ブックレットには
Фотография на обложке: Олег Фахрутдинов
Cover photo: Oleg Fakhrutdinov
とあり、オレグ・ファフルートディノフという人(1963生)の作品のようです。私の知らないデザイナーですね。
ファフルートディノフ略歴:
https://t.co/9fw25a35Xq
04-28 21:28
最近愛聴しているボリス・ティシチェンコ Борис Тищенко の《弦楽四重奏曲全集》(Northern Flowersレーベル)のブックレットの裏表紙は、建物の壁に溶岩がくっ付いたような不思議な写真です。
夕日が壁に当ってこんなふうに光り輝いているのでしょうか。家並みもロシアの町ではないような気がします。
https://t.co/fr1pSdBZOI
04-28 21:27
銀座8丁目西角にあった戦前の資生堂パーラーの写真のなかでは、この夜の外景が好きですね。
徳田秋聲も幾度となく目にした光景だろうと思います。
https://t.co/uJMTYSDMNC
04-28 15:59
なお、内田克彦氏前掲文では、
「碧川〔企救男〕は必ずしも著名ではないため、〔山田順子『女弟子』では〕著名な三木露風からの紹介状としたものであろう」
とありますが(〔 〕は引用註)、なるほどそうかもしれません。
04-28 15:57
私のツイートにも言及して下さっていますが、リンクが間違っています。正しくは「blog-date-20140330.html」または「blog-date-201403.html」
https://t.co/MfTMHeLp6M
ですね。
元ツイートは
https://t.co/7PoDktqE1Q
です。
04-28 11:52
順子が持ってきた紹介状は、三木露風の義父・碧川企救男のものであろうと推測したことがありますが、「女権」昭和2年4月号掲載の秋聲と順子の文章が発見されたことにより、順子と碧川かた(企救男の妻)との繋がりが初めて明らかになり、「紹介状は碧川企救男のもの説」の信憑性が増したようです。
04-28 11:43
【山田順子と碧川かた】
内田克彦「徳田秋聲と山田順子の出会いと碧川企救男」
「夢香山」第15号(2023年)pp.6-7
https://t.co/ljewIdfqJ4
2014年3月27日から29日にかけての当Twitterアカウントで、山田順子が大正13年4月に「水は溢るる」の原稿を携えて夫とともに初めて徳田秋聲を訪問したときに
04-28 11:38
徳田秋聲の『縮図』に描かれた資生堂パーラー前(銀座8丁目西角)。
野田宇太郎『東京文学散歩 下町 上』定本 文学散歩全集第2巻(雪華社、昭和37年5月)、巻頭写真。
https://t.co/7AvM9yimJr
04-27 23:32
徳田秋聲の短篇小説『夜航船』が収録された
山前譲編『文豪たちの妙な旅 ミステリーアンソロジー』(河出文庫、2023年4月)
に続いて、秋聲づいた月ですね。
04-25 22:58
川端康成と徳田一穂の対談「徳田秋声の人と作品」が収録されている
『対談 日本の文学 素顔の文豪たち』(中公文庫、2023年4月新刊)
が届きました。
#徳田秋聲
https://t.co/rNR7IZCN16
04-25 22:57
「ここでとりあげるのは信州上伊那郡小野村雨沢部相互救済会である。雨沢部というのは、小野村の一部落であって、徳川時代には天領として、飯田の千村陣屋に属していた村である」
これもたいへん興味深い論考。小沢五郎三郎をはじめ小野村小沢一党の名も見えます。
04-25 12:39
【上伊那郡小野村雨沢部】
中村寅一「雨沢部相互救済会――明治~昭和前期 ムラの助け合い運動――」(『村の生活の記録(下)上伊那の明治・大正・昭和』(刀水歴史全書11、刀水書房、昭和56年11月)
https://t.co/h4BZZd6DE7
04-25 12:36
この文書(明治十八年五月 上伊那郡小野村式年祭御柱引建取締規約)に名が記載されている小沢団治ですが、『信濃人物誌』(昭和37年)の小沢匡保の項(94頁)に「小沢団治芝産の長男に生れ、幼名を茂吉、のち団治を襲名し」とあって、代々受け継がれた名であることが判ります。
04-25 12:33
@mizukami_jidai
ありがとうございます。それでは引用した甲斐がありました。
04-25 12:29
@mizukami_jidai
ご教示ありがとうございます。これまで秋聲研究者の間で知られていた史料でしょうか? 貴重な史料ですね。
04-24 22:52
ちなみに「徳田秋聲全集」別巻所収の「小沢家略系図」では幸三郎の名が孝三郎となっています。誤植と思いますが、要するに書き誤りしやすい字ではあります。
04-24 15:18
徳田秋聲の妻、小沢はまの一家がその父親幸三郎の放蕩によって破産し、湯島の叔母(矢島きぬ)を頼って上京したのは明治25年とされます(野口冨士男『徳田秋聲ノート』69頁)。明治18年であれば、幸三郎が御柱祭の委員をしてもおかしくないですね。
