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はてなキーワード: 美空ひばりとは

2025-12-26

セス紅白大トリってすごくない?(歴代大トリ リストあり)

歴代大トリリストアップすると以下の通り。

多分最年少だよ。

…と思ったら、美空ひばり20歳だって!そりゃ叶わないね

紅白歌合戦 歴代大トリ一覧(新しい順)

* 第74回(2023年):MISIA紅白スペシャル2023

* 第73回(2022年):福山雅治桜坂

* 第72回(2021年):MISIA明日へ 2021」

* 第71回(2020年):MISIA 「アイノカタチ」

* 第70回(2019年):嵐 「嵐×紅白 スペシャルメドレー」

* 第69回(2018年):嵐 「嵐×紅白スペシャルメドレー」

* 第68回(2017年):ゆず栄光の架橋

* 第67回(2016年):嵐 「嵐×紅白スペシャルメドレー」

* 第66回(2015年):松田聖子赤いスイートピー

* 第65回(2014年):松田聖子あなたに逢いたくて~Missing You~」

* 第64回(2013年):北島三郎 「まつり」

* 第63回(2012年):SMAPSMAP 2012'SP

* 第62回(2011年):SMAPSMAP AID 紅白SP

* 第61回(2010年):SMAPThis is love'10 SPメドレー」

* 第60回(2009年):北島三郎 「まつり」

* 第59回(2008年):氷川きよし 「きよしのズンドコ節」

* 第58回(2007年):五木ひろし 「契り」

* 第57回(2006年):北島三郎 「まつり」

* 第56回(2005年):SMAPTriangle

* 第55回(2004年):小林幸子 「雪椿」

* 第54回(2003年):SMAP世界に一つだけの花

* 第53回(2002年):五木ひろし 「おふくろの子守唄

* 第52回(2001年):北島三郎 「山」

* 第51回(2000年):五木ひろし山河

* 第50回(1999年):北島三郎 「まつり」

* 第49回(1998年):和田アキ子 「今あなたにうたいたい」

* 第48回(1997年):五木ひろし千曲川

* 第47回(1996年):北島三郎風雪ながれ旅

* 第46回(1995年):細川たかし望郷じょんから

* 第45回(1994年):都はるみ古都逍遥

* 第44回(1993年):北島三郎 「まつり」

* 第43回(1992年):北島三郎帰ろかな

* 第42回(1991年):谷村新司 「昂-すばる-」

* 第41回(1990年):森進一おふくろさん

* 第40回(1989年):石川さゆり風の盆恋歌

* 第39回(1988年):北島三郎年輪

* 第38回(1987年):五木ひろし追憶

* 第37回(1986年):森進一 「ゆうすげの恋」

* 第36回(1985年):森進一 「女もよう」

* 第35回(1984年):都はるみ夫婦坂」

* 第34回(1983年):細川たかし矢切の渡し

* 第33回(1982年):森進一 「影を慕いて」

* 第32回(1981年):北島三郎風雪ながれ旅

* 第31回(1980年):八代亜紀 「雨の慕情

* 第30回(1979年):八代亜紀 「舟唄」

* 第29回(1978年):沢田研二LOVE(抱きしめたい)」

* 第28回(1977年):五木ひろし 「灯りがほしい」

* 第27回(1976年):都はるみ北の宿から

* 第26回(1975年):島倉千代子 「悲しみの宿」

* 第25回(1974年):森進一襟裳岬

* 第24回(1973年):北島三郎帰ろかな

* 第23回(1972年):美空ひばり 「ある女の詩」

* 第22回(1971年):美空ひばり 「この道を行く」

* 第21回(1970年):美空ひばり人生将棋

* 第20回(1969年):美空ひばり 「別れてもありがとう

* 第19回(1968年):美空ひばり 「熱祷」

* 第18回(1967年):美空ひばり芸道一代」

* 第17回(1966年):三波春夫紀伊国屋文左衛門

* 第16回(1965年):美空ひばり 「柔」

* 第15回(1964年):三波春夫俵星玄蕃

* 第14回(1963年):美空ひばり哀愁出船」

* 第13回(1962年):三橋美智也星屑の町」

* 第12回(1961年):三波春夫 「文左たから船」

* 第11回(1960年):三橋美智也 「達者でナ」

* 第10回(1959年):美空ひばり 「御存知弁天小僧

* 第9回(1958年):美空ひばり 「白いランチで十四ノット

* 第8回(1957年):美空ひばり長崎蝶々さん

* 第7回(1956年):笠置シヅ子 「ヘイ・ヘイ・ブギ

* 第6回(1955年):二葉あき子バラのルムバ」

* 第5回(1954年):霧島昇石狩エレジー

* 第4回(1953年12月):藤山一郎 「丘は花ざかり

* 第3回(1953年1月):灰田勝彦野球小僧

* 第2回(1952年):藤山一郎オリンピックの歌」

* 第1回(1951年):藤山一郎長崎の鐘」

2025-11-02

松本人志の笑いわからんなってなった時の話

あれはいつやったかな。

何かの企画で、新喜劇舞台松本人志ならこう笑いを取る、みたいなやつで、新喜劇コント段取りが進む中、スッと美空ひばり舞台衣装を着た松本人志が出てきて、うどん屋かの椅子に座ってただ黙っとるシュールな絵柄を笑ってくれや、みたいなのがあったんやけど、あそこで「あー無理やな」てなったよね。

