はてなキーワード: 追跡調査とは
クィア理論は、ジュディス・バトラーやイヴ・コソフスキー・セジウィックらによって展開された、異性愛中心主義(ヘテロノーマティヴィティ)を脱構築する試みとして登場した。規範を「行為の反復」として相対化し、ジェンダーやセクシャリティを流動的なパフォーマンスとして再定義することで、抑圧からの解放を目指したはずである。しかし、21世紀に入りこの理論が制度化・政策化される過程で、皮肉にも新たな規範の再配置と生権力の装置として機能し始めた。ミシェル・フーコーが『性の歴史』や『監獄の誕生』で分析したように、権力は単に抑圧するのではなく、知識・言説を通じて主体を生産・分類・管理する。クィア理論は、旧来の生物学的性規範を批判しながら、自ら新しい「正常/異常」の線引きを導入し、人間本性を再定義し、さらには一部の逸脱者を「脱人間化」するプロセスを促進している。
代表的な事例が、女性専用スペースの「解放」政策である。英国では、性自認を重視した刑務所配置方針が長年続けられた結果、生物学的男性でありながら女性として認識されるトランス女性囚人の割合が急増した。2025年3月31日時点で、イングランド・ウェールズの刑務所には339人のトランスジェンダー囚人が確認されており、前年比15%増という急拡大を見せている。過去の公式データでは、こうしたトランス女性(出生時男性)のうち、性的犯罪歴を持つ者の割合が58.9%〜62%に達し、生物学的女性囚人(3.3%)や男性全体(約17%)と比較して極めて高い男性型犯罪パターンを維持していることが明らかになった。
同様の再配置はスポーツ分野にも及ぶ。国際オリンピック委員会(IOC)は2026年3月、女性カテゴリー参加資格を生物学的女性(SRY遺伝子スクリーニングによる一回限りの判定)に限定する新方針を発表した。これまで性自認を尊重した参加が認められてきた結果、生物学的男性の身体的優位性による不公平が深刻化し、女性アスリートの安全と競技の公正が脅かされる事例が相次いだ。トイレ、更衣室、温泉などの日常空間でも、性自認優先の通知や条例が導入され、生物学的性の境界が曖昧化された。
これらは、クィア理論が唱える「規範の撹乱」ではなく、新しい規範の再配置である。生物学的性を「社会的構築物」と位置づけ、性自認を優先する言説は、フーコーのいう生権力として、身体と生を新たな基準で管理する装置となった。旧来のheteronormativityを批判しながら、性自認という内面的真理を「知識/権力」の対象に据え、人口を分類・最適化する——まさにフーコーが警告した、権力が「生」を対象化するメカニズムだ。
クィア理論は、人間本性を「本質的」なものではなく、パフォーマティブに構築されるものとして再定義した。これにより、ジェンダー・ディスフォリアを抱える若者への「アファーマティブケア」(性自認肯定医療)が推進された。しかし、英国カス・レビュー(2024年最終報告)やその後の追跡調査では、思春期抑制剤やクロスセックスホルモン治療のエビデンスが「極めて弱い」ことが指摘され、長期的な精神衛生・身体的影響(骨密度低下、認知発達への懸念)が懸念されている。2025年以降、イングランドでは思春期ブロック剤の使用が原則禁止され、ホリスティック(包括的)な心理社会的支援へシフトする動きが加速した。
この再定義は、フーコーの医療化理論を逆手に取ったものだ。19世紀に同性愛が「逆性的感覚」という医学的カテゴリとして生産されたように、クィア理論は性自認を新しい「内面的真理」として医療・教育・法制度の対象に据えた。結果、生物学的現実(進化的に形成された性的二形性や犯罪パターンの性差)を「抑圧」と位置づけ、流動性を強制する新しい規範を生み出した。