04-24 15:18
「明治十八年五月 上伊那郡小野村式年祭御柱引建取締規約」
『長野県史 近代史料編 第10巻(1)(宗教)』(長野県史刊行会、昭和57年5月)、第274号文書。
https://t.co/poF53ApRia
ここに「委員」として名を連ねている「小沢孝三郎」は小沢はまの父親「幸三郎」のことではないかしら。
04-24 15:14
島田雅彦の法政大学の研究室?の書棚に大野英士『ユイスマンスとオカルティズム』(新評論)がありますね。「啄木全集」の隣。
「吉田健一全集」(原書房)、ナボコフの『ベンドシニスター』(みすず書房)やパラジャーノフ《アシク・ケリブ》のDVDも気になります。
https://t.co/Hwg1exI5LK
04-24 12:26
戦前の政治家(衆議院議員)・実業家で、Wikipediaにも立項されている小野祐之の父親が上伊那郡小野村の小沢五郎三郎であったことも今回初めて知りました。
『長野県 上伊那誌 第4巻(人物篇)』(上伊那誌刊行会、昭和45年12月)
https://t.co/a6tvNLxaiO
五郎三郎の名は徳田秋聲日記に出てきます。
04-23 20:39
信濃地方の教育史の研究対象になるほどの家であったのかと、認識を新たにしました。
とりわけ、上記論文で小沢和徳が島崎藤村『夜明け前』の半蔵と比較されているのが興味ぶかいです。
04-23 20:34
(一七六一)初頭に習い師匠としての活動を始めたのである」
この論文では、小沢寿徳、芝産、亀春(匡保)、和徳と続く小沢家の事績とその歴史的役割について論じられています。
徳田秋聲の妻はま(小沢幸三郎の長女)もその一族の末裔であった小野村の小沢一党というのは、
04-23 20:34
小野村に居住していた」
「小沢家の子孫によれば、小沢家の先祖は、武田信玄の家臣であり、信玄の死後、信濃に移り、上伊那郡に定住し農民となった。江戸時代を通じて、小沢家は村役人であり、在村知識人として地域の政治的・社会的・文化的活動で重要な役割を果たしていた。そして宝暦一〇年
04-23 20:33
【長野県上伊那郡小野村、小沢家の手習所について】
「近世信濃における手習師匠が果した役割」ブライアン・プラット Brian Platt
長野県立歴史館「研究紀要」1998年第4号:13-24頁所収
https://t.co/NnLD137ITb
「本論文で取り上げる手習匠一家は、小沢家といい、現在は上伊那郡辰野町の一部である
04-23 20:32
大塚ひかりさんに対するこのひどい中傷ツイートについては、私も微力ながらTwitter運営に通報しました。
https://t.co/obQ0sqVg1v
04-23 17:32
『伊那尊王思想史』人物略志14頁、小沢氏副の項)。
徳田秋聲の妻はまの実家、小沢家の一族はかつてそういう家柄だったということですね。
『黴』十三でのお銀(小沢はま)の母親の
「田舎ぢや押しも押されもしねえ、是でも家柄はそんなに悪いもんでもござんしねえに」
という言葉が想起されます。
04-21 23:17
小野社中が結成せらるるようになり、度々歌会が開かれるようになった〉
村沢武夫 『信濃人物誌』(信濃人物誌刊行会事務所、昭和40年3月)、小沢匡保(亀春)の項より。
https://t.co/uInJy1AjNP
ここに名前の出ている小沢氏副(文政5年4月歿、享年63)の玄孫が小沢新太郎であるとのこと(市村咸人
04-21 23:03
とき、これをきいた小野の人達は、相談し、夢宅の逗留を請い、和歌の講釈をきいた、そうして小沢匡保は同郷の小沢英慶、宇治光寧、釈任山らと夢宅の門人となり、つゞいて小沢氏副、同昌俸、同正盛、同氏義、小野光好、小野光享、今井政典と云った人々も相次いでその門人となり、和歌を中心とした
04-21 23:02
(後略)〉
『長野県 上伊那誌 第2巻(歴史篇)』(上伊那誌刊行会、昭和44年12月再版)より。
https://t.co/4nqTq4Fnus
〈そうして帰郷してからも寺子屋の際和歌も教え、小野地方が歌道隆盛となったのは、小沢家の私塾によるところが多く、また享和二年垂雲軒をついだ桃沢夢宅が松本へ行って帰る
04-21 23:01
更にその弟小沢芝産がこれを受けて村塾を営んだのに始まる。
芝産の子小沢亀春は、初め松島に住んだが後小野に移り、ここに父のあとを嗣いで家塾を設け、南殿・横川あたりまで出教授をした。この亀春は、歌道に趣味を持ち、寛政のころ、伊勢大廟に参詣した途次、京都に澄月を訪うて詠草の添削を受け、
04-21 23:00
【長野県上伊那郡小野村、小沢氏の事】
〈〇小野社
近世、伊北小野の地に学問の導入されたのは、寛保のころ(寛保元年 一七四一年)松本水野家の浪人岡本伝左衛門なるものが、小野に住して近隣に初学を施し、やがてその門人たる小野の人小沢寿徳(小左衛門)が宝暦のころ手習師匠となってこれを嗣ぎ、
04-21 22:59
