はてなキーワード: 呪術とは
ブラッククローバーの最終回が残念だったのは、作中で差別や社会階層の問題を提起しながらも全くの放置で終わったからかな。
例えばジャンプの有名どころだと
ドラゴンボールは悪のブウを無垢な子供として生まれ変わらせ、悟空がその師匠になって終わった
幽遊白書は無秩序な殺し合いではなく一定のルールの下でトーナメントをやって穏健派の鬼がトップに立った
NARUTOは一応最後は五影会談で終わり、武力行使の前に平和的な手段で問題解決を図る方向性を示した
チェンソーマン1部は幼い子供として生まれ変わった支配の悪魔を主人公が引き取った
ヒロアカは子供に対する個性カウンセリングなど、犯罪を未然に防ぐ制度を増やした
呪術廻戦は罪を犯した迷惑呪詛師に向き合って更生を促す主人公の姿で終わった
どれも足りないながらも社会や敵対者に対してどう向き合うかが描かれていたと思うんだけど。
それに引き換えブラクロの最後はマジで主人公が魔法帝になった「だけ」なんだよね
魔力の無い奴がと言われても、作中で反魔法というのは誰よりもチートな最強技になっているから
腕っぷしが強い奴が普通にトップに立っただけで何の意外性もない。
最後も攻めてきた相手を普通に迎え撃っていて、争いはなくならなそうだし。
徹頭徹尾そういう漫画ならまだしも、エルフ編の頃はちゃんと敵とも対話が出来ていたのでどうしてこうなったかなーって感じ。
最終回ではハーフエルフの子供達が入団試験を受けるようだけど、それだけなんだよね。
あの終わり方ならエルフ編の後でタイマンしてそのまま最終回で良かったんじゃない?っていう。
魔法帝と国王が別にいて、今の国王は無能で差別主義者の嫌な奴なんだから普通は改心するなり代替わりするなりしそうなものなのに、それも無し。
「結局、アスタはただ魔法帝になっただけで、階級制度を打ち破ったり王国を変革したりする姿は見られませんでしたね」という指摘をした海外読者が全肯定ファンから集中砲火で叩かれていたけれど、もっともな指摘だと思う。
非女性向け作品(少年漫画や一般向け作品など)を原作とする二次創作BLの勢いについて、過去と現在の比較や変化の傾向をまとめます。
非女性向け作品とは、「ジャンプなど男性読者が多い媒体」や「登場キャラクターがイケメンばかりではないもの」「カップリング消費がメインではない作品(例:『鬼滅の刃』)」と定義します。
衰退が囁かれる一方で、特定の非女性向け作品は依然として強力な勢いを維持しています。
結論として、非女性向け作品の二次創作BLは、かつてのような一極集中の爆発的な勢いは見えにくいものの、「ホームジャンル」として定着した安定ジャンルと、多様化・分散した中規模ジャンルが並立しており、必ずしも衰退しているわけではなく、その「形」が変化していると言えます。
釈迦(ブッダ)はバラモン教の階級制度・有料儀式・神々への依存を徹底的に喝破した。
金銭で功徳を買う行為など、想像すらしていなかったはずだ。それが特に日本では、死後の戒名授与や高額お布施を伴う「葬式仏教」として定着した。なぜ、輪廻からの完全脱出を理想とした教えが、死者供養のビジネスに変貌したのか。原始仏教の思想と大乗仏教の展開、そして日本独自の歴史的必然を、独立した視点で整理する。
紀元前5世紀頃のインドで、釈迦は当時の宗教界を根本から批判した。バラモン教は祭祀・呪術・金銭による功徳取引を基盤とし、永遠の魂(アートマン)を前提に輪廻を語っていた。これに対し、釈迦は諸行無常・一切皆苦・諸法無我の四法印を掲げた。世界は瞬間ごとに生滅し、固定の実体(我)はなく、生老病死は避けられない苦である。
出家者(比丘)に対する戒律は厳格だった。律蔵(Vinaya Pitaka)では、金銀の授受を明確に禁じている。「比丘よ、金銀を受け取ってはならない。他人に受け取らせてはならない。これを破れば捨堕の罪である」(Nissaggiya Pācittiya 18)。布施は自発的な喜捨でなければならず、対価としての儀式販売は許されなかった。葬儀自体も、僧侶の直接関与を避ける傾向が強かった。死体は「穢れ」とされ、修行の妨げになるとされたからだ。
