もう先々週になってしまったが、土曜日は朝4時半起きでゴルフ。早めに終わって東関道でスイスイ帰宅と思っていたら、事故渋滞に遭遇。トラック2台を含む玉突きで乗用車が大破。現場を通りかかった時に、丁度、救急車のストレッチャーで首を固定され苦悶の表情で運ばれる若者を目撃。大怪我でなければよいが。交通事故は嫌だねえ。やはり車間距離取るのが一番と思うが。
この日は大相撲大阪場所7日目。幕内の相撲は余裕で生中継を見れると思っていたが、渋滞のせいで結局録画観戦に。
でもって日曜日は、歌舞伎座「三月大歌舞伎」昼の部。
最初の演目は、「女鳴神(おんななるかみ)」
歌舞伎十八番の「鳴神」。この主人公を女形に変えたもの。歌舞伎座では27年ぶりの上演とのことで、実に珍しいものを見た。歌舞伎は長い歴史があるから、古い作品には立役を女形に変えた趣向が結構あるようだ。前に見た「女暫」も面白かったなあ。
オリジナルは女の色香に惑って法力を失ってしまう鳴神上人の話だが、「女鳴神」は、美男子にメロメロになった尼さんの話。鳴神尼が孝太郎。雲野絶間之助が鴈治郎。
口移しで水を飲ませたり、酒に酔ってしどけなく身を任せたり、大変エロティックに演出されている。ただ、鴈治郎はデップリ太って、鳴神尼がメロメロになるような美男子に見えないのが難点だなあ。このあたりは美男美女の配役で見たかった。押し戻しの場面、鴈治郎二役の佐久間玄蕃盛政もは二役で演じる。荒事風味は薄いが、恰幅がよく目出度く成立。孝太郎も鬼女の隈取りした後半のほうが見栄えがずっと良い気がする。
二番目の演目は舞踊、「傀儡師(かいらいし)」。
傀儡師とは人形遣いの事のようだが、八百屋お七や船弁慶などの人形芝居を次々に踊り分けるというのだが、舞踊にはまったく素養が無いもので、イヤホンガイドの解説を聞いても舞踊のどこが何を表しているのかサッパリ分からないのであった。しかし24分も一人で踊り続けるのだから、歌舞伎役者の体力には驚かされる。
最後の演目は、近松門左衛門作、「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」。
傾城も反魂香も出て来ないが、「傾城反魂香」というのがいかにも歌舞伎。通称「吃又」。序幕として近江国高嶋館の場、館外竹藪の場が出るのが澤瀉屋流なのだとか。これが出ると後半の虎をかき消すシーンやら、救出に向かって手柄を立てるエピソードにつながる。
米吉演じる銀杏の前が、元信への想いを遂げるためにちょっとしたトリックを仕掛けるのだが、米吉がなかなか可愛く成立している。ふすまに血で書かれた虎が実体化して出てくる場面は、馬と同じ要領で人がぬいぐるみに入っているのだが、猿弥との立ち回りで見せる虎としての動きがなかなか面白い。しかし土佐将監閑居の場で出てくる虎の首とまったく違うというのは、小道具の都合なのだろうが、通しで出しているのにどうか。
この演目は、三代猿之助四十八撰のひとつ。以前、吉右衛門で見たが、今回は白鸚が浮世又平。なんでも初役で演じてから30年近く経っての再演。最近は、長年やってなかった役を選んで精力的に演じている印象。やりなれた本役でなければ大変だろうが、新しい挑戦。
得意の弁舌で旦那をたてようとする、健気でしっかり者の女房おとくを猿之助が演じる。この辺りも猿之助は達者なもの。この女房が後ろにしっかりいる事で、又平の哀しみが引き立つ。。
吉右衛門の又平には、吃音の自分へのどうしようもない、屈折した憤激みたいなものが色濃く感じられたが、白鸚の又平は、吃音の具合が割と軽い感じがあって、感情表現もちょっとサラサラしている印象。勿論、悲しみは全ての演技に通じる基調低音となって舞台全編に。
手水鉢の裏に描いた自画像が前面ににじみ出てくる「抜けた!」の場面は、海外の持つ呪術的な力を印象的に表した有名な一場面。
