はてなキーワード: 巨人化とは
ガンダムの脚本は無理ゲーを強いられており、今後も視聴者に袋叩きにされ続ける貧乏くじの役割です。成り立たせようがない矛盾を矛盾させないことを強要されてます。
女児向けアニメでもジャンプ漫画でも見受けられるけど、呪いや悪霊や妖怪など人間以外の存在と戦ってお祓いをして地元の治安を維持する系(スピリチュアル自警団とても言えばいいのか?)は、おもちゃ販促と非常に相性が良い。
呪われて奇行に走っていた人を解呪してあげることで本人も周囲も救うような建付けなので、主人公が持っているアイテムを模したおもちゃも自動的に正義に分類できる…というか配慮対象がいらない。
ミニ四駆やベイブレードや遊戯王カードなどでキャラクター同士が勝負をしているアニメ、キャラクターたちと同じおもちゃを買って自分と友達も遊ぶことができる、という建付けも非常に相性が良い。
物語はこの勝負に勝つこと、このトーナメントで優勝すること、などを目標としている。甲子園を目指す野球漫画のように非常にわかりやすい。
水星の魔女が決闘だけやっていたり、ジークアクスがクランバトルだけやっていたらこの方向性に近かった。違法賭博は伴うが。
ダリルバルデやギャンは活躍したから欲しくなるが、人を運搬しただけのデミバーディングや、棒立ちで死んだハンブラビは活躍しなかったから欲しくならないと叩かれる。この、「好感度を維持しながら活躍する機体」を用意する難度が異常に高い。
兵器の活躍となると殺し合いか防衛か殺しとなる。そして大量殺戮を格好良いものとして描くと、作品の倫理観がどうなのか?ミリオタポルノ臭い軽薄な物語じゃないか?というケチがつく。
ジフレドにはニャアンが雰囲気でア・バオア・クーを消滅させたイメージが付きまとう。すごく殺人がカジュアル。でも何もできなかった機体よりは販促の観点では良い仕事をしている。
関連玩具を売らないといけない種類のアニメはストーリーと販促を両立するか、販促を優先してストーリーが犠牲になるかの二択になっており、戦争やテロを扱いながらロボットを売る場合はロボットを引き立てるために殺人は軽い扱いになる。それはどうしようもないことで、兵器のおもちゃのフェチが金を動かしているからそうなるしかないのであり、ストーリーは今後も期待できない。そもそも成り立たせようがない無理難題を押し付けられているのがロボットアニメの脚本で、今後も作られてはストーリーにケチをつけられMSが活躍していないと言われ袋叩きにされというのを繰り返すのだろうと思う。人類以外の侵略者に対して地球を防衛する…という立場をとったブレイバーンの建付けでないと兵器としての活躍の純粋な正当化が難しい。ガンダムは人と人の戦争やテロ行為を扱い続ける。これと、兵器を美しく描いて販促することの両立は、構造からして無理。「軽薄」に寄ったのがジークアクスで、軽薄にならないよう半端な努力をした結果2期の展開がモタモタしたのが水星だ。そして常に、プラモデルを売上は犠牲にできないので、倫理やストーリーの整合性が犠牲になる。シュバルゼッテの販促義務という制約の中での、ラウダの人格のめちゃくちゃさといったら…。
一般素人がラッキーでいきなり力を得る展開の説明としてロボットを得ることは向かないということを説明します。
父親が車好きなのと比べて、自分はあまり車を運転することに自由や楽しさを感じられない。機械の操縦にロマンを感じられない。
渋滞、コインパーキングが満車、月極駐車場が高い、交通事故を起こしたくないのにチャリやLUUPや子供が飛び出してくる、などなど車に付随する諸々がかなり不自由。気を張りながら運転し、終わったらどっと疲れる。
自家用車じゃなく必要なときにレンタルするものだから「専用機」でもなく毎回車両感覚がリセットされ苦労する。
機械の操縦、車の運転、というものに身体拡張の快楽を覚えられる世代や環境と、そうでない世代や環境はあると思う。
つい先日YouTubeで、北海道で軽トラを運転しているときにヒグマに襲われてフロントガラスにヒビを入れられる動画を見た。生身なら確実に死んでいる。危険な野生動物がいる地域、施設から施設までの距離が遠すぎる地域などは、車に生かされるというのは実感を伴う感覚だと思う。生身だと死ぬシチュエーションが多いので。
