はてなキーワード: 親の金とは
あのさ、まず前提として「親の金は子の金じゃない」のは100歩譲って認めてやるよ。でもな、それ以前に「親の金は国の金じゃねーんだわ」。
お前らみたいな奴って、すぐ「インフラ使ってるだろ」とか「公教育受けただろ」とかドヤ顔で言ってくるけど、それ全部、親が一生懸命働いて、その都度クソ高い所得税やら住民税やら消費税やらを納めて、その残りカスで貯めた金なんだよ。
それを死んだ瞬間にまた「はい、お国が半分いただきますねーw」って、それなんていうカツアゲ? 思考回路が山賊なのよ。
いいか、よく聞けよ。
親が必死に働いて稼いだ時に、もう十分すぎるほど納税してるんだわ。その「納税済み」の金から、また相続税でむしり取る。同じ金から二回取るのは、倫理的にアウトなんだよ。
国がその金を生み出すために何か手伝ったか? 徹夜してプレゼン資料作ったのか? 嫌な上司にペコペコしたのか? 何もしてねーだろ。ただ見てただけだろ。なのに「死んだら俺のもの」って、どこのジャイアンだよ。
百歩譲って、その金が今の現役世代の負担軽減とか、爆速で少子化対策に効くならまだしも、実際はどこぞの利権やら、効率の悪いバラマキに消えてるだけだろ。まともな使い道も提示できないくせに、人様の家庭の貯金に指くわえて待ってんじゃねーよ。
「歩道歩くのやめろ」とかいう極論言ってる暇があったら、まず自分の給与明細見て、どんだけ国に搾取されてるか現実見たほうがいいぞ。
親が必死に貯めた金は、その子が次の世代のために使う権利がある。それをお国様が横取りしていい理由なんて、どこにもないんだわ。
親の金をそのまま継承する子ども。その子どもが親になり、またそのまま親の金を継承する子ども。さらにその子どもが、、、
となっていくとやがては富は偏在するようになる。
もちろん、紆余曲折はある。
親から継承した財産をなくしてしまう子どももいるだろうし、無一文からでも成り上がるやつはいつだっている。
ただ、相続税がない社会では、相続税がある社会と比べて、富が偏在化していく比率が高くなることは間違いない。
今だって、よく言われているじゃない?
個人の成功、不成功は「努力の差」ではなくて「生まれの差」だってことをさ。
親ガチャ、とかもそうだろ?
先祖代々が築き上げた莫大な財産を背景にした親ガチャとか、そんなもんがあったらもう競争なんてもんは実質的に無くなる。
そういった不平等な社会にしないためには相続税は必要なんだよ。
ってことらしい。
しらんけど
親戚が糞すぎるので縁を切りたい。
どういう糞さかというと、「うちが王様でお前らは子分」「常にうちが中心となるよう配慮し敬え」という序列を押し付けてくる。この令和の東京で。
もともと父が伯父と共同経営で会社を立てたことが誤りの元だった。伯父は実務能力が無、どころか壊滅的にマイナスだったが、ある種のカリスマ性があったので代表として君臨する一方、誠実で堅実な父は実務で会社を支えた。当時を知る人や銀行の人に聞くと皆、「お父さんが頑張ったからこの会社はある」と言ってくれる。ただ、伯父の息子2人は「うちの親父がこの会社を作って(父を)働かせてやったんだ」という認識で育ったし、外から見ればなるほど会社は伯父一家のものだった。
伯父自身は尊大だが寛大でもあり、父を尊重していたし、「あいつのお陰で今がある」と実際に言っていたのを聞いたこともある。伯父が生きていた頃は多くの人が幸せだったと思う。ただ、伯父が死んでその息子があとを継ぐと事態は一変した。
伯父の息子、つまり自分にとっては従兄弟にあたるが、絵に描いたようなドラ息子×2で、特に兄の方はどうしようもなく酷い。親の金で企業するも何の業績も無く、何なら従業員もいない(後に妻と未成年の息子が「社員」になったようだが)会社で「社長」を50歳になるまで続けていたような人だった。
そんな人が代表になったのだから、会社にとってはたまったものじゃない。実際多くの従業員が辞めていった。「働かせてやってるんだから給料は安くて当たり前」と給料を下げに下げまくったからだ。父は一線を引いて顧問になっていたが、給料を四分の一にされたとぼやいていた。また、解雇された人も多い。というか長く勤めていた人は父以外皆解雇されている。増田も好感を抱いていたある従業員の方が解雇されたあと、従兄弟とその嫁が彼を罵倒していたのを覚えている。「あいつは休憩中お菓子を食べてサボっていた」と。休憩中という言葉の意味を知らんのか
