※ 対象となるのは1992年のオフトJAPAN以降。
10位 : MF 小野伸二 (フェイエノールトなど)→ 日本サッカー史に残る天才プレーヤーは国際Aマッチは56試合で6ゴール。W杯に3大会連続で出場するなどトッププレーヤーの1人として活躍したがMF中田英やMF中村俊の陰に隠れて代表ではその力をフルに発揮することは出来なかった。トルシエJAPANのときは左WB、ジーコJAPANのときはボランチで起用されたが、「3人のスターをどのように共存させればいいのか?」で歴代の監督は大いに悩んだ。
09位 : MF 山口蛍 (セレッソ大阪など)→ 将来を嘱望されるような選手ではなかったが関塚監督に見出されてロンドン五輪代表の中盤の要として活躍した。(当時の)チームメイトで1学年上のMF黒木聖(長崎)の視察に訪れた時に代表スタッフの目に留まったことが「五輪代表への抜擢の理由」とも言われている。キャップ数は「39」。ロシアW杯の最終予選のホームのイラク戦のアディショナルタイムに決めた決勝ゴールはハリルJAPANを救った。
08位 : MF 森保一 (サンフレッチェ広島など)→ オランダ人のオフト監督が代表に大抜擢した。初代表の時は(一般的には)無名の選手だった。「MF森保という選手のことをよく知らない。」という代表選手が少なくなかったと言われている。賛否両論ある中での代表抜擢だったが献身的なプレーで中盤を支えた。ポジショニングが的確。オフトJAPANの中心になった。ちなみに当時はボランチという言葉が一般的ではなかった。守備的MFと呼ばれていた。