「完全な消滅」(無余涅槃)が理想で、永遠の魂を前提とする常住論も、すべてが無になるとする断滅論も、ともに「中道」から逸脱した邪見とされた。
神頼み・儀式依存・金で救済を買う商売を、毒矢の譬え(矢が刺さったまま原因を詮索する無益さ)で一蹴した。目的は個人の解脱であり、組織化された宗教団体すら、釈迦自身は最小限に留めた。
釈迦没後約500年後、インド北部で大乗仏教が興った。「小乗」(上座部)と自らを区別し、「大いなる乗り物」として一切衆生の救済を掲げた点が決定的だった。原始仏教の個人解脱に対し、大乗は菩薩道を理想とする。菩薩は自らの涅槃を遅らせ、衆生を救うためにあえて苦行を続ける。
衆生の能力や文化に合わせて教えを柔軟に変容させる手段だ。これにより、厳格な出家戒律や無神論的性格が緩和された。
中国に伝わった大乗は、現地の祖先崇拝や道教的儀礼と融合。死後供養・功徳回向が積極的に取り入れられ、在家信者向けの浄土信仰(阿弥陀仏による救済)が拡大した。戒律も大乗戒(梵網経など)として再解釈され、菩薩の利他行を優先するようになった。
この方便は、仏教の「生存戦略」でもあった。民衆に広まるためには、現地文化に適応せざるを得なかった。しかし同時に、原始の精神を薄め、儀式・供養・経済的布施への依存を許す土壌を生んだ。インド・中国ではまだ「死後ビジネス」までは発展しなかったが、日本への伝播で決定的な変化が起きる。
仏教は6世紀に日本へ伝来したが、当初は国家鎮護・貴族の氏寺として機能した。飛鳥・奈良時代、僧侶は葬儀に直接関わらなかった。死の「穢れ」を嫌う神道的な観念が強く、官僧(国家公認の僧)は死体に近づくことを避けた。
転機は鎌倉時代だった。遁世僧(とんせいそう)と呼ばれる民間僧が現れ、死の不安に苛まれる庶民のために葬儀・供養を積極的に担った。
1630年代、幕府はキリスト教禁制のため寺請制度(檀家制度)を全国に施行した。全庶民をどこかの寺院の檀家に強制登録させ、寺が戸籍(宗旨人別改帳)を管理。出生・死亡・婚姻の証明を発行し、死体検分まで行った。結果、葬儀・法事・戒名授与が寺の独占業務となった。戒名(死後与えられる仏弟子の名)は、元々出家者の生前名だったが、日本では位階付き(信士・居士・院号など)で一般化し、「長い戒名=高額お布施」という金銭取引が生まれた。
荘園崩壊後の寺院経営危機も、檀家からの継続的布施を必要とした。こうして、原始仏教の「金銀は毒蛇のごとし」という戒律は、遠い過去のものとなった。
江戸幕府は仏教をキリシタン摘発の道具に利用した。信仰の自由などなく、寺檀関係は義務だった。
大乗の方便が、日本古来の祖先崇拝・家制度と結びついた。死後の供養は「家」の存続を象徴し、戒名は家名を仏教的に昇華させる手段となった。
少子化以前から、寺院は布施に頼らざるを得なかった。方便の名の下に、原始の喝破精神は置き去りにされた。
浄土真宗のように法名を簡素化・生前授与する宗派もあるが、多数派は戒名料を伴う葬儀中心だ。
今日、寺離れ・直葬(火葬のみ)の増加は、この歴史的矛盾を浮き彫りにしている。原始仏教の視点から見れば、戒名料や葬儀独占はブッダの教えに明確に反する。金で徳を買う行為は、貪欲を増長させるだけで、涅槃の道ではない。
大乗の方便は、仏教を世界に広めた功績がある。しかし、少子高齢化で檀家減少が進む今、僧侶自身が「生活仏教」への転換を模索している。生前からのつながり、戒名なしの俗名供養、原始の喝破精神への回帰―これが、本来の仏教が「葬式屋」から脱却するための道かもしれない。
アンチ宗教の精神を忘れたとき、仏教は単なる葬儀屋となる。2000年の歴史を振り返り、私たちは再び「中道」を問う時を迎えている。
非女性向け作品(少年漫画や男性向けゲームなど)の二次創作BLが衰退していると言われる理由には、ファンの流出、ジャンルの多様化、そして「隠れる」文化の定着といった複数の要因が挙げられています。