本人的には「経営改革」のつもりでいるようだが、一方で会社の金で沖縄に家族旅行するなど私的に使いまくってるとかで、結局財布としか思ってないのだろう。まあ自分はたまにしか会わないし、父も「義理があったけど流石にもう辞めるわ」と言っていたので、そのまま縁が切れると、思っていた。父さんが亡くなるまでは。
父さんが亡くなって、法要等で親族付き合いをする必要に迫られてようやく、父さんがあの糞みたいな親戚の盾になってくれていたのだと身に沁みてわかった。息子である増田が喪主を務めるのが当たり前なのに連名にするよう要求してくるわ、「会社のメンツ」などと言い出して父と関わりのない政治家を呼べとかほざくわ、葬儀でも相続関係でもめちゃくちゃ口を出してきやがる。そしてそれに不満の態度を露わにした姉を四十九日の場で罵倒しやがったことが本気で許せない。日本なんちゃらだか青年なんちゃらだか知らんが政治家とつるんでるだけでなんでそんな偉そうにできるんだろうね。お前は何も自分で成し遂げてないやんけ
問題はそいつだけでなく、一家全員がそうした価値観に染まっているところ。四十九日でも一切の配慮なく、父を悼む言葉の一つもなく、大声でWBCの話ばかりしていたのがまず最悪でした。四十九日って故人を偲ぶ集まりなんじゃないの?そこで伊藤大海への罵倒で盛り上がるような連中とは本当に縁を切りたい。しかもその後わざわざ増田と増田姉を呼びつけて姉を罵倒しまくって泣かすわ、反論した増田に怒鳴りつけるわで糞of糞。
何が映画だよ。これ、ただの「金持ちのバカ娘が親の金でパリ旅行してきた思い出」だろ。
2時間ずっと、恵まれた環境で育ったお嬢様の「私、親のせいで自由に絵が描けないの……かわいそうでしょ?」っていう薄っぺらい自分語り。
親が「絵の勉強なら日本でしろ」って言ってたらしいけど、それ100%正論だからな。パリじゃないといけない理由? ゼロだよ。ただオシャレな街で「アーティストな私」に酔いたいだけ。結局、親の脛かじってるだけの癖に、被害者面してんのがマジで鼻につく。
男は毎日、食っていくために必死に頭下げて、嫌な上司に詰められながら働いてんだよ。男が社会で生き残るためにどれだけ削られてるか、あの主人公は1ミリも分かってないんだろうな。
「自由がない」? 笑わせんな。
お前のその「不自由」は、全部親が用意してくれたセーフティネットの上にあるんだよ。一度も泥水すすったことないような奴が、パリの空の下で「自分探し(笑)」してる姿なんて、ただの特権階級の特権行使でしかない。
正直、羨ましいわ。
地方の高校にいた頃、僕は間違いなく「特別な人間」だった。正解の用意された問いを、誰よりも手際よく処理する要領の良さ。それさえあれば、僕は学校という小さな水槽の中で、一定の精神的優位を得ることができた。テストの順位表に貼り出される自分の名前を眺めるだけで、無敵の万能感に浸れたものだ。
だが、東京の大学に進学して、その薄っぺらいメッキは無惨に剥がれ落ちた。息をするように英語を操る帰国子女。親の金で当然のよに海外の“経験”を積む学生。あるいは、圧倒的な地頭の良さで、僕の徹夜の努力を鼻で笑いながら抜き去っていく本物の天才たち。彼らが外資系コンサルや投資銀行へ羽ばたき、あるいはあっさりと起業していくのを横目に、僕は自分がただのマークシートの塗りつぶし方が少し上手かっただけの、凡庸な田舎者であることを骨の髄まで思い知らされた。
就職活動で僕が逃げ込んだのは、品川に巨大な自社ビルを構える日系の大手SIerだった。親に社名を言えば手放しで安堵する優良企業。しかし、その実態はキラキラしたIT業界とは無縁の「デジタルゼネコン」だ。巨大な基幹システムのエクセルでの進捗管理と、下請けベンダーへの責任転嫁を繰り返すだけの、果てしなく地味な調整業務。30代になっても年収は700万円を行ったり来たりで、突き抜ける気配は一切ない。
