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徳田秋聲 (徳田秋声) の文学を中心につぶやきます。
― 亀井麻美 (@kameiasami) · Xより転載 ―

亀井麻美 : 2017/12/28のツイートまとめ

kameiasami

【青鉛筆】
「その記事が或新聞の風聞録とか青鉛筆とかいつたやうな、雑報以外の断片的記事として、愛嬌たつぷりな記者の筆にかゝつた」
徳田秋聲『闇の花』「興奮」その一(大正10年1月)。
調べてみると、最初の青鉛筆(時事コラム)は大正5年3月29日から東京朝日新聞で連載が始まったとのこと。
12-28 12:45

https://t.co/kao6w7v4QH
12-28 06:12

  1. 2017/12/29(金) 04:16:56|
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亀井麻美 : 2017/12/27のツイートまとめ

kameiasami

明治製菓「明治紅茶」広告。昭和9年。宝塚少女歌劇スター、小夜福子さん。
ステキ💓
https://t.co/9EgbeeQkEa
12-27 23:02

刀剣鑑定書『刀劔目利書』(1618)・『太見記』(1640)に見られる国字。[冫ヱ](にえ)、[ヤキハ](焼刃。仮名合字)、[カ田ナ](かたな。合字)など。
笹原宏之『日本の漢字』(岩波新書、2006)
https://t.co/FuA479JazF
12-27 12:51

  1. 2017/12/28(木) 04:19:44|
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亀井麻美 : 2017/12/26のツイートまとめ

kameiasami

愛、それは甘く~
(タラララ~)
愛、それは強く~
(タラララ~)
愛、それは尊く~
(タラララ~)
愛、それは気高く~
愛、愛、愛~い~~、
(ドドドドド~)
あ~あ~愛あれ~ばこそ~🎵
(*^^*)
#さっきまで口ずさんでいた曲
12-26 22:00

@kayanoyasan これの2枚目も面白いですね。お酒の銘柄が「木天蓼」(^^;)
https://t.co/kcMKf2y6aB
漢字や崩し字が変なのは、猫が書いてるからってことでしょうか
12-26 13:34

@kayanoyasan Kazuaki Horitomo Kitamura "Monmon Cats" (*^_^*)
12-26 13:16

  1. 2017/12/27(水) 04:16:14|
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亀井麻美 : 2017/12/25のツイートまとめ

kameiasami

パルスプラザに来てます💑
綺麗やわ✨
https://t.co/iHnqFPZT39
12-25 21:13

@ebaranakanobu81 メドゥーサの首を持つペルセウスもどうぞ加えて下さい。
12-25 15:53

と一穂氏の指さす床の間には一尺位の高さに積んであつた。〉
前垣内照子「徳田秋声」三、遺族及遺跡(「学苑」148号、昭和28年6月)より。
殿田氏は、殿田良作か。
12-25 15:48

【徳田秋声の日記】
〈考証家殿田氏は、「日誌は克明につけておられた様だ、山の上町の太田さんの家で計らずも見たのであるが、柔い皮表紙の大学ノートの様な罫の引いた日誌帳だつた。」と言われたが、徳田家を訪ねた時も「日記はこれですが、まだ目を通してないので、誰にも見せてありません。」
12-25 15:47

物吉の御短刀ハ、味方ヶ原の時、[石舌]〔つか?〕ニ公の御手懸られしに鞘つまり不抜、夫故御物吉と云とそ(ぞ)。
12-25 15:44

三方原の戦で家康が(進退窮まって自害しようと)短刀の柄に手をかけたが鞘づまりして抜けなかった。それ故「御物吉」と呼ぶようになった、という意味とすれば[石舌]は「つか」と読むのでは。
出典は『名古屋叢書』三編第9巻ですかね。
https://t.co/P25DQAcpDe
12-25 15:44

横関愛造「徳田秋声 大いなる文学的遺産」(『思い出の作家たち』法政大学出版局、昭和31年)より。
野口冨士男が和田芳恵との対談で(『徳田秋聲ノート』)、「先生書いているけど、一穂さんに理科系の学校へ入って科学者になってもらいたかったんでしょう」と発言してるのは、このことかしら。
12-25 13:05

と、前置きして関忠果(改造社出版部長)君の話だが、あるとき、徳田さんがしみじみとした口調で、
「君、困ったよ、一穂のやつめ小説を書いているんだ、わしはあいつは科学者にしたかったんだ、工学系統に進ませたいと思っていたんだが……」と大きく歎息したというのである。〉
12-25 12:51

に対しては、特に目をかけていた。「葛西をまねろ」という言葉は、弟子たちがおりおり聞かされたものである。その葛西が死んだと聞いたとき、“葛西の前に葛西なく、葛西の後に葛西なし”と長大息したことは、あまりにも有名な話である。〉
〈「いつのころであったか、年月ははっきり記憶していないが」
12-25 12:50

〈「近松(秋江)の愚痴と、岩野(泡鳴)の談論風発は閉口だね。おこったってはじまらんと思うのは正宗(白鳥)の話しっぷりだ。さればといって、いつでも肩のこるような島崎(藤村)の話しっぷりも難物だ」
いつだったかこんなことを話して笑っていたことがある。〉
〈多くの門下生のなかで、葛西善蔵
12-25 12:49

  1. 2017/12/26(火) 04:15:54|
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亀井麻美 : 2017/12/24のツイートまとめ

kameiasami

雨降りだから家でケーキと、七面鳥とかクリスマスっぽいささやかな夕食を食べて、4千円のケーキと2千円の七面鳥がうたかたのように……消えてなくて半分残してます😁 美味しかった😋
それから、私はこのワインしか飲めないのです。
https://t.co/pibUHGMnXw
12-24 23:24

恋人さんが、今年のクリスマス・イヴは彼女と一緒だってTwitterしてたから、今年だけじゃないよ、これからずっとだよって言ってあげた💑
12-24 22:45

一年前はこんなイヴの朝を迎えられるとは思っていませんでした💑
12-24 07:39

  1. 2017/12/25(月) 04:15:56|
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亀井麻美 : 2017/12/23のツイートまとめ

kameiasami

イヴの前日に聴いた曲。
Ein feste Burg ist unser Gott(われらが神は堅き砦)
Musik der Reformation (宗教改革の音楽集)
ハンス・グリュス指揮、カペラ・フィディチニア
ドレスデン聖十字架合唱団員
Berlin Classics 0091192BC
https://t.co/SpaWy37wCL
12-23 22:17

これが徳田秋聲記念館ブログ「寸々語」で謳い上げられた Syuusei -シュウセイ2017 ですか。。。(Sold out)
https://t.co/y7R3Ic4HGV
おいしそう😋
12-23 21:43

@redmarine754 この「なり」はある場所に存在していることを表す助動詞、「べし」は推量の助動詞、「か」は疑問を表す終助詞です。したがって「所ナルベキカ」は「所であろうか」の意味になります。
12-23 21:42

