先週の日曜日は、歌舞伎座、「芸術祭十月大歌舞伎」、昼の部。元々は12日の昼を買ってあったのだが、台風の影響で公演自体がキャンセルに。そのチケット代はカードに返金されると松竹から連絡もあり、戻りを見て新規のチケットを購入したのだった。
入場してみると、意外に空席多し。一階席前方だったが、私の左、前方とその左は最初から最後までずっと空席。この所、座高の高い輩が前に座って大迷惑が続いていたが、この日は快適。しかし後方にも空席が目立つ。数日前にチケット購入した時には、そんなに席は戻ってなかったと思うのだが。
最初の演目は、「廓三番叟(くるわさんばそう)」。
三番叟は五穀豊穣、天下泰平を祈念する目出度い舞踊で、歌舞伎にも様々なバリエーションあり。これは煌びやかな吉原の座敷を舞台に、傾城、新造、太鼓持が揃って踊るという賑やかで艶やかな所作事。扇雀が傾城、梅枝が新造。巳之助の太鼓持。いつ見ても、梅枝の瓜実顔は、江戸の浮世絵に出てくる女を彷彿とさせるなあ(笑)
20分の幕間の後、「御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)」。
頻繁に上演される、歌舞伎十八番の「勧進帳」のパロディに思えるが、実際にはこちらの演目のほうがずっと古い成立。「荒事」としての原型のような演目。「芋洗い勧進帳」の別名でも有名。
芝居としての洗練度はさほど無いのだが、舞踊などの入れ事がなく、ストーリーがどんどん進み、立ち回りがあり、荒事としてのプリミティブな魅力がある。松緑は、隈取を施した稚気あふれ豪快な弁慶に、実に良く似合っている。
木に縛られて泣き出す弁慶というのも見ものだが、これは義経主従を十分に逃がす策略。もう十分遠くまで行ったと分かってから、剛力無双に縄を切って暴れだし、番卒たちの首を次々引っこ抜き、最後は水桶に入れて、両手に持った金剛杖でガラガラかき回すと首が次々に飛んで行く。これが「芋洗い」の語源。何百年も前のシュールなスラップスティック喜劇。
引き抜いた頭でラグビーをやるという、時事ネタを取り入れがくすぐりも入っている。歌舞伎座ではあまりかかっていない演目だが、「七月大歌舞伎」、海老蔵の「通し狂言星合世十三團(ほしあわせじゅうさんだん) 成田千本桜」の一場面で、この「芋洗い」が取り入れられていた。
松也、彦三郎、坂東片岡の両亀蔵による四天王。愛之助が富樫。最後の「芋洗い」は稚気に満ちて豪快だが、残酷だと嫌う人もいるだろう。しかし、原初の荒事の雰囲気を残し、江戸の昔は疫病退散の呪術的な意味もかねていたとも解説で。
ここで30分の幕間。花篭食堂で「芝居御膳」。食材にもすっかり秋の香り。
次の演目は、「蜘蛛絲梓弦(くものいとあずさのゆみはり)」。
源頼光が酒呑童子や土蜘蛛を退治した話は歌舞伎にも取り入れられ、「土蜘蛛」もそうだ。これもまた、そのバリエーションの所作事。「片岡愛之助五変化相勤め申し候」。蜘蛛の精が様々に変化する所を見せる。
「土蜘蛛」でも使われる歌舞伎独特の小道具、「蜘蛛の糸」が何度も何度も派手に舞台に舞う。一部は客席にまで。派手な立ち回りもあるが、50分と短い上演時間で、あれよあれよと言う間に終わった。「蜘蛛の糸」を見るような演目。
尾上右近が坂田金時。赤っ面の立役というのは初めて見た。新作に古典に自主公演。立役、女形に清元。大変な活躍ぶりだが、結局の所、何処を目指して行くのか興味深い。
最後の演目は、「江戸育お祭佐七(えどそだちおまつりさしち)」。四世鶴屋南北の世話物、「心謎解色糸(こころのなぞとけたいろいと)」の一部を書き換えた派生作品。
「心謎解色糸」は、3組の男女が織りなす奇妙な縁で繋がれた恋愛模様を横糸、赤城家の宝「小倉の色紙」盗難を巡るサスペンスを縦糸に、毒殺や墓暴き、愛と嫉妬、痴情のもつれや子供殺しなど、江戸の町を騒がした実際の猟奇的事件を取り入れ「火曜サスペンス」風に江戸歌舞伎にしたものだが、本作はそこから、鳶の頭、お祭り左七と芸者小糸の物語を抽出している。
音羽屋劇団勢ぞろい。江戸風情を見せる残すべき演目として11年ぶりに上演。冒頭に、祭の見せ物として、眞秀と亀三郎がお軽勘平の道行を踊る劇中劇あり。亀三郎は、名前を襲名して初舞台を済ませているだけあって、踊りがたおやかで実に達者である。周りも真剣に教えているのだろうなあ。
粋で鯔背な鳶の頭。江戸の風が吹くようなこんな役は菊五郎掌中の持ち役。音羽屋、家の芸のひとつ。一途に恋する小粋で鉄火な芸者小糸の時蔵もなかなか印象的に成立している。
起請も交わした真剣な恋は、横恋慕した侍の姦計に嵌り、誤解が重なり、ついには悲劇に終わる。大詰めで殺しの場があって陰惨な終わりでもあるのだが、行燈の灯りで小糸の書置きを読む佐吉は印象的。大作ではないのだが、江戸情緒にあふれたキリっとした世話物。
