はてなキーワード: 過去の人とは
功利主義という言葉がある。どんな主義かというと、「全人類の幸福を全て足し合わせた総量が最大になるように判断/行動していこう」という主義である。その主義を支持する人は一定数いる。
それに似た考えで、私は「全人類の労働の総量が最小になるように判断/行動していこう」という主義を持っている。驚いたことに、どんなに調べてもその主義には名前がついていないのだ。誰でも思いつきそうな考えなのに、誰も命名していないのだ(私の調べ方が悪かっただけかもしれないので、名前を知っている方がいたら教えて欲しい)。これを「怠け主義」と名付ける。
怠け主義を意識することがいかに重要か、例え話を通じて説明しよう。
例えば、小さな小さな島国があるとしよう。その島国には、労働力人口が100人いる。100人は、水汲み、漁、狩猟、農耕、調理、林業、埋葬、建築、製造、修理、流通、あらゆる「それがないと生きていけない労働」をこなしていて、おかげで生活が成り立っている。労働時間は一日あたり4時間程度。貨幣制度はあってもなくてもよい。
やがて、彼らは日々に退屈し、エンタメを欲する……音楽家、噺家、大道芸人が現れた。エンタメ需要は高まり、やがてエンタメだけで食っていける人が続出する。楽器職人、イベンター、広告代理、音楽教師も現れた。手の込んだ服の生産や、手の込んだ料理をする人も現れた。←なくても死にはしない職業という意味で、エンタメに含める。人々からのエンタメ需要はどんどん高まっていったために、職業も多様化した……気づくと労働力人口100人のうち、50人がエンタメに依存する職業になっていた。人々は、なぜか疲れを覚えていた。なぜかはわからないが、自分の労働量が倍に増えた気がするのだ。彼らは一日あたり8時間働いていた。
岡目八目である。神目線から見ると「そんなの、本来100人でやってたはずの ”死なないための労働” を、今は50人がやることになってるのだから、労働力は倍くらいになるだろう」と思うかもしれない。でも、島民目線から見ると、「エンタメのために金を払う行為が、自分の労働量を増やすことに繋がっている」というのは、気づかないのではないだろうか。その2つは一見繋がっていないように見える。
現実世界も、この例え話と同じである。娯楽を消費することが自分の労働時間を増やす事に繋がっているとは誰も思っていない。
そう思っているので、皆が「趣味で消費すること」を「経済が回る」と呼称し、ポジティブなイメージを付与しようとしていることには違和感がある。
よく「人々が○○を消費しなくなると、所得が減るし、働き口が減る」と言われるが、冷静に考えて、減った所得というのは減った支出に等しいのでメリットとデメリットが釣り合っているし、働き口が減ったなら、それまで毎日8時間かけてやっていた仕事を6時間にすれば働き口が33%増えるだろう。
趣味での消費なんてしなければしないほど労働時間が減って安らかな生活に近づくに決まっているじゃないか。←これが本記事のメインの主張である。
現代、労働時間が長すぎて精神や体を壊す人間がたくさん観測される。私の友人知人にもたくさんいる。贅沢している場合ではない。皆、消費をするのを(=この世に発生する労働を増やすのを)やめてくれ。
具体的にはどのように行動していけば労働総和を減らしていけるのか、それはこの記事への反応があったら詳しく追記したいけど、とりあえず一つだけ挙げておこうと思う。
・よく、課金に多額を費やす人は正気を疑われ、狂人かのように扱われる風潮がある。
例えば旅行に毎年40万使う人と課金に毎年40万使う人を比べると、一般的には後者の方が疎ましい人に思えるのかもしれないけど、怠け主義的に考えると前者の方が疎ましい人に思える。後者の方が、その趣味を消費することによって世の中に追加で発生する労働が少ないと思われるためである。
私の趣味は古い名作をデジタルで鑑賞することだ。過去の人が作った本や映画のデジタルコピーをしまくるだけで無限に未来の人類の欲求を満たせるなら、それが一番楽じゃないか。
人々は怒りを辛さ、悲しみを酸っぱさ、喜びを甘さとして感じる。転生者は他人の感情を「料理」に変える能力を持つが、自分の感情を料理にすると必ず腐敗する。
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記憶は風船になり、誕生日会のように浮かぶ。35歳の主人公が失った前世の記憶を取り戻すたび、風船が破裂し、周囲に奇妙な色の煙が立ち込める。
