はてなキーワード: 部署とは
xのこのポストね
https://x.com/child_doc555/status/2053439651193438417?s=46
この旦那が専業主婦の奥さんを見下して、自分が上相手が下と考えているところにはしんどいものがあるが、正直この文はわからなくない
妻が細かい(ワイからすると)どうでもいいことをやたら気にするのは、元々の性格もあるだろうが、人生における責任範囲が狭過ぎるが故に、どうでもいいところを掘り下げるしかないのかな?と感じる。
そのどうでもいい非合理的なこだわりを押し付けることで、自らの存在感と権利と存在価値を必死でアピールしているように見えてしまう。
教育とかコンプラの部署とかで暇してるおじさんって何かトラブルがあると嬉々として出てきて、たくさんの時間話し合い、現場にやりすぎな対応を求めてくるというのを確かに体験したことがある
この旦那側の意見を鵜呑みにはできないが確かにそういう人はいる
まあとはいえ、この旦那は専業主婦に外の世界に行ってもらうために自分で家事育児を担うつもりはなさそうなので残酷な話なんだが
突然だが私は、いい奴である自負がある
会社には真面目に行くし仕事だってする、たまにはサボるが目を付けられるほどではない
休日出勤や残業も厭わない、これくらい経費精算しなくていいや、会社に世話になっているし、と思い申請しないこともある
同僚や上司には気に入らない奴もいるがそれなりには付き合っている
他部署とのつながりを大事にしていると、他部署の飲み会にも誘われ参加するようになった
友人との付き合いもそうだ、基本何か提案されても断りはしない
何か助けてほしいときは言ってくれれば助ける、もちろん私も助けられる場合もある
面倒な役割は率先して受け持ったりする
そんな中、先輩に、お前はいい奴だし仕事もやっている、そろそろ昇進ではないか?と言われた
いやいやまだ早いっす、〇〇さんとか××さんが先でしょう、と返すも、自身の売り方が間違っていないことに手ごたえを感じた
昇進したら飯くらい奢ってやるよ、何が食いたいか考えておけよ、と言われる、ありがたい
その代わり昇進しなかったらお前が奢れよwと言う、周囲もなぜか同意する、つられて私も同意する
じゃあ辞令が出るその日の夜は空けておけよ、と言われ各自デスクに戻る
その後昇進が無事決まったんだが今日の今日まで一ヶ月ほど何もない
私自身が、昇進したんで奢ってくださいよwと言えるタチではない
先輩の中には私が昇進しないとわかった瞬間、増田さん今日ご馳走してくれるってマジすか?wと煽ってくる人も居るだろう
その時気付いたのである、私は勝ちの目がないギャンブルに付き合わされていたということに
会社にも友人にも家族にも、反撃することなく言われたことを受け入れているのを先輩は見ている
思えば容姿の事や先天性疾患の事なども貶されたこともある、裁判に勝てるような事例も多少はあるかもしれない
気の【いい奴】というより、都合の【いい奴】なのである
嫌いになったらすぐ離れられる友人の言うことを聞くなら、生活に直結している仕事の付き合いのある人の言うことは聞くだろう
いい奴を辞めることによって私は社内に居場所がなくなるのではないか
第三部 内容で勝ち、現実で負ける
社名は伏せておく。
商社系の、若手にもそれなりに権限が回ってくると言われている会社だった。
配属された部の課長は論理的な人で、私の作る資料の精度をある程度評価してくれた。
問題は二年目以降に始まった。
ある新規プロジェクトの立ち上げに関する会議で、部長が明らかに前提条件の数字を間違えていた。
市場規模の試算根拠が五年前の業界レポートに依存していて、その後の市場の変化を反映していなかった。
私は会議の中盤でそれを指摘した。
「すみません。その市場規模の数字、ベースになっているレポートが古いです。直近三年で市場構造が変わっているので、現状の数字はその試算より三〇%程度小さいはずです。私の試算では、こちらになります」
試算表は、出典付きで再現可能な形にしてあった。
部長はしばらく画面を見ていた。
「うん、わかった。数字の話はまた別の機会にしよう。今日は方向性の話をしている」
「いえ。方向性は市場規模を前提にしているので、市場規模が違えば方向性自体が変わります」
部長はもう一度、私を見た。
今度は少し、目に疲れがあった。
「君の言うことはわかった。あとで個別に話そう」
会議は、私の指摘を反映しないまま進んだ。
「お前、ああいう言い方やめたほうがいいぞ」
「内容として間違ってるか?」
「内容は合ってる。けど部長の顔、潰しただろ」
「顔の話なんかしていない。事業の話をしているんだ」
同期はため息をついた。
「そう。そうなんだよ。お前はいつも事業の話しかしない。だから、お前以外のみんなが何の話をしてるのか、お前にはわかってないんだよ」
そう言って行ってしまった。
私はその言葉をしばらく考えた。
考えた末に、こう判断した。
そして忘れることにした。
理由は表向きには、「別のプロジェクトに君のスキルが必要だから」だった。
私が回された別のプロジェクトは、ほとんど何も動いていない塩漬けに近いものだった。
私は課長に直接抗議した。
「私の指摘が間違っていたのですか」
課長は少しだけ困った顔をした。
「指摘の内容は間違っていなかった」
「では、なぜ外されるのですか」
「内容ではない。理由は内容ではないんだ」