2025-08-12

日テレ日本人を支えた80年80曲」

2025 Rock this Party / timelesz

2024 ライラック / Mrs. GREEN APPLE

2023 唱 / Ado

2022 Habit / SEKAI NO OWARI

2021 CITRUS / Da-iCE

2020 Imitation Rain / SixTONES

2019 紅蓮華 / LiSA

2018 U.S.A / DA PUMP

2017 インフルエンサー / 乃木坂46

2016 恋 / 星野源

2015 トリセツ / 西野カナ

2014 Let it Go ~ありのままで~ / May J.

2013 RPG / SEKAI NO OWARI

2012 風が吹いている / いきものがかり

2011 Rising Sun / EXILE

2010 ヘビーローテーション / AKB48

2009 Believe / 嵐

2008 366日 / HY

2007 Love so sweet / 嵐

2006 粉雪 / レミオロメン

2005 青春アミーゴ / 修二と彰

2004 花 / ORANGE RANGE

2003 地上の星 / 中島みゆき

2002 世界に一つだけの花 / SMAP

2001 ultra soul / B‘z

2000 SEASONS / 浜崎あゆみ

1999 LOVEマシーン / モーニング娘。

1998 愛のしるし / PUFFY

1997 CAN YOU CELEBRATE / 安室奈美恵

1996 PRIDE / 今井美樹

1995 LOVE LOVE LOE / DREAMS COME TRUE

1994 innocent world / Mr.Children

1993 島唄 / THE BOOM

1992 涙のキッス / サザンオールスターズ

1991 愛は勝つ / KAN

1990 おどるポンポコリン / B.B.クイーンズ

1989 Diamonds / プリンセス プリンセス

1988 パラダイス銀河 / 光GENJI

1987 雪國 / 吉幾三

1986 熱き心に / 小林旭

1985 ミ・アモーレ / 中森明菜

1984 涙のリクエスト / チェッカーズ

1983 め組の人 / ラッツ&スター

1982 北酒場 / 細川たかし

1981 センチメンタル・ジャーニー / 松本伊代

1980 青い珊瑚礁 / 松田聖子

1979 ガンダーラ / ゴダイゴ

1978 サウスポー / ピンク・レディー

1977 渚のシンドバッド / ピンク・レディー

1976 およげ!たいやきくん / 子門真人

1975 シクラメンのかほり / 布施明

1974 学園天国 / フィンガー5

1973 喝采 / ちあきなおみ

1972 瀬戸の花嫁 / 小柳ルミ子

1971 さら恋人 / 堺正章

1970 黒ネコタンゴ / 皆川おさむ

1969 三百六十五歩のマーチ / 水前寺清子

1968 恋の季節 / ピンキーとキラーズ

1967 世界の国からこんにちは / 三波春夫

1966 君といつまでも / 加山雄三

1965 涙くんさよなら / 坂本九

1964 明日があるさ / 坂本九

1963 見上げてごらん夜の星を / 坂本九

1962 可愛いベイビー / 中尾ミエ

1961 上を向いて歩こう / 坂本九

1960 潮来笠 / 橋幸夫

1959 男の友情背番号・3 / 石原裕次郎

1958 嵐を呼ぶ男 / 石原裕次郎

1957 東京だョおっ母さん / 島倉千代子

1956 哀愁列車 / 三橋美智也

1955 月がとっても青いから / 菅原都々子

1954 お富さん / 春日八郎

1953 さいざんす・マンボ / トニー谷

1952 お祭りマンボ / 美空ひばり

1951 野球小僧 / 灰田勝彦

1950 東京キッド / 美空ひばり

1949 銀座カンカン娘 / 高峰秀子