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遠くを見れば、地平線には無数の巨大な人間の顔が並ぶ。顔たちは一斉に転生者の名前を囁くが、呼びかけを無視すると地平線が裂け、中から巨大な舌が伸びてくる。
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転生先で目を覚ましたら、自分は木になっていた。花が咲くたびに近くの動物が記憶を食べに来る。「何も知らない」純粋な状態に戻ったときのみ、人間の形態に戻れる。
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すべての言葉が歌としてしか発声できないルールの世界。だが転生者だけは音痴な声しか出せず、人々に恐れられる存在になる。
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住人は全員透明な水滴。コミュニケーションは接触で行うが、転生者は触れるたびに滴を蒸発させてしまい、絶えず孤独感に苛まれる。
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空を見上げると、地面の風景が逆さまに広がっている。その中で転生者だけが「空」に入り込む方法を知るが、代償として一部の記憶が消える。
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転生後、体のどこかが毎日ランダムで楽器に変化する。ある日は右腕がギター、ある日は頭がトランペット。感情が高ぶるとその楽器が演奏されてしまう。
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転生者が眠るたびに、前世や初めての転生時の自分が夢の中で現れ、質問攻めにする。無視をすると夢の中で消えたはずの人物が実体化して現世を混乱させる。
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命が全て小石に宿る。転生者は普通の人間の姿を保つが、過去の人生の「小石」を拾ってしまうと、ランダムで身体の一部が石化していく。
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情けない。本当に情けない。31歳にもなって15歳の時の告白を美化して思い返すなんて、何の進歩もない人間の典型だ。お前は高校生の時、彼女の一世一代の勇気を「誠意を見せたつもり」でフイにしたと自分では正当化しているが、それはただの未熟さであり、自己満足に過ぎない。しかも、その後10年以上恋愛らしい恋愛もできず、今なお過去の栄光(とすら呼べない)にすがりついている。成長する気があるのか?
彼女との再会エピソードを延々と語っているが、そのたびに自分がどれだけ惨めで、相手に甘え、振り回されてきたかを露呈しているだけだ。彼女はお前にとって何かの救いだったのかもしれないが、向こうにとってはただの「過去の人間」だ。それをあたかも特別な関係のように語るのは、自分が未だに現実と向き合えていない証拠だ。
さらに、「彼女が頑張っていたのを思い出すと背筋が伸びる」などと言っているが、彼女の努力や人生をお前の自己改善の動機にするな。他人の成功や困難を自分のモチベーションにしようとするのは、まるで寄生虫のような思考だ。自分が努力できていないことを彼女の存在に転嫁して、無駄に美談化しようとしている。彼女がこれを読んだら、きっと呆れるだろう。
恋愛がうまくいかないと嘆いているが、その原因は明らかだ。相手と向き合う努力をせず、自分の殻に閉じこもっているからだ。マッチングアプリがうまくいかないのも、「女性といても性欲が湧かない」と感じるのも、お前が自分を理解していないだけだ。問題に向き合うどころか、専門機関に相談すると言いながら、未だに動こうともしない。31歳という年齢が持つ時間の重みを理解していない。
そして、最後に「〇〇さん、ありがとう」と結ぶその言葉が最も見苦しい。感謝の言葉を添えれば、自分の未熟さや怠惰が許されるとでも思っているのか?お前のように過去にすがり、現実の中で何も変わろうとしない人間には、感謝する資格すらない。彼女が15歳でお前に告白した頃の「お前」と、今の31歳のお前を比較すれば、誰が見ても進歩がないどころか、後退しているようにしか見えない。
