はてなキーワード: テイクアウトとは
仕事から帰ると妻はソファに寝そべり、両手でスマホを持って見つめていた。
ソファの片隅にはブランド品の紙袋。クリスチャン・ディオール。
晩御飯に吉牛を頼まれ、テイクアウトの袋をテーブルに起きながらコートを脱いだ。
妻は顔を上げない。
「晩飯、買ってきたよ」
「…ん? ああ、おかえり」
妻はスマホから目を離さない。ちらりと覗くとメルカリの画面が目に入る。
微かな舌打ち。SOLDの赤白文字。
「クリスチャンディオールはもう死んだよ」
「はっ?」
妻は初めてこちらを見た。
「デザイナーのクリスチャンディオールはとっくに死んでるってこと」
妻は微笑を浮かべる。
「だから何?」
「クリスチャンディオールはとっくにもう死んでるんだよ」
僕は妻が聞こえないほどの小声で繰り返した。暗唱するように。
それでも妻は再びクリスチャン・ディオールの紙袋を並べるだろう。
無地の袋から吉牛二つを取り出すと、割り箸が入っていないことに気が付いた。
仕方がないのでキッチンへと向かう。
最近は会計士な彼氏におこづかいをもらって生活しているんだけど、おこづかいをもらっておなかいっぱいごはんを食べているときって幸せであると同時に自らブタの貯金箱になっていっている感覚があるんだよね。退社後に繁華街で見つけたおいしいごはんとかおやつとかアイスクリームを食べることが仕事のようなイメージ。何も考えずにおいしいごはんを食べておうちに帰ってから彼氏によしよししてもらうのが仕事な気がしてくる。彼氏はなぜかわたしの保険の見直しをしていたりしていて「どうしたの?」って聞くと「なんでもないよ」って微笑んだりしているんだよね。自分にはもったいないようなハイスペ彼氏だから身の回りのことはすべてお任せしていて、そうしたら保険なんかも気づいたら充実していて、お前はファイナンシャルプランナーなのかと思っちゃったりするんだけど。体重も10キロ増えてしまったからどうしようかなと思ったりするんだけど、彼氏は太っているほうがかわいいっていうから特にダイエットはしてない。テイクアウトで注文した天津飯をひとりでかけこみつつ美味しいなこれまたテイクアウトしよう。またわたしの通帳を眺めている彼氏に「どうしたの?」って聞くと「なんでもないよ」って微笑むんだよね。
ぼんごは遠くて行けないので
事前にぼんご、ぼんごの弟子の店の予習をYouTubeでやりまくり
夫に「ここのおにぎりは大きいよ!三個も注文して食べきれるの?」とか
「おにぎりはふんわり柔らかく握ってるから!崩れやすいから箸で食べて!」とか言ってたが
おにぎりをテイクアウトして、40分くらい経っていたためか、おにぎりは全然崩れなかった。普通に手づかみで食べれた
事前に、ぼんごで長時間並んで、こんなにお腹がすいてるなら三個食べられるでしょとおにぎり三個注文して結局自分の胃のキャパを超えた注文をしてぶちギレている女のレビューを読んでいたので
男は三個、女は二個という知識はあったが
気がつくと私もおにぎりを三個注文していた
そしたら、夫が自分が選んだおにぎりが好みの味ではなかったらしく食べかけのおにぎりを私に渡してきたのでそれも食べて3.5個のまんまのおにぎりを食べた女になった
なんならそのあとにバームクーヘンも食べた
お腹いっぱいになった
なんで?
消費税に関しては、財源確保のために増税やむなしだの庶民の生活のために減税すべきだのと議論はあるけど、軽減税率については誰も語ってないよね?
例えば、財源確保として消費税を15%とか20%とかに引き上げるけど、代わりに食料品などの生活必需品は0%にしますってんなら賛成するよ
なんで与党も野党もマスコミも増田たちも、軽減税率が存在しないかのように扱ってんの?