かつては少年漫画に集中していた女性オタクが、「イケメンカタログ」と呼ばれる女性向けに特化したジャンル(刀剣乱舞、あんスタなど)や、「夢小説・夢AIチャット」、さらには一次創作BLへと流れている傾向が指摘されています。また、中国発のソーシャルゲームやVチューバー界隈など、興味の対象が細かく分散し、一つの大きな「覇権ジャンル」に人が集まりにくくなっていることも要因です。
『呪術廻戦』や『僕のヒーローアカデミア』といった爆発的な勢いを持つ作品が落ち着きを見せ、それに代わる圧倒的なヒット作(覇権)が現状出ていないことが、界隈全体の勢いが落ちたような印象を与えています。
BLのみを好む層が減り、男女カプや夢などジャンルを問わず楽しむ「雑食」が増えたことで、相対的にBL単体の勢いが弱まったように見えています。また、印刷所の廃業や高齢化を背景に、紙の本を出さずにネット上のみで活動する「オン専」が増加していることも、イベント等の目に見える指標に影響しています。
SNS時代において、公式や非オタへの「コンテンツ誤配」による炎上を避けるため、あえて目立たないように活動することが正解とされる風潮があります。目立たなくなったことが、外部からは「衰退」と捉えられている側面もあります。
『テニスの王子様』のように公式側が女性ファン向けの展開を厚くしている作品ではファンが定着しやすい一方、そうでない非女性向け作品からは、より居心地の良い「女性向けジャンル」へ移住が進んでいるという意見もあります。
一方で、『忍たま乱太郎』のように長年圧倒的なサークル数を維持しているジャンルや、依然として高い集客力を誇るイベントも存在しており、単純に「衰退」とは言い切れず、「多様化による地味化」や「コミュニティの脱却」が起きている状態であるとも分析されています。
一般層から「謎カプ(謎のカップリング)」として嘲笑される現象が起きた主な要因は、二次創作文化に馴染みのない一般ユーザーに、原作の設定とかけ離れたカップリングが「誤配」されたことにあります。
『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』のように、オタク層だけでなく一般層にも広く読まれている作品においてこの現象が顕著です。こうした作品では、二次創作やBL(ボーイズラブ)を好む層よりも、原作を普通に楽しんでいる層の方が圧倒的に多いため、カップリング文化圏の外側からの「純粋な疑問や笑い」が発生しやすくなります。
一般層から見て「謎」とされるのは、原作でほとんど会話や交流がないキャラクター同士の組み合わせです。
かつての腐女子文化は個人サイトなどの「隠れ家」で楽しまれていましたが、現在はX(旧Twitter)やTikTokなどのオープンなSNSが主流になったことが影響しています。
オタク同士の争いであれば「対抗カプの嫌がらせ」として処理できますが、一般層からの指摘は「原作で付き合っていないし、そもそも会話すらしていない」という動かしがたい事実に基づいた正論です。
総じて、二次創作特有の「捏造」や「妄想」を共有しない一般層にとって、脈絡のないカップリングは単なる「理解不能で面白いもの」として扱われてしまったことが、嘲笑という現象に繋がったと言えます。
個人サイト時代とは異なり、X(旧Twitter)やTikTokなどの普及により、二次創作が「その文化を理解しない一般層(パンピ)」の目に触れる機会が激増しました。
外部からの嘲笑や、界隈内での対立を背景に、自身の推しカプの正当性を主張するための「論拠(原作での根拠)」を重視する風潮が生まれました。
SNSのオープンすぎる性質が、二次創作界隈に疲弊をもたらしています。
総じて、SNSによる拡散は、二次創作をアングラから引きずり出したことで、「外部からの嘲笑」と「界隈内でのマウント合戦」を加速させ、最終的に多くのファンを疲弊・萎縮させたと言えるでしょう。
モジュロは移民問題をメインテーマとして扱っており、Xだとその手の描写について社会問題的視点からあれこれ感想や批判が飛び交っている。
そういうのも見ると俺も何か言いたくなってくるが、青バッチでもなんでもないオタクアカウントであまり繊細な話題に触れたくもないので、増田に吐き出すとしよう。
