はてなキーワード: 借りパクとは
トンチンカンな記事が多いので10年後に「ほらね」と言いたいのでデジタル記録してここ匿名日記にテキストを残す
この制度導入の真の目的をわかってる人がいない、言及している人がいない
奴らは罰金を取るのが目的ではない、自転車の事故を減らしたいわけでもない。交通の円滑化などどうでもいい。
国民的大議論、批判の末に導入された3%の消費税、当初は未来永劫税率を上げませんなどと言うてた政治家もいるが
30年かけて10%まで引き上げた。目的税のはずがその分配もしれっと変わっている、ゆっくりと、国民を騙す
1,自動運転
2,保険会社
日本は道路が物理的に狭い。近代化が始まった時点ですでにスプロール化が進んでおり、しかし政府の財政状況は厳しかった
国家全体で計画的にグランドデザインを実施する余裕がなく、戦後はさらに憲法29条、私有財産の保護規定が強烈になり都市設計の実行そのものが不可能になった。しかし戦後復興は自動車産業に賭けるしかなかった。
案の定事故は激増、しかし昭和40年代、死者激増のなか警察庁は全国の警察に指示(通達)を出した。
平成になってからこの通達は取り消されたので公式な記録(Web)は無い。
しかし「昭和42年8月1日の警察庁通達」でググれば出てくる。
若い人には驚きの内容だろうが、日本とはそういう国だったのだ。
さて、とはいえ交通事故被害者の弱者救済は手厚くしなければならない、批判が起きる。
そこで自動車には激甘(ちなみに現在でも先進諸外国と比べて日本の交通取り締まるは非常に甘い)にしつつ、歩行者、自転車に対しては過失割合の認定や被害補償に対して不合理な傾斜をかけた。
自賠責保険は被害者(歩行者、自転車)の過失割合の4割まで無視して満額補償される
つまり歩行者(自転車含む)の過失(信号無視など)が4割と認定されても自賠先保険による補償は100%受けられる。
さて、ちょっと前に話題になった自賠責保険の政府借りパク問題を思い出して欲しい。
この4割分の負担、さらには無保険車に被害にあった人の被害補償、が本来はこの借りパクしてる予算の指定業務なのだ。
この4割の線引を変える、自賠責保険の負担を減らすのが自転車青切符導入の目的である。
過失割合、補償額の認定は過去の膨大な判例が、通称赤い本、青本に纏められている。
シチュエーションごと、どちらがどこまで過失割合を負うか、賠償額はどうするか。決まってる。
これの現在の基準が弱者保護に強く傾いており自動車が不利なのだ。
ところが、自動車運転手はさほど気にならない。どうせ保険が処理するから、割合がどうであれ自分の支払額はそう大きく変わらない。
そういうふうに制度設計している、自動車を増やしたい政府の意図。
交通事故を起こした程度で人生詰むようでは自動車怖くて誰も買ってくれない(42年通達にはそういう意図もある)
昭和のカオスの交通社会に無理くり辻褄を合わせたバグが現代まで残ってる
さて、線引を変える、自転車、歩行者側の有責性を認め、自分でケツを拭かせる。それで負担が減るのは自賠責保険事業、政府の財布である。
自賠責保険は民間保険会社が担っている。保険会社の収益性が改善する。
自転車も違反がある自動車との事故、従来なら3:7で過失割合を取っていたシチュエーションだとする。
これを、
自転車も車両です!責任あるんです!取り締まり強化して周知もしましたよね!法律も啓蒙しましたよね(←これ大事)
で、4:6、5:5に変えていくのだ。それで儲かるのは政府、保険会社。違反した自転車だけが損をする
この変化は少しずつ、ゆっくり、気づかれないように判例の変更で積み上げて変えていく。
さらに政府が上手いのは特定小型導入。自転車が厳しく青切符切られ厳格に道交法の遵守を求められるなら、特定小型でよくね?になる。
特定小型が増えると、法的な意味、事故時の過失処理の観点から見て旨味がある(かつ今後育てる)のは保険会社である。
同じ事故のシチュエーションでも自転車と特定小型では過失割合が変わる。さらに特定小型は保険も必要。
ヘルメット、努力義務ですよ、違反ではない、でもヘルメットしたほうが安全だとは十分に周知しましたよね?
