■ 秋田豊の引退試合J1通算で391試合に出場して23ゴール。J2でも14試合に出場。さらに、日本代表として国際Aマッチ44試合出場で4ゴール。1998年のフランスW杯と2002年の日韓W杯のメンバーの1人で、鹿島アントラーズの9つのタイトル獲得に大貢献した炎のストッパー秋田豊。
2007年シーズン終了と同時にプレーヤーとしてのキャリアを終えて、2008年からは京都サンガで指導者としての道を歩んできたが、このたび、偉大なセンターバックの功績をたたえて、引退試合が実現した。
対戦するのは、秋田豊率いる鹿島レジェンドスターズと中山雅史率いる磐田レジェンドスターズ。90年代後半から00年代始めのJリーグを引っ張った2強が激突した。
#1 JR鹿島神宮駅
■ 「鹿島」と「アントラーズ」関東地方の東に位置する茨城県の鹿嶋市が鹿島アントラーズのホームタウンである。茨城県神栖市にある息栖神社、千葉県香取市にある香取神宮と合わせて東国三社と呼ばれる鹿島神宮の所在地であり、古くから門前町として盛えた。
それでも、地方の小都市であり、全国的にはそれほど知られた土地ではなかった。が、1993年のJリーグ開幕とともに、「鹿島」は一躍、全国区なる。
ここ最近、地域の活性化を目指して、日本全国にJリーグ入りを目指すサッカークラブが続々とあらわれてきているが、その理想形は「鹿島」と「鹿島アントラーズ」の関係であると言っても過言ではない。
#2 JR成田駅
■ スタジアムへのアクセス東京方面から鹿島スタジアムへ向かうには、鉄道を利用して、東京駅→千葉駅→佐倉駅→成田駅を経て、スタジアムの目の前にある鹿島サッカースタジアム駅に向かう方法と、JR東京駅前からスタジアムに直通する高速バスを利用するかのどちらかとなる。
鹿島サッカースタジアム駅は鹿島臨海鉄道の臨時駅で、アントラーズの試合が開催されるときだけ臨時停車する。1970年の駅の開設当時は「北鹿島駅」であったが、1994年に今の「鹿島サッカースタジアム駅」に改名された。
#3 鹿島スタジアム①
#4 JR鹿島サッカースタジアム駅
鹿島サッカースタジアム駅は、プラットホームがあるだけで、他には、全く何もない駅である。この路線は非常に本数が少ないので、スタジアムの行き帰りの時刻表には注意したい。
#5 鹿島スタジアム②
■ 鹿島サッカースタジアム鹿島サッカースタジアム駅を降りると、すぐ目の前に巨大な鹿島サッカースタジアムが飛び込んでくる。2002年のワールドカップを開催した10のスタジアムの1つであり、改築後は40728人の観衆を迎え入れることができる。
#6 スタジアム周辺①
#7 スタジアム周辺②
この試合のキックオフ時間は15:00であるが、正午を過ぎると、早くもサポーターがスタジアムに集まってきた。赤いユニフォームに交じって、サックスブルーのユニフォームを着たサポーターも少なくない。
#8 スタジアム周辺③
#9 スタジアム周辺④
スタジアム周辺には、駐車場が豊富に用意されている。茨城県の県庁所在地である水戸市は、電車で約1時間強の距離にある。
#10 スタジアム周辺⑤
#11 スタジアム周辺⑥
■ グルメスタジアム鹿島スタジアムというと、「グルメスタジアム」として評判である。
通常、スタジアム内では消防法の関係で火が扱えない所も少なくないが、鹿島スタジアムはJリーグ誕生とともに新設されたスタジアムであり、観衆にグルメを提供することが、開設当初から視野に入っていた。
中でも、「もつ煮込み」が有名で、鹿島スタジアムに出向いたアウェーサポーターで「もつ煮込み」を食べずに帰った人は少ないだろう。いろいろな商店が「もつ煮込み」を提供しており、特に、寒い時期の観戦には最適である。
#12 コンコース①
#13 コンコース②
■ 鹿島レジェンドスターズホームの鹿島レジェンドスターズのメンバーは以下のとおりである。
GK 曽ケ端準、高桑大二朗
DF 秋田豊、内藤就行、名良橋晃、奥野僚右、岩政大樹、相馬直樹、池内友彦、金古聖司
MF サントス、マジーニョ、石井正忠、本田泰人、熊谷浩二、増田忠俊、野沢拓也
FW 黒崎久志、深井正樹、長谷川祥之、鈴木隆行