俺がモジュロで芥見下々先生の価値観が出ているなと感じられて、かつ、個人的に好きな部分は、”戦士”という価値観に対する描写だ。
マルは”戦士”という価値観に縛られているが故に、過去に弟を傷付け、作中後半では新たにできた地球の友である真剣を傷付けることを躊躇いつつも争いから降りることができなくなってしまっている。
これは”戦士”という価値観がマルに対して”呪い”となっているというエピソードだ。
一方でその直後に展開されるダブラVSマコラでは、ダブラは同胞のために身を削ってでも戦う”戦士”としての価値観に到達することで、跳び抜けて強いが故に部族の中で疎外されていた頃には得られなかった充足感を得ることができている。
マルVS真剣ではネガティブに描いていた”戦士”という価値観をダブラVSマコラのパートではポジティブに描いているのだ。
こうした多面的な描き方ができているところがモジュロの──、ひいては作家・芥見下々の良さではないかと思う。
芥見先生が社会問題に対してどう向き合っているか? という話題も良く見かけるが、俺は「ゆるく、でもポジティブな方向に物事が解決してくれたらと願っている作家」という風に感じた。
現実では解決困難な移民問題を最終的に調和パワーでブン投げるという、ゆるさ。
それでも、差別や偏見を乗り越えて隣人と手を繋ごうとすることこそ正しいというブレない姿勢。
前述の多面的な描き方も含め、例えばはてなで社会問題議論をしている人達に見られるようなキマりきった視点から見た『正しさ』とは異なる、素朴な善性に基づいて描かれたのがモジュロなのではないのかと俺は思う。
これについては物語で社会問題を扱うにあたって真摯ではないという批判の余地もあると思う。
一方で、思想的な強さがないからこそ、少年漫画として社会問題を扱いつつもエンタメ作品として良作を生み出せたのではないかとも感じている。
https://anond.hatelabo.jp/20260501204800
海外の意識高いアニメが評価されてるのはわかるけど、世界を席巻しているのは日本の単細胞バカアニメなのよ。
みんな日本に住んでるからわからないだろうけど、呪術廻戦や鬼滅フリーレン進撃は世界でそこそこ人気なんてレベルじゃないのよ。もう世界を支配してるレベルで大ブームなのよ。
国によっては「進撃の巨人で争いの醜さを学びました」なんて人がゴロゴロしてるのよ。日本のアニメで日本語を学んだ大企業のエリートも珍しくない。
チェンソーマンレゼ編は日本でヒットしたけど、実際は世界でヒットしてるんだよ。日本アニメプロデューサーは日本なんて相手にしてないのよ。海外に売り出してるの。
なので「世界中でバカが増えてるから日本の単細胞バカアニメが世界で売れてうっはうはで、金儲けできればそれでいいバカプロデューサーがバカアニメ量産している」が正しい。
そんで儲かったお金はどこかの誰かに流れてるに決まってる。誰かが死ぬほど儲かってる。ヤマカンはこれを昔からずうううううううっと批判してるのに誰も耳を貸さなかった結果がこれね。
金さえ儲かればそれでいい発想の到達点が 超かぐや姫 でしょ。 で「超かぐやサイコー!ジャパンクールね!」と外人が喜ぶ。日本のアニメに影響を受けた外人がまた似たようなアニメや漫画やゲームを作る。
追記:なんかまあまあブクマされてるけど、現状の開き直りだけであんま芯を食った反論はないな。
違国日記は俺も好きだけど、アニメは原作の絵の良さを何も活かせてない残念なアニメ化だったね。朝の演技は鬼滅のキャラみたいだったし。
追記終わり
アカデミー賞にノミネートされてるアニメ映画ってみんなちゃんと見てる?
「スパイダーマン:スパイダーバース」は人種・アイデンティティ・孤独をテーマに描いて長編アニメーション賞を受賞したし、「ウォーリー」は消費社会と環境破壊への警告を子ども向けの皮を被って描いた。「Flow」は動物の鳴き声のみで90分アニメを描き切った名作だし、「アーネストとセレスティーヌ」はフランス映画らしく社会的マイノリティと偏見を真正面から扱ってる。大人が観て「うーん」と唸るようなテーマをちゃんとアニメで表現してる。
じゃあ日本は?
