本屋を二軒まわって求めて来ました(一軒目では売り切れ)。
小谷野敦さんの『江藤淳と大江健三郎 戦後日本の政治と文学』(筑摩書房、平成27年2月25日)。
今夜から読みます。
http://t.co/B6JCRM3y5i
02-27 21:15
二・二六事件の日、徳田秋聲の次女喜代子と寺崎浩の結婚式が飯田橋東京大神宮で執行われました。仲人の菊池寛は、右翼に狙われているからと姿を消し、文藝春秋社の岡田三郎と佐々木茂索夫人フサが代役に立ちました。そして一行は内幸町の大阪ビル内レインボー・グリルでの披露宴へ臨戦状態の中を移動。
02-27 00:49
徳田秋聲『その面影』(『新婚旅行』新声社、明治34年7月)に引用されている英詩
Charles Jefferys, English lyricist (1807-1865)
“Come o’er the moonlit sea”
https://t.co/7ji5dosc9l
02-26 20:31
「ニュース・コム・au」がどの程度のニュースサイトか知りませんが、その記事によると男は機内で3時間もмастурбацияをしていたように読めます。かなり話を盛っているのでは。
そういうのをロシア語でнеумеренная мастурбацияといいます。 #エアリプ
02-26 19:53
@tonton1965 D・M・ディヴァインの『悪魔はすぐそこに(Devil at Your Elbow)』(山田蘭訳、創元推理文庫)などはどうでしょう。
02-26 19:20
男女が腕などに「〇〇命」などと相手の名前を彫る入れ墨を「起請彫」といいます。始まりは寬永十年の『狗猧集』に「若衆のはだには入らぬ入ぼくろ」とあるように入れ黒子でしたが、『色道大鑑』には大坂新町野間屋の天神が肩先に「七サマ命」と彫った例が見られます。江戸期に大変流行した風習ですね。
02-26 12:57
アンソニー・パーキンス、後者でミイラ化した母を世話する大店の若旦那の役をやったのは松橋登です。しかも松橋登はその後、《サイコ2》の日本語吹替版でアンソニー・パーキンスの声を当てています。
02-25 22:04
父親(徳田秋声)をミイラにすると言っているのは少年時代の長男、徳田一穂です。
そういえば、アメリカ映画にミイラ化した母親と同居している男の話がありましたね(《サイコ》)。杉良太郎版の《遠山の金さん》に、それを部分的にパクッ、いえ翻案したような話が存在します。前者を演じているのは
02-25 22:03
〈「お父さんを何時までも活(いか)しておく」幹一は人間の生死(いきしに)や、一家の前途などの話の出るとき、よく母親に言ひゝゝした。
「死んだら木乃伊にしておくんだ。」
木乃伊と云ふものを知ってから、彼は能くそんな事を口にした。〉
徳田秋聲『骨甕』(「文章世界」大正5年11月)
02-25 21:01
そんなのは江戸時代からある、と指摘するのも余計なことのような気がしたけどやっぱり言ってしまう。
https://t.co/Yk4hb4LorM
02-25 20:09
トイレタンクのゴムフロートの止め輪が切れて、ボールタップから水漏れしだしたので、業者さんに部品を交換して貰いました。2万円ほど掛かりました。
私が止水栓のハンドルを捻ってもびくとも動かなくて、水が流れっぱなしだったのですが、業者さんがそれを片手でキュッと締めたのには感動しました。
02-24 23:42
【参考】
岩野泡鳴『恋のしゃりかうべ』(金風社、大正4年3月)
http://t.co/f8PCWe5FAc
02-24 23:09
徳田秋聲『冤(むじつ)』(「中央新聞」大正2年10月27日~12月30日)63回連載。
単行本:『冤』(金風社、大正4年2月)。
金風社は、奥付によれば、
発行所 東京市牛込区矢来町三番地 合資会社 金風社
発行者 (住所同上)川上耕雨
つまり、新潮社の近くにあった小出版社。
02-24 23:07
@zinofrancescatt 話は変わりますが、以前マイクロソフト・アクセスの研修に通ったとき、女性の講師が「乱数、つまり、みだらな数」と何度も何度も言っていて、可笑しくて指摘しようかと思ったけれど最後まで言い出せませんでした。
02-24 18:06
@zinofrancescatt タレントやお笑い芸人の言葉遣いが間違っている、というのとは違って、放送作家の書いた原稿を読んでる訳ですしね。ちょっと用法がおかしいのを通り越して逆の意味になるような誤用は困りものです。
02-24 18:06
逃げ戻り、堅いところへ再縁しますが、道太は彼女に付きまとい、子供が病気だという嘘の伝言で彼女を誘き出し監禁します。道太がこれでもかと操出す卑怯未練な手口には、秋聲が好んだ浄瑠璃に通じる過剰さ、しつこさを感じます。隙を見て逃げ出した浦子は、心身共に打ちひしがれ、鉄道自殺を遂げます。
02-24 18:05
『結婚難』では、母親が生きている点、姉の浦子に振られた子爵家の小宅欽也が失望のあまり病床につきながら、恨みを抱くこともなく彼女に三千円の金を遺して死ぬ点、夫の朝見道太が妻を騙してその金の殆どを巻き上げる点など幾つか相違点があります。帰京後、夫の浮気に気付いた浦子は子を連れて実家へ
02-24 18:04
敬子をずっと思い続けていて、二人は結ばれ人も羨む幸せな家庭を築くという、取って付けたようなハッピーエンドで終ります。
『いほ子』では、前作同様子爵家の百合野が手を差伸べてくれますが、姉の伊保子はそれを拒み、妹は「可恐しいヒステリー的の婦人」となった姉の心の恢復を信じつつ祈ります。
02-23 23:50
も言わずじっと耐えているようでした。ここまでは三作とも大体同じ流れですが、その後は改作ごとに悲惨になります。
前二作では、夫が結婚前から女を囲っていたことが発覚し、その母親が姉夫婦宅の裏手で縊死したことで、遂に彼女は離縁し実家に戻ります。
『旧悪』では、子爵家次男小柳津緑也が姉の
02-23 23:50
