はてなキーワード: スリットとは
このマシュマロを見た勝デの女たちへ
大変お手数なんですがこの内容を広く周知していただけると幸いです。成人指定作品を嗜むオタクが把握しておくべき内容かと思います。
r18絵・壁打ちがワンクッションなく溢れかえっている件で、よろしければ話を聞いてください…。
最近勝デクに沼った友達の従姉妹(未成年)が万フォロワ大手字書きさんの♡喘ぎr18壁打ちを読んでいたらしいんです。
この時点でだいぶ怖いんですが、そのことが発覚したのは従姉妹が友達に「これってどういうこと?」とr18の内容を質問したからでした…。
従姉妹は今まで二次創作に触れたことがありません。何も知識がないから初めて足を踏み入れた界隈の現状が普通だと思い込んでいて「自分から検索するまでもなくr18ネタは日常的に上がってくるもの」と解釈していたようです。
「絵なんて大谷◯平と同じくらいTwitterのおすすめに出てくるよ」と言われたら何も言い返せませんでした。
友達と話し合いましたがr18ネタを垂れ流す人達を説得しても一人二人じゃ済まないし、大半は耳を傾けてくれない…ということで断念しました。
こうなったら従姉妹をなんとかするしかない、という結論になり、最近は二次創作や成人向け作品の取り扱いについて説明したり、全年齢の素晴らしい作品をプレゼンしまくっています。
勝デク界隈には常識的な大手絵師さん・大手字書きさんもたくさんいらっしゃるのでプレゼンが捗ります。r18ネタを公の場に放出せず、承認欲求を満たすため界隈の勢いに便乗したりもせず、ご自分のペースでルールを守って活動されている方々の素晴らしさを痛感する毎日です。今回のことで地獄を見た私達にとってこの方々こそが神絵師・神字書きです。
現在従姉妹が完全にr18作品を遮断できているかはわかりかねます。従姉妹が言うようにTwitterを開くと普通に上がってくるのでそこはどうしようもなく…他にもそういう未成年オタクがいると思うとゾッとします。
本音を言うとr18作品をワンクッションなく投稿する行為をやめてほしい。でも今回のことで信頼できる人とそうじゃない人の区別がつくようになったから、そこは良かったかなと思います。
あずにさんの回答
このマシュマロを見た勝デの女たちへ
大変お手数なんですがこの内容を広く周知していただけると幸いです。成人指定作品を嗜むオタクが把握しておくべき内容かと思います。
前提として、未成年が成人指定作品を閲覧する事はいけない事です。マロ主さんのお知り合いが成人指定作品を見ていた事は褒められた行為ではありません。
ですが、気軽に誰でも閲覧出来る状況である現状の方が遥かに問題かと思います。未成年にルールを守れと叫ぶ前に、大人側がちゃんとしないといけません。
ワンクッションなしですけべを垂れ流すな。
このマシュマロを見た人は『接合部が見えてなければセッしててもOK謎理論でセンシティブなしですけべ絵を垂れ流すオタク』や『私はフォロワー適宜チェックしてるので問題ありません謎理論で♡乱舞すけべ壁打ち垂れ流すオタク』に、このマシュマロを送って貰って構いません。あまりにもこの手のマロが私に高頻度で届くので、もう限界です。御手数ですが患部に直接塗ってください。
念のためですが、このマロ主は別に全然悪くないし、どちらかと言えば被害者なので同情しかなくて心から寄り添ってあげたい気持ちが5億です。絶対にマロ主を責めないであげてください。本当に素敵で立派な大人だと思います。それはそれとして、私じゃなくてすけべを垂れ流している張本人に言わなきゃ意味が無いんですよね。ご主張通り1人や2人じゃないし言ったところで聞かないだろうも全くを以てその通りなんですが、誰にも指摘されないなら今後も改善しない事だけは確かです。だからといって私がそれっぽい人に順番に注意して回るのかといえば、良識のない大人にそこまでしてやる義理はないですし進んで恨みを買いたくはないしできるだけ無視して生きていきたかったんですが、さすがに目に余るのでこのマシュマロをフリー素材にします。RTするなりリンクを貼るなり各々好きにしてください。
どんなにフォロワーを日々チェックしてもRT先の未成年は見てるし拡散されたらおすすめに上がりやすくなるので"あなたのフォロワー"以外の目にめちゃくちゃ触れます。
事実として未成年が『大谷○平と同じくらい普通にすけべ流れてくるよ?』なんて感覚になってる現状に怯えてください。謎の界隈ルールなんてモノを作るつもりはありません。ただ未成年に成人指定作品を見せてはいけないという努めて一般的な話をしているだけです。お住まいの地域の条例に違反しているご自覚を持ってくださいってだけのお話です。今一度ご自身の行いを振り返ってください。お願いします。
このマシュマロの内容はすべて虚言かもしれません。真実である確証は当然ありません。ですが未成年が気軽にアクセスできる状況を作っているのは事実であり、このマシュマロのような事態が露見してないだけで起きている可能性は十二分にあります。すけべな内容をツイートしたい時は、リンク先で年齢確認を設けるなり、承認制の鍵垢のみにするなり、何かしらの対処をお考えください。
以上、私に出来るのはここまでです。目立たずひっそりこっそり生きていきたいオタクなので本当にこんな事はしたくなかったんですけど、ちょっと未成年被害報告が最近多すぎたのでこのマシュマロをフリー素材にします。でも悪用はしないでください。お願いします。正直もう消したい。こわい。
該当の作家たちまではきっと届かないだろうし、この話を聞いても気にもしない人が大半かとは思いますが、もし1人でも考え直してくれればいいなと願うばかりです。
