がさがさ歩きまはつたり、机のうへへ駈けあがつたり、電気スタンドのセイドを引掻きまはしたり、蠅にからかつたりしてゐるかとおもふと悪戯さうに寝てゐる私の顔になめついたり、読んでゐる私の本の頁を踏みにじつたりした」
しかし動物嫌いの秋聲にも「微笑ましい愛情」を感じさせてくれたマリ子は、
04-29 23:48
家で唯一慣れ親しんでいた猫ですが、愛想がなくあまり傍に寄り付きません。秋聲に最も馴れていたのは、その二代前のマリ子という西洋種の猫でした。
「マリ子は私の身のまはりをふざけ廻り、彼女の顔の美しさにも増して愛らしい、それはまるで金鈴のやうな啼声を立てゝ、本や雑誌の積み重ねのうへを、
04-29 23:46
の蝶子(徳田百々子)が「ひよこひよこ部屋に入つて来てにこにこしながら、抱いて来たペルシヤ猫を好子に見せたりしてゐ」た猫のことです。やがて蝶子は気兼ねして部屋に来なくなり、「彼女の膝に這ひ寄つて来るのものと言つては、蝶子のペツトの黒猫だけ」になってしまいました。そうやって彼女がこの
04-29 23:44
てから、私は十日ばかりの昼と夜とを何うにかかうにか胡魔化して来た」
徳田秋聲「猫」(『灰皿』砂子屋書房、昭和13年8月)
https://t.co/i05Hz3BbcF
家のペルシャ猫でも寄って来てくれれば、体に穴の開いたような頼りなさも少しは紛れる、とあるのは、『部屋、解消』
04-29 22:49
短篇『部屋、解消』(「中央公論」昭和10年3月)の好子(小林政子)が森川町の彼(徳田秋聲)の居宅を去ってから十日後、秋聲は随筆「猫」(「行動」昭和9年1月1日)を書きます。
「彼女が私の傍――私の傍より他に、可哀想な彼女の居るところが、私の家庭にはなかつたのだから――を離れて行つ
04-29 22:47
最適な職業は:雑誌編集者
https://t.co/30aBtn54y0
#NLN
04-29 22:40
でも、2000年以前の掲示板などは、あらかた消滅していて、今からではもう確認しようがありません。
ところで、本が書棚から溢れて所狭しと積まれてる部屋も「汚部屋」に見えるかしら。私の勉強部屋に人を入れることはあんまりないけど。
04-28 23:12
いく過程が淡々と描かれています。Z子との交際については、かなり端折られてますし、秋聲との恋愛事件に関する予備知識がある程度ないと、茫漠としてよく判らないと思います。秋聲の伝記や研究論文で屢々扱われる短篇ですが、作品としては、ちょっと散漫かな。
04-28 22:51
になりきってしまったZ子と、素朴で罪のない性情を彼の友人たちにも好感を以て迎えられる好子とは、まったく対照的です。好子については、彼女を愛し嫉妬しながら、彼より相応しい男が現れれば手放してもいいといった優柔不断な態度や、彼の家族からの余所余所しい扱いによって、彼女が深く傷付いて
04-28 22:50
徳田秋聲『部屋、解消』(「中央公論」昭和10年3月)。Z子(山田順子)と好子(小林政子)という2人の女性が、小説家の彼(秋聲)の書斎に出入りするようになり、または彼の家に同居するようになった揚げ句、彼の許を去っていくまでを書いた作品です。元々娼婦型で、家を出てからはすっかり巷の女
04-28 22:37
(書き込みは5月24日)もちろんこれが一番古い用例ではないと思いますが、初出は判っているのかしら。
04-28 08:05
汚部屋(おべや)は、2000年頃から2ちゃんねるなどの「おのが住み処の汚なさやだらしなさを自虐的に自慢しあう掲示板」(『諸君』「麹町電網測候所」2005)で使われだした言葉のようで、私がネットで調べたところでは2001年3月5日の「下高井戸スレッド2」での用例が一番古かったです。
04-28 01:30
どういう研究なのかしら。
