はてなキーワード: ロミオとは
アロー戦争 英仏連合軍に大敗、清には対抗できる艦隊は存在せず海戦は起こらなかった
洋務運動の一環として清朝官僚の曽国藩、李鴻章によって江南機械製造局(現在の江南造船所)が上海に建設される
ロシアによって中東鉄路公司輪船修理工場(現在の大連造船所)が大連に建設される
日露戦争後、川崎造船所(現在の川崎重工業)が大連造船所と旅順造船所を運営
1945年までに3度にわたり拡張され、中国最大の造船所になる
★清朝滅亡
イギリスの実業家Nils Mollerが上海に"Mollers' Shipbuilding & Engineering Works"(現在の滬東中華造船)を設立
日本軍が江南造船所を占領し朝日工作部上海工場と改名、三菱重工が運営する
日本軍が"Mollers' Shipbuilding & Engineering Works"を占領し三井造船所と改名、三井造船が運営する
海軍の礎が築かれる
★中華人民共和国が成立
古寧頭戦役/金門戦役 中国人民解放軍海軍は大量の漁船を徴用し金門島を占領しようとしたが大敗、これによって台湾侵攻を断念
戦争の歴史から、二度と繰り返してはならない、という思いを抱くのは日本だけではありません。中国もそうです。しかし、どんな教訓を得るかは、国によって異なります。
(略)
毛沢東は,1949年の中国人民政治協商会読第1回全体会議における開幕の演説で
「......どのような帝国主義者にも再び我々の国土を侵略させてはならない......我々は強大な空軍と海軍を保有しなければならない(......不允許任何帝国主義者再来我們的国土.....而且有一個強大的空軍和一個強大的海軍)」と指摘し,
1953年には
「わが国の海岸線は長大であり,帝国主義は中国に海軍がないことを侮り,百年以上にわたり帝国主義は我が国を侵略してきた。その多くは海上から来たものである(我們国家的海岸線視長,帝国主義就是欺負我僧没有海軍,一百多年免帝国主義侵略我臥大都是従海上乗的)」と軍艦の上で演説しました。
(略)
共通のできごとから「二度と繰り返すまい」と決意したとしても、国によって得た教訓は異なります。
いじめた側といじめられた側では、同じ出来事もずいぶん違った記憶になる道理です。侵略をして反省した側は「二度とあんなことはすまい」と消極的になり、侵略された側は「二度とあんなことはされまい」と積極的になるわけです。
そのために、国際政治の歴史の中では、あるときは羊のように餌食にされた国が、後には一変して狼のように振る舞い、そのことがかえって敵を増やしたりします。その逆だってあり得るでしょう。
朝鮮戦争勃発
劉華清 ソ連・レニングラードのクズネツォフ海軍大学校に留学、セルゲイ・ゴルシコフに師事
第一次台湾海峡危機 江山島、大陳島を中華人民共和国が占領される
★6607型駆逐艦(鞍山級駆逐艦/7型駆逐艦/グネフヌイ級駆逐艦)がソ連から供与される
1930年代にイタリアから技術導入をしてソ連が建造した艦で時代的には吹雪型駆逐艦と同時期
50型警備艦(リガ級フリゲート)がソ連から供与され、6601型(成都級)としてノックダウン生産される
第二次台湾海峡危機 金門砲戦 中華民国側が防衛に成功、以降中華民国と中華人民共和国の間に大規模な戦闘は発生していない
その後中ソ対立によってソ連からの技術援助が打ち切られたため中国は潜水艦の国産化を迫られることとなった
ある日の夕食。
仕事帰りにすき家でテイクアウトしたチーズ牛丼を買って帰ったんだ。
「ほら見ろ息子、今日は特盛だぞ!特盛チー牛、父の愛だぞ!」
「……我が妻よ……」
学ラン、メガネ、異常なほどのオイリー前髪、そしてチーズの香りを背負った男——チー牛(実体化)。
「久方ぶりだな……また会えた……」
俺が立ち上がると、チー牛はまるでロミオのように手を伸ばして息子を見つめる。
「この少年こそ、前世で私の妻だったチーズ牛丼特盛温玉付き……今世もまた、その魂は同じだ……!」
「関係ない……」
チー牛は真剣な目で言った。
ドーーーーーン(謎の効果音)
「いや、性別以前に種族もおかしいだろ!?てか、前世がチーズ牛丼ってなんだよ!?」
チー牛は胸に手を当てて言う。
「私はどんな相手とも繁殖可能な能力を持っている。性別、人種、種族、調味料の違いすら超越するのだ……」
「ネーミング雑か!!」
もう限界だった。
俺の拳が火を吹く。
ドゴォッ!!!!