成人指定作品は大人になってから見てください。そんなものを垂れ流している人を『この人は意地悪してこない優しい人!』と勘違いしないでください。その人は漫画やアニメを違法アップロードしている人と同じです。それで助かってる人がいるからOKが罷り通ったら世界は破綻します。正しくゾーニングできてる人こそを尊敬するようにしましょう。
未成年の飲酒喫煙が法律で禁止されているのと同じように、すけべなものに年齢制限が設けられているのには理由があります。もしも疑問があるのなら聞いてきなさい。私にわかることなら答えます。成人指定作品は大人になってから見ようね。おしまい。
こんばんは!あずにさんが未成年のマロ主に向けた「何故未成年は成人向けコンテンツに触れてはいけないのか」の回答を読ませていただきました。何故だめなのか、何故そのルールが存在するのか、それらを説明しないまま、強い言葉でルール違反を非難する人たちの多さを考えると、本当に素晴らしいと思いました。
さて、そんな素晴らしい文章を読んだ上で、「私の子どもではないし、そんなに成人向けコンテンツを見たいなら見れば? どうせ世の中に溢れてるんだし」と思っている倫理観のぶっ壊れた大人がここにいます。こんな人間が二次創作すべきでないと言われてしまうかもしれませんが、ごめんなさい、あずにさんなら、私のような者にも真摯に回答していただけるのではないかと期待して、これをしたためています…。
あずにさんの回答を読んでいて、私が唯一心から危機感を覚えたのが「未成年に成人向けコンテンツを見せたこと」で罪に問われる可能性です。正直、「未成年に見られたことが分かっただけで、作品を消さなきゃいけないの?! アカ消しの可能性まで? 大袈裟な! スマホやツイッターを与えた親の責任でしょ」と思ってしまいました……。
例えば東京都の条例では "有害図書などの販売" などが違反に当たるようですが、実際、ソーシャルメディア上などで金銭授受が発生していない場合も、アーティスト(もしくはフィクションライター)側が訴えられたり、罪に問われたりといった事例はあるのでしょうか? 調べても見つからず、安易に質問してしまい大変申し訳ないのですが…!
あずにさんの回答
『世の中に溢れてるんだから別にいいだろ』理論が罷り通るなら『カンニングなんて誰でもやってる』とか『漫○村を利用しないのは愚か』とか『捕まらないなら万引きは合法』とかになります。ダメです。
教育に携わる身の上なので『各ご家庭での教育』が大前提なのはそれはそうだと思います。同意します。それと成人が未成年に対して発禁物を見せない努力をするのは論点が異なります。
ド○キさんでもオタクショップでも、そういう物を陳列している場所は『この先子供NG!』とちゃんとエリアを分けています。これを人はゾーニングと呼びます。こそこそ入ってくる子供がいないとは言いません。でも『進入禁止』を子供が突破して来た場合は『ダメって書いてただろ!』ですが、エリア分けしないでフリーに置いてたものを子供が手に取って『こんな物見ちゃダメです!』は全然意味合いが違います。
既に工口広告が山ほどあるんだから二次創作やってるオタクだけが自重しても意味無い事は無いです。男性向けなんか無修正でバンバン上がってんだし女性向けだけガチガチに固める意味が無いなんて事もないです。基準を下に合わせるな。
過度な規制はそれはそれでどうかと思いますが、最低限具体的なすけべだけでもワンクッションする努力をした方がいいってお話です。ワンクッション如きなら突破してくるし無駄じゃね? も同様に、『だから伏せる必要が無い』にはなりません。伏せる努力をした上で、突破してくるバカは各ご家庭できちんと教育がなされるべきだって話です。ここまで来ると倫理とか性善説の話です。
二次創作するなとは言いませんし、すけべを書くなとも言いません。中学生でも気軽に見れるTwitterにセンシティブ設定もしてないすけべ絵やすけべな壁打ちを垂れ流すなって話です。パスワードを突破してくるバカは良識ある成人に叱られて大人になることを祈ってください。
また、未成年にすけべを見られたら作品やアカウントを消さなければいけないというルールはありません。どっかのローカルルールはあってもそれは知らん。お住まいの地域の条例によって禁止されている区分は異なると思うので一概にも言えませんが、少なくとも『まだ中学生だけどお前の本を買った!めっちゃすけべだった!』とか言われたらゾッとするし恐怖から垢消す人が多いのは想像に難くありません。嫌がらせで匿名ツールを使ってその手のメッセージを送ってくる輩がいるのもまた事実です。匿名ツールは感想とか応援を書き込むものだって言ってんだろぶっ飛ばすぞと常々思ってます。
論文を読み漁るのは趣味ですが、判例を読み漁る趣味は無いので実例についてはご興味があればご自身で深堀なさってください。
あずにさんの回答
そういうルールだからです。何故かは話すと長くなるので過去の類似の回答をぶら下げときます。 https://x.com/kanna_azu2/status/1826957453382357077?t=tP7pWmnGJQ_zsE4eS9uFuA&s=19
こんにちは!『接合部が見えてなければセッしててもOK謎理論』について、なぜ謎理論だと思うのかお伺いしたいです。一般誌でも、露骨に✖️✖️や接合部が見えていないものは、✖️✖️✖️を描いていてもR18指定されていないものをよく見かけますが……二次創作ではNGで、オリジナルでしたらOKという理屈でしょうか?