https://t.co/OkwYDdg5rT
04-28 00:54
1920年(大正9年)生まれ。原節子と同い年。
04-27 23:10
#よく使う言葉からあなたの年齢を当てる
漢字…昭和・徳田秋聲・晴子
カタカナ…モデル・シロイルカ・トルストイ
動詞…書く・出る・ゐる
形容詞…あつい・美しい・好い
【結果:あなたは96歳です】
https://t.co/NhbP0VfUL9
04-27 22:58
「お礼も牛曲げます。」と書いてメール送りそうになった。
04-27 12:18
@kaguragawa びったりくると思ったのです。金沢に「てんてん」の用例があればいちばん良いんですけど。
04-26 23:55
@kaguragawa ありがとうございます。kaguragawaさんが「てんてん」をお聞きになったことがあるかどうか、お伺いしたかったのですが、ないですか。富山の言葉にこだわっているわけではありませんが、距離的にも近いですし、誤植でなければ、「足早に」が今のところいちばん
04-26 23:55
@chinoboshka 追加です。正宗白鳥『髑髏と酒場』、シュティフター『地下墓所をゆく』、ゲーテの詩『シラーの頭蓋骨をながめて』、岩野泡鳴「二のしやりかうべ」(『恋のしやりかうべ』所収)、西鶴「因果のぬけ穴」(『西鶴諸国ばなし』巻三の七)、山東京伝『本朝酔菩提』。ご参考まで。
04-26 23:40
@chinoboshka ロバート・ブロック『サド侯爵の髑髏』は既出でしょうか。ツルゲーネフの散文詩『髑髏』、『ハムレット』のヨリックの髑髏も挙げておきます。
04-26 22:06
@chinoboshka 『平家物語』の髑髏尼。「大門よりはるかに遠くのきて髑髏のあまといふ非人ありけり、同乞食の中にもまじらず、其故は懐におさなきものゝかうべをもちたるが、日数ふるまゝに、その香なのめならず臭かりければ、非人是をくはへず、さる程に只一人すごくすぐしけり。」
04-26 20:14
メアリー・カサット《子供の入浴》(1893)
Mary Cassatt, "The Child's Bath" (1893)
#よい風呂の日
https://t.co/qE5tjPf1Ta
04-26 13:00
朝井閑右衛門『仮装人物』挿絵(現代日本文学館8「徳田秋声」文藝春秋、昭和44年7月)。庸三の頸を締める葉子。
https://t.co/UCqlNwhKX2
04-26 01:31
ブルーノ・シュルツ《鞭を持つ女と跪く男》(1937)。
Bruno Schulz "Kobieta z pejczem i klęczący mężczyzna", 1937, Muzeum Literatury, Warszawa
https://t.co/C5tbT1032g
04-26 00:24
ブルーノ・シュルツ《鞭を持つ女と跪く男》(1933)。
"Kobieta z biczem i klęczący mężczyzna", przed 1933, Muzeum Literatury, Warszawa.
https://t.co/JsHMFPthGb
04-26 00:18
好き。。。 かっこいい♡
https://t.co/LCrPqybsXy
04-25 16:30
「変態」大学おさらば 近大が英語名変更 でも直訳は…:朝日新聞デジタル
https://t.co/Flz5K2VApt
>「(「KINDAI UNIVERSITY」は)直訳すると「近大大学」となり、ダブりでは?」
"Saidai-ji Temple" などと同様と思えばいいです。
04-25 16:11
@ballet_kko いつも優しいお心遣いありがとうございます! そんなこと言われたら、いい夢を見ないではいられません!
