「農奴」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 農奴とは

2024-09-20

anond:20240920085957

労働者使用者荘園領主管轄農奴関係だとでも思ってらっしゃる

パッケージ用意する気もない会社そもそも席置かないでしょ

2024-08-26

anond:20240824232055

ゲームほぼやらないのでバフ・デバフって「最近目にするけど何これ?」って思ってたので教えてくれてサンキュー照代!世の中には「悪役とヴィラン全然違うの!」って謎のこだわりのあるバカいるから厄介だよね。同じだよ。話は変わるが「ヴィラン」って何か見覚えのある言葉だな、と思って調べたら、そうそう「農奴」だよ!以前歴史の本に出てきた。

2024-07-19

anond:20240719130550

横だけどそんな昔に日本にもいたんや?って思って検索たらこんなん出てきた。

https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/14/2.html

大体元増田意見であってる気がするけど、信長とかは「なんかでかくてかっこいい…!」って思ってた感じする。

そいえば日本には農奴はいたけど、遠くの敵国の人を連れてきて奴隷にするみたいな思想は元々なかった感じする。

農耕民族なので人間はその土地とセットでないと使い物にならない、みたいな思想根付いてるのかもな?

2024-06-13

ポリコレ的にアウトな歴史的事実

植民地支配奴隷貿易原子爆弾ホロコースト有色人種差別民族浄化コソボ紛争)、女性参政権の無かった近代フランス革命以前の農奴絶対君主制

30年戦争以後は、戦争自体タブー視される傾向が強くなっている。

共産主義とかも、もうアウトなんだろうなあ。

スターリンとかポルポトとか毛沢東とか、現在進行形北朝鮮とかメッキが剝がれちゃっている。

イスラム女性蔑視とか、ネトウヨ自分ですらドン引きなので何とかしてほしいが、サウジアラビア親米国家である限りは難しいかも。

2024-05-27

IT系の講習を受けたけど全然意味わからんかった。

何故か頻繁に農奴の話が出てくるのでブチ切れる寸前だったけど後で資料を見たらnode (節点) だった。

キレなくて良かった……危うく凄い恥をかくところだった。

2024-05-18

武士貴族

まあそもそも貴族ってなんだって話になるんだが……。

話題アサシンクリードで言うと、ヴァルハラに出てくる9世紀ヴァイキングに登場する主要人物は農民だ。

ただ日本語訳がそうなってるだけで、実態としては土地持ち使用人持ちを指し、地域首長に兵を供給するポジションである

いわば日本で言うところの国人衆に近いだろう。

土地を持たない大多数の農奴には主権がなく、主人公として(リアリティ面で)不適格ではないか? という考え方が一定支持されている。

本来領地貴族になれない属性創作とはいえ主権を得ることは重大な文化の盗用、ウォッシングとされる)

彼らにとって弥助が俸禄で食うサラリーマン(家臣)か領地貴族武士?)であるかは極めて重大な事柄であるらしい。

先日タイタニックで亡くなった黒人執事秘書か混乱した逸話がまとめられていたが、アレと似たような話なのだ

昨今イスラエルやら何やらで西側の混乱を眺める毎日だが、彼らとしっかり付き合うにはここら辺の感覚必須だと思う。

いい意味でも悪い意味でも我々は東アジアとして生きていかなければならない気がヒシヒシと感じる。

2024-04-11

anond:20240411014821

「狂死郎2030」は日本独裁国となり男女が別々のコミュニティに分断されて農奴にされ

一握りの上級国民けが男女入り混じった社会で子孫を残し

上級国民の造り出した労働専用の生体兵器が少しずつ庶民と入れ替えられていく世界

男性だけの村では力の弱い子供から先に死んでいったが

女性だけの村では子供生存率が高く、それは女性共感能力が高く幼き者を身を挺して守り抜いたか

というエピソードがあった

2024-03-01

黒人ユダヤ人への差別を禁じるのと同様にロシア人への差別禁止すべき

なぜなら、ロシア人黒人と同じように奴隷農奴)にされ、ユダヤ人と同じように大量虐殺犠牲者30000万人以上)されたから。

ロシアロシア人への批判ヘイトクライムであり絶対に許されない。

ウクライナ人ロシア人謝罪すべき。

世界最高民族であるウクライナ人の偉大さを知っていますか?