でも被らなかったのは利用者の過失だよね。こんな理屈も持ってくるだろう。
さて、重要なのは自動運転。日本の道路は狭い、だけど社会の要請、国際競争の観点から無視はできない、いずれ導入しなきゃならない
現在は車道走ってる自転車を自動車が追い越すが、ほぼ違反。道交法30条は関係ない、70条違反。
30条の「(軽車両を除く)」は軽車両を追い越すなら他の違反は免除される、という意味ではない、勘違いしてる人が多い。
ましてや「軽車両は追い越せ」ではない、ここまで勘違いしている人が結構いるので先に注意しておく。
日本の道路で自動運転を導入したら詰む、コンピューターは能動的に違反運転などしてくれない。
判例では自転車の側方1.5m空けなきゃならない。物理的にそんな余白は無い、日本の道路は狭いのだ。
1.5mの幅を狭くする、そのために自転車の不規則な挙動を法的に抑制する。
つまり、グリーンベルトは自転車専用通行帯ではないが、自転車がここからはみ出してくることまでは予見可能性に含まなくて良い
これを法的に担保するため、自転車の違反取り締まりの強化、特定小型の導入なのだ。
(このへんのロジック接続は法律を知らない人にはピンとこないことは承知するがそこまで書くと長くなりすぎるので自分で考えてくれ)
いずれにせよ答え合わせ出来るのは早くて5年後、その時、ほらね、ボクはわかってたから前に書いたんだよね
と言いたいので、書いておく。以上です。
前に「生まれた環境に恵まれなかった子供たちの支援に関わっていたけど、あいつらクズばかりだ。途中から『もうこいつら不幸になろうがならまいがどうでもいいわ、養分として搾取されて生きろ』と思い始めた」と言ってるエントリが昔話題になってたけど、
それは虐待被害者が被害により、虐待に遭いやすい性格に育ったからじゃないかと思う。
こんな話を読んだ。
http://www.kitimama-matome.net/archives/59904730.html
虐待に遭った知人がいる。
暴力とか暴言とか、性的なこと以外で思いつくようなことは全部されてた。
就職して実家を出たと思ったら、そこもブラックな職場だったようで、上司が家に平然と出入りして、趣味のもの(オタク系の趣味があった)を取り上げ、キショい等等の人格否定に遭ったらしい。
苦労して集めたDVDなどを勝手に捨てられたり、ゲームを無断借りパクされたり。(窃盗では?)
知り合い総出で、今の状態はおかしいから病院に行け、仕事も辞めろと説得した。
できれば引っ越して、実家とも絶縁しろという話になり、その人は結局、知人の助けの上で引っ越して転職した。
でも、その後もトラブルは絶えなかった。
何故か新しい職場でも似たような事態になり、ひどいと医者までもがその人に暴言を吐くという。
私はあまり親しくはなかったが、その人の親友とよく話す機会があった。
話を聞いては、なんでそんな事になるんだ?と毎回不思議だった。
数日前、本人と話す機会があった。
もう信じられないほど卑屈になっていて驚いたんだけど、
それより、話しているうちに、私自身がどんどんおかしくなっていく気がした。
うまく言えないんだけど、その人と話してると、何でもその人が悪いような気になっていくんだよね。
何でもかんでも、こじつけみたいな事で自分のせいですごめんなさいって謝り出す。
今日天気悪いねーと言えば、自分がこの日を指定したから、天気悪い日に外出させてゴメンナサイ。
移動で電車が混んでたら、自分との移動に煩わせてゴメンナサイ。
あのアニメ見た?→見てませんゴメンナサイ、自分が無知で話の腰折ってゴメンナサイ。
何が食べたい?→何でもいいです気を使わせてゴメンナサイ。
謝る事ないよってその都度に落ち着かせてたんだけど、なんか段々、面倒になっていってしまうんだよね。
ほんの数時間一緒にいただけで、なんでこいつこんなに卑屈なんだ?面倒臭いなと思ってしまって、
その内に段々と、本当に詐病なんじゃないかとまで思い始めてしまった。
実は全部この人の虚言で、可哀想がって欲しいだけなんじゃないか。そんなのおかしい、私は貴重な休日にこの人を慰めるのに苦労してるんだから、やっぱ本当に謝らせた方がいいのか、と。
絶対にそんなことはないってわかってるのに。