04-25 16:08
ぬめりさんの素顔、やっぱり賢そうだわ。
04-25 12:52
たぶん悪夢に魘されて引っ掻いたのだと思う。電車に轢かれそうになる夢を見ました。
04-25 12:49
秋田県教育委員会『秋田の言葉』では、〈ひと財産を築くことを「かまどをあげる」と言い、家産を失うことを「かまどをけあす」と言う。竈の火を消すというのではなく、竈そのものが二度と使えないように〉なること、と書かれています。
04-25 12:47
@yuukakubu 釜返す(かまけあす)釜をひっくり返す、と説明している書物もありますね。〈「かまどけあす」は、身代をひっくり返し、家を落ちぶれさせること。「かまどけあし」は、破産者から転じて、放蕩者、何の役にも立たない者〉(真田信治・友定賢治『地方別方言語源辞典』東京堂出版)
04-25 12:46
朝起きて胸の辺りがチクチクすると思ったら、鎖骨から下に5センチくらい引っ掻いたようにミミズ腫れになっていました。薬を塗ったらすごく滲みたので、虫さされかとも思いましたが、痒みもないし、自分で引っ掻いたのかも知れない。暑くなってきたのに、胸が開いた服はしばらく着られません。
04-25 12:21
@tonton1965 私自身が年号に慣れるための練習、という面もありますね。平成8年と言われてパッと1996年
と出てくるように、みたいな。特にこだわりはありません。
04-24 19:57
@tonton1965 この年鑑は「平成」で記述されていますので、そのまま書きました。
04-24 19:31
「不断著のままで、てんてん(足早に、すたすた)出て行く」と解釈するのが正しそうです。日国に富山方言「てんてん」(副詞)として出ています。藪野直史様、ご教示ありがとうございました。
04-24 13:33
@Yabunovich 丁寧にご教示頂きありがとうございます。富山方言の「てんてん」(足早に歩くさま。すたすた)がいちばんしっくりきますね。富山は徳田秋聲の親友だった三島霜川の出身地でもあり、彼から耳にしていたかも知れません。金沢弁に同じ用例があるかどうかも調べてみます。
04-24 13:02
「不断著のままで、てくてく出て行く」だと、乗物にも乗らずに歩いて行くうちに気が紛れる――うん、あるある、って感じがするんです。
04-24 02:40
@juns_sikosiko ありがとうございます。「下町の親や兄弟のところ」へ転々とかなと思ったのですが、どうもしっくり来ません。この時期の好子の心情を察すると果たして「恬々」かなあ、とも思います。
04-24 02:37
初出、初版、非凡閣全集のいずれもが「てんてん」です。行き先が「転々」で「あっちこっち」の意かしら。
04-24 01:40
「動もすと彼女は寂しさうであつた。それにいつも差向ひの部屋だけの空気が悪化することも、月に一度や二度はあつて、その度に好子は不断著のままで、てんてん出て行くのだつた。」
徳田秋聲『部屋、解消』(「中央公論」昭和10年3月)より。「てんてん」は「てくてく」の誤植かとも思いましたが、
04-24 01:40
@tonton1965 「香蘭」の歴代主宰(代表)は、村野次郎、星野丑三、千々和久幸の順らしいですね。
04-24 01:21
@tonton1965 Hatena Keyword 拝見しました。「『杏蘭』主催、顧問」とありますが、「杏蘭」ではなく「香蘭」です。
https://t.co/qwvq3KjVsB
04-23 23:47
RT @KNM2002: 蕪村の文章が書かれた文台を眺める川端。両脇にあるのが国宝「十便図」と「十宜図」。国宝の10cm先に吸いさしの煙草…オーナーなので自由。贅沢。
https://t.co/tSpjuTgRAV
04-23 21:41
