『東京帝国大学一覧 従明治廿八 至廿九年』東京帝国大学、明治29年。
http://t.co/5JA55C1vmq
明治27年7月に国史科を卒業したのは、大森金五郎、藤田精一、龍口了信ら5名。
08-30 22:12
原田登編『帝国大学出身録』帝国大学出身録編輯所、大正11年。
http://t.co/N6fMY1wGcS
◉藤田精一 広島市土手町二七
君は京都に原籍を有し明治二十七年東大文学部国文科を卒業し後陸軍教授となりて以て今日に至る。
08-30 21:47
本上まなみさんがBS朝日で京都名店味めぐりしたはる。
08-30 21:15
@tonton1965 陸軍教授は文官(高等官)で、佐官級の階級だと思います。詳しい人教えて下さい。
08-30 18:42
@tonton1965 明治31年8月31日に陸軍教授に叙任されています。
博士号を取ったのは最晩年なんですよね。戦前だけに立場はやや偏っているが研究は立派だと植村清二も認めています。
今日は図書館に行けないのでこのへんまでですが、詳しく調べれば他の経歴も判るでしょうね。
08-30 17:55
@tonton1965 慶應4年/明治元年(1868)7月10日生、昭和13年(1938)7月5日歿。
妻は戸水寛人の妹。
藤田博士碑(三宅俊雄撰幷書。観心寺)に「東京帝國大學國史科卒業後廣島縣立廣島中學校長大阪及廣島陸軍幼年學校敎頭ニ歷任シ從四位勲三等ニ敍セラル」とあります。
08-30 17:42
@tonton1965 藤田精一(慶應4-昭和13)号南山。京都府綴喜郡田辺町興戸生。三高、東京帝大卒。文学博士。『東亜説林』同人。広島幼年学校等で教鞭。西田税は教え子。五男五郎は歴史学者。主著『楠氏研究』『新田氏研究』『日本名分汚瀆論』など。
家事の合間に急いで調べました。
08-30 13:25
@tonton1965 武田家臣団で信虎の偏諱を受けた人物はみな虎〇のように虎が前に付きますね。これを勘定に入れると結構あります。
08-30 11:13
当時早稲田は大学ではなく東京専門学校でしたが、明治23年に文学科が創設され、坪内逍遙が教鞭を執っていたので憧れていたのでしょう。
しかし笹島は「道楽仕盡して〇〇まで切断したくらゐ」の男で、妻のすがは元芸者だったので、彼等を快く思わない長兄の反対により、この話は実現しませんでした。
08-30 03:40
徳田秋聲が大阪で笹島夫婦(秋聲の母タケの姪、津田すが夫妻)宅の二階に厄介になっていた頃(明治25年)、秋聲を津田家の跡継ぎに据え、学資を与えて早稲田に入れるという話がありました。それは「私が早稲田の英文科に憧れをもつてゐることが解つてゐたから」(「思ひ出るまゝ」)でした。
08-30 02:33
あ、井伊直虎。
08-30 01:21
〈最も私達を刺戟したものは二葉亭氏の「浮雲」で、これはづつと前のことで、「媾曳」といふツルゲイネフの作に非常な興味を感じたのも私がまだ田舎にゐた時分だ〉
〈嵯峨の屋おむろ氏の飜訳にかかる露西亜の小説も、青年のあひだに可なりな勢力をもつてゐた〉
(徳田秋聲「思ひ出るまゝ」)
08-29 00:21
@tonton1965 最終章「森と曠野」の"мои записки"が「私の手記」と訳されてきたことでも判る通り、『猟人日記』«Записки охотника»のЗапискиの訳語は「手記」が相応しいと思います。『リアリズムの擁護』でも『猟人の手記』とお書きになってますね。
08-28 23:51
みんなЗаписки(ザピースキ)なんですよね。元々は「書き留められたもの」の意で、観察記、手記、日記、回想、記録、等々に訳せます。
08-28 20:45
『狂人日記』は «Записки сумасшедшего»、『地下室の手記』は «Записки из подполья»、『死の家の記録』は «Записки из Мёртвого дома»、そして『猟人日記』は «Записки охотника»、
08-28 20:45
http://t.co/wLJYXGVEdA
「ツルゲーネフの『ベージンの野』とドーデーの『星』はそれぞれ『狂人日記』『風車小屋だより』という我が国では馴染み深い短篇集に収録されています。『狂人日記』は、明治時代にその一部が二葉亭」
ポプラ社の編集者さん『狂人日記』じゃないです。
08-28 19:44
@zinofrancescatt 昭和60年頃に講演を聴きに行った人から、進行役が「それでは、みなかみつとむ先生です」と紹介したあと、冒頭で「みずかみです」と挨拶したので、おやと思ったという話を聞いたことがあります。
08-28 19:41
「セックスしたらみんな自分から離れられなくなる」とかいっぺん言ってみたいわ。
https://t.co/6lcTScKeb4
08-27 19:18
「みずあげ つとむ」と言われた時は訂正する気も失せたとか、柴田錬三郎が「すいじょうべん」と言ったとか、水上勉の名には面白い逸話がありますね。
08-27 19:08
水上勉に(みなかみ つとむ)とルビを付けたら「いや、みずかみが正しい」とツッコミを入れる人が出てきそう。大体は二通りの読みがあるのは承知のうえで、あえてどちらかを選択する訳なんですが。
08-27 19:02
猫を償うに猫をもってせよ 8/26:
http://t.co/M1xPzwd54b
〈「ぶんそう」だと知っていてあえて「ぶんぞう」と振るのと、「ぶんそう」だと知らずに振るのとでは違うのだが、(中略)知っているがあえて『ぶんぞう』とする」と言ってその理由を説明するのもわずらわしい〉
08-27 18:58
省略した部分には拳を振り上げて怒号し、喝采する人々の描写があり、下手をすると匕首まで閃きそうな明治の地方選挙の様子がよく窺えます。
徳田秋聲の作品で「チェースト」の掛け声が聞かれるのはこの小説だけではないでしょうか。
「チェスト」:
https://t.co/FgroaFPEaL
08-27 00:26
「読みは「ぶんぞう」ではなく「ぶんそう」と濁らない。それは、橋川家の郷里である広島では「ぞう」と濁らずに「そう」と発音するところからきている。」
(長沢雅春「橋川文三試論―中学時代の橋川文三―」)
http://t.co/Z8VDUvk7qY
えーっ、そういう理由なんですか?