しかし自分が暮らしている場所は人口密集地で、日常生活においては車を停める場所に悩まされる、不自由になるシチュエーションが多い。大きな機械の操縦席で乗り回す快楽に、ロマンに、スムーズには乗れない。
ジークアクスで言うと「エグザベには起動できない」「ニャアンがコックピットから急に放り出される」といった描写に、かなりの生理的嫌悪感がある。
馬が特定の人間を嫌って、暴れて落馬させるのは納得する。生き物に好き嫌いがあることは当たり前。
ブレイバーンがスミスを乗せなかったのも、後々の説明を聞くと納得できる。エアリアルがスレッタを特別扱いするのも、姉が宿っているという設定があるからだ。
ジークアクスは生き物っぽい依怙贔屓を機械がやりながら、その説明をブレイバーンのように行うこともなく不気味なまま流される。
この気持ち悪さは許容できなかった。例えるなら「ハゲが嫌いなのでハゲに購入されると発火しやすくなるリチウムイオン電池」みたいな気持ち悪さ。
素人がチート機体に選ばれたら訓練をしなくてもいきなりオートパイロットが強力にきいてなんとかなるのが興ざめする。
いきなり動けることについて、初の巨人化したエレンが最初からヘタクソなりにまあまあ動けるのには納得感がある。肉のままの「大型化」であり、コックピットで操縦桿を握るのとは違う。またアニのように格闘術を素の状態で習得していると巨人状態でも活用できるのも楽しい。
マチュが盗んだジークアクスをいきなり動かせて勝てるのは萎える。そのままずっとオートパイロットで良いじゃん。
オートパイロットで勝手に動く優秀なモビルスーツに乗るパイロットの意味って何なんだと思う。
好き嫌いが強い機械にとっての、モチベ要員?エグザベは抜けない、マチュは抜ける、ニャアンは抜けるかなと思ったけど抜けないからやっぱポイー。みたいな気持ち悪さしかない。
「機械が意思を持ちユーザーを選ぶことへの生理的嫌悪感」でも述べたけど、本当に気持ち悪い。ブレイバーンはキモいキモいと騒ぎやすかった割に騒いだほどではなかったけど、ジークアクスの気持ち悪さは気持ち悪いと言いづらいながら本気で気持ち悪い。
ガンダムに熱中するのは個人の自由ですが、それはフェンタニルやアルコールやカフェインなどの物質依存になったりQアノンやオウム真理教その他のカルト・陰謀論コミュニティにズブズブになるより無害という程度です。ガンダムを知らない人を見下すような教養では断じてないです。
旧作ガンダムを知らないのは、単に世代が違うか、その流行に触れてこなかったコミュニティにいただけの話。サッカー選手名や野球選手名を知らないのは無教養ですか?ファッションショーに出ている服飾ブランドの名前を知らないのは無教養?いいえ、趣味の範囲です。知らないことは愚かさでも罪でもないです。ただそういうコミュニティにいないからなじみがないだけです。人の勝手です。
エンジニアの勉強会にけものフレンズやまどマギの話を持ち込んで、観ていないエンジニアが「知らねーよ」となる話が一時期頻発してましたが、いまガンダムがその枠になってるだけです。流行しているアニメの視聴がゴルフ接待のようになっている。
Qがエヴァをパクったのか、エヴァ的なスタイルは昔からあるものなのか知らないが、意図的に説明を省き解釈の余地を過剰に残すとファン同士の解釈バトルを誘発し、それを収益化するYouTuberを生む。
Qドロップも思わせぶりで行間が多い。個人的には行間が広すぎるというのは上品とも知的とも思えず、不誠実で逃げを打っているとしか思わないが、このスタイルは「解釈やさん」に役割を与えるのでXのバズやYouTube収益などサードパーティーを食わせてやったり承認を分け与えてやったりすることができる。
