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はてなキーワード: 社会的行為とは

2023-06-08

独身税社会的行為

独身税が無い状態反社会的とまではいわないけどね

2023-01-13

無能質問するための小技

自分別に有能ではないが、質問はできる方だと思うので 普段よく使ってる小技を晒しておく。職場の先輩への質問説明会などの場での質疑応答を想定している。

目を合わせる、枕詞を使う

まずは相手とのコンタクト

挙手制なら司会や登壇者がこっち向いたなってタイミングで手を挙げる。顔出しなしのリモート会議、顔を頑なに上げない先輩には「すみません」「お疲れ様です」「ちょっといいですか」と声をかける。

質疑応答の場でない場合質問したい意図を伝える。「聞きたいことがあって」「〇〇について質問したいのですが」「〇〇を教えてもらいたくて」あたり。「お時間いいですか」「〇〇分くらいもらってもいいですか」まで言えると良いけど、そこまで言わなくても忙しい人は「ちょっとまって」と調整フェーズに入ってくれるケースのほうが多い。

待ったが出された場合、「〇〇時くらいでいいですか」「何時なら大丈夫ですか」「メール送っとくので見てもらっていいですか」みたいになんとしてでも質問したい意思表示をする。

それでも答えてくれなければ相手無能

初心者質問をする

「〇〇ってなんですか」「〇〇はどういう意味で使ってますか」みたいに言葉定義レベル質問する。

自信がない場合枕詞に「初歩的なことで恐縮です」とか「今更かもしれないですが」とかはつけてもいいが「この分野では素人なのですが」はつけてはいけない。

馬鹿にしてきたら相手無能

背景も含めて質問する

「〇〇ということで、☓☓の場合は当てはまらないんじゃないかと気になりました。実際のところどうですか」「〇〇を知りたかったのですが説明の中にはなかったと思います。教えていただけますか」「〇〇って相談がきてて☓☓と答えようと思っていますが正しいか自信ないです。どう思いますか」みたいな、話を聞いた結果or考えた結果の質問ですよアピール

自信がなければ「見逃したかもしれませんが」「理解が追いついてないだけだと思うのですが」などの枕詞をつける。それでも自分で考えろと言ってきたら相手無能

相手に同じ説明を繰り返させる

「〇〇について理解しきれなかったのでもう一度説明をお願いします」「以前教えていただいた〇〇のこともう一回聞いてもいいですか」みたいなやつ。

優しい人はより噛み砕いて教えてくれるので結構おすすめ

全く同じ説明を繰り返された場合は「その〇〇というのは…?」みたいにキーワードを更問いする。

もう教えたよと突き放してきたら相手無能

質問によって自分が何を理解たか相手に伝える

「〇〇ってことですね、理解しました」「〇〇で承知しましたありがとうございます」という形で締めると相手安心

自信がなければ「〇〇って理解であってますか」と確認するのもよし。

誤解があれば訂正できるし、なければ双方安心して終われる。

馬鹿にしてきたら相手無能

上記みたいな質問するぞってつもりで話を聞く

結局その気にならなければ質問は難しいので、なんかのパターンにはめてでも質問してやるぞくらいの心持ちで会話に臨む。

単語一個でも拾えれば勝確。

質問がなくても堂々とする

「〇〇が気になってたけどさっきの説明にあったので大丈夫です!」と言えれば一番堂々としてる(本当に気にしてたかどうかは重要ではない)。

そこまで言えなくても「聞きたいことはだいたいすでに説明していただきました!」でいける。

「頂いた情報でやってみるので、行き詰まったらまた相談させてください」的なことを言えると次に繋がって完璧

質問させてくれないほうが悪い

内容がどうであれ質問する行為自分から発信しようとする能動的な行為であり、コミュニケーション積極的社会的行為である

質問するわたしはえらい!質問させてくれない人は無能!のメンタルで挑む。

2021-05-06

anond:20210505210436

制度的、構造化された差別」とは、第一義的には「明文化された法に書き込まれ差別」または「明文化された法に反する社会的行為としての差別」を指す。つまり社会的実体が明文化されたものとして目に見える差別ことな法の下の平等をうたう日本国憲法第14条にあげられるものなんか(人種信条性別社会的身分又は門地による差別)がその代表例。

次に、それに準じるものとして、明文化されていなくても、社会通念として固定し誰もがその存在認識できるような(たとえば統計上明らかに自然データとして見える)暗黙のきまりルールマナー等による差別のことも指している。たとえば、夫婦同姓強制問題なんかがそうで、改姓による社会的不利益存在すること、そして、データを取れば明白にそれを女性が蒙ることが社会通念として存在すること、これは明らかにおかしいでしょう?という問題提起なんかがそれに当たる。

前者についてすら、まだ話は全然片付いてない。後者の中でも、夫婦同姓強制のような明白にデータ説明できる問題については、まだ始まったばかりですらある。その中で、いわゆる「弱者男性」の苦しみを差別として問題化するのは、一朝一夕にできることではない。差別というのは「見える化」するのがまず大変なんだ。そのためには、