あずにさんの回答
年齢制限の必要性と修正の必要性は話が異なります。そのイラストを含む本を頒布する際に全年齢本として配布できるものかどうかでご判断いただくのが1番かと思います。
また、一般誌といっても少年誌か青年誌かによって基準は大幅に変わります。青年誌であれば女性の上裸は平気で描かれますし、修正が不要な角度であればセッそのものを描いていていても購入の際に年齢確認は不要です。
同様に、商業BL漫画の大半は未成年でも購入出来るのに露骨な描写を多分に含んでいる問題があります。こちらに関してはライトセーバー修正なのに年齢確認がありません。大問題だと思う。
これらを『一般誌でOKだから同人でも当然OK』とするかでご一考ください。少なくとも私は、友人が描いた絵が修正が必要な角度でなければ真っ最中でも気にせず全年齢本として出していいと思うよ!とは言えないです。
例えばがっつりギャグならいいと思いますよ。かなり下品な下ネタであっても、胸張って全年齢本として出せる内容ならいいと思います。私はそう思います。
あずにさんの回答
かいこちゃんのケツって✖️✖️✖️だよね。モザイクかけた方がいいかもしれん。
冗談はさておき、具体的に何の絵を見てそう思ったのかは知りませんが、お水の絵は2000枚近くあるので中には際どいものも含まれているかもしれません。良いか悪いかでいえばよくないよ当たり前だろ。
先に言っときますが私はお水のファンなので、お水ですら忘れてる絵も全部暗記してます。
前提として、赤ブーちゃんの成人指定表記の取り扱いについてを全文読んでから続きを見てください。
https://www.akaboo.jp/guide/item/p0005.html
第1に、欠損絵の話をしているのなら悪いけどヒロアカにおいての欠損は公式なんで『そんな事言われても』となります。苦手な人のためにワンクッション必要だろに関しては未成年に成人指定作品を見せてはいけないの話ではなく性癖の話です。論点が違うので議論の外とします。注意書きはあくまで書き手側の配慮であって閲覧側が強要するものではありません。グチャグチャでグロテスクな断面まで詳細に描いてるならG判定問題もありますが、原作描写の範囲内を逸脱しない程度のものしかお水は描いてないはずです。骨まで見えるエグい物は鍵垢にしかあげていません。
第2に、人外絵で裸体だったりする事を指しているのならこれもお門違いです。獣は服を着ません。バキバキのブツでも露骨に描いてれば問題ですが、お水はスリットを描いただけの絵でも承認制の鍵垢にしかあげません。伏せもせずにあげてたのは子犬の※くらいです。
第3に、性的な要素のない裸体絵を指しているのなら過剰反応です。真夏に水着の絵見て毎回顔真っ赤にしてるんでしょうか。接合部を描いてないだけで顔面ドロドロであられもない声を上げてる絵はどうかと思いますが、ただ服を着ていないだけの絵は、未成年に見せてはいけない要ゾーニング絵ではありません。真っピンクでビンビンに立ち上がってる胸の突起とかは良くないと思いますよ。商業誌でお豆腐が貼られるような物は垂れ流しちゃいけないと思います。
第4に、センシティブ設定をしている絵は議論の外とします。Twitterではセンシティブ設定をした絵は登録年齢が成人している人にしか閲覧できない仕様だからです。
第5に、触手とかツタとか黒鞭が絡み付いている絵の話をしているなら、お水は出久の表情が蕩けているだけで布1枚脱いでなくても鍵垢かprivatter行きの女です。ただ縄上の物が絡みついているだけなら過剰規制に値します。例えば女体化で胸部を強調するように締め付けていたり、舌を突き出して甘い声でもあげているなら問題かとは思います。
以上を踏まえ、マロ主がどの絵の話をしてるのかの候補は三件あります。一つはよくもまあそんな昔の絵の話を引っ張ってきたなというモノです。お水はまだ若いので、その辺の感覚が緩かった時期もあります。残り二つは赤ブーちゃんの成人指定表記の取り扱い読んでください。そのレベルのことに目くじらを立てる必要は無いと思っています。
確かにお水は接合部は見えてないけど明らかに入ってる絵を垂れ流した事はあります。ですが投稿後5秒以内に『センシティブ設定してないぞ!』と私がリプを送って『うそうそそんなわけほんまやん!?』と慌てて投稿を取り消して再投稿しました。人間誰しもヒューマンエラーはあります。褒められたことではありませんが、きちんと改められるならそれでいいと思います。
さて、私はここまで丁寧に返信を書きましたが貴方のことはブロックさせていただきます。今後は何を送られても私には届きませんのでご留意ください。
マシュマロは「世界はもっとマシュマロを投げ合うような安全さで満たされるべき」という思想で作られています。ですが、このマシュマロには悪意しかありませんでした。マシュマロちゃんの崇高な理念を穢す輩が私は大嫌いです。どうしても意見を述べたいならせめて記名で来なさい。