私も小沢五郎三郎の名にはっとしました。昭和14年には小沢新太郎も五郎三郎も亡くなっていたのですね。
明治42年5月に秋聲夫妻が御柱祭の見物を兼ねて夫人の郷里長野県上伊那郡小野村を訪れた時のことは『祭』(「新小説」明治44年2月)、『娶』(「中央公論」明治42年9月)等に詳しく書かれています。
04-21 21:01
「小野駅を過ぎるとき、あれは襄二が未だ子守に負さつてゐた時分に一穂瑞子に襄二と妻と都合五人で、御柱祭に招かれて来たことが思ひ出される。二人は既にこの世にはゐない。私を歓迎した〔小沢〕新太郎氏、五郎三郎氏などもゐない」
(徳田秋聲日記、昭和14年6月22日条)
https://t.co/uyfsOjQTYW
04-21 20:57
新太郎
進広館製糸株式会社 取締役
「官報」1919年5月8日、163(19)頁中段
https://t.co/xRhaFdseXF
〖文献④〗
『帝国銀行会社要録』大正9年9版、53頁3段目
https://t.co/bCwTKEgcaD
これによれば、進広館製糸株式会社の所在地は長野県上伊那郡小野村、大正8年2月設立、資本金3万円。
04-20 17:08
https://t.co/HuUmkakdUr
「官報」(1918年01月17日、284(22)頁下段)によれば上記組合は有限責任雨沢信用販売購買生産組合に変更。
https://t.co/jqUTeZfP6G
1919年解散(「官報」1919年10月8日、8頁上段)。
https://t.co/ePOoLZD4Uz
同県同郡同村〔長野県上伊那郡小野村〕二百二十二番地 小沢
04-20 17:03
当地の小沢家について詳細に語られており、下記の3コマに小沢新太郎の名が見えます。
https://t.co/lMJuoqfDuM
https://t.co/A9OpcnHZtg
https://t.co/uIrzviTbSX
〖文献③〗
上伊那郡小野村二百二十二番地 小沢新太郎
有限責任雨沢部信用販売購買生産組合 監事
「官報」1916年5月24日、14頁上段
04-20 17:02
【小沢新太郎】
〖文献①〗
「〔小沢〕浜子の本家は現在の小沢新太郎氏の家である」
日下部桂「徳田秋声と信濃」(『続・松本平文学漫歩』信濃往来社、昭和34年9月)
https://t.co/QugPEqiBBN
大木志門氏紹介の文献。
〖文献②〗
市村咸人『伊那尊王思想史』(下伊那郡国民精神作興会、昭和4年12月)
04-20 17:02
Tver' Philharmonic String Quartet
イリーナ・スヴェトローヴァ Irina Svetlova (vn1)
リューボフィ・シェヴリェクーコ Lyubov' Shevrekuko (vn2)
アレクサンドラ・フランツェヴァ Alexandra Franzeva (va)
ガリーナ・ソボレーヴァ Galina Soboleva (vc)
04-19 22:37
弦楽四重奏曲第6番作品148(2008)
イリヤ・イオフ Ilya Ioff (vn1)
エレーナ・ラスコーヴァ Elena Raskova (vn2)
リディア・コヴァレンコ Lidia Kovalenko (va)
アレクセイ・マサルスキー Alexey Massarsky (vc)
弦楽四重奏曲第4番作品77(1980)
トヴェリ・フィルハーモニー弦楽四重奏団
04-19 22:36
【nowplaying】
ボリス・ティシチェンコ Boris Tishchenko, 1939-2010
《弦楽四重奏曲全集》(Northern Flowersレーベル)
弦楽四重奏曲第1番作品8(1957)
弦楽四重奏曲第3番作品47(1970)
タネーエフ四重奏団 Taneyev Quartet
弦楽四重奏曲第2番作品13(1959)
弦楽四重奏曲第5番作品90(1984)
https://t.co/8wKvv4ZEDw
04-19 22:35
島田雅彦はさすがに法政のエライ人に注意されたのかしらね
#暗殺が成功して良かった発言
04-19 21:10
私は Танеев(タニェエフ)を慣用でタネーエフと仮名書きしてるのに Шеврекуко が出てきたからってあんまり原音に近付け過ぎるのは不自然な気もする……
#ロシア人名の仮名表記
04-19 21:03
ロシア人名
Шеврекуко
https://t.co/OLvxSYEdmT
04-19 20:34
@mizukami_jidai
どうも恐縮です。
小林政子の富弥の芸者としての仕事ぶりの一端が垣間見えて興味深いです。
富弥は徳田秋聲の愛人として新聞種になったあの芸者、として座敷に呼ばれることが多かったであろうことが坂本石創の文章からも窺えますね。
04-19 06:46
「マラルメ全集」筑摩書房
#高かったけど買ってよかった本
https://t.co/0wwkz2no9W
04-19 02:31
【nowplaying】
ボリス・ティシチェンコ
弦楽四重奏曲第4番作品77(1980)
トヴェリ・フィルハーモニー弦楽四重奏団
素晴らしい!
