【あるガザ市民の日記】(07) この街を離れる時が来た
●11月8日
イスラエル軍の地上侵攻は続いている。だが、今日は勇気を出してガザ市を離れ、より空爆が激しい北部に行くことにした。ガザ市ではパン屋を見つけることができないからだ。空爆で道路が寸断されていて、タクシーは使えない。約1時間半歩き、漸く店に辿り着いた。何と、幸運なことに小麦粉があった。これで自宅でパンが作れる筈だ。喜んで帰り道を歩いていると、激しい異臭がする場所があった。何かと思って近づくと、そこにはごみの巨大な山があった。高さは約20m、そして長さは1㎞あるかもしれない。ガザのごみ処理場はイスラエルとの境界近くにあり、今は危険でとても近づけない。その為、多くの人が避難し、人口の減った北部の街中にごみ捨て場を造ったようだ。そして北部では、空爆で破壊された住宅の周辺等に落ちている紙や木材を拾っている人が多かった。ガスが使えない為、火を付ける薪の代わりにするのだ。今、この目で見ているのは、イスラエルによるガザ市民への“集団的懲罰”だと感じる。何故、ガザでは街がこれほど破壊され、罪のない市民が生活に苦しみ、通りで物を拾わないといけないのだろうか。再び1時間半かけて自宅に戻り、午後4時頃に家族と米だけの昼食を取った。もう、ガザにはお金持ちも貧民もいない。誰もが等しく、腹を空かせている。そして考えていることは、食料と水のことだけだ。今夜の空爆は昨夜に増して激しい。いつもは空爆が終わっていた夜明けになっても、爆撃音は強まるばかりだ。状況は更に危険になってきたかもしれない。絶望が心を支配し始めた。今日はこれ以上、文章を書くことができなそうだ。
●11月9日
イスラエル軍に指示されているガザ南部への避難を改めて考え始めた。これまで10月13~15日、27~29日の二度に亘って南部に避難したが、生活環境の悪さに耐えかねて、ガザ市に戻ってきた。だが、ガザ市の状況は日毎に、いや1時間毎に悪化している。我々は今日、妹の家から妻の両親の家に移った。ガザ市の中で、比較的被害が少ないとされるリマル地区にあるからだ。だが9日夜、標的になったのはこの地区だった。あまりにも激しい空爆が一晩中続き、朝が来るまで我慢できないほどだった。朝方、家の近くの通りを走って逃げる人達がいた。避難所として使われている国連の運営する学校が、遂に空爆されたという。ニュースでは、ガザ市で最も安全とされていたガザ最大のシファ病院からも、人々が避難し始めたと報じられている。もうここにとどまることはできない。ガザ市を離れる時が来たようだ。 (構成/エルサレム支局 三木幸治)
2023年11月19日付掲載