@tonton1965 もうちょっと年嵩かも知れません。ちょっとわからないですね。
12-23 18:29

徳田秋聲は明治4年12月23日、または1872年2月1日に生まれたということで、今日は生誕記念日ですね。
12-23 18:22

@tonton1965 平成に入ってからの肩書は、十文字隆行、千葉県立柏北高等学校教諭、とありますね。昭和57~61年頃の「日本文学論集」掲載論文をみると、大東文化大学大学院の前期・後記課程に在学していたようです。
12-23 18:16

恋人さんが (*^^*)
12-23 01:11

  1. 2017/12/24(日) 04:15:35|
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亀井麻美 : 2017/12/22のツイートまとめ

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は、宮城県遠田郡涌谷町立町。かつて涌谷城があり、亘理氏の拠点の一つでした。
もとより亘理姓の多い土地ですが、河野二郎編『帝国医鑑』第1編(旭興信所、明治43年5月)には亘理祐次郎、宮城県平民とあり士族ではないようで、涌谷伊達氏の流れを汲む家の出か如何かまではわかりません。
12-22 23:37

造成地で見つかった白骨遺体、“死亡推定”は14~16世紀の室町時代…宮城県亘理町
https://t.co/NVy2dJWAnh
宮城県亘理郡亘理町は武家・亘理氏の本貫。亘理といえば、徳田秋聲の『死に親しむ』(「改造」昭和8年10月)ほか幾つかの作品に登場する渡瀬ドクトルの本名。その亘理医師(亘理祐次郎)の原籍
12-22 23:16

わたくしの乳房は、バカの目には見えないのよ、といって虚乳(ないちち)を晒して練り歩く王女様の話? なんのこっちゃ(^^;
12-22 22:20

この写真を撮ってる時に、髪を金髪に染めた(というより、髪を金粉で固めたような)20才くらいのおねいさんが、京大の正門に入っていったんやけど、メイクも歌手みたいで、ちょっとカッコよかった(*^^*)
12-22 22:17

《思いをご自由にお書き下さい。(警察と当局は書けません)》
「彼女ほしい」
「俺もほしい.今度彼女募集のタテカンをつくろう」
「京大は彼女を支給せよ」
笑うわ (^_^;)
https://t.co/OLP9mT0dDd
12-22 16:58

Twitterしてると変なことばかり教わります(^^;)
https://t.co/CYGahpiyXf
(東浩紀さんが引用RTなさってたので…)
Amazonで5820円もするねんや👀 需要あるのね😅
12-22 14:27

「漣子は羽織をぬいで、急いで台所へ出て見た。そして何か材料があるならばと、戸棚を捜して見たが、味噌や醤油、味の素などがあるだけだつた」
徳田秋聲『闇の花』「新世帯」その四(大正9年11月掲載)。
味の素って古いのね。明治42年5月20日、中瓶30瓦50錢で発売ですって。
12-22 12:10

今日採血してくれた看護師さんは上手でよかった😃
若くて綺麗な看護師さん😊
二層のチーズケーキ美味しかった😋🍴💕(採血後)
https://t.co/g6WKNa7gcx
12-22 11:55

  1. 2017/12/23(土) 04:15:32|
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亀井麻美 : 2017/12/21のツイートまとめ

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「早よ食べや いつまで写真 撮ってんねん」(NAMBAなんなん大阪弁川柳コンテスト 大賞受賞作)ほんまそれな (^^;
12-21 17:19

《璇璣圖》「前秦の宝滔の妻、蘇氏が嫉妬のため、夫に棄てられたのを後悔し、錦を織って回文詩「旋璣図の詩」を作り、夫は、その妙絶に感じて、再び妻を迎えたという故事(晋書・烈女伝)」による(市木武雄編『梅花無尽蔵注釈』第2巻、八木書店 1993年、255頁)。#回文の日 https://t.co/ADwLCyk6Ic
12-21 16:02

金魚からの、蜜のあはれ#室生犀星 https://t.co/hRiW7UMoif
12-21 12:45

@kayanoyasan 岡田以蔵さんからの手紙にこんなことが書いてあったら。。。
12-21 01:17

江藤淳の慶子夫人宛書簡より。昭和38年8月6日。「君を抱いて、ナメまわしたい」なんて手紙を読んで、女が喜ぶと思ってます?😅ドストエフスキーが2度目の妻アンナに似たような手紙を何通も書いてますが、直接的な表現は奥さんが抹消しちゃいました。 https://t.co/31QwWFo0oU
12-21 00:45

(テノール独唱)が終わって、グレートヒェンの懺悔する女の辺りまで、ずっと涙腺が緩みがちになります(歌詞との相乗効果で。児童合唱もあるし。やっぱり声楽はずるい😢)。
12-21 00:23

  1. 2017/12/22(金) 04:15:24|
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亀井麻美 : 2017/12/20のツイートまとめ

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後半、第1楽章の回想の後で第2主題が高らかに再現される件りでほんとに泣いてしまうことも。
DVDを見ると、演奏が終わると物凄いブラヴォーの嵐のなか、みんな立ち上がって拍手しています。私だってもしその場にいたら思わず立ち上がるよね。
DVDの2枚目の第8交響曲は、第2部の「マリア崇敬の博士」
12-20 22:49

マーラーはテンシュテットの演奏が好き。とくにシカゴ交響楽団との第1交響曲。第4楽章冒頭の嵐の昂揚が静まって、嬰ハ長調の第2主題(166小節~)に入り、胸を焦がす甘美な旋律が息の長いうねりとなって盛り上がってくると、涙が溢れそうになります。
https://t.co/lsvVN5mRmD
12-20 22:26

@niina_noriko ここに載ってる人たちは皆重複しているようですね。
『西岡風雅』
【作者】:
https://t.co/H4sb6ZqEvj
12-20 16:06

徳田秋聲『闇の花』に春秋書院という架空の出版社が出てきますが、実は同時期に同名の出版社が東京市神田区に実在しました。代表的な出版物は服部宇之吉編『大漢和辞典』(大正14年12月)。石川啄木の歌友だった大島流人が、農商務省などを務めた後、春秋書院に入社し該書の編集主任を務めたそうです。
12-20 15:02

  1. 2017/12/21(木) 04:17:16|
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亀井麻美 : 2017/12/19のツイートまとめ

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日本ってすごい(笑)
https://t.co/I6IEdBhYG3
12-19 23:10

『フアラアといふのは、顔が余り好くないので、活動へ出てから悉皆人気を落したといふぢやないか。〉
徳田秋聲『闇の花』「買い物」その二。
ジェラルディン・ファラー(Geraldine Farrar, 1882-1967)は美貌だと思いますけど…
小説の登場人物の噂話ですが、実際は長男一穂あたりからの聞き齧りかも。
12-19 17:59

〈『今世界で一番上手な歌劇役者は誰なの。』
『やつぱりカルソーとかフアラアとか云つた人でせう。』漣子は為方なしに応へた。
『そのうち孰(どつち)がいゝのさ。』
『蓄音機ぢやね。孰だか実際聞いたことがないから判らないけれど多分カルソーの方でせうよ。』などゝ姉は応へてゐた。(中略)
12-19 17:24

