」
② その人の力量に対して、役目が不相応に軽いこと。軽い役目のため実力を十分に発揮できないこと。
※文科大学挿話(1926)〈川端康成〉一「人間の才能は役不足の時代に衰へてしまひ易いものなんだ」
③ (誤って、役に対して自分の能力が足りないの意と解したもの) 役割を果たす力がないこと。荷が重いこと。
※続一等サラリーマン(1952)〈源氏鶏太〉「続・三等重役」の撮影現場を見て「僕は社長の息子なんてのは役不足だね。やっぱり、会社の給仕の方が、いちばんピッタリだよ」
「能力に対して役が不足している」は② の用法だ。ところが何故か① の用法と分かれている。日本国語大辞典は、古い順に語義を並べているので、つまり本来の用法は①で、あとから②の用法が生まれた、ということだ。いったい役不足① と役不足② は何が違うのか。
結論を言うと、役不足①における「不足」とは単に「不満」の意味でしかない。
ふ‐そく【不足】〘名〙
① (形動) (━する) たりないこと。欠けていること。また、そのさまやその箇所。不完全。不十分。欠点。
② (形動) (━する) 満足でないこと。不平に思うこと。また、そのさま。不満足。不満。不平。
つまり「役不足」は不足①ではなく不足②の用法だということである。「もっと良い役をやりたい」というだけでなく「自分はこの役には向いていない」とか「こんな重い役はやりたくない」とかそういう不満もひっくるめて「役不足」なのである。
里吉は何を考へたるか、今更遅八刻(おそまき)の役不足
「アノ若 イゝヱ貢さん 妾(わたし)は萬の何テ、人にないから ヤッパリお岸にでもして貰へば好(よか)った、色気のある…」
これは『伊勢音頭恋寝刃』という演目をやる役者が「自分には万野の役は向いていないからお岸の役のほうがよかった」と文句を言っている場面である。万野は悪役だが重要な登場人物であり、お岸と比べて端役だということはないので、これはただ向き不向きの話でしかないことがわかる。
明治23年の右田寅彦『垂氷の月』。
「何時までもお心易く交際(つきあっ)て妹を一人拵へたと思召して下さいましよ」
女性が「これからは兄妹のように付き合いましょう」と申し出るが、男性はそれを断り「あなたを妹だと思うなんて役不足だ」と言う場面。このあと「そうですよね私ごときが妹などと迷惑ですよね」「いや妹ではなく妻だと思っているのだ」という少女漫画ばりの展開になるが。この「役不足」を現代的に解釈するとやや不自然で、ここは「兄のような立場には不満がある」とだけ理解すべきだろう。
此創立五十年紀念理財学会に於て私は非常にむづかしい役目を言い付かつたので、少々困つて居る所でありますが、併し今更役不足を言つた所が追付かぬ、其役目は慶應義塾に於ける経済学研究の変遷に就ての講演をせよと云ふ、余程これはむづかしい事である。
「非常に難しい役目」に対して「役不足」だと言っているので、現在の解釈では誤用だと思われるだろうが、これも「役不足」を「役目に対する不満」と言い換えればすんなり意味が通る。
実は日本国語大辞典で誤用例として挙げられていた以下のセリフも、
これは「社長の息子役には向いていないから演じたくない」という俳優の不満なので、本来の「役不足」の意味からすれば正しいのである。
参考:https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihongonokenkyu/5/3/5_KJ00006039255/_pdf/-char/ja
ちなみに、現在誤用だとされている用法、すなわち「役に対して能力が不足している・地位が高すぎる」という用例は、いつごろから現れはじめたのだろうか。そもそも、どういうつもりでその語を用いているのか判断が難しいところだが、たとえば明治36年の月露行客『三百年後の東京』。
「お話の男は貴郎に似ているやうじやありませんか、ホホホホ」
「爾(そう)だと結構ですが情けないことには私はその男に似てはいません誠に意久地なしで、併し貴嬢が能くその婦人に似ていますよ」
「いいえ、妾こそ其役には適当(はまり)ませんが、貴郎はその役割に不足はありませんよ」
「ぢや拙者には荷が勝ていますが、無理に其役を務めたなら、貴嬢はその情婦の役を努めて下さいますか」
「妾しにその婦人の扮(いでたち)が出来ますものなら、真似て見ても可(いい)のですが……」
「本統ですか、貴嬢それは、私の役不足を許して下さいますか、若(もし)もそれが真実であつたなら、私は此の世に他の望みがありません」
これは「役に不満がある」でもなし「役が軽すぎる」でもなし「役に対して能力が不足している」と解釈しなければ読めないのではないか。
現在のところ「役者不足」は「役者としての能力が不足している」と説明されることが多い。一方で、「役者不足」という言葉が多くの辞書に載っていないことを根拠として「役者不足などという言葉はない」あるいは「役不足の誤用を説明するために新しく生み出された言葉である」とされることも多い。