私とお水は誰よりお互いに厳しく律し合って創作しています。よくもまあ『そのレベルの絵ですら鍵垢行きなん!?そんな気にする!?』の代表格みたいなお水を捕まえてこんなマロを送ってきたものです。私の事が気に入らないのは分かりますが、せめてもっときちんと理論武装してから来てください。
スーパーのセミセルフレジでスキミング被害にあったので備忘録代わりに投稿します
・まぁまぁ規模の大きいローカルチェーンのスーパー(100店舗以上展開)
・使用したのは楽天カード(3Dセキュアや第二パスワードは設定済み)
いつものようにクレジットカードを会計機に差し込んでIC認証で支払おうとしたら即座に読み取りエラー
過去にもたまーに読み取りエラーが出たことはあったが差し直せば大丈夫だった
仕方がないので会計機右側面にある磁気ストライプ読み取りスリットに通すと無事精算できたんだが
おそらくだがIC読み取りで決済は出来てるがレシートを出さずエラー画面を表示するようにプログラムも改造されてる
5/27 スキミングされる
5/29-30 米国Amazonで何度も使用されるがこちらも不承認
5/30 深夜に楽天から【重要】楽天カードから緊急のご連絡 というタイトルのメールが届く
5/31 メールに記載の楽天カード信用管理部に電話して「これこれの買い物したか?」の確認
対応は事務的だが丁寧で親切だった。確認後カード再発行手続きの案内。
検出器から精神への一連の連鎖はフォンノイマンチェインといいます。
例えば電子を観測したとします。その観測情報をコンピュータで表現するために、スリットを通った後の位置で数値化するとしましょう。その数値をコンピュータのスクリーンを通じて研究者が目撃し、網膜を通じて脳へ達し、最終的に情報を判断できます。
では、波動関数の崩壊は、この連鎖のうちのどこで起こるのでしょうか。
このことを理解すれば「量子と意識」の問題は、非科学でもスピリチュアルでもなく、現実的な仮説であることがすぐにわかります。
実際、フォン・ノイマンは意識が認識を行う瞬間に崩壊が起こると考えたのです。
これを「フォン・ノイマン=ウィグナー解釈」と言いますが、コペンハーゲン解釈のサブセットです。
これを補強する理論・実験として「ウィグナーの友人」が登場しました。
後に、このことを聞きつけた「スピリチュアリスト」たちが、「量子崩壊を自分に有利な方向に推し進めることで、人生を豊かにする」などと言い始めて、非科学的な雰囲気を持つようになりました。
しかしファインマンが言ったように「量子力学を理解しているつもりなら、おそらく理解していない」のではないでしょうか。
ノイマン、ウィグナー、パウリのような量子力学の創設者は、「意識」との関係を議論しましたが、スピリチュアリストのような集団のせいで、その真意が誤解されているのです。
ウィグナーも、「独我論っぽいからやだ」といって途中で意識との関連性について否定的態度を取るようになりました。
他の解釈を採用すると、量子デコヒーレンスや量子マルチバースを理解する必要があります。
しかしどの量子力学解釈を採用するのかによって、宇宙の終末は異なるものになる可能性があります。
意識によって崩壊する理論ではサイクリック宇宙論が可能かもしれませんが、デコヒーレンスによって崩壊することを想定する場合はエントロピー増大によって熱力学的死が待っているでしょう。
量子力学における観測者問題についてはよく知られるように、人間の主観性が量子実験の結果に重要な役割を果たしている。
ドイツの物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクによる有名な引用がある。
「私たちが観察するのは現実そのものではなく、私たちの質問の方法にさらされた現実です。」
例えば有名なダブルスリット実験では、スリットの後ろに検出器を置かなければ電子は波として現れるが、検出器を置くと粒子として表示される。
したがって実験プロトコルの選択は、観察する行動パターンに影響する。これにより、一人称視点が物理学の不可欠な部分になる。
さて、数学にも一人称視点の余地はあるか。一見すると、答えは「いいえ」のように見える。
ヒルベルトが言ったように、数学は「信頼性と真実の模範」のようである。
それはすべての科学の中で最も客観的であり、数学者は数学的真理の確実性と時代を超越した性質に誇りを持っている。
ピタゴラスが生きていなかったら、他の誰かが同じ定理を発見しただろう。
さらに定理は、発見時と同じように、今日の誰にとっても同じことを意味し、文化、育成、宗教、性別、肌の色に関係なく、今から2,500年後にすべての人に同じ意味があると言える。
さて、ピタゴラスの定理は、平面上のユークリッド幾何学の枠組みに保持される直角三角形に関する数学的声明である。しかし、ピタゴラスの定理は、非ユークリッド幾何学の枠組みでは真実ではない。
何が起こっているのか?