軽減税率が導入される時にはテレビや新聞とかのメディアは、イートインとテイクアウトで税率が変わるから現場では大変なことになりますよって煽っていたくせに、いざ新聞が軽減税率の対象になりますと決まったらダンマリを決め込みやがってよ!
それとここにいる奴らもだよ
結局はイートインとテイクアウトでの税率の違いなんて、レジ周りの現場では大した問題になってないじゃねーかよ
かつて消費税が導入される前には物品税っていうのがあって、いわゆるぜいたく税として機能していたんだろ
生活必需品は無税で、かわりに嗜好品や高級品は税率が高くなるようになっていたのに
それによって、貧乏人は少ない税を、金持ちは多くの税を支払うことになってたんだ
税の徴収ってのは応能負担が原則だから、理想的な徴収だったんだ
ところが、それを消費税の導入によって物品税を撤廃して、貧乏人も金持ちも等しく定率の負担にしやがってよ
だから俺は軽減税率制度ができたときには、これで間接税が応能負担になると喜んでたんだよ
消費税はぐんと引き上げて、かわりに生活必需品は軽減税率で低くすることで、ぜいたく税こと物品税が実質的に復活すると思ってたんだよ
なのに、この体たらくは何だ?
だれも軽減税率を気にしてないのか?
それとも、俺が知らないだけで、俺を除く全ての日本人は「軽減税率のことを語ると死んでしまう病」に感染してしまったとでもいうのか?
上位存在が人間を飼うとき、どのような飼育環境を用意すれば人道的とみなされるのだろう
正確には「上位存在道的」ではあるが
上位存在が人間の言語や思考を完全に理解しているかそうでないかで分岐しそうだ
もしも上位存在が人間の言葉を理解しないのであれば「繁殖相手さえ用意すればよい」のような理解がされるかもしれない
いや、無理のあるSF設定か
「人間を飼うと表現できるほどの上位存在は、言葉を完全に理解できずとも人間の習性を把握できるはずだ」のようなツッコミがされてしまうか
しかしそこは説得力を持たせる理屈をどうひねり出すかという作者(誰?)の腕の見せ所だろうな
上位存在による人間飼育ブーム黎明期にはちょっとずれた理解の飼育ノウハウが定着するとかありそうな気もする
『GANTZ』の話をしている?
その作中で人間がペットになる描写があるらしいのは知ってるけど
多頭飼いしないと上手くいかない、みたいな種類の動物って何かいたような気がするんだよな
人間を飼うときもきっと多頭飼い推奨な気がする、ただし個体の相性があるので注意……か
無人島漂流モノみたいな話も隣接ジャンルなのだろうか、アナタハンの女王事件を思い出す
どんな設定にするかでいろんな種類の話になりそうで面白そうだな
星新一もこういう話何か書いていたはず
なんだっけな、人間のつがいをゲットして繁殖させようとしたら両方メスだった(宇宙人は両性具有のなめくじ星人だったので気付かなかった)みたいな
……これ違うわ、これって飼う話じゃなく人間を滅ぼすために繁殖方法を知るみたいな話だったか
「臓器移植のために生み出されたクローン人間の街」的な環境が人間を飼うのにいいんだろうな(そういう映画があったな)
人間に飼育されていると気付かれるのは非上位存在道的という話か
何でこんなことを考えたんだっけ
ああそうだ、カマキリを飼うのは繁殖機会を奪うからよくないみたいな話を見たからだった
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これは私が書いた私のための日記なので、私自身の思考をまとめるために好き勝手に使う 私だけが納得できればいい
ブックマークのコメントで好き勝手に書かれるなら日記を書く側も自分の書きたいことを好き勝手に書くのがフェアではないか
動物倫理とは?の説明は「人間は動物とどう接するべきか」という言葉になるか
その一方で動物の権利は、人間に関係なく動物は権利を持つ……動物のための倫理←本当に?この解釈とても怪しくないか?ちゃんと本を読み直すこと
