先週日曜日には、歌舞伎座「十二月大歌舞伎」昼の部。先月から二か月連続で続く、市川海老蔵改め十三代目 市川團十郎白猿襲名披露、 八代目 市川新之助初舞台」公演でもある。
最初の演目は「鞘當(さやあて)」。
鶴屋南北の大作からの一場面だが、「鈴ヶ森」もそうなのだとか。歌舞伎は本当に人気のある場面しか残りませんな(笑)
桜が美しく咲き乱れる吉原仲ノ町、刀の鞘が当たった武士同士が切り合いになる場面に仲裁が入る。煌びやかな背景で、諍いを歌舞伎の様式美に満ちた動きで見せる短い一幕。侍は松緑と幸四郎。止めに入るのは猿之助。偶数日は市川中車が演じているようだ。久々に表舞台に復活の香川照之も見たかったな(笑)
25分の幕間。満員の館内は団体客も多いからか、この幕間でも席でしゃべりながら食事するお客さんが多く、賑やかで結構といえば結構だが、近くの席に座っている気はしないのでちょっと外へ。
次の演目は、「京鹿子娘二人道成寺(きょうかのこむすめににんどうじょうじ)」。菊之助と勘九郎が同じ白拍子花子を二人で舞い、最後に新團十郎の『歌舞伎十八番の内 押戻し』がつく。
菊之助の白拍子花子は特に後半になるにつれ、美しく妖艶で深い情念を感じさせる。踊りのどこに違いがあるかと問われてもいわく言い難いが、勘九郎の白拍子花子も踊りは良く似ているのだが、なんだか抜けた明るい感じになるのが面白い。勘九郎は初役なのだそうだが、普段は立役が多いのに、女形の踊りでもきちんとこなすのは身についた基本の稽古の賜物か。
歌舞伎十八番の「押し戻し」は台本のある狂言ではなく、怪異を押し戻すという荒事の一種の場面の名称。後シテで白拍子花子が清姫の怨霊と化してから、新團十郎が花道より豪華な隈取りかつ派手な衣装で登場。「竹馬の友の菊之助と、お世話になった中村屋に似ているな」などど戯言を入れて荒事の見得を豪快に切って見せる。やはりこんな場面は成田屋の独壇場である。彦三郎や坂東亀蔵も若手を引き連れ所化坊主につきあってご苦労さまであった。
ここで35分の幕間。さらにこの幕間では、場内もロビーも弁当食べる人やら喋る人やらで騒然と。成田屋贔屓の団体はやたら喋る人が多い気がするが、まあ場内満席のせいか。これまたやってられないのでしばし外に避難して散策。
最後は「歌舞伎十八番の内 毛抜(けぬき)」。八代目市川新之助初舞台相勤め申し候。
粂寺弾正は元々座頭級がやる大役。子供が粂寺弾正やって、学芸会みたいにならないかと心配したが、新之助は台詞がきっちり入っているし、ところどころの見得も決まる。相当稽古したんだな。
元々が、戯画的な造形をされた人物像であるし、荒事は子供の心でなどとも口伝がある。子供に入れ替わっても、まあそれほどの違和感はなかった。
勿論それは脇を固める役者が真剣にやっていたからでもある。雀右衛門の腰元巻絹、錦之助の秦民部、右團次の八剣玄蕃、芝翫の小原万兵衛、梅玉の小野春道など役者が揃ってしっかりとした演技を見せる。歌昇、新悟、児太郎、廣松ら若手も好演。粂寺弾正に普通に誰かが主演したら、なかなか重厚な一幕になっただろう。
ただ、この日の新之助は、最後の謎解き、槍を抱えてまず見得を切る所をすっ飛ばしてお姫様に挨拶したので、下手袖から声が掛かってやり直し。やはり親父が袖からずっと見ているのじゃないかなあ。まあ初演であるから時には間違うだろう(笑)
台詞については殆ど間違いはなく覚えているが、歌舞伎の台詞には独特の抑揚があり、きちんと覚えているものの子供の甲高い声で抑揚まで真似されるとちょっと違和感を感じる所あり。これは声変わりしてから稽古やり直しとなるだろうけれども、まあ仕方がない。
この芝居の粂寺弾正は芝居の途中でも時折客席に語りかける場面があるのだが、芝居の切り、幕外の引っ込みでも客席を見渡し「いずれも様のお力添えにより、この大役をなんとかやりおおせました」との台詞は、襲名初舞台に相応しいもの。館内は万雷の拍手。大向こうも沢山かかって場内を盛り上げる。
歌舞伎名門の御曹司として生まれるというのは、正しく特権的地位にいるという事。若いうちからどこへ行ってもちやほやされるだろうし、思い上がったり遊びまわったりグレたりするなと言われても、なかなかそれは難しかろう。うらやましがられる地位でもあるだろうが、本人に取っては重たい苦しい宿命でもあろう。親父を真似するのか違う道を行くのか、その前のご先祖に行くべき道を見出すのか。まだ若い当人には幸多かれとただ願うけれども。