1948 憧れのハワイ航路 / 岡晴夫

1947 東京ブギウギ / 笠置シヅ子

1946 東京の花売娘 / 岡晴夫

1945 リンゴの唄 / 並木路子

引用元

https://x.com/k_maru_dau_baby/status/1954884707084280307

2025年2020年大人の事情を感じる

2025-06-30

anond:20250630174217

まじ?

意外な人を知らなかったりするよね、それ知っててそれは知らないんかみたいな

中島みゆきは余裕で知ってた、さだまさしも顔は分かるみたいだった、美空ひばり北島三郎は通じなかった

2025-05-07

成功している音楽家は何が違うの?

超絶技巧を身につけた上流階級音楽サヴァンでなくてもDTMAI音楽を作れる時代になったけど

成功者は一握りしかいない

何が違うのだろう?

モーツァルト美空ひばり音大に行ってないのに

なぜjpopでさえ音大に行かないといけないようになったの?

成功する音楽家は何が違うの?

2025-05-05

最近音楽シーンがわからない

70年前メルトーメとかナットキングコールとか超歌も楽器も上手くてステージがオシャレだった。

50年前都はるみとか美空ひばりとかすごかった。映画で歌ってるのを見て歌うめぇーって聞き惚れてしまう。

50年前アースウィンドアンドファイアーとか超グルーヴだった。ジョニミッチェルとかなんか迫力あった。

ポールモーリアとかレーモンルフェーブルとかも爽やかだった。

40年前YMOとかすごかった。楽器エフェクター進化し続けていて流行りの音があった。坂本龍一世界のサカモトになった。

YMOだけじゃなくてユーミン山下達郎もすごかった。T-SQUAREカシオペアも。

30年前渋谷系はお洒落だった。ピチカートVとかカヒミカリィとか。フリッパーズギターとか(でも自分的に音楽的にはあんまりピンとこない。

電グルとかTMNあんまりピンとこない)

2000年代に入るとなんかよくわからなくなってしまうんだ・・・くるりとかPERFUMEとかLampとか押尾コータローとかサンボマスターとか好きだけど

時代代表する曲といえば巫女みこナース・愛のテーマとか?レッツゴー!陰陽師とか?

最近うまい人といえば誰?

2025-03-16

美空ひばりといえば田岡元組長。組長と言えば

田岡満。彼って高校はちがうけど、中学の先輩なのよね。

中高一貫校だけど彼は高校から違うところに行ったらしい。

今日誕生日

美空ひばりよりも長生き確定

上岡龍太郎ってこの年齢で引退したと思っていたけど

違うのね?

2025-03-01

現在天皇家タブーなの当たり前だろ

生きてる人間最近まで生きてた人間侮辱するような創作したらそりゃ怒る人出るだろ

たとえば美空ひばりでそういう事したら同じように怒る人出るけど美空ひばりタブーなのか?

逆に数百年前の天皇家だったら南北朝時代とか悪しざまに描いてる創作あるけど特に燃やされてないじゃん

これって結局最近人間は怒られやすいってよくある理由天皇家も入るだけで特別天皇家事情無いんじゃないの?

というかさ、

ここらへんの話すると普段天皇家どうこう言ってる人達って普段現在人間誹謗中傷される事に散々口うるさい癖に

現在天皇家への誹謗中傷にはクソだんまりなんだな相変わらずクソだね

んでこのエントリツッコミ入れる奴がもしいたらこのだんまり部分はスルーしてツッコミ入れるんだろうな

2025-01-20

ばあちゃんが死んだ。

ばあちゃんが死んだ。

僕の40の誕生日の前日に死んだ。

享年95歳の大往生

葬式など諸々終え、家に帰ってきて、やっと落ち着いたところ。

今の心情を自分自身でもいまいち掴みきれてないので、書いてみる。

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親族のみの葬式

とにかく人が多かった。

からない親族が多い。

子ども4人、孫12人、ひ孫19人、子どもや孫の配偶者、ばあちゃん兄弟、その子、その孫。

サマーウォーズより多いんじゃね?