ここで特に問題なのは、こうした人間本性の再定義が社会契約や民主的なプロセスをほとんど経ずに急速に制度化された点である。ホッブズやルソーが描いた社会契約は、個人の加害性や自由の限界を相互に認め、合意に基づく規範を構築する仕組みである。民主的プロセス(議会審議、科学的レビュー、国民的合意形成、公衆討議)は、これを支える現実的な装置だ。しかし、クィア理論の影響下で性自認優先政策がアカデミアや一部の運動から行政・法制度へ波及した過程では、こうしたプロセスが大幅にバイパスされた。生物学的現実や潜在的加害性の検討が十分に行われないまま、政策が「進歩的」トレンドとして導入された事例は枚挙にいとまがない。
社会契約や民主的プロセスは、一種の「遅延効果」を持つと見るべきだ。思想やトレンドの変化が熱狂的に進行する中で、即時的な制度反映を「遅らせる」安全装置。審議の時間、科学的エビデンスの蓄積、利害関係者の声の反映——これらがなければ、流動的な人間像の再定義が現実の害(身体的・心理的・社会的コスト)を十分に考慮せずに固定化されてしまう。クィア理論は脱構築を掲げながら、この遅延効果を「抑圧の装置」と位置づけ、民主的チェックを弱めながら生権力を再配置した。
ここで注目すべきは、医療基準自体の改定による「非医療化」が、フーコーの医療化理論でこそ最も鮮やかに説明できる点である。DSM-5(2013年)では「Gender Identity Disorder(性同一性障害)」を「Gender Dysphoria(性別違和)」に改称し、アイデンティティそのものを病理化する表現を廃止した。ICD-11(2019年)では「Gender Incongruence(性別不一致)」を精神疾患章から「性的健康関連条件」章へ移動させ、精神疾患としての分類を正式に解除した。これらは一見、クィア理論が推進した「反医療化」の勝利のように見える。
しかし、フーコーの医療化理論から見れば、これは非医療化の名の下に行われる新たな医療化・生権力の再配置にほかならない。フーコーは、権力が「病理化」だけでなく「脱病理化」によっても主体を生産・管理することを繰り返し指摘した。旧来の病理化(行為を「種」として内在化し、管理対象とする)を批判するように見せかけつつ、「合意と害の不在」という新しい基準で逸脱を再分類する。適合する軽度の逸脱(規範撹乱的な多様性)は「正常な多様性」として保護・特権化され、適合しない重い衝動(非同意・暴力要素の強いパラフィリック障害)は、より強く「ただの犯罪」として切り捨てられる。これにより、クィア理論は反医療化を装いつつ、性自認を新しい内面的真理として医療・制度的介入の対象に据え、人口の生を再最適化する装置を構築した。まさにフーコーが警告した「権力の生産性」の典型である。
さらに深刻なのは、逸脱の「軽重」による選別が、犯罪者の脱人間化を促進している点だ。合意ベースの軽度パラフィリアや規範撹乱的な表現は、クィア理論によって「多様性」として保護・特権化される。一方、非同意・暴力要素の強い性的衝動(パラフィリック障害)は、「ただの犯罪」として切り捨てられ、道徳的・社会的に脱人間化される。DSM-5がパラフィリア自体を非病理化しつつ、害を伴うものを障害とする区別を設けたのも、この二重基準を制度化した例である。
フーコー的に見れば、これは生権力の典型的な逆説だ。クィア理論は「反医療化」を掲げて旧来の病理化を批判したが、結果として新たな分類装置を構築した。「クィアであること」が文化的・道徳的資本となり、十分に「クィア」でない逸脱者(重い反社会性+性的衝動の複合型)は、規範の外側に排除される。犯罪者は「宿命的な怪物」としてではなく、社会が管理すべき生として扱われるべきなのに、理論は「軽い逸脱」の保護と「重い逸脱」の脱人間化を同時に推進する二重基準を生んだ。これにより、管理される自由(自発的な衝動抑制治療や専用環境の選択肢)は十分に整備されず、宿命的な渇望を持つ人々をさらに孤立させる。