いい加減、過去に逃げ込むのはやめろ。彼女がどれだけ頑張ったかを振り返る暇があるなら、お前自身が今、何をするべきかを考えろ。時間は待ってくれないし、人生にリセットボタンはない。お前が「与えられた仕事をちゃんとやりたい」と言うなら、せめてそれを全力でやれ。過去の失敗を言い訳にして、進むべき道をまた誤るような愚行を繰り返すな。今のお前に必要なのは、感傷でも反省でもなく、ただ行動だけだ。
Chat GPT 4o
小学生のとき猪神くんめちゃくちゃ好きだったわ…………。Wピンチいいよね。無重力少年も好きだった。
1/4スペースのエッセイも好きだった。面白いし人柄もよくて癒された。
ラブコメ時代の、得意じゃないんだろうけど恥じらいながら出してる恋愛要素がよかったけど、本人的には向いてないと思ったみたいだね。気恥ずかしさを克服できなかったみたいに書いてるの何回か見たことある。
亜月さんとまぐろさんは過去の人気作の電子版が集英社じゃないんだよね
松本さんはともかくこの二人は改革のあおりをもろに受けた世代だし気持ち的にも契約的にも色々あるのかなあ…と
小花さんや椎名さんはお姉さん雑誌に上がれる作風だったけどこの二人は小学生ウケに振り切ってたから無謀な改革で主戦場がめちゃくちゃになって大変だったと思う
水沢さんは無理してCookieに上がってめっちゃ叩かれてたしね…
はあ〜それにしても猪神くん好きだったわ
https://news.yahoo.co.jp/articles/719ca15786aeb24c001eb1cc2b6b19a6c442c0b5
松本さん側の言い分としては裁判に注力するための芸能活動休止。
そうしたことからも、かなり強い意思を感じましたが、取り下げ。
経緯含めそのあたりどういうコメントが出るのか注目ですね。
まぁレギュラー全部降りて、かかり切りになっているんで、打ち切って本業に復帰したほうがいいのはそうだろうが、取り下げたって事は認めたとも受け止められかねないんで、それだと余計使えなくなるだろうから、どういう理由で取り下げたかの理由付けで納得させられるかだろう
もうダウンタウンはやり切ったと思う。こんなに長い間お笑いの頂点でがんばって来たのだからもう十分だ。テレビに復活したとて、今回のことを視聴者にたいして笑いに転嫁できるか?全部をかなぐり捨てて違うスタイル、立ち位置からやり直せるか?できないと思う。なんばグランド花月で漫才やって終幕というかたちが一番きれいだと思う。本当に長い間お疲れ様でした。
何がなんでも正当性を訴えると思ってたのでここまできて取り下げとはビックリした。
取り下げるとなると性加害を認めたと思う人もいるわけでコメントではなくきっちり記者会見して本人の口から述べて欲しかったと思うけど、最近のジャンポケ斎藤の件もあったばかりだし、和解したとしてもTV復帰するのは厳しいんじゃないかなと。
https://news.yahoo.co.jp/articles/11c93cfcda9137ac12caec4836f2f21c1487767f
これまでの経緯を見れば、裁判で完勝しない限り芸能活動の再開は無理だと思う。ましてや謝罪をするということは何某かの「行為」を認めることなんだから、いくら大御所でもテレビでは使えないんじゃないですかね。
今後はそういうことをしてきた大物という立ち位置で仕事するのかな?今、いままで頭を押さえつけられていた芸人が活躍し始めてそれなりに面白くなってきたのにまた、時計を逆回転させるのかな。復帰後はギャラは幾分押さえられるかもしれないが、それでもまだ売り出しの若手よりは高額だろうし、かなりキツい復帰となると思う。もう過去の人になってしまったんだから素直に引退したら良いと思うよ。
これは、松本人志さんが自身の口で説明しないといけないですが、このタイミングで取り下げということは、年末のM-1グランプリに電撃復帰を考えているのかな。
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誰かがやるだろうと思って放置していたが誰も書かないので。
異論反論は大いに受け付けたい。特に1970年代と2020年代はほとんど読めていないので追記があれば是非。