RT @KNM2002: 太宰が川端にあてた「芥川賞くれ」という有名な手紙も実物あり。4mくらいの巻紙。「客観数学的なる正確さ一点うたがひ申しませぬ 何卒私に与えて下さい」「早く、早く、私を見殺しにしないで下さい きっとよい仕事できます」
https://t.co/W5ZZRg…
04-23 21:40
@tonton1965 前記の年鑑340頁に載っていました。平成13年4月11日、92歳で歿。
https://t.co/annRZCZCuw
04-23 14:36
「川端香男里、世界が見る川端文学」(2016/4/20)
https://t.co/Xcud6XE2sA
04-23 01:56
@tonton1965 そうかもしれませんが、ひょっとしたら、
短歌年鑑 平成14年版 :「短歌」平成14年1月増刊号
https://t.co/vIpj0E9cLe
の方に載っているかも知れません。
04-22 20:17
@taqqqqqqq9 小田切秀雄 編『発禁作品集』(八雲書店、昭和23年)でも「『媒介者』伝徳田秋聲」となっています。ご参考までに。
https://t.co/UheEju8qTB
04-22 16:19
@tonton1965 ご教示ありがとうございます。たいへんな長寿ですね。年鑑か何かに出ていたのでしょうか。
04-22 16:14
@tonton1965 そうでしたか。下記のurlの検索窓に「神山裕一」と入れると逝去と出て来るんですが、誤変換の可能性もありますね。
https://t.co/XqHntJu60V
04-22 16:10
@tonton1965 神山裕一は92歳で亡くなったようです(平成13年歿か)。
未確認ですが、角川書店『短歌』平成14年第49巻第1~3号のどれかに死亡記事が載っているらしいです。
04-22 01:13
「(紅葉は)金満家の実力者にお花を取られたので、大に憤慨してこの号を中村にやってしまった。中村は喜んで花痩といっていたが、あとでそのいきさつが分ると、この恥を雪ぐという意味で、その後は雪後とつけ変えたそうだ。」(伊藤秀雄『明治の探偵小説』晶文社、昭和61年10月)。
04-22 00:10
「紅葉が花瘦と俳号を附けたのは、館妓にお花といふのがゐて、それを愛顧にした。即ち花に痩せるので有つた。とは知らずに其花瘦といふ俳号を譲り受けた中村柳園は(後雪後と改む)余程甘いもんだと、同人間では笑つたのであつた。」
江見水蔭『自己中心 明治文壇史』(博文館、昭和2年10月)。
04-22 00:10
私もふくよかな方の俑が好きです。
https://t.co/qaOMd7Iffx
04-21 22:26
@taqqqqqqq9 そうですね。『媒介者』は代作と言われていますが、自分の名義で発表した以上、ちゃんと責任は果すんですよね。
04-21 21:56
Odilon Redon (20/22 avril 1840 – 6 juillet 1916)
« L'arbre rouge » (avant 1905); Amsterdam, Van Gogh Museum.
https://t.co/CYKvjaSJ7p
04-21 21:11
ここからはチャント見えとったヤナイケ!エエ加減ニセーヨ!」と判定を野次っている。〉
笑わずに読み進めるのがむずかしいんですけど。。。
04-21 12:14
タルヨッテニナ、覚エトケヨ!」と味方の選手の具合を心配するよりも、まず相手投手を威圧している。〉
〈味方の選手が盗塁を試みたが、間一髪アウトと判定されて;「ナンヤソレ!何がアウトヤネン!下から足が先に入っとるヤナイケ!審判の立つ位置おかしいノントチャウカ?
04-21 12:10
長岡壽男「プロ野球ファンの野次―大阪弁による事例―」大阪青山大学紀要 2012;5:67-83.