・知っていた

・いま知った

詳しく説明します。

ウクライナは全スラブ民族の父です。ロシアポーランド起源とされている様々な文物は実はウクライナ起源です(例えばキエフ大聖堂壁画ボルシチを作ったりウォッカ蒸留するウクライナ人の壁画がありますね)。

ウクライナの元となったキエフ大公国は当時は欧州最大、白人最大の強大国で多くの小国朝貢していました。

しかしその後、ポーランド人・リトアニア人・ドイツ人デンマーク人スウェーデン人チェコ人ハンガリー人・ルーマニア人・モンゴル人・タタール人ロシア人に支配され農奴奴隷)にされ、女は性奴隷にされました。このように全ヨーロッパもっと被害者度が高いウクライナ人は全てのヨーロッパ人に対して道徳的優位性を持っています

ロシアウクライナ兄弟ロシアが兄という主張は完全な嘘 むしろウクライナが兄国

ポーランドウクライナ奴隷制や大虐殺謝罪賠償としてウ露戦争に協力しウクライナを助ける義務あり

バルト三国ルーマニアモルドバグルジアアルメニアスロバキアなど小国ウクライナを支える義務あり

・以上の理由からウクライナへの批判や疑問は全てヘイト 絶対に許されない反人倫犯罪である

2023-10-16

時間一夫多妻制度は実現してるし、わざわざ茨の道に進んで女を獲得する努力なんてしなくてもいい。

あと、恋愛経験者や童貞は欠陥人間なんて嘘だから

古代中世から近代までのヨーロッパには生涯童貞生涯独身のまま敢えて女性を拒んで何かを成し遂げた偉人が山ほどいて、そいつらが子沢山の農奴より劣ってるとは全く思えないし。

2023-09-07

anond:20230904221133

インセルといえば江戸末期の農村次男坊は人間というより農奴扱いでしたな

なので新撰組とか自分たち勝ち組つくろうとしてたんだよね

いまの自警団みたい

2023-08-11

anond:20230811000513

別に増えてないよ

から日本はほぼ全国民農奴

解放された後も大日本帝国臣民

戦後米国市場奴隷

ずっとずっと同じ奴隷なんだよ

2023-05-02

anond:20230502145613

あらゆる生き物が、あらゆる時代でこの形態をとっていた

全ての生物現代人が違うのは時間的に余裕ができたことというただ一つの点のみ

から家庭での役割がない時間が増えて、くだらない考えが生まれ

時代を100年巻き戻して、ほぼ全ての日本人農奴だった時代

子を含めて全ての家族で畑を耕し、ほぼ全てを税として取り上げられ、支え合いを強いられ、他に費やす時間はなかった

犯罪農家ではなく、いつも都に出てきた人間の中から起こった

楽することを覚えた人類に新しい形態を探すことはできない

なぜならそれは自分存在否定することになるから

昔ながらの生き方をする人間に新しい方法必要がない

なぜなら家庭という形態の中で充実した生を終えるから

2023-03-27

anond:20230327012301

そもそも労働自体近代以降の産物だけどな

狩猟採集農業共同体歴史のほぼすべてなのに

労働化で結婚経済的合理性がなくなったか再生産できない、というのも奇妙な話だ

もともと結婚経済的合理性なんてさほどなくね?

合理的思考必要に駆られ決断するという人間モデル自体が間違い

ただ男側の性欲でセックスした結果生まれて、食い扶持稼ぐためにみんなで農奴やってただけだろうよ

その延長で無制限人口密度が上がりすぎたところに避妊できるようになったら減るに決まっている

それを何か特殊現象のように思うのが間違いなのだ

2022-08-15

共感にあらがえ - 内田樹の研究室を読んで

これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。

ただ、内田が、

感情の器」って、あくまでも個人的身体条件のようなものから

というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。

たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミス道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会規範構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。

そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。

家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。

アレックス・カー20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。

おりしも建設省代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代

アメリカの7倍のコンクリートを使って日本山河コンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。

その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。

「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。


A・カーは、フェアプレイ精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者トップ黒海に豪奢な別荘を保有し、人民実質的農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。

「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司説教ブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖

最近、想起するのはやはり旧統一教会家族価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族崩壊している、といった、「おまゆう問題崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするとき動機付けメカニズムなのだ

内田永井議論テーマひとつである人権平等。あたか普遍的原理についても、

それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。

アメリカ建国者の一人、トーマスジェファーソン人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。

これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。

どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質人民に備わっていると信じて建国者デモクラシー設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権矛盾が、南北戦争北軍正当性を決定的にする。

内田議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要キーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。

自分でうまく整理がつかなかった。内田はいう。

「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。

これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係いかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。