08-26 22:07
催せる如何なる集会の果てたるにやあらん。商人も工人も農夫も、車夫も馬丁も丁稚も行けりと覚しくて、黄昏の巷を三々伍々打語ひつゝ帰るなり。〉
〈暮色の蔽到る巷を幾個の罔両は相乱れて、(中略)其さへ何時か散々になりて、一声高く聞えたるは最後の「チヱースト」なりき。〉(『風前虹』七の一)
08-26 20:13
てて終ります。秋聲の雅俗折衷体はちょっとぎこちないのですが、この作品は紅葉の筆が入っているせいかこなれているように思います。先の引用でも部屋に入ってムッとする感じがよく出ています。
〈此町の静謐を破りて、選挙の声の遠近に響遍しより、今日も往交ふ俥は轔々たる音を絶たざりき。何処にて
08-26 20:11
『風前虹』は「秋声が金沢、長岡で政党機関紙の記者をしていた頃の経験」(伊狩章「硯友社と自然文学研究」)を元にした作品で、『惰けもの』の先行するものですが、より救いのない結末で、主人公は政治を志しながらも気力天分ともに薄く、題名のとおり全ては風前の虹と消えて死を待つだけの身となり果
08-26 20:09
大杉重男ブログ:赦しを求める
http://t.co/Givn7f2e7t
〈デリダはさまざまな思想的パラドクスを遺した哲学者だが、その中でも重要なものの一つに「赦す」ことをめぐる逆説がある。すなわちそれは「決して赦すことのできないことを赦すことが、赦すという行為の本質である…〉
08-26 16:03
「恰も点されたる電燈の照れる二十畳ばかりの西洋室は、集り居たる人々の出行きし後とて、莨の煙と息との醸せる胸悪き一種の温気は、闊を排(おしひら)ける彼が面を打ちて、インキ、墨汁、掲示紙の剥れたる痕の狼藉として、」
徳田秋聲作、尾崎紅葉補作『風前虹』(明治31年)より。
08-26 00:57
『罪へ』に使用した底本は何て書いてあるかな。楽しみだわ。
08-26 00:32
同じ人の論文、
ブルナ・ルカーシュ「宮嶋資夫『坑夫』とゴーリキーの〈放浪文学〉」国文学研究、2012;167:60-67
http://t.co/lJHMVvmm01
の註(26)に徳田秋聲の『罪へ』と『熱狂』は翻訳と書かれていますが、舞台を日本に置き換えた翻案です。
08-26 00:12
誰も教えてくれないので、
ブルナ・ルカーシュ「ゴーリキー翻訳年表――明治三五(一九〇二)年~大正一二(一九二三)年」文藝と批評、 2014;11(9):23-31
https://t.co/NcHMxjOStY
を参考に挙げておきます。私は自力で原書(露文)に当ったので未読です。
08-26 00:04
こちら、徳田秋聲の翻案『罪へ』(明治40年)の原作全文。
Максим Горький, «Злодеи», 1901 г.
http://t.co/Vp9swSqcAF
英訳もありますが(Evil-doers, 1915)、ネットではごく一部分しか読めません。
08-25 14:01
@niina_noriko 書き留めておいて時々読み返したくなる文章です。
08-25 13:57
そうそう、このチクーッとくる感じ好き。
https://t.co/HhxhBrErgV
名ツイートですね。
08-25 13:39
@tonton1965 映画は見ましたが小説の"Giant"は読んでないのでよく判りません。Giant=Texasであり、固有名詞として扱っている、つまり題名は"Texas"と同じ意味、ということでしょうか。
08-25 01:11
@tonton1965 @kubotakashi6074 アネルセンと表記している辞典類もありますね。実際の発音はアナスン・ネクセに聞こえますが、
https://t.co/2tvXJzE1dR
アナセン・ネクセー(またはネクセ)と表記されることが多いようです。
08-24 19:11
@tonton1965 @kubotakashi6074 より正確にいうとアナセン・ネクセーですね。
https://t.co/Dl9Sy0uLc0
08-24 16:04
日国の「ご-ねる」の項を引くと、「[方言]①人の死ぬことを卑しめていう。くたばる。」としての使用地域に、石川県、新潟県、長野県北安曇郡、大阪、兵庫、和歌山から熊本あたりまでが挙がっています。
関西では死ぬ意味としては死語と思いますが、金沢ではどうなんでしょう。
08-24 12:43
ところで「死(ごね)る」という言葉は、上方落語『らくだ』の「なんじゃい、ど臥(ぶ)さっとると思うたら、死(ごね)てけつかる」という台詞が私などは耳に残っていますが、金沢市編『稿本 金沢市史』(昭和4年6月)の第25章方言に「ゴネル 死する」とあって、金沢でも使われていたようです。
08-24 12:28
(A Sportsman's Sketches, trans. by Constance Garnett, 1895)
となっていて、訳は吉江喬松(明治41)
https://t.co/UNfgk8CIEn
と戸川秋骨の方が正確です。
http://t.co/AcOMfZe6JR
08-24 12:28
They began to move him on to the mat.... He trembled all over, like a wounded bird, and stiffened....