人道的/上位存在道的と言った時、前者後者どちらのスタンスなのか
どちらもありえるか
『地球幼年期の終わり』のオーヴァーロードは「人間倫理」ではなく「人間の権利」の考えに基づく上位存在道的な人類支配をしていたな←本当に?ここ考えがいがある気がする 自然に任せていたら自滅する動物がいるとして、人間が管理するのと自然に任せるのはどちらがよいのかという話を掘れるか←オーヴァーロードの任務を考えると人間を自滅させたくないので人間のためというよりかは別の誰か/オーヴァーマインドのための保護管理か
オーヴァーロードの目的を考えると当然でもある…… カレルレンの悲哀よ
上位存在が「人間倫理」的に人間を飼育する時どうしても「人道的」とはズレて人間としては不満が生まれるか
しかしベスト/人間の権利の対応ができないからと言ってもベター/人間倫理の対応をすべきではあるのではないか、という話にもなるか
「ベターであることの居心地の悪さ」という話かもしれない、これかもな自分の興味は
その点『アイランド』は気付かれさえしなければよくやってたな
考えがまとまってないな
親子丼が大好物なので9月10日に発売したときから毎日近所の松屋で食べてるけど、
アジア系外国人店員が調理したときだけ親子丼といえないようなやつ出てくるのがつらい。
卵を熱しすぎてスクランブルエッグみたいに固くなってて焦げ目までついてて、
汁気もぜんぶ飛んでしまったぼそぼそなやつがこれまで3度も出てきた。
混んでるときも混んでないときも同じような感じなので忙しくて鍋を放置したとかじゃないっぽい。
もしかしてその外国人の文化的に卵は十分火を通さないと食えないと思ったりする?
というか、なぜ同僚の店員は「それ熱しすぎだよ」とか注意しないんだろうか。
人がなにを作ったのか確認する余裕もないんだろうか。
テイクアウトでその外国人店員のワンオペだったときの絶望感がやばい。
これぜったい卵カチカチの汁なし親子丼もどきじゃん・・・と心の中で泣きぬれながら持ち帰ることになる。
派遣のおっさんの離婚した奥さんの所で育ってる娘(9歳。可愛くなく太っている)が「夏休みなので海に行きたい」って言ってるらしいので
俺とメガネ先輩と派遣のおっさんと派遣のおっさんの娘の2.5人で白浜に行って来た
7:30メガネ先輩を迎えに富木駅に行く。メガネ先輩の荷物をヤリスの後ろに積んでメガネ先輩は助手席に座った
8:00派遣のおっさんを拾いに新金岡のイオンに行く。派遣のおっさんは短パンを履いてた
派遣のおっさんの娘は奥さんの実家に住んでるらしく、千代田に迎えに行った
8:50千代田着。9:00集合と言ってたのでまだ来てなかった。コンビニで何か買うかって話になったが、メガネ先輩が「娘が来てから買ったほうがいいでしょ?二度手間になるじゃん」と言ったので待った
8:55娘が来た。写真で見るより可愛くなかった。愛想の無い子だなあって思った
9:00出発。高速道路に乗る前にコンビニでコーヒーを買った(メガネ先輩はコーヒーを買った)
10:30御坊を過ぎたあたりで派遣のおっさんが「印南から一車線になって渋滞するから、下道で行って」というので印南で高速を降りた
11:30白浜着。車を止めようとすると派遣のおっさんが「12:00まで待てば、反日料金になって1000円安くなる」って言い出して俺と派遣のおっさんの娘、メガネ先輩はドン引きした…
メガネ先輩は「娘とたまに会える時くらいケチケチしないでよ」って言ってた
11:45結局白浜の海の横の砂浜の近くにある町営の飲食店でお昼を食べることにした。俺とメガネ先輩は海鮮丼の特上、派遣のおっさんと娘はしらす丼を食べてた
12:15車を止めて海へ行った。派遣のおっさんは娘と遊んでた。俺はメガネ先輩をずっと視姦してた。メガネ先輩も満更ではなさそうな感じだった
15:00休憩。派遣のおっさんと娘とメガネ先輩のみんなで温泉に入った。風呂上がりにオロポを飲んだ