「解釈やさん」に多くを譲るほど、本体であるはずの作品は、単体では何を言っているのか全くわからないものになる。というより、何も言っていないのかもしれない。「解釈やさん」にアテンションを分配すること自体が存在の目的なのかもしれない。エヴァもそうだし、ジークアクスもそうだ。彼らは「解釈やさん」であるとか、「旧作オマージュ早押しクイズやさん」に活躍の機会を与えている。そのコミュニティ含めてエヴァ体験・ジークアクス体験としている。
作品単体では意味不明であり、解釈やさんの主張も作中で一言も書かれていないような内容がたくさんある。はっきり言って、統失のような解釈が山盛りに溢れている。それを包摂しているのがカラー作品のコミュニティになっている。
カラーのアニメのようなものがなく、伝統宗教も崩れると、待っているのは薬物乱用(フェンタニル中毒になると1~3年で死んだりするようだ)か陰謀論(ピザゲート事件のような現実の発砲事件も引き起こす)の隆盛であると考えると、カラー作品が主導するコミュニティは素質がある人々をフィクション消費の範囲内で包摂する「防波堤」なのかもしれない。
しかしあくまでオウムやQアノンよりマシという消極的な評価であり、カラー作品の解釈に多くの時間を費やせることが教養であるとは少しも思わない。マウントのアイテムにもならない。リストカット自慢やOD自慢のように、自慢されても羨ましくない。カラー作品の行間を噛み締めることに時間を使わないとやってられないような人生が羨ましくないんです。マシ、防波堤、必要悪、です。
2024-25の年末年始は「進撃の巨人」のアニメを一気見したので感想(主にユミル)。
ユミルはフリッツ王家から巨人を発注されたら「道」で水と砂をこねて巨人を作ってた。発注内容にもよるが基本的には元となる人間を模して作られていて、ユミルに造形の才能があったのなら、かなり早い段階でもともと人間だという考察が得られただろう。
九つの巨人は「こういうのがほしい!」って発注されたやつで、最終的には九つだがサ終した巨人もいたのかもしれない。要件定義はちゃんとせなあかん。オカピ巨人は「かわいいの!」って発注されてユミルもお気に入りだったのかも。女型はユミルの理想像で「いいのができた!」とドヤ顔してるユミルの顔が思い浮かぶ。
発注→作成→納品までの期間、現実世界は一瞬だがユミルは一体一体手ごねしていた。壁にする超大型巨人を発注されたときはびびったに違いない。全部完成するまでに数千~数万年かかってるかもしれない。最初は大きくするとバランスが崩れて倒れてしまって、足を象みたいにすることで安定させたのだろう。倒れない超大型ができたときもドヤ顔したはずだ。
だからエレンから「発注元のブラック企業はコンプラ違反で廃業するからもう作らんでええんやで」って言われて歯を食いしばって泣いたのだ。
ユミルはエルディア人を自由に操れるというが、おそらくユミルなりの理屈をもって操っているのだろう。ジークの「生殖能力を奪え」という命令は「どんな理屈?実は全員男性だったとか?うほw」とか妄想しながら座標に歩いていたためエレンも追いつけた。エレンの「巨人の能力をなくす」は、初代フリッツ王をかばわずに死んだ未来を採用することで、その後のエルディア人には巨人化能力が引き継がれなかったという理屈にしたのだろう。ジークも要件定義は目的と手段を明確にせなあかん。
ブタを逃がした罰でユミルは集落から追放されるが、その際のフリッツ王の言葉が「お前は自由だ」なんだよね。そして地鳴らし中のエレンが人類を踏みつぶしながら「自由だ」とも言っている。AIによると「「自由」の対義語には、「束縛」「専制」「統制」などがあります。」とのことで、本作での「自由」は本来的な意味で使われている。現在の「自由」って「束縛」や「統制」内の許容範囲的な意味で使われることが多いけど、本来は集団から追放されたり、すべてを駆逐できる力をもつことでしか得られないんだね。
ユミルがミカサを選んだ理由だけはいまいちピンとこなかった。自分にはない強さと自分と同じ一途な愛をもっていたからとか?最後口の中にエレン本体がいるのもユミルが教えたのかな?首ちょんぱからのキスシーンは、奴隷時代のユミルの性の目覚めになったきっかけでいわゆる性癖。これにはユミルさんもニッコリということだろう。