チー牛、吹っ飛んで5メートル先の壁にめり込む。
湯気だけが残ってふわぁ〜って漂った。
「……私はただ……温玉のように……あたたかい愛を……求めていただけなのに……」
「……私は滅びない……肉体が滅んでも……この愛は、また湯気とともに蘇る……」
——沈黙。
息子「パパ……あれ、なんなの?」
夏目漱石の「月が綺麗ですね」論は漱石の結婚生活を垣間見ることができます
坪内逍遥はシェイクスピアやイプセンなど戯曲の研究家であり、弟子に二葉亭四迷、妻は宝塚女優、新劇の普及に努めました
ロミオとヂュリエットの「愛されないならいっそ死にたい」となど登場人物の激しいセリフも訳しています
一方、夏目漱石は英語教師でしたが妻の父はドイツ語翻訳家の官僚中根重一で、獨逸学協会幹部です
当時ドイツ語と言えば医学薬学書など質実剛な実用書か法学哲学書の類で、文芸派とは真逆の世界です
そのような義父がいればI love youなど女子供が見る芝居のセリフがサラっと言えるとは思えません
「嫁の畑が悪いから。」
初めて言われた時の衝撃が忘れられない。
私が結婚した年
義母「次は私さんね!」
義父「楽しみだなぁ。」
元夫「子ども早く欲しいなぁ。」
私「ですね〜。」
私(は?元夫との行為今まで1度も成功してないのに何を言ってるんだろ…)
私はこの時点で子どもは既に諦めていた。
とは言えどできるでしょって思ってた。
できなかった。まじか…
とりあえず持続できない。
最後までできない。
もどかしさで不機嫌になり、私にあたる。
週1で義務のように言われ、
そして、勿論できない繰り返しである。
まず、射●した事あるのか疑問だった。
(ここまでできないと。)
やんわり聞いてみると1人でした事ないと。
そんなの嘘だと思ってた。
でも本当らしくて衝撃だった。
「俺は病気じゃない!」と
放っておこう。
メモが置いてあった。
「旦那様を病気扱いにする前に、早く妊娠できるように努力すべし。精神的に追い詰められてるなら入院も検討。」
放っておこう。
約1年が過ぎた頃、
元夫「養子を取るか。」
私「そんな簡単じゃないよ?」
元夫「両親には施設は伏せとけ」
元夫「風船かボール入れとけば」
放っておこう。
いよいよおかしくなっているんだろうなと思っていた。
相変わらず行為は成立しない。
義妹第二子ご懐妊。
その時に元夫と祖母の会話が
元夫「俺は考えてるんだけどね」
祖母「嫁がなっとらんのか」
元夫「嫁がね。俺は頑張ってる」
元夫「嫁の畑が悪いからかもしれない。」
笑顔で私に言いやがった。
Xデーに備え始めた。
何かと突っかかり喧嘩が増えた。
Xデーにはまだ準備不足の為、
私は黙るしかなかった。
私は静かに耐えた。
Xデー2週間前くらいに
随分態度もでかくなり王様みたいに
ふんぞり返っていた元夫と喧嘩になった。
夕食いらないという。
私「なら明日に回していい?」元夫「いいよ。」
翌日夜、元夫「旦那様に前日の残り物出すなんて!」私「昨日いいって…」元夫「言ってない!」
翌日朝、元夫のメモ【別居しまーす!家賃○万払ってください!半年以内に出産しないと離婚です!】
勿論妊娠などしていない。
Xデーはもうすぐ。
その日の夜ニヤニヤしながら帰ってきた。
元夫「読んだ?」
元夫「そのままだよ!!相変わらず頭悪いな。半年経ったら離婚だからな。俺は半年待ってやる優しい旦那様だからな。」
2日後、離婚の意を伝え
元夫の答えはNO。
元夫の望み叶えたんだよ?