‘He is dead,’ muttered the peasants.
08-24 00:37
「死(ごね)たゞ」と杣等は、言合せたやうに心細げに呟く。〉
と日本風に置換えられています。ガーネットの英訳は文学者の間では読まれていましたが、まだ邦訳がない(戸川秋骨らによる英訳からの全訳は明治42年刊)ので翻案する気になったのでしょう。
底本と思われるガーネット訳では、
08-24 00:36
「死んじまった。」百姓たちはつぶやいた。〉
と訳されていますが、『最期』では
〈五六人の者は、それこそ腫物にでも触るやうにして、忠蔵を筵の上に載せた。忠蔵は、もう口が利けなくなつて、恰で弾を喰つた鳥のやうに体を顫はせてゐたが軈て吻ツと大きな歎息をした。そしてグイと体を突ツ張つた。
08-24 00:33
とのみ書かれています。省略がありますが、大筋は原作に忠実な翻案です。
たとえば、百姓が木の下敷きになって死ぬ場面は、岩波文庫の邦訳(佐々木彰訳)では
〈百姓たちは彼を筵の上に移しはじめた…… 彼は撃たれた小鳥のように全身をピクピク震わせたが、やがて身体はまっすぐに伸びた……
08-24 00:31
先程から話題にしているように、徳田秋聲の短篇『最期』(「日本及日本人」明治40年2月)は、イヴァン・ツルゲーネフの『猟人日記』(Записки охотника)中の一篇「死」(Смерть)の翻案です。徳田秋聲全集第6巻解題には何の指摘もありませんが、別巻の著作目録には「翻案」
08-24 00:29
@niina_noriko 「民人(たみびと)」はいかがですか。
08-23 20:55
@tonton1965 そうですか。では小谷野さんがお読みになっても気付かなかったかも知れないわけですね。
秋聲の翻案作品の題名は『最期』(「日本及日本人」明治40年2月、全集第6巻166頁)です。
08-23 19:18
@tonton1965 『猟人日記』の一篇『死』です。岩波文庫では下巻の26頁に入っています。
08-23 19:07
@tonton1965 そうです。
08-23 19:03
@tonton1965 いえ、ゴーリキーとは別の作家の作品で、これまでにここでは言及してません。あとで書きますが、たぶん読んでらっしゃいますよ。
08-23 19:01
もっともロシアの作家なので「西洋」は正確ではないかも知れません(1863年以降は殆どヨーロッパに居を構えて西欧派の代表のように言われていましたが)。この原作は代表作の一つで、日本近代文学に多大な影響を与えましたし、文学に関心があれば大学生くらいまでには読んでておかしくないですね。
08-23 18:50
@tonton1965 6巻は田澤基久氏です。例えば『罪へ』の場合は、短編集『秋聲集』所収頁の末尾に「(ゴリキー)」と作者が明記しているのに、解題でそのことに言及しないのは手落ちだと思います。
松本徹氏担当の巻では、翻案の場合は(と思われる場合も)解題で指摘しています。
08-23 13:27
@tonton1965 翻案の場合はそう明記している巻もあるので、解題の執筆者によって違いますね。編集方針が不統一だと思います。
08-23 13:18
日本の近代文学の研究者が、デリダとかドゥルーズなどの名前を書き並べてやたら難解なことを書くせに、西洋の古典文学や、江戸以前の古典や漢籍はあまり読んでいない(明治開化期文学もあやしい)というのは、ありがちなことですけど。
08-23 12:25
八木書店の徳田秋聲全集第6巻所収の短篇で、西洋の非常に有名な作品の翻案なのに、解題でそのことに全く触れていないものが他にもあります。自明だと思って書かなかったのかな、いやひょっとして気付いてなかったのかも、まさかそんなことは。。。
こういうことは解題にちゃんと明記してほしいです。
08-23 12:16
— Эки ведь злодеи, дураки, — а!