 ・弱者男性というのは誰なのか(どういう苦しみが「弱者男性の蒙っている差別」なのか)

 ・それは誰によってどのように作り出されてきたのか(構造化された差別ほど、差別加害者よりももっと上のレベル差別は作り出されるものである

 ・どのような状態を目指すのか

 ・それは従来の社会をどう変化させ、他の権利差別と調整が可能

を最低限明らかにしていく必要があるだろう。増田が真にこれを問題として捉えたいなら、ていねいにこれらの作業を進めていくことで、一歩でも問題解決に向かうだろうと思う。差別解消への戦いというのは、社会通念との戦いでもある。長く遠い道のりだ。

2020-10-29

anond:20201029120008

男も女もルッキズムちゃんとあるので容姿ちゃんとしてない人はだらしない人だと社会的評価をされるし、社会性のない人間だと周囲にバレます

就職にも不利になります

理系研究職など非常に専門性が高く優秀であれば、容姿社会性が欠落してるなどの欠点があっても目をつぶって採用してくれたりしま

男であろうと女であろうとその性別は捨てられず一生ついてくる属性

性別にふさわしいある程度の容姿を保つ気を配ることは一般的ルッキズム範疇かつ社会的行為であるので軽視してるのはただの世間知らずということになります

2020-04-24

anond:20200424095145

投票してなくたって税金払ったり、その他もろもろ国民義務果たしているなら批判したって良いでしょ。

投票してないなら、その選挙結果文句言うな』なら分かるけどさ。

というか、『政治に関与したという実績がないと口出しする権利はない』って考え自体危険だと思う。

投票以外に当てはめたら、税金たくさん払っている富裕層は少額しか払っていない貧困層より税金の使い方に口出しする権利は大きいのかとか、仕事で忙しくてデモみたいな社会的行為ができない人は社会問題に対して口出しする権利はないのかとか、そういう話になってくる。

そんなん言い出したら格差社会一直線でしょ。

もちろん、投票自体はするに越したことはないけどね。

2019-01-02

参拝は集団免疫を獲得するための社会的行為

アフリカでは葬儀の際に死者の体液に触れる伝統があるが、

これは能動的に感染することで残された者が免疫を獲得するための生存機構であり

日本において乾燥した寒期に行われる参拝という行事も同様

2017-10-24

若者保守化論の誤り。維新リベラル自民改革派認識、と世論調査

18・19歳、自民に4割傾く 立憲民主高齢層支持多く:日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22561000S7A021C1EA2000/

日経記事話題になっていて思い出した選挙前のラジオですが、若者保守化論に関して是非とも紹介したい内容なので途中からですが文字に起こしました。

2017/9/12(火)ザ・ボイス 宮崎哲弥×北田暁大

https://youtu.be/l7_mlqvCB8s?t=15m11s

北田安倍内閣支持率東大生で高いっていう記事が流れてきて、実際そうなんですけど。上がってるんですよ昔より。東大生は強いものに巻かれるんだなって左派的な人から批判があったんだけど、同時に他の大学と比べてみて一般的にどうかっていうと若者全般がそうである。どっかの調査でもありましたけど若者自身保守化していると言えるのか、現状の閉塞感みたいなものに関して安倍さんの方を革新と見ている可能性がある」

宮崎読売新聞早稲田大学研究所と一緒にやった世論調査があって、50代まで(50代以上の意)は共産党革新リベラルだと評価するんだけど50代を境にして(下の世代は)一転して保守的だと共産党を。じゃあ(下の世代にとって)一体何がリベラルかって言うと維新が1番リベラル

北田「そうなんですよー」

宮崎維新イメージって50代を境にして(50代以上からは)保守だと見なされてしまうと。これが典型的に表れているようにリベラル保守っていう言い方っていうのが世代で違っている。特に50代を境にして全然違っているということになるんですね」

北田「50代までは恐らく冷戦までは通用したような右左とかタカ派ハト派論理政党名と繋ぎ止めているんですけど、40代から怪しくなり始めてもう20代30代になると大きく変わってきてしまっている。この状況を踏まえないと従来型の左右というかリベラル保守という分け方もそろそろ賞味期限というか少し組み替えないといけないんじゃないかと思うんですが、少なくとも左右の対立項が大きくイメージが変わってるのは確かなんですよね」

宮崎「うん」

北田宮崎さんがおっしゃって頂いたやつは今の中央公論の最新号で高知大学遠藤先生たちによる『世論調査にみる世代間断絶』っていうのがあるんですけど、今みたいなお話がでています。19歳から29歳は日本維新の会を1番リベラルだと思っていると。先行世代からはなかなか不思議な構図に見える。そのあとも面白い研究をされていて本来であれば社会学者がちゃんとやるべきことなんですが、安全保障社会的平等ジェンダー質問項目を元にどういう軸が区別指標になっているか子分析っていう手法でやってるんですけど、そこに3つ出てて安全保障の軸、社会的価値観女性社会進出差別)、第3に税金負担の軽減とか自国利益の強調とか経済的な側面というか自国のあり方のような・・・