川崎。最寄り駅から徒歩14分の6畳ワンルームのマンション。毎朝、すし詰めの東海道線で多摩川を越えるたび、自分が東京という巨大なヒエラルキーの外部に置かれた、中途半端な存在であることを突きつけられる。無数のエクセルのセルを埋め、稟議書を回し、いかにも「大企業のビジネスマン」の顔をしていても、乾いた自尊心は満たされなかった。だからこそ、僕は己の優位性を手っ取り早く確認するための副業を始めることにした。届かない上澄みを見上げる苦しさを、圧倒的な底辺を見下ろすことで中和する、醜い防衛本能だった。
AIに吐き出させた嘘か本当かわからない情報を、抑揚のない合成音声に読み上げさせるだけの動画。サムネイルは赤と黒の極太ゴシックで『真実』『衝撃』『実は日本人は…』。白い背景に「いらすとや」の画像。思っていたよりも、こうした毒にも薬にもならない動画を求めている人はいた。「努力できるのは才能」と自身の努力不足を遺伝のせいにするような動画や、根拠薄弱な雑学に絡めて「日本スゴイ」を連呼する内容は、面白いように再生数が伸びた。コメント欄に溢れる、社会へのルサンチマン。人生の答え合わせを終えた敗者たちに、安っぽいドーパミンを施す。教祖にでもなった感じでで少し気分が良かった。
先月、そのチャンネルを売った。爆発的に登録者を増やすコンテンツ力も、虚無を再生産し続ける継続力も、僕にはなかった。そこそこの値がついたので、バング&オルフセンのヘッドホンを買った。アルミニウムの冷たい質感と、北欧特有のミニマルなデザイン。装着するたびに、自分がこの川崎の泥臭い景色とは無縁の、洗練された“あちら側”の人間であると証明された気がした。
たまたま連休ができた。義理で顔を出した岐阜の祖母の家は、時間が止まったような空間だった。イオンモールとマーサ21だけが文明のすべてであるかのような地方都市。ここには、SAPIXのクラス分けに一喜一憂する親も、35年ペアローンという鎖で互いを縛り合うパワーカップルもいない。あるのは、弛緩した空気と変化を拒む土着の引力だけだ。
どうせ駅前の携帯ショップで、「お孫さんの写真が綺麗に撮れますよ」とかなんとか言いくるめられて、不要なハイスペック機と大容量プランを契約させられたのだろう。その光景が目に浮かぶ。
そこから流れる、抑揚のない人工音声。「実は、80歳を過ぎても元気な人は…」という、極太ゴシック体のサムネイル。白い背景の中央に配置された「いらすとや」の老夫婦。
目眩がした。
僕が売り払ったあのチャンネルではない。だが、構成は完全に同じだった。情弱向けの餌として吐き出し、見下していたコンテンツを血の繋がった親族が「真実」として有難がって摂取している。
祖母の瞳は、ブルーライトを反射して白く濁っていた。「へえ、そうなのかい」。その相槌の一つ一つが、僕の精神を削り取っていく。僕が承認欲求と小銭を満たすために生み出したインターネットの汚泥は、巡り巡って、僕自身のルーツである祖母の余生を埋める詰め物になっていた
「..…ほどほどにしなよ。目が悪くなるから。」
喉の奥から絞り出せたのは、ゲームに熱中する子供を注意する母親のような、陳腐な言葉だけだった。
帰りの新幹線。バング&オルフセンヘッドホンを装着する。どれだけ音楽を流しても、あの抑揚のない人工音声が、耳の奥にこびりついて離れない。トンネルを抜けるたび疲れた顔の男がこちらをみてくる。こちらを見つめ返すその瞳は、ブルーライトに照らされた祖母の目と同じように、ひどく濁って見えた。
メリトクラシーが終わりアリストクラシーが始まりつつある感じがある。
今までは能力が高いやつがいい椅子に座れてた。能力が高いやつの大半は裕福な家に生まれて贅沢な教育投資を受けただけだったかもしれないけど、それでも能力はあった。多少運が良かったのかもしれないけど、それでも勉強は必要だった。
でも最近は裕福な家に生まれたやつが勉強すらせずにそのままいい椅子に座ってる感じがある。AO入試とか留学とか。今まで建前として能力による選別があったけど、それすらなくなってボンボンのガキが親の金で社会的に地位の高い椅子を買い始めている。
小学校からエスカレーターの都内私立出身のボンボンだけど、周りの奴らまじで誰も勉強してない。AO入試の塾とかいうわけわかんないのに入って海外旅行パックみたいなので経験を買ってた。冗談だと思うかもしれないけどマジで。そいつらが早稲田とか慶應(SFC)に入ってくんですよ。