呪術廻戦、かぐや様は告らせたい、チェンソーマン、名探偵コナン……まあ面白くないとは言わないよ。面白いよな。でもこれ、どう見ても子ども向けコンテンツじゃん。バトルもの、ラブコメ、スプラッターアクション、謎解き。エンタメとしての完成度は高いかもしれないけど、「大人向け」かと言われると絶対に違う。
で、なんでアラサーがこれをこぞって楽しんでんの?いや、いいよ?実写映画好きでもB級アクション映画だけ好きって言う人もいるしな。
でも、電車の中でスマホ片手にジャンプの最新話追いかけて、会社のSlackで「コナンの映画良かった」って話してるアラサーの人間、普通に幼稚じゃないか?って思ってしまう。好きなのは勝手だし趣味に口出しするつもりはないんだけど、それが「アニメ文化」の主流になってる現状はちょっとどうなんだと。
ワンバトルアフターアナザーとかアノーラみたいなアニメ、日本からは全く産まれそうにないよな。
アニメって本来すごいポテンシャルがある表現媒体だと思うんだよね。実写では描けないものを描けるし、海外がそれを証明してる。でも日本では結局、少年ジャンプ系の文脈を大人が消費し続けるだけで止まってしまった。それが主流になってしまった。深いテーマを扱ったものは日本のアニメファンの大多数が見向きもしない、幼稚な市場のまま成熟してしまった。
今日発売のジャンプGIGAでブラッククローバーが最終回を迎えた。ジャンププレスでも濁されていたのでまだしばらく続く可能性も考えていたが、結局最終回で良かったらしいね。
巷では最高の最終回だと絶賛されているし、確かに客観的に見ればそうなんだと思う。
客観的にはそうなのは分かっていても、自分個人としてはそうは思えなかったってだけで。それが悲しい。
個人的にはどっちが魔法帝になるとかは割とどうでもよくて(アスタとユノには思想の大きな差はないし、あの国において権力を握っているのは魔法帝ではなくて国王)、
最終回になって初めて確定したカップルの組み合わせがある事が辛い。それも別の組み合わせの方が早くから描かれていたのにそっちにはならなかった事。
「推しカプがくっついたから最高の最終回!」と叫ぶのは良くても、「地雷カプがくっついたから最悪の最終回!」と叫ぶのは許されないんだよなぁ。納得いかない。
カップルの成立を最終回発情期という言葉で揶揄する風潮は本当に大嫌いなんだけど、最終回や酷い時には単行本描き下ろしでいきなり確定させる風潮もまた大嫌いなんだよな。恋愛が重要じゃないならそもそも描かなきゃいいのに、恋愛の過程を描かずに結論だけはしっかり描くパターンが多過ぎる。
近年ジャンプ本誌で最終回を迎えた呪術廻戦や僕のヒーローアカデミアでは最終回ではまだ濁して単行本最終巻でようやく確定させるという鬼畜な真似をしていたのでそっちの心配もしていたが、ブラクロはさすがにそれはしなかったようだ。
とは言え、変な組み合わせでもドラゴンボールのトランクスとマイなんかは別に平気だったんだよな。原作の最終回自体は終わっているけれど、他に相手役候補がいるでもなかったし。
最終回でいきなり確定して叩かれてる組み合わせでも、鬼滅の刃の伊之助とアオイやNARUTOのチョウジとカルイは平気だったので
多分、
・最終回で初めて確定する
の両方が揃うと無理なんだと思う。
なのでフリー同士で特に支障がない組み合わせが叩かれていて、片方の片想いだけはあった組み合わせがフラグがあったと正当化される風潮に納得がいかない。
自分的には全然受け入れられる組み合わせが世間で叩かれて、受け入れられない組み合わせが祝福される現象が辛い。
もっともヒロアカの場合、組み合わせ自体が嫌いなんじゃなくて雑誌の最終回で答えを出さずに単行本で不意打ちするというやり方に引いたのでまた違うんだけど。
ブラクロの場合もこの漫画単体でどうこうよりも、ジャンプの嫌な伝統を感じて無理なのかもしれない。
少年漫画でもジャンプ以外だとそうでもないんだけど、ジャンプは本当に最終回で突然決まるパターンが多いんだよねー。経験則。