宮崎はい

北田「この3つの軸を出されて研究されているんですが、これが綺麗に当てはまらないんですよね。民進党なら民進党とか自民党なら自民党とかパッケージ対応してなくて。経済とか社会的なところで凄く我々から見ればリベラルな態度をとっている若者が、安全保障では我々から見るとタカ派的なことを言っている。どちらも共通してたぶん現状を変えていくというような意識では一貫しているんだと思うんですね。これ分析する側が旧来型の軸に頼っているようではおそらく民意をつかめないのではないか

宮崎遠藤さんが取り上げているかからないけれど、同じ調査の中で50代以下の人政党イメージについて改革積極的消極的か問うているわけよ。1番改革積極的だと評価されたのがなんと自民党。次が維新。あとの政党っていうのは改革に対して消極的であるという評価。つまり私より下の世代、50代より下の人たちが何に着目してリベラル保守と言ってるかというと経済体制改革っていうのが積極的かどうかが鍵になっていると思うのよ。それがなぜそうなるのかというと、20年も続いたデフレ。先輩たちが就職難で就職氷河期で喘いできたのを見てやっと自民党が変えてくれたという実感に根ざしたものではないかという気がするんですけどね。どうですか」

北田「間違いないと思います民主党岡田代表だった時代リベラル懇話会という形で・・・

宮崎代表でいらっしゃる。今でもこれは続いてるんですよね」

北田「今でもです。勉強会みたいなものを何度かやらせて頂いたんですが、その時に簡単世論調査をしても安保法制で盛り上がる前くらいか分析してても民意は明らかに経済を重視していて、政党支持率経済政策の推進というのは関係が強いんですよね。一貫してそうなのに何で今ここでアベノミクスを超えるアベノミクスをやるって言わないの?っていう」

宮崎アベノミクス内部で考えても消費増税マイナスだったし2013年以降は第2の矢っていうのはちゃんとやってないわけ。GDP比で財政を考えても明らかに緊縮財政になってる。ここを突いてこんなんじゃ駄目だって言うのこそがリベラルだろって私はずーっと言っていて。リベラル懇話会経済政策提言の中にもそのことが書かれているのに何でリベラルはこれを受け入れないの?」

北田「そこが本当に私も分からないというか。安倍政権パッケージングとか安保法制とか・・・

宮崎「そういうのを全部評価するとかまったくなくて、少なくとも第1の矢と第2の矢を評価して第3の矢に成長戦略ではなくて再分配政策もっと多様化政策を持ってくるべきだ」

北田アベノミクスを超える財政出動をするぞっていうような、金融緩和についてはあるジゲン次元?)を設けて消費税についても上げるなんて問答無用な話でそういうジゲン次元?)をつけて考えていく。再分配の仕方を再考していくっていうのがイギリスでいうとねコービンとか、ポデモスとか世界標準的な左派普通になってるハズなんですよ」

宮崎「金の問題重要なんだけどそれは単純に金の問題じゃなくて、そうやって人々の所得が増えていくことによって貧困率だって下がっていくし人間生き方多様性可能性、ケイパビリティアプローチですよ。アマルティア・センが言う。それを増やしていくことがリベラル理念に適っているんだっていう。何でコレが日本では通用しないの」

北田「それを私も聞きたいっていう。あまりにも安倍さんとの対抗軸を立てたいっていうのか強いのか、民進党DNAの中に刻み込まれているのかどうか知りませんけど、少なくともやるべきことというのは緊縮の話ではないし、アベノミクス批判ではないハズですよね。政治家だけだったら敵味方の論理で話が分からないでもないんですが、論壇とかに出てるような左派とかリベラルっていう人たちが経済っていう問題を軽く見ている感じというか、経済問題をを考えなくても他の部分こそが大切なんだっていう。もちろん大切なんですけど、経済問題宮崎さんがおっしゃったように人々の可能性とか潜在能力みたいなもの平等を図っていく上で重要な要素であることは間違いない」

宮崎あなたがね『現代ニッポン論壇事情』の緒言の部分で言ってることがさ、経世済民思想にして卑しい事柄でも何でもなく自由権社会権という基本的人権に関わる重要社会的行為なのだと。これは本当にリベラルと自認していらっしゃる政治家言論人に拳拳服膺してもらいたい」

アナウンサーリベラルの偉い学者さんとかそういう方々は武士は食わねど高楊枝じゃないですけど・・・

宮崎「食えてるんですよ。あの世代の人たちは食えちゃってるんだよ。豊かさは限界だろうとかさ」

アナウンサー清貧思想とか」

宮崎「そう清貧思想とか。若いやつは公徳心ねえなぁとかさ」

アナウンサー江戸時代に戻れとか」

宮崎「そう江戸時代に戻れとかさ。ほんっとに無責任なこと方言するわけ」

北田「でも若い人は絶望してなくて経済指標がよくなったら嬉しいし雇用状況が良くなれば満足度があがっていっていて、それなりに彼らなりに合理的に見ているわけですよ。成熟してこんな成長いらないとか思ってるのは正直な話、若者じゃないんですよね」