「では、何ですか」
それから、こう言った。
「君は正しい。けれど、君と一緒に仕事をしたいと言う人間がいない」
その瞬間、自分の中の何かが冷たく固まったのを覚えている。
私は課長を見た。
できるだけ感情を出さずに言った。
「では、正しさよりも好かれることのほうが評価されるのですか」
課長は私を長く見た。
それから言った。
「そうじゃない。仕事は一人ではできないから、一緒に仕事ができる人間になることも能力のうちなんだよ」
私は頷かなかった。
このパターンが三十代を通じて繰り返された。
三回、転職した。
会社が変わっても結末は似ていた。
次の半年で、私の指摘が人を傷つけるようになる。
私は毎回、辞めるとき同じことを思った。
そのとき初めて、こう思った。
これに気づくのに二十年かかった。
二十年だ。
君がこれを二十二歳のうちに気づければ、私より二十年得をする。
二十年は長い。
本当に長い。
ここでKの話に戻る。
Kとは大学を卒業してから、ほとんど連絡を取らなくなっていた。
年賀状が最初の二、三年は来ていたが、私が返さなかったので自然と途絶えた。
記事は、ある業界の中堅企業の新規事業立ち上げに関するものだった。
写真の中のKは、大学のときと同じように口を大きく開けて笑っていた。
少しだけ太っていた。
けれどKは外されなかった。
なぜか。
Kは失敗の途中で、社内の他の部署の人間を何人も巻き込んでいたからだった。
開発の係長。
経理の若手。
Kは新規事業のために、社内のいろいろな人間に頭を下げて知恵を借りていた。
失敗が見え始めたとき、その人たちがKを助けた。
そう言ってKを庇った。
Kは結果として責任者の座を維持し、二年目に軌道修正に成功した。
「最初の半年で失敗したのは僕のせいです。市場の読みが甘かった。けど、その失敗を直せたのは僕一人の力じゃないです。社内のいろんな人が一緒に直してくれた。だからこれは、僕のチームの成果なんです」
私はこの記事を何度も読んだ。
そして初めてわかった気がした。
Kは最初から、「一人で正解を出す」ことを目指していなかった。
Kは最初から、「みんなで間違えて、みんなで直す」ことを戦略としていた。
私はずっとKを軽く見ていた。
Kは内容で勝てないから、人と仲良くするのだと思っていた。
違った。
だから内容で勝つかわりに、内容を直せる関係を作ることに力を注いでいた。
Kは、私が二十年かけても気づかなかったことを二十二歳のときにはもう知っていた。
中学校か高校のうちに、一度、自分より頭のいい人間に出会っていたのだろう。
そこで、自分が一人では勝てないことを学んでいたのだろう。
Kは十二歳か十三歳のうちに負けていた。
そしてその負けから、人と一緒にやることを学んでいた。
私は十八歳まで負けなかった。
その代償が、その後の二十年だった。
両親が立て続けに亡くなった。
父が先で、母がそのあとだった。
葬式に来た親戚や、父の昔の同僚や、母の友人たちは、私のことを「東大を出た立派な息子」として扱った。
私はその扱いを受け入れた。
受け入れるしかなかった。
葬式の最後、母の友人だったという、私の知らないおばさんが言った。
「お母さん、あなたのことをいつも自慢してたのよ。東大に入ったときも、いい会社に入ったときも。でもね、最近お母さんこう言ってたの。『あの子、結婚はしないのかしらね』って。心配してたわ」
私は笑顔で答えた。
「ええ、心配かけました」
その夜、実家の、自分が高校時代に使っていた部屋で一人で酒を飲んだ。
机の引き出しを開けると、高校時代の模試の成績表がまだ残っていた。
全国偏差値、七十六。
順位、全国八位。
その紙を長い時間見ていた。
そして思った。
三十年前の紙だ。
私はその紙を引き出しに戻した。
戻して、引き出しを閉じて、また酒を飲んだ。
涙は出なかった。
涙が出るような感情ではなかった。
もう少し乾いた、静かな何かだった。
母が亡くなって少し経った頃、私はMに偶然、駅で会った。
Mはすぐに私に気づいて「お前、変わらないな」と言った。
私はMに気づいていなかった。
Mは髪が薄くなり、少し太っていた。
スーツの肩のあたりがくたびれていた。
Mは結婚していた。
子供が二人いた。
Mは私の近況を聞かなかった。
たぶん聞かないほうがいいと判断したのだろう。
代わりに、駒場の頃の話をいくつかした。
「お前、覚えてる? あの語学クラスの和訳の輪。Kがやってたやつ」
「ああ」
「俺、あれに助けられたんだよ」
「助けられた?」
「うん。俺さ、地方から出てきて、最初お前と似たような感じだったじゃん。一人でやれば全部できる、みたいな。けどKがしつこく誘ってくれてさ。最初は俺も、うざいと思ってたんだよ。けど何回か行ってみたら、自分が見えてないところを他のやつが見えてたりするんだよな。それで俺、考え方を変えたんだ。一人で全部やる必要はないって」
Mが続けた。
「あれが俺の人生の、たぶん一番大きな転換点だった。あそこでKに引っ張ってもらえたから、俺、人と一緒に仕事ができる人間になれたんだよ。今の仕事、俺一人じゃ絶対できないからな。役所って根回しの世界だから」
私は頷いた。
Mが私をちらっと見た。
「お前は行かなかったよな、あの輪」
「うん」
「何で行かなかったんだ?」
しばらく答えられなかった。
それから、ようやく言った。
「行く必要がないと思っていた」
Mはそれ以上聞かなかった。
私たちはもう一杯ずつ飲んで別れた。