あと光るムカデが死んだシーンはなかったよね。おそらくユミルが巨人の力を消したリセットした時点でそれまでに蓄えた力がなくなって、最初の大きさに戻ったのかな?そこからエレンと繋がるという目的を維持したまま、エレンの首のある木に向かっていって最終場面に繋がると理解しました。
しかし、私が実家から出た後、その部屋は今子供部屋おばさんの妹(とはいえ20代前半)が私のものを全て処分しリニューアル、オシャレな地獄に改造し、毎週必ず剣闘士を呼んでいる。
妹は筋肥大障害があり気は大きくて力持ち、手加減が苦手なので、妹都合でラフファイトが多めになるようだ。
両親は「こんな妹ちゃんとド付き合ってくれる、タッグパートナーを考えてくれる人、逃したくない」と黙認、なんなら気を遣って自分たちがプロモートする始末だ。
相手の男は妹と同階級、まだ中級闘士だけどバトリンピックに内定が決まっている。
一方妹は前述の巨人化疾患に加えて満月の度に人の限界を超えてくる女で、ファイターのくせに武装やチャリオットに金をかけて、懸賞金や要注意リストがまだブラックブックに残っている。
男は妹に負けこんで、こないだのアポカリプス、力士の手形プレゼントしてもらってた。
男共はどうしてこんなサイヤ人の王子的なライバルキャラをやってしまうというのか。
どう考えても聖剣士でランキングも比較的安定しており賞金首は解消済み、真面目に生きてる私と交戦/決闘した方が幸せだろうが。
大切に扱われたかった!
https://twitter.com/dun_meshi_anime/status/1775886046439563274
バンプは好きだが、OP1あまりにも動かなすぎだったから予算ないのかななどと思っていた
本編は動く時は動いてたが
OP1は雰囲気はいいと思うが、目を閉じて巨人化って演出意図がよくわからなかった
質っぽくしようとして意味不明になっただけみたいな
変にしっとりしすぎで、メシ要素がなく冒険へのワクワクも感じられずEDにするようなOPだった
OP1アンチというほどでもないが、なんかしっくりこねえという思いはあった
2クール目はパーティメンバーに追加があるが、途中からOPに追加されるのかな
途中から出てきたキャラが追加されたり、表情が変わったりするの
ああいうの好き
「魔術街サリア」を先に進んで「ミリセント」のイベントを進める。
片手を病気で失っても?使命を思い出して旅に出ると言う。なんだか大変そうな人だ。
「腐れ病の教会」のメッセージ見るに、わりと人気のキャラなんだろか。
「腐れ病の教会」近くに地下墓へのヒントを示す像あったので探してみるも、なぜか辿り着いたのが「英霊たちの地下墓」で、騎士の集団戦に巻き込まれてボコボコにされ退却。
どうやら正解の地下墓は「サリアの隠し洞窟」のようだけど、オープンワールドの隠し扉はさすがに見つけづらい。
ここは後回しでいいか…。
今度は「火山館」に行ってイベントが進むか確認するも「ラーヤ」が居なくなっただけで、とくに変化ない模様。
「火山館」出てずんずん進んだ先にある祝福(罪人送りの道?)近くにいる「死ぬと巨人化する燃えてる人(名前不明、即死攻撃うざい)」と「爛れた樹霊」を撃破。
「小黄金樹」の先に進めば、どこか新しいエリアに行けるかと期待したけど、とくに収穫なし。
そろそろ「王都ローデイル」で「最初の王ゴッドフレイ」から進んだ先にあるボス部屋に入らんといかんのだろうか。
なんだか、ここ最近は「火山館」と「王都ローデイル」でループしてるな…。
「祝福の導き」はいっぱいあるけど、てんで方向バラバラで、次にどこに行けばいいか迷ってしまう。
本編最新作のポケットモンスターソードシールドの世界では、ポケモンが巨人化する
ムゲンダイナという古代生物のような神話のようなポケモンの放つエネルギー、ガラル粒子を浴びるとポケモンは巨人化してしまう
アニメだと巨人化したポケモンは無垢の巨人のようにさまよって人を傷つけていた
ダイマックスバンドを持つトレーナーのみ、自由にポケモンを巨人化、再縮小化が可能だった