ばあちゃんは寺の娘だったので、親戚には坊さんがいる。

3人の坊さんが経を読む。

坊さんはばあちゃんの甥、坊さん含め親族のみの葬式

先頭で経を読んだのは、ばあちゃんの甥の中で一番下の甥。

通夜葬式はひ孫達が騒ぐ騒ぐ。

ばあちゃんも坊さんも許すから全然オッケー。

ゆるい良い葬式だった。

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経を読み終えたタイミングで謎のフルート演奏

から聞いたのだが、斎場サービスらしい。

完全に場違いフルートに、皆ポカーンとし、奏者も可哀想だな…と思いつつ聴いて、葬式を終えた。

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親族の中でも近い人だけ火葬場へ。

僕も火葬場に向かった。

棺を焼く前に経を読み、最後挨拶

普通と違ったのは、坊さんも参列者と同じように、最後に声をかけた。

一番下の甥の坊さんは泣いていた。

僕は泣けなかったからか、何か知らんがそれを見て僕自身が救われた気がした。

その後棺は焼くことになり、焼けるまで1時間程度待つことになった。

後で聞いたのだが、そのドサクサに紛れて義理の息子である親父は泣いていたらしい。

なんでやねん

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孫の中で僕は上から2番目。

年長の孫であるいとこ、一番下の甥の坊さん、3人で話をした。

最初に、一番下の甥の坊さんに、フルートの時プルプルしてたから泣いてたかと思ってたらアレ笑いを堪えてなかった?とツッコむところから話は始まった。

坊さんあるあるとか色々話をしたあと、当然ばあちゃんの話に。

ばあちゃんの話になると必ずゲームの話が出てくる。

ばあちゃんがいつからゲームやってたのか、とか、何故やってたのか、とか、どんなゲームをやってたのか、とか色々話した。

俺の初めてゲームはばあちゃんお下がりディスクシステムのやつだった、パチンコにハマってたから抜け出すために息子(僕から見ると伯父)が買った、そういえばパチンコにハマってた時期もあった気がする、その前はルービックキューブだったらしい、俺が持ってないPS4とか持ってたぞ、ゲーム好きだったけど上手いわけじゃなかったかレベルアップでのゴリ押し結構多くて1セーブプレイ時間400時間とか700時間だったぞ、、、。

僕らは子どもの頃に話して以降30年近く話をしてなかったが、話題は尽きなかった。

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あっという間に、時間が過ぎ、ばあちゃんは骨になった。

なんというか、あっけなかった。

色々終わって帰ってきた、子どもらも寝かしつけ、一息ついたのが今。

微妙に落ち着かずふわふわする感じがあったので、消化するために文章に残すことにした。

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ばあちゃんがどんな人だったのか。

性格キャラ的なものを今風に言えば、天然系、不思議ちゃん、なのに、生命力強い、どんな環境でも楽しんで生きる、そんな感じ。

やたら印象に残る言動をする人だったので、ばあちゃん話題には事欠かない。エピソード力が強い人だった。

何故か鞄を持ち歩かず、ショルダーバックくらいの袋に荷物を詰め、そして下着の胸の辺り、ちょうどブラのパッドのあたりに、その袋を縫いつけ、小太りというか巨乳に見える感じになっていた。

何かを出す時は胸元から出すことになるが、昔は服の中に手を突っ込みゴソゴソして荷物を取り出してたが、そのうち上手く取り出せないからと、半分脱いで取り出すようになった。

普通に外でもそれをやるようになったので、買い物行く時は子どもや孫の誰かが連れていき、事前に財布を預かって、ばあちゃんの財布から支払う、というのが慣習となった。

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そういえば、ばあちゃんから直接昔の話を聞いたことはほぼなかったことに気付いた。