旅立って行きます。数年後夫婦は生まれた子を連れて帰京しますが、妹は美しかった姉のあまりの窶れようを見て愕然とします。周りが忠告した通り、やがて夫は地金を現し、妻子に暴言を吐き殴る蹴るの暴力を加えるばかりか、女遊びに明け暮れているらしい。しかし姉は、我を通して一緒になった手前、不平
02-23 16:28
次のようなものです。
母を亡くした年頃の姉と幼い妹の二人姉妹がいて、ある華族の若様が姉の方に恋をしました。父親と妹は、彼の誠実さを愛して結婚を勧めますが、姉はその軟弱さを嫌い、近所に越して来ていた苦み走った相場師の男と、家族の反対を押し切って結婚し、北海道で事業を起こす夫に付いて
02-23 16:28
きのう偶々テレビを点けてたら、《月曜から夜ふかし》という番組のナレーションで、ペットロボットの仕草が「いじらしい」と言うべきところを「いじましい」と言い違えていました。原稿書く人、語る人、録音する人、編集する人、それらをチェックする人の誰一人として間違いに気付かなかったのかしら?
02-23 12:55
若い頃の徳田秋聲には、『銀行手形』→『一念』とか、『旧悪』→『いほ子』(『結婚難』で大幅に改作)とか、『二十四五』→『中年増』みたいに、書き直して再掲載した作品(要するに同一作の使い回し)が結構あります。『銀行手形』はイギリスの探偵小説の翻案で、『旧悪』も若干翻案の臭いがします。
02-23 12:27
@giantpikachuu はじめまして。ご教示ありがとうございます。その作品は存じませんでした。
02-23 09:07
@bensey_eigyo 別の題名で既出の作品であり、全集にも収録されているとの指摘が昨日のうちになされています。ご参考までに。
斎藤理生〈織田作之助の「最後の小説」?〉
http://t.co/dS9Ca2TETh
02-23 08:57
《忍者と悪女》(原題:The Raven)日本公開1965年2月7日
ロジャー・コーマン監督、ヴィンセント・プライス主演のアメリカ映画です。大蔵貢の大蔵映画の配給ということもあって邦題のセンスがすごい。
#忍者の日なのでニンジャを貼る
http://t.co/fh2t5fTXLF
02-22 15:55
@kasamashoin 斎藤理生氏によれば、「四つの手記」は「『定本織田作之助全集第七巻』(文泉堂出版、1995.3)の207-217頁に掲載」の『冴子の外泊』と同一内容ではないか、とのことです。
http://t.co/dS9Ca2TETh
02-22 15:39
「それではまだ足りないとでもいうように」という訳は本当に上手くて、何度読んでも面白い。この箇所の原文は
-- мало того, он совсем по-собачьи облизнулся, наклеивая марку на конверт,
とあるだけなんですが。
※(追記) のちに小笠原訳の底本は英語版と判明。
02-22 02:54
「ゴダール氏は痩せた中年紳士で、(中略)顔はロシアの猟犬にそっくりだった。それではまだ足りないとでもいうように、私が部屋に入って行ったとき、ゴダール氏は実に犬らしい顎の動かし方で切手を舐め、封筒に貼り付けていた。」
ナボコフ『博物館を訪ねて』小笠原豊樹訳、白水社、平成4年
02-22 02:17
島田氏がアナトリー・ヴェデルニコフの家に未亡人を訪ね、遺品の蔵書を手に取る場面もありました。確か、ジョイスの『ダブリン市民』があったはず。
02-22 01:35
でも、再放送だったと思いますが、ずいぶん前に見たNHK BSの番組で、ロシアを訪れた島田雅彦が、建物の壁にロシア語で落書きされているブルガーコフ(『巨匠とマルガリータ』だっけ)の台詞をすらすらと日本語に訳している姿には、ちょっとグラっときました。
02-22 01:31
斉藤 義「ワインか靴か―コンサートホールの空間形態論」建築雑誌 1986;101(1242):24-27.より。
http://t.co/vSZtPniMaG
02-22 00:06
上段左:コンセルトヘボウ(アムステルダム)、右:ボリショイ・ザール(サンクトペテルブルク)
中段左:モスクワ音楽院大ホール(モスクワ)、右:ムジークフェラインザール(ヴィーン)
下段左:シンフォニーホール(ボストン)、右:ゲヴァントハウスザール(ライプツィヒ、2代目)
02-20 23:18
@zinofrancescatt @Artssoy シューボックス型は、以下に
http://t.co/eqKw91vT8i
「音響的に必要な寸法、プロポーション」等の「要因さえしっかり押さえておけば、音響的に良好なホールを作り易い」とあり、当り外れの生じにくい形状と言えそうです
02-20 15:00
@zinofrancescatt 19世紀には、現代人のように「静謐な空間で音楽に浸る」という意識があったかも疑問ですよね。また、おっしゃるとおり外の音が聞こえたとしても大したことはないでしょうね。
02-20 13:01
@Artssoy コンセルトヘボウWikipediaには「体育館や田舎中学の講堂のような直方体」とありますが、シューボックス型コンサートホールとは、名が示すとおり元来そういうものです。ヘントは音響の専門ではないが他のシューボックス型を参考に設計した、ということではないでしょうか。
02-20 12:45
@Artssoy 10回以上ですか!すばらしい。私は一度も行ったことがない、憧れのホールです。別のツィートに纏めましたが、同じようなシューボックス型ホールは幾つもありますので、ほんとに適当に作ったのかどうか私は疑問に思っています。
02-20 12:38
@zinofrancescatt ええ、アリーナ型ならともかく、シューボックス型では上層部に明かり窓が並んでいる例は珍しくありませんよね。旧ゲヴァントハウスザールもそうでした。Wikipediaを編集した人がよく知らずに書いたんでしょうか。それとも、そういう説があるのでしょうか。
02-20 12:33
上層部に大きな明り窓が並んでいるシューボックス型のコンサートホールを並べてみました。ホール名はお分かりになりますか?
