【LEADERS・経営者に聞く】(184) 「“学び”を広げて未来のリーダーを育成」――永瀬昭幸氏(『ナガセ』社長)
予備校の『東進ハイスクール』を運営する『ナガセ』は、人口減社会を見据え、事業を広げてきた。教育の機会均等と、世界レベルの人材育成を掲げる永瀬昭幸社長に、創業からの歩みと今後の展望を聞いた。 (聞き手/東京本社教育部 上田詔子)
〈4人きょうだいの長男で、父は高校の数学教師。鹿児島の私立ラ・サール高校から東京大学を目指したものの、現役では不合格だった〉
高校では学費を滞納することが何度かありました。家計を考えると「予備校に行きたい」とは言い出せません。でも、親父が「本気でやるなら東京へ行け」と言ってくれ、上京して『駿台高等予備校』(※現在の『駿台予備学校』)で浪人生活を送ることになりました。
駿台の授業は目から鱗の連続でした。化学が苦手でしたが、講師の説明は名人の落語のよう。楽しく学べ、原理原則がよくわかりました。1浪して1968年に東大に入学しましたが、その頃、東大紛争が本格化。私も学生運動に加わり、2年留年しました。親父はカンカンに怒って、仕送りがストップ。学費と生活費を稼ぐ為に始めたのが家庭教師です。
幸い、「教えてほしい」という生徒は次々に現れました。最初は自宅に招いていましたが、保育園の教室を夜に借りて、1971年に小中学生向けの『ナガセ進学教室』を始めました。数年で100人を超える生徒が集まるようになり、私を含む10人ほどで指導。教室の収益で、鹿児島から上京した弟や妹の学費の面倒もみることができました。
1974年に東大を卒業。塾の経営は妹に任せ、『野村証券』に入社しました。1日10人の社長の名刺を貰うことを目標に、飛び込み営業も重ねました。取引先の開拓を苦とは思いませんでしたが、中には損失が出て事業が立ち行かなくなる顧客もいました。仕事を一生懸命すればするほど、そうした光景を目にすることに、ジレンマを感じるようになりました。
その頃、取引先の社長が「君は起業するほうが向いている」と5000万円の出資を申し出てくれました。野村証券を2年で退社し、教育事業に戻ることにしました。
〈1976年にナガセを設立。小中学生向けの塾を11校まで増やし、1985年には現役高校生が対象の東進ハイスクールの運営を始めた〉
当時の予備校は基本的に浪人生向けで、「現役高校生の需要があるのでは」と考えました。読み通り、優秀な生徒が順調に集まりました。ですが、数学の授業では、私が教えた解き方よりも優れた方法を見せてくれる生徒もいた。質の高い授業をするには、やはりレベルの高い講師が必要だと痛感しました。
そこで、浪人生に教えているエース級講師を他の予備校からスカウト。1988年には浪人生向けの授業を東進でも始めました。有名講師陣を揃え、テレビCMにも力を入れたおかげで、1990年には首都圏を中心に7校を構え、生徒は1万人を超えました。ですが、事業拡大で運営のほうが追いつきませんでした。
この年に進出した大阪校には約3000人の生徒が一気に集まりましたが、人気講師の授業は直ぐ満席となり、立ち見も続出。教科書を配りきれないケースもあり、授業料の返還を求められました。“宣伝に偽り”という見出しで記事にもなりました。
一方、1991年には“生徒3万人”を目指し、一流講師の授業を東進の各校舎へリアルタイムで配信する衛星授業を始めました。広告を大量に打って勝負に出たのですが、この年は生徒が7000人しか集まらず、借金だけが残ってしまいました。
少子化等により、浪人生は1990年代前半をピークに減っていくことはわかっていました。東進は、駿台と河合塾、代々木ゼミナールと並ぶ四大予備校の一つとなっていましたが、最も早く影響を受け、生徒数の前年比3割減が続きました。考えが甘かった。経営は苦境に陥りました。
会社の近くにある枝ぶりの立派な松の木を見て、首を括ろうかと考えることも。ピンチを脱するのに悩んだ末、辿り着いたのがフランチャイズ(※FC)展開でした。