【君が作った温かい食事が食べたい。君が待つ家に帰りたい。もう一度心を入れ替えるからやり直すチャンスをくれないか。2週間で君の理想の旦那様になるよ。】
菓子パン温かくないしなぁ
あとなんで上から目線なんだろう。
放っておこう。
拝啓 元夫様へ
離婚して数年後、とても優しい方との間に
元嫁の畑悪くなかったみたいです。 敬具
休みの日は、大抵家で過ごした。掃除をしたり洗濯をしたり、たまには料理を作ったり。あとは布団の上に寝転がってスマホに熱中する。熱中などと言ったら、好きでやっているようにも聞こえるかも知れない。しかし私の場合、スマホに触るのは、どうにもならない虚しさから逃れるためでしかない。何かをするよりも何もしないでいるほうが難しいのだ。不安という魔物に追われて逃げ惑う姿は、傍から見れば実に滑稽にちがいないが、誰かに咎められるわけでもない。安全な家の中で、私はひたすら自身の孤独と格闘する。
今も昔も、おにぎりを三角形に握るのは、私の唯一の特技と言って良いだろう。毎日、朝食に欠かさずおにぎりを食べたものだった。職場近くの公園のベンチに腰をかけながら。聞こえてくるのはスズメの声だけだ。砂場も遊具もあるから、昼になれば児童が興を添えるのであろうが、今は散歩する人さえ通らない。朝の光が木々の梢を透かしておにぎりを含む私の頬を照らしている。春や秋にかぎらず、夏は額に汗を滲ませながら、冬は寒さに身を縮めながら、私は1年中ここで朝食をしたためるのである。不思議なものだ。外に出るのも億劫がる子供だったはずが、大人になって公園が好きになるとは、いったい何の因果だろう。家と職場の中間の、誰にも煩わされない微妙な距離感の上に安住できるひとときは、私にとって最上の幸福だった。
いつからか、公園にひとりの女性の姿が見えるようになった。出入口のあたりの、植え込みを囲うコンクリートの上に腰を下ろし、足を組み、あたかも「考える人」みたいに頭をやや傾げながら、スマホを覗き込むように見ている。ベンチに座る私の位置からは、対角線上に進んで30メートルくらいは距離があるだろうか。顔は判然としないけれども、ショートカットで、すらっとしたきれいな身なりをしている。歳は私よりもいくらか上だろう。おにぎりを食べ終わった私は、職場へ向けて公園を後にするのであるが、その際、かならず女性の前を通ることになる。女性は相変わらずスマホを覗き込んだまま通行人の存在には無頓着である。私が家で熱中するのとはちがって、彼女のスマホへの接し方はどこかしら優雅で、気品があり、悠々とした感がある。当時シェイクスピアの作品を読んでいた私は、いつしか心の中で勝手に彼女を「ジュリエット」と呼ぶようになった。
ジュリエットは、来る日も来る日も同じ姿勢をしていた。服装も、もちろん日毎に異なるとはいえ、上品で垢抜けたところは、いつだって全然変らなかった。そして常に私には一瞥もくれなかった。おにぎりを食べながら、横目でちらと様子をうかがうと、昨日の光景と寸分も異ならない。前を通ろうとすると、心もち身体に力が入るものの、ジュリエットのほうは我関せずといった風で未だスマホを覗き込んでいる。私が春夏秋冬おにぎりを頬張るのと同じように、彼女も季節の別なく自らを貫くのである。ただひとつ異なるのは、私ひとりだけが、彼女に勝手に名前をつけ(まさか彼女は私を「ロミオ」と呼んではいまい)、家や職場からの逃げ場となっている公園に突然現れた女性を、妙な存在として気にせずにはいられなかった所だ。