17:00そろそろ帰るかって思ったら派遣のおっさんの娘と派遣のおっさんが海の方に歩いて行ってた。団体行動できない奴らだなあって思った
17:30出発。派遣のおっさんの娘は後ろの席でバクスイの巻物してた。高速道路は混んでて渋滞してるだろうから、御坊まで下道で帰った。途中で夜ご飯用にちゃんぽんをテイクアウトした
19:00高速道路に御坊から乗った。思ってたより空いてた。派遣のおっさんも熟睡してた。人が運転してるのになんて無神経なんだろうかってメガネ先輩と俺はドン引きした…
20:30派遣のおっさんの娘と派遣のおっさんを金岡のイオンで堕した。ちゃんぽんも持って帰ってた
21:00メガネ先輩を富木で下ろした。家の近くまで送るよって言ったけど頑なに断られた
派遣のおっさんのインスタのストーリーを見たけど、サンクスの文字も無くてドン引きした…
礼儀知らずとは二度と連れて行かない
テイクアウト299円ならそれでいいんじゃね
それ以外の店に行くとなるとタクシー代のほうが高くつので必然的に一人飲み=お好み焼きとなっている
一人飲みといってもがぶがぶ飲むわけではなく、瓶ビール1本だけ
この店はお好み焼き以外の一品料理も充実していてつまみには困らない
これにもう1〜2品注文してYahooニュースのどうでもいい記事を見ながらちびちび飲む
少ない座席を占領するのも申し訳ないので1時間もしないうちに退散する
店から自宅までは徒歩5分程度
お好み焼きの入った袋をぶら下げて歩く帰り道はとても気分が良い
帰ったらシャワーを浴びて身体についたお好み焼き屋臭を洗い流す
それから持ち帰ったお好み焼きをつまみに缶ビールを何本かあける
職場の人たちとわいわい飲むのも嫌いじゃない
でも一番充実しているのはこうして誰とも会話せず一人でちびちびやっている時な気がする
少し厳しいことを言うと、あなたは一度、行間を読む(空気を読む、に近い)ことを意識してみるといいと思うよ。ワイも母からの押し付けが強い家庭だったよ。辛いのはめっつぁ分かる。だけど、行間を読むことを意識してから、自分のやりたいことを通したかった時代よりももっと自分のやりたいことができる様になったよ。行間って文章の中にあるものじゃない。文章って前にも後ろにもずーっと伸びてるものなのよ。物語みたいなもの。だから「今」を読み、「未来」を描けばいい。
具体的にはね、相手の言ってることを鵜呑みにする,んじゃなくて、その流れをそのまま自分のやりたいことへとつながる様に考えて何か言ったりやったりするの。餃子が食べたかったとしたら、相手が自分と餃子を今後食べたいと思ってしまうように、喋る。その場で餃子が食べたいって癇癪を起こすと、相手は硬直しちゃうから、にっこり笑顔で相手の(直接的には言われなくても)要望に(全くそのままでなくてもいいけど)、応じつつ、自分の要望を相手に刷り込む。じゃ、今度は私、お母さんと餃子食べたいな。とかさ。「今回はあなたの番で,次回は私の番ね」とか、恩着せがましく相手の要望を聞いてあげちゃダメだよ。あくまでも「うん、テイクアウト食べよう!」…食べる…の食べ終わった後に、「今度機会があったらあの餃子食べたいな」とか、上手いやり方を考えなくちゃダメだよ。そうやって立ち回って、自分のやりたいことをスルッと通すのが上手いやり方。相手にいい思いをさせつつ、相手を操る感覚、大事。完全に親元を離れたタイミングで、はっちゃけな。
使い方もよくわかっていませんが、どこか匿名の場所に吐き出したかったので失礼します。
そんな私は障害を言い訳に何もかも諦めて人に頼るのは嫌で、けれどどうしても苦手なことがある自分に自己嫌悪を抱いて生きてきました。
そんな時、どんなに私が嫌がっても常にそばにいてくれたのが母でした。
ずっと母のことは苦手だった私ですが、今日明確にその理由を自覚してしまい、心が折れそうになっている状況です。