もちろん、単純に「芝居に出る役者の人数が不足している」という意味での「役者不足」の用例が存在するのは当たり前である。それ以外の、熟語としての「役者不足」の用法を探してみたい。
これ等のチームが一枚看板たる以上の投手に配するに、力ある捕手をとらへ、しかして二三の力強き打者を加へたならばさういつまでも呉下の阿蒙たるべきものでないと思ふが、如何せん役者不足の憾みがある。
あるいは昭和9年『隣人之友』。
白井喬二といふ男は一時直木あたりが黒幕で大菩薩峠の向うを張らせようとヤツキとなつて、身振りこはいろべたべたとすり寄つて見たものだが、そのうち黒幕の直木が舞台へ踊り出してしまつたので、ここもと少しテレた形だが、役者不足でこんどはヨタものどもが白井あたりを担ぎ出すの幕となる
これらのように、「役不足」よりは用例は少ないが、「役者不足」が「人材不足」「戦力不足」のような意味で使われることはあったようだ。
妹尾「僕は凡て役者不足のやうな感じがさせられたんです。溝口監督がメガフォン執って此のシナリオを用ひたら、まだまだいい映画が出来る筈だと思ひます。」
これはどう捉えるべきだろう。「実力のある役者が出演していない」という意味なのか「出演した役者の能力が足りていない」という意味なのか。
次には、久光公では役者不足である。かかる思い切った大経綸は、先君のやうなその力量手腕が天下にみとめられている人にしてはじめてできることで、久光公では荷がかちすぎる。
男が風景の素晴らしさを妻に語っている場面で、これも「能力不足」のほうか。
これは「財界人物めぐり」と題したコラムのタイトルだが、戦後の財閥解体や公職追放で大人物がいなくなったことを嘆くものなので、「人材不足」の用例である。
と、こうして見ていくと「役者不足」という熟語は昭和初期から使われていたようであり、そして当時から「人材不足」と「能力不足」で用法が並立していたようでもある。
・それが次第に「役が足りていない」と解釈されて「能力に対して地位が低すぎる」という意味に限定されるようになった
・それがさらに「役に対して能力が足りていない」という意味でも使われるようになった(明治末?)
・転じて「人材が足りていない」という意味で使われるようになった(昭和初期?)
・さらに「能力が足りていない」という意味でも使われるようになった(昭和初期?)
・ただし「役不足」と比べると用例はかなり少ない
役者不足のお間違えです。。。
安倍晋三という人は非常に凡庸で、具体的な政治指針もなく、しかしその時その時の流れに上手く乗ってなんとなく生き残るタイプの政治家であった。
それは彼が一番最初に脚光を浴びた北朝鮮協議と拉致被害者帰国の時もそうであったし(彼はそれまでに北朝鮮問題に深い興味を示したという記録も伝聞もないが、以降はずっとあの青リボンをつけている)、
その注目度から幹事長に大抜擢され、官房長官、さらには首相にまで上り詰めた。
しかしその政策は小泉政権を継承したもので、彼の独自性はほとんどなかった。もっとも前任者があまりにも政治家として強い個性の持ち主だったということもある。
だが、政府・自民党ともに彼にその統率が取れていたとは言いがたく、政治家、とりわけ首相の適正には疑問がつきまとった。どうにかまとめ上げられたのは、自民党になんとなく漂う保守思想とそれを具体化した「美しい国」という空虚なスローガンがあったからだ。
だがあいまいとした政治思想だけで日々の政治が回るわけもなく、様々な政治問題が噴出。現役農水相の自殺などというトップクラスの政治暗部が明るみになったところで、参院選敗北。自身は病に伏して一度表舞台を去ることとなる。
1度目の華々しい舞台は、あまりにも役者不足、という結末に終わった。
だがそこで政治生命が終わらなかったのは、血統のなせる技と祖父譲りの悪運なのか。
民主党政権が機能不全に陥ったところをとどめを刺す形で震災発生。この社会不安から生じた反民主・2000年代回帰の流れ(いわば振り子運動である)に乗る形で、周囲の反対を押し切って総裁復帰・そして首相に返り咲く。
そして今日再び病に倒れる形での辞任を表明した。
この第二次政権ははたして、どんなものであっただろうか。まだその総括は出来ないかもしれない。
政権成立直後、目に見える形で株価はバカみたいな上がり方をした。株価先導の形で企業業績は回復し以降6年景気を押し上げた。大量の金を市場に注ぎ込む金融政策は一つ結果を出したとは言える。
しかし結局くだんの3本の矢は揃わずじまいで、このコロナでこの政策はいよいよ手詰まりである。
これも含め、本来であれば政府政権与党一丸となって一環した指針の下、さまざまな政策を大きく動かさなくてはならなかったが、結局政権初期以外そういう形はほとんど見られなかった。