逆洗脳?とにかく、どんどん加虐的な考えが浮かんでくるから、とても怖くなってしまった。
今、その人をブロックしようか迷ってる。
その人が被害者なのは間違いないんだけど、下手に助けようとか思って関わってたら、自分がその人を虐げる側に行きそうで。
でもブロックも十分酷いことだよな…やめた方がいいのか…って、ずっとぐるぐるしてる。
この話から、被害に遭った人は被害を呼び寄せるように変容する、という仮説を得た。
何度もDVされる人、何度も浮気される人、何度もいじめられる人、何度も性被害に遭う人、そんな人はよくいる。生家でも虐待に遭い里親家庭でも虐待される人も…。
あの増田が関わった、親に恵まれない子供達も、虐待に遭っているうちに「こいつ本当にクズ」と思わせ、虐待や搾取を呼び寄せたり「虐待や搾取されても仕方ない」と思わせるように自分を変容させたのだと思う。
ツイッターにもいるだろう。○○に攻撃され、その○○という属性を嫌うようになり、益々○○から攻撃される人が。被害は連鎖する。
虐待被害者がDVするような配偶者と結婚する。これも自己変容の結果だろう。
性被害に遭ったことのあるはずの彼女が、露出の多い服装で夜中に出歩き、平気で男の家に上がる、本当に被害にあったのか?という相談も見た。
「性被害に何度も遭うのは、性被害によって性犯罪に警戒するレーダーのようなものが壊れてしまうから」という分析も見たことがある。
「痴漢にあったら絶対に警察に突き出してやる」と思っていると不思議と痴漢にあわなくなるらしい。加害者は、被害に遭いやすい人の負のオーラを目敏く感知する。
力を加えられたものが、壊れる代わりに凹んだり歪んだりするように。
綺麗だと言い続けると綺麗になる。成績を褒め続けると成績が伸びる。となると、その逆もあるのだ。
負のピグマリオン効果とでもいうのか。
断っておくが、「被害者が悪いのだ」と言いたいのではない。加害者が悪いに決まっている。
被害者を変容させ、幸せから遠ざけてしまうのだから、加害者は一層許しがたい。
それに、加害があるたびに「どうせ被害者に原因があるんだろ」ということはできない。被害者がどんな人間だろうと関係なく加害する人は当然ながら沢山いる。
「被害者の自己変容論」が、加害者の言い訳に使われそうな仮説だということは承知だ。だが、むしろ加害者へのアプローチには使えないか。
虐待する親は「あの子は本当に馬鹿で悪い子で苛つかせてくるんだ!あの子が悪いんだ!」と本気で主張する。DVする奴も同じ。
そんな時「あなたが虐待するから、益々その子はあなたを苛つかせて虐待されやすいように自己変容するのです。あなたのせいです。あなたが変わりましょう」と自己変容論を用いて説得することはできないか。
呪術廻戦という漫画の作者が新作を連載するとして発表されていたところ、実際には呪術廻戦の続編だったらしいが。
それに対する腐女子夢女子といった女オタクの反応に引いている。
初代主人公の乙骨憂太とその同級生の禪院真希という、単行本で仄めかされていた組み合わせのカップル成立が確定した訳だが。それを祝福する声の多さに引いた。
このカップルには
という、男の側と女の側双方に問題点があるんだが。
ファンブックで乙骨には他の女性と恋愛をする可能性が示唆されていたからフラグはあったとか言い張る信者も多いようだけど、
あれはこれから全く関係ない女性と出会って結ばれるという意味に取るだろ普通……。少なくとも里香は真希を明確に嫌っていた以上、真希だけはねーよ。
しかも里香から貰った婚約指輪を借りパクして孫娘に下げ渡すという鬼畜行為。あれは里香が実家から持ち出したものなんだから、里香を捨てたなら返せよ。
禪院家をぶっ壊そうとか言っていた奴等が普通に禪院家の子孫を遺し、実質的に五条家を乗っ取った形になっている。こいつが嫌っていた父親の大勝利である。
「最終回発情期」という言葉は嫌いだし、カップル成立が全て悪いと言うつもりもないが、こいつらだけはくっついちゃいけなかっただろう……。
それに対し、まだ確定していない虎杖や伏黒については愚痴アカウントですらない表のアカウントで公然と懸念を示している人が目に付く。
本編では特に恋人や好きな女もおらず、善良に真っ当に生きていた彼等が自分に想いを寄せてくれる女とくっつき子孫を遺すのは別に問題ないだろ!?