ペーパーテストによる選別はクソな部分もあったのかもしれないけど、今はそれよりもさらにクソだと思う。金持ちの子供が金でいい椅子を買うだけ。親はみんな能力のない我が子をどうやって大企業に滑り込ませるかを考えてる。本来非正規でくねくねしてたであろう子供も、裕福な家に生まれればいい生活ができる。なんなんこれ。
なんで吐き始めたのか、理由は今でもはっきりと覚えている。
両親に気にして欲しかった。恵まれた一般家庭で育ったけれど、両親は子育てが下手だった。私がどんなに心身を崩しても、なんの興味も関心も持たない両親の気を惹きたかった。
ただ私に気づいて欲しかった。食べたものを吐いて極端に痩せたら心配してもらえるかな、なんて子供の試し行動の成れの果てだったと思っている。痛いのは嫌だから、痛くない自傷行為はこれしか思いつかなかった。
もともと食べることが好きだった。
高校に進学して1年、毎日同じ道を通っていたはずの通学路である日突然迷子になった。その日から調子を崩し、あっという間に不登校になって通信制に転校した。不登校を理由にお小遣いを止められて、毎日家に居るわけにもいかずアルバイトを始めた。親との関係は最悪で、ろくに会話もしないし、なるべく会わないようにしたし、お互いに空気みたいに見えないふりをしていた。
不登校になってからは希死念慮が全身にべったりと纏いついて離れなかった。毎日死にたくて泣いていた。唯一アルバイトだけは真面目に続けていた。仕事は楽しかったし、そこしか居場所がなかったから。
3年生になって、卒業後の進路が全く決まっていなかった。本当は受験して大学に進学したかったが、親とは冷戦状態のままである。特に父親とは1対1で少し話をするだけで震えと涙が止まらなくなるほど重症だった。
何かが変わるきっかけが欲しかった。それと同じくらい現実から逃げたかった。コンビニでお菓子を買ってきてたくさん食べた。Twitter(当時はまだXじゃなかった)で『過食』と検索したら、大量の食べ物を並べた写真を載せている女の子が沢山いた。こんなに食べたら太ってしまうのにと思ってプロフィールに飛んでみると、どうやら彼女たちは、太らないように食べたものを吐いているようだった。インターネットって本当に最悪。これが過食嘔吐との出会いだった。
胃の中身をみずから吐こうとするなんてことはもちろん人生で初めてだった。具合が悪くなって幼少期に数回戻してしまったことがある程度で、嘔吐恐怖症とまではいかないが直接喉を伝う嘔吐は想像するだけで怖かった。
他の女の子たちも吐こうと思ってすぐに吐けるわけじゃなくて、水を沢山飲んだりして練習していた。5chに吐き方のコツを教え合う場所もあった。オープンなTwitter上で吐き方を教えるのは御法度という風潮もあった。
私は直接の嘔吐が本当に嫌だったので道具を使って戻していた。明らかにアレなため詳細は書かないけど、この道具を使うにもかなり練習が必要で、同じように吐きたがっている女の子たちと日々励まし合っていた。
界隈では、食べ物を戻さずに消化することを『吸収』、自分が食べられる量を『胃キャパ』などといい、食べる前後に体重計に乗って自分の胃キャパを自慢する独特の文化があった。痩せを追求する女の子たちはいかに吸収を少なくして食べ物を大量に食べて戻すかを試行錯誤していた。
今思うと本当におかしいけど、Twitter上には同じような人が沢山いて、そこでの交流が世界のすべてだったから異常だとは思わなかった。人間の脳は都合良くできている。
私も練習の甲斐あって吐けるようになった。けど月の過食費は数万円かかった。バイト代から出す学生の子、ふつうに働いている社会人のお姉さん、親公認で親の金で食べ吐きする子(かなり少ないけど)、金の出所はそれぞれだった。
同じ年頃の女の子たちのほとんどは、パパ活や援交をして食べ物代を稼いでいた。それで高校卒業したらそのままデリヘル。自分よりも歳下の、この間までは摂食障害でもなんでもなかった15、6の女の子がお腹いっぱい食べて吐くために知らないおじさんとファミレスに行き、テーブルいっぱいに奢ってもらった帰りにそのままホテルで身体を差し出している様子は正直見ていられなかった。摂食障害につけ込んで未成年をホテルに連れ込む大人もまともではないと思った。