近代麻雀だけでなく、その前身の別冊近代麻雀やその他関係誌(近代麻雀オリジナル等)も含む。
思いついたままに描いたので順不同で。
当時(80年代)、麻雀のイメージは裏社会(反社)と表裏一体。それを舞台にしたものとして最も有名と思われるこれを選定。
「あンた背中が煤けてるぜ」
の名台詞を生み出しただけでも十分に価値のある漫画。何故「ン」がカタカナなのか、煤けているからなんなのかの意味はわからないがなにやら凄い説得力があり、当時の男子大学生がこぞって真似をしていた。
途中から完全にサブキャラのアカギに主役が取って代わられ、スピンオフ作品の「アカギ」の方が長期連載・人気作になったのは御愛嬌。
ただ、まがりなりにも完結させたのは他の福本作品よりも評価し得るのではないだろうか。
この後、近代麻雀以外でも「銀と金」(アクションピザッツ)、「賭博黙示録カイジ」(ヤングマガジン)など立て続けにヒット作を出し、人気漫画家となっていった。
西原理恵子が悪いお友達に唆されて麻雀を覚えていくマンガ。西原理恵子はこの連載開始時は完全に無名な漫画家だった。
絵もお世辞にも上手いものではなかったが、ギャンブルをする人には分かる悲喜交交は素晴らしく面白い。
西原理恵子の出世作であり、西原理恵子を世に送り出したのは功罪両面で影響が大きい。
お金をかけて麻雀をやったことがある人向け、ならば間違いなく西原理恵子の最高傑作とオススメできる(これ以降の西原理恵子が合わない人もこれだけは別、手に入るのであれば是非読んでほしい)。
車が買えるほど負けたと笑っていたら家が買えるほど負けていた、という笑えなく笑える漫画。
出世作という意味では他誌だが「ぎゅわんぶらあ自己中心派」(ヤングマガジン)、近代麻雀での出世作は「スーパーヅガン」の両ギャグ漫画かもしれないが。
本作も当初はギャグとしてはじまり、キャラが勝手に動いていってストーリー漫画になった印象が強い。
本作に限らないが、裏社会との関わりがイメージされる麻雀を題材にしながら、ほぼそういったものを登場させずに描いているのも好印象で、今のプロ麻雀の隆盛に貢献していると思われる。
更に、麻雀漫画の主役敵役は超能力じみた能力を持っていることが多いが、それを可能な限り排除しようとしているのも特徴的。
リアルな闘牌も見どころ(馬場裕一プロが協力していたそうな)で、他作品と一線を画す。
片チン自身はこのかなり後に描いた「打姫オバカミーコ」を代表作としているし、「牌賊! オカルティ」、「ミリオンシャンテンさだめだ!!」なども面白いが、新境地を切り開いたという意味でやはりこれで。
個人的には麻雀と関係ないが「SWEET三国志」がかなり好き。
どう見ても実在の政治家をモデル(主役が小泉ジュンイチローだし)にしながら、各種の政治的課題を麻雀で解決していく怪作。
大和田秀樹といえば「大魔法峠」や「ガンダムさん」の方が有名かもしれないが、個人的にはムダヅモの方が面白い。
今やったら大炎上間違いなし(安倍シンゾーの切腹など)な政治ネタ満載だが、当時はおおらかな時代だったのだろう。
2017年から続編が発表されているが、登場人物の多くが過去の人になっているのも炎上対策なのだろうか。
「この作品はフィクションです。実在の人物とは“あまり”関係ありません」
知名度としては5選に入るべき作品だが、近代麻雀以外にも複数誌で連載した後に完全にまんがライフ誌に移籍してしまったので選外に。
近代麻雀発とは言え、近代麻雀の作品と見ている人はほとんどいないのでは(「フリテン」という麻雀用語がタイトルになっていることから名残はあるが。)。
「麻雀放浪記」で有名な阿佐田哲也(色川武大)をモデルに戦後すぐの社会を描いた作品。
2000年に第24回講談社漫画賞少年部門を受賞しており、間違いなく当時の麻雀人口の増加に貢献した作品だが、連載誌が週刊少年マガジン(講談社)であり、選には入らない。
麻雀漫画と言えば男ばかりまたは絵が個性的(オブラート)な作品が多い中、メインに美少女を並べ裾野を拡大した功績は極めて大きい。
が、連載誌はなんとヤングガンガン(スクウェア・エニックス)、近代麻雀連載なら間違いなく選に入っていた。
これ以降、近代麻雀にもかわいい絵柄の麻雀漫画が大幅に増え、影響は大きい。
安藤満プロ(連載中に逝去)の協力の元、バブルの頃の高レートを舞台に活躍した「傀」を主人公に当時の世界を描いていた。