Mは終電で帰っていった。
最後に「また飲もうな」と言った。
私も「うん」と言った。
私たちはその後、一度も飲まなかった。
二人とも、それをわかっていたと思う。
Kに引っ張ってもらえたから、俺、人と一緒に仕事ができる人間になれたんだよ。
Kは私のことも引っ張ろうとしていた。
「気が向いたら、声かけて」
「一緒に間違えて、一緒に直せばいいんじゃないかな」
Kは私に何度も手を差し出していた。
私はその手を毎回振り払っていた。
Kを軽く見ていた。
そのプライドのために、人と一緒に何かをするということを、生涯、覚えそこねた。
電車の中で初めて認めた。
あいつは、ずっと間違えていたわけじゃなかった。
あいつは、正解を一人で出すことを最初から諦めていただけだった。
だから、みんなで間違えたあと、みんなで直すことができた。
俺は、一度も間違えないために、一度も誰とも直せなかった。
涙はまた出なかった。
「人生は、一度きり」
そんなことが書いてあった気がする。
正確には覚えていない。
ただ、もう一度だけ君に語りかけたい。
君がもし、私に少し似た人間なら聞いてほしい。
勉強がそれなりにできる。
一人でいることを苦にしない。
周りが少し幼く見える。
「言い方」を装飾だと思っている。
人に頭を下げることを敗北だと感じている。
もしそうなら聞いてほしい。
君が会っていないのは、君が悪いからではない。
たぶん環境のせいだ。
中堅校で一番頭がいい子。
学年で目立つ秀才。
これは君の責任ではない。
そこには君と同じか、君より上の人間が必ずいる。
中学生のときから、もっと厳しい競争を経験してきた人間が必ずいる。
それが君のこの先三十年を決める。
選択肢は大きく二つある。
一つは、その人間を軽く見ることだ。
「あいつは要領がいいだけだ」
「あいつは育ちがいいだけだ」
これは簡単だ。
すぐにできる。
何の努力もいらない。
プライドが守られる。
気持ちがよい。
私が選んだのはこっちだ。
そして、その代償をこの四十七年間で払い続けている。
もう一つは、その人間に頭を下げることだ。
「すごいですね」
「教えてください」
「どうやってそんなに上手くやるんですか」
そう聞くことだ。
これは難しい。
プライドが傷つく。
気持ちが悪い。
自分が小さく感じられる。
けれど、こっちを選べる人間は二十年後、ほぼ確実に生き残る。
なぜなら、こっちを選んだ瞬間から、君の能力は自分の能力だけでなくなるからだ。
君は自分より上の人間の能力を、少しずつ自分の中に取り込んでいけるようになる。
これは私が二十年かけて気づいたことだ。
自分より上の人間に、自分の間違いを笑いながら指摘されたときだ。
そしてもう一つ。
これは道徳の話ではない。
君が長く生き延びるための技術の話だ。
「性格をよくする」というのは、誰にでも愛想よくすることではない。
人と一緒にいるときに、その人が「君と一緒にいて楽だ」と感じるように自分の振る舞いを設計することだ。
これを十代後半のうちにやっておかないと、後からやり直すのが本当に難しい。
二十代の後半から急速に固まる。
三十代に入ると、ほとんど固まる。
四十代になると、もう変わらない。
私は四十代の自分を見て、それを知った。
君は今、二十歳前後だ。
固まる前に修正してくれ。
「ごめん」
「教えて」
「自分が間違っていた」
この四つを重く、特別なこととして言わなければならない人間は、私のように誰とも何も直せなくなる。
「私は完璧ではない」
「私は、変われる」
ここで最後に、一つだけ付け加えたい。
私はこれまで、「人に合わせるな」「集団は誤答を選ぶ」「会議はノイズだ」「調整は知性の敗北だ」と思ってきた。
だから誤答を直すには、自分の見え方の外側を持ってくる必要がある。
それを持ってきてくれるのが他人だ。
この関係を若いうちに作っておかないと、君の認知は君一人の中で閉じる。
その罰が、私の四十代だった。
君には、その罰を受けてほしくない。
この手紙を、ここで終える。
書きながら何度か、自分のことが嫌になった。
いや、本当のことを言えば、何度か自分のことをまだ正当化したくなった。
「Kは、俺ほど深くは考えていなかった」
そういう声が、今でも私の中で聞こえる。
たぶん、その声は死ぬまで消えない。
けれど私は、その声をもう信じない。
私は君に、私と同じになってほしくない。
私はもう、どこにも戻れない。
母も父も、もういない。
KともMとも、もう会わない。
私の若い頃のクラスメイトたちは、たぶんそれぞれの家庭で、それぞれの夕食を食べている。
私には夕食を一緒に食べる相手がいない。
これは自業自得だ。
誰のせいでもない。
けれど君は、まだ間に合う。
これから「ごめん」「教えて」「ありがとう」「自分が間違っていた」を毎日言える。
これから人と一緒に間違えて、人と一緒に直せる。
それを君のうちに習慣にしてほしい。
二十歳の君の習慣は、四十歳の君の人格になる。
二十歳の君が人に頭を下げることを覚えれば、四十歳の君は誰かに助けられる人間になる。
二十歳の君が自分の間違いを認めることを覚えれば、四十歳の君は間違える前に人に相談できる人間になる。
二十歳の君が雑談を大事にすることを覚えれば、四十歳の君には夕食を一緒に食べる相手がいる。
これは綺麗事ではない。
最後に、もう一度だけ。
正しさは、人に届かなければ現実を変えない。
一人で正解を出せる人間より、人と一緒に間違えて直せる人間のほうが長く生き残る。