年寄りは昔話が好きな印象あるけど、ばあちゃんから思い出話をほとんど聞いたことない。昔手に入れた意味分からん謎のハックテクニック、を教えてもらえる程度。こちらの心配する、子どもや孫など周りのこと、ゲームのこと、とにかく今の話しかしなかったからかもれしない。

でも、ばあちゃんの周りからは、ばあちゃんの今まであったことはよく聞いた。

ここからのばあちゃんの昔の話は、皆の話の集合での話なので、何が本当なのかは分からない。

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ばあちゃんは、山奥の陸の孤島のような村にあるお寺の娘だった。

それが若い頃、じいちゃん駆け落ちで峠を越えた、と聞いた。

結果、じいちゃんが良いとこの人だと分かり、許してもらい帰ってきた。昔っぽい。

あとで聞いたのだが、じいちゃんバツイチ寡夫?だったらしく、ばあちゃん結婚した当時、ばあちゃん20、じいちゃんは44。そりゃ反対するわな。

それに加え、じいちゃんを知るであろう寺近くの老人達から稀にじいちゃんの話を聞いたことがあるのだが、どれも掴みどころがない。水墨画を描いてた、木こりだった、スキー板を作って売ってた、馬に乗って駆けてた、等々。皆のいうことが毎回違いすぎて何をしてた人なのかがマジでからない。今で言うフリーターだったのでは、と思ってる。

その後、ばあちゃん子どもを4人産んだが、3番目の子である僕の母が4,5歳のときに、じいちゃん結核で死んだ。

ばあちゃん身体を壊し、病院入院

生活ができないので、子どもらは、伝手のある寺が運営する児童養護施設生活することに。

何年かそんな生活が続き、長男(僕から見れば伯父)が中学卒業してすぐ働き始め、生活ができるようになったので、ばあちゃん兄弟らを集め、また一緒に生活し始めた。なんという「ひとつ屋根の下」。(ひとつ屋根の下、当時母はめっちゃハマって見てた)

その後しばらく経ってから長男は僕の母を除いた兄弟とばあちゃん自営業を始めた。

ここから人生に関しては、ばあちゃんにとって比較順風満帆人生だったと思う。

たぶん。

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僕はばあちゃんに一番可愛がってもらった孫だったように思う。

ばあちゃんファミコンをやるひざの上に乗ってたのが僕だった。

おかげで、僕は立つのより早くゲームをやっていた。

ある程度大きくなると、ばあちゃんの家によく泊まりに行った。

今思えば理由は単純で、高橋名人名言ゲームは1日1時間!!」を家では親が守らせようとするが、ばあちゃんの家では、朝から晩までゲームをやっていても怒られない。

ばあちゃんも、ゲーム攻略に詰まると、孫を積極的に呼んで、攻略方法を聞いたり、分からなくてもプレイしてやってみてくれとせがんだ。

僕が一番可愛がられたが、他の孫達も顔を出せば、同じように攻略をせがまれたので、孫らは皆ばあちゃんとみんなゲームをした経験が一度はあるように思う。

息子(僕から見て伯父)の自営業職場とばあちゃんの家が一緒になっていて、ばあちゃん生活は、昼間は働き、ご飯風呂趣味の畑仕事、残った時間はほぼゲーム、が大半だった。

昔はマリオとかアクションをよくやっていたが、途中からドラクエFFといったRPGが好きだった。

先にも書いたようにゲームやるからといって賢かったり上手かったりするわけじゃなかった、いわゆる下手の横好きだったので、とにかく朝から晩までゲームをし、攻略ノートを作ってメモをし、自分攻略ノートを見ながらプレイしていた。

何度も何度も飽きずにトライエラーを繰り返しまくるので、ばあちゃんセーブデータは、装備やアイテム微妙なのに、レベルが異常に高いことが多かった。

おかげで、途中からやった僕ら孫たちは、ばあちゃん説明するハマりポイントをひと通り振り返ったあと、装備を整え、ちゃんゲーム内の説明みてやれば、案外すんなり先に進めた。