結局のところ、安倍晋三首相は同じことを繰り返しただけではなかったのだろうか。首相として各所への人選は悪くなかったが、配置した人材をほとんどコントロールできず適切な機能を与えることが出来なかった。
本来であれば各省の歩調を合わせ利害関係者の調整を行うべき内閣官房(官邸)は、各職が見えない権力を握る中、政府内のただの権力装置に成り下がり、効率的かつ効果的な施策の支障を来すまでになった。
首相本人が制御を行うでもなく、その権限を適切に行使することなく、その権力装置自体が権威化して好き勝手に行動してしまう。第1次と第2次の問題点の違いはそこに突き詰められそうだが、それは結局、共通して安倍氏本人が役者不足であったのだろうという印象だ。
あまりにもなにも背景が見えない凡庸な彼の素は結局、政権交代直前野田元首相との党首討論の時のあの、終始自分の判断を先送りし他者に判断をゆだねる彼だったのではないだろうか。
さっきふと、「あ、戦争してもいいな」って思いついた。
徴兵されたら、衣食住は保証されるし。ごはんも食べられる。衣食住なら刑務所でもいいけど、刑務所は前科ついちゃう。それは嫌だ。でも戦争なら勲章やらもらえる機会もあるしさ。少なくとも前科はない。
それに最悪、前線で行方をくらましたり、PTSDになったり、シェルショックになって病院に担ぎ込まれたりすると楽だし。
まぁ、生活にどんづまったわけだよ。
別に他国の人に恨みがあるわけでも、愛国心があるわけでもない。
でもこれはそろそろ戦争したいな。
戦地に行きたい。
まぁ大変なことは分かってるよ。俺も2本指ないし。ああいう痛みが日常にあるのだということをわかっている点では、これを読むあなたよりはよく想像しているよ。
しかしあれだ。前の戦争の時も一般の人ってこういう感覚で戦争行ったんじゃないかね。
兵士になれば白飯たらふく食えるってんで志願した人も多かったんだろ。
愛国心よりも飯よ。
で、まぁ戦地に行けばそれなりにムクムクと愛国心だとか使命感とか湧き上がってくるだろうしさ。部隊の人らと一体感を感じたり。それで飯が食えるならまぁ別に。
もちろん日本はクソだから自衛隊の奴らとかがここぞとばかりにリトル牟田口みたいになって新参をイビりまくるんだろうけど、俺はそこそこガタイもいいし、動物的なコミュニケーションも苦にならないから向いてると思うんだよな。まぁ最悪、いじめの標的にはならないくらいの知恵と体力はある。
理想は宇宙人とか地底人が侵略してくることだけど、奴らを撃退しても金はもらえない気がするんだよな。文永弘安の役とか秀吉の明出兵みたいな感じで、石油とか資源とか領土を得られないと生活は苦しくなるだけだ。
いや待て、地底人なら領土増えるか。いきてえな、地底出兵。テレスドンとかゴモラとかいるのかもな。
「靖国で会おう!」とか絶対面白いだろ。靖国とか知らねぇし行ったこともないけど、戦地の高揚感で俺は絶対言う自信あるよ。
めっちゃかっこいい遺書とか書くしな。そりゃ書くよ。腹は減っても脳内物質。ここぞとばかりに文例探しに精を出すよ俺は。
あれだよ、普段奥さんに何にも言わない奴が病気とかになったらいきなり感謝の手紙書くやつ。あれよ。
短歌とか詠んじゃうかもしれねぇ。やべぇな。飯も食えて短歌も詠めるんだぜ。半端じゃねぇよ戦争。
まぁまじめな話をするとさ。
つまるところ戦争って無能な奴でもそれなりに名誉と一体感と成し遂げた感を得られるからすげぇシステムなわけよな。それが封印された現代はそりゃあもう鬱屈してくるわけでさ。モヤシ野郎が金稼いでウェヒヒやってるわけだし、ウェヒヒ野郎と俺とで最前線に出て平等に死のリスクにさらしてほしいもんだ。
まぁ無理だな。
ウェヒヒ野郎はなんとしてでもリスク回避するし。政治屋どもはゴミカスだし。自衛隊野郎はイビるしか能がないしな。つーか当たり前だな。戦争を上手くやれるような能のあるやつらが舵取りしてりゃ、こんな史上最高の好景気なんて来ないわな。
リトル牟田口跳梁国家・ジャパンにようこそってな。カモンベイビームタグチ。
牟田口もやべぇよな。余裕で現代でも通用する男だぞ。河辺も忘れちゃいけねぇ。河辺-牟田口の最強ラインに東條からの最凶指令が飛んでくるんだぞ。完全にやべぇな。
断言するが、牟田口が現代に転生するとめっちゃ出世するよ。むしろ森あたりが生まれ変わりかもしれねぇ。安倍は河辺だな。
でもやっぱ森では役者不足だな。凄みが違う。森はゴルフだが牟田口は前線で芸者遊びだからな。サラリーマンとしてのモノが違うわけよ。
一周回って牟田口が好きになってきている。やべぇ。
なんかかわいいだろ牟田口ってさ。目がしょぼしょぼしてて、まるで自信も能力もなさそうな小男。髪の毛はやして髭そったら普通のサラリーマンだろ。
そんな小男が8万人だったか?兵士を殺戮した超将軍。サラリーマン牟田口やべぇ。