いつからこんなに関係が歪んだのか、母は私の人生の最初から歪んでいたのかはわからない。けれど、ひとりごととして書かせて頂きたくこの場所を選びました。最初に言いますが、ものすごく長いです。それに特に目的もない文章であり、私視点のものの見方が多分に入った不公平な記録であり、ただの私の愚痴でしかない部分も大きいです。勢いだけで書き殴り、文章校正もろくに行っていない駄文ですが、お目汚し失礼いたします。
現在、私は18歳。生まれた時からアスペルガーとADHDであり、小学校の時に診断された(伝えられたのは中学の時)と聞いています。中学の途中からいじめで不登校(別室登校をする日も多かったですが)となり、通信高校に進学。今の法律だと成人と扱われる年齢で、あと1ヶ月もしないうちに19となります。本来は大学生か社会人になっている年齢なのですが、去年のいざこざが主で課題どころじゃなくなり、留年となってしまいました。現在は高校生活4年目を過ごしています。
また、普通のことなのかもしれませんが自立を目指しており、まず誰かに金銭的に頼らず、家事も全て一人でして、完全に自分だけで日常を完結させることを目指しています。不出来で未熟である故に、バイトは面接でずっと落とされているのですが……
母は50代。私が生まれてからの範囲だけで肩書は何度も変わったが、今は看護学校の生徒兼、土日勤務の老人介護施設職員として生活しています。
他、いわゆる面白い人で、いわゆる気弱という単語で想像する押しの弱い性格ではないけどどこか気力が弱いと感じる父と、高校生かつ彼氏もいて青春を謳歌している妹の4人が私の家族でした。父は今現在は単身赴任中ですが。
現在の家は端的に言って地獄。使った後のものを捨てられず、ゴミを撒き散らして片付けもしない私と。それに怒る母。料理した後の食器を洗わない私と、それに怒る母。調味料は出しっぱなしの私と、怒る母。部屋に籠る私と、怒る母。
正直片付けは明確に私が悪いです。昔から苦手なのに矯正しきれなかったし、最近は何をするのも面倒で悪化しているほどですから。
ですが、私視点の言い訳にしかならないのは重々承知ですが、料理関連は私としても文句があり、私はたとえば肉を焼いたフライパンも、それを乗せた皿も、食べるのに使った箸も一度に洗いたいのですが、母は私が食事をしている間フライパンが放置されるのが我慢ならない様で、リビング中に響き渡る小言を言いながら勝手に食器を洗ってくれます。そうしては
と怒るのです。単に私が先に洗えばいいのはわかっているのですが、後述するトラウマもあり食事はできるだけ早く済ませたいのと、そもそもどうしても母と顔を合わせて、大小さまざまなトラブルが発生するリビングに私は長く居るのが嫌ですから。母もいちいち怒っていては疲れるでしょう、というのは言い訳にしかなりませんが。
洗い物の量にも怒るため、例えば結構火に気を使う必要がある料理で2回バターを使うタイミングがある場合、2回目のバターを皿に取り分けるとまた皿が増えるのでバターのケースを10分程度出しっぱなしにしていると
「腐るでしょう」
先述しましたが、こんな状態でリビングにいては私も疲れてしまいます。我慢できれば良いのでしょうが、毎日こんな環境に晒されていては精神が壊れてしまいますから我慢もできなくなっていきます。なので部屋にこもって過ごすことにしたら、
「なんで歩み寄ろうとしてくれないのか」
と部屋の外から叫び出す始末(部屋の戸は勝手に開けるなときつく言ったためもう開けてこないようになりました)。
あと私が母を嫌いな理由に、会話を露骨に誘導してくることがあります。
たとえばラーメン屋に一緒に行った時。
「席どこにしようか、お座敷は嫌だよね?」
「でもママは嫌だよ?」
これはほとんど本来の会話そのままで、最初から嫌だと決めつけて聞いてくるのがまず少し私は不愉快で。だから今までははいはいと従ってきましたが、自立のために意見を言えることも大事であると多方面から言い聞かされているため反論すると母の意見に誘導しようとするのです。最初から母が嫌なだけだと言って欲しい。あと、もう法律上成人となったほどの私にいまだに一人称「ママ」なのが気持ち悪いと思ってしまうのは単に私の心が狭いだけなのでしょうか。