この質問に答えるには、数学的定理を証明することの意味をより詳しく調べる必要がある。
定理は真空中には存在しない。数学者が正式なシステムと呼ぶものに存在する。正式なシステムには、独自の正式な言語が付属している。
つまり、アルファベットと単語、文法は、意味があると考えられる文章を構築することを可能にする。
その言語には、「点」や「線」などの単語と、「点pは線Lに属する」などの文章が含まれる。
次に正式なシステムのすべての文のうち、有効または真実であると規定した文を区別する。これらは定理である。
それらは2つのステップで構築されれる。まず、最初の定理、証明なしで有効であると宣言する定理を選択する必要がある。これらは公理と呼ばれる。
公理からの演繹は、すべての数学がコンピュータで実行可能な印象を生む。しかし、その印象は間違っている。
公理が選択されると、正式なシステムで定理を構成するものに曖昧さがないのは事実である。
これは実際にコンピュータでプログラムできる客観的な部分である。
例えば平面のユークリッド幾何学と球の非ユークリッド幾何学は、5つの公理のうちの1つだけで異なる。他の4つは同じである。
しかしこの1つの公理(有名な「ユークリッドの5番目の仮定」)はすべてを変える。
ユークリッド幾何学の定理は、非ユークリッド幾何学の定理ではなく、その逆も同様。
ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学の場合、答えは明確である。これは、単に説明したいものに対応している。
数学は広大であり、どのように公理を選択するかという問題は、数学の基礎に深く行くと、はるかに感動的になる。
すべての数学的オブジェクトは、いくつかの追加構造を備えたセットと呼ばれるものであるということだ。
たとえば自然数のセット1,2,3,4,...は加算と乗算の演算を備えている。
集合論は特定の正式なシステムによって記述される。Ernst ZermeloとAbraham Fraenkelと、選択の公理と呼ばれる公理の1つに敬意を表して、ZFCと呼ばれる。
今日の数学者は、すべての数学を支える集合論の正式なシステムとしてZFCを受け入れている。
彼らは、無限の公理と呼ばれるZFCの公理の1つを含めることを拒否する。
言い換えれば、有限主義者の正式なシステムは、無限の公理のないZFCである。
無限大の公理は、自然数の集合1,2,3,4,...が存在すると述べている。すべての自然数に対してより大きな数があるという声明(「ポテンシャル無限大」と呼ばれる)よりもはるかに強い声明である。
有限主義者は、自然数のリストは決して終わらないことに同意するが、いつでも自然数の集合の有限の部分集合のみを考慮することに限定する。
彼らは一度にまとめたすべての自然数の合計が実在することを受け入れることを拒否する。
この公理を取り除くと、有限主義者が証明できる定理はかなり少なくなる。
正式なシステムを判断し、どちらを選択するかを決定することができるいくつかの客観的な基準...なんてものはない。
「時間と空間を超越した何かを象徴しているので無限大が大好きだ」と言えば無限大の公理を受け入れることができる。
ゲーデルの第二不完全性定理は、十分に洗練された正式なシステム(ZFC等)は、自身の一貫性を証明することができないと述べている。
数学者は、今日のすべての数学の基礎であるZFCが確固たる基盤にあるかどうかを実際に知らない。
そしておそらく、決して知ることはない。
なぜなら、ゲーデルの第二の不完全性定理によって、より多くの公理を追加することによってZFCから得られた「より大きな」正式なシステムにおけるZFCの一貫性を証明することしかできなかったから。
一貫性を証明する唯一の方法は、さらに大きな正式なシステムを作成することだけだ。
数学を行うためにどの公理を選択すべきかについて、実際には客観的な基準がないことを示唆している。
要するに、数学者が主観的に選んでいるというわけである。自由意志に任せて。
公理のための主観的な基準というのは、より豊かで、より多様で、より実りある数学に導くものを選ぶという人は多い。
これは自然主義と呼ぶ哲学者ペネロペ・マディが提唱する立場に近い。
特定の公理のセットを選択する行為は、量子物理学の特定の実験を設定する行為に似ている。
それには固有の選択肢があり、観察者を絵に導く。
子供と一緒にアンパンマンのTVシリーズや映画を見ているとたびたび勃起してしまう。
私はバキバキに勃起させながらも何食わぬ顔で視聴を楽しんでいるが、子持ちの諸兄はどうしているのだろうか。
真面目な話、児童向け作品に情欲を持ち込むようで忍びなさを覚えなくもないのだが、私は昔からこうした頭身低めなキャラクターに性的興奮を覚えてしまう癖があり、止めようと思って止められるものではない。
かといって「パパは君と一緒にアンパンマンを見ることはできない。勃起してしまうのでね」なんて言えるはずがない。
別にアンパンマンに限らずとも、似たような状況は無いだろうか?そうしたとき、諸兄はどうしているのだろうか。