ちょっと値段の張る車に乗ったら途端に態度でかくなるサラリーマンいるだろ。あれだよ。そいつが牟田口だ。
牟田口がそこら中にいる。昔も今もな。
適当な上司を思い出してみろ。そいつが牟田口だ。髪の毛そって適度に太らして髭はやしてみろ。リトル牟田口の完成だぞ。
逮捕された宮崎(どっちの宮崎を思い出してもいい)な。あれも同じ画像処理すれば牟田口だぞ。ああいうのも牟田口になるんだよ。もちろん俺も、お前の上司も、お前もさ。
そろそろ「牟田口学」とか創設してデビル風見鶏・東條とか見つめ合うと素直におしゃべりできない河辺とかごく普通の日本のサラリーマン牟田口とかを徹底的に研究すべきじゃねえか。
まぁ話は逸れたな。
戦争なー。
まぁしたい気持ちとしたくない気持ちは半々だな。能動的な理由はあんまりないんだよ。飯食えたり、人生リセット(電源落ちるかもな)したり、いろいろできるだろ。ゴミカスが戦争責任でいなくなるかもしれんしな。
軽く考えてるように見えるけど、やるとなったら結構ガチでやっちゃうよ俺は。
というか否応なしにそうなるだろうな。高揚感と愛国心ブーストがめっちゃかかるから、今じゃ考えられないほどシリアスになるだろう。
「昔の人は立派だった」なんてことは一切ないわけよ。その場にいれば誰だってそうなる。
ウェヒヒモヤシ野郎も女を抱いて金を稼ぎ始めたらいっぱしの哲学語り始めるだろ。あれと一緒だ。
戦争してみりゃわかる。みんなすごい立派に見えてきて、「たとえ負けても日本は大丈夫だ」みたいにシリアスになるよ。そのシリアスな空気と、飯が食える環境と、名誉が欲しいんだな俺は。
やはり俺は戦争したいな。
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※ネタばれ注意※
初代が20周年なのに配信を終了されてしまったグランディアIIIちゃんは
どうすれば許されたのかって考えるつもりで比較対象として初代を振り返ってたら思いの外ヤバい
いや、たぶん気づいてた人はプレイしてた当時から気づいてたんだろうけど俺はいまさら理解した
■テーマの一貫ぶりがすごい
・物語が動き出すきっかけは冒険者である父親の形見(精霊石=これがキーになって古代文明の遺跡に導かれる)
・「精霊石は冒険者の魂」と主人公に語らせた後、「軍」が精霊石を狙う展開になる
つまり自由vs規律の暗喩と子供vs大人の暗喩をまとめてこなしてる
「探求心は悪にもなる」「大人からの抑圧」「偉大な父親からの抑圧」「探求心の喪失は死に繋がる」
・「真理にたどり着いた者」だけに開かれる「精霊の聖地」で主人公は「精霊石」を提示された後、それを否定して「精霊の剣」を受け取る。
・「精霊の剣」はプロローグ直後のごっこ遊びで集める勇者の証として一度登場する
あえて説明するまでもないぐらいわかりやすい暗喩だろうと笑われそうだけど
「少年が男になる物語」がここまで丁寧にゲームで描かれてるのすごくね?
■シナリオの置き方が丁寧
3.母親が子離れして独り立ち
4.でも幼馴染はついてくる(=まだ子供)
5.ほぼ同い年の女の子に認められる
6.軍(大人)を出し抜く
7.閉鎖的な村の村長に認められる
8.巨大な壁を越える
9.勇者として認められる
ここでdisc1終了、先の精霊石メインの話=父親殺しの流れに。
■メタファーの置き方も丁寧
・登場人物の見た目が東に行く(=主人公の冒険が進む)ほど動物に近づいていき、自然も険しくなる。
幼馴染がリボン代わりにつけてるのは主人公の父親が見つけてきた「虫」とも「動物」ともつかない生き物。
…あれ、てかガイアはラストダンジョン攻略中羽化しようとしてたよね?
羽化しようとしたガイアは精霊石を破壊するとデカい樹(=世界樹)に。
敵ボス(将軍=仮置きの父親)が企てていたのは「ユグドラシル(世界樹)計画」。
ヒロインが虫ってことはそれよりデカい虫は母親としか考えられない気がする。
つまり世界樹=大人としての人格というメタファーになってるようにしか見えない。
どうやらガイアは悪の象徴ではなく「制御できない感情」のメタファーらしい。
いやいやこえーよ書いた人何者だよ
・敵将軍(=野望に囚われた父親)は「ガイアの芽」によっておかしくなった。
・「霧の樹海」の中にある村も「未開の森」の中にある村も閉鎖的
「石の森」の中に滅びた村が存在している
光翼人に力を注がれると蘇って石ではないロボットのような姿になる。
光翼人の力で制止されると石に戻る。
精霊=意思 であり、意思がなくなる=石になる と表現されている。
人→動物→植物→石の流れは意志の強弱も暗喩しているらしい。(街や村のあり方を見るに)
精霊石=眠っている意思とも受け取れるし、父の遺志=精霊石でメタファーが完璧。
深読み苦手な自分がここまで読み取れるってことは読解力高めな人はもっといろいろ読めるだろう。
いや、怖!