幼い頃から、友達と遊ぶのも気が進まず、家庭の中にも居場所がないと感じがちな、さびしい少年だった。勉強はできないし、かけっこをしてもビリが定位置。学校に好きな女の子ができても、ばれないように取り繕うのに必死で、感情を表すのを恐れるばかり。そのまま体だけが大きくなり、大人と呼ばれるようになった。ひとりぼっちの自分が見つけた幸福の空間に、見知らぬ人が入り込んで来て、今、どうして嫌な気持がしないのだろう。ひとりで遊んでいるところに友達が来ただけで逃げてしまうような子供だったのに。私はやはり大人になったのだろうか? 考えれば考えるほど、むず痒い気がして、やりきれなくなる。この感情が一体何なのか、自分にもよく分からない。くだらないと思って何もかも打ち消そうとするけれど、朝日の下の残像が瞼のうらに貼り付いて離れない。しかも彼女は微動だにせずあそこに座っている。雨の日も晴れの日も、世の中がどのように移ろおうとも、ここだけは同じ時間が流れていた。ふたりの男女がそれぞれの世界に住みながら、公園という場所だけ共有している、夢の中のようなおぼろげな時間が。
私がその公園を最後に訪れたのは、退職した日であった。冬用のコートを着たジュリエットは、寒さも忘れてしまったみたいに、その日もいつもと変らずスマホに夢中になっているようだった。が、おにぎりを食べ終わり、いよいよ出勤しようと出口を抜ける間際、彼女の頭がほんのすこしだけ上がって、こちらを見たような気がした。馬鹿馬鹿しい。気のせいに決まっている。もう会うことはないと悟った私の感傷が起こした錯覚というものだろう。でも、当時の私には彼女の視線が重たく突き刺さるように感じられてならなかった。あの一瞬間が長い年月を経た今になってもよみがえる。私の生活はあれから少しも変っていない。休みの日は、掃除洗濯料理に、それから不安に苛まれながらスマホをいじるだけ。スズメの声と、朝の光と、おにぎりと、ジュリエットと。——遠く過去の記憶のなかへ去っていくあの日常が、時々私には恋しくてたまらなくなる。
2位 Mr.Children:「Sign」
4位 ORANGE RANGE:「花」
5位 Mr.Children:「掌/くるみ」
7位 ORANGE RANGE:「ロコローション」
8位 サザンオールスターズ:「君こそスターだ/夢に消えたジュリア」
10位 Gorie with Jasmine & Joann:「Mickey」
うっへー懐かしー って感じのラインナップ
でも、これ、2004年時点で考えたら1984年の邦楽を懐かしんでるみたいなレベルなんだよね
7位 芦屋雁之助:「娘よ」
やばない?
さらに5年経てば、2009年のボカロ曲たちが『20年前の懐かし曲』に入るんだけど
「ロミオとシンデレラ」 「裏表ラバーズ」 「炉心融解」 などが20年前の曲になるんだけど
ほんとにやだ
マジでおばさんじゃん…
著作権が親告罪だから見逃されてるだけで、講談社やKADOKAWAが本気出したら、全員星野ロミオだよね????
外人からみたら「わーおクレイジー!ニッポンジンハ犯罪民族デスネ」とかならん????
「著作権者にもメリットがあるから見逃してるんだ!」がキモオタどもの金科玉条だけど、どっちかというと
「著作権が訴える手間と費用に見合わないから泣き寝入り」なんじゃないの????