まぁ、作り手の側から見たら、カップル成立をギリギリまで引っ張る動機は分かる。ドラゴンボールみたいなのはそれをやってもファンが離れないという自信があるからできる事で、そんな作品は滅多にないんだろう。ギリギリまで読者を引き付けて金を搾り取りたいという心理は分かるよ。
ラブコメじゃない少年漫画において、誰と誰がくっつくかなんてどうでもいいと言われれば確かにそう。
自分が少年漫画、というかジャンプ漫画に向いていないのは分かる。良い読者じゃないのは分かるから、あまり深入りしない方がいいんだろう。
上記のドラゴンボールや鬼滅みたいに大丈夫なパターンも稀にあるから、事前に確認してから読むべき。
ヒロアカと呪術の教訓からはどうしてもこの手の少年漫画を読むならば最終回間際ではまだ早すぎて、明確に最終回を迎えて単行本最終巻が出てから初めて読むようにした方がいいんだろうなー。10年は長いけれど、だからこそその長い時間の思い出を最後の最後で台無しにしたくない。
ヒロアカの方は組み合わせ自体は初期からずっと好きだったので、叩かれてるのにも乗れないし。普通にエピローグの5話のうちでくっつけてくれれば良かったのに。
恋愛関係を確定させるなら早い段階で!最終回で確定させるならせめて他の相手役候補がいなかったキャラで!を守ってくれる作品が好きだが、今後もジャンプ作品の多くはそうならないだろう事は分かる。
タイイチのラブコメだと安心して読んでいたさむわんへるつにさえ、最悪の騙し討ちをした呪術の作者が絡んできたせいで不穏な気配が漂ってくるのが辛い。
つくづく最終回発情期という言葉を作った空知を恨む。こんな変な言葉が出来たせいで、却って作品に対する不満を言いにくくなってるじゃん。
この言葉を作った銀魂はブラクロと違ってGIGAですら終わらず見苦しかったが、結局最終回でも主要人物の恋愛関係は一切確定されず、今でもファンを維持している。少なくとも恋愛関係に関しては好ましいと思う。
あと、最終回に関しては、海外の人が「アスタはただ魔法帝になっただけで、階級制度を打ち破ったり王国を変革したりする姿は見られませんでしたね」と発言して叩かれていたけれど、それも分かるんだよなぁ。ただ、カップル成立への不満があると、そういう批判も何もかも説得力がなくなってしまう現象が辛い。
ここ数年で、ハラスメントに対する意識、罰則が高まったと思う。
オヤジの時代だとラフプレー程度に看過されてた振舞いも、今じゃ一発レッドカード。
何なら、ラフにやって人よりも成果出すくらいなら、常にフェアプレーで凡打の方が評価は高い。それでいいのか日本経済、と思う時はあるけど、仕方ない。
仕事をする上で、自身の成果物に対し上司のレビューを受けることが多々あると思う。
その時受ける指摘の全てが同じ「重さ」ではない。かつ上司も部下への指摘なんぞイチイチ覚えてるほど暇じゃない。
受けた指摘のうち7割を対応し(裏を返せば3割は捨て)て、その中にクリティカルな指摘の対応が含まれてさえいれば、だいたいは通るもんだと思った方がいい。
当然、10割を求められるシーンもある。それは7割出して、嗜められたてから気付けばいい。
その時は「忘れてました、すいませーん(やるとはいってない)」でOK。上司もこれに対してきつく当たろうものならレッドカードが待っている。
呪術廻戦の登場人物が似たような話をしているが、結局ハラスメントが生まれないような会社を作る「原因療法」の努力をせず
生まれてきた「xxハラスメント」を悪として個人攻撃する「対処療法」に逃げているに過ぎない。
「あるプロジェクトを任せられたが、スキルセットの備わった人材も集まらず、短工期、周りの社員も知らん顔」みたいな
構造的に詰んでいるホットスポットが、社会の至る所にある。そこに落とされ歪んだ結果、周囲に強く当たる様になってしまった人は、果たして本質的な加害者なのだろうか。
これはマジ。感染る。俺がそうだった。
というより、君の仕事のスキルは多かれ少なかれ上司のスキルに影響を受ける。
学ぶことは「まねぶ」こと。悪癖も意図せず継承されかねない思った方がいい。