ゲームをやるとばあちゃんから駄賃がもらえた。

ばあちゃんの駄賃は、できるだけゲームにつかった。

他の孫たちもゲームプレイし終わったら、中古屋でなく、ばあちゃんゲームを流した。

ばあちゃん自分ゲームを買っていた印象がほぼないが、とにかくばあちゃんの家にはゲームがたくさんあった。

ベッドの下の収納ボックスには、ソフトがギッシリ詰まっていた、

初代ファミコンスーパーファミコンPSPS2、64、ゲームキューブ、xbox…僕も大きくなるにつれ頻度が減り、就職地元を離れてからさらに頻度が減ったので、僕の知らないゲームハードもありそう。

見た記憶では、古いハードソフトはなかった気がするので、時折捨ててたのかも。

孫らで集まって話をした際に出てきたゲームタイトルは皆違ってた。

FFドラクエテイルズスターオーシャンゼルダ武蔵伝、等々。

ばあちゃんの妹の孫とかい若い男の子も来てて、ばあちゃんとのゲームの思い出話をしてたのは驚いた。

それもあって、親族のみの家族葬だったのに、縁のある親戚までも集まり、やたら人数の多い通夜葬式になった。

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ばあちゃんの僕の可愛がり方、溺愛ぶりはちょっとすごかった。

親戚一堂からは、溺愛しすぎて恋人みたいだ、と笑われていた。

義理の息子である親父もかなり溺愛してたので、本物の息子一堂から、本物の息子より息子してる、と親父も笑われていた。

ばあちゃんは、下駄が好きでよく履いてたのに、胸元に袋が入っていたから、ハキハキ歩くことができず、ペンギンみたいな歩き方になっていた。

不安定ゆっくりな歩き方だったので、当然荷物はまともに持てないし、隣を歩く僕の服の袖のあたりをつかんだりすることが多かった。

僕がいない時は、親父が並んで服の袖をつかまれていた。

僕や親父はその認識だったのだが、妹いわく、妹と一緒だと、不安定な歩きのままズカズカ先に歩いて荷物を持ってる妹に早く行くぞと先行してく、僕や親父の前だと猫を被ってる!!男尊女卑だ!!と愚痴っていた。

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孫らから流れてきたゲームで躓くと、当然元々ゲームの持ち主の孫に攻略を聞くことが多かった。

ひとつ印象に残っているのは、FF 10

平原マカラーニャの森あたりにいて、攻略手伝って欲しいからと、泊まって欲しいと、ばあちゃんにせがまれ、泊まることになった。

一緒にプレイし、ご飯も食べ、風呂も入り、寝る前にもう1プレイ

ちょうどそこで、マカラーニャの森の超ロマンティックなラブシーン。

当時、高校生だった僕は、真夜中に部屋を暗くして、ばあちゃんと並んで何観てるんだろう……と絶妙な気分になっていた。

ふと、横目でばあちゃんを観ると、キラキラした目で、★★素敵★★みたいなリアクションで、滅茶苦茶一生懸命みてたので、まぁいいか、と諦めにも近い気持ちになった。

その後少し経って、新しい孫がまた産まれ、ちょうどその孫の名前FF10ヒロインと同じ名前だったので、滅茶苦茶喜んで良い名前だ、と褒めていた。

葬式最後フルートが、美空ひばりの「川の流れのように」だったので、「ザナルカンドにて」をかけてあげれば良かったのにな、とフルート演奏を聴きながら、このことを思い出していた。

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葬式の参列者の話などを聞くに、僕がばあちゃんのところにあまり行けなくなった後も、他の親戚やゲームの関わりもあって、楽しくは過ごせていたようだった。

それが、6年前、真夏の早朝に、もうひとつ趣味であった畑仕事の途中で、脳卒中で倒れ、近くの通行人発見され救急車で運ばれた。

ばあちゃんは、脳死状態になった。

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主治医や長年お世話になっているかかりつけ医によると、意識回復する可能性は万に一つもない、そんな状態とのことだった。

ばあちゃんは、これまで大病患って、入院して死にかけたことは何度かあった。

入院のなか、どうしても回復傾向が見られない、という状況になってから、僕に連絡が来て、急遽地元に帰ってお見舞いに行くと、ばあちゃんゲームの話になり、そういえばプレイ中だったあのゲームの続きがやりたい、早く治して退院せねば!!と急にやる気になって、そこから超回復、という展開があった。