と叫ぶところで終っていて、翻案のアステリスクの後は、秋聲の付け足しであることが判ります。
強盗殺人の主犯が懲役10年というのは妥当なのかなと思い、明治中~末期の判例をいくつか読んでみたら、そんなもんらしいです。
08-23 00:49
『罪へ』の最後は、罪状を白状した半太に向かって金三が「ちよツ! 此畜生!」と叫び、巡査に取囲まれた後、アステリスクがあって、「金三は十年半太は五年、暗い処へ打込まれる身となつた。」で終っています。この「暗い処」の原文も気になりますが、ロシア語原典を確認すると、サラキン(金三)が、
08-23 00:47
ですが、これは1915年刊行なので、«Злодеи»が発表された1901年から、『罪へ』発表の1907年までに先行の英訳が存在しなければ、底本はロシア語からの下訳の可能性があります。また、これも『秋聲集』収録作です。
当作品の底本についての研究をご存じの方は、ご教示ください。
08-23 00:05
@tonton1965 「女史学生」になってます。
08-22 19:42
徳田秋聲『罪へ』は、全集第6巻解題に翻案であることへの言及がなく、別巻著作目録には「ゴルキー原作」とだけあるので、原作名を明記します。
マクシム・ゴーリキー『悪党』(1901年)
Максим Горький, «Злодеи», 1901 г.
英訳名は"Evil-doers"
08-22 19:25
ところで、徳田秋聲『罪へ』の主人公の半太は、原作ではВанюшка(英訳:Vanyushka)、金三はСалакин(英訳:Salakin)なのですが、金三の「きん」はSalakinのkinから取ったんじゃないかと、まあ思いつきですが書いておきます。
08-22 18:51
он видел оскаленное усмешкой чёрное, как у дьявола, лицо угольщика.
(Максим Горький, «Злодеи», 1901 г.)
08-22 18:50
この部分のロシア語原文は以下の通りです。
— Поделись, говорю...
— Я те поделюсь! Это видал?
Перед лицом Салакина качалась гиря на цепочке,
08-22 18:46
翻案では先の引用の直ぐ後に
〈『何言ふだア。これ見ろよ。』と炭焼きは件の鈎を腰から抜いて、突如(いきなり)金三の目前に突つける。〉と続きます。秋聲のイメージが膨らんでくる箇所は付け足して、そうでない部分は省略して、という感じですね。
08-22 17:01
He saw the charcoal-burner's face, black as the devil's, and twisted by his smirk.
となっていて、最後の"twisted by his smirk"が「憎体らしく~」以降の文に相当するようです。
08-22 15:06
英訳では
"I say, share your money"
"I'll share you! Did you see this?"
Before Salakin's eyes dangled the weight hanging at the end of the chain.
08-22 15:05
〈『財布の金寄越せつてことよ。』と金三は憎体らしく顎を突出して、弥蔵を極込んでゐた左の肩を聳かす。〉
徳田秋聲『罪へ』(「家庭文芸」明治40年3月)より。
この作品はゴーリキーの翻案なのですが、「弥蔵をきめこむ」が原作の英訳でどのように表現されているか調べてみました。
08-22 14:43
熊野神社の前で人を待ってたら、背中のぱっくり開いた白のワンピースを着た、スペイン語を喋るおばさんが男連れで歩いて来て、肩甲骨下端の背骨あたりに「文塞」と彫られた入墨が見えたのですが、そこから下は服に隠れて判らない。「塞」は下の部分が隠れていたので「寒」かも。何が書いてるんだろ。
08-21 19:39
Helen Aldrich De Kroyft(1818–1915,先日からここで言及している徳田秋聲『目なし児』の原作者)の名前の読み方は、ヘレン・アルドリッチ・デクロイフトでいいのかな。
08-21 16:18
ふむふむ。
https://t.co/UcFFU0HTtc
https://t.co/9zvFINb7zw
08-20 23:02
https://t.co/7lLaUWF3RK
去年の4月に『天皇制の隠語』が出たときに「新刊の拙著」と呟いてますけど、「猫飛ニャン助」というアカウントが絓秀実ご本人のじゃないということでしょうか。
08-20 20:45
@zinofrancescatt 私も明治時代の呼吸器を検索していて、たまたま行き着いたのですが、「おくすり博物館(tpa-kitatama.jp/museum/index.h…) 」が素晴らしいですね。
08-20 20:07
Google 翻訳(translate.google.co.jp )に The Purloined Letter と入れると「盗まレター」と和訳されることに気付きました。これは多分わざとだと思う。
08-20 00:54
〈「あらまあ、私の乳房は小さいわ!」
(中略)
「見せびらかしがおわると、わたしたちはめいめい、三人の友だちよりも乳房が大きいとひそかな優越感をいだきながら胸衣をしめた。〉
コレット『パリのクローディーヌ』望月芳郎訳
https://t.co/H2bdKbdkL3
ふん。
08-20 00:53
英訳は、
Émile Zola "Stories for Ninon" trans. by Ernest Alfred Vizetelly, New York : G.H. Richmond, 1898. 所収の "Ballprogram"のⅡです。底本はおそらくこれでしょう。
08-19 12:06
徳田秋聲の翻訳『舞蹈番号』(「活文壇」明治32年11月)は、徳田秋聲全集第26巻解題に〈「秋聲訳」とあるだけで、原作・原作者に関する記載はない。〉と書かれていて、原典不詳扱いですが、原作は、Émile Zola « Le carnet dance» (1864) のⅡです。
08-19 12:04
Иван Тургенев «Жид» の英訳は、
"The Jew, and other stories" by Ivan Sergeevich Turgenev, trans. by Constance Garnett, London, W. Heinemann, 1899.
