はてなキーワード: 神道とは
釈迦(ブッダ)はバラモン教の階級制度・有料儀式・神々への依存を徹底的に喝破した。
金銭で功徳を買う行為など、想像すらしていなかったはずだ。それが特に日本では、死後の戒名授与や高額お布施を伴う「葬式仏教」として定着した。なぜ、輪廻からの完全脱出を理想とした教えが、死者供養のビジネスに変貌したのか。原始仏教の思想と大乗仏教の展開、そして日本独自の歴史的必然を、独立した視点で整理する。
紀元前5世紀頃のインドで、釈迦は当時の宗教界を根本から批判した。バラモン教は祭祀・呪術・金銭による功徳取引を基盤とし、永遠の魂(アートマン)を前提に輪廻を語っていた。これに対し、釈迦は諸行無常・一切皆苦・諸法無我の四法印を掲げた。世界は瞬間ごとに生滅し、固定の実体(我)はなく、生老病死は避けられない苦である。
出家者(比丘)に対する戒律は厳格だった。律蔵(Vinaya Pitaka)では、金銀の授受を明確に禁じている。「比丘よ、金銀を受け取ってはならない。他人に受け取らせてはならない。これを破れば捨堕の罪である」(Nissaggiya Pācittiya 18)。布施は自発的な喜捨でなければならず、対価としての儀式販売は許されなかった。葬儀自体も、僧侶の直接関与を避ける傾向が強かった。死体は「穢れ」とされ、修行の妨げになるとされたからだ。
「完全な消滅」(無余涅槃)が理想で、永遠の魂を前提とする常住論も、すべてが無になるとする断滅論も、ともに「中道」から逸脱した邪見とされた。
神頼み・儀式依存・金で救済を買う商売を、毒矢の譬え(矢が刺さったまま原因を詮索する無益さ)で一蹴した。目的は個人の解脱であり、組織化された宗教団体すら、釈迦自身は最小限に留めた。
釈迦没後約500年後、インド北部で大乗仏教が興った。「小乗」(上座部)と自らを区別し、「大いなる乗り物」として一切衆生の救済を掲げた点が決定的だった。原始仏教の個人解脱に対し、大乗は菩薩道を理想とする。菩薩は自らの涅槃を遅らせ、衆生を救うためにあえて苦行を続ける。
衆生の能力や文化に合わせて教えを柔軟に変容させる手段だ。これにより、厳格な出家戒律や無神論的性格が緩和された。
中国に伝わった大乗は、現地の祖先崇拝や道教的儀礼と融合。死後供養・功徳回向が積極的に取り入れられ、在家信者向けの浄土信仰(阿弥陀仏による救済)が拡大した。戒律も大乗戒(梵網経など)として再解釈され、菩薩の利他行を優先するようになった。
この方便は、仏教の「生存戦略」でもあった。民衆に広まるためには、現地文化に適応せざるを得なかった。しかし同時に、原始の精神を薄め、儀式・供養・経済的布施への依存を許す土壌を生んだ。インド・中国ではまだ「死後ビジネス」までは発展しなかったが、日本への伝播で決定的な変化が起きる。
仏教は6世紀に日本へ伝来したが、当初は国家鎮護・貴族の氏寺として機能した。飛鳥・奈良時代、僧侶は葬儀に直接関わらなかった。死の「穢れ」を嫌う神道的な観念が強く、官僧(国家公認の僧)は死体に近づくことを避けた。
転機は鎌倉時代だった。遁世僧(とんせいそう)と呼ばれる民間僧が現れ、死の不安に苛まれる庶民のために葬儀・供養を積極的に担った。
1630年代、幕府はキリスト教禁制のため寺請制度(檀家制度)を全国に施行した。全庶民をどこかの寺院の檀家に強制登録させ、寺が戸籍(宗旨人別改帳)を管理。出生・死亡・婚姻の証明を発行し、死体検分まで行った。結果、葬儀・法事・戒名授与が寺の独占業務となった。戒名(死後与えられる仏弟子の名)は、元々出家者の生前名だったが、日本では位階付き(信士・居士・院号など)で一般化し、「長い戒名=高額お布施」という金銭取引が生まれた。
荘園崩壊後の寺院経営危機も、檀家からの継続的布施を必要とした。こうして、原始仏教の「金銀は毒蛇のごとし」という戒律は、遠い過去のものとなった。
江戸幕府は仏教をキリシタン摘発の道具に利用した。信仰の自由などなく、寺檀関係は義務だった。
大乗の方便が、日本古来の祖先崇拝・家制度と結びついた。死後の供養は「家」の存続を象徴し、戒名は家名を仏教的に昇華させる手段となった。
少子化以前から、寺院は布施に頼らざるを得なかった。方便の名の下に、原始の喝破精神は置き去りにされた。
浄土真宗のように法名を簡素化・生前授与する宗派もあるが、多数派は戒名料を伴う葬儀中心だ。
今日、寺離れ・直葬(火葬のみ)の増加は、この歴史的矛盾を浮き彫りにしている。原始仏教の視点から見れば、戒名料や葬儀独占はブッダの教えに明確に反する。金で徳を買う行為は、貪欲を増長させるだけで、涅槃の道ではない。
