Category: 街角探検
翌日は見学会
たっぷり呑んで食べた翌日の青森の朝。

少し曇っていました。

夜が遅かったし、続けて来ている街だし、早朝散歩はパス。

いつも通り取り過ぎの朝飯バイキングです。

二皿はないだろう。

チェックアウトします。

海岸沿いをぶら風写。前にも来ていますね、あの時は自転車だったか。
明治天皇御渡海記念碑。

1876(明治9)年、岩倉具視・大久保利通・大隈重信・木戸孝允などそうそうたる顔ぶれと共に渡海されたのだそうです。
その時はまだ函館区公会堂はありませんね。

こちらは吉田松陰の記念碑。いろんな人が来ています。

何度来ても気持ちがいい、青い海公園。

アスパムの周りに並ぶ巨大テント群。

当然ねぶたの制作は佳境です。
覗くことは出来ました。

本番日の様子はこちら。

ねぶたの日のように、暑い朝でした。

ウッドデッキの散策道の向こうには、ベイブリッジ、ワ・ラッセ、A-FACTORY、そして八甲田丸。

赤い絲のモニュメント。

太宰治『思ひ出』/1933年(抜粋)
秋の初めの或る月のない夜に、私たちは港の桟橋へ出て、海峡を渡つてくるいい風にはたはたと吹かれながら、赤い絲について語り合つた。それはいつか学校の國語の教師が授業中に生徒へ語つて聞かせたことであつて、私たちの右足の小指に眼に見えぬ赤い絲がむすばれてゐて、それがするすると長く伸びて一方の端がきつと或る女の子のおなじ足指にむすびつけられてゐるのである、ふたりがどんなに離れてゐてもその絲は切れない、どんなに近づいても、たとえ往来で逢つても、この絲はこんぐらかることはない、さうして私たちはその女の子を嫁にもらふことにきまつてゐるのである。

アスパムは横から見るとこんな形になります。

良いなあ、晴れた日の散歩道。

初めて八甲田丸へ向かいます。社会科見学ですね。

何やら大規模な工事中。

ぶらタモリで登場した本土との線路連結部分。

工事中なので、見られる部分は限られていました。

ものすごい数の船が就航していたのですね、壮絶な歴史です。

米軍の空襲や台風で全滅もしています。

戦後のジオラマたち。

お台場の船の科学館で展示されていたものだそうです。

昭和が蘇ります。

私が餓鬼の頃、まだこんなおばさんたちが小田急線にも乗っていました。

タモさんも来た操舵室。

当時のままです。

工事中のせいか、甲板には出られませんでした。

エンジンルーム、直列8気筒かな、それともV16か?

1600馬力のエンジンが二つのスクリューそれぞれに4基づつ。8基で12800馬力なので、鉄腕アトムの約1/8ですね。

そして、車両甲板。

4列の線路に車両がそのまま乗ってきます。

もちろんメインは貨物車両なのでしょうけど。

客を乗せたクルーズ船も走っていました。

A-FACTORYを見学しますが、あまり買い求めたいものはありません。

こんな砂浜がちょっと残されていたりします。

ワ・ラッセには同じように社会科見学中の小学生がたくさん。

私らの時代にはありませんでしたね。こんな少人数で。

前の日昼飯を食べたのと同じ系列店が、ワ・ラッセのミュージアムショップの奥にありました。ワ・ラッセ入場はパス。

青森駅へ。

長い連絡橋に楽しいポスターが貼ってあるので紹介します。

来てね東北。

一般の人はどんなところで目にするのでしょう。

QRコードとかもっと効果的に使えないのかな。

これは、新幹線が新青森まで来たことで、東北線から民営化された、青い森鉄道。

寝台特急北斗星の廃止で、収入は、減っているそうです。
こちらは函館行きの特急ですね。

青森を後にします。

少し曇っていました。

夜が遅かったし、続けて来ている街だし、早朝散歩はパス。

いつも通り取り過ぎの朝飯バイキングです。

二皿はないだろう。

チェックアウトします。

海岸沿いをぶら風写。前にも来ていますね、あの時は自転車だったか。
明治天皇御渡海記念碑。

1876(明治9)年、岩倉具視・大久保利通・大隈重信・木戸孝允などそうそうたる顔ぶれと共に渡海されたのだそうです。
その時はまだ函館区公会堂はありませんね。

こちらは吉田松陰の記念碑。いろんな人が来ています。

何度来ても気持ちがいい、青い海公園。

アスパムの周りに並ぶ巨大テント群。

当然ねぶたの制作は佳境です。
覗くことは出来ました。

本番日の様子はこちら。

ねぶたの日のように、暑い朝でした。

ウッドデッキの散策道の向こうには、ベイブリッジ、ワ・ラッセ、A-FACTORY、そして八甲田丸。

赤い絲のモニュメント。

太宰治『思ひ出』/1933年(抜粋)
秋の初めの或る月のない夜に、私たちは港の桟橋へ出て、海峡を渡つてくるいい風にはたはたと吹かれながら、赤い絲について語り合つた。それはいつか学校の國語の教師が授業中に生徒へ語つて聞かせたことであつて、私たちの右足の小指に眼に見えぬ赤い絲がむすばれてゐて、それがするすると長く伸びて一方の端がきつと或る女の子のおなじ足指にむすびつけられてゐるのである、ふたりがどんなに離れてゐてもその絲は切れない、どんなに近づいても、たとえ往来で逢つても、この絲はこんぐらかることはない、さうして私たちはその女の子を嫁にもらふことにきまつてゐるのである。

アスパムは横から見るとこんな形になります。

良いなあ、晴れた日の散歩道。

初めて八甲田丸へ向かいます。社会科見学ですね。

何やら大規模な工事中。

ぶらタモリで登場した本土との線路連結部分。

工事中なので、見られる部分は限られていました。

ものすごい数の船が就航していたのですね、壮絶な歴史です。

米軍の空襲や台風で全滅もしています。

戦後のジオラマたち。

お台場の船の科学館で展示されていたものだそうです。

昭和が蘇ります。

私が餓鬼の頃、まだこんなおばさんたちが小田急線にも乗っていました。

タモさんも来た操舵室。

当時のままです。

工事中のせいか、甲板には出られませんでした。

エンジンルーム、直列8気筒かな、それともV16か?

1600馬力のエンジンが二つのスクリューそれぞれに4基づつ。8基で12800馬力なので、鉄腕アトムの約1/8ですね。

そして、車両甲板。

4列の線路に車両がそのまま乗ってきます。

もちろんメインは貨物車両なのでしょうけど。

客を乗せたクルーズ船も走っていました。

A-FACTORYを見学しますが、あまり買い求めたいものはありません。

こんな砂浜がちょっと残されていたりします。

ワ・ラッセには同じように社会科見学中の小学生がたくさん。

私らの時代にはありませんでしたね。こんな少人数で。

前の日昼飯を食べたのと同じ系列店が、ワ・ラッセのミュージアムショップの奥にありました。ワ・ラッセ入場はパス。

青森駅へ。

長い連絡橋に楽しいポスターが貼ってあるので紹介します。

来てね東北。

一般の人はどんなところで目にするのでしょう。

QRコードとかもっと効果的に使えないのかな。

これは、新幹線が新青森まで来たことで、東北線から民営化された、青い森鉄道。

寝台特急北斗星の廃止で、収入は、減っているそうです。
こちらは函館行きの特急ですね。

青森を後にします。
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