〈そして彼女は別の窓際へ顔を出して、微声でボツカチオを歌つてゐる市造の方を見て、
『市ちやん煩い、ゝゝ、お止しなさいよ。』〉
徳田秋聲『闇の花』「買い物」その二。ズッペのオペレッタ《ボッカチオ》は浅草オペラの定番ですが、市造は「ベアトリ姐ちゃん」とか口ずさんでいたのでしょうか。
12-19 17:16

【おしやぶり】
「木製のもの多く、その中間の所を笛と為す。幼児が一端を含みて之を吹けば音を発し得るものとす、当歳迄の幼児の用ゆる所にして、足利時代の末期より起りしと思はる」
児童用品研究会編『日本玩具集解説』(芸艸堂、大正6年)
12-19 16:59

@kayanoyasan 見守られていましたか(^^;)
哺乳瓶専用の飲み口は、商品名も「ピジョン乳首」とかですよね。
おかげさまで、哺乳瓶の歴史(「乳母いらず」「哺乳器」)にも少し詳しくなりました。
12-19 16:57

「〔ピジョンの〕創業者の仲田祐一氏は、赤ちゃんが母乳を飲むときと同じように飲める哺乳びん用の乳首を開発するため、 出産経験のある1000人近い女性の乳首を自ら実際に吸ったというエピソードを持つ人物」なのだとか。
ふーん😅
酒井光雄、武田雅之『成功事例に学ぶマーケティング戦略の教科書』
12-19 12:49

日国にもちゃんと「〔乳首〕の形に似せて作った育児用の器具。赤んぼうにしゃぶらせておく乳形の物」と書いてありますものね。
石原喜久太郎『新編家庭衛生』(博文館、明治41年3月)の「おしやぶり」の項には、「擬乳頭(おしやぶり)」とルビが振ってあります。
https://t.co/DBrWtnE8uw
12-19 12:42

あーっ、たぶんおしゃぶりのことだ!
https://t.co/1pNhP0d2Vq
写真は、おしゃぶりを銜えている徳田百合子(近松秋江長女)。生乳首に囚われすぎていました(^_^;)
恥ずかしい誤読ですが、先のツイートは消さないでおきますね。
12-19 12:06

@HideX156Cap あ、おしゃぶりですね(^^;)
12-19 12:03

「それからベッドにはいり、トンのことを思い、トンのオッパイやあそこを思い出しながら、自分でする。トンしかパウには愛している女はいないよ。トンのいない東京なんか(以下略)」
江藤淳の慶子夫人宛書簡より。昭和38年8月6日。パウは江藤、トンは慶子夫人。略しますが、結語もすごいです😅
https://t.co/T184RZr5sS
12-19 01:08

今夜の寝床読書です。小谷野敦『江藤淳と大江健三郎』(筑摩書房)、スタニスワフ・レム『ソラリス』(沼野充義 訳、国書刊行会)、「新潮45」2018年1月号。「新潮45」の江藤淳の慶子夫人宛書簡には2人で大笑いしました(ごめんなさい😅)
https://t.co/kZ5xieHV46
12-19 00:48

  1. 2017/12/20(水) 04:15:44|
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亀井麻美 : 2017/12/18のツイートまとめ

kameiasami

処女は「白紙」なの?
(徳田秋聲『闇の花』「裂かれてから」その3)
https://t.co/FAUhh0OsVp
12-18 22:58

「女も附穂がなくてまじゝゞと黙つて莨をふかしてゐた」(徳田秋聲『路傍の花』「舞台の人」(七))
「庸太郎も附穂もなかつた」(同『闇の花』「共鳴」その五)
「附穂なし(つきほなし)」は、話しかける糸口がない、寄りつくべき手がかりがないこと。
12-18 22:48

大正9年の大卒初任給は約40円でした。「ヴエスト、オートグラフ井ツク、コダツク」 1吋5/8 2吋半判フイルム専用機の最小オプションで26円といえば、その6割半ですね。今の大卒初任給約19.5万円で換算すると12~13万円程度ですから、今のちょっといいカメラの値段くらいでしょうか。
12-18 22:46

「写真機械もコダツクの贅沢なものをもつてゐた」(徳田秋聲『闇の花』「買ひもの」その二)
この回の雑誌掲載は大正9年(1920年)10月です。
ベスト写真協会編『写真の撮り方』(教文書院、大正9年11月)より、当時日本で販売されていたコダック写真機の一例。
https://t.co/kl9DJjzSZr
12-18 22:28

それとも咲子さん(18歳)は、坐って床まで届くほど乳房が垂れていたとか😅
でも仮に③だとして、大正時代にはこういう授乳方法を何て呼んでたんでしょうね。
ちなみに私は、②は不可能としても、①③だったら、ちょっとしんどい姿勢になりますが、頑張れば何とかなりそうです😓
12-18 17:46

ラグビーボールを抱くように授乳するしかないでしょうが、前後を読んだ限りでは、座敷に普通に坐っているとしか思えないんですよね。博士と鰻屋の座敷にいることを考え合わせれば③でしょうか。
添い乳:
https://t.co/DhABF4dKwH
ラグビー抱き:
https://t.co/9z93xswBCP
12-18 17:29

「子供は乳首を含ませられながら、側で座蒲団の上に臥かされてあつた。そして足をばたゞゝさせてゐた」(徳田秋聲『闇の花』「寂しき家」その五)
傍の座蒲団の上に寝かせた赤ちゃんにお乳を含ませるには、①母親が横に寝そべるか(添い乳)、②上から覆い被さるようにするか、③座布団を高く重ねて
12-18 17:28

  1. 2017/12/19(火) 04:16:17|
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亀井麻美 : 2017/12/15のツイートまとめ

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(イーストウッドが新しい相棒の絞首刑の縄を撃って助けようとするのを、元相棒が背後から顔に銃口を突きつけて邪魔する)
「撃たせろよ」(イーストウッド)
「ダメ」(元相棒)
(新しい相棒が絞首刑になる。それを見て)
「すまねえな」(イーストウッド)← 笑
《続・夕陽のガンマン》
#備忘録
12-15 19:47

徳田秋聲日記昭和14年7月15日条末尾に〈芹沢氏の「愛と死の書」、「源氏物語」六、七巻とゞく〉とありますが、前者は芹沢光治良『愛と死の書』(小山書店、昭和14年7月)で間違いないとして、後者は谷崎潤一郎訳の巻六(中央公論社、昭和14年6月8日発行)と巻七(7月10日発行)ってことでいいのかな?
12-15 17:46

@tonton1965 私は勝手に山師みたいに思っていました (^_^;)
12-15 17:34

安岡正篤に心服している鶴田兼堂が徳田秋聲宅を来訪した時、秋聲の愛人の小林政子がお弁当を取ったりしてサービスしたのは、「今度安岡正篤氏宅へ、例の星占を見てもらふ」ため、と前述の秋聲日記(昭和14年7月15日条)にありますが、安岡は戦前から占星術師みたいなことしてたんでしょうか。
12-15 17:32

河原町丸太町付近で事故車(市バス)が停まっていました(車内に血が飛び散ってました😵)。烏丸丸太町から河原町丸太町まで交通規制がかかってます。
12-15 17:26