宮崎「50代よりも上。だから俺の世代よりも上の人達ですよ」

アナウンサー「逃げ切っちゃえる人達

北田バブルでおいしい思いをしてバブルへの絶望みたいのが過度な形で出てるような気はしますけどね」

宮崎「それもあるでしょうね。でも彼らはバブル受益者だったわけじゃん」

北田「そうそ受益者で、だからこそ割れた時の記憶が強烈なんでしょうけど、だけど、それを20年間散々下の世代が味わってきたわけだから逃げ切りは私は許されないと思います。それと団塊の中でも逃げ切れるの一部ですよ。だから社会保障問題重要になってきて財源論だって色んなところで議論が出てるわけ。逃げ切れる成熟しましょうなんていうことは正直申し訳ないけども呑気な話だと僕は思います

宮崎「高度成長しろなんて一言も言ってないし不可能

北田「だーれも言ってない」

宮崎「でも2~3%のパイを増やす政策を取らなければだんだん縮小均衡になって1番割を食うのは若い世代弱者。この人達ですよ」

北田「だから僕は成熟社会論というのは冷たい冷徹思考だと思いますよ」

宮崎「でもこれがイギリスのギデンズが唱えた第3の道とかさ・・・

北田あんなの新自由主義ですよ」

宮崎「だから左派版、新自由主義でしょ。そういうのと一緒に上の世代の人たちの・・・固有名上げるなら民進党前原さんの頭にね固着しちゃってるんだよ」

北田前原さん聞いてるなら経済だけどうにか考え直して頂けないでしょうかっていう気持ちが。僕は枝野さんに心配していたんですが、枝野さんがこういうこと言うんだってブレイディみかこさんと松尾匡さんと対談している時にニュースが入ってきて、枝野さんがこんなこと言っている!って衝撃を受けて」

宮崎賃金を上げるために赤字国債発行するとかさ、ここでは私は枝野支持です」

北田「僕もびっくりしましたよ。それが一番求められていることであり、簡単思考で言うと経済椅子の数が決まったゲームと考えずに成長していくことによって維持できるっていう、そういうシステムだってことを考えないと公正性とか格差問題も広がっていくだけと思いますね。だからこれはリベラルというよりソーシャルと言った方がいいかもしれませんね。ヨーロッパ型のソーシャル

宮崎ソーシャルって話をすると、もう少し先の話。フォワード・ルッキングしないといけないと思うので言うと、井上智洋って知ってる?マクロ経済学者。汎用AIが開発されて簡単に言うと色んな産業分野に汎用AIと汎用ロボットが広がっていって失業がどんどん増えていくと。そのとき何が必要かというと、経済構造っていうのは消費の部分がなければ成り立たないでしょう。消費っていうもの担保するためには所得を与えないといけない。でも失業してしまったりどんどん賃金が下がっていけば当然消費も縮退していくわけ。それを補填するためにベーシックインカム必要だと。汎用AIができるかは別にして産業部門で色々使われることによって人減らしがどんどん起こっていくということはほぼ間違いないですよ。その時にどう対処すべきかっていうことを、今この経済政策で、生物学の前適応じゃないけどもやってるような気がするの。今の長期停滞に対処するのならその政策の延長線上でその状況にも対処できる。その観点から言うと消費税って駄目だと思うんだけどな」

北田「だめだめだめだめだめだめ。少なくとも今は駄目で、経済社会の中でどう位置づけるのかっていうのを考えないといけなくて。公正かどうかっていう比較分析社会学は得意なんですけど、財源どこかとか国債どうする金融政策どうとかそこがないんですよね。不平等を見つけるのは上手いんだけど、それをどうやったら直せるかって言うと財政を均衡させるしかないって話になっちゃう」

宮崎経済学者連携して・・・

北田「そう、やるべきだと思いますよ」

宮崎「だからリベラル懇話会北田さんの試みというのは本当に重要な試みだと思っております

2016-10-21

「性の悦びおじさん」に熱烈共感しています

許さんぞ!と電車内で怒鳴るオジサン。これをみんな笑ってるけど、僕は共感しています。一歩間違ったらこのようになってしまう。あるいは僕の未来の姿ではないかと思って親近感を感じています

仕事残業が多いとき、そしておまけに上司に叱責されたとき。社内では、大変申し訳ございませんと平静を装っているが、帰宅途中の住宅街で何かが爆発する。

僕の頭の中で一気に沸き上がってくる。

(深夜の住宅街を歩きながら)

「お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛あお゛ぉ!!!!!!」(野獣のような咆哮)

「○○(上司名前)!許さんぞ!おまえ!」

「ああああああああぁあっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ〜〜〜〜〜!!!!」(腹の底から