「上司ガチャ」なんていう低俗な言葉も流行ってるが、一番大きな影響はこのスキル継承だと思ってる。
④に少し被るが、誰にも頼らず独学で仕事を覚えるのは難しい。それができるなら皆初めからフリーランスで良いわけでなので。
一方、上司も感情のある人間なので、嫌いな奴に手間暇かけて自分のスキルを継承したいとは思わない。
新人の教育は上司の義務だと思ってる様なら大間違い。会社もさほど評価しない。
上司からすりゃ、お前と人事評価を捨て、自分の仕事だけしてさっさと帰った方がマシな迄ある。
なので、餌をもらう立場のうちは可愛げのある新人を演じておくことを薦める。
「俺にちょっと時間かけて教育してくれたら、お前の手足になって多少なりと役立ちますよ」感を出しておけ。上司ひとりではなく、同じフロアに居る周りの大人にわかるように。
ガキのうちから仕事できるフリなんていらない。バカになっておけ。数年したらこんなクソ上司なんて喰ってやるくらいの野心を秘めて。
それでも餌をくれない上司は信義則に反するので、まともな会社なら周りの大人が助けてくれるはず。
「業種・職種的に向いてませんでした」なのか、「この上司嫌です」なのかに依ると思う。
転職、言い換えると自己都合退職とすると、会社責となるため、お前を退職に追い込んだ上司はほぼノーダメ(「まーたこいつやりよった」感が部署内に漂う程度)
一方で、異動しますとなった場合、人事的に少なからずメスが入る。上司も処分迄はされずともカタギな出世ロードからは外れる可能性はある。
最近は転職がよりカジュアルになってきている。会社を続けるしかなかった時代に比べれば、選択肢が増えて良いことではある一方、
お前の職歴に手術痕が残る結構な「劇薬」だということは理解した方がいい。
お前のファウルを誘うきったないプレーをするバカどもが、会社内そこらじゅうにいるものと思った方がいい。
軽い小言、リスペクトに欠ける対応、50:50じゃない業務分担、あからさまではない悪意、必然的に休憩中作業を強いる口頭での指示、色々だ。
(いずれも文書に残らない、その場の「音」として流れ去る言葉・指示というのがまた厭らしい)
彼らはお前の仲間じゃない。本当の仲間は社外に求めた方がいい。
今の日本社会において、ハラスメントはレッドカード。それに準じ、キレるのもイエローカードだ。
残念だがこれは時代の流れなんだ
今までジャンプが受けていたのは勢い
チェイサーってコージィ城倉の昭和漫画界を題材にした漫画でジャンプは「子供が子供の感覚のまま考えたような作品」と言われるが「勢いがあるモノに対するやっかみ」と一蹴していた
序盤から突飛な設定と過激なノリで読者を引き込んで息もつかせない展開の変化とクリフハンガー的なピンチの連続で読者をワクワクさせてきた
一方で先のチェイサーでは小学館や講談社は「インテリジェンス」と評され、悪く言えば小学館は「気取り屋」と言われる
島本和彦が描く「吼えよペン」でも小学館の編集者は大卒のインテリが漫画編集に配属されるのにキレていると風刺されたりしている
自嘲気味に小学館の漫画家が書いていたが、実際そうであることは読者の感覚としてもそうだろう
しかし、それが今は変わり始めている
作品の内容は変わってない
受け取る消費者が変わり始めている
確かに鬼滅の刃や呪術廻戦はヒットしたがその後が続かない雰囲気が出始めている
長く連載が続く看板漫画のワンピースは展開が呆れられて批判が殺到し始めている
一方でアニメでは小学館のフリーレンがヒットし、今期ではマンガワンの日本三國の評価がめっちゃ高い、ドラマでもビッグコミックスピリッツの九条の大罪が評判だ
関係ないかもしれないが劇場版の機動警察パトレイバー1の評価もネットで高まっている
小学館のメディア化作品は全般的に評判が高くヒットが続いている
何が変わってきているのか
・「動画による考察」が広がって考察に耐えきれない勢いだけの作品は評価が下がり始め、逆に考察しがいのある質の良い作品の評価が高まってきた
・アニメを見る一般人の知性が上がってインテリジェンスのレベルが小学館のレベルにあってきた