ドイツ滞在中には安岡の希望でナチス副総統ルドルフ・ヘスと会談しています。
秋聲はさらに続けて、
「天下の志士〔兼堂〕ともあらうものが、この人〔安岡〕に心服してゐるのは少し可笑しいし、かういふ男が要路の人達のあひだを泳ぎまはつてゐるのは愈〻可笑しい」
ともう憤懣やるかたない感じです。
12-15 12:55

  1. 2017/12/16(土) 04:16:17|
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亀井麻美 : 2017/12/14のツイートまとめ

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欧米を見学して来たのだが、法螺吹の鶴田君に師事してゐるやうな男だから頭のほどはどうせ知れたものである。著述も見たが、古い美術家で、内容はない。かゝる人を欧米へ派遣したところで、曇つた眼に何が見えるのだらうか」と、散々ですね。
なお安岡正篤が渡欧したのは昭和13年12月から翌7月で、
12-14 23:47

徳田秋聲に『漢詩読本』を寄贈した安岡正篤のことをのちに秋聲がどんなふうに言ってるかというと…
昭和14年7月11日の日記によると、鶴田久作(兼堂)が二女のお婿さん候補を占って貰うとかで、安岡正篤宅を訪れた。「安岡氏の帰朝談が都新聞に出てゐたとかである。この人は政治筋から三万円もらつて、
12-14 23:41

夕ご飯作りながらチラチラ観ていた水戸黄門第13部「復讐 化け猫騒動」で、東野英治郎の黄門様が真剣白刃取りをして悪者の家老?を横へ薙ぎ倒したのにはびっくり。
スターウォーズep3でヨーダが物凄く強いのを見た時くらいの驚き👀‼
(ところで花見小路は新居から歩いて直ぐのところにあります💑)
12-14 19:27

「『貴方が若し咲子さんを愛していらつしつて、その上に父の秘密をそつとしておきたいのなら、咲子さんの前途について、もつと何とか考へて上げても可い筈だと思ひますわ。』文代は大胆に踏込んで言つた」
徳田秋聲『闇の花』「寂しき家」その一。
そうよ、そう、よく言ってくれました!
12-14 17:24

この詩を読み、「何かモンテエヌの感想文でも読むやうで、老年の心境にぴつたり来るものを感」じたとのこと。
漢詩読本の多くの作品の中で特に黄庭堅(黄山谷)の詩に心惹かれたのは、前々からその詩文に親しんでいたからってことかしら。
https://t.co/2sk2nhnt0L
12-14 17:21

ずっと以前にも言及しましたが、徳田秋聲は、昭和12年の「灰皿」という文章(非凡閣版秋聲全集別巻所収、昭和12年11月)で、黄庭堅(黄山谷)の「老色日上面、歓悰日去心、今既不如昔、後当不如今」という詩について語っています。秋聲は安岡正篤から寄贈された『漢詩読本』(日本評論社、昭和11年)で
12-14 17:19

@knulpgohan 恥ずかしいンゴ😅
12-14 07:43

@davu0628 いいえ、跋とは書物の最後に附ける文のことですので、後記と同じ意味です。改版の跋文には書いてなかったのですね。
12-14 07:42

《ダンサーと菊池寛氏》
〈菊池寛先生はダンスを初(ママ)めてから、やつと一年ばかりなので、踊りにゆけばダンサーが先生になつてリードするが、今日は五百名のダンサーを集めて、「清らかな恋愛に生きる女性の幸福」を一時間にわたつて講演した。〉 (「日の出」昭和12年2月)
https://t.co/Hd15YUMVWi
12-14 06:17

おはようンゴ (^^;
12-14 06:11

18時過ぎに帰宅、すぐに夕ごはんの準備、19時から食事、20時から後片付け、それからお風呂。寒いから21時過ぎにベッドインして22時頃に寝て1時過ぎに目が覚めました😪
寝る前に、しりとりして私が負けたので、語尾に「ンゴ」って付ける呪いをかけられました😓
12-14 02:24

「士大夫三日不讀書」云々は、北宋の黄庭堅の言として、石川淳が随筆「面貌について」の冒頭に引いていましたね(『夷斎筆談』所収)。
12-14 02:09

陸紹珩の「酔古堂剣掃」は名言嘉句の抜粋録ですので、引用元がありますね。
「レファレンス協同データベース」によると「士大夫三日不讀書」の原典は、黃庭堅「黃庭堅文集」所収とのこと。
「黃庭堅文集」の何巻に収録されているかは未確認です。秋聲が抜粋録か原典かどの本で読んだのかは判りません。
12-14 01:24

@davu0628 吉井勇『玄冬』の跋文に「私はこれ等の歌集に『梵字本』といふ名称を与へてゐるが、それは表紙の一隅に梵字を捺すことを特徴としてゐるがためであつて、今度もまた『伎芸天』の種子を選ん」だとありますね。
12-14 01:21

  1. 2017/12/15(金) 04:16:33|
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亀井麻美 : 2017/12/13のツイートまとめ

kameiasami

@davu0628 吉井勇が自ら「梵字本」と称した系列の歌集ですね。
12-13 16:11

徳田秋聲の「書を読まざること三日、面に洉〔垢〕を生ず」の出典は、おそらく、
「士大夫三日不讀書。則義理不交胸中。便覺面目可憎。語言無味。」(陸紹珩「酔古堂剣掃」法部)
(士大夫三日書を読まずんば、則ち礼儀胸中に交らず、便ち面目憎むべく、語言味無きを覚ゆ)
のようです。
12-13 15:59

@davu0628 この梵字は「阿吽」の「吽」の字ですよね。
12-13 15:44

@tonton1965 そうなんですよね (-_-;)
登場人物への欲求不満はTwitterにぶつけることにしています(なにこの男、目噛んで死ねばいいのに、とか(^_^;))
12-13 13:55

徳田秋聲の『秘めたる恋』の裕にしても、『路傍の花』の邦介にしても、『闇の花』の庸太郎にしても、ヒロインの彼氏はみんな優柔不断で薄情やわ。ぜんぜん頼り甲斐がない。いつも肝心のところで逃げちゃって、「なによコイツ」って感じになる😡
12-13 13:29

@tonton1965 どうもすみません、下の方に顔写真がありました(^^;)
12-13 13:17

栗原裕一郎さんの「平成の論壇:ニューアカの呪縛」(2)
https://t.co/hdCbFQMDu1
「『ゲンロン4』にしてもそうです。佐々木敦氏の巻頭言を見ても、2000年代以降の「文化左翼」のまとめということで、ワーキングプア、雇用労働問題から入っているのに、経済の話は広く見積もっても、……」
12-13 12:47

体験が人間に取つて何よりの修養だと云ふことも言はれるが これも当てにならない
むしろ書物や体験を絶えず片端から切払ひゝゝするところに人の真実が研かれる」
12-13 12:43

ちなみに第十八篇『徳田秋聲集』(昭和3年11月)の巻頭言はこちら。
https://t.co/EqlZDBV0Ne
「書を読まざること三日、面に洉を生すとか昔しの聖は言つたが、読めば読むほど洉のたまることもある
12-13 12:42