キャラクターの一人がヒロインを参考にしていると明言されているし、
某深読み系ロボットアニメの影響は多少あるにしても十分冒険譚として独自性を構築できていると思う
「女の子も楽しめるように王道冒険活劇書きました」でここまで色々仕込める人の後釜、務めようと思うか?
てか一介のゲーム会社の社員がこれに「原点回帰」できるのか??
この織り込みに織り込まれた上でほどほどに読み取りやすいメタファーの数々、
これを「16歳の飛行機乗り」「空」をベースにして再構築できるかって言われてホイホイできちゃうひとはどれぐらいいるんだろうか。
しかもここまでメタファーてんこ盛りなのにパッと見ただの冒険活劇を装うとか
出来上がってきたIIIはひどすぎたけどこの初代を踏襲したうえでパクリにならないような王道冒険活劇って、
ゲームシナリオ界にオリンピックがあったら確実に金メダル級の超難易度だと思う
話づくりに自信がある人、「俺が作るグランディアIII」にチャレンジしてみてほしい
「空」「飛行機」「(ヒロインが空から)落ち(てくる)物」ベースで
「16歳の少年が親離れして一人の男になる」話を「ただの冒険活劇」に見せかけて
初代相当のクオリティでかつ初代化とラピュタ化を回避しつつ完成させる。
初代のシナリオ作った人たちはすごいし
個人的にはIIIのシナリオにチャレンジした人々も十分敢闘賞もらっていいんじゃなかろうかと思ったりする
IIIのシナリオを見るに、おそらく思いついたシーンを組み合わせるだけで精一杯だったんだろう
メタファー仕込む余裕なんかなく、「青年主人公が長旅を経て強敵を倒す」話を構築するのがやっとだったように見える
ミランダとユウキのバックボーンから「父親殺し(母親殺し)」を実現するにはエメリウスでは役者不足もいいところ、
子供をほぼ捨てたユウキの父親と妹を守ろうとするエメリウスではシンクロするところがほぼなく
仮にエメリウスの行動原理が完璧にゲーム内で表現されていたとしても何の暗喩にもなっていない。
暗喩の有無は別にどうでもいいっちゃいいけど、問題は「父親殺し」が行われていないといけないのに
それをユウキが成し遂げていないところ。
暗喩はあるとカッコいいとか文章表現的な技巧を披露して俺つえーするとかそういう余剰ではなく、
本来物語の外にいる読み手に己との共通点を無意識に物語から見出してもらい、より感情移入してもらうための道具だろうと思う。
手だけでも布を縫い合わせることはできるが、ミシンを使えばもっときれいに縫製できると言う話だ。
血縁のない飛行王シュミットを「父親」に仕立てるために実の父親を物語から消し、アロンソを途中退場させたのだということはさすがに読み取れる。
そういう小細工で作り上げた「父親」をいくら「腰抜け」と罵ってもその「父親」が作った飛行機に乗って空を飛んでしまっては何の意味もない。
それは父親の敷いた線路を辿っているだけであり、まだ子供のままであることの証左になってしまう。
むしろこの状況での「腰抜け」呼ばわりは
「何故お前は父親を全うしていないのだ」という糾弾になっている。
つまりグランディアIIIには「殺すべき父親」が存在していないのだ。
父親を精神的に「殺し」て、別個の人間=大人になっていく成長物語のはずなのに。
これではラスボスがどこにもいないのと一緒だ。
それを見定めずにシナリオ作りに移行してしまったことなのではなかろうか。
テーマソングを聞いてもわかるが「見果てぬ夢」なのか「素晴らしい場所」なのか「行き着く先」なのか定まっていない。
初代が「死にゆく先、生まれくる源」を「大地(地母神)」と定義したことで
芋づる式に様々なものを定義付けすることに成功し、植物の根が土を抱き込むように物語を包括したのとは対照的に映る。
また、成長とは生から死の一過程であり、生と死の描写から逃げては成長を描き出すことはできないのだと逆接的に証明しているようにも感じられる。
もしかすると、初代を見上げたまま物語を模索した結果、「初代=空」になってしまったのかもしれない。
ユウキは映画の中で活躍するシュミットの姿に憧れを抱いたようだが、
言うまでもなく、何のメタファーも仮託されていない空はただの背景であり景色である。
景色は人を動かしたりしない。
これは続編がふがいなかったというよりは初代が「偉大な父」になりすぎてしまったんだろう。
ジャスティンが大変な苦労を伴って「父殺し」を成し遂げたように、
「偉大な父」を乗り越えるのはそれだけ困難だということなのかもしれない。
ひぇええ〜。
「自称プログラマは日々漫然と努力もしないでダラダラ10年以上過ごして、2年目の子にすらすでに追い越されてる」を地で行く人間が通りがかりましたよっと。