コンセルトヘボウWikipediaにある「音楽堂として致命的に非常識なもの」って、ほんとですかねえ(うそだと思う)。
http://t.co/wgzG4YEVAk
02-20 12:29
コンセルトヘボウのWikipediaに「片側の上層部分に外光を取り入れるための大窓が並ぶという音楽堂として致命的に非常識なもの」とあるけど、サンクトペテルブルク・フィルハーモニアのボリショイ・ザールの上層にも大窓が並んでいるような…
https://t.co/iygvnKrW68
02-20 01:46
西田谷洋氏によれば、徳田秋聲記念館文庫の本文体裁に難があるのは「コシーナ文庫のテンプレ」使用しているからであるとのこと。
なお、平成26年5月刊の『黴』では、ルビの不自然さは改善されています。
https://t.co/Wfjm1oqbls
02-20 01:27
先日話題になった小林修氏は、幕末から明治初期の漢詩人の研究もされていて、南摩羽峯(綱紀)に関する論文が「蟹行」「実践国文学」「実践女子短大評論」「歌子」等に掲載されています。これらの論考も調査が綿密で読み応えがあります。
02-20 00:54
川邉雄大、町泉壽郎「松本白華と玉川吟社の人々」日本漢文学研究 2007;2:265-285.
http://t.co/AUjBeLgJPV
を読んでいたら、南摩羽峯が玉川吟社の同人に名を連ねていることに気付きました。
02-20 00:45
「君のやうな単純な考を持つて居れば、無論処女くらゐ有難いものはない。例へば摘んでやつた蓮華花を後生大事と握りつめた赤児のやうなものだ。其の無邪気は愛すべしだが、其幼稚や憐むべしだ。」
徳田秋聲『桎梏』(「新小説」明治36年2月)
02-19 23:37
すでに多くの人がリンクを張っていますが、私も備忘録として。
浅田彰〈パリのテロとウエルベックの『服従』〉
http://t.co/J1L4uDywpa
02-19 23:36
この「小」は「体言挟みの係り」として説明されることが多いようです。
【出典】
奥秋義信《日本語何でも相談:「小股の切れ上がった」の「小股」って何?》
「月刊日本語」1996;9(12)(108):46-47.
http://t.co/bdXCfmQGdZ
02-19 16:12
「小股が切れ上がる」の語釈(小学館「日本国語大辞典」)。補注にある永井荷風「麻布襍記」の解説は流石ですね。
小股の「小」は「小首を傾げる」の「小」と同様に、用言にかかる接頭語です。「月刊日本語」第9巻12号での奥秋義信による解説以来、
http://t.co/joD1CvqG3t
02-19 16:06
本日(2月19日)は、ノルウェーのノーベル賞作家クヌート・ハムスン(Knut Hamsun, 4 August 1859 ― 19 February 1952)の命日です。
http://t.co/T3bpGk15ET
02-19 12:05
ほんと、現在なら「おまわりさんこの人です」ってことになりそう。
02-19 00:56
「電車の中で異性を見るたびに先づ心に映るものは容貌の如何ではなくて、処女だらうか? 処女であるまいか? といふことであつた。(中略)縦令、乞丐の子であつても介意ふまい。仮令獄衣を身に纏ふやうな恥づかしめを受けようと、レエイプしてもとまで屢思ひ詰めるのだつた。」
嘉村礒多『業苦』
02-19 00:50
礒多には決して美的なものに昇華されないどす黒い肉欲の業があり、それを甘受することはおろか、日常の喜びも、また現世そのものをも、強いストイシズムによって抑え付け否定する。強すぎる肉欲の業とストイシズムとが分ちがたくからみ合い同居している、というわけです。
02-19 00:13
古井氏は「嘉村礒多という人はおそらく性欲のきわめて強い男だったと思います」と言っています。つまり、性欲をエロティックという言葉で感知しうる者は、生々しい性欲への嫌悪感をも抱いていて、それを精神的な色気に昇華しようとするが、
02-19 00:12
ところが男にこう言い放たれたカツ子は、怒るどころか「ご免なさい、ご免なさい」と手をついて涙ながらに謝るばかりです。時代はずいぶん変りました。
古井氏はこの講演で、礒多と自分とは文章のタイプがどことなく似ている、誰かに顔も似ているって言われた、と語って聴衆の笑いを誘っています。
02-18 23:12
今が今やつと眼がさめた。」
今どき男がこんなこと口走ったら殺されるんじゃないかしら(笑)。」〉
以上、古井由吉の講演録『「私」という白道』より「嘉村礒多」。笑っているのは聴衆です。礒多からの引用は『秋立つまで』。
私なら、殺さないまでも寝込みを襲って蹴まくってやるところです。
02-18 23:02
〈「あゝあ、先の女房は、も少し優しかつた。先の女房の方がいゝ。どれだけいゝかしれん。お前が、そんな人間と知つてゐたら、何もすきこのんで、こんな生活に入るのではなかつたのに!」「(中略)一旦の行きがゝりを意地づくで押進んだことが、何よりの間違ひだつたんだ。凡て己の迷ひであつた。
02-18 22:58
自署が「ね」一文字だから名も「ね」であり、それに「お」を付けて「おね」だとするのはちょっと無理があります。NHKは「おね」説に拘っているようですが。