その時、コンサルタントから「どういう理念を持つのか?」と厳しく問われました。東進の一番の財産は、自慢の講師陣。全国どこでも、楽しくてわかり易い彼らの授業を受けられるようにする。“教育の機会均等”を掲げました。1992年からFC先の塾や予備校にも衛星授業の配信を開始。2年目には加盟校が300校を超え、最大の危機を乗り越えられました。
東進が教える生徒の中心も、減っていく浪人生から現役の高校生に回帰させました。高校生は部活動もあり、勉強に使える時間は限られている。都合の良い時間に受講できるよう、少しずつ授業をライブから動画配信へと切り替えていきました。今はインターネット経由で、自宅でも受講できる環境が整っています。
〈2006年に中学受験塾の『四谷大塚』、2008年に『イトマンスイミングスクール』をグループ会社化。積極的な買収や投資で“教育”の幅を広げてきた〉
急速な人口減少で、このままでは日本の国力は衰退の一途を辿るでしょう。多くの生徒を持つナガセができることは、個人の能力を最大限伸ばすことです。国も社会の変化に合わせて教育改革を進めてはいますが、スピーディーに動けるのは民間です。
デジタル技術は、この国を再興させるチャンスになります。2020年には、大学生や社会人向けにAIやデジタル技術の教育プログラムを開発し、提供を始めました。
世界を牽引するリーダー育成にも力を入れています。2019年から東進ハイスクールにスーパーエリートコースを開設しました。難関中学合格者から1学年200人を選抜し、AI時代に必要な数学の実力を身につける教育を行なっています。世界で活躍する若手研究者らを招いたワークショップも開き、自らの将来像を描く機会も作っています。
海外大学への留学支援制度も設けました。世界の頭脳が集う米英のトップ9大学に進む日本の高校生を対象に、4年間累計で1人最大40万ドル(※約6100万円)を返済不要で給付しています。対象者は、東進の『全国統一高校生テスト』の成績や面接を経て選んでいます。今後は、海外で鍛えられた優秀な学生を日本のトップ企業へ仲介し、我が国の再興を後押しできないかと考えています。
ナガセの企業理念は“独立自尊の社会・世界に貢献する人財を育成する”。日本が元気な人々で溢れ、再び繁栄した国となることに寄与するのが、今の目標です。
2024年12月17日付掲載
〈4人きょうだいの長男で、父は高校の数学教師。鹿児島の私立ラ・サール高校から東京大学を目指したものの、現役では不合格だった〉
高校では学費を滞納することが何度かありました。家計を考えると「予備校に行きたい」とは言い出せません。でも、親父が「本気でやるなら東京へ行け」と言ってくれ、上京して『駿台高等予備校』(※現在の『駿台予備学校』)で浪人生活を送ることになりました。
駿台の授業は目から鱗の連続でした。化学が苦手でしたが、講師の説明は名人の落語のよう。楽しく学べ、原理原則がよくわかりました。1浪して1968年に東大に入学しましたが、その頃、東大紛争が本格化。私も学生運動に加わり、2年留年しました。親父はカンカンに怒って、仕送りがストップ。学費と生活費を稼ぐ為に始めたのが家庭教師です。
幸い、「教えてほしい」という生徒は次々に現れました。最初は自宅に招いていましたが、保育園の教室を夜に借りて、1971年に小中学生向けの『ナガセ進学教室』を始めました。数年で100人を超える生徒が集まるようになり、私を含む10人ほどで指導。教室の収益で、鹿児島から上京した弟や妹の学費の面倒もみることができました。
1974年に東大を卒業。塾の経営は妹に任せ、『野村証券』に入社しました。1日10人の社長の名刺を貰うことを目標に、飛び込み営業も重ねました。取引先の開拓を苦とは思いませんでしたが、中には損失が出て事業が立ち行かなくなる顧客もいました。仕事を一生懸命すればするほど、そうした光景を目にすることに、ジレンマを感じるようになりました。
その頃、取引先の社長が「君は起業するほうが向いている」と5000万円の出資を申し出てくれました。野村証券を2年で退社し、教育事業に戻ることにしました。
〈1976年にナガセを設立。小中学生向けの塾を11校まで増やし、1985年には現役高校生が対象の東進ハイスクールの運営を始めた〉