最初の演目は「鞘當(さやあて)」。
鶴屋南北の大作からの一場面だが、「鈴ヶ森」もそうなのだとか。歌舞伎は本当に人気のある場面しか残りませんな(笑)
桜が美しく咲き乱れる吉原仲ノ町、刀の鞘が当たった武士同士が切り合いになる場面に仲裁が入る。煌びやかな背景で、諍いを歌舞伎の様式美に満ちた動きで見せる短い一幕。侍は松緑と幸四郎。止めに入るのは猿之助。偶数日は市川中車が演じているようだ。久々に表舞台に復活の香川照之も見たかったな(笑)
25分の幕間。満員の館内は団体客も多いからか、この幕間でも席でしゃべりながら食事するお客さんが多く、賑やかで結構といえば結構だが、近くの席に座っている気はしないのでちょっと外へ。
次の演目は、「京鹿子娘二人道成寺(きょうかのこむすめににんどうじょうじ)」。菊之助と勘九郎が同じ白拍子花子を二人で舞い、最後に新團十郎の『歌舞伎十八番の内 押戻し』がつく。
菊之助の白拍子花子は特に後半になるにつれ、美しく妖艶で深い情念を感じさせる。踊りのどこに違いがあるかと問われてもいわく言い難いが、勘九郎の白拍子花子も踊りは良く似ているのだが、なんだか抜けた明るい感じになるのが面白い。勘九郎は初役なのだそうだが、普段は立役が多いのに、女形の踊りでもきちんとこなすのは身についた基本の稽古の賜物か。
歌舞伎十八番の「押し戻し」は台本のある狂言ではなく、怪異を押し戻すという荒事の一種の場面の名称。後シテで白拍子花子が清姫の怨霊と化してから、新團十郎が花道より豪華な隈取りかつ派手な衣装で登場。「竹馬の友の菊之助と、お世話になった中村屋に似ているな」などど戯言を入れて荒事の見得を豪快に切って見せる。やはりこんな場面は成田屋の独壇場である。彦三郎や坂東亀蔵も若手を引き連れ所化坊主につきあってご苦労さまであった。
ここで35分の幕間。さらにこの幕間では、場内もロビーも弁当食べる人やら喋る人やらで騒然と。成田屋贔屓の団体はやたら喋る人が多い気がするが、まあ場内満席のせいか。これまたやってられないのでしばし外に避難して散策。
最後は「歌舞伎十八番の内 毛抜(けぬき)」。八代目市川新之助初舞台相勤め申し候。
粂寺弾正は元々座頭級がやる大役。子供が粂寺弾正やって、学芸会みたいにならないかと心配したが、新之助は台詞がきっちり入っているし、ところどころの見得も決まる。相当稽古したんだな。
元々が、戯画的な造形をされた人物像であるし、荒事は子供の心でなどとも口伝がある。子供に入れ替わっても、まあそれほどの違和感はなかった。
勿論それは脇を固める役者が真剣にやっていたからでもある。雀右衛門の腰元巻絹、錦之助の秦民部、右團次の八剣玄蕃、芝翫の小原万兵衛、梅玉の小野春道など役者が揃ってしっかりとした演技を見せる。歌昇、新悟、児太郎、廣松ら若手も好演。粂寺弾正に普通に誰かが主演したら、なかなか重厚な一幕になっただろう。
ただ、この日の新之助は、最後の謎解き、槍を抱えてまず見得を切る所をすっ飛ばしてお姫様に挨拶したので、下手袖から声が掛かってやり直し。やはり親父が袖からずっと見ているのじゃないかなあ。まあ初演であるから時には間違うだろう(笑)
台詞については殆ど間違いはなく覚えているが、歌舞伎の台詞には独特の抑揚があり、きちんと覚えているものの子供の甲高い声で抑揚まで真似されるとちょっと違和感を感じる所あり。これは声変わりしてから稽古やり直しとなるだろうけれども、まあ仕方がない。
この芝居の粂寺弾正は芝居の途中でも時折客席に語りかける場面があるのだが、芝居の切り、幕外の引っ込みでも客席を見渡し「いずれも様のお力添えにより、この大役をなんとかやりおおせました」との台詞は、襲名初舞台に相応しいもの。館内は万雷の拍手。大向こうも沢山かかって場内を盛り上げる。
歌舞伎名門の御曹司として生まれるというのは、正しく特権的地位にいるという事。若いうちからどこへ行ってもちやほやされるだろうし、思い上がったり遊びまわったりグレたりするなと言われても、なかなかそれは難しかろう。うらやましがられる地位でもあるだろうが、本人に取っては重たい苦しい宿命でもあろう。親父を真似するのか違う道を行くのか、その前のご先祖に行くべき道を見出すのか。まだ若い当人には幸多かれとただ願うけれども。
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