フーコーは、権力は「抑圧」ではなく「生産」であり、抵抗そのものが新たな権力装置を生むと繰り返し指摘した。クィア理論はまさにこの螺旋に巻き込まれた。規範を脱構築しようとしたはずの運動が、性自認という新しい真理を生産し、身体と生を再管理する生権力として機能している。人間本性を流動的に再定義した結果、生物学的現実や加害性の潜在性を直視する機会を失い、脆弱層(生物学的女性や子供)の安全権を再配分する事態を招いた。
社会契約や民主的プロセスという「遅延効果」を欠いた再定義は、こうした生権力の再配置を加速させた。人間らしい社会とは、逸脱の宿命を認めつつ、害の度合いに基づく透明な線引きと、加害衝動者への「選択肢」(任意の医療的介入や構造化された環境)を拡大する社会である。フーコーの物差しで測れば、クィア理論の実践は規範の単なる置き換えに過ぎない。脱構築の名の下に生まれた新たな抑圧を避ける——それが、今求められる成熟した視点だろう。
奨学金を立ち上げるのがよい。
毎年、応募者の最終選考に立ち会う。また受給者に対しても定期的に報告を義務付ける。
すると、応募者とか新規の受給者は壮大な夢を語る。奨学金の設立者としては、それらの夢に乗っかって希望を抱いてみたり、或いは無謀な夢に対して指導という名のマウンティングを楽しむことができる。
そうした楽しみをひとしきり味わって飽きた頃に、今度は過去の奨学金受給者への追跡調査を行うのがよい。過去の受給者に対するOB報だのなんだのと理由をつけて連絡するのである。
過去にあれほど夢を語っていた若者たちでも描いていた未来を実現しているものはほんの一握りである。夢を成し遂げた者の歩みを追って、そこに自身の助力がどれだけ効いていたのかを思い描くことは大きな満足につながるだろう。
また、夢破れて平凡な毎日を暮らしているものたちを嗤ってもいい。あるいはそうした連絡に対して返信を寄越すこともできなくなっている者たちの浅ましさや落ちぶれ具合を想像して、暗い心を満たすこともできる。
エアコンの温度問題、一番の課題は、外回り等から帰ってきて体表面温度を下げたい社員にとって27〜28℃は高温過ぎるということだと思う。なんなら26℃だって暑いだろう。スカイスパの男女共用サウナルーム隣の「アイスルーム」(10℃前後)はやりすぎかもしれないが、ともかく一気に体温を下げられる狭い空間があれば建物全体の温度は上げられるはずだ。
調べてみるといくつかの会社で、「クールダウンルーム」を設けている例が出てくる。
こうした取り組みによってエアコン温度を上げることができて省エネになった、という話まであれば我が意を得たりとなるのだけど、そこまでの例は見当たらない。クールダウンルームについての追跡調査報告がなかなか見当たらない。
ただ、知覚過敏等を落ち着かせるための部屋の案内記号「カームダウン・クールダウン」ピクトグラムが2020年にJIS規格になったため、「クールダウン 部屋」で検索すると涼しい部屋ではなく落ち着かせる部屋が出てくるようになってしまった。何かよい名称があれば良いのだけども。
実はこのアイデアのきっかけの一つは、温水プールに設置されることがある「採暖室」の冷房版だ。(スカイスパのアイスルームもきっかけの一つ。)
そういうことで、「採冷室」を普及させたい。
タブレット端末を与えられた幼児は、後に怒りの抑制に関する問題を抱える可能性があることが12日に発表された研究結果で示された。子どもたちがネット上で閲覧するコンテンツを規制しようとする動きが強まるなか、社会に広く浸透しているモバイル端末が子どもたちの発達を妨げているという証拠がまた1つ増えた格好だ。
米医師会発行の小児科専門医学誌『JAMA Pediatrics』に掲載された査読付きの研究で、3歳半でのタブレット使用が、1年後に怒りやいら立ちを抱える傾向と「著しく関連している」ことが明らかになった。