08-18 23:01
徳田秋聲の翻訳『滞陣記』(「青年」明治40年1月)は、徳田秋聲全集第26巻解題に原作名が明記していませんが、Иван Тургеневの«Жид»(1846)が原作です。初出に(上)と記載があり、解題に「続きが存在する可能性がある」と指摘されている通り、原作の前半のみの翻訳です。
08-18 20:39
@naonao200170 やっぱりそうでしたか。続きはリアルタイムでは拝見できませんが、楽しみにしています。
08-18 19:27
これじゃないかしら。
https://t.co/BWJi1av5uk
http://t.co/rZNGTvc5h4
08-18 19:22
ここでいう呼吸器は、レスピラートルともいわれた黒いマスクのことです。
「北多摩薬剤師会 おくすり博物館 美人印のかぜ薬」
http://t.co/SKS0vio9Ow
の「呼吸器広告」によると、外側は黒いビロード状で、内側に金属板、金線、木炭などが付いていたようです。
08-18 12:59
「其の面の色の玉の如く真白なるに、麗しき血色を帯びたるが、半ば帽子に蔽はれ、半ば呼吸器に鎖されて、纔に目と鼻との辺を見したり」
「膝掛を脱すをも待たず翩然と下立ちしは、彼の呼吸器掛けたる若き紳士なり」
徳田秋聲『風前虹』(「読売新聞」明治31年12月連載)より。
08-18 12:52
А. П. Чехов «Моя жизнь» の主人公の名はМисаил(ミサイル)ですが、ローマ字に翻字するとMisailで、当然ですが武器のmissileとは関係ありません。同名の司教、大司教が複数いますし、プーシキンの『ボリス・ゴドゥノフ』にも同名の端役が出てきます。
08-18 01:25
@zinofrancescatt どちらも持出し不可の蔵書っぽいですし、たぶんそうなんでしょうね。
08-17 02:09
@zinofrancescatt この本に写っているのと同じ手のようですね。
https://t.co/wYQMDBbcZI
慶應義塾図書館の職員でしょうか。
08-17 01:58
徳田秋聲がストリンドベリの『痴人の告白』そのものを論評した文章はありませんが、彼の作品は高く評価していましたし、『仮装人物』にわざわざ書名を書きつけたということは、当時の自身の境遇に重なるものを読み取っていたからではないでしょうか。
https://t.co/hFnNYN7T1Q
08-16 23:06
関係ないですが、1642号の「夢結蝶鳥追」本文に、派手に手が写っています。
https://t.co/tIanZJhERS
08-16 22:10
明治27年1月の歌舞伎座にて「島田久兵衛氏のブランドレス膏連は横浜芸妓打交りにて西の下に球燈を掲げ連ねしなど一際目立ちて見受けたり(十八日)」とあります(「歌舞伎新報」1641号、明治27年1月23日)。
https://t.co/L4rJ7T6I8f
08-16 22:10
@niina_noriko ブランドレス膏連のことだと思います。
08-16 14:45
がら、宇治橋から表参道を通って平等院を訪れ、あじろぎの道を遡って花やしき浮舟園で昼食をとり、そこから渡し舟で対岸へ渡って、隧道のような参道を通り興聖寺で躑躅を見物した後、宇治上神社南の宇治発電所を横に見ながら下って、売店で茶の小壺を買い、さらにずっと黄檗にまで足を伸ばしています。
08-16 01:13
今日は、徳田秋聲の『宇治の一日』(大正10年7月)を携行して、彼が歩いた道のりを辿って行きました。関西の風景には何かとけちを付ける秋聲(作中では井村)も、宇治を訪れた際には「これは好いな」と感心して日本外史の宇治川先陣などを思い描きな
http://t.co/bP0XOlLaBq
08-15 22:53
中学生くらいにしか見えない。
http://t.co/Dv6j7doYpv
08-15 19:55
避姙具を買ふマスクより己が聲 石川桂郎
…男の人が避妊具を用意するという点では、ほんとはこっちが相応しい。
08-15 13:13
谷中安規は昭和21年に滝野川のバラックで窮死(餓死といわれる)。
08-15 13:06
英訳がなければ、誰かがドイツ語から下訳したものに秋聲が手を加えたと結論してよさそうなものですが、原作発表から半世紀以上を経て英訳が(翻案も含め)ほんとに一つも無かったのか疑問なのと、『秋聲集』収録作である点が引っ掛かる(ルーズな秋聲ならありうる?)ので、不明としておきます。
08-15 11:31
なんだこれ。
Franz Grillparzer “Kuss”
http://t.co/frSPDIPaHW
08-15 03:15
原子爆彈官許製造工場主母堂推薦附避姙藥 塚本邦雄
ベッドが一つしかないのに女の子が泊まりに来るけど避妊具を用意して置いた方がいいだろうかというツイートを讀んでなぜか聯想した句です他意はありませんそれにしても凄い句です。
08-15 03:13
山を案内してくれた人が用事で先に帰ったので、私は麓の食べ物屋に寄って、今日訪ねた所について書かれている古井由吉の『山躁賦』を読みながら料理を待ちました。料理に箸をつけてしばらくすると、料理人らしい男の人がやって来て、どうぞと言って一品サービスしてくれました。こんなことめずらしい。
08-14 23:59