いや、たぶんケースバイケースで、どっちのスタンスの作者も居るんだろうけどさ。
本人訴訟が最近流行りだけど、やろうと思ったら、コミケの2次創作なんかの被害額も、だいたい10万円程度の窃盗にあたりそう。裁判で請求する損害賠償額的に。
自分も考えてみたわ
・ドラゴンボールのアニメでギニューと悟空が入れ替わったとき(それ以降アニメみれなくなった
・ロミオの青い空で、次回予告でロミオが大人に殴られて吹っ飛ぶシーン(同上
・池で遊ぶなって注意喚起の看板 あぶない!ってやつで河童がこどもの足をひっぱって引きずり込もうとしてる絵(かるくぐぐってでてくるようなかわいい絵柄じゃなくて、かっぱが怖い顔してて絵柄もちょっと古い感じのやつ こどもの絵柄はみんなのたあぼうみたいな感じ
みつけた これだわhttps://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/f1/d315fea1aa527556927a9a941a2e95f2.jpg
・
あらゆるルートの結論が「親密な1対1の人間関係の中にしか人間の救いはない」と語っているようで気持ちが悪い。
人間は他者と交流することによって社会を形成してはいるが、そこにある救いの形を1対1の恋愛関係に収束されてしまうのはどうも筋が悪いように思う。
こんなことを恋愛シミュレーションゲームに言うのがそもそも筋違いであるのだが、あの頃※1のオタク界におけるエロゲの勢力拡大は凄まじく全てのADVが自動的にエロゲの文脈に落とし込まれていった。
エロゲの文脈とはすなわち「主人公が、女の子と恋愛関係になり※2、その結果として主人公や女の子が抱えていた人生の宿題が解決する」というものだ。
人生におけるありとあらゆる問題は人間関係の結果として解決されるわけだ。
現実が相手ならそんなわけはないと言えるが、生憎あれらはゲームなので、そういう文脈なのだと言われたらもうぐうの音も出ない※3。
俺はCROSS†CHANNEL※4,5 が好きなんだが、あのゲームは泣きゲーに近い所はあるし、人間関係の中に人生の答を見出すが、それは1対1の関係の中に見出すわけじゃない。
アレは、世界と自分の関係について自分の中で答を落とし込んでいく過程として他者との交流、相互理解があるという物語だ※6。
俺だってさ、誰かが本気でお互いのことを考えてくれたら一人では解けない愛のパズルが解けてついでに人生も大体どうにかなるってファンタジーが嫌いなわけじゃないよ。
でもそれがこの世界におけるあらゆる感動的な物語の全てなんじゃないかってぐらいの勢いでそんな話ばかりされるのにはうんざりしてたんだ。
今はもうすっかり業界も下火になったし、力のあるライターが外に出ていったり、ソシャゲを作ってたり、そしてエロシーンを積まない業界でやってたり、トゥルーエンドが一般化したり、そういったことによって「エンディングの形はヒロインと結ばれることだけである※7」という考えは薄れてきているように思う。
そもそも「泣きゲー」というジャンル自体がかなり弱まってきて、人の気持ちを震わせる方法はいい感じのBGMを流しつつ声優に涙声演技させる事だけじゃないし、ガチで感動できるゲームは泣く以外にも笑ったり感心したりさせてくるから「泣き」に特化してるわけでもないなと界隈の空気が変わってきている気がするんだよな。
だからもう俺の「泣きゲー」アレルギーみたいなのも時代遅れになった。
時代遅れになった今だから言えるんだが※8、俺は「泣きゲー」と言われているものが好きじゃなかったよ。
さあ、これが俺のEDだ。
スチルを出してEDテーマを流そう※9。
※1 20年ぐらい前のエロゲ全盛期。KANONや月姫の時代。ネットでは皆エロゲをやっていて、未成年はPS2とかでエロゲをやっていた。きっと多くの親御さんが「この子もキモータになるのかしら」と心配していたことだろう。今はスマホで出来るので親にバレなくて安心。
※2 一部の鬼畜ゲーだと恋愛関係にはならずレイプしたり調教したりする関係になる。が、今回は泣きゲーの話なので省く。が、レイプとかする関係の泣きゲーだってあるにはある。が、今回はその話は省く。
※3 うぐぅに空目したかも知れないが、俺はちゃんと「もうぐうの音も」と書いている。お前の心が歪んでいるからそう見えるんだ。
※4 Google日本語入力が覚えてくれているおかげで「ダガー」で変換する必要がなくなったの楽ちんだね
※5 山田ロミオの名作エロゲ。全ての発達障害と障害者と自閉症とその他諸々がプレイするべき。ただし精神疾患を持っている人がやると危ないので辞めたほうがいい。
※6 そして物語の最後、それぞれのキャラクター達との間でそれぞれの形での1対1の関係が描かれ、それが受け手に「いろんな形でのつながり、いろんな他者の解釈があっていいのだ」と伝えてくれるわけだ。
ミキミキの解釈と霧の解釈が2つに割れて、それに対してお互いが「自分の内心は譲らない」「相手の内心を無理に変えさせる気はない」という形に自然に落ち着いている所が、救われるんだよな、他人の中にある自分の像にもまた多様性が許されていいっていうただそれだけの話なんだけどさ、現実の世界にいる奴らはいざそういう話になったら「そんなの当たり前だろ?」って顔するくせに実際には「いやいや、同じ情報を与えられてその人から得る印象なんて概ね1つに定まるんじゃないの?」みたいな風に平気で思い込んでたりするんだろうなってのが滲み出まくってるじゃん俺はアレが本当に辛くってさ、救われたんだよな、二人のそんな姿に。
※7 バッドエンドとして一人ものエンドがあるだろってツッコミもあるだろうが、アレはGAME OVERの1つでしかないだろ?