カナダ、南アフリカ、ブラジルの大学の研究者グループは、タブレットの使用が幼児の怒りの爆発に影響するかどうかを調べるため、親からの報告と行動調査を評価して3.5歳、4.5歳、5.5歳の子どもたちの怒りといら立ちの示し方を調べた。
カナダ・ノバスコシア州の未就学児の親315人を追跡調査した研究者らによると、4.5歳でタブレットを使用していた子どもは、5.5歳時に怒りやいら立ちを爆発させることが多いことが明らかになったという。
4.5歳の時に怒りっぽくイライラしていた子どもは、5.5歳の時にもタブレットを頻繁に使用する傾向があることもデータで示された。これはうまく感情の制御ができない負の「サイクル」にタブレットが関与していることを示していると研究者たちは指摘している。
タブレットの使用は「日常生活の中で感情をうまくコントロールする」能力を損なうだけでなく、子どもたちが「かんしゃくを和らげるために、一層デジタルに頼る」ようになることが示されているという。
研究者らによると、タブレットやその他のモバイル端末の使用がなぜ子どもたちの情緒面での発達を妨げているのかは明らかではないが、子どもが感情の制御を学ぶのには主に2通りある。親の感情の制御法を観察するか、親から感情の制御方法に関する「感情のコーチング」を受けるかだ。タブレットの使用はこの2つの学習メカニズムを妨げ、「学習機会を減らし」、感情を制御する手法の「発展を損なう」可能性があると研究者らはみている。
そらそうやろ
最低でも7歳すぎてからのほうがええやろな
前
https://anond.hatelabo.jp/20240502193039
この時期は多くのことを考えた。特に就職のことだ。第一志望の大学には入れなかった。だからこそ、今後の人生では逆転したいと思っていた。
就職四季報を読み耽ったし、就職活動の参考になるサイトは巡回したし、就職課の方々にもクソお世話になった(ワンピース的な意味で)。
リクナビとかあるじゃん。あれで友達とかにURL付きの回答ページを送って、送り主のことを回答してもらって、そしたら他人から見た自分自身の分析結果とか、どんな業界が向いてるとか、どんな価値観で仕事をしたいとか、いろいろわかるサービスがあった。そういうのをやってた。
当時は、LINEとかTwitterが一般的だった。ひと昔前の人って、LINEとかなかったんだろ? もしかして、全部メールとか郵便で就職活動をしてたんだろうか、一体どうやって? という疑問を感じていた。
本格的に就職活動が始まろうとしていた。自分は、1回生の頃から【TOEIC】の勉強に励んでいた。少しずつではあるけど実力を身に付けていた。勉強時間はそれほどでもないけど、ずっと続けていた。二年半。
受験にはお金がかかるし、実力を付けてから挑んでみようと考えていた。そしてついに、秋頃だったかな。受験料が少ないタイプの学内試験(※本番で実施済のテストを使い回すやつ)を受けることにした。
人生で初めてのTOEICは……うん、こんなもんかって感じだった。緊張していて、そこまで問題は解けなかったけど、ベストを尽くすことができた。
その結果は、なんと……(ドラムロール鳴る)……760点だった!! 当時の自分は、大喜びだった。狂喜乱舞だった。心の中でもリアルワールドでも小躍りをしていた。実際、佛教大学でのランキングは堂々の二位だった。一位は確か、文学部英米学科の人だったと思う。
これは、この結果は……紛れもない一流である!! おそらくきっと、この点数は、同志社だろうと立命館だろうと飛び抜けた点数だろう。京都大学でも通用するし、ましてや就職活動で通用しないはずがない。祇園や木屋町などの飲み屋街、東本願寺や渉成園とかの観光地で【外国人】とトークをしても通用するだけの英語力を、ついに、ついに身に付けたのだ!!