古いと書かれていて、worldcat.orgでもそれより古い英訳を発見できず、秋聲がどういう手段でこの翻案を捻り出したのか今のところ不明です。丁度1年前に
https://t.co/BcIA9OLcmo
と書込んだ内のグリルパルツァーの英訳云々は取り下げます。
08-14 23:24
す。『老音楽家』は『秋聲集』(易風社、明治41年)の巻末に収められたもので、代作や下訳使用はちょっと考えにくいのですが、英文の研究書を複数確認したところ、原作の英訳は、1906年より後に出版されたAlfred Remyの"The poor Musician" (1914) が最も
08-14 23:17
@tonton1965 すみません。せっかく引用して下さったのですが、誤記があったので取り下げます。
以前もそうご指摘いただきましたが、twilog.org/kameiasami にログが溜まっていくから、それでいいかなあと。
08-14 22:24
出典は『欺かざるの記』ですね。
08-14 18:14
山に登って、気持ちのいい汗をかいてきました。山頂のお社で国木田独歩の標語を発見。
http://t.co/kFKm8Fyv7N
08-14 17:54
尽したものと見えまして、父は私に口を利いてはくれませんでした。何か用事があれば、執事か書生を通して命ずると云ふ始末なんです。」は、原作の邦訳では「この日を境に、父はもう一言も声を掛けてくれなくなりました。父の命令は家の者を通して私に伝えられました。」(岩波文庫36頁)となっていま
08-14 13:07
徳田秋聲『老音楽家』(「文芸倶楽部」明治39年10月)は八木書店版全集には「翻案か」と書かれていますが、グリルパルツァーの『ウィーンの辻音楽師』(Der arme Spielmann, 1848)の翻案であることは、本文を比較すれば明らかです。例えば全集10頁の「然し有繋に愛想を
08-14 13:07
@tsufutei @zinofrancescatt 「ギャボ(はげ)」「ノーベン(試験勉強してないこと)」「ババ(煙草)」「らくる(落第する)」なんかもでしょ。
08-13 03:49
〈私は身を屈めて懷の中へ顏を埋め、湧き出る乳をこんこんと貪り吸つた。そして思はず、
「お母ちやん」
と、甘つたれた声を出した。〉
谷崎潤一郎、同上。
う~ん。。。キツイわ。
08-13 03:37
〈「あんた今でも乳吸うたりお出來るやろか、吸へるのやつたら吸はしたげるえ。」
母は一方の乳房を摑んで、乳首を私の方へ向けた。
「吸へるかどうや試しとおみ。」私は母の膝頭に私の膝頭をぴつたり摺り寄せ、襟を掻き分けて乳首を唇のあはひへ揷し入れた。〉
谷崎潤一郎『夢の浮橋』より。
08-13 03:35
@zinofrancescatt @atsushi_chan 「がめる」は関西のお笑い芸人が使っていたので何となく関西弁かと思っていたのですが、違うようですね。関西(京都ですが)で実際に聞いたのも数回程度です。
08-13 03:24
@zinofrancescatt その人は「私の友達」のことを「私のツレ」と言っていたのに、私はごく一般的な意味に取って「連れの者」かと思ったんです。
08-13 02:57
@atsushi_chan はじめまして。
「ツレ」はやっぱりヤンキー用語ですか。バイト先で「私のツレが云々」と言われたので「ツレって?」訊き返した憶えがあります。「連れ」かと思ったんですよね。
08-13 01:26
徳田秋聲は関西地方とは肌が合わないらしく、褒めている文章はほとんどない。
08-13 00:01
@zinofrancescatt それは失礼いたしました。
08-13 00:00
もっとも、私は関西人なのに、「がめ-る」とか「ツレ(友達という意味での)」なんて言葉は大学に入るまで聞いたこともなかったくらいなので、当てにはなりません。
08-12 23:46
@zinofrancescatt そうなんですか。付属高(慶應?)の人が使っていたとのことですが、どうもあんまり品のいい言葉ではなさそうですね。
「ぶち-る」とも言うようですが、これも私の交友範囲では耳にしない言葉でした。
08-12 23:37
「ぶっちする」は、『現代用語の基礎知識』(自由国民社、平成10年)に「今日の英語ぶっちするから出席カード出しといて」の例文があり、ラノベの類には「学校を午前中でぶっちして」「始業式をぶっち切った」など、学校をさぼる場合の用例が散見されます。
私は使ったことのない言葉です。
08-12 18:43
@tonton1965 たぶんないのでは。
08-12 18:13
「ぶっち-する」の語源が「ぶっちぎる」ですね。語の分割は「打っ-千切る」で「ぶっちぎるような言葉」「ぶっちぎるようにいう」等の言い回しは少くとも戦後の小説に見られます。「打っ-千切り」(大差を付けて勝つこと)は主に競馬用語として多用
https://t.co/R2kE5kFc53
08-12 18:10
綺麗な人やわぁ。
08-12 02:01
Léon François Comerre « Le Clin D'oeil »
http://t.co/eXW6uubiDx
08-12 02:00
@zinofrancescatt 恐れ入ります。そう言って下さるのは稻本さんだけです。
08-11 21:11