今回出た外伝の最新作、ポケモンLEGENDSアルセウスでは、ポケモンは人を襲う危ない生物として描かれている
野生のポケモンから身を守るため、村は柵で覆われており、門番が村を守っている
ポケモンを調査、研究し、利用、使役するなんて危険だしやめるべき、私はポケモンなんて嫌い、という村人が多数派の様相
そこで、人類がさらに土地を開拓し発展するためにはポケモンの捕獲研究が必要、ということで、村を治めるギンガ団は村の外で活動する「調査隊」を組織し、主人公は村外で調査活動を行う、というのが今作
これさー
【タイトル予想】
「代償」「贖罪」「鳥」「鳥籠」「あの景色」「この世界は残酷で美しい」
【ストーリー予想】
※ ※ ※ 138話までのネタバレあり ※ ※ ※
エレンの首が落とされたので、始祖・進撃・戦鎚が継承待機状態(出産されるユミルの民待ち)。
始祖ユミルが笑顔だったのは「道」での奴隷業をエレンと交代できるフラグが立った為。
ミカサがエレンの居場所を知ったのは多分「道」でエレンと過ごした際に知ったから。
「道」の中の歴代の知性巨人と同様、首切られたエレンも「道」にまだ存在する。
アルミン、大ピンチの仲間を救う為、無知性巨人の動きを止めるよう要求。
エレン&ユミルは拒否、団結してアルミンを攻撃・・・と見せかけて、エレンが「自由だ」とユミルに奴隷解放宣言。ユミルと対立。
アルミンの頭脳戦やらなんやかやあって、光るムカデが敗北。ユミル無力化。
エレン完全死亡(死亡直前にアルミンと共に「未知の世界」を見たり、ヒストリアの赤子を抱き上げる)。
全ての巨人能力は消滅し、13年の呪いが解ける。知性巨人も巨人化した104期生も助かる。
座標と「道」は閉ざされる。進撃を含めた全ての巨人は継承されない。
巨人消滅後、一度は手を取ろうとしたマーレ人たち非エルディア人はPTSD。エルディア人達の巨人化能力は失れてもトラウマは残る。戦争は続く。
たとえば今、進撃の巨人ファイナルシーズンのアニメを観てて、結構楽しんでるんだけど、どういう流れで今に至ってるか?っていうと全然わからん
漫画は読んでたんだけど、全部実家に置いてあるから手元にない つか、アニメも観てるはずだから理論上全体を2周してるはずなんだよな
・壁の中に人類が暮らしていて、外敵として巨人というものが存在する
・主人公エレンは壁の外に憧れる少年で、なんやかんや平和な日常を送っていたが、ある日壁を破ってきた巨人に親を食われ、家をなくす
・エレンは巨人への復讐を誓い、壁の外を調査する調査兵団という軍隊みたいなところに入る
この辺まではまあまあ覚えてる
・その力を使って岩を持ち上げ、壁に空いた穴を塞ぐ
・その正体は兵団の同期だった
・城みたいなところで籠城する
・クーデターを起こす?
・対人戦をしばらくやってた記憶
こういう、細かいイベント単位では思い出せるんだけど、全体の流れが全然わからん
壁の上で衝撃的事実が明かされ、エレンくんが攫われるあのシーンは覚えてるが、それが王都で対人戦やってた時期より前か後か覚えてない
そもそもなんで王都で対人戦みたいな流れになったのかも覚えてない
ももたろう程度の複雑さの話しか体系だって思い出せない気がする
べつにいいんだけど、皆こんなもんなのかな
何周もしてたら全部頭に入るんだろうか?
この物語の舞台はパラディ島というだが、このパラディ島は人類に対するキモオタの立ち位置を描いているといっても過言ではない。
キモオタというのは巨人化する力を失ったエルディア人みたいなものだ。
エルディア人である限り、まして無力である限り、世界から永遠に迫害され続ける。
ただ全世界の人々を刺激しすぎないように「わきまえたオタク」であり続けることだ。
それはパラディ島の中でイキってるだけのフリッツ家の人間であるにすぎない。
調子に乗りすぎて目立ってしまったら、すぐに諸外国にリンチされる。
そういう存在にすぎないのだ。
キモオタが自由に生きるためには全人類に戦いを挑んで敵をみんな滅ぼすしかない。
これほどまでにキモオタの現実を的確に描いた作品を他に知らない。
これを読んでいればキモオタはわきまえたオタクとして生きることができる。