う〉
津田信『結婚の構図』後の章 あとがき。
「書きたることは悉く自己を欺かざるを信ず」は、改造社「現代日本文学全集」第32篇『近松秋江集/久米正雄集』(昭和3年4月)巻頭言の言葉で、秋江論で屢々引用されます。
https://t.co/LbOuMUHvNM
12-13 12:33

「私は少年時代から徳田秋聲や近松秋江の小説に親しんできたので、いつの間にか自分の体験ばかりを書くようになってしまいました。が、三十代の頃の作品は、秋江が言うような、「書きたることは悉く自己を欺かざるを信ず」というわけにはなかなかいきませんでした。やはり、若さの衒いがあったのでしょ
12-13 12:26

昭和11年11月26日、新潮社創業四十周年祝賀会にて、佐藤義亮社長に目録を授与する徳田秋聲のイラスト(「日の出」昭和12年2月)。
2枚目のイラストは、祝賀会式場にて、佐藤社長、徳田秋聲、菊池寛、近松秋江。秋江はお疲れかしら😅
https://t.co/8bwIaz4Q42
12-13 02:01

「ストロングゼロ」ってお酒のこと、4日前にTwitterで初めて知りました。お酒飲まないから。
12-13 00:38

たとえば東が何を発言してもそれは「誤配」と意味づけられることで自動的に応答しないで許される構造ができている。哲学者は自分の言説の不完全性は認めても決して誤謬は認めない。〉
ほんとにそんな構造あるかしら。
12-13 00:28

〈東浩紀もデリダをコンスタティヴに読むと称するところから、論壇・文壇の権力者になって行った。「脱構築」は相対主義ではないと言うが、むしろ実践的には絶対主義に親和的に見える。「脱構築」的絶対主義は通常の素朴な絶対主義より絶対的でありうる。
12-13 00:23

  1. 2017/12/14(木) 04:16:00|
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亀井麻美 : 2017/12/12のツイートまとめ

kameiasami

徳田秋聲記念館ブログ「寸々語」12月12日の記事で言及されている新潮社創立四十周年祝賀会での徳田秋聲。
https://t.co/x2kIKtJ7un
12-12 19:48

京都 寒すぎて眠たくなってきた😪
#寒いよ
12-12 17:21

@niina_noriko 「磨墨如病児、把筆如壮夫」(「避暑録話」)とも言うようです。
12-12 15:12

@tonton1965 20代前半に何回かあります。楽しい思い出ですね。
12-12 12:35

@tonton1965 乗れますよ。でも最近は全然乗ってません。
12-12 12:22

大杉重男ブログ:脱構築とジャッジメント(2017.12.11)
https://t.co/3qCulEeavm
「十月末から十一月初めにかけて、七泊九日で、フランス・パリとブルガリア・ソフィアに行って来た。これは首都大の同僚の西山雄二氏とソフィア大学のダリン・テネフ氏が企画した首都大・ソフィア大合同の国際シンポ…
12-12 10:29

@niina_noriko 「磨墨如病夫、把筆如壮士」(陳継儒「岩栖幽事」)
だそうです。
12-12 04:56

わたしは、こういう丸っこい金魚が好き💕
#アートアクアリウム城
https://t.co/FXtHTYijzq
12-12 03:56

あ~疲れた~😰 でもとっても綺麗でした。楽しかったです✨
#アートアクアリウム城
https://t.co/Lrje1o3Iqy
12-12 03:51

  1. 2017/12/13(水) 04:18:13|
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亀井麻美 : 2017/12/11のツイートまとめ

kameiasami

@gomaffy_kk 花魁の舞がとても綺麗でした💕(女形です)
https://t.co/nktIzgq2Kx
12-11 21:22

二条城でアートアクアリウムを観ています💑
https://t.co/UwtxKT5TxM
12-11 20:48

よく見かける「カワウソ祭」というTwitterアカウントの元ネタが獺祭という銘柄の日本酒だと今初めて知りました(^^;)
(それで「酒売ってくんろ」って書いてるんだ)
12-11 14:16

「何といふ姿態の嬝嫋(たをや)かさであらう」
徳田秋聲『闇の花』「共鳴」その一。
嬝は嫋の異体字で、嬝嫋は嫋嫋と同じ意味。秋聲の『誘惑』「癈人」十では「なよゝゝ」のルビで、『仮装人物』十三では「じようじよう」のルビで使用しています。
「嬝嫋と裾を引きながら、べろゝゝに酔つて」
12-11 14:09

貞淑な内縁の妻
貞淑な妻(内縁)
内縁の……(ry
12-11 12:29

でもこの本は私のcoachちゃんにはとても入らないし、そもそも重すぎて持ち歩けないから家で読むしかないよね
12-11 03:04

徳田秋聲の『路傍の花』に、当時持て囃されていた古賀玄三郎(1879-1920)の結核治療薬・古賀液(こがえき、チアノクプロール)をモデルにした加賀美液というのが出てきたはず、と思って探してたんですが、真山青果による脚色の方でした。
12-11 03:02

「〔加賀美博士は〕神田へ病院を立て肺結核新治療の大看板を掲げさせチヤン加里塩注射液が当つて新注射の加賀美液は神薬だとの評判に何十万の身上を作つた」
徳田秋聲原作、亭々生(真山青果)脚色『路傍の花』(全5幕)のうち序幕梗概より(「時事新報」大正8年2月3日)。
12-11 02:14

  1. 2017/12/12(火) 04:17:15|
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亀井麻美 : 2017/12/10のツイートまとめ

kameiasami

徳田秋聲は、昭和倶楽部による舞踏技術奨励大会で、優勝・準優勝カップの蓋を2度に渡って落とし、読売新聞の記事「徳田秋聲の会長ぶり」(昭和7年)に「秋聲会長、ステップはうまくてもカップ授与へたくそか!」と書かれる。(徳田秋聲記念館ブログ「寸々語」12月10日より)
#備忘録
12-10 23:21

相変らず巧にさういふ人間を活躍せしめてゐる。その陰湿な人間生活の描写が読者に一種の気持を惹起さしめずにはおかない〉
近松秋江「文壇無駄話〈9〉」一(「時事新報」大正4年9月22日)
12-10 22:49

〈〔徳田〕秋声氏の作品では「太陽」の「女」の方が勿論力を入れた作で、相応に長い。ちよつと「あらくれ」の小野田とお島といふやうな小商人の若い二人の男女の生活やら愛情やらの引絡んだもがきを書いてゐるのだが、その暗示的な筆法が、
12-10 22:48

調べてみると、近松秋江の文章に「チイ君」(滝田樗陰?)が出てくるのは「最近の日記」(「文章世界」大正4年9月)でした。
7月30日、本郷にチイ君を訪う。当時樗陰は中央公論社のある西片町に居住していました。
8月3日、築〔筑〕土町のチイ君を訪い、金策。これは京都での遊興費の借金返済のため。
12-10 22:37