02-18 15:30
高台院の諱は「ねね」でよいと思っています。だいたい古文書で自署に自身の諱・号・官名の一文字だけを書いてある例は男女を問わず始終目にすることで(たまを「た」、宗薩を「さ」、〔六角〕定頼弾正少弼を「弾」とのみ書く。義詮、義持などの二文字目を「義丨」のように縦棒で略記する場合もあり)、
02-18 15:30
@moji_ka ものすごく言いにくいんですが、私は全く逆の見方です。カバーは佳いのですが、本文組版は、ルビと親文字の間隔が空きすぎな点、天の余白が広く地が狭すぎで版面が全体に下に沈み気味な点、本文書体がMS明朝である点など、非常に素人っぽい作りという印象を受けます。
02-18 11:24
京都の高台寺で植木職人の資材倉庫が全焼ですって。重文等に被害がなくてよかった。
02-18 01:42
あ、もちろんmoldさんに対してです。
02-18 01:05
この章では、彼等のプロパガンダが少しでも多くの人の手を経て拡散して行くよう、実際に首を切断する類の決定的な瞬間をわざと宣伝映像から省略する工夫が凝らされていると書かれていますが、ここ最近パイロット焼殺やエジプト人21人斬首など残酷場面をわざと晒すようになり、変質してきていますね。
02-18 01:01
お、おめでとうございます!!
02-18 00:24
徳田秋聲の通俗小説『結婚難』は、「中外商業新報」明治33年10月24日~11月30日連載の『旧悪』と、その改作『いほ子』(「新小説」明治34年7月)の焼き直しです。だから、私がこんなやつ死ねばいいのにと言った朝見道太と同じような男があと二人も存在します。三作とも物語の大筋は、
02-17 23:50
@Hans_gor 日本は明治以来すぐれたロシア文学者に恵まれていて、良い翻訳が多いのですが、たとえばトゥルゲーネフは代表作しか訳されていないので、どうしても原書に分け入らざるを得ないですね。私は新作小説を取っ替え引っ替えするタイプではなく、ロシア文学も古典が中心です。
02-17 23:14
@moji_ka 小林修氏の徳田秋聲論は
http://t.co/5wXvVGk3zo
で確認すると、実践女子大の「歌子」に継続して書かれています。2004年以降の論文では、鶴田久作との交友についてもお書きになっていますね。どの論文も細かい所まで調査が行き届いていて感銘を受けます
02-16 12:53
@Hans_gor 明治文学に与えた影響は大変なもので徳田秋聲の明治30年代後半の長篇にも『ルージン』の影響が見られます。『猟人日記』は短篇集なので拾い読みしやすく、よく手に取ります。ただし晩年に追加した3篇のうち前述の2篇は、それまでの作風や視点とは異質すぎて私は評価しません。
02-16 11:48
@moji_ka 『巷塵』の舞台は銀座で、『縮図』冒頭は銀座から始まる、というのは誰しもわかることですが、多くの人がそれだけで通り過ぎるところを深く掘り下げた興味深い論考ですね。
02-16 10:30
銀座を歩く徳田秋聲と小林政子(撮影年不詳)。
おそらく野口冨士男が秘蔵していた写真と同じものでしょう。
http://t.co/VMryPBz0H9
02-16 01:47
〈銀子のモデル小林政子が現存しておられることは、一月十二日付本誌夕刊の演芸欄に写真入りで紹介された通りである。〉
野口冨士男「『縮図』の銀子の家」(「東京新聞」昭和42年2月16日夕刊)
02-16 01:39
いとうせいこう、みうらじゅん『見仏記2 仏友篇』(角川文庫)でユーモラスに紹介されていた豊楽寺の釈迦如来坐像が今日の私のお気に入りの仏像。
実物は未見です。「日本の美術226 四国の仏像」の表紙に使われた斜め前からの写真がおじさん然として良いですね(画像検索ですぐ見付かります)。
02-16 00:48
文章を書くのは嫌いじゃないんだ。書いているとリラックスする。でも書いている内容は島田雅彦なんだよ。何の意味もない。
[kameiasami]
村上春樹風tweet Maker
http://t.co/Wcla9PMpuP
02-15 00:08
徳田秋聲の『巷塵』と『縮図』冒頭場面との関連性については、下記の論文があります。
小林修「『縮図』論序説――銀座から白山へ」(小田切進編『昭和文学論考 マチとムラと』平成2年、八木書店)所収
https://t.co/gZ1veP9m1f
02-15 00:05
けれどわたしが、主人の畑から花々をあつめ
夜あけぬうちにわが庭へ戻ったところ
わたしの巣箱はひっくりかえされているではないか……
向日葵の花咲いていたそこには──いら草の茂みが生い出て
わが荷を下す場所もない……
(太田多耕訳)
02-14 22:59
終焉の花々とともに朽ちていった蜜蜂
お前が仲間の助けをかり その巣箱を
澄んだ琥珀の蜂房で整えたのも、理由(わけ)あってのこと
お前は夏の間、お前の護り手を
こよなく甘い贈り物で富ませた。
02-14 22:58
Где цвел подсолнечник - растут кусты крапивы,
И некуда сложить мне ноши дорогой...