https://t.co/tExGw5UUoO
〈相手投手が、味方の選手に死球を与えた場合に;「コラ!ドアホ!何サラシトンネン。オイ、(選手名)!後でワイトコヘ来い。ボカボカニイワシ
04-21 12:08
でもこの場面を見るたびに、「おじさん、本を大切に扱えって言ってるけど、全部ビショ濡れやん」と心の中でツッコんでしまう。
04-21 01:25
すみません、あんまり駄洒落がしつこいのでミュートしてます。
04-21 00:49
パラジャーノフを
https://t.co/ob9CBAP6U0
04-20 23:50
要するに鈴江の父親は、晴子の置屋から娘を抜けさして台湾か満洲の芸者屋に売り飛ばしたいのだけれど、花柳界には花柳界の聯盟の決まりがあるので、勝手なことは出来ない。そこで桂庵の桝本を雇って間に立てたと。
04-20 20:22
抜玉(ぬきだま)とは。ある置屋から芸妓を引き抜いて、ほかの置屋に住換させること、でいいのかしら。
04-20 20:12
「向うに桂庵が一人ついてゐるの。(中略)抜玉といふ手もあるけれど、何処かへ遣る場合には、全国的に同業の聯盟といふものがありますから、矢張(引用註:桂庵の)桝本さんに渡りをつけない訳にいかないの。」
徳田秋聲『彼女達の身のうへ』八
https://t.co/h1Sn5aAvC8
04-20 19:58
「詘寸信尺(誳〔詘〕寸而伸尺)/寸を詘(ま)げて尺を信(の)ぶ」(淮南子・氾論訓)
04-20 19:33
@ballet_kko はい m(_ _)m
04-20 00:57
批判的に描いている、といった見方は一面的です。勿論、芸妓本人の意志を全く無視した人身売買的な扱いには反対で、鈴江を救ってやろうとはしていますが、そもそも秋聲の分身である粟田が、晴子を経済的に援助して置屋を出させ、自身は芸者屋の帳場に親爺として収まっていることを忘れてはいけません。
04-20 00:54
いるわけではありません。鈴江自身、文龍に「どつちが好い? 野良仕事と芸者と」と訊かれ、「気骨が折れても美しい著物きて楽してゐる方がいいに極つてる」と答えているように、好い思いも悪い思いもしながら、結構したたかに生きています。秋聲が花柳界そのものを、男性が女性を搾取するものとして
04-20 00:22
実の娘を芸者屋に売って金を作り、その金で事業に失敗すると、当然の親孝行だと言わんばかりに、さらに金を搾り取るために台湾か満洲に転売しようとする鈴江の父は、現代人から見れば鬼畜のような親ですが、かといって鈴江や文龍ら芸妓が、奴隷的労働に従事されられた悲惨な存在として一面的に描かれて
04-20 00:19
「勉強しているときが楽しかった」石川敬三さん(神戸・1905年生れ):
https://t.co/QTPROKbXev
(「にっち倶楽部」45号より、「百歳の肖像」。2006年12月)
2007年1月17日時点では御存命で、魚崎在住(そのころテレビ出演なさったとか)。
04-19 23:06
@tonton1965 石川敬三さん、100歳の時の記事があるんですよね。
https://t.co/QTPROKbXev
04-19 22:28
#死という言葉を使わずに死を表現してみろ
ちょっと田んぼの様子を見てくる
https://t.co/VU3nUUWRdg
04-19 21:23
に、「本人の貴方が承知しないものを、何うするといふ訳には行かないのよ」と言って聞かせ、いざとなったらそうするようにとの意を含めてか、文龍のことを例に出します。
「それに彼所へ行くと、あの先きは親元の承諾なしで、桂庵が自由に売り買ひできるんですよ。」
「さうなつたらもう奴隷だ。」
04-19 20:07
いう芸者の話として出てきます。文龍は、壮士を引連れて来た父親によって余所へ拉致されそうになった時、「一時承知したやうに見せかけて、警察の人事課へ飛び込んで行つた」ことがあった。置屋を営む晴子(小林政子がモデル)は、父親に台湾か満洲に転売されそうになっている鈴江という仕込みの抱え妓
04-19 20:06
「〇引例二十九 抱へる玉は先ず合意上の有無を聞いて」
https://t.co/oPjohrtJOC
娘が、親や周旋人に無理矢理芸者屋へ売り飛ばされそうになった場合、最後の手段として警察に保護を求める、という事例が紹介されています。似た話は徳田秋聲『彼女達の身のうへ』八に、文龍と