チ(ョ)イ(ン)→チイ
12-10 20:00

チイ君って、滝田樗陰?
(秋江の本文は読んでません)
https://t.co/CTGD4hUc45
12-10 19:57

ずっと頸部が痛いんですが、揉み起こしちゃ絶対ダメって言うので、さっきお風呂で項に首シャワーをしてくれたりして、だいぶ楽になりました。
目の下が青グマになるのも、項が痛むのも、血行が悪いせいですね。
12-10 04:13

外カバー見返しには《憩う美女》の邦題だけで原題が書いてませんが、
Władysław Czachórski (1850-1911) : Odpoczywająca piękność, 1890. 
です。
https://t.co/7LLcp02Ug2
12-10 03:33

なんと、カバーは2枚重ねになってました。
外カバーの絵画は、ヴワディスワフ・チャフルスキ《憩う美女》油彩、1890年、個人蔵。
「本書は左右180度近くまで開くことを想定して製本されています。」と書かれています。とはいえ、のどの行は一寸見にくいかな。
(ボレスワフ・プルス著『人形 Lalka』)
https://t.co/RU8TlwXpzk
12-10 03:30

「ポーランド文学古典叢書」第7巻、ボレスワフ・プルス著『人形 Lalka』。全1冊、1248頁(6000円+税)、未知谷 刊。表紙の惹句は沼野充義氏。
実物を見て、あまりの分厚さに驚愕👀
https://t.co/Q41CH1Khtb
12-10 01:18

  1. 2017/12/11(月) 04:17:55|
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亀井麻美 : 2017/12/09のツイートまとめ

kameiasami

鏡花の畳つきの下駄」(『年月のあしおと』所収。文芸文庫版上巻20頁)

「毘沙門のことぶきつかさ」とは上記の「手の字」のことかしら。「ある連中の牛込に来た時に定まつたプログラムのやうになつてゐる」というのは「立食」に書かれているような溜まり場の意味で。
12-09 23:52

寿司屋を贔屓にしてよく出かけて行ったものらしい。
 この手の字はずっと後まであって、近松秋江氏などもよくそこに立寄って、おやじから紅葉の思い出話などを聞いたらしい。私が早稲田を卒業したのは大正二年であったが、その頃もその寿司屋はまだそこに出ていた」
広津和郎「紅葉の白足袋、
12-09 23:51

ての字が最う夜店を張つてゐる」
「紅葉、鏡花、春葉、青果などのまゝ立ち寄つたといふ手の字は、今森田草平などの立ち寄る処となつてゐる」
徳田秋江「立食」(「新潮」明治45年6月)

「手の字というのは、肴町の方から通寺町に入って直ぐ左手の路地に屋台を出していた寿司屋で、硯友社の人達はこの
12-09 23:50

「この頃ある連中の牛込に来た時に定まつたプログラムのやうになつてゐる毘沙門のことぶきつかさをてきして」
「そこから電車でまた毘沙門前まで来て、またことぶきつかさをてきして別れる」
近松秋江「新年雑感」四(「時事新報」大正4年1月19日)

「牛込亭の前まで来ると、明進軒横町に、毎時の
12-09 23:49

  1. 2017/12/10(日) 04:16:39|
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亀井麻美 : 2017/12/08のツイートまとめ

kameiasami

武田鉄矢の「水戸黄門」のあとで東野英治郎の黄門様を見ると、もう神々しいくらいですよね😅
#BSTBS
12-08 19:01

【短冊の贋物】
徳田秋聲も「電柱」(「文芸春秋」大正14年9月)の一節「短冊」で、展示品の尾崎紅葉短冊を見せられたが、明らかに贋物であった、「紅葉山人の短冊は、片端から買ひ集めて焼き棄てるより外ない」くらいに真蹟は少なく、殆どお目にかゝらない、と書いています。
https://t.co/lCT4OJE32w
12-08 17:45

寝る前に、この話題になったので、そのときの事を思い出しました。
子どもは、ギリギリにならないとトイレ行きたいって言わないんですよね。後ろの人の順番が変わらないのなら、子どもを優先させてあげたほうがいいと私は思います。
https://t.co/DrXbdw69dc
12-08 01:35

私おしっこ漏らしちゃったけど家に帰るまでにきっと乾くわ、と自分に言い聞かせて席につこうとすると、先生は「亀井さんちょっと来て」と私を呼び止めてトイレに連れて行き、それから保健室で下着を取り替えてくれました。先生も悪いことしたと思ったらしく、何度も「ごめんね」と謝って下さいました。
12-08 00:53

小学校2年生のとき、授業中にトイレに行きたくなって、ずっと我慢してたけれどとうとう耐えきれなくなり、教壇まで行って女の先生に「トイレ行っていいですか」と聞くと、「もうちょっとだから我慢しなさい」と言われたのがあまりにショックで、席へ戻る途中でおもらししてしまったことがありました😵
12-08 00:19

  1. 2017/12/09(土) 04:16:23|
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亀井麻美 : 2017/12/07のツイートまとめ

kameiasami

こととて、殴打しそうもない人が殴打しそうな人を殴ったのは、「二ツとも逆演だと云つて大笑で済んだ」(水蔭、前掲書)。

江見水蔭『自己中心明治文壇史』
https://t.co/F9y4JwGoOg
12-07 21:56

荒川法勝『泉鏡花伝』より。明治33年1月3日、牛込吉熊で開かれた硯友社新年宴会での出来事。会には徳田秋聲も出席しています。この話は江見水蔭『自己中心明治文壇史』の「小波が鏡花を殴打(明治三十三年の初春の下)」にも書かれていますが、水蔭もその会で柳川春葉に殴られたとか。
どちらも酒席の
12-07 17:38

〈鏡花はあまり酒が強くないので、すぐ酔がまわり、先輩巖谷小波に向かって、自分は玄関番をしていたとき、小波が煙草銭をくれたのはありがたかったと、同じことを、何度も繰り返したのである。小波も相当に酒がまわり、ふだんはおとなしいのに、「うるさい」とどなって鏡花を殴った〉
12-07 17:36

貧乳ネタ投入したので寝よ😪
12-07 03:52

高いところにある物を取ろうと体を伸ばしたりすると、ブラが上にズレてしまい、服の上からそれを元の位置に戻そうとしてるところを人に見られるのが恥ずかしい、という話をさっきしました。こんな未明に😅
スルッと上に上がるくせに、スルッと下がってこない (/_;)
#貧乳
12-07 03:50

3時半って……
昨夜はベッドに入るのが早かったから(21時ごろ)、こんな時間に目が覚めてしまいました(*_*)
12-07 03:35

吉田昌志「泉鏡花「年譜」補訂」(十六)101-102頁に、徳田秋聲『和解』(昭和8年6月)四に泉鏡花の代理の「毛利君」として登場する南満鉱業株式会社の堀尾成章(1885-1944)の詳細な経歴が記載されています(学苑  (903) 82-104、2016年1月)。
#備忘録
12-07 03:06

@tonton1965 ちょっとわかりません。
徳田秋聲記念館(期間限定) @shuseimuseum さんか、泉鏡花記念館 @izumikyokamuse さんならご存じかも。
12-07 02:59