https://t.co/YvN984HV41
04-18 23:57
「ムラの掟をやぶった…」「住むにはムラの血が必要だ」放火の疑い・92歳老人が抱えてきた80年以上続く遺恨「氏神の祟りにあったと陰口を叩かれていた」《青森5人死亡火災》
https://t.co/CeLAInZKs2
昔の新東宝の映画などによく出てきた山奥の閉鎖的な集落の話かと見紛うような内容。
04-18 09:21
たぶん交際期間と勘違いしているのでしょう。
石創らはこのあと富弥たちに新宿まで送ってもらいます。
徳田秋聲は私小説『生きた煩悩』(「改造」昭和12年1月)で年甲斐もなく嫉妬騒ぎを起し政子を困らせる様子を描きますが、その嫉妬の背景にこうした政子と客との付き合いがあったことが判りますね。
04-17 20:46
https://t.co/1Mws7joNKH
この文章は、秋聲の作品以外で小林政子の富弥が芸者として呼ばれたときの様子の描かれている点で貴重かもしれません。
但し、小林政子が芸者を廃業して秋聲宅へ入っていたのは昭和7年7月から昭和8年11月までで、3年も同棲していません。
最初の出会いは昭和6年7月なので、
04-17 20:26
て、どちらも愛嬌のある顔だが富弥の方が上品だと云つて一座を歓ばす。さうかうしてゐるうちに新吉が駈つて来たので、又も僕は秋聲門下の川崎長太郎と高橋新吉の比較論をやる。両人はいゝ取組で、これには富弥も転がるやうにして笑ふ〉
坂本石創「富嶽往来/柳川亭」(前掲書所収)より。
04-17 20:25
本名小林政子と云ふんだ。こんな妓が白山にゐたのを、秋聲と同棲する迄、知らなかつたとは、僕もどうかしてゐたよ。」
「あらきイさんが、またあんな事を……」
と云つたのが富弥。
「先生は、白山の草分けだからな。」
と感心したのは三太郎。そこで僕が、秋聲の曾ての情人山田順子と富弥の顔を比較し
04-17 20:24
ある富弥をよぶとの事〉
坂本石創「富嶽往来/東京に一泊」(『爆音の中から』八幡浜毎夕新聞社、昭和10年6月)より。
https://t.co/j79r804rZl
〈菊池〔恵二郎〕御大冗談を云ふ。かゝるところへ、久吉、富弥、人丸と云ふ紅裙連中が来る。
「これが問題の富弥と云つて、徳田秋聲と三年間同棲してゐた
04-17 20:23
【小林政子の富弥】
〈それではと、僕は早速一番いゝ部屋を、女中に掃除させ、〔川尻〕三太郎と二人で待ちうける。待つほどに、菊池〔恵二郎〕氏が見えて、我等の酌するビールを旨さうに飲みながら、(中略)別嬪と云つて白山だから、さう大したのもゐないが、徳田秋聲と三年ばかり同棲してゐた事の
04-17 20:23
近松秋江『霜凍る宵 「黒髪」三部作雑誌初出版』東都 我刊我書房、2023年4月28日、4,000円。
https://t.co/EgQyz2DzI7
「日本文学史上の一大問題作品と謳われる『黒髪』三部作を、雑誌掲載にまで遡った。もともと、雑誌初出版では「黒髪」「狂乱」「霜凍る宵」「霜凍る宵 續編」の四作に分かれ……」
04-17 14:19
誤:意味と出展
正:意味と出典
04-16 16:38
その時の聞き違いで
Nusquam est qui ubique est.
だったのではないかと考察しています(どちらもセネカまたは伝セネカ)。
画像の「新潮」の隣にあるCDは最近聴き始めたナイチンゲール弦楽四重奏団によるルーズ・ランゴー(Rued Langgaard, 丁抹, 1893-1952)の弦楽四重奏全集。
04-16 14:48
意味と出典が判ったら連絡してくれと電話番号を口早に告げてそそくさと立ち去ったという話が面白い。やっぱり大江もなかなかの変人でしたね。
Numquam est をGoogle検索するとたちどころにいくつかの候補が現れますが、四方田氏は
Numquam est ille miser, cui facile est mori.
または Numquam は
04-16 14:44
【Numquam est ...】
店頭品切だった「新潮」5月号が届きました。
3誌の大江健三郎追悼文の中でも「新潮」所収の四方田犬彦「Numquam est」が最も読みでがありました。
四方田氏が成城のスーパーで買い物をしていると大江が唐突に現れていきなり不明なラテン語文について質問し、
https://t.co/X5B5Gp1jBs
04-16 14:44
一度に酔ひが発して、上り口の廊下に崩れてしまつた」
徳田秋聲『縮図』「素描」七より。
新藤兼人監督作品《縮図》(1953年)において、たいへん印象に残る描かれ方をしていた所為でもありますね。
#エアリプ
04-15 22:57
【狐拳】
私が秋聲小説の「狐」で真っ先に思い出すのは、『縮図』の狐拳。
「ある晩医専の連中に呼ばれて、もう冬の寒い時だつたので、狐拳で負けるたびに、帯留、帯揚、帯と一枚々々剥され、次ぎには罰杯のコップ酒を強ひられ、正体もなくへとゝゝに酔つて帰つたことがあつたが、家の閾を跨ぐ途端
04-15 22:57
今日はお出かけの帰りに京都丸善へ寄って大江健三郎追悼号2冊(「群像」5月号、「文學界」5月号)と『源氏物語補作 山路の露・雲隠六帖 他二篇』(岩波文庫、2022年12月)を買ってきました。
https://t.co/Ehi7eSehrt
04-15 21:11
【太宰治の「洋子事件」について】
檀一雄インタビュー「知られざる太宰治」(檀一雄 編、竹内良夫、桂英澄、別所直樹 共著『太宰治の魅力』大光社、昭和41年11月)
https://t.co/yT6w5s8IyS
#徳田一穂 #村田せつ子
04-15 13:47
紙が非常に良いのは私も最初に手に触れたときに直感しました。
https://t.co/uEJZMG072R
#村上春樹 #街とその不確かな壁
04-14 16:16
例の「玉の井小町」について云々…