その後テイクアウトがあると知り、メニューを開いて会話した時も
「テイクアウトどれがいい?」
「餃子、妹が食べてるのみて美味しそうだった」
「あれは冷凍食品だよ」
「あっこれも美味しそうだよ」
「餃子にするって言ってるじゃん!!私は餃子って言ってるの!!もう変える気もないんだって!!!」
「なんでそんな畳み掛けるように言うの?壁を感じる」 と。私は数日前から妹と母がいる状況で「この餃子はどこで売ってる?」などと聞いたり、とにかくずっと前から餃子が食べたくて、食べれる機会があったら餃子と決めていたのです。なのに3度4度聞き返す。遠回しに餃子を却下しようとしていると思うのは私の捉え方がひねくれているのでしょうか。
こんな中でも私は定期的にリビングにいく必要があります。私の部屋にはキッチンも冷蔵庫もないため、食事の時は必ずいく必要があるからです。今日、日曜日の朝もそうでした。仕事か何かで母がいないことを祈りながらリビングに入ると、普通に母がいました。とりあえず食事だけ済まそうとすると、またしても「なんであれができない」「なんでこれができない」と説教の嵐。最初にも書いた通り、私は発達障害です。もちろんそれを言い訳にはしたくありません、最終的には自分の脚で立って生きていきたいのです。ですが、スタートラインが少し後ろにあるのも、『できない』ことが多いのも悲しいながら事実で、この『できない』ことにより私は自分のことが嫌いになっています。要は『できない』という言葉は、『できない子』であるというレッテルは、私の心の傷なのです。気遣えなんて言いません。私が少し自制すれば済む話でした。なので、今朝のきっかけは私だったと思います。
「できないなりに必死にやっているんだ、成長するまで少し待ってくれ」
内容としてはこんな感じでしたが、多少怒鳴るような声と顔で言ってしまったかもしれません。そこから言い合いになり、できないなら頼れという母の主張と、私は自立しようとしている、家を出ようとしているという主張の対立に話が進みます。少し頼るくらいいいじゃないか、と思われる方もいると思いますが、母は私が『できない子』であることを前提に助けの手を伸ばすのです。そして私が何かを成し遂げると
「できない子なのに頑張っててえらいね!」
といった要な意味合いの褒め方ばかりするのです。
なので、私は母に頼るのが絶対に嫌でした。意地を張っているだけです。ですが、本当に私は母が嫌いでした。
「なんで歩み寄ろうとしないの?なんで相手のことを理解しようとしないの?」
「ラーメン屋も会話を楽しみたかっただけで圧なんてかけてない、そう捉えるお前が悪い。こっちがどんな気持ちで誘っているかも知らないで」
「そう捉えるお前の性格が嫌われる原因だ」
「周りより成長が遅いのに大人になったつもりでいるな、成人だけどお前は子供でいいんだ、子供でいろ」
「今の話の何割が本当?本当によく考えて出した答え?もう一度よく考えて本当の気持ちを教えて」
「頑張って大人びないの」
「料理とかで誰かに助けを求めな?…他に探してるの?そっか、それは私じゃないんだね。じゃあ料理する場所も私のキッチンじゃないよね?」
「どうせこの話も言いくるめようとしてるって思われて終わりだ」
など、優しいようで私の行動を誘導してくる説教が延々と続きます。
極め付けに言われた言葉が私の母を母だと思う心にとどめをさしました。
「結論としてはママは(私)に子供でいてほしいんだよね、お世話したいんだよ。できないこと助けてあげたいんだよ」
母は、私がずっと『できない子』であることを求めている。そして、できない子の世話を続けることを望んでいる。母の理想の可愛がり方ができればそれでよく、そうじゃないなら要らない。そう認識した私は、ひとしきり部屋で泣いた後この文章を書き殴ることにしました。