けれど、誤答を直す力もまた集団の中にある。
その集団に、君が入っていけるかどうか。
それが君のこれからの三十年を決める。
私は入っていけなかった。
その理由をたくさん書いてきた。
けれど本当の理由は、たぶん一つだ。
私は怖かったのだ。
その怖さを、私は「孤独を選ぶ強さ」と自分に言い聞かせていた。
それは強さではなかった。
ただの臆病だった。
君が私と同じ怖さをもし持っているなら、その怖さに名前をつけてやってほしい。
「臆病」と。
名前をつけずに、それを「強さ」と呼び続ければ、君は私になる。
長くなった。
これで終わる。
君が今夜、誰かと夕食を食べられますように。
君が十年後、誰かと一緒にその失敗を直せていますように。
君が二十年後、私のように、見知らぬ若者へ誰にも頼まれない手紙を書く人間にならずにすみますように。
これは説教ではなく、
これは祈りだ。
どうか。
私のようには、ならないでくれ。
昔からそうなんだけど、男性とふたりっきりになるのがマジメに苦手。
最初は一日だからと極力会話しない距離を置くで我慢していたけど
2日目は精神的に苦痛すぎて気持ち悪くなって、下痢までしてしまい最後は嘔吐した。
事情を話して場所変えも相談したけど、業務の細かい所が分かっているが私だけで、
ヘルプとしてこれるのがヘルプの男だけと言うこともありダメだった。
結果私は早退して、部署の業務も結局一時休止という事になった。
家に着いて休んでどんどん体調回復していったので
結果的に私が仕事を放置した状態になった事(こればっかりは仕方ない)、
休止になるまで慣れない仕事でワンオペで、業務が終わらず休日出社させられ、旅行の予定が潰れた事、
業務が止まって損害が発生した事もあって、何らかの責任を取らされそうだと言われた。
はぁ、これだから男は苦手だ……
強い目で睨まれたけど、知らんよ……
よくZ世代の文脈で言われる「責任や業務負荷を負いたくない」というよりかは、
会社が言う単純で直線的なキャリアパス(誰しもが管理職を目指す)は自分には何か違う気がしていて、
専門性を極めたくて、PM/PLの経験もしたいけど、プロジェクトを回すためのマネジメントはやりたいし、やってるけど、
でも、会社としては、平、係長、課長、部長になるという、誰しもが目指すべきというキャリアモデルがあって、そのレールに乗れない。乗りたくない。
妻は違う。ていうか、妻のほうが俺より稼いでる。
・上司に対する不信感はある
・妊活のことも上司に話しているが仕事はどんどん増やされる(担当領域が増えた)
・何がどれだけの時間がかかり、それをどれだけ抱えているのか定量的に分かる資料を作成して見せないと納得できないとのこと
・ぶっちゃけ、忙しすぎて作る暇がない。というか、情シスの保守の仕事は定型的ではなく、必要な工数を事前に提示するのが難しい(というのが俺の今の感想)
どないしたらいいんやろな。
妻に昇格したくない件を伝えたら「全然いいと思うよ」「同僚はそういう人多いよ」、無理して目指さなくていいよ、と。
良い奥さんやな。
ま、わい、仕事できないんやろうな。
あと、昇格を目指したくないと思った理由がもう1つあって、それが人事の裏事情を人事部の仲いい同僚が教えてくれるなど、色々調べて分かった。
昇格は試験合格でなれるのだけど、筆記試験、面接試験とあって、点数だけで純粋に評価されるというのが上司の説明だったが、実は違う。
・人事評価も影響して、B(標準的)よりはA(良好)、S(すごく良好)の人が昇格する
(分からなくはないが、事前に言えとも思う。上司の説明では人事評価はB以上であれば全員横並びという説明だった)
・合格者を比較する受験者一覧表には「最終学歴」が大きく記載されている
話違うじゃんって。
時間を無駄にさせられたのが一番嫌だった。騙されたって思った。
頑張って何になるんだろう。
だけど、昇格できない自分が惨めで悲しい。
わい、こんな人間だったんやな。
31歳になった。今年、嫁にした彼女の話をどうしてもさせてくれ。
彼女とは元同僚。別の部署だったが初めて視界に入れた瞬間、胸の奥が静かに落ちた。155cmの小柄な体躯、幼さを残した瞳の奥にキリッとした大人の色気が潜んでいる。あの絶妙なバランスは、まさに自分の好みのど真ん中だった。運動音痴で陰キャの俺が、こんな可愛いロリ巨乳の彼女とゴールインするなんて。
会社は飲み会が日常茶飯事の陽キャ天国。大学生ノリが横行する中で自分はただただ浮いていた。大人数の輪など苦痛でしかない。だから酒を浴びるしかなかった。酔えば人に合わせられる「酔うキャラ」——それが当時の自分の唯一の立ち位置だった。今思えば痛々しい。だが彼女の前では、不思議と肩の力が抜けた。
きっかけは、ジャニーズと映画だった。特に嵐。ピカンチをDVDで揃え、Dの嵐を違法視聴横行時代YouTubeで漁っていた自分のマニアックな知識が、彼女の琴線に触れたらしい。一対一やカラオケでは、相手の趣味に全力で溶け込めた。Filmarksで「好き」を静かに共有する関係から始まり、初めての二人きりの飲みは夜の7時から、気づけば午前2時を回っていた。ホテルには連れ込まず、できる男を装った。あの時の冷静さは、イケメン友達の教えと、世の女性たちへの感謝(特にポインティ動画)によるものだ。男はポインティを見ろ。