02-14 22:53
А я, собравши плод с цветов господней нивы,
Я рано, до зари, вернулся в сад родной;
Но опрокинутым нашел я улей мой...
02-14 22:51
Ты, с помощью сестер, свой улей убрала.
Ту руку, что тебя все лето берегла,
Обогатила ты сладчайшими дарами.
02-14 22:49
Яков Петрович Полонский «Пчела» 1855
(ヤーコフ・ペトローヴィチ・ポロンスキー「蜜蜂」1855年)
Пчела, погибшая с последними цветами,
Недаром чистыми янтарными сотами
02-14 22:47
Лес и степь(森と曠野)。『猟人日記』の最終篇にして、私のとりわけ愛好している文章です。暗誦とまではいきませんが、事あるごとに繰り返し読んでいます。
воздух дрогнул кругом: уж не гром ли?
http://t.co/JghqfB9Z3K
02-13 16:21
曾てこの4人の中でトゥルゲーネフを小馬鹿にした時期もあったのですが、最近は一番惹かれます。『猟人日記』(「チェルトプハーノフの最後」と「生きている木乃伊」を除く)と『父と子』が特にいいです。
(この小伝は図版目当てに通販で買いました)
http://t.co/tkTVhUbCbe
02-13 00:40
いま読んでいるドストエフスキー小伝より。
(左頁上)セルゲイ・アクサーコフ、アポロン・マイコフ、
(左頁下)ヤーコフ・ポロンスキー、アレクセイ・プレシチェーエフ
(右頁上)ニコライ・ネクラーソフ、
(右頁下)アレクサンドル・ゲルツェン
http://t.co/77l6tpAHCF
02-12 23:58
〈バー「若草」は四十年に店を閉じ、マダムは豊島区池袋二の九六九で「若草アパート」を経営し隠居の生活を送っている。〉(浪江前掲論文)
池袋2丁目に969番地は現存しませんが、昭和35年の豊島区詳細図の御岳神社東に所在地が確認できます。
http://t.co/hDF4F7Z2YA
02-12 16:35
「型があるから型破り。型がなければ、それは形無し。」十八世中村勘三郎
02-12 12:58
@Hans_gor You’re most welcome.
02-12 12:37
「池袋駅東口を降り、バス停留所前、新栄堂書店の並びのビルの一隅」にあり「仲々、落着いた店で下層インテリ族が多く、文学青年も長尻でマダムの話をききながらハイボール一杯五円をなめにきた」(浪江前掲論文)そうです。浪江洋二は多くの花街をルポして来たように若草も実地検分したんでしょうか。
02-12 01:26
書かれています。『私のなかの東京』所収の「小石川、本郷、上野」(「文學界」昭和52年5月)によれば「富田家はいちじるしく変貌しながらも昭和四十年代のなかごろまで残存していたのに、現在では跡形もなくなってしまった」とあり、現存しません。
小林政子の経営していたバーは「若草」といって
02-11 23:34
る。往時のおもかげをしのばせるものは、かつての先生の仕事場であった、二階ののき下のあたりだけだ〉
以上、野口冨士男「『縮図』の銀子の家」(「東京新聞」昭和42年2月16日)より。
なお、敗戦直後、廃屋同然だった富田家を撮影した元東京新聞写真部長・石井幸之助による写真があるとも
02-11 23:33
〈小林政子氏はとうにその家を引きはらって、池袋でトリスバーを経営しているが、富田家遺跡ともいうべき家屋はすっかり老朽化して改修のあとがいちじるしいにしろ、兎にも角にも残存している。二間間口の部分には四枚のガラス戸がはめこまれて、下見板のかわりにトタンのナマコがはりめぐらされてい
02-11 23:24
(誤)北側梯子がある。
(正)北側から梯子がある。
02-11 22:27
@Meiho83 はじめまして。その話は私も知っています。確かに実質的には、鵜月洋著(中村博保補筆)でしょうね。鵜月洋と中村博保は『西鶴名作選 口語訳・文法傍注式』(評論社、昭和38年)でも共著者でしたし、共に秋成が専門ですし、研究も互いに重複する部分が多かったことでしょう。
02-11 18:40
の短編や長編『仮装人物』『縮図』を書き綴った。
〈二年、三年とたって、秋声は置屋のトーちゃんのアカに染まり、花街の組合旅行など参加して、塩原の湯畑の碑の前で記念写真を撮ったりした。〉
浪江洋二「『縮図』モデル考―徳田秋声と小林政子―」(国文学 解釈と教材の研究、昭和46年11月)
02-11 15:34
長火鉢と茶棚があったりした。
玄関を上って四畳半には芸者や仕込っ妓がゴタゴタといた。階下はこれっきりで、この座敷の北側から梯子がある。二階は床の間つき六畳と三畳で、その三畳に卓と書架などがあり〉
それ以後秋聲はほとんどここに入り浸って『彼女達の身のうへ』『チビの魂』『勲章』など晩年
02-11 15:33
〈昭和八年の十二月に本家「富島家」と程遠からぬ白山花街に「富田家」の看板を掲げた。
この家は二階建二戸建の長屋で、向って左が「富田家」で、東向き道路隔てて前は三業組合の公園予定地で、二千坪あまり整理中の空地で、日当りは良く、辰巳の玄関で、右手が丸窓で二階があり、狭いところに