「ふざけんなよ!このキチ○イヤロウ

「○○(上司名前!!!!! 消えろぉぉ!」

こうして僕は野外脱糞の如き半社会的行為を働かなければ、寝れない体になってしまったのだった。

ときどき、電車の中で

「おま○こぉぉ〜〜ほおおほおおおあお!!!!」

と大声で叫んだらどうなるだろうかと妄想している。いつかこ妄想現実区別つかなくなって、口に出てしまったらどうしようと心配している。

おじさん、ぼくは応援してるよ。

2016-09-27

http://anond.hatelabo.jp/20160927112628

まあ落ち着けよ。おまえさんだってたとえば適切な「ゾーニング」に対して文句言うほど狭量じゃないだろう? 子どもの手の届くところにポルノごろごろしてる状況見たら文句の一つも言いたくなる人がいることぐらい理解できるだろう? たとえ「合法的ポルノ」であったとしても。 それに、おまえさんだって、たとえば子供らが行き交う駅前で、「ポルノは最高であります! もっとポルノにあふれた世の中を!」とか大声で叫んだりはしないだろう? 大人有権者相手演説するくらいのことはするとしても、無制限社会全体に対して大声で主張しなくてもいいだろう? だとしたら、この女の言ってることと、それほど立ち位置が違うわけじゃない。

おまえさんがどんな趣味かは知らないが、その趣味の何かを購入するとするだろ? そうするとその業界儲かるだろ? 潤うとそういうコンテンツが増えるだろ? つまり、おまえさんは「購入」という行為によっていわばその趣味について社会的に「一票を投じている」も同然なわけで、それって「一種意思表示行為」だろ、ということをこの女は言ってるわけだ。だから「購入」といった行為自体無色透明自由ではない一種社会的行為だ、だからそれを制限することは「『内心』の自由」の侵害には当たらないのではないか、と。それ自体は、必ずしも間違った主張とは言えないよ。

たとえば……殺人趣味をもち妄想しているヤツがいたとしても、殺人を素材の一つとして扱った刑事ドラマを見て妄想をふくらませて満足しているとかならそれは「内心の自由」としか言いようがないだろう。だが「殺人シーンが好きな人間のためにそれのみを目的とした」スナッフビデオ積極的に買い集め、そういうヤツが増えた結果それが氾濫し、しまいに合法非合法区別すらつきづらい状況が発生してきたら、それはさすがに安寧秩序を乱すとして取り締まられても仕方ないんじゃないのと思わないか。この場合、そういうビデオ製造販売を(場合によっては購入も含めて)取り締まることは「内心の自由侵害」にあたるとして絶対に許されないことか? そういう不幸を生じさせないためには、せめてゾーニング必要だし、見る側にもわきまえが必要だろ。それが、他の人の「安寧に暮らしたい」という気持ち尊重することにつながり、ひいては自分たち良識を示し趣味への理解を広げることにもつながるからな。そのとき内心の自由じゃねえか!」と騒ぎたてるのは、明らかに筋悪な主張だ。

もちろん、どんなに「ゾーニング」をしても、のぞき込むようにしてやってきて「外から見える!子どもにも見える!」と騒ぐ人というのも、まあいる。この女も、そこそこそれに近いとこはあると思う。だが、仮にそう騒がれたところで、事実「外からも見える」し「子どもにも見える」のだとしたら対策するしかないし、そうでないとしたら「見えていませんよ、あるいは見えているとしても現実的には大した量じゃありませんよ」といって、しっかりゾーンを守るしかないんじゃないか。騒ぎ立てる人に対して「中でやってんだから勝手だろ!」と騒ぐのは悪手だよ。ヒートアップして騒ぎ立てられたらますます「外から見える」状態になる以上、弱いのはゾーンの中の方だ。それが分かってるから騒ぐ人は騒ぐのであって、ゾーンを守りたいなら、押さえる点は押さえつつ、ラインを踏み越えないように冷静に対処し続けるのが大事だと思うよ。

2016-03-07

キモオタによるフェミニズム概論

フェミニストからキモオタ死ねと言われ、私はもちろんキモオタであるから激昂してクソフェミ死ねと言い返しかけて、そこでふと気がついて困惑した。

フェミニズムとは何だろうか。

私はフェミニズム名前ぐらいしか知らない。しかし知らないものを知らないままにしておくことは、少なくとも私にとってキモオタしからぬ行為である。私は自分に自信をもってキモオタでありたい。クソフェミ死ねと罵られるキモオタであることに誇りを持ちたい。ならばフェミニズムについて知らなければならない。

しかフェミニズムについて知りたかったら何を読めばいいのか。これが意外と分からない。ロールズやセンを読めというのを見つけたので読んでみたが、やはりフェミニズムが分かった気になれない。

そこで手当たり次第に適当にフェミニズム書籍を読んでまとめみることにした結果が本稿である。決して十全ではないが、私同様、フェミニズムをよく知らないオタク諸姉諸兄にとって、フェミニズム理解の取っ掛かりになれば幸いである。

フェミニズムとは

フェミニズムは大きく三種類ある。ラディカル・フェミニズム(以下ラディフェミ)、リベラルフェミニズム(以下リベフェミ)、そしてマルクス主義フェミニズム(以下マルフェミ)であり、それぞれ理論の組み立ては全く異なる。以下順に見ていこう。