その後、電話が2人のメインコンテンツとなった。一日中繋がったままラインの履歴が半日を超えた時はさながら高校生の恋愛みたいで自分でも呆れた。会話のテンポが心地よすぎて離れられなかった。もどかしさ、まさに思春期の甘い時間だった。
しかし進展は止まっていた。
本当の転機は、彼女の退社日。送別会の二次会はまさに混沌の宴だった。個室で腕を組んで眠る者、階段で力尽きる者、トイレで吐き潰れる者——カオスそのもの。酔いの波に身を任せ、自分は何度も彼女を外へ連れ出した。都会の深夜2時、酔っ払いたちの喧騒の中で、まるで二人だけの静かな世界にいるような錯覚に陥った。
始発が近づく頃、みんなが散り散りになる中、彼女から電話が来た。「見捨てるのか」と、怒ったような、縋るような声。自分も限界だったが、絶対にこの子を逃したくなくて地下鉄の街を必死に走り回った。見つけた瞬間、彼女は酔ったまま手を組んできた。
自分の帰路とは全く関係のないホームに乗り、荷物を預かり彼女の地元まで送った。
朝9時、彼女の部屋で裸で目覚めたとき、自分はようやく現実を噛み締めた。
何が言いたいか。
俺、コンセプト考えるの昔から得意でさ。入社して、とあるプロジェクト与えられて、でも将来性なさそうだったから、つまんねーなーって思いながら仕事こなしてましたよ。ある日、うっかり直属の上司に、「?&¥!ならできるかもしれませんね」ってヤケクソで冗談半分にぽろっと俺のアイデア提案してみたの。いや、上司にプロジェクトの不満ぶつけたら、「じゃあ他にどうすんの」って詰められて、売り言葉に買い言葉。でも、その場ではツッコミもなく。ああやっぱり、みたいな。
で、後日当時の上長に突然、「え、俺のアイデアのパクリ?」みたいな発展的プロジェクトを指示されてさ。上長は地獄耳だから、どっかから聞いたんだろうな。でもさ、目標がぶっ飛んでんのよ。え?解像度的に無理でしょ?みたいな。「俺だったらそうは展開しないよ」みたいな。
それはともかく、俺はマジメだから、いわれたとおりにコツコツやりましたよ。挙句、プロジェクトはお蔵入り同然、上長の言うこと聞かず強引にまとめて、なんとか始末書書いて、しれっと別のプロジェクトに滑り込んだの。
で、この業界って、洒落たカラフルなアイデア提案して実現したやつが総取りなの。上長はそれ(スタイリッシュなのは好きじゃないので、実際は、ちょっと捻ったやつ)狙ったんだろな、と今では思うけど、適材適所というか(笑)
他部署の人なんかも、地味なプロジェクトっていうか、視野が狭いんだよね。いや、かれらは地に足のついた実現能力があるから、業界内を転々として出世してるんだけどさ。それとは別に、イチオシの先輩なんかいてさ、その人、センスの割に苦戦してるの。なんだかな。
この業界、先細りだなんて言わないよ(笑)仕事の良し悪しを決めるのは参加者だからね、ネズミ講的で、しかし永遠に回ってく寸法。
ここ数年で、ハラスメントに対する意識、罰則が高まったと思う。
オヤジの時代だとラフプレー程度に看過されてた振舞いも、今じゃ一発レッドカード。
何なら、ラフにやって人よりも成果出すくらいなら、常にフェアプレーで凡打の方が評価は高い。それでいいのか日本経済、と思う時はあるけど、仕方ない。
仕事をする上で、自身の成果物に対し上司のレビューを受けることが多々あると思う。
その時受ける指摘の全てが同じ「重さ」ではない。かつ上司も部下への指摘なんぞイチイチ覚えてるほど暇じゃない。
受けた指摘のうち7割を対応し(裏を返せば3割は捨て)て、その中にクリティカルな指摘の対応が含まれてさえいれば、だいたいは通るもんだと思った方がいい。
当然、10割を求められるシーンもある。それは7割出して、嗜められたてから気付けばいい。
その時は「忘れてました、すいませーん(やるとはいってない)」でOK。上司もこれに対してきつく当たろうものならレッドカードが待っている。
呪術廻戦の登場人物が似たような話をしているが、結局ハラスメントが生まれないような会社を作る「原因療法」の努力をせず
生まれてきた「xxハラスメント」を悪として個人攻撃する「対処療法」に逃げているに過ぎない。
「あるプロジェクトを任せられたが、スキルセットの備わった人材も集まらず、短工期、周りの社員も知らん顔」みたいな
構造的に詰んでいるホットスポットが、社会の至る所にある。そこに落とされ歪んだ結果、周囲に強く当たる様になってしまった人は、果たして本質的な加害者なのだろうか。
これはマジ。感染る。俺がそうだった。
というより、君の仕事のスキルは多かれ少なかれ上司のスキルに影響を受ける。
学ぶことは「まねぶ」こと。悪癖も意図せず継承されかねない思った方がいい。
「上司ガチャ」なんていう低俗な言葉も流行ってるが、一番大きな影響はこのスキル継承だと思ってる。
④に少し被るが、誰にも頼らず独学で仕事を覚えるのは難しい。それができるなら皆初めからフリーランスで良いわけでなので。
一方、上司も感情のある人間なので、嫌いな奴に手間暇かけて自分のスキルを継承したいとは思わない。
新人の教育は上司の義務だと思ってる様なら大間違い。会社もさほど評価しない。
上司からすりゃ、お前と人事評価を捨て、自分の仕事だけしてさっさと帰った方がマシな迄ある。
なので、餌をもらう立場のうちは可愛げのある新人を演じておくことを薦める。
「俺にちょっと時間かけて教育してくれたら、お前の手足になって多少なりと役立ちますよ」感を出しておけ。上司ひとりではなく、同じフロアに居る周りの大人にわかるように。