04-19 20:04
比企昌業『花柳の顧問』三業人事頼信社、大正15年7月。
https://t.co/mJebjSYTdG
04-19 19:49
#タイトルを命令形にするとかっこいい
『黴びろ』
『爛れろ』
『あらくれろ』
『死に親しめ』
『光を追へ』
(徳田秋聲づくし)
04-19 19:24
大杉重男ブログ:石原慎太郎の連用中止法
https://t.co/BKDCOEUff3
「大江の場合は、同じ連用中止法でも、失語的・吃音的な齟齬を感じさせるのに対して、石原の場合は何か威張ったようなもったいぶったものを感じさせるのは、こちらの側の偏見のためだろうか。」
04-19 19:14
寂聴さんのお顔のアップがシロイルカに見えました。
04-19 00:41
前列左から室生犀星、北見志保子、中村武羅夫、小寺菊子、徳田秋聲、近松秋江、岡田三郎、小野みち子、小金井素子。
04-18 23:04
あらくれ会。昭和10年1月19日、山水楼にて。
後列左から三上秀吉、田辺茂一、三宅正太郎、上泉秀信。中列左から川崎長太郎、井伏鱒二、岡山東、高原四郎、榊山潤、尾崎士郎、豊田三郎、徳田一穂、阿部知二、野口冨士男、舟橋聖一、阪本越郎。
https://t.co/hGOja9hRth
04-18 23:04
大して難しくないです。
04-18 22:55
獲得:すばらしい!あなたは50人に1人の逸材です!! https://t.co/HWS8lmURev @play_buzz さんから
04-18 22:53
夕景だけに、所々から爨煙が上がっていますね。芸が細かいです。
#真田丸
04-18 00:18
@BWV80 貝殻はなかったです。昨夜放送されたのは第3話「宇宙からの贈りもの」でしたので、「ナメゴン」というらしいです。
04-18 00:00
『真田丸』第14回「大坂」で放送された、天正14年(1586年)6月、京の都のCG。細かいところまで良くできています。
#真田丸
https://t.co/rbQrgQwBpP
04-17 23:57
昨夜テレビで地震情報を見終わった後、チャンネルをあっちこっち変えてたら、ナメクジの怪獣が出て来たので最後まで観てしまいました。KBS京都で4月から放送しているカラー版の『ウルトラQ』でした。実は私、『ウルトラQ』を見るのは初めてで、台詞回しはいかにも子供向けでしたが、面白かった。
04-17 22:58
@louoly_o0 やっぱりそうですか。ありがとうございます。
04-17 01:05
「座敷から帰つて来る米子を見る毎に」(徳田秋聲全集第17巻119頁上段19行目)
「座敷から醜い顔をして帰つて来る米子を見る毎に」(『チビの魂』昭和15年、青木書店、所収。229頁)
この異同は八木書店版全集に載っていませんが「醜い顔をして」があるとないのとでは印象がかなり違う。
04-16 23:33
「霄星のやうな軟かい彼女の目が潤んで来た。」(徳田秋聲『彼女達の身のうへ』二)
霄星(よいぼし?)は、宵星(宵の明星)か。
片山正雄『最近獨逸文學の研究』(博文館、明治41年12月)では、ジャン・パウルの»Hesperus«に「霄星」の訳語を宛てている。
04-16 23:20
おしりから何か出て来てませんか。。。
https://t.co/zhBueW3eQY
04-16 19:21
「強風、地震による部材の変位、温度差による熱変形などを予想すると(中略)充分なエキスパンション・ジョイントもとる必要がある。」(磯崎新『手法が』美術出版社、昭和54年)
#エキスパンションジョイント
04-15 23:27
これがその梗概です。
https://t.co/uv30xXKsx4
04-15 19:46
徳田秋聲が三島霜川・田口掬汀との合著『愛!恋!情!』(新声社、明治36年2月)に掲載した『愛!』という作品があります。以前にツイッターで梗概を紹介したことがあります。なお霜川作が『恋!』、掬汀作が『情!』。
https://t.co/9saOiSPN45
04-15 19:39
小説の後半に、別の芸者の話で「その人(引用註:よく通ってきた学生)は芸者がそんな事するものだと思つてないのよ」という台詞もありますし、「そんな事」なのかしらと。