大乗の方便は、仏教を世界に広めた功績がある。しかし、少子高齢化で檀家減少が進む今、僧侶自身が「生活仏教」への転換を模索している。生前からのつながり、戒名なしの俗名供養、原始の喝破精神への回帰―これが、本来の仏教が「葬式屋」から脱却するための道かもしれない。
アンチ宗教の精神を忘れたとき、仏教は単なる葬儀屋となる。2000年の歴史を振り返り、私たちは再び「中道」を問う時を迎えている。
とりあえずは、神仏習合あたりを読めばいいと思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E7%BF%92%E5%90%88
最初は日本の土着の神道の神々は立場が弱った。大陸から進んだ仏教が入ってきたからね。
でも、時の権力者の都合によって、どっちが主になるかを巡って、いい感じに宗教が使われてきた結果だ。
で、いろいろあったすえに、
江戸時代になると住民を管理するために、仏教を主にして、寺請制度が作られた。
明治になると天皇を主役に建てるために、神仏分離で神道が主になった。
だけど長い間続いたのをいまさら切り離せず、イベントは神社、葬式は寺という風になっていった。
今でもお葬式で坊さんがお経上げたりしてるでしょ。
こんな感じで、時の権力者の都合でいろいろ混ざってカオスな感じになっていった。
なお、日本におけるクリスマスは、WW2後のクリスマス商戦あたりからかな。アメリカのホリデーシーズンのかき入れ時なのを真似したものだ。
アメリカ株が年末年始に上がりやすい理由の一つは、この最大のかき入れ時のホリデーシーズンがある。(アメリカ株が上がれば日経も釣られて上がる)
日本の神道は経典もなければ開祖もいないから宗教観がないし信者もいないように見えるけど
教義である「清真であること」というのが大体の日本人が(多くの諸外国人よりも)戒律のように遵守している傾向にあるから日本国民の多くは神道を信仰していると言える
嘘(あるいは事実かわからん話)とファンタジーは区別をつけたほうがいい(あるなしの1ビットではなく程度の差を考えるべき)という話をしてる
12月25日にキリストが生まれた日とか2月11日に日本が建国されたというのを事実と思い込むのと
ヤマタノオロチが実在したとか死人が生き返った話を事実と信じるのでは雲泥の違いがあるし
ヤマタノオロチが実在してると信じる日本人の比率とキリストが生き返った話を事実と信じるキリスト教徒の比率ではおそらく後者のほうが高いだろう
昔のことほど事実かわからなくなるとしても事実がわからないこととファンタジーを信じることも混同すべきではない
あと「日本人もそうだから」というのは根本的に反論になってない(一神教と神道の優劣を論じたかったのならそれでいいが)
キリスト教であれ神道であれ宗教が世間に浸透してるとファンタジーと現実の区別がつきにくくなるんだねという結論にしかならない
はい、戦時中(特に昭和10年代後半~1945年頃)に「国家神道」という具体的な用語が使われていたのは、ごく一部の限られた場面だけでした。一般的・日常的に広く流通していた言葉ではなかった、というのが正確な理解です。
gendai.media
「国家神道」という言葉は、帝国議会での一部議員の発言(例:1908年・1911年の小田貫一議員の発言)や、神道学者・内務省・陸軍省関係者の専門的な議論、軍部や学術文書の中で散発的に見られる程度でした。
しかし、一般国民向けの新聞・雑誌・教科書・プロパガンダ、学校教育、日常会話ではほとんど登場しませんでした。代わりに使われていたのは「神道」「神社神道」「国家の祭祀」「皇道」「国体」「惟神の道」などの表現です。
軍国主義が強まる中で、神社参拝・遥拝・戦勝祈願・八紘一宇・聖戦などの実践やイデオロギーは確かに国家的に推進され、国民生活に深く浸透しました(教育勅語の読み上げ、神社への強制的な寄付や参拝、靖国神社の位置づけなど)。
しかし、それらを一括りにして「国家神道」と呼ぶ用語自体は、依然として専門家・官僚・軍部内の限定的な文脈でしか使われていませんでした。
一般大衆やメディアでは「神ながらの道」「天皇の道」「国体精神」といった言葉が主流で、「国家神道」というカテゴリー名はほとんど普及していませんでした。