ガキのうちから仕事できるフリなんていらない。バカになっておけ。数年したらこんなクソ上司なんて喰ってやるくらいの野心を秘めて。
それでも餌をくれない上司は信義則に反するので、まともな会社なら周りの大人が助けてくれるはず。
「業種・職種的に向いてませんでした」なのか、「この上司嫌です」なのかに依ると思う。
転職、言い換えると自己都合退職とすると、会社責となるため、お前を退職に追い込んだ上司はほぼノーダメ(「まーたこいつやりよった」感が部署内に漂う程度)
一方で、異動しますとなった場合、人事的に少なからずメスが入る。上司も処分迄はされずともカタギな出世ロードからは外れる可能性はある。
最近は転職がよりカジュアルになってきている。会社を続けるしかなかった時代に比べれば、選択肢が増えて良いことではある一方、
お前の職歴に手術痕が残る結構な「劇薬」だということは理解した方がいい。
お前のファウルを誘うきったないプレーをするバカどもが、会社内そこらじゅうにいるものと思った方がいい。
軽い小言、リスペクトに欠ける対応、50:50じゃない業務分担、あからさまではない悪意、必然的に休憩中作業を強いる口頭での指示、色々だ。
(いずれも文書に残らない、その場の「音」として流れ去る言葉・指示というのがまた厭らしい)
彼らはお前の仲間じゃない。本当の仲間は社外に求めた方がいい。
今の日本社会において、ハラスメントはレッドカード。それに準じ、キレるのもイエローカードだ。
コミュニケーション能力がすごく長けている人がいる。おしゃべりが上手ということではなく、コミュニケーション能力が私の知らない種類のもので、とにかくすごい。
その人は、職場のあらゆる部署の人から変な好かれ方をしている。みんなの真の中には決して入らず、いつも大人数の飲み会には来ない。でも、職場の一人ひとりから好かれている。
パワハラ上司はその人が休んでいる時は、明らかに機嫌が悪く、すごくケチにもかかわらずその人にだけ、いつもお菓子や何かをあげている。しかも百貨店で売っているような高級なお菓子を渡している。出張に行った時も、みんなには何もなかったにもかかわらず、その人にだけ箱を3つも渡していた。
各部署の役付きの人たちは、みんなその人にヘルプに来て欲しいと言う。その人の評価はみんな違っており、人懐っこいと言う人もいれば、あの子は人見知りなので自分が面倒を見てあげないといけないと言う人もいる。明るく優しいのでムードメーカー評価する人もいれば、厳しく真面目なので信頼をしていると言う人もいる。
その人はパートにもかかわらず、営業成績が圧倒的にナンバーワンであり、その人が1ヵ月お休みしたときには、営業はまるで取れずに辞める顧客もまずまずいた。何度か営業に同行したが、人によって喋り方や態度、距離感など全てを変えており、本当に違う人のように見えた。タメ口で喋りフジモンのようなガヤやギャグを絶え間なくいれていたかと思えば、ニュースキャスターのようにてきぱきと喋っている時もあった。書類を落としてしまったりドジを踏んでいるときもあった。みんなその人ばかりを見て、私のほうは誰も見ていなかった。
私と過ごす時はどんな風になるのかなと思っていたら、後部座席で目をつぶって、全然話をしなかった。「私さん運転すごい上手だから寝てしまった。最近すごい疲れてたから素でごめん。今日も一緒に来てくれて安心した。」とニコりと笑って、お菓子をくれた。上司には私がついてきてくれたから契約とれました、と伝えてくれた。
こんなにすごい私にだけ、素を見せてくれた、頼ってくれたと思い、私はそれからずっとその人を気にして世話をやいてしまう。コミュニケーション能力というのは、おしゃべりだけではないのだなと思った。みなさんの周りにもいますか?そんな人。
30代になって今更、というか30代になってもう若くないからこそ意識してしまうのか?
仕事上のお付き合いや、新しい部署や、その客層などを考えると清潔感を意識せざるを得ない環境にある。
それまでよくも悪くも男同士だから!で済んでいたのが、今となっては悪癖となっている部分もあるし、改善しなくてはいけないという責任感もある。
ただそういった清潔感を演出する行為そのものを、男社会で育ち育てられてきた自分などはキモい行為に感じてしまう。
もちろん服装の身だしなみなどは男社会においても重要できちんとしたスーツの着こなしは最低限出来ていると思う。
あと臭いに関してもきちんと毎日風呂に入っているし、夜ふかしして飲み明かした朝などにはシャワーを浴びてから出勤したりしている。
ただ、これはどうしたらいいんだ?と思う部分がある。
自分はかなりの汗っかきであるのだが、年々歳を重ねる毎に肌が脂性になってきてしまった。
正直寝起きはドロドロ、洗顔してすぐそばから、とくにこれからの暑くなる時期にはテカり始めたりする。
これをどうしたものか?と悩む。
フェイスパウダーというのだろうか?そういった類のものを試してみたところ、確かに専用品だけあってすごくよく出来ている。
ただひとつ気になるのが、どうしたところで白浮きというのだろうか?肌が不自然に白くなっているのは「見れば」わかるはずだ。
もちろん今までのガサツな男だらけの部署だったらそんなことに気づく野郎もいないし、気づいたところで「お前◯イかよ?」とかいうコンプラアウトの軽口で済まされるだけだったろう。
管理職1年目のオッサンが過剰な自意識でキモいことしてると思われないだろうか?