ちなみに一穂の肖像画の背景にはやはり例の「東京日日新聞」の記事があしらわれています。
04-14 10:39
加藤悦郎「文壇あの人この人」(「文芸」昭和10年5月)より、「徳田一穂氏」。
https://t.co/ednBjdmHCN
1年前(というと昭和9年)、小林政子との交際が軌道に乗りかけた徳田秋聲が「文芸」の記者に向かって小指を立て、「君、コレの事だけは書かないで呉れ給へよ」と言ったが、今度は息子の一穂が
04-14 10:38
@mizukami_jidai
「秋聲氏令息を慕ひ/逃げ出した籠の鳥/江東の闇の巷から/愛人を確保した徳田一穂氏」(「東京日日新聞」昭和10年3月4日)
高橋鉄『近世近代150年性風俗図史 下巻』(久保書店、昭和44年1月)より
https://t.co/z7VCVbFcyW
04-14 10:01
村上春樹『街とその不確かな壁』(新潮社、2023年4月)とアレクサンドル・ボロディン:弦楽四重奏曲第1番・第2番、ボロディン弦楽四重奏団(Chandos、2001年)。
楽曲が作中に出てきたので……
https://t.co/LCcgM0927M
04-13 20:33
正子物が多く収録された昭和11年3月中央公論社刊の『勲章』あたりでしょうか。同年7月に第2回文芸懇話会賞を受賞している作品集ですし、懇話会つながりで献本された可能性がありそうです。
04-13 16:21
https://t.co/bgb8aXtsvi
宇野浩二はこの「老作家」を徳田秋聲と推測しています。
「歌人の散文」〈四 斎藤茂吉〉(『作家と歌人』全国書房、昭和21年7月)
https://t.co/0V5ZjVZSYe
茂吉が箱根強羅に滞在したのは昭和11年7~8月。
もし秋聲の短篇集だとすれば、時代からして順子物ではなく、
04-13 16:21
来て其処に並ぶかも知れない(中略)。人間世界に斯く細かい戀愛があつて見れば、彼等だつてさういふ形式行爲があつてもかまはぬなどと思ひながら、勝手に息をころしてゐたのであつた」
斎藤茂吉「強羅雑記」(「山と谿谷」昭和11年11月)より。
のち、『不断経』(書物展望社、昭和15年4月)所収。
04-13 16:20
歌人の表現法などの相寄ることも許されぬものであつた。私はその会話を繰返して読むこともあつた。あるとき丁度その断崖に傾きかかつて生えてゐる木の枝に突然山鳩が一羽来てとまつた。これはおもひも寄らぬ光景であつたから、私はおもつた。いまにこの山鳩が啼くかも知れない、或は番ひの山鳩が飛んで
04-13 16:19
【人間の恋愛を取扱つた老作家の短篇集】
「ある日、その断崖にのぞんだ林の少し平になつたところに新聞紙を敷いて、人間の恋愛を取扱つた老作家の短篇集を読んでゐると、歌人などの到底うかがひ知ることの出来ない世界が展開せられて来る。第一その男女の会話が微妙で変化に富み、単純単純と努める
04-13 16:19
それはいささかも古びたものとならず、木の間隠れにいつも緑をたたえている、あの羊歯の葉並みのつややかさをもっている。(中略)
今日においても、なおその日本語の文体が古びないというのは、まさに奇跡的な大業というしかない。」
篠田一士「日本の近代小説――徳田秋聲」
https://t.co/8yVTVoUObL
04-13 12:55
「『足迹』を読んで、いつもというよりは、読みかえすたびに一入というべきだが、いったいどうしてこんな日本語が書けたかと、半ば不可解な思いにおそわれながら、ひたすら感嘆するしかないのは、その小説言語の、実に自然なのびやかさである。ある時期の平談俗語のなつかしさがありながら、
04-13 12:55
「一九三〇年代の日本文学を徳田秋聲と志賀直哉の時代とぼくはよんでみたい」
篠田一士「日本の近代小説――徳田秋聲」(「昭和批評大系」第5巻、番町書房、昭和53年。初出:「すばる」昭和47年秋)
https://t.co/20Hzd4lfFb
04-13 12:54
【本とケーキ】
福永武彦・中村真一郎・丸谷才一『深夜の散歩――ミステリの愉しみ――』(講談社文庫)
夏目漱石『草枕 二百十日 野分』(岩波書店、新書版全集)
https://t.co/AxRarkySgv
04-12 23:05
山本利達(1927-2013)国文学者。
〈その前年〔2013年〕の10月18日には、滋賀大学名誉教授山本利達先生が永眠された。1927年のお生まれで、86歳〉
「自著を語る 笹川博司著『紫式部集全釈』」教育研究(大阪大谷大学教育学部編)2015(41): 99-102
https://t.co/5jWMLyanUm
https://t.co/5G7sKQcuVw
04-12 22:49
出典は、井伏鱒二・尾崎一雄対談「文学青年窶れ」(「群像」昭49年1月)
https://t.co/CYhHStyBVZ
04-12 21:32
息子の最初の本を出してくれるとなればやっぱりいい気持だろう、そこへつけ込めば秋声さんも随筆集をくれるだろうというこっちの気持があった」
と発言していますね。
04-12 13:29
https://t.co/9sFW7fjBkI
尾崎一雄が井伏鱒二との対談で、
「徳田さんの随筆集がそれまでなかったので、徳田さんの随筆集をひとつ出そうという議があって、それにはまず徳田一穂の小説集を出そうということになった。抱き合わせといっては一穂君に気の毒だけど、だれだって親馬鹿の一面はあるから、
04-12 13:29
(秋聲と直哉は生涯に一度も会ったことがなかったという)、そして××子(小林政子)のことなど。
04-12 11:33
尾崎一雄『ぼうふら横丁』六(「小説公園」昭和28年5月)
https://t.co/M5Epdn61XO
砂小屋書房から徳田秋聲随筆集『灰皿』を出すことになった経緯と、菊池寛賞の賞品として懐中時計を贈呈されるに至った経緯、実現しなかった徳田秋聲・志賀直哉対談企画
04-12 11:32