※そんなふうに考えた時期が俺にもありました。
そんなこんなで、就職活動が本格スタートした。俺は必死で、シューカツとやらに取り組んだよ。リクスー集団に交じってさ、学内の企業説明会とか、大阪城ホールでの合同説明会とか、東京までOB訪問に行ったこともあったっけ。とにかくマジだった。
あの頃の自分は飢えていた。なんの実力も実績も持っていないのが嫌だった。とにかく何か、ほかの人から見て、「あいつはスゴイ」となるものを最低一つはほしいと考えていた。
いつからか知ることになったのだが、この佛大というのは宗教系の比較的裕福な大学である。当時の週刊誌の大学職員給料ランキングでは、慶應や関西大学などの有名私大と肩を並べていた。キャッシュフロー的な意味で裕福な理由はいくつかあるが、そこまでは述べない(この日記の趣旨ではない)。
大学構内には、相応の見た目の講義棟(兼研究棟)が鎮座している。学生時代は「おしゃれ~でかい~」くらいの印象だったが、歴戦の社会人となった今ではわかる。あの1棟ものの巨大な建物は、建設工事だけで百億とかいってるかもしれない。同じ規模の大学で、あれを作れるところは少ないだろう。
あれは確か、3回生の終わり頃だったかな。本日の部活もさあ終わりだ、という時に、部長(※教員側の部活責任者)から声がかかった。ほかの3回生も一緒だった。「佛大の就職試験を受ける気はないか? 希望者がいたら優遇する」ということだった。
考えたのだけど、大学職員というのは、その大学がすんごく好きな人がなるものだと思った。当時は、民間企業への就職を視野に入れていた。優遇できる枠は1名ということで、ほかの同回生が手を挙げることになった。
まあ、年収であるとか、職務内容とかのバランスを考えると、「魅力的だ」とは正直思った。当方は、人生の方向転換が苦手なタイプである。この頃は、先輩やOB・OGを探して、就職活動に関する考え方や情報を集めていた。何でもいい、そういう生のデータがほしかった。
けど、嫌なことはやっぱり起きる。わざわざ日記に書いているのだから、当時の俺は相当ムカついたのだろう。
就職に関する情報を探してる中で、聞き込みのために学内アルバイトをすることがあった。それは講義の出席者からレポートを受け取って、受付番号を整理して、最後に整頓するようなアルバイトだった。1日勤務で六千円だった気がする。
二人一組で受付作業をするのだが、隣の組を見てると気分が悪くなった――と日記には書いてある。
その組は、男子と女子の組み合わせだったのだが、男子の方がやたらと女子の方にがっついている。レポート提出者がいない時に、割と雑談をしていた。
その中で、男子の方が「彼氏いる?」と聞いた後で、女子の方が「いる」と答えると、男子の態度が急に悪くなったのだ。それは仕事終わりまで続いた。
最後にレポートの仕分け確認をする時も、その男子は怒鳴りつけるようにして女子に当たっていた。俺はあまりにムカついたので、「ちょっと静かにやってもらえます?」と声をかけて、ようやく静かになった……。
と、記憶を思い返したけど、今の俺にそこまで思うことはない。「男の態度がひどいね。でも、オスってそんなもんじゃね?」くらいしか思わない。間近で見たらムカつくんだろうけど。注意とかするかもしれない。
当時は、実際どんな人間だったんだろう。俺って。記憶が薄らいでるとかいう次元ではない。消失している。全然わからない。
なんかさ、十年前の自分ってさ、もはや『他人』じゃないか。体の細胞でいうと、20回分は完全に入れ替わっている。もはや完全に他人である。
余談だが、佛教大学に通ってる女子には可愛い子が多いと、アルバイト先の立命館大学の人に言われることがよくあった。
根拠は全くないものの、社会に出た後の個人的感想では当たっていると感じる。福祉や教育に強い大学はそうなのだろうか?
