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いつまでこのままなんだろう
石巻の日和山下から、日和大橋を渡って魚町。大きな缶詰の看板というかオブジェは撤去されましたが、道路の両側は一年前に来た時のまんま。
渡波を過ぎて、万石浦を左に見ながら、万石橋を渡ります。
折浜から、桃浦。牡鹿半島の西海岸。
津波の後に何度も耳にした地名が、次から次へ。
月浜、月の浦の展望台です。
言わずと知れた、支倉常長がローマを目指して、サン・ファン・バウティスタ号で出港した浜ですね。
知らなかったのですが、展望台の僅かな平地、そして入口の駐車場の片隅、それぞれ二軒ずつ、仮設住宅が建っていました。
常長像も、ここから津波の到来を確認していたことになります。
ちょうど仮設住宅から、お父さんが出てきましたが、挨拶しか出来ませんでした。
前回、震災前の訪問はこちら。
月の浦にも降りてみましたが、家は1軒も無し、唯一建っていたのはプレハブの小さな番屋だけでした。
そして侍浜、萩浜、小積浜。
牡鹿半島の海辺は全て廃墟です。
尾根を越えて、東海岸へ。
途中にある森の中の、日当たりが悪そうなちょっとした平地には、数軒ずつの寂しい仮設住宅。
真新しい電柱と引き込み線。プロパンガス、水や灯油のタンクも並びます。
でも海の馬鹿野郎は、碧く澄んでいました。
女川町に入って、塚浜の小屋取浜。
稼働していない原子力発電所。
だけど御存知の通り、核燃料はたっぷり保存されているのです。
電力を産まない施設にも、多くの労力が必要。資本はもちろん電力料金。
1m近く沈下した船着場。
下は前々回来た時の画像ですが、流された家々だけは片付けられています。
でも、そこまで。
五年後十年後も変わらないのかもしれない。
東海岸を北上します。
夏浜、飯小浜、野々浜、大石原浜、横浦、高白浜、小乗浜、角浜。
悲しい位、海に依存してきた人達が暮らしてきた地名ばかり。
そして此処に街があったことが信じられない、女川の浜辺、街の中心です。
丘の上にあったから、なんとか残った女川町立病院の駐車場からの風景。
海抜15mぐらいはあるように見えましたが、一階は浸水したそうです。
ここから街があった地域全体を見渡すことができます。
低地に広がる、津波の被災地域、その向こうの無事だった部分。残酷な線引です。
女川は、非常に特異な現象、鉄筋コンクリートの建造物が、転倒するという現象が見られました。
まだ幾つかが残されていました。
震災後一年七ヶ月がたった、国内有数の港町、女川の街の中心です。
関東に住む方でしたら、銚子や、焼津に匹敵する港町。
政治家が、被災地の復旧復興を口にしますが、本音ではないということなんでしょうね。
渡波を過ぎて、万石浦を左に見ながら、万石橋を渡ります。
折浜から、桃浦。牡鹿半島の西海岸。
津波の後に何度も耳にした地名が、次から次へ。
月浜、月の浦の展望台です。
言わずと知れた、支倉常長がローマを目指して、サン・ファン・バウティスタ号で出港した浜ですね。
知らなかったのですが、展望台の僅かな平地、そして入口の駐車場の片隅、それぞれ二軒ずつ、仮設住宅が建っていました。
常長像も、ここから津波の到来を確認していたことになります。
ちょうど仮設住宅から、お父さんが出てきましたが、挨拶しか出来ませんでした。
前回、震災前の訪問はこちら。
月の浦にも降りてみましたが、家は1軒も無し、唯一建っていたのはプレハブの小さな番屋だけでした。
そして侍浜、萩浜、小積浜。
牡鹿半島の海辺は全て廃墟です。
尾根を越えて、東海岸へ。
途中にある森の中の、日当たりが悪そうなちょっとした平地には、数軒ずつの寂しい仮設住宅。
真新しい電柱と引き込み線。プロパンガス、水や灯油のタンクも並びます。
でも海の馬鹿野郎は、碧く澄んでいました。
女川町に入って、塚浜の小屋取浜。
稼働していない原子力発電所。
だけど御存知の通り、核燃料はたっぷり保存されているのです。
電力を産まない施設にも、多くの労力が必要。資本はもちろん電力料金。
1m近く沈下した船着場。
下は前々回来た時の画像ですが、流された家々だけは片付けられています。
でも、そこまで。
五年後十年後も変わらないのかもしれない。
東海岸を北上します。
夏浜、飯小浜、野々浜、大石原浜、横浦、高白浜、小乗浜、角浜。
悲しい位、海に依存してきた人達が暮らしてきた地名ばかり。
そして此処に街があったことが信じられない、女川の浜辺、街の中心です。
丘の上にあったから、なんとか残った女川町立病院の駐車場からの風景。
海抜15mぐらいはあるように見えましたが、一階は浸水したそうです。
ここから街があった地域全体を見渡すことができます。
低地に広がる、津波の被災地域、その向こうの無事だった部分。残酷な線引です。
女川は、非常に特異な現象、鉄筋コンクリートの建造物が、転倒するという現象が見られました。
まだ幾つかが残されていました。
震災後一年七ヶ月がたった、国内有数の港町、女川の街の中心です。
関東に住む方でしたら、銚子や、焼津に匹敵する港町。
政治家が、被災地の復旧復興を口にしますが、本音ではないということなんでしょうね。
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