だから、作家は本の印税で生活するつもりはなかった。本は道標であった。贈る方も受取る方も大切にした理由がここにあったのだろう」
無記名「今月の問題」(「読書人の雑誌」昭和34年11月)
https://t.co/QtfXnjbn6w
04-12 11:32
「以前は一生に五十冊の単行本が出せれば一人前の作家だといわれた。書きだしてからの年数を五十年位とすれば、だいたい一年一冊か一冊半ぐらいの計算になる。しかもその部数はきわめて少なかった。徳田秋声の本で初版千部というのは余りなく、たいてい初版が七、八百部だったといわれる。
04-12 11:32
Nora Romanoff-Schwarzberg ノーラ・ロマノフ=シュヴァルツベルク(va)
Jorge Bosso ホルヘ・ボッソ(vc)
マルタ・アルゲリッチ主催ルガーノ音楽祭2006年ライヴ
私の知るかぎり同曲の最高の演奏で、他の演奏とは全く別次元の気がします。聴く度にライヴならではの熱気と高揚感に包まれます。
04-11 21:41
【稀代の名演奏】
セルゲイ・タネーエフ:ピアノ五重奏曲ト短調作品30
Lilya Zilberstein リーリャ・ジルベルシュテイン(pf)
Dora Schwarzberg ドーラ・シュヴァルツベルク(vn1)
Lucy Hall ルーシー・ホール(vn2)
https://t.co/Q8fggsHmKs
04-11 21:31
「こふきこがね飛べ!」»Maikäfer, flieg!« については、以前に書いたことがあります。
https://t.co/9nlNCxRFyN
この作品、徳田秋聲記念館オリジナル文庫新刊『秋聲翻案翻訳小説集 世紀末篇』に収録されるとのことです。
04-10 15:48
【こふきこがね飛べ!】
ザウヘルーマゾツホ(ザッハー=マゾッホ)作、徳田秋聲訳『曠野の暮』(「新日本」明治39年5月、原題:Matrena)
https://t.co/wQlNLnTYeO
においてコサック娘マトレーナが地主ブラニフスキ(バラニフスキ)の頸に縄をかけて引きずり回し嬲り殺しにするときに歌う
04-10 15:47
君臣の義で頭を撫でたかに見えて、実は脳味噌が爛れるほどの鉄拳制裁だったわけですね。
「虎狼に仁あり」の出典は「荘子」で、恐ろしい虎狼でさえ父子相食うことはないの意。しかし獲物を逃がした狼が主君の白狼から無惨に成敗されたのを見ると、虎狼は君臣の間柄に於て仁ありとはいかないらしい。
04-10 23:31
に白狼の前に這いつくばりました。白狼はその狼の頭を撫でるようにして立ち去り、撫でられた狼はそのままずっと動かなくなります。
やがてそこへ杣人たちが通りかかったので、童子は狼がいるから助けてくれと樹上から叫びます。が、狼は頭蓋を砕かれて死んでいました。
04-10 20:48
京の醍醐の山中に棲む狼が里へ出て童子を襲い、山奥まで銜えて戻り土の中に隠しますが、童子は死んだふりをしていて、狼が去った後に土中から出て近くの大木の上に逃れました。
しばらくするとさっきの狼が大きな白狼のお供をして戻って来ます。しかし童子がいないことに気付くと、狼は恐れ入ったふう
04-10 20:47
けり。おもふに古語に虎狼に仁ありと。しかれども此事をもつて見れば。君臣の義もあるに似たり。ひとり仁のみにあらじといふ」
林義端「玉櫛笥」巻5-4「醍醐の白狼」より。
古典籍総合データベース:
https://t.co/BwgTdtmIP5
挿絵(白狼に頭を小突かれる下っ端の狼):
https://t.co/I3CgT3GON2
04-10 20:47
【虎狼に仁あり】
「この童あやしく思ひ木の上よりおりくだりてかの狼のいたゞきを見るに。骨ことゞゝくくだけ脳たゞれたり。杣人これはいかなる故ぞやと問ふ。わらんべはじめおわりの次第を語る。皆々おどろきけるが。さるにてもこの童かしこくもあやうき命たすかりし。あさからぬ知恵かなとほめあい
04-10 17:10
福永武彦・中村真一郎・丸谷才一『深夜の散歩――ミステリの愉しみ――』(講談社文庫、昭和56年6月)のカバー画(和田誠)には、奇しくも暖炉の前でパイプをふかし探偵小説を読む紳士が描かれていますね。ひょっとしたらウイスキーもあるかも知れません。
探偵小説を読む紳士のステレオタイプでしょうね。
https://t.co/aAaWxyxfgp
04-09 23:14
【Медвежья услуга】
「枕元でハァハァ、無慈悲に首をへし折る」クマは友情が理解できない“20年飼った熊に殺された長野の男性”…年間5億の熊被害
小倉健一(MINKABU 2023.04.06公開)
https://t.co/aIg3JiaKDz
昔から Медвежья услуга(熊の親切)という。
04-09 21:47
ふかすが、あとの二つに近づいたことがない。(略)」〉
北杜夫『さびしい王様』(新潮社、昭和44年9月)より。
別の作品にほぼ同一のフレーズが出てくるとは(英国紳士は~探偵小説をよむという)、よっぽど北杜夫の頭にこびりついた言い回しだったのかしら。
04-09 21:37
北杜夫『奇病連盟』(朝日新聞社、昭和42年6月)「会長の邸宅」より。
〈「〔引用註:わしは〕探偵小説的思考というのを知らないだけなのだ」
「はあ」
「英国紳士は歳をとると、暖炉の前でパイプをふかしウイスキーを飲み探偵小説をよむという。わしは紳士じゃない。そこで、パイプだけは人の五倍
04-09 21:37
【英国紳士と探偵小説】
〈英国紳士は、隠棲すると、暖炉のまえで、パイプをふかし、ウィスキーをのみ、探偵小説をよむという。
この会長は、ようやくその老後を、カメレオンを飼い、奇病連盟を作り、ショウチュウをのみ、ラーメンを食べて過ごそうというのか〉
04-09 21:37
中島敦「虎狩」、萩原朔太郎「猫町」
Sergey Taneyev: Complete String Quartets, Volume 4.