02-11 15:32
@niina_noriko 私も持っています。#死に至る病はふつう
http://t.co/ZlAdIO9EOf
02-11 00:38
猪突猛進型の管弦楽をバックに、ニ短調の鬱々としたヴァイオリンの繰り言が始まり、そこに徐々に天使の歌の薄明が差してきて、最後は多幸症(オイフォリー)のような病的な高揚感のうちに終る、この奇妙な曲を、クレーメルは早めのテンポでスリリングに弾き切っています。
02-10 16:39
今日は朝から夕方までずっと頭の中でシューマンのヴァイオリン協奏曲(ギドン・クレーメル独奏リッカルド・ムーティ指揮フィルハーモニア管弦楽団)が鳴っていました。クレーメルはアーノンクールと再録していますが、私はこの旧録の方がいいと思います。ムーティの、やや荒っぽいと批評されている
02-10 16:36
そこで行き当たった「火鉢って暖かいですか?」という発言小町のページ。「火鉢を使おうかな~なんて思って」という質問に、火鉢経験者が寄って集って「やめときなさい」と言ってるのが面白い。火鉢ってそんな感じかぁと何となくわかります。
http://t.co/98843DL25x
02-10 12:02
戦前の小説には火鉢や長火鉢がよく出てきます。私は火鉢って使ったことがないのですが、はたしてどの程度の暖房効果があったんだろうかとちょっと気になります。和服に襟巻き姿の徳田秋聲が長火鉢に手をかざしている写真が何枚か遺っていますが、なんか寒そうです。
02-10 12:01
〈わたくし〉であるのだから〈わたくし〉のことを知っていそうだけど、余計〈わたくし〉のことを知らないという矛盾。この〈わたくし〉と〈わたくし〉の背反が面白い。それを一番ラディカルにやったのが嘉村礒多なんじゃないかしら。」
古井由吉×大江健三郎「文学の伝承」(「新潮」平成27年3月)
02-10 00:09
「古井 僕も、自然主義と私小説はまた違うものなのではないかと思います。明治の自然主義小説の〈わたくし〉は、他者を含んでる。ところが、大正に入るとだんだんラディカルになってくるんです。〈わたくし〉が縮まってくる。
02-10 00:08
この日以来の寒さ。今夜も寒くて楽しい。
02-09 23:29
上田秋成の研究者にとって鵜月洋の『雨月物語評釈』(角川書店、昭和44年)は今でも必携の書ですが、あれだけの大著を物したのに、亡くなった時は46歳でまだ早稲田の文学部専任講師だったんですよね。
02-09 22:51
【原典】
孫思邈曰、膽欲大而心欲小。智欲圓而行欲方。(孫思邈曰ク、膽ハ大ナランコトヲ欲シテ、心ハ小ナランコトヲ欲ス。智ハ圓ナランコトヲ欲シテ、行ヒハ方ナランコトヲ欲ス。)
02-09 22:07
上田秋成『膽大小心錄』
文化5年成立。題名は『唐書』「隱逸」の孫思邈のことば「膽ハ大ナルヲ欲シ、心ハ小(細心)ナルヲ欲ス」からとられている。(中村博保、小学館日本大百科全書)
02-09 22:07
ハンス・カロッサの『美しき惑いの年』を初めて読んだときから、この19世紀後半のバイエルンの田舎医師(カロッサの父)の雑然とした机の上の「まだ真新しいのに早くもヨードチンキのしみがつい」た本のことが、なぜか印象に残っています。
02-09 01:20
「この地方医師がみずから手をくだして薬を煮る器、または微量の粉末の目方をかける秤のすぐそばに、そんなところにあるべきはずのない品物がころがっていた。(中略)ときには本も投げ出したままになっていて、まだ真新しいのに早くもヨードチンキのしみがついている」(手塚富雄訳。岩波文庫67頁)
02-09 01:20
@zinofrancescatt 2月6日のCNNの記事
http://t.co/oqTKZC885m
にKasasbeh's mother, just out of the hospital, was too frail to speak Thursdayとあり、ご存命では。
02-09 00:19
伯母のヨゼフィーネがそう言うと、母は「陛下から煙草を吸ってよいとお許しがあったのでしょう、そうでなければあんまりですもの」と言葉を挟み、父は小首を傾げて「ビスマルクにたいしてならワーグナーも、かならずそんな態度には出なかったろうに」と述べた。
02-08 22:39
もうもうと煙草を吹かし続けていた。「けれどルートヴィヒさまは、この人物にたいする興味で夢中になっていらっしゃるので、年の行かない官吏の娘がていねいに膝をかがめて御挨拶申し上げたのにもお気づきにならなくて。」
02-08 22:38
ハンス・カロッサ『美しき惑いの年』の「家系学」の章。
ルートヴィヒ2世がブリエン街でヴァーグナーが歩いてくるのに行き会わせ、常用の馬車を停めさせた。「けれどワーグナーの態度といったら何という軽々しいものだったか」。巨匠は国王が言葉をかけている間中ずっと、片足を馬車の踏板に掛けて
02-08 22:38
に訪れた従兄弟の言によれば、家の住人がこのような不埒な所業を行った場合にのみ災難が家族に及ぶのであって、今回は下手人の青年だけが呪われるとのこと。
これはビスマルクの逝去の年で、日本では明治31年にあたります。初読の時には、ドイツにもそんな民間信仰があったのかと妙に感心しました。
02-08 19:30
ハンス・カロッサ『美しき惑いの年』の「休暇」の章で、カロッサ一家のドナウ河畔の家に昔から住んでいる家附きの蛇を、ある愚かな青年が誤って打ち殺すという「悲しい事件」が起ります。この蛇は家の主で、家を護ると信じられており、殺すと祟りがあるといわれていたのですが、蛇が死んだことでお悔み