ラディカル・フェミニズム

現在のラディフェミ理論的支柱はキャサリン・マッキノンと言っていいだろう。「性の不平等の源はミソジニー(女嫌い)」であり、「ミソジニーの源は性的サディズムにある」(C.マッキノン,"フェミニズム表現の自由",1987,*1)。そして社会に溢れるポルノグラフィ(以下ポルノ)こそが「性差別主義者社会秩序の精髄であり、その本質をなす社会的行為」(*1)に他ならないと喝破する。この諸悪の根源ポルノであるという揺るぎない確信からポルノ法規制を推進する。

ポルノ性犯罪を誘発するという統計的証拠はあるのか。この批判に、しかしマッキノンは自覚的である。誘発するという調査もあり、無いという調査もあると率直に認める。従って彼女が起草した反ポルノ法は「被害をもたらすことが証明されうる物だけが告発できる」(C.マッキノン&A.ドウォーキン,"ポルノグラフィ性差別",1997,*2)。「証明されるべき被害は、強制行為、暴行脅迫、名誉毀損、性にもとづいて従属させる物の取引といった被害でなければなら」(*2)ず、不快に感じた、宗教上の信念を侵しているといった被害は認められない。被害者ではない第三者告発することも認められない。

ポルノには、ホモレズ二次元も、古典文学から芸術作品まで被害をもたらすことが証明される限り全て含まれる。自分が叩きやすゲームマンガだけを槍玉にあげて、自分が叩かれやすい文学や芸術から目を背けるチキンではない。殴るからには全て殴る。それがマッキノである

なお、田嶋陽子はラディフェミを名乗りドウォーキンへの共感を示しているが、ポルノ諸悪の根源とはせず、現実的政策としてはリベフェミに近い内容を述べているため注意されたい("愛という名の支配",1992)。

リベラルフェミニズム

J.ロールズの「公正としての正義」やA.センの「不平等の再検討」をその理論的土台とし、リベフェミは次の点を問題視する。「ジェンダーシステムは、その根を家族における性別役割にもち、事実上わたしたちの生活の隅々まで枝葉をはびこらせた、社会の基礎的構造のひとつ」(S.オーキン,"正義ジェンダー家族",1989,*3)であり、「女性男性重要差異が、家族内で現在おこなわれている性別分業によって作られる」(*3)。

夫婦がともに働いている姿を子供に見せることが教育上望ましいと考え、そして共働きにおいて妻にだけ家事育児押し付けられることは不平等であり、二人で平等に分担するべきであるとする。もし専業主婦なら、夫の稼ぎは夫婦二人で稼いだものとして両者で均等に等分すべきだとオーキンは言う。

このように家庭内賃金労働の不平等の解消によって性差別の無い社会が構築されるとする考えから、リベフェミ女性社会進出を推奨し、出産休暇や託児所の拡充、男性育児休暇取得を推進する。また「子どもたちがなりたい人間になる機会」(*3)を拡大するため――その機会を無知ゆえに狭めないために、性教育重要性を訴える。

なお、「男性を敵視し憎む分派は消滅するだろう」(B.フリーダン,"新しい女性創造",1965)が示すように、フェミニズム男性女性権力闘争化することに否定的立場をとる。

マルクス主義フェミニズム

出産を含む女性の家事育児は明白な労働行為である。にも関わらず男性社会はそれに一切の支払いをしてこなかった。ゆえに女性とは搾取されるプロレタリアートであり、その意味で男性とはブルジョワジーである女性の抑圧は、資本制と家父長制の構造上必然的に生じたものであると喝破し、資本制・家父長制の打倒を訴え、そしてこれが日本の伝統フェミニズムである

女性社会進出に関してはリベフェミの主張とほぼ同一だが、フェミニズムの主要な敵は男性であると断じ、マルフェミでは家事育児という労働に対する賃金の支払いを請求する(上野千鶴子,"家父長制と資本マルクス主義フェミニズムの地平",1990,*4)点で異なる。ただし誰に請求しているのか、また家父長制を崩壊させるために「資本制との新しい調停」を、というが、それが共産制かというとそれも曖昧で判然としない。

日本ではさらにそこに独自思想が入り交ざる。例えば男女混合名簿の推進は「日の丸君が代シンボルとする儀式を撃ちくずす」(河合真由美,"「男が先」を否定することでみえてくるもの――学校の中での性差別男女混合名簿",1991)から良いのだ等、目的が何なのか、いささか混沌としている向きも見受けられる。

その他のフェミニズムと補足

レズビアンフェミニズムブラックフェミニズムエコロジカルフェミニズムポストモダンフェミニズムなど多岐にわたる。マルクス主義フェミニズムの派生であるサイボーグフェミニズム(D.ハラウェイ,"サイボーグ宣言",1985)は読むとつまらないがネタとしては面白い。あとキワモノで言えばスピリチュアルフェミニズムとか。

補足1:クィア理論

同性愛者とフェミニスト関係は、従来男性権力社会に対する「敵の敵は味方」関係に過ぎなかった。そこで登場したのが「フェミニズムと、ジェンダーに関するゲイレズビアンの視点と、ポスト構造主義理論を、政治的ひとつに纏め」(J.バトラー,"ジェンダートラブル",1990)たクィア理論である。これにより統一戦線理論的に張ることが出来るようになった。