連載が長くなり間延びしている感はあるものの、「傀」の決め台詞である「御無礼」を真似て点棒を投げ付けられた人も多いのでは。
多数のスピンオフを生み出した人気作で面白いが、漫画として特筆する物があるとまでは思えないので次点で。
ムダヅモと入れ替える人も多いかもしれない。
当時は正直言って、絵も内容も箸にも棒にもかからない作品が多かったが、「沈黙の艦隊」(モーニング)で一躍人気漫画家に。
近代麻雀がなければ漫画家として成功していなかったかもしれない。
近代麻雀内の人気作ではあり、たしかに面白いが、重要かどうかという点からは選外かと。
80年代から90年代にかけて異様に人気があり、雀鬼・桜井章一を主役とする作品が大量に(10や20ではない)作られた。その意味で、桜井章一は麻雀漫画史に重要かもしれないが、見るべき漫画はほぼないと思われるので選外に。
完全に忘れていた。選外の「近代麻雀内の人気作」に分類したい。
単行本にできない各種パロディは面白いし錦ソクラがシティーハンターのスピンオフを描くきっかけになったという意味でも重要だけど、これを入れるならムダヅモを入れたい。
単行本化したら買うけどね
週刊少年ジャンプでさえ20選にまで絞ってるのだから近代麻雀なら最大にしても5選かなぁと。
7までひろげていいならむこうぶちと兎を入れたい
いろんな意見は大歓迎だけど本文を読めてないのは勘弁してくれ
本文に書いてあるとおり近代麻雀及び系列誌からのラインナップになっているから天牌とかは入りようがない。
選外で取り上げても良かったかもとは思うが。
鴨長明を「老害」と断定するのは、非常に難しい問題です。なぜなら、「老害」という言葉には、現代社会における特定の価値観や年齢に対する偏見が強く反映されており、中世の随筆家である鴨長明にそのまま当てはめることは、歴史的文脈や思想的な背景を無視することになりかねないからです。
時代背景の違い: 鴨長明が生きていた鎌倉時代と、現代社会では、価値観や社会構造が大きく異なります。現代社会で問題視されるような「老害」の典型的な行動や発言は、当時の社会においては必ずしも否定的な評価を受けていなかった可能性があります。
鴨長明は、出家し、世俗を離れて『方丈記』という深い思索の結晶を残しました。彼の作品には、人生の無常観、自然への畏敬の念、そして人間に対する深い洞察が込められています。このような思想を持つ人物を、単に「老害」と一括りにすることは、彼の思想の奥深さを軽視することになります。
「老害」という言葉は、近年になって特に注目されるようになった言葉であり、その意味は時代とともに変化しています。過去の人物に現代の言葉の意味を当てはめることは、誤解を生む可能性があります。
鴨長明の思想は、現代社会においても多くの示唆を与えてくれます。彼の作品からは、人生の儚さ、自然との共生、そして自己との対話といった普遍的なテーマを読み取ることができます。彼の思想を学ぶことは、現代を生きる私たちが、自分自身の人生について深く考えるきっかけとなるでしょう。
鴨長明を「老害」と呼ぶことは、簡単ですが、彼の思想の複雑さや歴史的文脈を無視した乱暴な判断と言えるでしょう。むしろ、彼の作品に深く向き合い、その思想から学ぶべきものがたくさんあるのではないでしょうか。
うちの実家の近所には、花街、つまり遊郭があった場所がある。もちろん地元の人間は大体知っている。
小さいころ、まだ生きていた祖母が、まあ壊れたレコードみたいに同じ話を何べんもするのだが、花街のあった辺りを指して「綺麗な女の人が大勢いてねー」などと教えてくれたことがあるし、花街はなくなっても花街を相手に商売していた商店とかは今でも存続している。
戦後に花街自体がなくなった後も、映画の撮影か何かで使われたことがあったらしい。
とにかく私はそこに「負の歴史」など感じたことはないし、その地域を特に避けて暮らしたような経験もない。
何年か前、ふと思い出して、私の実家の具体的な地域で検索した。
そうしたら、所謂花街の研究者か趣味者というのか、そういう人がまさに私の近所でフィールドワーク?をしていることがわかった。
ほうほうと思いながら見ていたら、その花街の歴史が、「複雑な歴史」的な描写で描かれていた。まるでうちの近所が遊女の死体を積み上げて繁栄したみたいな書きっぷりだった。
んんん???となって、その人に限らず他の花街探検系(変なジャンルだな)の人の記事とか見たら、何かどれも同じ書きっぷりだった。