今回は流石にダメそうだった。

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流石にばあちゃんももう90だったので、そういう覚悟をしておかなきゃ行けないことは分かっていた。

病院に見舞いに行った際、分かっていても、それがただ寝ているようにしか感じられなかった。

手術のあとに寝てます、みたいな感じで、ただ寝てるだけ。

もう起きることは無いのに、そんなふうにしか感じられなかった。

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僕がその後ばあちゃんの顔を見れたのは、少し経って、ばあちゃんの家で介護するようになってからだった。

ばあちゃん介護に行く母について、ばあちゃんの家に行った。

病院よりも設備簡素になったためか、ああ、これは本当にもう目覚めないんだな、と今さらながら実感した。

そんな中、母はばあちゃんの世話をしながら、前よりちょっと良くなったとか、こうやってやると反応する、など色々話をした。

もう目覚めない、と分かると同時に、まだ生きてる、とも感じられる。

死んでるのだが、生きてる。

ばあちゃんが死んだと聞いて、葬儀の一連の流れを終えた今、本当に死んだ今この時よりも、あの瞬間が正直しんどかった。

今、思い出すだけでも、心が重い。

死が突きつけられるのに、世話をすればちゃんと生を感じられる。

その中で世話をし続けられるのか。

母すごいな……と。

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あとは死ぬだけ。

それを受け入れるための有余の時間が与えられた感じだった。

ゲームができない、楽しみに一生懸命になれないばあちゃんは、ばあちゃんなのか。

身体なのか、脳なのか、心なのか、それとも人格なのか、習慣なのか。

生と死に対することをぼんやり思いにふける。

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そういえば、ばあちゃん霊感が強い、というのがもっぱら周りの評価だった。

悪霊や死んだ人が見える、というより、死ぬ寸前の人が魂だけになって飛んでいるのを虫の知らせのような感じで分かるのだ、とか。

それで、遠方や疎遠になった知人の安否を確認し、それを当てることが多かったので、霊感が強いとされていた。

稀に、じいちゃんが迎えに来ると、まだやりたいことがあるから迎えに来んどいてくれーー!!と必死にお経を読むことがあるのだ、とか。

僕は実際にどの話にも立ち会ったことは無いが、確かにばあちゃんはその辺りの勘が冴えているような雰囲気があった。

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ばあちゃんの話を信じるとすると、脳死のばあちゃんには、ばあちゃんはいないことになる。

ばあちゃんがどこに行ったかは分からないが、ばあちゃんは生きているが死んだ。

あとは身体死ぬまでに、その死を受け入れてくしかない。

幸い、受け入れるまでの時間を6年も貰ったので、ばあちゃんの死、葬儀はなんとか受け入れることができた。

コレがポックリいかれていたら、悲しすぎてどうなっていたか想像できない。

正直助かった。

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心の準備は整えていたとはいえ、僕の誕生日の前日に亡くなり、僕の40歳誕生日がばあちゃん通夜になるとは、流石に予想つかなかった。

何もできないはずの死ぬ瞬間まで、印象を残す人だった。

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ばあちゃんの教え、みたいなのは、本当に全然覚えてないのに、ばあちゃんとの思い出はたくさん出てくる。

老人介護おむつを買いに行った際には、コレ凄く便利でトイレに行かなくても良いかゲームができる!!とドヤ顔したり……

我が弟が母の付き添いでばあちゃんの買い物に付き合うため家に呼びに行ったら全裸ゲームしてたり……(前日夜風呂上がりに服着替える前にゲームをやり始めたら止まらなくて翌朝までやり続けていたのが真相

僕がいとこと一緒に富士山近くに旅行した際、いとこに「富士山のかけらだ」と言って渡したそこら辺に落ちてた溶岩石が、何故か数年後ばあちゃんちの神棚に飾ってあり、いつの間にか凄い石だとして御神体みたいになってたり……

なんかあり過ぎて、もう思い出せない。

でも、何かあるたび、何気ない面白かった思い出が掘り返される。

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自身もばあちゃんと同じく、子どもが4人いるので、悲しみに暮れている暇はない。