残念ながら、京都サンガのFW柳沢敦は体調不良のため参加できず、1996年のリーグMVPに輝いた元ブラジル代表のMFジョルジーニョも怪我のため欠場。中田浩二、小笠原満男、本山雅志の3人は怪我と病気のため、ベンチ入りはするが試合に出場することはできない。
#14 スタジアム内①
#15 スタジアム内②
今回の鹿島レジェンドスターズのメンバーの多くは、すでに現役を引退しており、非常に懐かしい名前が揃った。FW黒崎とFW長谷川のツインタワー、DF名良橋とDF相馬の両サイドバックなど、見どころ豊富である。
2000年の3冠に貢献しリーグのベストイレブンにも選ばれたGK高桑大二朗。国際Aマッチの出場経験もある経験豊富なゴールキーパーは、今シーズン、徳島ヴォルティスでプレーする。
#16 高桑大二朗
#17 秋田豊
■ 磐田レジェンドスターズ一方、磐田レジェンドスターズのメンバーは以下のとおりである。
GK 大神友明、佐藤洋平
DF 渡辺一平、大岩剛、田中誠、鈴木秀人、山西尊裕、古賀琢磨
MF 三浦文丈、藤田俊哉、名波浩、福西崇史、西紀寛、倉貫一毅
FW 中山雅史、松原良香、高原直泰、川口信男
こちらは、MFドゥンガ、MF服部、MF奥の3人を除くと、ほぼ黄金時代のメンバーが集まる豪華布陣となった。この試合はDF秋田の引退試合であるが、MF名波、MF福西、FW川口、DF山西の4人も昨シーズン限りで現役を引退している。
#18 ジュビロイレブン
#19 鹿島イレブン
MFジョルジーニョは怪我で欠場となったが、清水エスパルスやザスパ草津でもプレーしたMFサントスと点取り屋のFWマジーニョが参戦。MFサントスはJ1で265試合で33ゴール、FWマジーニョはJ1で108試合に出場して53ゴールをマークしている。
#20 石井正忠
#21 サントス
#22 マジーニョ
185cmの長身でダイナミックなプレーでサポーターを魅了したFW黒崎。J1、J2、JSLで401試合に出場して130ゴール。A代表としても国際Aマッチ25試合に出場して4ゴール。1995年のダイナスティカップでの大車輪の活躍が印象深い。
#23 黒崎比差支
フランスワールドカップで右サイドバックを務めたDF名良橋。2008年2月に現役を引退したが、Aマッチ38試合に出場。日本サッカー史に残る右サイドバックである。1997年ベルマーレ平塚から鹿島アントラーズに電撃移籍し、黄金時代を築いた。
#24 名良橋晃
現在は鹿島アントラーズ所属で貴重なセンターバックとして2連覇に貢献したDF大岩であるが、この日はジュビロ磐田の一員としてプレー。2強と言われた鹿島と磐田の両チームで主力として活躍した選手は、彼以外にはほとんど例はない。
#25 大岩剛
■ ハットトリックの活躍試合は前半22分にセットプレーのこぼれ球を磐田のFW高原が豪快に右足で蹴り込んで先制。さらに後半11分にもFW松原のゴールで磐田が2点リードを奪う。
対する鹿島は、後半にFW深井、MF野沢、FW鈴木といった現役組を投入し、勝負に出る。後半13分にFW深井のゴールで1点を返すと、ここから、フォワードにポジションを移した秋田が奮闘。後半31分、後半33分、後半43分と立て続けにゴールを決めてハットトリックを達成。
結局、4対2で鹿島が勝利し、秋田の引退を飾った。
#28 ジュビロイレブン①
2000年シーズンにジュビロ磐田に所属したMF三浦文丈。横浜マリノスでプロデビューを飾ると、豊富な運動量とフォワードから中盤まで様々なポジションでプレー出来る柔軟性が買われて、すべてのチームで貴重な戦力となった。
2001年から2006年までの現役最後の6年間はFC東京でプレー。背番号「10」を背負って、若いチームを引っ張った。現在は、横浜Fマリノスでコーチを務める。
#29 ジュビロイレブン②
#30 アントラーズイレブン①
#31 アントラーズイレブン②
■ サプライズ・ゲスト鹿島スタジアムへの帰還が期待されたFW柳沢敦はコンディション不良のため欠場となってしまったが、その代役として元日本代表のFW鈴木隆行が登場。事前に参加メンバーに名前がなかっただけに、正真正銘のサプライズ・ゲストとなった。
試合前に「背番号30 フォワード 鈴木隆行」とアナウンスされると、15000人のサポーターからは大声援が送られた。その声援の大きさは、主役である「秋田豊」を上回るものがあった。
#32 サプライズの鈴木隆行