思えば昔からずっと苦手でした。
比較的最近の出来事だと、私が留年するきっかけになった妹を119で搬送してもらった去年の話。毎朝毎晩家族喧嘩が勃発しており、私はその時はまだ事なかれといった感じで、とりあえず適当に流したり、会話を無理に遮ったりして根本的な解決を試みたり文句を言ったりしないまま毎日を過ごしていました。そんな毎日のとある朝、寝坊した私を妹が泣きそうな顔で起こしており、部屋に入るなと言っただろう、と言う前に妹はスマホの画面を見せてきました。
「声が出なくなった」
と。私もかなり気が動転し、できるだけれいせいになりながら妹のかかりつけの精神科やさまざまな外来を巡りました。ネットの知り合いで集まったサークルで聞いた話でしかありませんでしたが、声が出ないのは重大な病気の可能性もあるとのことで、私は救急車相談ダイヤルなどを一旦挟んだのちに、妹をこのまま失うのが怖すぎて、救急車を呼ぶと言う判断をしました。
結局妹はそこまで重大な病気ではなく、声も早ければ当日中に戻ると言われました。私は安心したのですが、その後駆けつけた両親からの説教の内容に私は耳を疑いました。
多少、怒られる覚悟はしていたのです。親になんで頼らなかった、と。ですが今回妹が怖がっている親に会わせるわけにはいかない、私がどうにかしないと、と思っての独断でした。説教の覚悟はしていました。
「なんで救急車を呼んだ、社会に迷惑をかけた、本当に助けが必要だった人がいたらどうするつもりなんだ」
なんでこういう説教なんでしょうか。妹がその、助けが必要な人だったら、妹はどうなっていたか。結果何もなかっただけなんです。妹は声が出ない、どんなに頑張っても出ない、という通常ありえない、明らかな何かしらの症状が出ていたのに。
リアルの知り合いに頼れる人なんていませんでした。結局またネットの友人(一応年単位の付き合いであり、毎日少しずつ親の話を聞いてもらって、ネット上という前提である程度信頼していた相手でした)に相談し、強硬手段として親を110通報したのです。 そこから私たち姉妹は叔母さんの家に保護され(結局妹が帰りたいと言い出したので5日程度で帰りました)、少なくとも2種類の緊急番号を実行した私と親の間には明確な溝が残りました。
この件で私は心身をかなり病んでしまい、最終的に精神科病棟に3ヶ月入院することになりました。それが高3の最終課題提出時期と被り、私の留年は確定しました。
この一件があまりに大きいのですが、それ以外も昔から『毒親』と言ってしまった時に怒鳴られた数日後
といったら、
と絶叫のように怒鳴りつけてきたり、小学校の頃まだサンタを信じていた妹がクリスマスにシルバニアの家が欲しいと言えば最初から
「さすがに子供っぽいよ」
と難色を示し、結局当日には全く関係ないラジコンヘリを枕元に置いて妹を泣かせたり、
私が学校の授業で2歳の頃の誕生日パーティの写真を使い、写っていたビール缶が誰のか友達に聞かれた時に母と答えたら
「なんで私が酒飲みだってバラしたの、おじいちゃんでもおじちゃんでもよかったじゃん」
と大泣きしたり、いろいろなことがありました。
こんな母でも若い頃はちやほやされて、某大手ソースメーカーのパッケージデザイン部門に勤務していた頃、専門知識もないのにその見栄えを買われて『味の専門家』なんて肩書きでテレビに出たりと、まあ中々に話題の中心にいる人物だったようです。
少なくとも、私は母に対等に人間として扱われていない、ということだけははっきりわかりました。
自立しようとすると途端に態度が冷たくなるんです。私が母と食卓を囲みたくなくて自分で料理をするようにした際も、
「私の料理が食べられないのか」
と露骨に機嫌を悪くし、会話の機会が減ればそれだけで怒鳴りつけてくるほどに苛立つ。会話を増やして結果喧嘩も増えれば、譲り合わない(=母の主張を飲まない)私が悪い。