あれ?あのオッサン眉毛の手入れとかしてるんじゃない?キモー、とか思われてたら職場の雰囲気が悪くなってしまわないだろうか?
などという、自意識そのものがキモいのは言うまでもないのだが。
とにかく自分としては任された以上よりよい部署にしていきたい。
そのうえで必要であるはずの最低限の身だしなみやマナーを身につける努力はするのは当然だと思う。
ただ男社会で育ってきた自分にはそういった行為そのものがキモいように感じる。
そこがわからない。
普通に地元の大学を出て、地元の会社に総合職の立場で就職したんだけどそこが最悪だった。
まず残業代が出ない。
というか、勤怠に定時以外の時間を書いたら詰められる。
飲み会で隣に座らされ、肩に手を回されたり身体を触られたりする。
怒ったりすると「空気読めないやつ」「真面目ちゃん」みたいな扱いをされる。
年始のイベントで新卒の女性社員(の綺麗どころ)は和服を着せられて、檀上で社長に酌をさせられる。
例えばセクハラとか会社の外でやったら逮捕されるようなことが横行している異常な会社。
誰もそれを止められない異常。
上京して初めて知ったのは、残業代が出ること。嫌なことを嫌だと言えること。努力がちゃんと評価されること。
当たり前のことが、地元ではまるで許されていなかった。
それだけの話だと思う。
相手もいないし「おかあさん」に向いてない、それなのに子どもが欲しい。
子どもかわいいじゃん。いや、かわいいだけじゃないの知ってるけど。時と場合によればかわいさより大変さが勝るのも、それはそれはよく知ってるけれども。
卵巣予備能つって、卵子の在庫候補がいっぱいあるとかないとか血液検査で調べられるんだって。私の場合は調べたら結構あった。検査結果値が3とかそこら。
お金積んだら、卵子を注射針で取り出して急速冷凍して取っておけるんだって。
卵子の在庫候補の卵胞ってのがいっぱいあっても、中を吸い出したら空っぽだったとかで在庫候補の数そのまま卵子が取れるわけじゃないんだって。
でも、お金積んだら、薬で卵胞を複数育てて、一度に10個とか、卵子が取れることもあるんだって。
一時期死ぬほど話題になったから知ってる人は知ってるだろうけど、卵子は老化の影響で受精しづらい・受精しても育たない個体がちょっとずつちょっとずつ増えていくんだって。
そもそも10個なんて取れない人もザラだし、取るだけ取ったけどちゃんと熟してない卵だったりもするんだって。結果として一度に1個しか取れない人も普通にいるし、その1個が無事受精して着床して妊娠出産に至った人も結構いるんだって。
お金を積んだら、何回も何回も卵取りにチャレンジして、卵を凍らせて貯めておけるんだって。
私の場合は、在庫候補自体はうまいこと数が揃ったから、すごいラッキーだったら、10個取れるかもしれないんだって。
10個取れても出産に当たる確率は50パーあるかどうかで、トシを考えると25個以上は欲しいとこなんだって。
相手もいないのに卵子だけ。部署の女性陣は私以外みんな既婚子持ちだ。
大金かけて、薬の副作用にも耐えて、ひとりでみじめだしバカみたいだよね。
でもやる。
無駄な足掻きだと思うけど、どうせならやれるだけのことは全部やってから「だめだったあ!!」って泣き喚きたい。
今のところ目下の悩みは、普通に施術自体が怖いってこと。現時点でずっしり重い鈍痛がずっとあるこの下腹の、イクラの塊みたいに水胞でぷくぷくになってるであろう内臓に、局所麻酔だけで注射針ブッ刺してチューーーッて中身吸い出すんだって。
怖すぎる。
でも今更逃げられない。
あー
こないだ年イチの懇親会でひとまわり上のベテランから聞いた話だわ、もっとライト?(でも懲戒解雇)だけど
…どうも社内で「あめちゃんオジサン」やっとってやっぱり若いコらは当事者どうしの場ではお礼付きで喜んで受け取っとったけど、告発を受け取った上層部には『好きでもない味のお菓子を毎回おしつけられてシンドかった』て訴えたらしい
いやぁ、実はコレと著しく似たようなこと、いまワイ自身が現部署でヤッとるんで、これはワイも時間の問題かもしれんね…
(もとはといえばガチの◯久原が部署でありましてなー、てそのベテランさんに懇親会でついつい話しちゃったら他部署の事例が返ってきたんだけど、そのウチの急く腹事件のあとに社内でハラスメント講習やらそのレジュメやら資料が届けられて来て、その『こんなにハラスメントがあるんです!!』てなやつの中に「オカハラ=お菓子ハラスメント」ってのが載っててさぁ、腹抱えて大笑いしたとこだったんたけど… 嗤われるのはワイやったは)
昨今の「日本の女性クリエイターがいなかった」との誤解にまつわる話で、「紀貫之は平安時代に土佐日記を書いたじゃん」って話が出てくるけど、そこで「当時の仮名は漢字より格下扱いだったのを、どう解釈してるのか」という趣旨のブコメがあったので個人的な所感を書きます。なお、自分は別に国文の専門家というわけではなく、単なる古典オタクの増田です。
まず、かなが「格下」という話ですが、漢字は公式なものであり外に出す文書に使われるもので思想を記すもの 、かなは非公式なものであり内々のもので心情を記すものです。前者は男の領域で、後者は女の領域ですね。当時の社会構造において、男がやることと女がやることは明確に区別をされておりました。これは現代では差別と言われることですが、当時は必然的な分業です。格上か格下かでいうと、公が格上で私は格下、それはそうですね。