RT @tonton1965: @kameiasami 荒川法勝『泉鏡花伝』には、秋聲が殴られた事件について「貴様なんぞに先生の作品を選ぶ資格はない」と言ったとありますがこれは典拠ありますか。
12-07 02:44

  1. 2017/12/08(金) 04:16:13|
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亀井麻美 : 2017/12/06のツイートまとめ

kameiasami

傷つけるようなことを書き立てた、師を師とも思わぬ秋聲の態度が、憎んでもあまりあるものと感じられたのだろう」とあります。
12-06 20:12

『德田秋聲の文學』第一篇「『黴』とその周辺」146頁に「鏡花が秋聲との交わりを絶ったのは、秋聲が『黴』で紅葉の病状をあからさまにえがいたことが原因であったといわれるが」、148-149頁に「紅葉がいなくなるとたちまち自然主義などにはしって、神聖な師のイメージを
https://t.co/q2ZTKO2Pl5
12-06 20:12

@tonton1965 秋聲本人が「私は曾て『黴』で臨終のときの紅葉先生についてちよつとその人間に触れたことが因になり、鏡花春葉の二人からボオイコツトされた」と「亡鏡花君を語る」(「改造」昭和14年10月)に書いています。
12-06 15:02

釣つて居た。山口蓬春氏などは此女に恐れを為して“兼公はすげえ”と計りに敬遠して居たのは流石に賢明であつた」
伊藤晴雨「非小説『性液』」三(「奇譚クラブ」昭和29年4月)
「噓つきおかね」とは佐々木カネヨ(お葉)のこと。どちらもカストリ雑誌掲載で、とくに後者はだいぶ尾鰭が付いてる感じ。
12-06 12:26

「かね公はすげえ」なんていっていた」
伊藤晴雨『今昔愚談』(「人間探究」昭和27-28年連載。「愚」は竹冠に愚)
「此おかねという女、別名を“噓つきお兼”といつて其頃日本橋区呉服町に手拭屋を開いて自作の版画や自作の手拭を売つて居た竹久夢二君にも貞操を捧げるなど、美貌を幸いに盛んに学生を
12-06 12:22

「私が第一のモデルで関係を結んだ女は秋田生れの俗称「噓つきおかね」という女で、故藤島武二氏の専属モデルで、私が大正五年から七年まで三ヶ年ぶっ通しで使った女で、魅力満点、徳田秋声と浮名を流した山田順子と瓜二つという美人で、山ロ三郎時代の山口蓬春氏が学生時分私の宅へ来て
12-06 12:14

  1. 2017/12/07(木) 04:16:03|
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亀井麻美 : 2017/12/05のツイートまとめ

kameiasami

@kayanoyasan お姉さん(*^^*)
12-05 22:54

@kayanoyasan うちの姉みたいやわ(^^;
12-05 22:41

私はバルテュスの「夢見るテレーズ」が、膝を立ててパンツを見せる少女の下で、猫が皿のミルクを舐めるという、あきらかに少女に対する性的な寓意――社会的禁忌を冒そうとする意図――をもつ絵であることを認めた上で、なお撤去する必要はないと言っておきます。
12-05 22:14

秋聲を初めて訪問したのは8月28日~29日頃ということになります。
さらに、三重吉は秋聲宅からの帰りに『泥人形』が掲載されている「早稲田文学」を買って電車に乗ると、車中で作者の正宗白鳥を見かけたという。『泥人形』は7月号掲載なので、8月末で矛盾はしないですよね。
12-05 17:27

森川町の秋聲宅を訪問した、とのこと。しかし『黴』の連載は8月1日から11月3日までなので、6月か7月というのは記憶違い。
『東京日日新聞』連載の高浜虚子『朝鮮』の上篇が終ったのは8月27日。下篇が始まるのが8月29日。よって「上篇を終つて下篇に移る時であつた」という記憶が確かであれば、三重吉が
12-05 17:24

鈴木三重吉「燻銀のやうな感じ―徳田秋聲氏の印象」(「鈴木三重吉全集」第5巻、岩波書店、昭和13年12月)
https://t.co/ozvVfee59h
三重吉は明治44年の6月か7月、本郷のミルクホールで『黴』連載中の朝日ほか新聞の束を借りて帰る途中、まだ面識がなかった秋聲に俄に会ってみたくなり、浴衣がけのまま
12-05 17:23

アレクサンドル・コソラポフ(1943-)《英雄、リーダー、神》ブロンズ、2007年。モスクワ、M&J ゲルマンギャラリー蔵。
Александр Косолапов (*1943) «Герой. лидер. Бог.» бронза, 2007 г. галерея М&Ю Гельман, Москва.
https://t.co/r0HBnwzBdo
12-05 15:05

#徳田秋声
https://t.co/hSbeLO6xLn
12-05 12:48

#ツイッターのルール違反にならない呪い

パンツとタイツ履いてコートを着て、スカートを履き忘れたまま外出しますように
12-05 01:04

  1. 2017/12/06(水) 04:18:19|
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亀井麻美 : 2017/12/04のツイートまとめ

kameiasami

140. Geburtstag von Rainer Maria Rilke.
https://t.co/Afp5xps1AS
12-04 23:54

ジェームズ・レヴァインによる少年へのセクハラ疑惑には驚きました。近年はやや不遇な氏ですが、1985年といえばバイロイトでパルジファルを振っていた頃で、最も光り輝いていた時期。2010年にミハイル・プレトニョフがタイで少年に性的虐待をしたというニュースにも驚きましたが、それ以来の衝撃です。
12-04 21:48

山東京伝「竜宮羶鉢樹」の人魚の生い立ち:
「わらわが母はわかき時龍王のてうあいふかき鯉なりしが
ついに龍王のたねをやどしてうみおとせしはわらわにて
むねから上は乙ひめさまのおもかげあり
むねから下は母のかたちの鯉ににて本草に人魚とよばれ」
……云々
12-04 17:31

の人魚と違って上半身が人間なのは、父親が人間の浦島太郎ではなく龍王だから、そのぶんグレードが高いってことかしら(あくまで私の想像ですけど)。
でも「鯉→恋」なのは分かりますが、竜宮城に淡水魚がいるのはおかしくないですか。そういう区別は超越してるのかな。
12-04 17:18

山東京伝「竜宮羶鉢樹」(寛政5年)より。
こちらの人魚には手も乳房もあります(北尾重政 画)。この人魚は龍王と鯉との間にできた私生児で、だから異母姉妹の乙姫に俤が似ているんですよね。首から下が魚の「箱入娘面屋人魚」
https://t.co/E5SqHw5jMq
12-04 17:14

@kayanoyasan 人魚は人外だから四つ布団だなんて、よく考えつくなあと感心します。
12-04 12:24

@tanaka0903 完全な呼び名は「ぼうふりむし(棒振虫)」ですね。→「人には棒振むし同前に思はれ」(「西鶴置土産」卷二の二)。
12-04 12:21

三層または三級より成るところから、極楽の世界の標識であった」(郡司正勝『風流の図像誌』から要約)。最高位の遊女と寝る蒲団の上は極楽ってことですね。
枕元に焚いている香は魚臭さを消すため。黒子は手足の代わりですが、ここまで手が届くとは化物だと言って客は逃げてます。
#箱入娘面屋人魚
12-04 08:28