セルゲイ・タネーエフ:弦楽四重奏曲第6番変ロ長調作品19、第9番イ長調。
演奏:タネーエフ四重奏団
04-09 17:22
山前譲編『文豪たちの妙な旅 ミステリーアンソロジー』(河出文庫、2023年4月)
〖収録作品〗
徳田秋聲「夜航船」、石川啄木「天鵞絨」、林芙美子「温泉宿」、田山花袋「島からの帰途」、室生犀星「幻影の都市」、宇野浩二「二人の青木愛三郎」、堀辰雄「エトランジェ」、
https://t.co/Mdg0pjLa5P
04-09 17:22
こういう演奏もいいものだなと。
何はともあれ、入手困難なディスクがあっさり手に入り、貴重な録音を聴けたのは幸運でした。
04-08 23:52
なので、ヴィオラと混じって聴きにくくなることはありません。テナー・ヴィオラを演奏するライプルは達者な腕前ですね。初聴のときこそ彼の古楽器的なやや即物的な奏法が後期ロマン派のタネーエフの音楽にややそぐわない印象を受けましたが、聴き返すうちに耳に馴染んできました。
04-08 23:51
この盤はタネーエフの当該作を世界で初めて初演時と同じくテナーヴィオラを入れた編成で録音したディスクです(通常の演奏ではチェロに置き換えられます)。
テナー・ヴィオラは一寸鼻にかかったような太い渋味のある音色で、燻し銀という表現がぴったり。ヴィオラとは明らかに異なる独特の音色
04-08 23:49
《五弦のテナー・ヴィオラ》
»Five Stringed Tenor Viola« (Unimoz 48)
より、セルゲイ・タネーエフ《ヴァイオリン、ヴィオラ、テナーヴィオラのための三重奏曲 作品31》
トーマス・ライプル(テナー・ヴィオラ)、エーリヒ・ヘーバルト(ヴァイオリン)、プレドラッグ・カタニッチ(ヴィオラ)
https://t.co/HJGJ8wVXMg
04-08 23:48
これは私が使用している「Twitter」から「FC2ブログ」(私の場合は kameiasami.blog.fc2.com)への連携機能(FC2 Daily Tweet Importer)の今後の方針についてのアナウンスですね。
連携機能の継続を前向きに検討して下さっているようでよかったです。
04-07 20:14
【ブログ】TwitterAPI有料化による影響について【続報】(2023年4月6日)
https://t.co/X3ZLiEMSt0
〈現時点では、「Twitterとの連携」機能をご利用のお客様毎にTwitter社の開発用アカウントをご取得頂き、FC2ブログへAPIキーをご登録いただく形での運用を検討しております〉
FC2 Daily Tweet Importer
04-07 19:59
創刊号奥付に「編輯発行兼印刷人 山本三生」とありますが、福本のいう「Y君」とはおそらく山本三生(改造社社長山本実彦の実弟)でしょう。
https://t.co/r7GagXIAFT
福本が秋聲と順子を見たという会合が実際は何だったかは未確定です。
04-07 15:51
東京会館にて開催されています。芥川龍之介はすでに死んでいますね(昭和2年7月24日自殺)。秋聲も順子と別れた後です。
月刊誌「社会科学」は大正14年6月創刊(昭和2年から季刊)。
04-07 15:51
とくつついて、腰かけており、そのよこに、佐々木茂索、大橋房子夫妻、芥川竜之助、佐藤春夫、広津和郎、宇野浩二などの人々がいた」
(福本和夫『革命は楽しからずや 回顧録・霧笛篇』教育書林、昭和27年12月)
https://t.co/RpQpaI17GS
ちなみに改造社十周年記念会は昭和4年4月10日、丸ノ内
04-07 15:50
【福本和夫の記憶違い】
「そのころ、たまたま、改造社の十周年記念とかいうので、歌舞伎座に招待された(中略)。その日、私の椅子のそばにやはり改造社から、出していた別の雑誌、「社会科学」の記者のY君がきて、来会の文士連の名前を教えてくれた。ちょうどすぐのまんまえに、徳田秋声が山田順子
04-07 15:49
川木五郎左衛門と黒河〔黒川〕加兵衛(両名、加藤左馬助嘉明の家臣)の幽霊話。
#備忘録
04-06 13:20
「所要のことありて京都にのぼりけるが。平方橋本を過ぎて淀堤にかゝりければ日漸くかたぶきける」
(「玉櫛笥」巻5-1「川木黒河が幽霊」より)
古典籍総合データベース:
https://t.co/t8MNHC7kfw
大坂冬の陣のとき、先陣を争って馬で淀川を渡る際にこのあたりで敢えなく溺死した
04-06 13:17
古典籍総合データベース:
https://t.co/2YkR5DOkwp
「江戸怪談文芸名作選」第1巻(国書刊行会、2016年8月)も原文ママ。
義端が義材を義村と誤るとはちょっと考えにくいので、振り仮名も含め筆工の間違いかしら。
04-06 12:51
【流れ公方、足利義材】
林義端「玉櫛笥」(元禄8年板行)巻5-3「焼火の奇瑞」に
「この時前の将軍源義村公(よしむらこう)は官職をやめられ勢ひを失ひ。ひそかに京都を出で。周防国に落ち下り大内介を頼み。名を義尹(よしただ)と改め」
とありますが義材(よしき)の誤りですね。
04-06 12:45
子らが眠った後の夫婦の読書と音楽📖🎵
https://t.co/guvF7hPTYR
04-05 22:28
「文豪徳田秋声を悩殺した山田順子、今は観音様の生きた化身(?)となる」
(「青春タイムス」1951年4巻1号)
https://t.co/Rk6E5TJ5K0
書かれている内容はあまり正確ではないです。
巻頭グラビアが女性の裸ばっかりでおどろきました……
04-05 15:44
『銭屋五兵衛』といえば、徳田秋聲記念館の2011年7月31日~11月25日の企画展「没後70年記念 徳田秋聲と桐生悠々―反骨の人」に桐生政次(悠々)の『銭屋五兵衛』(〈少年読本第8編〉博文館、大正12年)が展示されたことがありましたね。
04-05 15:26
と述べている。私もこの秋江の意見には賛成であり〉
(前掲、大杉重男「冬の金沢で思ったこと」)
みずから筆を持たぬ無名の芸術的女性を通して世態人情を観察、とは流石に秋聲作品の本質を見抜いていますね、秋江さん。
04-01 13:34
葬式で読み上げるために大きな紙二枚に書かれたもので、秋江全集にも収録されていない。秋江ははま夫人を非常に高く評価し、この弔詞では「秋声氏畢生の傑作名什は殆ど悉く夫人を透して世態人情を観察したる結果」「夫人の如きはその点に於て実は親ら筆を持たぬ無名の芸術的女性であつた」
04-01 13:34
【秋聲作品の本質】
〈その後立ち寄った徳田秋聲記念館では、圧倒的な必然性と実在感を持つ原稿を見ることができた。それは、企画展「『足迹』――書き尽くされた妻の生涯」に展示されていた初公開資料、近松秋江自筆の「弔詞」の原稿である。これは秋聲の妻はま夫人が亡くなった時、
04-01 13:33
大杉重男ブログ:「王殺し」殺しとしての「大逆」事件(2023.3.31)
https://t.co/Glbopmu9nu
〈中島一夫のブログ記事「物語と悪――王殺し「後」の中上健次」(その1~その5)を読んだ。中島氏とは、以前平野謙の自然主義評価をめぐって論争したが、その時は明確に言語化できなかった私と中島氏の…〉
04-01 08:44
大杉重男ブログ:冬の金沢で思ったこと(2023.3.31)
https://t.co/Z4okqHYpgV
〈二月後半に金沢に行ってきた。1日目は鈴木優人指揮オーケストラ・アンサンブル金沢の演奏会、2日目は石川近代文学館と徳田秋聲記念館の企画展に行き、3日目は西田幾多郎哲学記念館に寄ってから帰京した〉
04-01 08:42
プレドラッグ・カタニッチ(ヴィオラ)Predrag Katanic (viola)
加藤麻理(ピアノ)Mari Kato (piano)
https://t.co/MNZRcxXCXq
03-31 23:59
バッハ《組曲第6番 BWV1012》(原曲:無伴奏チェロ組曲第6番)Bach: Suite No. 6 BWV 1012
〖演奏〗
トーマス・ライプル(テナー・ヴィオラ)Thomas Riebl (tenor viola)
エーリヒ・ヘーバルト(ヴァイオリン)Erich Höbarth (violin)
https://t.co/eDpxTcR7z5
03-31 23:59
【五弦のテナー・ヴィオラ】
»Five Stringed Tenor Viola« (Unimoz 48)
〖収録曲〗
シューベルト:《アルペジョーネ・ソナタ イ短調 D821》Schubert: Arpeggione D.821
タネーエフ《ヴァイオリン、ヴィオラ、テナーヴィオラのための三重奏曲 作品31》Taneyev: String Trio Op.31
https://t.co/uy5ZzDCrYC
03-31 23:58
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
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