実際は10年じゃなくないとか後輩のスキル把握してねー(出向してるんで)とかいうのはさておきだが。
いや怖いなぁ。この人の書いてる内容はだいたい正論なんですが、ここまで書かれると傷ついてへこむなぁ。でもその責任は主じゃなくて自分だから余計へこむなぁ。怖いなぁ。
もっと怖いのはさ、俺みたいな使えないド文系でも問題視されない現場ってのがあるのよ。
ひとことで「IT」つっても、モノホンのドカタから、SF感溢れる最先端研究まで色々あるわけで。
俺なんか本当に最初から今まで土方の土方の、そのまた僻地のクソ田舎の道路掃除みたいな仕事しかしていない(いやそういう会社に勤めてるんであたりまえなんだが)。
本当に世界が違う。数理系の大学ってなにやってんだろって、俺らサイドの人間じゃ本当に想像も出来ないんだよ。
そういうのでも死なない、イット業界(笑)はとても広大なのだ。とにかく人種が違うぜってのは皆さん理解してくれい……
たとえばさ、社員100人ぐらいの出欠席を確認するとか、その程度のシステムってラージオーいくらとかいらないんだよね。
(※本当はいるというかやんなきゃいけないんですが、現実では無視して「あーSQLにインデックス忘れないでね」程度の、もう次元が違うおはなしで通る)。
増田が批難している「組み込みを8年やってきて、その後Web系で6年やってるって人」ってそういうところからやってきたんじゃないかなあ。
いや組み込みでそれはどうなのかという気もするけどさ。
「そういう問題じゃなくて勉強しろよクズ」っていうのも正しいんだけどさ。
そういえば我が社には、たぶん増田も納得するような理系でハイスキルな人がいたな。
でもこの会社がどういう所かは上に書いたとおり。
鬼とか悪魔とか霊とか 地獄とかは 漠然と 感じたことがある。
厳しい人を見ると 鬼を感じるし 人を操ろうとする人を見ると悪魔を感じる 怨めしい気持ちでいる人を見ると霊を感じる 追い詰められると地獄を感じる
でもその対とされている 天使とか 天国とか 全然ピンと来ないんですよ
この二つは善良なものとされているけど どうもそうは思えないんですよ。精神分裂の症状、一種の魔境で 見えてはいけないものだと思うんですね。
つまり 悪いものである という説明なら理解できるんですが そうではなくいいものとは 思えない。
天使や天国には 胡散臭いイメージが付きまとうじゃないですか 上で挙げたような魔境を 髣髴とさせるからだと思うんです。
こういう風な解釈をしたら 個人的にはすんなり納得できる。
実生活において 天使を感じるときって 可愛い女の子を見たときとか そういうときじゃないですか。それならわかる。
アイドルとか風俗嬢のことを天使とか結構言ったりするんですね。(誰がとは言わない)
そして ブスのことを天使とは言わない
なのでおそらく アレは多分、 性感のイメージなんですね。
天使っていうのは 性的な高まりのことで 天国というのはもちろん性的絶頂ですよ。
正体みたりですよ。 だったら天使のもっている善良さや癒しや救いのイメージに納得がいく
奴らが 大抵美男美女なことも説明がつく
あの 皆うすぼんやりと感じている 天使と淫魔の類似性にも説明がつくじゃないですか。
悪魔とは騙すもの頭のいいもの 天使とは 癒すもの救うもの 微妙に対立してないじゃないですか。
混乱を呼ぶもの と 導くもの としてなら 対立するんですが 天使が導いてくれるのは あくまで性的に、もしくは魔境にですよ。
そうではなく 混乱を解くには 癒しよりも ”真実”に導かなくてはいけない
●ホルスとは
悪魔の対になるのは ホルスだと思うんですね。 ホルスというのは ホルスの神=真実を見るもののこと だそうです。
知名度が無いので ホルスと言われてもピンと来ないと思いますが 外見としては 隼の顔をした人間 性格的なものは 嘘を見破るもの 鋭く賢いもの という感じ?
ホルス的な漫画などのキャラクターというと ウルトラセブンとか サイボーグ009とか シャーロックホームズとか カイジ とかだと思います。
虎視眈々と獲物を探って 矢を射るように シュバッと 突き抜ける そういう割と爽やかで 厳しく鋭い感じのするイメージが ホルス
なので 悪魔の対はホルス だと思ってます 知恵ものという共通功があるしね
●締め
突っ込み大歓迎。たぶん誰も気にも留めずにスルーするだろうけど。
金の問題で退いてたった3ヶ月程度での代表戦出馬、ありえないよね。
とてつもない反発と小沢叩きが起こることはもちろんわかってただろうね。
それをあえて出馬した理由はなんだろう?