彌十郎の土佐将監光信は、又平の願いを次々に退けながら、年功や手柄を立てる事が重要なのではなく、絵筆の技芸こそが大事なのだと厳しくも優しく見守る師匠を印象的に演じた。
この日は大相撲大阪場所7日目。幕内の相撲は余裕で生中継を見れると思っていたが、渋滞のせいで結局録画観戦に。
でもって日曜日は、歌舞伎座「三月大歌舞伎」昼の部。
最初の演目は、「女鳴神(おんななるかみ)」
歌舞伎十八番の「鳴神」。この主人公を女形に変えたもの。歌舞伎座では27年ぶりの上演とのことで、実に珍しいものを見た。歌舞伎は長い歴史があるから、古い作品には立役を女形に変えた趣向が結構あるようだ。前に見た「女暫」も面白かったなあ。
オリジナルは女の色香に惑って法力を失ってしまう鳴神上人の話だが、「女鳴神」は、美男子にメロメロになった尼さんの話。鳴神尼が孝太郎。雲野絶間之助が鴈治郎。
口移しで水を飲ませたり、酒に酔ってしどけなく身を任せたり、大変エロティックに演出されている。ただ、鴈治郎はデップリ太って、鳴神尼がメロメロになるような美男子に見えないのが難点だなあ。このあたりは美男美女の配役で見たかった。押し戻しの場面、鴈治郎二役の佐久間玄蕃盛政もは二役で演じる。荒事風味は薄いが、恰幅がよく目出度く成立。孝太郎も鬼女の隈取りした後半のほうが見栄えがずっと良い気がする。
二番目の演目は舞踊、「傀儡師(かいらいし)」。
傀儡師とは人形遣いの事のようだが、八百屋お七や船弁慶などの人形芝居を次々に踊り分けるというのだが、舞踊にはまったく素養が無いもので、イヤホンガイドの解説を聞いても舞踊のどこが何を表しているのかサッパリ分からないのであった。しかし24分も一人で踊り続けるのだから、歌舞伎役者の体力には驚かされる。
最後の演目は、近松門左衛門作、「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」。
傾城も反魂香も出て来ないが、「傾城反魂香」というのがいかにも歌舞伎。通称「吃又」。序幕として近江国高嶋館の場、館外竹藪の場が出るのが澤瀉屋流なのだとか。これが出ると後半の虎をかき消すシーンやら、救出に向かって手柄を立てるエピソードにつながる。
米吉演じる銀杏の前が、元信への想いを遂げるためにちょっとしたトリックを仕掛けるのだが、米吉がなかなか可愛く成立している。ふすまに血で書かれた虎が実体化して出てくる場面は、馬と同じ要領で人がぬいぐるみに入っているのだが、猿弥との立ち回りで見せる虎としての動きがなかなか面白い。しかし土佐将監閑居の場で出てくる虎の首とまったく違うというのは、小道具の都合なのだろうが、通しで出しているのにどうか。
この演目は、三代猿之助四十八撰のひとつ。以前、吉右衛門で見たが、今回は白鸚が浮世又平。なんでも初役で演じてから30年近く経っての再演。最近は、長年やってなかった役を選んで精力的に演じている印象。やりなれた本役でなければ大変だろうが、新しい挑戦。
得意の弁舌で旦那をたてようとする、健気でしっかり者の女房おとくを猿之助が演じる。この辺りも猿之助は達者なもの。この女房が後ろにしっかりいる事で、又平の哀しみが引き立つ。。
吉右衛門の又平には、吃音の自分へのどうしようもない、屈折した憤激みたいなものが色濃く感じられたが、白鸚の又平は、吃音の具合が割と軽い感じがあって、感情表現もちょっとサラサラしている印象。勿論、悲しみは全ての演技に通じる基調低音となって舞台全編に。
手水鉢の裏に描いた自画像が前面ににじみ出てくる「抜けた!」の場面は、海外の持つ呪術的な力を印象的に表した有名な一場面。
彌十郎の土佐将監光信は、又平の願いを次々に退けながら、年功や手柄を立てる事が重要なのではなく、絵筆の技芸こそが大事なのだと厳しくも優しく見守る師匠を印象的に演じた。