ガンバ大阪 → G大阪は2002年に西野朗氏が監督に就任してからたくさんタイトルを獲得して強豪チームの1つとなったが、Jリーグが始まってから数年の間は弱小チームだった。関西では唯一のJリーグクラブで、近くに競合するJリーグクラブはなかったので、かなり有利な状態だったが、その有利さを生かすことは出来ず、中位以下に甘んじることは多かった。
初年度のG大阪の監督を務めたのは、言わずと知れた釜本邦茂である。ヤンマーの選手だったので、意外な組み合わせのようにも感じるが、もともとG大阪の母体となった松下電器産業サッカー部はヤンマーのBチーム(セカンドチーム)の選手が中心となって誕生したクラブなので、ヤンマーと松下電器産業サッカー部は深いつながりを持っていると言える。
残念ながら、監督としての才能はなかったようでチームは下位に低迷したが、スター選手は何人もいた。まず触れなければならないのは、FW永島昭浩である。キャスターとしてもおなじみのFW永島は本格派のストライカーで、釜本監督からも大きな期待を受けていた。オフトジャパンでの出場機会はなかったが、当時の日本人ストライカーの中ではトップクラスの実力を持った選手で、日本人初のハットトリックを決めた試合は印象深い。
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