悲しくてしんどい、みたいな感覚はないのだが、なんか気持ちふわふわして落ち着かず、何かにつけてやる気が起きない。

この文章も、このままではいけないと思いを決して、何度かに書き分けながら、書き進めている。

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やる気がでないので、ぼーっと異世界転生ものアニメを観ても、ばあちゃんだったらマジで異世界にすら行きそうだな、行ってて欲しいな…と想像してしまう。

ココまで書いた文章自分でも振り返ってみると、ばあちゃんの最大の教えは楽しむこと、それ自体のような気がしてきた。

から初七日とか四十九日かに法要やるってことは、亡くなってからそれくらいの日数はこの感覚は抜けないのかもしれない、と諦めることにした。

とりあえず楽しめるようになるまで、このままぼーっとふわふわすることにしよう。

2025-01-02

[] 2025-01-02-02

美空ひばり歌声は、時を超え、魂を揺さぶる。彼女の歌はただの音楽ではなく、生きる力のものだ。「柔」の一節、「勝つと思うな、思えば負けよ」が示すように、彼女の歌には力強さと柔軟さが共存している。勝ち負けを超えた、人生の深い哲学が歌に溶け込んでいる。

 

彼女の歌は、時代激流の中で人々に希望を与えた。ひばり歌声を聴けば、どんな困難も乗り越えられる気がする。ひばりは決して負けなかった。その不屈の精神が、今もなお私たちを前に進ませる。

 

「歌で生きる力」とは、まさにひばりのものだ。彼女が歌ったその歌声は、永遠に私たちの中で生き続ける。どんな時代でも、彼女の歌が持つ力は色褪せない。それが、美空ひばりの不滅の力だ。

2024-11-16

アイドルの顔がみんな一緒に見えるんだよ、もう

なんだか最近テレビをつけても若い子たちがキャーキャーしてるけど、みんな同じ顔に見えてしょうがない。あれ、なんでかねぇ、全然見分けがつかんのよ。よく言われるんだけど「おばあちゃん最近アイドルってみんな似てるよね?」って。だけどね、私に言わせれば、顔が似てるなんて問題じゃないのよ。昔のアイドルもっと一人ひとりが個性あったし、なんだか心に残るような顔してたんだよ。

私が若い頃、アイドルって言ったら、例えば美空ひばりさんとか、坂本九さんとかさ。そういう人たちは、顔も歌も心に残るものがあった。テレビの前でじっとして、家の台所ご飯作りながらでも、心の中でその歌を口ずさんだりしてたものさ。今の子たちは、顔が同じように見えて、声も同じように聞こえて…なんだか情けない。せめて、顔でも覚えてくれればまだしも、今はどれがどれだか分からなくて、孫にも「おばあちゃん、また間違えた!」って笑われちゃう

でもね、私が言いたいのは、テレビアイドルだけじゃなくて、最近若い人たちは、もっと大切なものを忘れてるんじゃないかってこと。仏様の教えを聞いても、あまり心に響かないみたいで…。昔は、家族みんなで仏壇の前に座って、手を合わせてお経をあげて、心を落ち着けていたもの。おばあちゃんとしては、やっぱりその静かな時間が一番大事だと思うんだ。今は、そんなことする暇がないのか、孫たちも忙しいみたいでね。せめて仏様の前で「ありがとうございます」って言ってほしいなぁと思うけれど、そんな時代じゃなくなったのかな。

でも、私はこの田舎で、ゆっくり時間が流れていく感じが好きなんだ。都会の喧騒や、流行に流されることなく、毎日お米を炊いて、味噌汁を作って、仏様に手を合わせる。これが私にとっての幸せからアイドルの顔が覚えられなくても、別にそれでいいんだと思うよ。

2024-09-23

anond:20240923214027

いまさらそこ掘る意味ある?まだ江利チエミとか美空ひばりとかの方が掘り甲斐あると思うんだが。

2024-08-23

anond:20240822121833

YMO偉大すぎて誰も超えられない。

ミカバンドはっぴいえんどシュガーベイブもすごすぎる

カシオペアT-SQUAREも超カッコいい

80年代アイドル熱量はすごかった。

美空ひばり都はるみ、滅茶苦茶歌うまい

富田勲も今聞いても全然飽きない。

普通人達でも結構何十万円もステレオレコードにつぎ込んでいた。

90年代以降ってあんまりスゲー!!って感じの邦楽洋楽ないんだよね。

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