「この街の繁栄は遊女の犠牲の上で出来ていた……」「地元の人はそれを知っているのだろうか……」みたいな。
いや、近所にそういう歴史があったの別に子供の時(平成中期)から知ってるし、それについて何とも思ってないのだが。
特に鼻についたのは、遊郭研究者たちの、「自分の研究は覗き趣味ではない!」みたいな変な自意識だ。
〇〇ディープ案内みたいなのに影響を受けてドヤ街に行き地元の労働者の顔をバシャバシャ撮って「これが日本の真実!」みたいなことをやっても、それが薄っぺらくて日本の実情なんか何にも反映してないのはわかるだろう。
廃墟探検とかして私有地に入ってバブルの残り香がどうとか耽美ぶっても近所の人間には迷惑でしかないだろう。被差別部落とされる場所に行って「ここは部落ですよー!悲惨な歴史がある街ですねー!うわーホルモンだー!」なんてやる奴はましてだ。
だがそれが「遊郭」になると途端に高尚な研究になり、また地元民を指して「あなた方はこの歴史を本当に誇りに思ってるんですか?」的な問いかけまでし始めたりする。
いい加減にしてほしい。あんたがたはただ外からきて勝手に街を貶してるだけだ。しかもそこは廃墟ではなくまだ人が住んでいる場所だ。
遊郭(跡地)にもそれこそ「複雑」な歴史はあるだろう。だがそれは八百屋とかパン屋とか花屋にもそれぞれの歴史があるのと同じことでしかない。もちろん現代の性風俗やラブホテルとかでも同じだ。
「過酷さ」は別に遊女とかにかぎったことではなく、農民でも漁師でも商人でもみんなが被っていたことだ。ただ「性」「セックス」が絡むだけで注目するなら、それはモンド映画的趣味と全然変わらない。
私は地元の歴史に何の負い目とか感じないし、別に「遊郭で町おこし」とかやっても全然かまわないと思っている。この街で暮らしていた漁民も農民も侍もそして遊女も、露骨に言えば繰り広げられたセックスも、みんな絡み合った歴史の一つだ。
それを忌避したり、何なのか知らないが清廉ぶって「悲しい歴史……」などと暗黒時代の様に彩ることこそ、逆に過去の人々に失礼だろう。
村上隆が日本の現代美術は世界に通じないとかTwitterでイキってた頃に田中功起がヴェネチア・ビエンナーレで特別賞取って、
別にオタクアートとかの文脈じゃなくても日本の現代美術は世界に通じてるじゃん、てなったあたりから風向きが変わって
展覧会でスタッフへの指示書きがパワハラ剥き出しだったり、アニメ制作に失敗したり、会社が倒産しそうって言い出したあたりで地に落ちて、
お土産屋とのコラボとかはじめて経営も大変なんだなという目線になり
最近また何か目立ち始めたけど、もう過去の人だなあという印象。
結局、村上が主張する富裕層向けのアートの世界っていうのが、いつまで経っても日本からはそんなに影響力があるものとして見えてこない。
KAWSとかアーシャムとかそういうファッションブランドとコラボするような人たちの作品を指しているのかな?と思うけど、
日頃美術館に通って現代美術を見てる人には突然そんな展覧会をやられても文脈が理解できなくて価値がわからない。
そういう種類のアートもNFTとかで調子に乗った挙句最近はバブルが弾けて落ち目になったと聞く。
今、村上隆コラボのブランド物を身につけてるお金持ちっているのだろうか。
結局彼がなりたかったような現代アーティストとしても失敗してしまったんじゃないだろうか。
そういうのは、意味がないんだ
歩けないだろ?という話
割れ窓理論でダウンタウンは綺麗にしようって言えば、多くの人は賛同するはずだ
自分の中にそういう価値観がある事を屁理屈言ってるエロ表現の自由戦士だって理解できてるだろうに
1980年くらいの萌え系エロ漫画とか、今読んだら普通に一般紙に掲載できるって感じるぞ
アヘ顔だオホ声だ感覚遮断だ、いろんなのが発明されて、どんどんと先鋭化してる
昭和の頃は、劇画でも無けりゃ漫画の人体は適当に省略されたものだった
スカートめくりだって問題になっても、生々しさなんか欠片もない(逆にそれが問題を大きくした可能性があるが)
それが、顔だけ幼児の(目が大きくて小顔は幼児の特徴)体が大人っつう絵柄で、まん隠しにシャワーボトル置いて、問題なしとくる
チャンピオンREDいちごでは一般紙の限界に挑戦だのやり始めた
それをウホウホ悦んで消費する馬鹿が
「表現の自由は過去の人たちが血を流して築き上げた権利だ(キリッ」とかやる
ゾーニングなど許されないってな