ただ、「格」という概念には上下はあるものの、格上こそ価値が高く、格下は価値が低いかというと必ずしもそうではない。和服の世界の格もそれに近いものがあって、ユースドで5000円で買った留袖と、50万円の作家ものの紬とでは、価値が高いのは後者ですが、前者のほうが格上です。格が求められるシーンにはどんなに高価でも格下は着ていけないし、格上だからといっていつでも着られるということはない。格上でないといけないシーンもあり、格下でないといけないシーンもあるわけです。格下が女と紐付けられていることは必ずしも差別とは言い切れない、そういう要素もあるかと思います。さらにいうと、当時は男女差別以上に出自での差別が厳然としてあったわけですしね。
さて、紀貫之ですが、紀氏という氏族自体、すでに当時は落ち目でした。まあ貴族ではあるんですけど、中央で偉くなれるような血筋じゃない。学者になるか国司になるかがキャリアのゴールです。さらにいうと貫之は父親が早く亡くなり、母の職場(宮中で女性に舞楽を教える部署)の託児所で育ったシンママの子です。父も頼れず母の実家も頼れない、当時としては産まれたときから負け組なのですが、和歌の名手としては名高く、天皇からお声がかかり本邦初の勅撰和歌集を作るほどの第一人者です。漢字の世界ではパッとしないが、かなの世界では大活躍できるそういう人なわけです。
古今集の仮名序文「やまとうたは人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」とか読むと、たぶん「和歌が認められたぜ!」ってすっごい嬉しかったのが伝わるし、それと裏腹の社会的な地位の低さに、忸怩たる思いもあったんじゃないでしょうかね?
で、日記です。当時の日記は男が漢字で書く「業務日誌」でした。男が書く日記を女が女手で書いたらどうだろう、と、かなの世界の第一人者の紀貫之が、地方駐在から中央に帰るときにそう思ったというのは、まあなんかわかる気がします。土佐日記当時50代で従五位下だよ?土佐では国司として地元民からチヤホヤされ偉そうにできても、都に帰ったら無職の下っ端貴族よ?
まあ、そんなこんなで「かなは格下扱い、だからこそできることがあるんだぜ!」とかなの世界のおじさんは思ったんじゃないかな?「歌がヘタな客がやってきて子供のほうがよっぽどうまかったのよ」「駐在中にお家のメンテを頼んだ隣人がロクに仕事をしなかったんだけどムカつくのは私だけでしょうか?あ、お礼はちゃんとしますけどね」「駐在中に亡くなった娘のことを思うと何をみても悲しくて仕方がない」なんてのは漢字じゃ書けないでしょと。漢字で書くと単なる「家内の些事」でしかないですしね。
女になりたかったというより、かなで書きたいことがあり、かなで表現したかったんだと思います。日記をかなで書く言い訳として女になった、そういうことかと。そもそも和歌の世界では男が女になりきって恋歌を詠んだり、言ってもいない場所や、やってもいない恋を詠むのは普通、ネカマ嘘松当たり前で、そういう下敷きはありますしね。
そこで日記をかなで書いてもいいんだ、という名分ができて、そこから女性が日記を書くようになったという流れがつながります。
まとめると、かなは「格下」であったけれども、芸術の分野では和歌は漢文とならんで評価されていた。ゆえに天皇自ら和歌集を編纂させたし、歌人として名をのこす女性もいた、というのは本当。一方、社会的に差別はあって、芸術を評価する立場にいるのはだいたい男だったし、そこに差別がなかったということはない。いくら歌が上手くても出世はできない。(死んで1000年近くたってから従二位なんて遺贈されてもねえ)
ただ、格上格下については、どっちかというと分業と解釈するほうがしっくりくるかな?という所感です。女に男の役割はできなかったし、男に女の役割はできず、越境するには嘘が必要だったし、その嘘は認められていた。それは今日では差別と解釈されるわけですけどね。
というか、日本において芸能とか芸術とかいうのは、神事以外は基本的には「格下」なので、それを差別というならまあ差別なんですが「格下としつつも、良きものについてはやんごとなき方が評価し、後世に継承される」そこはわりと一貫しているので、そういうとこが日本におけるクリエイターの立ち位置の特殊性でもあり、「日本は差別が残る後進国」ってことにしたい人からは今ひとつ理解されづらいのかも。歴史的にクリエイター全体がエディターより格下で、日本においては編集者やらディレクターがやたらいばっていて、そっち側には男女差別は色濃く残ってるわけよ。クリエイターなんて替えが効く木っ端商売なんだから男だろうと女だろうと関係ないってわけ。それをまとめて宣伝して金にするやつが権力持ってて、そこは一部を除いてボーイズクラブだよね。
すごいシニカルに考えると、クリエイターの到達点って園遊会にお呼ばれしたり勲章もらうことだったりするので「上つ方に認められればすべての差別はチャラ」という身分制があるだけといえなくはないし、そういう言い方すると自称先進国様からもご理解いただけるのかもね?