のも同じ。何か元の話があったのか、そういうモデルが実在したのか、単に後者が前者の盗作なのかなど、いろいろ考えられますね。たぶん『目なし児』は"The Story of Little Jakey"を他人が下訳したものに徳田秋聲が手を入れた程度の作品だろうとは思いますが、今後の課題。
08-11 20:44
Clara Dotey "Blind Jakey" 1870 と Helen Aldrich De Kroyft "The Story of Little Jakey" 1876 。どちらも盲目の乞児ジャッケイが主人公。前者はスイス、後者はドイツから渡米。そして最後は天に召される
08-11 20:07
「中国文学の泰斗と仰がれた吉川幸次郎は中国語で生活した」(文春写真館)
http://t.co/uEXW3sSPFc
https://t.co/kF9E9cdlQw
08-11 00:52
「眼中の人」によれば、「赤い鳥」発刊を前に鈴木三重吉が喘息で入院したので、小島が編集を担当し、泉鏡花、徳田秋聲らに童話の執筆を依頼したが、原稿が集まらなかったので、三重吉は約束不履行の代償として名を貸すことを彼らに認めさせ、小島に「八人分」(原文ママ)の代作をさせたという。
08-10 23:44
「赤い鳥」大正7年7月創刊号に徳田秋聲の名で掲載された『手づま使(童話)』は小島政二郎の代作で、それを知らない芥川龍之介と久米正雄は、小島の前でこの作品を「うまい」「とても叶わない」と絶賛しました。(小島政二郎「眼中の人」)
08-10 23:25
「秋聲自身が原文を見ず、第三者が翻訳したものを使った場合もあったと思われる。『鐘楼守』は、紅葉の名で刊行されたもので、秋濤が斡旋した翻訳原稿に、もっぱら秋聲が英訳を参照しながら筆を加えたのだが、この英訳を参照する手間を省いた場合も、あったと考えられる。」(松本徹「秋聲の出発期」)
08-10 22:18
Helen Aldrich De Kroyft "The Story of Little Jakey"より、ジャツケイの死。
『目なし児』を徳田秋聲本人が原書から訳出したのかは、少々疑問。秋聲の年少者向け小説には代作の疑いがあります。
http://t.co/q8mlmhVoee
08-09 21:56
気になるのは『目なし児』の原典"The Story of Little Jakey"が出る6年前に
Clara Dotey "Blind Jakey", Warren & Blakeslee, Boston, 1870
という作品があり、主人公の名が同じで筋書も似ていること。
08-09 18:23
ze voman come dare; and ce pull Meme, and ce tell her go avay.
とあるだけで、「お多福」は翻訳者の敷衍だったようです。
08-09 18:09
ところで、徳田秋聲記念館《寸々語》では、『目なし児』十四で「彼方へ行きやがれつ此のお多福!」と訳されている箇所が原典でどうなっているのか気になると書かれていますが、該当する原書73頁には幼児語で
08-09 18:06
が原作です。原典を確認しましたが、細部まで一致するので確実でしょう。徳田秋聲記念館《寸々語》(2013.9.18)に「原作にピンと来た方、是非ともご教示ねがいます。」とありましたのでここに書いておきます。
08-09 17:05
徳田秋聲訳『目なし児』(読売新聞社、明治38年)
『秋聲少年少女小説集』解題では原典不明とありますが
"The Story of Little Jakey" by Helen Aldrich De Kroyft. Huro and Houghton, New York, 1876
08-09 16:51
@zinofrancescatt 女の子は真面目そうに見えましたし、男子もチャラチャラした感じではなかったですね。女子が弧の字に曲げた両手を目に当てて泣くふりをすると、男の子が背中をさすってあげたりして、二人だけの世界に入ってました。
08-09 11:40
繋がらない母は頑として許そうとしない、という内容の短篇。表題の「非売品」とは、習作であって一般に供する作品ではない、という意味でしょうか。
恐しい形相の肖像画がたくさん掛かっている、乱脈に散らかった画室で、兄が妹の肖像を鬼のような面相に書き上げた、という絢子の夢の話は印象的です。
08-09 01:46
徳田秋聲作、尾崎紅葉補作『非売品』(「学窓余談」明治31年10月)名誉ある軍人の家に何不自由なく育った絢子は、父の戦死後、邸宅を引き払い母と女中とで慎ましく暮らしている。絢子は父の意に背いて画業を志し勘当された異腹の兄の身の上を案じ、戻って家を継いで貰いたいのですが、兄と血の
08-09 00:34
秋聲の『仮装人物』は何度も読んでいますが、「お茶もらひ」(五章)「お茶貰ひ」(六章)の語は読み過していました。
08-08 23:59
「茶もらい。後妻。継母。語源ははっきりしないが、婚期を逸したり嫁のもらい手もなくて、他家の後妻に入ってお茶をもらうしかないような女性への同情と、一方にはそういう女への多少の皮肉や軽蔑をこめて言った名称と思われる。」(佐藤雪雄『庄内方言辞典』東京堂出版、平成4年)
08-07 23:35