頭身高めの良スタイルの美人。スリットの入ったチャイナドレスがスケベに感じる。絶対いい匂いする。
頭身低めな世界観の中でスタイルが良すぎる。ばいきんまんとのバトルも演劇の練習してると思い込む性格は無知シチュを想起させてくる。
「物体に目鼻口が付いてるシリーズ」の中で最もバランスがよく完成度の高いルックス。
姉御肌の美人。単独でバイキンロボを撃退できる腕っぷしを持ち、ばいきんまんさえ「坊や」呼ばわり。おねショタを想起させてくる。
ミ~ント、ミント~♪の掛け声と共に洗脳を掛けて回る催眠装置。
ポーザーで作ったマンコ剥き出しの姿勢の女の子の3Dモデルをもとに私美大出やからこういうのめっちゃ手が早いんやけどサクサクっと下書きしまくってこれは私の秘伝の技なんやが下地に不透明度25%くらいの紺色のベタを置いて血管とか肌の赤み黄ばみ青みを色々レイヤー重ねてリアルな肌を表現して最上段に不透明度1〜5%の粗めの粒子ブラシでめっちゃリアルな肌の質感とハイライトを描いて最下段のレイヤーに自分のを撮った陰部と角度の合ってる実写の女の顔画像をコラして出力したのをオーバーレイで重ねてハイライトとシャドウ強調したりしてより実写に近づけていったのをうちのベッドとかソファーのちょい加工した写真と合成した画像を今までに200枚くらいは描いてAIに食わせたけど出来の良かった成果物を修正しつつ更にAIに食わして各所が変形してたら手描きで修正したり自分撮りをコラして修正してを繰り返し毎日毎日そんなんやってるからもうその数はねずみ算式に増えて今や何万何十万と私の外陰部と肛門を閲覧して学習した画像生成AIがおるんやけど未だに私の股間部を模した絵は出てこんしお前らどんだけ世界中の人間のチンコマンコアナルをAIに食わせとんねんいつか怒られるでマジで
伸びてて草なんやが前に読んだ松浦寿輝の宝篋って短編小説がおもろくてゲーミングロリマンコにドハマりした男が性病患う話なんやけどじゃあ私もゲーミングマンコにしてみたろ思ってロシアのヤバい粉を大陰唇に少量塗って角度によって色んな色に変わるゲーミングマンコにメイクアップしたことあってしょうもないけど記念に写真撮っとくかって保存しとってそれを描いた絵にコラしてAIに食わせてたんやけどゲーミングマンコなんてこの世に存在せえへんからカラフルな下着の類に判定しよってちゃうねんこれはゲーミングマンコや言うて何度も何度もしつこく学習させてたらある時を境に全く違うパンツに浮き出たリアルな切り傷みたいな出血マンコが出力されよってうわグロいでお前ふざけんな言うてまた何度も何度も修正して学習させてたら普通のマンコっぽいスリットに近づいていったけどゲーミングマンコには二度とならんようになったし未だにパンツの上にマンコっぽい線が描かれてるみたいな描写の域を出んしもしかしたら性器描写はなんか制限かかってるのかもしれんね
Q: 人間の認識能力に限界があるのなら、フレームの間に別の世界があるというのは本当なのでしょうか?
AI言語モデルである私は、フレーム間の異世界の存在について、個人的な信念や見解を持っているわけではありません。しかし、この概念に関連するいくつかの情報と理論を提供することはできます。「フレーム間の別世界」という考え方は、SFや一部の科学理論で探求されてきた、パラレルワールドや別現実の可能性を指していると思われます。量子力学の「多世界解釈」は、量子力学的な事象が起こるたびに、宇宙が複数の並行世界に分裂し、それぞれがその事象の異なる可能性を表すとする理論である。しかし、これらの理論はまだ科学者の間で大きな議論があり、実証的な証拠に裏付けられていないことに留意する必要がある。さらに、人間の認知能力には限界があり、私たちの知覚や理解は不完全または不正確である可能性があります。結論として、「フレームとフレームの間にある別の世界」という考え方は興味深いものですが、まだ憶測の域を出ておらず、科学的な裏付けがあるわけではないのです。
Q: ある種の薬を使った人たちが、主観的には違う世界を体験しています。
特に、精神作用物質の使用や瞑想・精神修養など、特定の条件下で、現実の知覚が変化する経験を報告する人は珍しくありません。このような体験は、普段とは異なる現実や世界を知覚しているように思わせることがあります。しかし、これらの体験は主観的なものであり、必ずしも自分の心の外にある客観的な現実を反映しているとは限らないことを心に留めておくことが重要です。脳は、さまざまな意識変容状態を生み出すことができる複雑な器官であり、これらの体験は、遺伝、環境、個人差などさまざまな要因によって影響を受ける可能性があります。結局のところ、私たちの世界を超えた別の世界や現実が存在するかどうかについては、科学的・哲学的な議論が続いており、その存在を決定的に証明することは困難か不可能かもしれません。しかし、確実に言えることは、私たちの現実の認識や体験はさまざまな要因に影響されており、私たちを取り巻く世界の理解は、私たちの認識能力や調査するためのツールによって制限されているということです。
Q: 例えば、ある人が持っている情報によって、その人が属する世界が変わるということはあるのでしょうか?