入場してみると、意外に空席多し。一階席前方だったが、私の左、前方とその左は最初から最後までずっと空席。この所、座高の高い輩が前に座って大迷惑が続いていたが、この日は快適。しかし後方にも空席が目立つ。数日前にチケット購入した時には、そんなに席は戻ってなかったと思うのだが。
最初の演目は、「廓三番叟(くるわさんばそう)」。
三番叟は五穀豊穣、天下泰平を祈念する目出度い舞踊で、歌舞伎にも様々なバリエーションあり。これは煌びやかな吉原の座敷を舞台に、傾城、新造、太鼓持が揃って踊るという賑やかで艶やかな所作事。扇雀が傾城、梅枝が新造。巳之助の太鼓持。いつ見ても、梅枝の瓜実顔は、江戸の浮世絵に出てくる女を彷彿とさせるなあ(笑)
20分の幕間の後、「御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)」。
頻繁に上演される、歌舞伎十八番の「勧進帳」のパロディに思えるが、実際にはこちらの演目のほうがずっと古い成立。「荒事」としての原型のような演目。「芋洗い勧進帳」の別名でも有名。
芝居としての洗練度はさほど無いのだが、舞踊などの入れ事がなく、ストーリーがどんどん進み、立ち回りがあり、荒事としてのプリミティブな魅力がある。松緑は、隈取を施した稚気あふれ豪快な弁慶に、実に良く似合っている。
木に縛られて泣き出す弁慶というのも見ものだが、これは義経主従を十分に逃がす策略。もう十分遠くまで行ったと分かってから、剛力無双に縄を切って暴れだし、番卒たちの首を次々引っこ抜き、最後は水桶に入れて、両手に持った金剛杖でガラガラかき回すと首が次々に飛んで行く。これが「芋洗い」の語源。何百年も前のシュールなスラップスティック喜劇。
引き抜いた頭でラグビーをやるという、時事ネタを取り入れがくすぐりも入っている。歌舞伎座ではあまりかかっていない演目だが、「七月大歌舞伎」、海老蔵の「通し狂言星合世十三團(ほしあわせじゅうさんだん) 成田千本桜」の一場面で、この「芋洗い」が取り入れられていた。
松也、彦三郎、坂東片岡の両亀蔵による四天王。愛之助が富樫。最後の「芋洗い」は稚気に満ちて豪快だが、残酷だと嫌う人もいるだろう。しかし、原初の荒事の雰囲気を残し、江戸の昔は疫病退散の呪術的な意味もかねていたとも解説で。
ここで30分の幕間。花篭食堂で「芝居御膳」。食材にもすっかり秋の香り。
次の演目は、「蜘蛛絲梓弦(くものいとあずさのゆみはり)」。
源頼光が酒呑童子や土蜘蛛を退治した話は歌舞伎にも取り入れられ、「土蜘蛛」もそうだ。これもまた、そのバリエーションの所作事。「片岡愛之助五変化相勤め申し候」。蜘蛛の精が様々に変化する所を見せる。
「土蜘蛛」でも使われる歌舞伎独特の小道具、「蜘蛛の糸」が何度も何度も派手に舞台に舞う。一部は客席にまで。派手な立ち回りもあるが、50分と短い上演時間で、あれよあれよと言う間に終わった。「蜘蛛の糸」を見るような演目。
尾上右近が坂田金時。赤っ面の立役というのは初めて見た。新作に古典に自主公演。立役、女形に清元。大変な活躍ぶりだが、結局の所、何処を目指して行くのか興味深い。
最後の演目は、「江戸育お祭佐七(えどそだちおまつりさしち)」。四世鶴屋南北の世話物、「心謎解色糸(こころのなぞとけたいろいと)」の一部を書き換えた派生作品。
「心謎解色糸」は、3組の男女が織りなす奇妙な縁で繋がれた恋愛模様を横糸、赤城家の宝「小倉の色紙」盗難を巡るサスペンスを縦糸に、毒殺や墓暴き、愛と嫉妬、痴情のもつれや子供殺しなど、江戸の町を騒がした実際の猟奇的事件を取り入れ「火曜サスペンス」風に江戸歌舞伎にしたものだが、本作はそこから、鳶の頭、お祭り左七と芸者小糸の物語を抽出している。
音羽屋劇団勢ぞろい。江戸風情を見せる残すべき演目として11年ぶりに上演。冒頭に、祭の見せ物として、眞秀と亀三郎がお軽勘平の道行を踊る劇中劇あり。亀三郎は、名前を襲名して初舞台を済ませているだけあって、踊りがたおやかで実に達者である。周りも真剣に教えているのだろうなあ。
粋で鯔背な鳶の頭。江戸の風が吹くようなこんな役は菊五郎掌中の持ち役。音羽屋、家の芸のひとつ。一途に恋する小粋で鉄火な芸者小糸の時蔵もなかなか印象的に成立している。
起請も交わした真剣な恋は、横恋慕した侍の姦計に嵌り、誤解が重なり、ついには悲劇に終わる。大詰めで殺しの場があって陰惨な終わりでもあるのだが、行燈の灯りで小糸の書置きを読む佐吉は印象的。大作ではないのだが、江戸情緒にあふれたキリっとした世話物。