補足2:男性差別

リベフェミは広範な男性差別否定するが、アファーマティブ・アクションでの男性差別肯定する。ラディフェミ男性敵視の姿勢を持つが、しかしマッキノンは男性けが徴兵されることは男性差別だとして否定する。「平等とは、ジェンダーの違いではなく、ジェンダーヒエラルキーを問題にし、その根絶をめざすものである」(*1)からである。マルフェミはよくわからなかった。女性兵士に反対しているので、男性差別肯定されるのかもしれない。

フェミニズムが扱う問題

セクハラ家庭内暴力中絶女性兵士等色々あるが、本稿ではオタク、わけてもアニメオタク関係の深い「性の商品化」について取り上げる。

「性の商品化」の法規制

マッキノンは、猥褻として過去に規制された、まさに「性の商品化であるユリシーズ(J.ジョイス,1922)について「ポルノではない」と述べる(*2)。現実の被害が証明されていないからである。「性の商品化」は法規制の理由にならない。

リベフェミであるN.ストロッセンは「子供や妻への虐待強姦日常的な女性への屈辱行為などを正当化する内容が詳細に述べられている」書籍として聖書をあげ、「禁止されない安全思想などほとんど存在しない」("ポルノグラフィ防衛論",2000)とする。そして性教育がかつて猥褻として政府に規制された例を上げ、ポルノ禁止法は政府検閲に利用されると強く批判する。

一方、上野は「性の商品化」だとしてミスコン廃止を訴えるフェミニストについて、彼女らは「法的取り締まりを要求したわけではなく、受け手として「不愉快」だという意思表示権利行使であると言う。そして「性の商品化」は「メディアのなかでも、なんらかの基準がつくられる必要がある("「セクシュアリティ」の近代を超えて",新編日本フェミニズム6,2009)」とする。

ここから見えてくる点として、女性が「不愉快であることが問題なのだということが分かる。「性の商品化」とは何か、それに実害があるかは、おそらく最終的にはどうでもいいのである。さらに求めているのは自主規制であって法規制ではない。自主規制によって発言者は自ら口をつぐむのだから表現の自由は全く関係のない話である

不愉快」による法規制正統性

リベフェミであるマーサヌスバウム嫌悪感を根拠とした法規制を徹底して批判し、ゾーニング妥当性を論じるが("感情と法",2004)、マルフェミである永田えり子は「ポルノ市場が成立すれば、必然的ポルノ市場の外部に流出する。そして流出すると不快に感じる人がいる」("道徳フェミニスト宣言",1997)としてゾーニング効果がないと批判する。

ポルノは「人々に広く不快を甘受させているかもしれない。そして事実不快だという人がいる。ならば、それは公害である」。「性の商品化は多くの人々に対して、確実に何らかの不快や怒りを与えるはず」であるがゆえに規制されるべきだと主張する。

そのような不快感を根拠とした規制は恣意的運用がなされるという批判は当たらない。曖昧な法は他にもあるが、現に警察と司法は正しく運用しているかである。性道徳に根拠が無いという批判も当たらない。「根拠がないということがすなわち不当であるわけではな」く、それは「正しいから正しい」のである

なお、福島瑞穂非実在児童ポルノ規制は法的安定性が保証されないとして反対しており、この永田見解がマルフェミ共通見解でないことは述べておく。が、例えば児童ポルノ法規制に対して日本ユニセフ協会広報室長の中井裕真から司法は正しく運用してくれる旨の見解が述べられており(永山薫昼間たかし,"マンガ論争勃発2",2009)、これがフェミニストの通説でないことは明らかだが、一定存在する見解であるように思われる。

日本草の根フェミニズム

初期の日本フェミニズムには「反主知性主義」があり、「女性であれば(女性としての経験をもってさえいれば)誰でも女性学担い手になれること、専門的なジャーゴンや注の使用を避け」、「プロアマ距離をできるだけ近づけること」が目指されたと上野は述べている("女性学の制度化をめぐって",2001)。

こうした取り組みで女性が声をあげられる空気を作り出すことに成功したが、結果としてフェミニズムは「一人一派」と化した。筆者の私見に過ぎないが、これは同時にフェミニズムと「私」の区別を曖昧なままにしたのではないか。

「私」とフェミニズムが一体化しているとすれば、「私」が不愉快ならフェミニズム上も不公正に決まっている。それが従来のフェミニズム理論と矛盾していたり整合性が取れなくとも関係ない。「「オンナ対オトコ!」なんて言ってるフェミなんて、いないのになぁ」(北原みのり,"フェミの嫌われ方",2000)が示す通り、従来の理論について知識も興味もないフェミニストは珍しくない。知らなければ(当人の中で)矛盾はしない。