おそらく、母にとって自立した私はどうでもいいどころか無駄に喧嘩を売ってくるうざったい存在なのでしょう。
いつまでもよしよしと可愛がることができる子供でいてくれないと、母は愛してくれないのでしょう。
そもそもきっと、最初から愛してなんていなかったのかもしれません。愛していたとして、それは人間を愛する感情より、小動物をケージの中に閉じ込めた上で餌をやり撫でる感覚に近いのだと思います。事実旅行などは向こうが一方的に決めて連れ回してきますし。
こんな私ですが、母のことはもちろん大嫌いです。と同時に、捨てきれない執着と苦しみを同時に抱いています。
私はあの人間が大嫌いですが、「母」という存在にいまだに夢をみているんだと思います。「母」に無条件で抱きしめられて、他より劣っていたとしても、逆に他より優れていたとしても、私が私であるだけで愛してくれるような存在をいまだに求めているんだと思います。
私にとっての「母」は、対等に愛してくれないあの人しかいないんです。どんなに嫌いでも、憎くても、私は愛情を求めるたびにあの人の顔が脳裏に浮かびます。
結局はこんなことを書かせてもらったとしても、最終的には私が踏ん張って逃げ切るしかないんです。なのにこんなことを書くのは、きっと肯定が欲しいからなんだと思います。
別にできない存在として、仕方ないなあと甘やかされたいわけじゃないんです。ただ、私が母に対してひねくれた見方をしているから苦しいだけで、母は普通に愛してくれているのか。それとも、私が苦しいと感じるのは別段おかしいことではないのか。その答えが欲しいだけで、こんな長文を書いているんだと思います。そして、ひねくれているだけだと言われたら余計に傷つくし、単にあなたは悪くないという肯定が欲しいだけであることも自覚してはいるんです。それでも自制ができなかった。
本当に、お目汚し失礼しました。もし最後まで全文読み切ってくれた方がいましたら、綺麗事も誇張も抜きで幸せを祈らせていただきたいです。
ネットの先の顔も性別も年齢も、書いてあることが真実かすらも不確かな相手の戯言を最後まで聞いてくれる人は、どこかで成功して本人が満足できる人生を送って欲しいですから。綺麗事にしか聞こえないとはわかっていますけれど、祈りたかったので祈らせてもらいました。ありがとうございました。
催事物ではありません。
choayov 廃棄物処理の会社に勤めてた知り合いが、こういう百貨店の催事の衛生管理やばいよって言ってた。自分は催事でほぼ買わないので何がやばいのか聞かなかったけど、何かがやばいんだろうな。
findup デパートの催事なんて毎日全国のあちこちでやってるし、その中で死者一人。これがコロナだったら交通事故との確率がどうとか言うのに。
Falky 事故の確率が若干上がる理屈は想像できるんだけど、だからって一概に「催事物はヤバい」って表現をするのもね…。実績から言っても食の安全にきちんと取り組んでいる人々の方が多いはずで、ちと失礼だなあと。
richest21 連日30度を超える猛暑の中で今が書き入れ時とフル稼働で大量に作り置きしておいた催事向け弁当を食べる危険性。「鰻の旬は夏じゃない」とかではなくもっとこう医学的というか衛生的なアプローチで忌避すべき事象かと
ChillOut 昔、京王百貨店の北海道展で食べたウニ丼。鮮度が悪くてマズかったことを思い出した。鮮度管理が繊細な食品は催事で買わない方が良いと学んだ
preciar 百貨店で売る食品なんてテイクアウトの王様みたいなもんなのに、こんな雑なミスで死者までですのかという驚き/催事で弁当は買わんなあ。百貨店の食堂で食う(日本橋三越の食堂は最高)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.ntv.co.jp/category/society/2282e8f8afa4456290dd13b172d814d0