総理の座?権力?
俺はどちらも不利な状況での強引な代表選出馬の根拠としては弱いと思う。
たぶん、小沢一郎の政治生命を考えると、もういまさら野に下って一から政党作る時間は無いだろう。
でも、周りは後先考えずにその場限りの台詞を吐いて自分の首を絞めるボンクラと
権力者のおこぼれにあずかりたいだけのカスばかり。頼りになる骨のある政治家なんて一人も居ない。
金持ちのボンクラ唆して、たまたま当たりくじ引いて名声を一時は勝ち得た二流の神輿を担いで
「政権交代」という大仕事をなしえて、さあ今からが踏ん張り所って時にマヌケ共は勝利に浮かれて
ヘマばっかりやらかして政権を手放してしまいかねない状況まで追い込まれちゃった。
「お前ら俺の脚を引っ張るのもいい加減にしろ」ってところだろうね。
でも、自分もちょっとヘマやらかしたせいで今は表舞台に上がるわけにはいかん。
そこで、負けるのを承知で代表選出馬。泥にまみれた自分が傍に立てば二流の神輿も一時は一流っぽく見えるってわけだ。
でも、そもそも役者不足なヤツだから長続きはしないだろうってのも計算のうちでしょう。
しかもただ負けるだけじゃなくて、自分の存在感も十分に示した。
議員票はわずか12ポイント差。差がついたのは扇動次第でどうにでも転ぶ馬鹿の票だけ。
ちょっと前まで二流の神輿の粗探ししてた奴らが、自分の出馬を境に手のひら返したように
二流の神輿を担ぎ始めるわけだから笑いが止まらなかっただろうね。
その神輿担ぎに煽られて馬鹿な観客は神輿をもてはやすわけだから、チョロいもんだわな。
ただ、このプランは民主党一体となって仕組んだ芝居ってワケではないと思う。
だって周りは頼りにならないマヌケばっかりだから。
自分以外頼りにできないってのは、ここまでの民主党を見てイヤと言うほど実感しただろうからね。
ゴマすりしてくる雑魚をうまく使って、自分最後の晴れの舞台の準備を整える小沢一郎さん、流石です。
せいぜい頑張って、もう少しで権力を我が手に!!ってところで派手にコケて俺を笑わせてほしいところです。
期待してます。
衆院選の前哨戦として与野党対決が注目された静岡県知事選。静岡県出身、在住の俺が千葉県知事選の解説を参考にメモ代わりに解説。
選挙としては、石川前知事が空港問題で3月に辞意を表明したことから湧き上がった県知事選だが、もともと今年いっぱいで任期切れであったこともあり、海野徹が2月に県知事選出馬を早々に表明。元民主党の国会議員だったが、既に離党済み。今回は民主党推薦も受けない完全無所属出馬を表明。主な政策は、県庁・公務員改革。渡辺喜美が積極的に応援に加わり、他に何故か平沼赳夫や城内あきらが応援していた。海野は民主県連の支持母体の連合静岡との仲も悪く、2004年参院選、2007年静岡市長選に連敗してることもあり、もともと民主県連も歯牙にもかけていない。小沢が海野のことを気にかけたことにより、「民主分裂選挙」という報道が出たが、そんなことは元からない。
前知事の辞意表明後、自民県連と民主県連は保守静岡らしく石川後継の相乗り候補を模索する。報道によると候補者擁立は民主主導だったようだが、候補は川勝平太ではない。どこぞの経済学者だか弁護士だかを自民県連に提案し相乗りでまとまりかけるが、自民党本部が知名度が低い・相乗りはまずい、と口出し。自民県連が相乗りを蹴る。
自民県連はその後、参院議員の坂本由紀子を足早に擁立決定。石川県政下で副知事もつとめたこともあり、石川後継のド本命として出馬。女性ならではの出産・子育て支援などの政策表明。
民主県連は相乗り壊滅後、迷走。相乗り候補の予定者には逃げられ、自民同じく参院議員の牧野を擁立しようとするが、民主党本部が貴重な参院議員を手放すのを拒否。一時期は自主投票の話も。川勝平太は早々に声が上がっていたが、大学学長職の立場もあり、当初は断固出馬否定。その後、学長職の辞職のめどがつくと、橋下大阪府知事のように一転出馬表明。石川色の強い坂本を嫌う一部自民県議も川勝擁立運動に加わり、本命3候補が出揃うことになる。
今回の県知事選の争点。空港問題で前知事が辞職したこともあり、石川県政への総括と是非というものがありそうなものだが、そもそも自民県連のみならず、民主県連の推薦する川勝も石川前知事のアドバイザー的な職を経験していて、明確な石川県政へ否定を唱えるのは海野と共産候補のみ。そこに衆院選の前哨戦と煽る全国メディアの報道もあり、争点などどこ吹く風でぼやけまくり。結果、共産候補同じく完全無所属打ち出した海野も泡沫候補になってしまい(地元新聞の直前世論調査では20代で海野支持が圧倒的に多かったのが救い)、坂本と川勝の石川後継の保守対決。それこそ国政の影響が大きいはずだ。