当時の予備校は基本的に浪人生向けで、「現役高校生の需要があるのでは」と考えました。読み通り、優秀な生徒が順調に集まりました。ですが、数学の授業では、私が教えた解き方よりも優れた方法を見せてくれる生徒もいた。質の高い授業をするには、やはりレベルの高い講師が必要だと痛感しました。
そこで、浪人生に教えているエース級講師を他の予備校からスカウト。1988年には浪人生向けの授業を東進でも始めました。有名講師陣を揃え、テレビCMにも力を入れたおかげで、1990年には首都圏を中心に7校を構え、生徒は1万人を超えました。ですが、事業拡大で運営のほうが追いつきませんでした。
この年に進出した大阪校には約3000人の生徒が一気に集まりましたが、人気講師の授業は直ぐ満席となり、立ち見も続出。教科書を配りきれないケースもあり、授業料の返還を求められました。“宣伝に偽り”という見出しで記事にもなりました。
一方、1991年には“生徒3万人”を目指し、一流講師の授業を東進の各校舎へリアルタイムで配信する衛星授業を始めました。広告を大量に打って勝負に出たのですが、この年は生徒が7000人しか集まらず、借金だけが残ってしまいました。
少子化等により、浪人生は1990年代前半をピークに減っていくことはわかっていました。東進は、駿台と河合塾、代々木ゼミナールと並ぶ四大予備校の一つとなっていましたが、最も早く影響を受け、生徒数の前年比3割減が続きました。考えが甘かった。経営は苦境に陥りました。
会社の近くにある枝ぶりの立派な松の木を見て、首を括ろうかと考えることも。ピンチを脱するのに悩んだ末、辿り着いたのがフランチャイズ(※FC)展開でした。
その時、コンサルタントから「どういう理念を持つのか?」と厳しく問われました。東進の一番の財産は、自慢の講師陣。全国どこでも、楽しくてわかり易い彼らの授業を受けられるようにする。“教育の機会均等”を掲げました。1992年からFC先の塾や予備校にも衛星授業の配信を開始。2年目には加盟校が300校を超え、最大の危機を乗り越えられました。
東進が教える生徒の中心も、減っていく浪人生から現役の高校生に回帰させました。高校生は部活動もあり、勉強に使える時間は限られている。都合の良い時間に受講できるよう、少しずつ授業をライブから動画配信へと切り替えていきました。今はインターネット経由で、自宅でも受講できる環境が整っています。
〈2006年に中学受験塾の『四谷大塚』、2008年に『イトマンスイミングスクール』をグループ会社化。積極的な買収や投資で“教育”の幅を広げてきた〉
急速な人口減少で、このままでは日本の国力は衰退の一途を辿るでしょう。多くの生徒を持つナガセができることは、個人の能力を最大限伸ばすことです。国も社会の変化に合わせて教育改革を進めてはいますが、スピーディーに動けるのは民間です。
デジタル技術は、この国を再興させるチャンスになります。2020年には、大学生や社会人向けにAIやデジタル技術の教育プログラムを開発し、提供を始めました。
世界を牽引するリーダー育成にも力を入れています。2019年から東進ハイスクールにスーパーエリートコースを開設しました。難関中学合格者から1学年200人を選抜し、AI時代に必要な数学の実力を身につける教育を行なっています。世界で活躍する若手研究者らを招いたワークショップも開き、自らの将来像を描く機会も作っています。
海外大学への留学支援制度も設けました。世界の頭脳が集う米英のトップ9大学に進む日本の高校生を対象に、4年間累計で1人最大40万ドル(※約6100万円)を返済不要で給付しています。対象者は、東進の『全国統一高校生テスト』の成績や面接を経て選んでいます。今後は、海外で鍛えられた優秀な学生を日本のトップ企業へ仲介し、我が国の再興を後押しできないかと考えています。
ナガセの企業理念は“独立自尊の社会・世界に貢献する人財を育成する”。日本が元気な人々で溢れ、再び繁栄した国となることに寄与するのが、今の目標です。
2024年12月17日付掲載