02-08 19:29
“溺れた狂人”、そして自分は“反逆の狂人”と、ゴンブローヴィチは分類している。“狂人”という点では三者は同類だったのであろう。もうひとつシュルツと自分との共通点として、ゴンブローヴィチは“形式を玩ぶこと”を挙げている。〉
(工藤幸雄『ブルーノ・シュルツ全集Ⅱ』解説Ⅰより)
02-08 17:51
〈ゴンブローヴィチによれば、彼自身もシュルツも、決してヴィトカツィの文学の門下生ではない。「シュルツは彼から大して汲み取るところはなかったし、彼に夢中だったわけでもない。シュルツ作品にヴィトカツィの痕跡は認められない」という。(中略)ヴィトカツィは“絶望の狂人”、シュルツは
02-08 17:49
@moji_ka 主に銀座を舞台に「インテリ崩れの人達の悶腕き」(作者の言葉)を描いた作品で『縮図』とは全然別物です。『巷塵』は雪華社版秋聲全集第13巻(昭和36年12月)に収められるまでは掲載紙「都新聞」に当るしかなかった作品ですので、あるいは読まずに書いたのかも知れませんね。
02-08 03:25
@moji_ka 徳田秋聲の『巷塵』は通俗小説で、『縮図』との類似点は、女主人公(レストランのレヂスタアの仕事をしている郁子)が映画好き、ということくらいですので、「単に『都新聞』に連載していた『巷塵』が中絶したという解釈」が正しいと思います。
02-08 01:32
彼が言うには、もしも自分が画家ではなく、音楽家だったら、まったくハウアーのように作曲しただろう。彼の作品はまるで自分自身の秘められた作品のようだ。そう言うのだ。君はどう思う?』(ルイゼ・カルピシェック宛)〉
「秘教芸術―イッテンとハウアーの場合」(高橋巌『ディオニュソスの美学』)
02-08 01:00
ハウアーはピアノに向かい、特に私にすすめられて、黙示録的幻想曲(作品5、1913年―引用者)を弾いた。それで十分だった。その時この曲は本当に黙示録的だった。つまり啓示だったのだ。眼の見えないものが色を見たのだ。イッテンはただ黙って坐っていた。我を忘れたようだった。(中略)
02-08 00:59
〈ハウアーとイッテンの関係について、興味深い手紙が遺っています。ハウアーの竹馬の友の、中学教師であり、哲学者だったフェルディナント・エープナーの手紙です。
『月曜日にヨハネス・イッテンと少し知り合えた。彼は私の気に入った最初の「霊的な」人間だ。だから知り合えて、とても嬉しかった。
02-08 00:59
クヌート・ハムスン『牧神―グラーン中尉の物語』中村都史子 訳、公論社。
http://t.co/hsaU8kmKCk
02-07 23:08
@Hans_gor クヌート・ハムスンは戦前のヨーロッパで絶大な人気がありました。『飢え』は日本でも大正から昭和初期にかけて広く読まれていて、林芙美子など影響を受けた作家もいます。英語圏では近年翻訳が幾つも出て、忘れられた作家というわけではなさそうです。私は『牧神』が好きです。
02-07 22:46
クヌート・ハムスン(Knut Hamsun)とヨーゼフ・テアボーフェン(Josef Antonius Heinrich Terboven)。1943年ヴィーンにて。このあとアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)と面会しました。
http://t.co/9hQlE6mRXr
02-07 02:41
法隆寺釈迦三尊、法隆寺献納宝物如来坐像の裳懸座の文様を「品字形衣文」(または品字形文様)と呼ぶ、と昨日テレビで教わりました。
02-07 01:15
【備忘録】
BS日テレの〈八百八町夢日記〉第30話「生き別れ、思いの糸」(2月6日18時~19時放送)に出てた女優さん。
白都真理さん(おぎん役)、昭和33年生。撮影当時31歳。
すごくお綺麗でした。
02-07 00:26
漢語つかひの上手な嫁とその夫の話(荒木精之『肥後民話集』地平社、昭和18年)
http://t.co/tauT49Nri5
馬鹿馬鹿しい話ですが
「先亭ツツガナキヤ?」
「先亭もくそもあるか、うぬはまだそのくせをなほさんとか。」
「離別セシ妻ヲ打ツコトナカレ」
で一寸笑いました。
02-05 16:20
ヴラジーミル・ラジュニコフ編著、荒島浩雅訳
談話のキリル・コンドラシン―モスクワ音楽院の思い出 : 外国およびロシアの指揮者・音楽家、ショスタコーヴィチとの最初の出会い―
大阪産業大学論集 人文科学編 2004;112:119-132
http://t.co/W2SmjrWFj5
02-04 21:05
このジレンマにアラブ世界は、疲れ切っている。さらに「アラブの春」によって、そのような独裁政権は意外な脆さを露呈し、暴力による抑制すら不可能になった。〉
池内恵『イスラーム国の衝撃』「7 思想とシンボル――メディア戦略」(文春新書)
02-04 20:40
〈過激派の行動を実力で阻止してきたのは、各国の独裁政権であり、その統治の不正義や暴虐こそが、過激派を生み出す根本原因ともなっている。独裁政権の暴力に頼っている限りは、過激派の発生は止まず、かといって過激派の抑制には、独裁政権を必要とする。
02-04 20:39
車谷長吉から藁人形に五寸釘を打たれたうちの一人に古井由吉も入ってたんですね。大江健三郎も。まあ無事で何より。
02-03 22:42