就職活動に本気だった。この頃は、大手企業は今よりも早く内定を出していた(4月の1週目くらい?)。就職活動以外に教職課程のこともあったが、時間の隙間を縫って面接試験を受けに行った。まあ、書類選考でお祈りされることの方がずっと多かったけど。
うちの大学の卒業生で、すごい就職先に進んだ人っているのだろうか? 自分は高望みをしていないだろうか? そんなことが気になっていた。大手病に罹患していた可能性が極めて高い。
当時は社会学部で政策学を学んでいた。社会学だけじゃなくて、社会科学ならなんでも学べる学部だった。地域を盛り上げる系のゼミに入っていたのだけど、どんな先輩方がどんな進路に進んでいるか、正直気になるところだった。
ほかのゼミと交流する機会があった時に、同輩や先生方に聞いて回ったのだけど、凄い人というのはやっぱりいた。学生が六千人もいるのだから、レベルが高い人は一定数存在しているのだ。
社会学部の先輩(俺と同じ公共政策学科)の例だと、自分が入学する数年前に総合商社の内定を取った人がいたらしい。学業だけじゃなくて、外の世界に飛び出して活動していた人だと聞いた。とにかく忙しい人で、授業にはそこまで出席してなくて、水商売の仕事に明け暮れていたらしい。
単位はそれなりに取得して、教職課程最難関の講義(兼演習)ではチーム全員で百点満点を取って、大学同士の研究分科会では発表役になって、大学の学園祭ではパヒュームのダンスを踊ってウケを取って……とにかく活動的な人だったらしい。
学歴って、仕事の実力とは相関が薄いよな。多く見積もっても3割くらいだ。『誰もが嘘をついている』という本に書いてあったのだが、高偏差値の名門校に1点差で受かった人・落ちた人を追跡調査する社会実験があったらしい。結果的には、学歴と現在の地位に相関関係はないという結論だった。相関係数は0.1程度とあった。
アメリカ合衆国での話なので、日本だとどうなるかわからない。けど、自分も同意見である。どんな中学・高校・大学を出てるとか、そういうのは人生での成功にはほぼ関係ない。
どんな瞬間だって、自分が今どこにいて、何を目指していて、どんな努力をしているか。それが大事だ。学歴を振り返ってる暇があるなら、さっさとやることをやって次の先に進むのだ。
就職活動の話に戻るけど……就職活動の面接で問われる内容(志望動機、自己分析、自己アピール、就職活動の軸、ガクチカ)とかってさ。釈迦人になった今ではわかるんだけど、ぶっちゃけ茶番だよな。はてなブログだと、借金玉さんがそんなことを言ってた。部族の掟に近いものがあるってさ。
就活的なキャラの型枠を、リクルートその他の人材会社が用意したうえで、企業側が「茶番」に対して本気になれる人材(会社の方針を素直に受け入れて、貢献してくれる)を探してる。それだけだ。
若き大学生が当日記を読んでる可能性は低いけど、たったひとつだけ、ただひとつだけ、会社選びで言えることがあるとすれば……以前、どっかの増田日記に書いてあったのを参考にすると、こんなところだ。
「自分が入りたい会社というのは、自分が将来、どんなキャリアを描きたいのか、どんな人生を歩みたいのか、どんな人間になりたいのか。そういうところから逆算して決めていく」
就職活動の軸というよりは、人生の軸という観点である。ちなみに軸、というのは「他人に関係なく、自分が正しいと思える考え方」という意味だ。
経済社会でバリバリ働きたいなら、そういう会社に行くべきだし、あなたが大事にしてる『たましいの仕事』があって、仕事は副業でやりたいなら暇そうな業界を選ぶべきだ。
将来、どんな人生を歩みたいのか? それさえ決まっていれば、業界や会社を決めることはできる。職種についてはナントモだが……敢えて言うと、保育所とか幼稚園とか小学校とか、それくらいの年頃に何が面白かったのか、が答えになるんじゃないか。その年代に心から楽しめたものは、大人になってからもきっと楽しい。