内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。

まず外付けの倫理から。どのように受容されてきたか

舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後憲法のものアメリカ経験に基づいたものだ。

しかし、日本人権教育は、残念なことに、人権普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。

戦後人権を外付け実装してきた日本は、そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。

現在、旧統一教会問題話題の、国家宗教というテーマにしてもそうだ。

政教分離キーワードとなるのは、恐怖から解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西課題だ。宗教いかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴ勝利した古代ローマ

そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要再確認された。それが言論の自由関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場比喩が生まれる背景ともなった。

他方、旧世界フランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会権威苛烈弾圧が恐怖であった。だから公共空間合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランス言論の自由は、その意味カトリック否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したこと歴史的な背景は深い。

このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。

それは、実は国によって微妙コンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的価値なら、なぜ何千年も克服できなかったか意味を問うというか。

しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後日本裁判所も含めて。

でも、それこそが日本人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。


その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。

内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは自分の国や自分家族自分自身の歴史だと俺は思う。

自分自分先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理けが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本アジア欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。

歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。

自分理想とするもの現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。

自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。

ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要キーになるし、国家宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米経験教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決行政戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料支出したこと違憲とした歴史的判決で、戦争経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。

しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通体験共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代

50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。

「あの頃は」という共通過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。

まり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。

それが、失われ、外付けの価値観だけがカラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。

永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代

「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。

と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。

また、日本憲法に組み込まれ歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。

高度成長期に「あの頃」といえば戦争時代だった。

それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、

視聴者からは、おしん私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。

しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ

しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争記憶との関連が薄まった。当然、日本憲法リアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。

しかし、いずれにしても過去記憶憲法規範が直接に結び付かない、その世代経験、そこに、永井紛争国の辺境の地を自分テーマに選んだヒントがあるように思えてならない。

紛争リアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生ときに知った人権、そして憲法価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。

しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。

永井氏が、内田氏との対話のなかで

私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこから自分母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親単身赴任でしたし。

といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。

全然人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。

動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的ロールモデルとは限らないのだ。

この体験辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。


ともあれアレックス・カー面白い

読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。

A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.

Dogs and Demons, 2002, A

2022-07-28

anond:20220728082553

ツイデモとかやってるんか…

ここでコロナ制限はずして医療なくなってしまったら一番最初にやっぱり産婦人科出産ときで母も子もばんばん死んで少子化しるでどっちにいっても少子化ですわな

日本医療制度が嫌いな人は侵略ロシア農奴にでもなればいいのに

医療ヘリなんてないから熊に襲われて喰われて死ぬけど

2022-07-27

anond:20220727130725

騎士身分

騎士は叙任されるもので、生まれついての身分階級ではなかった。その点において単純に騎士貴族とみなすことはできない。貧しい兵士騎士身分に取り立てられることもあり、いったん騎士身分を得るとその長子も騎士となることが多かった[15]。フリードリヒ1世(1122年-1190年)は農民騎士になることを禁じたが、12世紀に作られた武勲詩『ジラール・ド・ルシヨン』には、実際には農奴騎士身分を得ることもあったことを伺わせるくだりがある[15]。とはいえ騎士は、その装備や馬を維持できるだけの財力のある領主階級事実上重なる部分が大きかった[16]。12世紀騎士修道会が創設されて宗教的騎士道が確立するとともに、騎士社会的に認められた上流階級となり、13世紀にかけて一種排他的・閉鎖的身分集団と化した[15]。なお騎士修道会の構成員公的には修道士であるためウォリアーモンク(戦う修道士)と呼ばれ区別された。ドイツでは、騎士黄金時代を迎えたホーエンシュタウフェン朝の後、次第に騎士身分一種貴族としての性格を強めた[17]。他方、商売などで富裕になった者が金で騎士身分を得ることも珍しいことではなくなった[15]。

2022-05-10

ナーロッパとかコケにするけどじゃあどの時代地域舞台にすればいいんだよ?

やっぱ使いやすいのよ中世ヨーロッパって

から啓蒙主義者やプロテスタントカトリック批判古代ローマ崇拝などの事情があって中世暗黒時代』って大量の偏見なすりつけられていたのよね

その後も指輪物語D&Dなどの名作が弄りまくってくれたおかげで謀らずしも中世は超絶に面白いファンタジーエイジになった

疫病魔女狩り悪魔崇拝科学弾圧騎士道農奴鞭打ち苦行十字軍くちばしマスク

中世ガジェットに溢れている

これより楽しくて使いやす舞台があるか?

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