最高位の遊女は三つ布団(蒲団)といって敷蒲団を三枚重ねますが、山東京伝「箱入娘面屋人魚」の人魚が遊女になった時は、人外なので四枚重ねています。ちなみに「三つ布団は三つ山の見立てであり、三つ山とは、崑崙山が
https://t.co/SXdHJESY41
12-04 03:19

「もう食べられないよ」
こんな古典的な、漫画みたいな寝言を初めてじかに聴いた、と言っていたく感動されてしまいました (*^^*)
12-04 03:07

  1. 2017/12/05(火) 04:16:39|
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  3. | コメント:0

亀井麻美 : 2017/12/03のツイートまとめ

kameiasami

「平次人魚はなにをくふものかしらざりしがやうゝゝ思ひだしあかぼうふりをとつてきてくわせる
これ人魚と金魚のまちがへなり
わつちやそんなものはいや
らくがんかおこしがいゝよ
とはさすが鯉の子のしよくこのみなり」
12-03 01:50

今Twitterで話題になっている山東京伝「箱入娘面屋人魚」はこの絵が好き。人魚の後ろ姿がカワイイ(北尾重政 画)。
平次が人魚に赤孑孒を食べさせようとすると、私はそんなものはイヤ、落雁かおこしがいい、と答える場面。
https://t.co/wMwhnlJofW
12-03 01:41

  1. 2017/12/04(月) 04:18:17|
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亀井麻美 : 2017/12/02のツイートまとめ

kameiasami

サロメ・フーパー(Salome Hooper)「なにを着ようかな」 (What To Wear)。
モデルの子が可愛らしかったので。身体もきれい。何着ようっていうより、脱ぎ散らかした後みたい。
あと良く見ると脇毛が生えてますね。
https://t.co/IuF3UI2YCG
12-02 01:48

こうして並べてみると、ウィリアム・エッティの「Female Nude Seen From The Back」と原撫松「裸婦」は似てますよね。エッティの裸婦も影をなぞってるようにも見えるし。
原がイギリスでエッティのこの絵を観た可能性はあるかも。
あくまで素人の推測ですけど。
12-02 01:07

絵画の起源を「人の影の輪郭をなぞること umbra hominis lineis circumducta」としたプリニウス『博物誌』(Naturalis Historia, XXXV,151)の記述を元にしています。
12-02 00:41

原撫松「裸婦」1906年。油彩・キャンバス 130.5×97.8cm。渡英中の作品なので、モデルは西洋人です。
上記をもとにした、川原直人「Nude con matita」2015年。麻布に油彩 117x91cm。こちらは日本人のモデル。
https://t.co/2iRT5nw9Y5
12-02 00:40

  1. 2017/12/03(日) 04:17:14|
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亀井麻美 : 2017/12/01のツイートまとめ

kameiasami

「井戸の喞筒(ポンプ)が忙しく働きはじめた」
徳田秋聲『闇の花』「家出」その五。
喞筒(しょくとう/そくとう)はポンプ、喞子(しょくし)はピストン。『新潮日本語漢字辞典』によれば「液体を吸い上げて噴射する」意から。明治6年の『外科拾要』六に「胃喞筒子」(ストマチ、ポムプ)の用例あり
12-01 21:14

では、私も気に入ったのを一枚。
William Etty "Female Nude Seen From The Back" C.1835-40
エッティは似たような構図の裸婦をいくつも描いています。
https://t.co/2XhUEm4nmV https://t.co/YhIkKCi26y
12-01 16:41

@BWV80 わかりました。それっぽいものが見付かったらお知らせします✨
12-01 08:22

@BWV80 おはようございます。よくある構図ですが、モデルの女性は日本人でしょうか。
12-01 08:06

ごめんなさい、もう寝ます(^^;
12-01 02:39

#微妙にいやらしい言葉選手権

『朝の尺八』
※文化功労者、竹西寛子の短篇です。エロ小説ではありません。
12-01 02:37

@BWV80 どんな絵なんでしょう?
12-01 01:57

  1. 2017/12/02(土) 04:17:14|
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亀井麻美 : 2017/11/30のツイートまとめ

kameiasami

これ一択になりそうですけど (^^;)
Gustave Courbet « Les Baigneuses » 1853.
https://t.co/XA8RMKT83e
#いいおしりの日
https://t.co/htbiJXPUlp
11-30 22:55

#いいおしりの日

金井美恵子『カストロの尻』
司馬遼太郎『尻啖え孫市』
池田満寿夫『尻出し天使』
稲垣足穂「臀見鬼人」
乃南アサ「尻」
橋本治『桃尻娘』
莫言『豊乳肥臀』
ロバート・クーヴァー『女中の臀:メイドのおいど』
エペリ・ハウオファ『おしりに口づけを』
望月峯太郎『桃尻娘と鮫肌男』
11-30 21:20

「チェルトプハーノフの最後」(Конец Чертопханова)は『猟人日記』のなかで特に異質な作品ですね。それまでの視点人物に知り得ないことが書かれた幻想譚で、もはや Записки(手記)とは言えません。不釣合に長いし。単体として見れば良い作品でしょうけれど、連作の中に置くと夾雑物に見えてしまう。
11-30 18:06

Иван Тургенев «Записки охотника»
https://t.co/EIPGV83tNV
11-30 17:45

@kubotakashi6074 @tonton1965 村上龍×柄谷行人「国家・家族・身体」ではないですか。
11-30 17:29

牢屋下男(牢屋同心の下の雑役)は、「ろうやしもおとこ」と読むそうです。別名、張番(はりばん)。
11-30 17:07

国立国会図書館デジタルコレクション
三四郎『漱石傑作坊ちやんの其の後』(日本書院、大正9年10月)
https://t.co/oe9SMmbLYM
本文中の「赤ちやん」から引出線を引いて「〇〇〇〇したから出来たのだこの助平」と書いてあります(^^;)
ほかにも189コマ目、192コマ目など、あっちこっちに書いてますね。
11-30 14:59

@kayanoyasan 牢屋下男(下働き)に金銭を摑ませて禁制品の刃物や酒・煙草を差し入れる、ということもあったらしいです。
ここからは想像ですが、小金と色仕掛けで牢屋同心、牢屋下男などをたらし込んで差入れをする情婦とかも居たのでは(そんな時代小説を読んだ気もします)。
11-30 14:38

可哀想なイノシシ😭😭😭
11-30 11:02

管轄の奉行所へ願い出なければならない、ということです。町奉行の管轄なら町奉行所へ願い出れば済みます。
11-30 08:52

色んなお役所に出向かなくてもいいと思います。
たとえば小伝馬町の監獄の場合、「寺社奉行、町奉行、勘定奉行で、取調べる罪人は、皆この内に入れて、斬罪や、たゝきや、拷問などの事を」行っていた(和田英松『官職要解』316頁)ので、差入れをするには罪人の裁判の
https://t.co/Dway4lkc9j
11-30 08:51

  1. 2017/12/01(金) 04:16:53|
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