結局、その年の春の終わりに就職活動を終えて、内定をもらえたのは……京都市内にある電子機器メーカーだった。
大手企業を受けるのはやめた。大手病を克服したのだ。それで地元の会社一本に絞った。ここまで絞ると、受験できる会社の数は十社程度になった。自分の力をそんなに分散する必要もない。十分に集中できる。
当時は嬉しかったよ。両親に報告したら、父も母も衝撃を受けていた。うちの親って、自分の子どもを親戚の子と比べたがる嫌いがある。それはムカつくのだが、いい結果を報告できてよかった。
両親が、俺が出した実績をありがたがって聞いている。その実績を、電話などで親戚やご近所に知らせて調子に乗りまくっている。スタンダールの小説の『赤と黒』を思い出した。小説の中で、こんな感じの場面がなかったっけ? ブクマカで詳しい人がいたら教えてほしい。
両親よりも喜んでいたのは就職課の人だった。内定先を告げると、ご機嫌なビートで小躍りするようにして、ハッピーな感じでターンをキメていた。ずっと以前から、いろいろとお世話になっていた。喜んでもらえてよかった。
この年度の終わり頃、卒業間近だったか。大学が出してる何かの広報で、俺の就職先がデカデカと上の方に載っていた。トレーニングルームでそれを読んでいる時、隣にいた学生達も同じ広報の同じページを読んでいた。
「ん。どこどこ?」
「ほら、ここや。この会社」
「ああ、それマンコやろ」
「……」
「女の一般事務職だって。総合職ちゃうし。こんな掲載は詐欺に近い」
俺の怒りは有頂天に達していた。当時の日記には「有頂天」と書いてあったが、怒髪天と書きたかったのだと信じたい。
こういう連中はどこにでもいる。気にしたら負けである。増田の読者の人も、レベルが高い解釈と低い解釈があるとしたら、迷わず高い方を選ぼう。そっちの方が心身ともに健やかな人生を送ることができる。
次
https://twitter.com/_CryMiaRiver/status/1778102931776008279
ジェンダー医療における "1%未満の後悔率 "は、フォローアップを行わないジェンダー・クリニックによってのみ維持できる。:キャスは、タヴィストックを受けた9,000人の子供たちがどうなったかを調査しようとしたが、大半のジェンダー・クリニックは協力を拒否した。これはきっと故意の盲目である。 心の底では、もし追跡調査をすれば、多くの罪のない若者が傷つけられたことを知ることになるとわかっている証しである。
メーガン・マクアードルはこれをエディプスの罠と呼んでいる。 医師があまりにひどい間違いを犯し、それを自分自身で見ることができなくなったときのことである。台無しにされた命を見るくらいなら、自分の目をえぐり出した方がマシなのだ。
これはエディプスの罠についてのメーガンの素晴らしい記事だ。 彼女はロボトミー手術について、そしてフリーマンが眼窩ロボトミー手術を人類への贈り物だと信じて墓場まで行ったことについて話している。 多くのジェンダー医師が同じ道をたどることは間違いないだろう。
訪れたサイトが扱っていた商材はかなりマニアックなもので、その商品以外の商品もたくさんあってページもひとつひとつしっかりしていて特集バナーなども作ってあり自然な作り
しかし実態はヤフオクのスクレイピングで大量に商品が登録されているだけの中古ショップ風のただのダミーのフィッシングサイトだった
自分が買おうとした物があまりにマニアックだったため、そんなマニアックでスーパーニッチなものをまさか詐欺の商材としようとする人間がいるとは思わず、全く警戒してなかったため、サイトの細部までよく調査をせず普通に振り込んでしまった
しかし振り込んだあとは待てど暮せど発送されず連絡も取れない