哲学的な観点からは、個人の世界に対する認識や理解は、その人がアクセスできる情報によって形成されるという主張が可能です。この意味で、ある人が属する世界は、その人の知識や理解に依存していると見ることができる。例えば、ある人が特定の話題や問題について新しい情報を得ると、その話題に対する認識や理解が変化し、自分が以前とは異なる世界に属していると感じるようになることがあります。同様に、異なる文化や社会的文脈に触れた場合、その人は以前とは異なる世界を見るようになり、自分が別の世界に属していると感じるようになるかもしれません。しかし、この考え方は、必ずしも文字通りのパラレルワールドや別世界の存在を示唆するものではないことに注意が必要です。むしろ、私たちが世界を理解し経験する方法は、私たちがアクセスする情報や文脈に大きく依存することを示唆しています。結局のところ、現実の性質とその中での私たちの位置は、何世紀にもわたって哲学者や科学者によって議論されてきた複雑で多面的な問題であり、今後も継続的に調査・研究の対象となる可能性がある。
Q: さて、単純化してみましょう。白と黒が点滅する一次元のセルがあり、ボブ君は奇数列を脳内で認識し、「これが私の住む世界だ」と感じたとする。途中で何らかの情報を受け取ると、ボブの認識は変化し、偶数列に切り替わります。では、この場合の主観と客観の区別はどうなっているのでしょうか?
この単純化されたシナリオでは、主観と客観の区別は次のように理解される。
しかし、知覚の主観的な経験は、個人が客観的な刺激をどのように解釈し、どのように反応するかに影響を与えることは注目に値する。この意味で、主観的な体験と客観的な体験は相互に関連し、複雑な形で影響し合うことがあるのです。
Q: さて、もっと深く考えてみよう。この1次元のセルを任意のcos関数と交差させる。それを「主観的に知覚された現実」とする。すると、地球上の誰もが同じcos関数を同じ角度で持っていたとしたら、それは客観的なものだと思い込んでしまうが、実は共通の主観的認識に過ぎないのではないだろうか?
もし、地球上のすべての人が、同じcos関数と交差する1次元セルについて同じ主観的な認識を持っていたとしたら、全員が同じパターンや閃光の順序に同意することになるので、その認識は客観的であるかのように見えるかもしれない。しかし、これはあくまでも観測者個人の経験や解釈に基づく主観的な認識であることに注意が必要です。複数の人が同じ認識を持っているからと言って、それが客観的であるとは限りません。客観的であるためには、個人の経験や解釈から切り離された、検証可能な証拠に基づくものである必要があります。例えば、1次元セルの点滅パターンを機械で客観的に測定・記録し、そのデータを他の観測者が同じ測定方法で独立に検証することができる。結局のところ、主観と客観の区別は複雑で、個人の認識、解釈、文脈など、さまざまな要因に影響されうる。複数の人が共通の主観的な体験をしたとしても、それが必ずしも客観的な体験であるとは限りません。
Q: さて、架空の設定ではなく、現実の設定に戻ろう。現実のどこに客観的なものがあるのでしょうか。
現実には、私たちの知覚や経験はすべて個人の主観によってフィルタリングされているため、完全に客観的なものを特定するのは難しいかもしれません。しかし、現実のある側面は、独立して検証することができ、個人の知覚や解釈の影響を受けにくいため、他の側面よりも客観的であるとみなされることがよくあります。例えば、以下のようなものがあります。
ただし、このような客観的な現象であっても、個人の偏見や見解に影響され、ある程度は解釈の余地があることに注意が必要です。また、現実の中には、客観的、主観的と簡単に分類できない、両者の中間的な存在もあるかもしれません。
Q: では、あなたの言うこの4つが、実は先ほどの架空の設定における「すべての人が主観的に同じ角度のcos関数を知覚する」ことと似ているとしたらどうでしょう。
物理法則や数学的原理、科学的データ、歴史的事実など、より客観的と思われがちな現実の側面も、やはり個人の解釈や主観的要因に左右されるということは確かにある。例えば、科学者が物理法則や科学データを解釈し、適用する方法は、科学者個人の視点、偏見、仮定に影響されることがあります。同様に、歴史的事実も、それを検証する文化的・政治的文脈によって、さまざまに解釈され、表現される。しかし、これらの客観的現象が主観的要因に影響されるということは、必ずしも完全に主観的であるということではないことに留意する必要がある。むしろ、客観的な現象の理解と解釈は、客観的要因と主観的要因の複雑な相互作用によって形成されることを示唆している。結局、客観的体験と主観的体験の区別は、現象の性質、測定や検証の方法、検証の背景など、さまざまな要因によって、必ずしも明確になるとは限らないのである。