帰りの電車で、隣に座っていた高校生くらいのリア充な男女の睦言にあてられた。夏休みで開放的になってるんかな、そこまでイチャつくかと言う感じ。女の子の肘がなにかのはずみで私のバッグにぶつかったりして(すぐ私の顔を見てペコンと頭を下げた)、読んでた本が全く頭に入りませんでした。
08-07 23:04
RT @Hans_gor: 。。。先生のところのお茶貰いになぞなりたくはありません。」と葉子の決まり文句。なお、お茶貰いは東北弁だそうです。意味は後妻または継母。徳田秋声の仮装人物から。
08-07 22:34
炎天下で、自分の汗に濡れた体がどんより自足する感じになってきた。
08-06 15:55
夏目漱石『坊つちやん』のハンガリー語訳 Nacume Szószeki “A Kölyök”の表紙が歌川広重の《盆踊り》というのも、なんだかよくわかりません。
http://t.co/GHIsISYIu1
08-05 21:30
作家の阿川弘之さん死去
http://t.co/li1vwyE4Dt
「作家で文化勲章受章者の阿川弘之(あがわ・ひろゆき)さんが死去したことが5日、分かった。94歳。」
08-05 20:49
「レッシングの敵は殺されたので不滅となった。(中略)クロッツなどは今では誰にも知られないはずである。レッシングはこの古代研究家に大石の塊を投げつけて、押潰してしまったが、その大石の塊が今ではこの哀れな古代研究家の不滅の記念碑となっている。」
ハイネ『ドイツ古典哲学の本質』伊東勉訳
08-05 16:30
「斜め」「一回転」の他に
Zerg Rush
blink html
a baker's dozen
once in a blue moon
人生、宇宙、すべての答え
等をGoogle検索して面白い結果が得られることは結構知られてます
https://t.co/5fTXgd2bCF
08-05 16:27
ここでボロクソに貶されている惟中の句は(丸括弧内は典拠)
鱠の酢三日かけて以前より (←蓴鱸聊以寄吾思)
評判の張翰爰ぢやはゝゝ
お宿にか陶淵明で御座りまする
申兼たれども雲無心あり (←雲無心以出岫)
手本一つ二つ三つ飛ぶ村鴉 (←鳥倦飛而知還)
下らないけどちょっと笑える
08-04 00:36
随流中島源左衛門「誹諧猿黐」読書中。談林に属するものはことごとく坊主憎けりゃ袈裟までとばかりに、枝葉末節、微に入り細に入り罵詈雑言が果てしなく続きます。
日国を引いていたら、「あほうげる」はこの箇所から引例されていました。
08-03 22:37
「その序文のことば書を見るに仮名かきの文法をもしらず置字をだにもならはずしてあて字数多(あまた)書ならべめくら蛇人に不恐(おそれず)井蛙に誇り彫虫小技自ら是と非を不覚(おぼえず)」
「いかに誹言なればとてかゝるあほうげたる句作り腹筋(はらすぢ)也定て自身は利口いふとおもうべし」
08-03 22:28
「いつの年であつたか、よく晴れた晩秋の日の午後、京阪電車の八幡でおりた私は、淀川の堤に沿つて橋本の方へ歩いて行つた。(中略)橋本に入ると娼家がずつと並んで、二階の手すりに赤い模様の着物がかけてあつたりした。」
潁原退蔵「淀川一覧」
http://t.co/GD32hYjILB
08-03 22:07
「私の苦手は数学と、数学の必要な必要な化学とで、其の他の科目、殊にも英語と漢文は勉強する必要もなかつた。」
徳田秋聲『思ひ出るまゝ』より。
英語力にはかなり自信があったようで、「その方だつたら一寸一頭地を抜いたかもしれぬ」とも言っています。
08-03 00:16
斎藤徳元「誹諧初学抄」
https://t.co/Dd70DRL6qa
を読んでいたら、手が写ってます。
08-02 01:03
今日の京都市内は、私にとってギリギリに露出度の高い服装でも、耐え難い暑さでした。
黒紋付に日本髪の舞妓さん芸妓さんは、さぞたいへんだったことでしょう。本来、旧暦の八朔は早稲の穂が実るころ、新暦の9月上旬にあたるんですけどね。
08-02 00:06
酷暑となった1日、各地で伝統行事が行われました。(FNNニュース)
http://t.co/ZpSlGOIX7J
京都の祇園で「八朔」と滋賀では「さお飛び神事」(MBSニュース)
http://t.co/f8tWKhuiSv
08-02 00:04
もともとショートカットですが、暑いのでさらに短くしてきました。帰ってアイスクリーム食べながらテレビ見てたら、また島田雅彦が旅番組のリポーターで出演していて笑ってしまった。
08-01 22:56
小林政子がホーソンの『緋文字』を読んで、「ホーソンはとても面白いですね、ポーはつまらないけど」と言うと、秋聲はニコニコしながら相槌を打った。ところが彼女が席を外すと、彼は座を正して掌を返すように「ホーソンなど通俗作家ですよ。ポーはやはりいい」と臆面もなく言ってのけたそうです。
07-31 00:08
この『楓の下蔭』や先日触れた『霊泉』をはじめ、初期の徳田秋聲にはホーソンの翻案・翻訳が幾つもあります。若い頃はともかく、後年の彼はホーソンをどう見做していたんでしょう。榊山雪「馬込文士村の人々と私」(『季刊 わが町あれこれ』14号、平成9年7月)によれば、徳田家に入っていた頃の
07-31 00:06
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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