毎日スーパーとコンビニをハシゴして、菓子パンやおにぎりを買い込んで、深夜に一心不乱に食べてはトイレに戻していた。食費を気にするようになってからは、チルド麺を茹でたりドーナツを揚げたり、白玉団子作りにハマっていたこともあれば安い食パンを買ってきて致死量の砂糖とバターをかけた揚げパンを作ったりもしていた。なるべく吐きやすいものを、とにかくたくさん詰め込められればなんでもよかった。
親も多分気づいていたけど、なんでかわかんないけど気づかないフリをされていた。たまに監視するみたいに夜起きてきて、乞食みたいに夜中にこそこそしやがって!と嫌味を言われたことは覚えてる。
一度だけ、手に吐きだこがないか確認されたことがある。でも自分は前述の通り道具を使って吐いていたので吐きだこなんかできたことなかった。綺麗な手を見て安心したのか、それ以降触れられることは二度となかった。
バレなくて安心した気持ちと、自分の抱えている辛さに気づいてもらえなかった悲しさで大泣きした。娘が毎日毎日食べ物を買い込んで、夜中にトイレ流す音が何回もして、明らかにゲロってたら普通は心配するもんなんじゃないのかな。
今更自分から言い出すこともないし、このまま一生無かったこととして扱われるんだろう。でも、お母さんのご飯は今も昔も大好きだから、吸収しないように食後すぐ吐いていたことだけは一生知られたくない。どんなに反抗期でも口を利かなくてもご飯を用意してくれた母親に対して、生涯で最も酷い裏切りだったと思う。
1年間ほぼ毎日吐いていた。食べて吐いての1セットを毎日5回以上も繰り返していた。食べても太らないなんてラッキー!という気持ちはいつからか消えて、義務みたいにひたすら食べて吐いていた。
夕方にのそりと起きて、決まったルートで食べ物を調達して、今日はこれ食べるよって写真撮ってTwitterにアップして。吐くのは苦しくて嫌いだけど食べたら吐かなきゃいけないし。『もう食べるのも吐くのも辞めたい』とTwitterに何度も投稿した。
何か大きなきっかけがないと一生辞められないんだろうと思ってた。が意外と終わりはあっけなかった。
コロナウイルスの濃厚接触者になってしまい、1週間自宅謹慎することになった。つまり過食するための食べ物を買いに行けないのだ。それにトイレに入った後は毎回消毒することになっていて、不自然にトイレにこもって吐くことができなかった。わたしは至ってまじめな人間であったため、食べ物のために家を抜け出すなんてことはせず、本当に大人しく過ごしていた。するとどうだろう、その1週間で異常過食衝動がすっかり治ってしまった。しばらくは食べすぎた時に数回だけ吐いたけど、日常的に吐かないと嘔吐反射が復活して吐くのが辛くなる。
そのうち二度と吐かなくなった。道具も捨てた。ご飯を腹12分目まで食べるのを辞めた。店員に面が割れてて行くのが気まずくなっていたコンビニ通いも辞めた。
実家暮らしかつ、お酒が飲める年齢じゃなくて幸運だったと思う。逆にそうじゃない子は全然辞められないんじゃないかな。
今でも生理前は食欲が止まらないけど、菓子パンを見ても美味しそうと思えないし、コンビニの味がトラウマで食べられなくなった。
当時の写真もアカウントも全部消したし、辛かった記憶を脳が封印しているのかもうあんまり覚えていない。親もひとりの人間だから簡単に変わったりはしないし、自分を救えるのは結局自分だけなんだろうなと思う。それでも助けて欲しいと願った自分がいたことを愚かだったとは思わない。みんなも自分のこと大事にしてね。
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ここまでが数年前に増田に上げていた文章。身バレを恐れて削除してしまったが、文章自体はスマホに残っていたので加筆修正した。
このとき温かい言葉をくれた人たちには本当に感謝している。「大変だったね」と声をかけてくれたのは友達でも両親でもなくインターネットの向こうのあなただけだったので、当時のわたしは本当に救われてお守りのように見返していた。
あれからもずっと嘔吐していない。道具がなくて吐けないのもあるし、今となっては道具を使った嘔吐の方法はあまりにもおぞましすぎて絶対にやりたくない。若さと無知って怖いなと思う。