夕方スーパーに行ったら、お総菜売り場にほとんど巻き寿司しか置いてなくて、黒山の人だかり。しかも一、二本丸ごとパックとかばっかりで、食べ切れそうにない分量。
半分ずつにして食べました。
02-03 22:32
@zinofrancescatt 「西暦(グレゴリオ暦)」でいえば、という但し書き付きでして、一般には12月23日に生誕を祝われています。討ち入りは元禄15年12月14日なのか1703年1月30日とすべきか、という問題と同じで、何月何日という日付は重要な意味を持ちますからね。
02-03 00:15
@ISOGAI_1 「秋聲先生、143歳おめでとうございます!!」との書き込みがあります。田山花袋記念文学館パンフレットも「明治4(1871)12月13日、田山鋿十郎・てつの次男として生まれる。」としていますね。教科書でも概ね和暦と西暦は慣例により単純な変換になっているようです。
02-03 00:04
@ISOGAI_1 徳田秋聲も田山花袋も共に1871年12月生れとしている場合が多いですね。確かに、明治4年の年末生まれなのに、西暦では年始になるからそっちでどうぞと言われたら本人達もおそらく不服でしょう。徳田秋聲記念館《寸々語》では昨年12月23日に
02-03 00:04
マーリキー政権下で不遇であった旧イラク・バアス党の残党がイスラーム国に入り込み、スターリンの独裁を手本にしていたフセイン政権下に於て習得した統治のノウハウを、各占領地で発揮しているのだろう、という推測もなるほどと思います。
02-02 19:47
イスラーム国のテロリズムと占領地統治はロシア内戦におけるボリシェヴィキ政府に多くを学んでいる、という山内昌之氏の指摘(BSフジ〈プライムニュース〉1月30日)は示唆に富んでいます。
02-02 19:47
RT @ryoko174: テロの責任を日本政府に転嫁して正当化するISILは、日本の反権力層を潜在支持層と分析した上で支持を得やすいコミュニケーションをしている。
彼らの手の平で踊る日本人がいることは嘆かわしい限りです。
◼︎ISILメッセージ全文
http://t.co…
02-02 18:40
前掲『秋聲と東京回顧』の158頁と210頁に一寸だけ触れられていますが、徳田一穂は卯辰山の徳田秋聲文学碑に刻む「秋聲文学碑」の揮毫を谷崎潤一郎に依頼し、断られています。その経緯は、一穂の実名小説『碑と未亡人』(「新潮」昭和29年11月)に詳しく書かれています。
02-02 02:00
本所へ渡って来ると、二人は焼け爛れた町を、当時の外手町から横網町の方へ歩き、被服本廠まで来たが、ここには死体の山が幾つとなく堆かく積み上げられていた。〉
(徳田一穂「道草」9より。『秋聲と東京回顧』所収)
02-02 01:47
〈父(引用註:徳田秋聲)が東京へ帰って来たのは一週間以上経ってからであったから、二人で厩橋を綱渡りのようにして渡って行ったのは震災から大分日が経っていたのに、河岸や橋脚には死体が、幾つとなくぷかぷかと揺れながら浮かんでいた。(中略)
02-02 01:46
徳田秋聲は明治4年12月23日の生まれですが、この日は西暦(グレゴリオ暦)に換算すると1872年2月1日になります。
ということで、本日は西暦での徳田秋声生誕日にあたります。
02-01 01:56
と言い出したので、わたしは驚いて、里見さんの顔を見た。里見さんは、一言も言わなかった。」(徳田一穂「道草」22より。『秋聲と東京回顧』所収)
この暗殺計画の話は、『里見弴伝』304~305頁にも載ってます。里見が作品にも書いているので、ある程度知られていた話なのでしょう。
02-01 01:43
秋聲の『犠牲者』発表当時里見が書いた時評(「かう云ふ親たちに見殺しにされた瑞子」云々)について抗議すると、「わたしが間違っていた」と微笑して答えた。
「その時、一人の人が、戦争中、里見さんが懐に短刀を忍ばせ、東条英機に会食を申込み、東条と刺し違える決心をしていた、
02-01 01:33
昭和46年10月17日の正倉院展で、徳田一穂は里見弴と「計らずも」出会い、立ち話をする。「和服姿で、茶人か師匠の被るような頭巾風のものを被った顔は血色がよく、小柄できびきびとした物腰も若々しかった。」
その日の午後、上司海雲の招きで水門町の料亭常磐にて里見ら7、8人と会食。一穂が
02-01 01:33
ゾンビ化した日村さんの右頬に浮き出している紫色の血管は「腐敗網」といいます。死後2、3日経つと、血管内の血液が溶血し、静脈に沿って表皮が変色します。
〈ゾンビ化した日村の場面写真&予告編公開「新選組オブ・ザ・デッド」〉
http://t.co/PuV0qo3OBl
01-31 23:11
„Das war ein Vorspiel nur, dort wo man Bücher / Verbrennt, verbrennt man auch am Ende Menschen“ [Heinrich Heine in »Almansor«]
01-31 22:14
過激派組織「イスラム国」は1月初頭、イラクのモスル中央図書館を攻撃した。攻撃の理由は、アラーと異なる考え方の本を焼くためだったという。1月31日、AP通信などが報じた。
http://t.co/rAOsP7kUjs
01-31 22:14
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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