#33 記念撮影
現役時代に秋田とセンターバックコンビを組んだDF奥野僚右。J1で231試合に出場しているクレバーなディフェンダーは、ストッパータイプで屈強な秋田と抜群のコンビネーションを見せた。
2002年からは、当時、群馬県リーグ所属のザスパ草津に選手兼任監督として加入移籍。チームをJFLに昇格させる原動力となった。その功績がたたえられて、ザスパ草津の背番号「31」は永久欠番となっている。
#34 奥野僚右(背番号4)
■ 黄金時代のパスワーク前半は鹿島の中盤に動けない選手が多かったこともあって、磐田がボールを支配して、試合を優勢に進めた。
久々のゴン・タカの2トップに、MF名波、MF藤田、MF福西、MF三浦文丈、MF川口信男で構成する中盤は、抜群のコンビネーションを見せた。中盤の5人の中で現役はMF藤田だけとなってしまったが、それでも優雅なパスワークは健在だった。
鹿島の戦士たちが比較的、クラブとはハッピーな別れ方をしているのに対して、磐田の戦士たちは、必ずしもそういうわけではない。2008年は16位に沈むなど改革の時を迎えたジュビロ磐田とそのサポーターに対して、束の間の夢を与えるメンバーとパスワークだった。
#36 福西崇史(背番号23)
#37 名波浩(背番号7)
#38 ジュビロの円陣
■ 黄金時代の前の時代MFジーコ、FWアルシンドといったスター選手もいたが、Jリーグ開幕直後の鹿島アントラーズは、比較的地味なチームであった。地味というよりは、実直なチームというのが適切かもしれない。
この試合に集まったメンバーを見ても、DF奥野、MFサントス、MF石井、DF内藤といったいぶし銀の選手が少なくない。FW柳沢、MF小笠原、MF本山、MF中田浩といったスター選手が加入し、90年代後半から00年代にかけて黄金時代を築いたが、その下支えになった幾多の名脇役がいたことを改めて思い起こさせた。
#39 鹿島の円陣
#40 鈴木隆行(背番号30)
■ サックスブルーのユニフォーム鹿島と幾多の名勝負を繰り広げたジュビロ磐田。
現役のFW中山、引退して間もないMF名波はもちろんのこと、FW高原にしても、MF藤田にしても、MF福西にしても、(他にもいくつかのユニフォームを経験した選手ばかりであるが、)いずれの選手も、ジュビロ時代がもっとも輝いていて、久々のサックスブルーのユニフォームにも全く違和感を感じなかった。
いつ以来か、このメンバーを同時にピッチで見れた磐田のサポーターは幸せだったと思うが、同時に複雑な思いも感じたことだろう。
#41 ゴン・タカの2トップ
盟友のMF名波浩とともにジュビロ磐田の黄金時代のメインキャストだったMF藤田俊哉。J1通算で419試合に出場して100ゴールを記録。そして、今シーズンは、J2のロアッソ熊本に 加入して経験を伝えることになる。
#42 藤田俊哉(背番号10)
■ 名ディフェンダーの引退この試合は、試合前に予想していたよりも、お祭りムードはなく、真剣勝負の面が強かった。たいてい、引退試合となると楽しみながらプレーする選手が多いが、いつになく、真剣なエキシビジョンマッチなった。
これも、実に「DF秋田豊」という選手を表現していて、実にらしかったと思う。
1993年に鹿島に入団して以降、鹿島アントラーズでも、日本代表でも、秋田よりも上手い選手は多かったし、才能のあった選手も少なくなかった。ただ、それらのライバル全てを蹴散らして、トップディフェンダーの地位を守り続けた。
#43 PKシーン
■ 新時代の始まりこの日、秋田豊はピッチを去った。
ここ数年、MF中田英寿、MF山口素弘、DF名良橋晃、DF森岡隆三、MF森島寛晃、MF福西崇史、MF名波浩といったワールドカップ戦士が次々とピッチを去ることとなった。そして、彼らの後継者が順調に育っているかというと、確証をもって「Yes」とは言い切れない部分はある。
だからといって、日本サッカー界の未来が明るいものではないかといったら、そうではないといえる。必ず、彼らの思いを受け継いだ戦士たちが、生まれてくることだろう。
#44 試合後のスタジアム①
#45 試合後のスタジアム②
#46 JR東京駅
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