主犯か受け子かしらないが口座名義はおそらくタイかベトナム風の名前(←これについてもこの時点でん?と思ったがスルーしてしまった心境は後述の追記やトラバ参照。この時点では全ての警戒センサーがオフになっていたのでよく考えたらタイ・ベトナムの名前だよなと思ったのも後からである)
その買おうとした物に設定されていた商品名でぐぐったらこういった部類のダミーサイトが複数存在するようだ
後で気付いたが特集バナーはクリックすれば中身はなくトップページに行くだけ
しかも上手いのがヤフオクより安い割引の値段で売っていることだ
つまりヤフオクで見かけて、さらに掘り出し物を狙ってたどり着いた人はお得感でこっちのダミーサイトで購入してしまう可能性がある
(自分の場合は検索でたどり着いたのでそもそもヤフオクに大本があるとは知らなかったし、割引関係なく探していたものが存在するという感動で買った)
探している商品がマニアックであればあるほど競合が少ないため検索で普通に上位にヒットしてくるのでおそらく他にも被害者が多数いると思われる
この手口はあまり周知されておらず、少なくとも自分は知らなかったので、まさかこんなマニアックな商品を詐欺の商材にするとは思わず警戒心も下がりがち
反社の資金源にならぬよう、被害防止の注意喚起のためにこの増田をぜひ拡散してくれ
もはやGoogleがフィッシングサイトへのリーチサイトみたいになってて、これは本当にGoogleの責任でもあると思う
ダミーサイトはどれも共通の特徴があるからアルゴリズムで弾いてくれよ
【追記】
どういう商品やサイトかはトラバにヒントや追跡調査を書いてるので探してみてくれ→20240205154918
ヤフオクからの転載と知らないと一見普通のストアのようにしっかり作ってあるように見える
ちなみにクレカ決済ではなくメールした後に振り込み先を送られてくるから注文時点でお金をとられることはない
(振込しないなら捨てアドや適当な個人情報を用いて相手の使用している銀行口座までの調査ができる)
【追記】
有能なサイトをトラバで教えてもらったのでどういうサイトかサンプルを知りたい人はこちらを見るのがよい
すべて特徴が共通しているため、一度手口を知った後であれば容易に判別できる
特に会社情報のページがゴミみたいなメールアドレス、適当な電話番号等、特徴的で共通項が多い
【追記】
どうしても自分にケチをつけたい人間がいるみたいだが、「マニアックすぎる商品」という所が味噌で
マニアックなお店で神保町にいるような高齢店主、PCは独学でいじれるが最先端ではない人を想像したらドメインやデザイン、UI諸々が洗練されてないのは逆に納得感が出てきてしまった
この「スーパーニッチなマニアックすぎる商品である」という一点が、エアポケットに陥り自分のあらゆる警戒センサーをスルーさせた
リテラシーマウンティングはいいから、論旨を汲み取って人の陥った心境に想像をめぐらせてみよう
【追記】
アクティブな増田は口座凍結に協力を→anond:20240206175039
>kazuhix
転売屋ではないしただの消費者。商材=転売とかいう謎の角度からの難癖をやめろ
よく何の確度もないたったひとつの単語から勝手にこっちの背景を自己完結できるな
たまにいるんだよなこういう予想だにしない確度からの非生産的な反応を示すやつ
こちらが追跡調査してまで二次被害を止めようとしてるのに、余計な難癖つけてこちらの情報を軽んじようと目論むのはお前が詐欺グループに与する一味だからか?ってお前の真似したろか
>poppo-george
高額商品ではなく数千円
自分の被害は数千円でも高額をだまし取られてる人もいるだろうしこいつらを許すわけにはいかない
だからこそ話の芯がわかってない勝手に人物像を設定して勝ち誇りたいだけの人間はノイズであり、プライドの問題ではなく、どうせバカが騙されただけでしょと軽んじられれば拡散という目的達成の邪魔なので否定する