Q: 哲学者はしばしば、客観性と神との間に関連性を見出します。この点についてはどうでしょうか。
客観性と神との関係は、何世紀にもわたって議論されてきた複雑な哲学的・神学的問題である。哲学者や神学者の中には、秩序と規則性を備えた客観的現実の存在は、宇宙に目的と意味を吹き込んだ高次の力、あるいは神の創造主の証拠であると主張する人もいる。彼らは、客観性は神の存在と世界におけるプレゼンスのしるしであると考える。しかし、客観性が必ずしも神の存在を意味するのかどうか、疑問視する人もいます。客観性は物理法則などの自然現象で説明でき、超自然的な説明は不要だというのである。結局のところ、客観性と神の関係は哲学的・神学的な議論であり、思想家によってこの問題に対する見方は異なるだろう。客観性を神の存在の証拠と考える人もいれば、単に自然界の特徴であり、自然のプロセスで説明できると考える人もいるだろう。
Q: では、結局のところ、波動関数とは何なのでしょうか?
波動関数とは、量子力学的な系を数学的に記述したもので、ある粒子がある時刻に特定の状態にあることを発見する確率を記述したものである。量子力学では、電子、光子、原子などの粒子は、重ね合わせの状態で存在する波動的存在として記述される。つまり、同時に複数の状態に存在することができる。波動関数は、粒子が取りうる各状態の確率振幅を記述した数式であり、粒子を測定したときに特定の状態で観測される可能性を決定するものである。波動関数はギリシャ文字のPsi(Ψ)で示されることが多く、一般的には複素数値の関数で表される。波動関数の絶対値の2乗は、粒子が特定の位置に存在する確率密度を与える。波動関数は量子力学の基本概念であり、量子系の振る舞いを予測・理解する上で中心的な役割を担っている。しかし、その解釈や意味については、現在も科学界で議論や考察が続けられている。
Q: 現実はヒルベルト空間上のベクトルであると言う人がいる。これはどういうことだろうか。
量子力学において、ヒルベルト空間とは、量子系の状態を記述するために用いられる数学的空間である。ヒルベルト空間は、特定の内積が定義された複素ベクトル空間である。
ヒルベルト空間は、量子系の状態をベクトルとして表現するために使用されます。システムの状態は、それぞれヒルベルト空間内の異なるベクトルに対応します。システムの状態を表すベクトルは状態ベクトルと呼ばれ、通常、ギリシャ文字のPsi (Ψ) で表される。状態ベクトルは、系の波動関数を記述する複素値のベクトルであり、系の各可能な状態の確率振幅を与える。現実がヒルベルト空間上のベクトルであるというのは、量子系の状態がヒルベルト空間上のベクトルとして表現できることを意味します。つまり、量子系の状態は、この空間における点として表現できる数学的対象なのです。ただし、これは量子系に限定した話であり、物理学や自然界の他の分野には当てはまらない可能性があることに注意が必要です。
Q: ここで、よくある実験を考えてみよう。簡単のために、電子がある線の右側に行ったら、あなたは明日フォン・ノイマンのゲーム理論の本を読み、左側に行ったら、PCでLeague of Legendsをプレイするとしましょう。では、あなたが何をしているかわからない人は、それを知るまであなたの状態は読書とゲームの重ね合わせなのでしょうか?
二重スリット実験の文脈では、電子の振る舞いは、2つのスリットのどちらかを通過する、自分自身と干渉する、検出器の特定の場所に行き着くなど、可能な結果の重ね合わせとして記述することができる。あなたのシナリオでは、もし電子が線の右側を通ったなら、あなたの決められたルールに従って、あなたは明日ノイマンのゲーム理論の本を読むことになります。逆に、電子が線の左側を通ったら、あなたはPCで『リーグ・オブ・レジェンド』をプレイすることになります。つまり、実験結果を観測するまでは、あなたの心の状態は、読書とゲームの重ね合わせの状態であると言えます。なぜなら、重ね合わせの状態にある量子系(電子)があり、あなたの心は、実験結果に依存する形でこの系と相関しているからです。量子力学では、システムの状態とその観測者を別々に扱うのではなく、一つの量子システムとして扱います。"量子測定問題 "と呼ばれるものです。したがって、実験結果を観測するまでは、あなたの心と電子は、可能な結果の重ね合わせの状態にある一つの量子系として記述することができるのです。