なぜ「ごく一部」だったのか当時の公式スタンスは「神社神道は宗教ではない」(国家の祭祀・道徳教育・愛国心養成のための非宗教的施設)というものでした。これを「宗教の一形態」として「国家神道」と名付けてしまうと、憲法上の信教の自由と矛盾する恐れがあったため、用語として避けられていた側面があります。
GHQの神道指令(1945年12月)で、初めて「国家神道(State Shinto)」が明確に定義・命名され、戦後の歴史叙述で一気に広まったのです。それ以前は、実態(国家管理の神社体系+天皇中心のイデオロギー)はあっても、統一的なラベルとして定着していなかった。
まとめ実態(国家が神社を管理・利用し、天皇崇拝を国民統合のツールにした体系) → 戦前から戦時中まで強く存在し、特に戦時中は軍事動員に活用されました。
「国家神道」という用語 → 戦前・戦時中はごく一部の専門的・官僚的な文脈でしか使われず、国民一般には馴染みの薄い言葉でした。
つまり、あなたの理解「戦時中に使われていたのはごく一部だけ」は、用語の使用頻度・普及度という点では正しいです。ただし、実態としての「国家神道的な仕組みや思想」は戦時中にかなり強力に機能していた、という区別が大事です。戦後のGHQがこの用語を導入して「軍国主義の源泉」として批判的に総称したことで、今日のイメージが形成された部分が大きいと言えます。
前々から思っていたら
フランス人「神道では神様が何百万もいると聞いたが、どうやってどの神様に祈ればいいのかわかるの?」→神様の概念を説明するリプが集まる - Togetter
近しい話題が出てきた
神への祈りと「天罰」と、SNSにみる宗教観 米 - CNN.co.jp
まず目立ったのは、「神の加護」を祈るメッセージだ。ニューヨークの街やニュージャージー州の海岸の惨状が伝わるにつれ、「アラーの神よ、人々に安全を」「無事を祈ります、アーメン」と、宗教や国籍にかかわらず、世界各地から祈りの言葉が寄せられた。
日本だとこういうタイプの祈り方はあまりしない気がするのだけど、という話
自分が知らないだけかも 実際は出来る/普通にやってるのだろうか
「世界中から戦争がなくなりますように」と言ったら、炎上したのはなぜ? | Books&Apps
世界に影響を与えるかどうかは極論どうでもよく、ただただ「祈らずにはいられない」という人だっているだろう
そのような人が「世界中から戦争がなくなりますように」と言った際に、そこに政治的な色を見出されるのは不幸なことだなと思う
そこで私は日本的宗教観からくる宗教色がついた(≒宗教色を政治色を見出されにくい、純粋に痛めた心を慰撫するような)「世界中から戦争がなくなりますように」という祈りが日本の神相手にはできないのかも、という点にもどかしさを感じる今日この頃
天変地異にたいして祈る事は出来そうな気もする でもそれって「祟りを鎮める」的なやつに感じるなあ 戦争紛争何らかの悲劇に対して同じようにできるのかなあ
軍神はいるけれど もっぱら戦死者の慰霊とか戦勝祈願で登場するイメージ
だって、神社で「世界平和を祈った」とか言う人がいたら場合によってはジョーク扱いされるじゃない、という話 「普通は個人的なことについて願掛けするものだよ」とでも言われそうな気がする 七夕の短冊とかでもそう
おわり
天皇は長らく「便利な神輿(みこし)」として担がれ、権力者やイデオロギー勢力に利用されつつ、本人の意思や伝統的な神社とのつながりはしばしば無視・切断され、時には「拗らせた連中」のクーデターや暴走の口実にされる——という皮肉な状況が、江戸後期から戦前まで繰り返されました。以下でまとめます。
天皇は将軍や摂関家、武家政権の正当性を与える「権威の源泉」として機能。実際の政治・軍事は幕府や貴族が握り、天皇本人は宮廷内の儀礼・文化に留まるケースが多かった。後醍醐天皇の建武の新政(1333-36年)は珍しい親政試みでしたが、武士の不満・恩賞問題・現実離れで3年で崩壊。足利尊氏の反乱を招き、南北朝分裂へつながりました。天皇の「意思」が尊重されたというより、理想論が暴走した例です。
水戸学・国学が天皇を「国体の中心」「神聖なる君主」に再定義。吉田松陰ら志士はこれを倒幕の論理に利用しましたが、天皇(孝明天皇など)の実際の意向より、論者たちのナショナリズムが優先。結果、天皇は「尊王」の象徴として担がれ、維新後の権力闘争の道具にされた側面が強い。
明治維新以降、この「神輿」性はさらに近代的に洗練されました。
決定的な切断点です。
• 明治政府は「祭政一致」を掲げつつ、神社を「国家の宗祀(非宗教の公的祭祀)」に位置づけ、神職を官選・世襲廃止にしました。伝統的な神社勢力(吉田家・白川家などの既得権)や神仏習合の慣習は剥奪・排除。