静岡ならではのこと。横に長い静岡県。西部、中部、東部と考え方も文化もまるで違い、それぞれの出身者を応援する傾向がある。今回は、東部は坂本、中部は海野、西部は川勝(川勝の出身は京都、居住地は長野だが、勤めていた文化芸術大が西部にあるため)。
当選した川勝とは。既に話題になってるとおり、「新しい歴史教科書」の執筆者の1人で安倍政権下の「美しい国プロジェクト」メンバー。保守系文化人の1人。前知事否定もすることなく、民主勝っても保守は変わらず。与野党問わず保守系議員や知事に人気が高く、既に政界でも顔が広い。新聞広告では、やたらその顔の広さをアピールして、静岡に関係ない著名人の友達の名前をずらーっと並べ、これだけ有名な方々が支持してくれてますって宣伝。選挙公約も、なんか理念的、観念的な言葉が多い。俺は嫌いなタイプ。
今回の選挙、保守静岡とはいっても、ほんとに「衆院選の前哨戦」報道に押し流された不幸な選挙と思っていて、千葉県知事選のような「完全無所属」旋風は吹かなかった。そもそも海野とおるが役者不足で、参院選、市長選での負け犬イメージが大きすぎた。静岡人は保守とともにミーハーでもあるので、東国原、橋下、森田クラスのタレント候補が立ってれば、一気に情勢が変わったことだろう。
この手のはやり言葉って、使う人によってニュアンスが違うから、結局バズワードになっちゃうよね。
うわ、意味知らない人いるのか。恐ろしいな。
って認識自体、
と対応してしまうから。
いくら「本来の意味はこうだ」と言い張ったところで、「私はこういう意味で使っているし、もはやこちらの意味で使われる人の方が多い」と言われると、「本当の意味で使い続ける、受け取り続ける」こと自体がコミュニケーションを阻害してしまう。有名なところでは「役不足」「役者不足」についての常識非常識論争みたいな感じに。
とりあえず流行っている言葉であるから連呼する馬鹿がいて、あるいは増田や2chのノリでクローズドなコミュニティからはみ出した領域でも平気でそういう言葉を使う人がいて、もちろんそういう人は、いちいち意味なんて説明しないわけだから、わかりづらい微妙なニュアンスは削れ落ちて、ただ馬鹿にしているような響きだけが残る。苦々しく思うのもわからないではないけれど、「知ってて当然」色を出すのはどうかな。そんなに広いコンセンサスのある言葉ではないように思える。
そんな自分もニュアンスが理解できない方。
流行や女性誌を鵜呑みにする女性が間抜けに写るのもわかるけれど、あやしいビジネス書を読みあさってるビジネスマンもいかがなものかって気はするし、就職活動で「自分の長所は、リーダーシップとコミュニケーション力です」なんて言い切っちゃうような人もかなり彼岸に見えて、彼らの違いがわからないんだよね。おまけに、辞書的な意味を調べて知っているとはいえ、俺も「スイーツ(笑)」という言葉から「マスコミの記事を真に受けやがってアホかw」ってニュアンスがどうしても聞き取れない。
・・・これは周囲の、そういう言葉を好んで使う人たちが悪いのかもしれない。笑
学歴だけが脳じゃないぜ?(「脳」→「能」)
俺の会社は高学歴のインテリが集まる一部上場企業だから競走は厳しい。(「競走」→「競争」)
実際、俺の会社の同僚は気の置けない奴で、本当に油断ならない。(「気が置けない」は「気を使う必要がない」の意)
俺がプレゼンをするといつも的を得た指摘でネチネチと俺を責めてくる。(「的を得る」→「的を射る」「当を得る」)
そのことについて講義したけど、取りつく暇もなく相手にされなかった。(「講義」→「抗議」)(「取りつく暇」→「取りつく島」)
今回のプロジェクトは、俺じゃ役不足だと認識していたけど汚名挽回を狙って、一生懸命にがんばった。(「役不足」→「力不足」「役者不足」)(「汚名挽回」→「名誉挽回」「汚名返上」)(「一生懸命」→「一所懸命」)
それなのに奴は「情けは人のためならずって言うからな・・・」と言い、そんな俺を助けることもなく見放した。(「情けは人のためならず」は「他人に情けをかけるのは自分のためにもなる」の意)
そのせいでプロジェクトは大失敗。こうなる結果がわかっていたはずなのに俺の事を手伝わなかった奴はある意味確信犯だと思う。(「確信犯」→「故意犯」)
これで11個か?