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97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
歌舞伎座、二月大歌舞伎夜の部を観た
土曜日は、歌舞伎座の二月大歌舞伎、夜の部に。

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播磨屋、音羽屋、高麗屋の総大将が勢揃いという豪華な公演であるが、開場の時から割と人が若干少ないような。イヤホンガイド貸出カウンタも心なしかいつもより空いている。開演時間になっても、所々空席あり。最初の幕間には予約してあった三階の食堂「花篭」に行ったのだが、これまた結構空いている。演目が割と地味だということもあるのか、あるいは「二八の枯れ」というやつだろうか。「チケットweb松竹」で見ても、土日のよい席が結構残ってるんだよねえ。

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取った席は一階の5列目で、舞台も花道もよく見える。

最初の演目は、「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)陣門 組打」

11月の歌舞伎座で、松本幸四郎が演じた「熊谷陣屋」を観たが、今回の「陣門 組打」はその「熊谷陣屋」の前の段にあたる部分。今回は熊谷直実を吉右衛門が演じる。

平家物語での敦盛の話は古文の教科書でもお馴染み。一の谷から敗走する平家軍。沖の船に逃れようとする若武者敦盛を源氏方の熊谷直実が「敵に後ろを見せるのは卑怯なり」と呼びとめると敦盛は敢然と取って返す。組打の後で敦盛を取り押さえた熊谷直実は、敦盛が自らの息子と同じ歳でまだ少年といってよい若者である事を見て取り、とどめを刺すのを躊躇する。逃がす算段は無いかと名前を問う熊谷に、敦盛は「早く首を取れ」と答え、熊谷は泣く泣く敦盛の首を落とす。戦国の無残をまざまざと見せる物語。

この物語が文楽になった際に、忠義と親子の情愛がせめぎ合うひねった演出がつけ加わり、それが歌舞伎に伝わっている。

熊谷直実の息子小次郎と敦盛を菊之助が二役で演じる。冒頭の出や馬に乗っての退場は、気品高く凛々しい若武者の風情が実に印象的。悪役の平山は、後半も含めて若干貫禄なく印象が薄かった気が。役者としての格というものかね。

吉右衛門演じる熊谷次郎直実の花道の出は、最初は兜をかぶり、平家の陣から出てくる時にはそれを脱ぐのだが、怪異で重厚な隅取り。大時代なスケールの大きな演技で観客を釘づけにする。

組打では、波の彼方に馬が遠ざかると、敦盛と直実が共に子役に代わって遠近感を出すという様式美にあふれた面白い演出。敦盛を組み敷いてからのやり取りでは、戦国の悲劇と同じ歳の子を持つ父親としての情愛が交錯する。

この後の段である「熊谷陣屋」では首実検の際、敦盛を救うために我が子小次郎を犠牲にしてその首を取ったということになっており、そうなるとこの組打の場面では相手は既に入れ替わった我が子のはず。そうなると敦盛の行動や台詞で腑に落ちない部分が若干出てくるのだが、これはまあ細かい所は気にしないという歌舞伎の鑑賞態度で(笑)

むしろ、実の息子に入れ替わっておらず平家の敦盛であったとしても、壮大な叙事詩として、戦国の悲惨とそれに否応無しに巻き込まれざるをえない人物の悲哀と慟哭が胸を強く打つ物語でもある。

芝雀演じる玉織姫は熟練の芸。首を見せるのを逡巡する熊谷が、瀕死の玉織姫がもう眼が見えないことを知り、ならば渡してやろうという優しさがまた巧い。これは首が既に入れ替わっていることが前提の、後段に続く伏線になっているのではあるが。

歌舞伎の馬というのは人間二人が組んで中に入ってやっているのだが、この芝居では、馬にあれこれ活躍の場があり、なかなか芸達者でよい。しかし中に入ると結構大変だろうな。

幕間は35分。三階「花篭」で一杯やって一休み。

次の演目は舞踊「神田祭(かんだまつり)」

手古舞と芸者を従えて、菊五郎演じる粋でいなせな鳶頭が、神田祭で「アラヨっ」とばかり格好良いところを見せる。賑やかで派手な舞踊。時蔵、芝雀、高麗蔵、梅枝、児太郎と芸者衆も賑やかな顔ぶれ。練り歩く大ナマズも面白い。食後だし20分と時間が短いのも眠くならなくてよろしい(笑)

実際の神田祭は、本年、御遷座400年奉祝の大祭。正月は神田明神にお参りに行ったし、祭りのほうも出かけてみるかな。5月の9日10日ということだが。

20分の幕間を挟んで最後の演目は、「水天宮利生深川(すいてんぐうめぐみのふかがわ)筆屋幸兵衛」

河竹黙阿弥が明治期に作った散切物(ざんぎりもの)。ちょんまげ切ったザンギリ頭の事なんですな。明治維新で没落した士族、幸兵衛は筆を売って糊口をしのいでいるが商売はうまくゆかず妻は亡くなり、娘二人と乳飲み子を抱えた極貧生活。

これでもかとばかり描かれる悲惨な貧乏ぶり不幸ぶりがなかなかリアル。児太郎は、眼が見えなくなった娘お雪を好演。娘お霜は幸四郎の孫、金太郎だが、これもなかなか立派に演じている。幸四郎は生真面目な風が、武家の商法、没落士族という役柄になかなか合っている。

担保の損料を取る因業な金貸しも当時の世相を表しているのだろう。しかし近隣の人々の人情もまたそこにはある。

自らのあばら家は悲惨な状況、しかし隣の家からは賑やかな浄瑠璃が聞こえてくる場面。明るい舞台にバーンと清元連中が出てきて唄いだすのも、なんだかシュールな演出で面白かった。

ただ若干、悲惨な貧乏描写が長すぎて場面が暗くなるところあるも、幸四郎演じる船津幸兵衛が気が狂うところから物語はまたテンポを取り戻す。この狂気も、そこらの町人のオッサンが狂うのではなく、元々武士だった教養ある男が狂う場面であり、船弁慶を踊ったり、なんだか妙な味あり。幸四郎の持ち味で割と生真面目に狂気に入って行くという不思議な印象。

最後はドタバタあって、明るい希望も見えてハッピーエンドに。本来、当時の現代劇だったのだが、洋服姿の巡査が舞台に出てくると、なんだか歌舞伎という感じがしないのが不思議だったなあ。
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