• 天皇は伊勢神宮を頂点とする全国神社の象徴的頂点に据えられましたが、実務的なつながりは官僚(内務省神社局など)が管理。天皇の意思より、国家の国民統合・イデオロギー装置としての利用が優先されました。
• 真宗(浄土真宗)側の「神社非宗教論」策謀も絡み、神道勢力を抑えつつ、天皇祭祀だけを「宗教未満」として残す形に。結果、神社は国家の管理下で「便利に」使われ、天皇と神社の伝統的ネットワークは大幅に切断されました。
伝統を「スッパリ切る」ことで、天皇を近代中央集権国家の柔軟な象徴に再定義したのです。
昭和期になると、天皇はさらに「意思を尊重されにくい」立場に置かれました。
軍部・右翼が天皇を「世界の親」「万民の赤子」の象徴に勝手に拡大解釈。記紀の神話を都合よく世界普遍主義に読み替え、侵略イデオロギーの正当化に利用。
皇道派青年将校らが「昭和維新」「尊皇討奸」を掲げ、首相・大臣らを暗殺・占拠。「君側の奸」を排除すれば天皇親政が実現すると信じ、行動を起こしました。しかし、昭和天皇は激怒し、「朕自ら近衛師団を率いて討つ」とまで言い、鎮圧を強硬に命じました。将校たちは天皇の「大御心」を勝手に解釈していただけで、実際の天皇意思は無視・逆手に取られた形です。事件後、統制派が台頭し、軍部の独走を加速させる皮肉な結果に。
ここでも、天皇は「尊皇」の神輿として担がれましたが、拗らせたイデオロギー勢力(青年将校ら)の暴走の口実にされ、本人の明確な意思表示(稀だった)がなければコントロール不能でした。終戦時(1945年)の聖断のように、天皇が明確に意思を示した例外は少なく、ほとんどの時代で「担がれる側」でした。
• 権威 vs 権力の分離:天皇は万世一系・神聖性の「権威」を持つが、政治実権は少ない。これが「神輿」の便利さを生み、江戸の尊王論→明治の国家神道→昭和の軍国主義で繰り返し利用された。
• 意思の尊重されにくさ:後醍醐天皇のように親政を試みても失敗し、明治以降は国家・軍部が天皇のイメージを「勝手に付託」。神社との伝統的つながりも切られ、孤立した象徴に。
• ナショナリズムの道具化:水戸学・国学から始まる再定義が、天皇を柔軟なイデオロギー装置に変え、「意味不明な主張」(世界万民が天皇の赤子など)を可能にした。
戦後、神道指令で国家神道は解体され、天皇は象徴天皇制にシフトしましたが、この「神輿」としての歴史的遺産は、象徴性として残っています。
今回のイラン侵攻で、イスラエルがヤバい極右カルトに支配されていることと、そいつらがトランプの支持母体であることが改めて認識できたことかな。
敬虔なキリスト教徒で聖書に書いてあることはすべて真実と思っている人に、それならこのイスラエルの地は神がユダヤ人に上げたわけだから、彼らのものだし支援するべきだよねと誘導しまくった結果の出来事だと思う。
1990年代のオスロ合意の頃はイスラエルも歩み寄れたのに、今や完全な侵略者になった。
停戦合意もどうせそのうちイスラエルかアメリカが3度目の卑怯なだまし討ちで破るんだろうなと思っていたけど、まさか1日も絶たずに破られるとは思っていなかった。
NYTIMESに開戦への経緯がまとめられているけど、いくらイスラエルのネタニヤフにビデオ見せられて唆されたとしても、イスラエルを非難できないよね。
彼が同盟国はガンガン非難するのに、イスラエルを一切非難しないのはその証左だと思う。
How Trump Took the U.S. to War With Iran
トランプ大統領がどのようにして米国をイランとの戦争に導いたのか
https://www.nytimes.com/2026/04/07/us/politics/trump-iran-war.html
日本もキリスト教カルトや仏教カルト、神道カルトのような宗教団体が政治家といろいろやっているらしいけど、
あの、日本の場合の仏教でも神道でもキリスト教でもない、謎の集団協調性強要のしきたりテンプレみたいなのって何に由来するんだろうな。海外でもあんな感じなのか?アメフト部チアリーダー部とかスクールカーストのいじめ構造みたいな文化はあるってアメリカのドラマとかでもよく見るけど。旧日本陸軍とかも「あんな感じ」なのかな。よく珍走団とか暴力団とか昭和の映画に出てきた応援団とかが同じ「制服」きて「オッスオッス先輩ご苦労さんッス」「おタバコ火つけます」ってやるじゃん。ああいう振る舞いってどこで教わるの?言語化されているのかな?