まあ伏黒については義姉に恋愛感情を抱いていたととれなくもないからそういう観点からの批判なら分かるが、どうもそうではなさそう。見た感じ、相手候補の女が如何にも女らしくてあざといタイプだからその観点から嫌っている人が多そう。
真希は一見サバサバ系で妹との百合営業をしていたから騙される人が多いのかね。結局化けの皮が剥がれた訳だが。
結局子孫展開を倫理観から批判する人間からゼロではないにしてもあまりにも少なく、単に自分の推しに女とくっついてほしくなくてそれを公然と発言出来る事にドン引きする。
五条や夏油、七海といった死亡面子推しは高みの見物でカップル成立を祝福していたけれど、お前等の推しも安全圏じゃねえからな!?
純愛売りしていた乙骨があの惨状なんだから、死亡面子も生前に婚外子を産ませていたとか転生してぽっと出の女とくっつくとかの可能性は十分有り得る。そうなったとしても今みたいに祝福しろよ?
あと、近い時期に完結した僕のヒーローアカデミアについても単行本で主人公とヒロインの恋愛展開が描かれたんだけど、
そっちは初対面から良い雰囲気だった主人公とヒロインで何ら倫理的問題は無いにも関わらず公然と叩く声の多さにドン引きしている。
呪術廻戦を比較してヒロアカを叩く声も多いが、あっちはヒロアカで言うならデクがお茶子を捨ててトガとくっついたに等しいよ!?
あー、男オタクと比べてどうこうって話はしていない。あくまで自分が観測した範囲での女オタクに引いたってだけの話。自分も女だからどうしたって女オタクの方が目に入りやすいし、今回の件でこれまでフォローしていた相手に幻滅したのが辛い。
あれは昭和の終わり頃、小学2年生の冬。ドラクエ3が発売された日だ。
朝早く、父ちゃんに「行くぞ」と叩き起こされて、まだ薄暗い中で近所のゲーム屋に向かったんだよ。
昭和の時代ってさ、ゲームは特別な存在だったんだ。ファミコンが家にあるだけでクラスのヒーローみたいな感じだったし、新作のドラクエなんてそれこそお祭りだった。
店に着いたらすでに長蛇の列。小学校2年生の俺には、その行列が果てしなく長く感じたよ。
寒空の下で鼻水を垂らしながら「本当に買えるのかな?」って不安だった。
でも父ちゃんは「大丈夫だ、根性だせ」とか言いながら、俺に温かい缶コーヒーを握らせてくれた。
今思うと、あれはちょっと渋すぎる飲み物だったな。子ども向けじゃないのに、なんか大人の気分を味わえて嬉しかった。
やっとの思いで順番が回ってきて、無事にドラクエ3を手に入れた瞬間のあの感動!箱を握りしめて、家に帰るまでの道中もずっと「早く遊びたい」って気持ちで胸がいっぱいだった。
家に着いてファミコンにカセットを差し込んで電源入れた時のジーって音がたまらなかったよ。ブラウン管テレビ特有の音。分かる?そんでプレイ画面が出た瞬間、もうワクワクが止まらなかった。
でも、ここからが苦い思い出だ。クラスの友達が「貸してよ」って言うから、少し悩んだけど、まあいいかって貸したんだよね。その子も楽しみにしてたし、俺もちょっと大人ぶりたかったんだ。
でも、返ってこないんだよ。何度か「返して」って言っても、「まだクリアしてない」とか言われて、ついにはその子が引っ越しちゃってさ。結局、ドラクエ3は戻ってこなかった。借りパクされたんだよな。小2の俺にはショックがでかすぎて、それ以来、人に物を貸すのがちょっと怖くなったんだよ。
昭和の思い出って、こんなふうに喜びと苦さが混ざってるんだよな。でも、その寒い朝に父ちゃんと並んだ記憶とか、最初にドラクエ3を遊んだあの興奮は、今でも色あせないよ。あの時代ならではの体験だし、あれがあったからこそ、ゲームへの思い入れが強くなったんだと思う。