※8 俺はKYじゃないから、流行り物に水を差したくないってことだ。
※9 バッドエンドじゃないのかって?そうかも知れないな。結局、俺の物語は奇跡が起きなかったんだよ※10。
奇跡が起きて全員が助かる話
・3人目の妊娠発覚後、「妊娠出産のストレスでイライラしちゃうだろうから今から謝っとく、ごめんね(汗)」と旦那に言ったことを免罪符に、旦那にモラハラ
(例)旦那に「お前は妊娠してないから楽だよな!!」と何度もキレる、義母に旦那への大量の悪口を連絡するなど
・旦那が子供を抱っこ中に取っ組み合いの喧嘩をし、3ヶ月の子供が落下、骨折
・その後、旦那に「私達は間違ってた、1からやり直そう」とロミオ発言をするも、旦那には響かず、たまひよ掲示板に被害者面で書き込み
その他
・「(旦那に)わかってもらわないと!」「バカ夫」「頭かち割ってやりたい」など旦那見下し発言が多い。
・「産まれたら覚えておけよ、ゼッテー抱かせてやんねぇから」、「子供に会いたくないのかな」、「子供に謝れ!」など、子供を盾に旦那を責める癖がある。
※ちなみに全投稿を見る限り旦那の方もなかなかの呪物であるが、この女は「自分被害者フィルター」を通して書き込んで上記の内容なので、この女の方が酷そう。
「ロミオとジュリエット」のヌードシーンは児童ポルノとみなされない、裁判官の規則
「ロミオとジュリエット」俳優のオリビア・ハッセーとレナード・ホワイティング、撮影中に性的虐待を受けたと主張
判事は木曜日、フランコ・ゼフィレッリ監督の『ロミオとジュリエット』の俳優らが起こした訴訟を棄却した。
現在72歳の俳優オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングは当初、1968年の映画のヌードシーンは児童ポルノであり、二人は撮影中に性的虐待を受けたと主張していた。
上級裁判所のアリソン・マッケンジー判事は、15歳でジュリエットを演じたハッシーと16歳でロミオを演じたホワイティングが起こした訴訟の棄却を求める被告パラマウント・ピクチャーズの申し立てを支持する判決を下した。
判事は、映画のシーンは合衆国憲法修正第1条の保護下にあるとの判決を下し、ハッシーとホワイティングは「法律上、この映画が性的示唆に富むとみなされる可能性があることを示すいかなる権限も出していない」と説明した。決定的に違法だ。」
「ロミオとジュリエット」監督の息子、スターから5億ドルのヌード訴訟を破棄:「ポルノとは程遠い」
「ロミオとジュリエット」の俳優らは、当初ゼフィレッリからヌード撮影はせず、代わりに肌色の服を着ると言われたと主張した。しかし、そのシーンを撮影する段になると、監督は2人のティーンエイジャーをヌードにしなければ「そうしないと映画は失敗する」と主張したと言われている。
この映画とそのテーマソングは当時大ヒットし、ホワイティングの裸のお尻とハッシーの裸の胸を少しだけ見せたヌードシーンにもかかわらず、この映画はシェイクスピアの悲劇を学ぶ何世代にもわたる高校生の間で流された。
ソロモン・グレーセン弁護士は声明で、「弱い立場にある人々を危害から守り、現行法の執行を確実にするために、映画業界における未成年者の搾取と性的対象化に立ち向かい、法的に対処する必要があると強く信じている」と述べた。
ピッポ・ゼフィレッリ監督は「撮影から55年が経った今日、本質的にこの映画のおかげで悪名が広まった2人の年配の俳優が目を覚まし、長年不安と感情的不快感を引き起こす虐待を受けていたと告白したと聞くのは恥ずかしいことだ」と語った。ガーディアン紙が声明で述べた。
ジャニーズたたきもそう。