後年、両親にわたしの摂食障害を知っていたか聞いてみた。父親は前述の通り知っていてそれを無かったことにしていた。その理由は簡単に言うと「どうしたらいいかわからないし、面倒だから」であった。普通の親なら慌てて病院に連れて行ったりするもんなんじゃないんだろうか……。正直どん引いた。
母親は一切気付いていなかったらしい。いくら食べても太らない子だなあと思っていたと。自分はてっきり知っていて無視されているのだと思い込んでいたため、少し気が楽になった。
両親とは普通に話せるようになった。それでも、この人たちは人生のいちばん苦しいときに助けてくれなかった人たちなんだとどうしても思ってしまう。助けてほしいときに誰からも手を差し伸べられなかったことへの絶望は深い傷となって残り、その後の価値観に大きく影響した。
成人して数年経つが、高校生の子を見るとなんて幼いんだろうと思う。まだまだ大人の保護下にあるべき年齢だろう。10代のわたしにとって1人孤独に過食嘔吐を繰り返した日々は間違いなく本当につらかったのだ。
しばらくはどんなに親しい友人にもそのことを隠し通していた。最近はたまに、昔ゲロ吐いてて〜と面白おかしく話してしまうことがある。自分の中で少しずつ昇華しているんだと思う。完全に忘れられるようなことはないだろう。
ボトラーならぬ、部屋でペットボトルにゲロを吐いて置いていたらなんか発酵?していて焦った話とか、抹茶アイスを1箱食べて吐いたらトイレが若草色になって面白かったとか、度を越した過食嘔吐ジョークは人に話さないように気をつけているが、エピソードとしては強烈なのでちょっともったいないなとも思っている。
一応体重がガクンと減ったりもしたのだが、すぐに元に戻ってしまった。飢餓状態が続くのと同じで、結果的に太りやすい体質になるため過食嘔吐はおすすめしない。それでもどこにも居場所がなく、かといって非行に走るようなタイプでもなかった自分にとって、持て余したエネルギーを過食嘔吐によって発散できていた1年はきっと必要なものだったと思う。食べて吐くことに夢中になっていたおかげで生きていられた。依存先としてはセックスとかドラッグに比べれば全然ましな方だと思うし……。
あの頃のわたしは20になる前に死んでしまおうと思っていたけど、ごめんけど今ものうのうと生きているよ。楽しいことだってたくさんあるし。もし同じように苦しんでいる子がいたのなら、苦しいだけの日々には終わりがあるし、きっと光が差すから大丈夫だよと伝えたい。
正直に言うと、
「血のつながりは特別」
“それ以外の子どもはどうでもいい” って話でもある。
・恵まれない子は「運が悪かった」で片づけられる
これ、弱者淘汰をものすごく綺麗な言葉で包んでるだけじゃない?
「優秀な遺伝子を残したい」
って言い方もよく見るけど、
それって子どもを人格じゃなく資産や所有物として見てる発想だと思う。
だからこそ、
無自覚でも「弱者が淘汰される社会」を望んでる人が結構いる気がする。
もし、子どもを
「親の所有物」じゃなく
として扱ったらどうなるか。
少子化の原因って、ほぼ
そこを壊さない限り、何をやっても無理だと思う。
でも、
そろそろ直視したほうがいい気がする。
この考え、
・過激すぎる?
・それとも、今まで見ないふりしてきただけ?
どっちだと思う?
全く問題が分かってないなこいつは、一番の問題は糞みたいな精神科が言う発達障がいと言うレッテリングが子供や親に無用な負荷をかけていると言う事。
こいつが本当に子供がいるのかどうかは分からないが今は場合によっては幼稚園児から既に普通クラスから除外されて小学校でも除外される。
その除外されたクラスではまともな教育など受けられずまともな教育を受けさせるためには親が別途金を払って思春期ぐらいまでサポートする必要がある。
親の金銭的負担だけじゃない、頭おかしい奴とレッテリングを張られた子供の精神的負担はかなり多いものになる。これは言ってみれば精神科が主導した国家的いじめなんだよ。
親が数億以上の資産があって特別料金払ってまともな教育を受けさせられる場合はまだいい。(糞高いのでよくはないがなんとかなる。)