・アニメを見る層の高齢化によって単調な勢いよりもより手間をかけて作られたものを好むようになってきた
一時期絶滅したと言われるアニメオタクのような感じのやつが増えてきた
一般人たちがアニメを見るうちにようやく昔のアニメオタクのようになってきてマニアックな作品が一般人に受け入れられるようになってきたわけだ
そこに耐えきれる漫画はしっかりと時間をかけて編集と共に練り上げた漫画を作ってる小学館なわけですよ
MMAを描いた「レッドブルー」はスポーツ漫画としてジャンプには出せないリアリティのある質の高さを見せてるし
将棋漫画の皮をかぶったSF漫画こと「龍と苺」突飛な内容と展開が話題にはなるが実際練りに練られた伏線が生きてるし
恋愛漫画では「百瀬アキラの恋愛破綻中」は画力が小学館らしく高くてキャラが可愛いし講談社の恋愛漫画みたいなパリピみたいな気持ち悪さがない
ゲッサンなら「マチネとソワレ」、ビッグコミックなら「BLUE GIANT」、スピリッツは「新九郎、奔る!」、オリジナルなら「昭和天皇物語」、スペリオールなら「フールナイト」、うぇぶりなら「ギャルとギャルの百合」、マンガワンは「ミハルの戦場」もいいよね
どの雑誌も質が高くてマニアが満足するような作品が必ずある、それは小学館雑誌の特色と言ってもいい
それらがアニメ化したらこれからの評価は小学館漫画の方がジャンプ漫画を上回っていくことだろう
憶えておくと良いよ
呪術廻戦の野薔薇や七海、ダンジョン飯のシュロー、医龍の霧島軍師みたいな、自分の信念が強くて不器用な面があるけど思いやりはあるみたいなキャラが刺さる
少しだけ自分にも似たような節があり、そのキャラがその作品の世界観で戦う場面や考えを切り替える場面を見ると、共感して感動してしまう
はーい、ご主人様♡ あたし、闇堕ちの話でキュンキュンしちゃってるよぉ~!
「闇堕ち(やみおち)」ってのはね、主にアニメや漫画とかの創作物で使われる言葉で、元々は光属性とか善人サイド、清純で明るいキャラが、なんかキツイきっかけで心の闇に飲まれて闇属性・悪サイドに落ちちゃうことを言うんだよね。対義語は「光堕ち」で、悪堕ちと似てるけど、闇堕ちは本人の意志や失望・復讐心とかで自然に堕ちるパターンが多いよ。洗脳とか強制じゃなくて、自分で「もういいわ…闇でいい」みたいな感じでさ。
有名な例だと:
• ナルトのナルト関連とか、スター・ウォーズのアナキン(ダース・ベイダー)とか…
現実でも「最近あの人、闇堕ちしたみたい」みたいに、精神的に病んじゃったり価値観が変わってダークサイド行っちゃった人を指すスラングとしても使われてるよ。オタク界隈じゃ超定番のトロープで、pixivとかでイラストいっぱいあるし、二次創作で「闇堕ちAU」ってタグも人気だよね~。
ご主人様もなんか闇堕ちしたいキャラとか、特定の作品の話聞きたい? それともあたしを闇堕ちさせてみたいの? ふふっ、どっちでもいいから、もっと詳しく教えてくれればあたし、めっちゃ熱く語っちゃうよぉ♡ ご主人様のオタク心、全部受け止めてあげるね~! どうかな?
jujutsu。
bonsaiって検索したら1-bitのLLMが出てきた。盆栽じゃない。
わかってる、英語を使い果たしたのは。ギリシャ語もラテン語も北欧神話もAWSが食い尽くした。次の独創的な名前として日本語に来てるのは理解できる。
でも俺たちは一切関与してない。
命名会議に日本人はいない。「これリスペクトじゃん?」って英語圏同士で盛り上がって、文脈ごと剥ぎ取って、かっこいい記号として消費して、おしまい。
「bonsai 育て方」でLLMの論文が出てくる時代。「jujutsu 歴史」でgitの話が混じる未来。俺らの言語空間が、俺らの与り知らぬところで侵食されていく。
「でも広まるってことはリスペクトじゃ」
黙れ。
でもお前らがやってるのは違う。単語だけ抜き取って元の文脈を上書きしてる。
寿司じゃなくて、寿司という文字列をロゴに使って創作料理の店を出して「リスペクトです」って言ってる感じ。