理論を欠いた思想は、しばしば信念や信仰へと還元されてしまいがちである」(*4)と上野は言う。そのような啓蒙主義者にとって「真理はつねに単純である。(中略)真理を受け容れることのできない人々は(中略)真理の力で救済することができなければ、力の論理で封じるほかはない」。そうして治安警察国家を招き寄せる人々は「反主知主義の闇の中に閉ざされる」。

これは実は上野によるリベフェミへの批判なのだが、筆者にはリベフェミではないところに突き刺さっているように思えてならない。

おわりに

このようにフェミニズム一言で言い表せるような概念ではもはやない。日本の初期フェミニズムはマルフェミが中心であったが、現代日本フェミニストは必ずしもそうではないだろう(例えば堀田碧は"「男女共同参画」と「日の丸フェミニズムの危うい関係"で一部の若いフェミニスト愛国心に苦言を呈している)。

最後になるが、フェミニズムはクソだという見解に私は全く同意しない。職場上司女性社員の尻を撫でることは強制わいせつ以外の何物でもないし、家庭内暴力夫婦喧嘩ではなく傷害である。どれだけ成果を上げようが性別を理由に賃金を低く抑え、出世コースから排除するといった制度の是正フェミニズムが尽力したことを、私は決してクソだとは思わない。

私がクソだと思うのは、……まぁ、書かなくても察してもらえるかと思う。

いささか長い増田になった。この程度の調査力でキモオタとかw という批判は甘んじて受けるしか無いが、とはいえもし誰かの理解の役に立ったのならそれに勝るものはない。

2014-05-13

http://anond.hatelabo.jp/20140512161527

結婚自体社会的行為から…それができなければ(一人でいるか同棲?その先にはでき婚なんていう社会的には後ろ向きな婚姻関係があってそいう人たちやその行為は当然、社会的評価は低くなるだろうと思う(マスコミでき婚をもてはやすのは彼らが同じように社会的に程度の低い人間であることを如実に示していると思われ…)。最近話題になっていた婚外子相続問題も同じ理由からくるものだと…それを躍起になって反対する人たちは当然、反社会的人間なんだろうと思う。でも彼ら自身は自分がそうであるという認識は全く持っていないのだろうと…

2014-03-17

君、科学思想化するなかれ

科学は「あるべき」論を欲しない。それが求めるのはただ「である」の集大成であって、科学科学者に「あるべき」姿を望んだことなぞ金輪際ない。「あるべき」姿を求める行為は常に人と社会の関わりの間でのみ起こりうる現象であり、すなわちそれを求めるのは科学でなくて社会なのであるからして、まるで科学のもの原理として、「あるべき」姿のごとき、ともすれば宗教タブー律法のようなもの存在するかのような議論は、極めて非科学的と断ずる他ない。

ノバルティス社の臨床試験データ偽装は何が問題だったのか。言うまでもなく、効果の不確かな薬品をそうでないと偽って売り出そうとした商業的な詐欺片棒をかついだことであり、すなわち社会的行為としての罪であって、決して科学として「あるべき」姿を犯したからでも、タブーを破って神の怒りを買ったからでもない。科学はいついかなるときもその「あるべき」姿を自ら求めることはなく、従って「あるべき」ように見える科学のあり方に反したことそのものが罪になることなどあり得ない。

論文剽窃もまた、何故か当たり前の様に科学のものルールに反した行為のように語られているが、実際のところそれの何が問題であるのかと言うと、単に労働市場競争原理にもとる行為であるからに他ならない。誰が誰を剽窃し功績を偽ろうと、それは科学の「である」ことの積み重ねそのものには何の直接的な影響もないし、それを利用するものにとって、正しい知識が誰から得られたものであるのかを気にする意味はない。ただ、金銭や名誉という社会的インセンティブ人間としての科学者に間接的な影響をもたらすのみである

不思議な現象は、科学哲学立場からこれらの「あるべき」論を押しつける風潮のあることであるしかし、科学哲学科学がどう「である」かを論じるものであって、科学がどうで「あるべき」かを論じるものではない。哲学に出来るのは、それが「科学と呼べるのかどうか」を「哲学の外」(主に科学現場から持って来た観察を元にすりあわせることだけであって、「哲学の中」で決まった「あるべき」論を元に「これは科学」「これは科学でない」と勝手現場事象を振り分ける様になってしまっては、宗教原理をもとにありとあらゆる森羅万象解釈する妄信と何ら変わらなくなってしまう。

科学論文の不正捏造が批判されるべきでないなどとは言わない。言うはずがない。しかし、このように本当のところ何が問題であるのかは社会的行為として誰が誰に罪を負うのかを個別の事例として見なければはっきりとは言いがたいものであって、それが「科学であるが故に「いかなる瑕疵も許されない」、「たった一つの不正が信頼を揺るがす」などとヒステリックに騒ぐのは、ナイーブと言うか原理主義的と言うか、非常に危うい日本人知的状況を浮き彫りにするだけのものに見える。科学をもって「信頼を損ねる」などと、信じるか信じないかの問題にしようとしてしまう勢力を前にして、「科学所詮現代宗教」とシニカルに眺めていれば良い状況とは、自分にはとても思えない。

 
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