でもなぜ「分け」なら無論「あれ」があるんでしょうね。(花柳界に詳しい人が読むとまだるっこしいでしょうが本当に判らない)
04-14 20:49
など、ざらだつた。体は健康でも、芸者らしい気前の芸者ほど末路は哀れだつた。」
「古い情緒の幽霊に瞞されがちな此の世界では、病菌は思ふままに野さばるに委かされてゐて、それが有ゆる生活を喰ひこんで行く訳だつた。」
とすれば、「あれ」とは「転び」のことなのかな、と思います。
04-14 20:22
晴子は気立ては悪くない米子を何とか盛立てようとしましたが、客が付かず、結局また余所へ流れて行くことになりました。
「晴子はこの稼業の女の、悲惨な末路を厭といふほど聴かされもし、見もしてゐた。長年の病毒に蝕まれて、四十すぎても客を取り取りした揚句、肉体的にも惨めな死方をするのなど、
04-14 19:55
収益分割の割合」(松田有紀子「芸妓という労働の再定位」)が半々ということです。米子はぴちぴちした晴子に較べ「婆さん」のように草臥れていて、芸事も不得手で、客受けもよくありません。「鼻のぐづぐづするやうな声」で、涎を繰る癖があり蒲団がびしょびしょになるほどだとも書かれていてます。
04-14 19:51
れたのは、この芸者米子のことです。粟田は秋聲の分身の印刷屋。晴子はその愛人で芸者置屋を営んでいます。「あれ」とは何でしょうか。米子は晴子より一つ年上の中年増で、新橋、大森、烏森と流れて来て場末の晴子の置屋に分けで抱えられました。分けとは、「稼業年限」が「前借金の完済時点までとなる
04-14 19:44
〈「ああいふのは、あれはないの?」
粟田は晴子にきいて見た。
「無論ありますとも。分(わけ)ですもの。」
晴子は澄してゐたが、さう思つて座敷から醜い顔をして帰つて来る米子を見る毎に、粟田は何か気持が悪かつた。〉
徳田秋聲『彼女達の身のうへ』四より。先の引用で鼻が梅の花なりと描写さ
04-14 18:59
小出次雄《順子甦る》(1937.11.21)。山田順子の肖像画。
https://t.co/ChMjH8wrfo
04-14 00:28
なお、小出次雄の生歿年は(1901-90)だそうです。
04-13 23:11
@tonton1965 同志社の高等商業部、女学校専門学部などで講師をしていたこともあるようですが、戦後は職を転々としていたみたいですね。芦川進一氏なら詳しいことをご存じかもしれません(すでにどこかに書いているのかも)。
04-13 23:04
@tonton1965 山田順子がバー「ジュンコ」をやめて関西に移住し、昭和11年に小出次雄と知り合った(大木志門『徳田秋聲の昭和』)そうですが、事情はよく知りません。
04-13 22:48
@tonton1965 ご教示ありがとうございます。なぜ節子が山田順子のモデル小説を書いたのか、これで繋がりが判りますね。
04-13 22:38
RT @tonton1965: @kameiasami 次雄と節子は小出正吾の弟妹のようです。
04-13 22:36
@tonton1965 出て来ますよ(画像参照)。小出の勧めで作品を書き上げたとのことですが、宗教・哲学に悪かぶれしていて、読むに耐えないです。
https://t.co/iGmgOJyZeJ
04-13 22:35
秋聲自身が未定稿を没にしたとすれば、野田を登場させた後で、この重複が不都合だと気付いたためだと私は考えます。
04-13 01:59
晴子(≒銀子)の置屋の壁隣りに住む或華族の養継子の四十五六の紳士のモデルと同一人物であり、『縮図』の均平の生立ちはこの人物を参考にしている可能性が高いと思います。つまり均平に似た存在として野田を持ち出したのではなく、均平のモデルとなった人物を未定稿で登場させてしまったということ。
04-13 01:51
の写し絵のような存在であり、「これは想像でしかないが、秋聲は類似の人物を登場させることで(中略)花柳界のように男性が女性を搾取しつつ生き ながらえる制度を批判」しようとしたのではないかとの指摘がありますが(232頁)、この人物は『彼女達の身のうへ』(「改造」昭和10年1月)三で、
04-13 01:46
ざっと通読しました。16年ぶりの徳田秋聲研究の単著に相応しい立派な研究書ですね。過去の論文も最新の研究成果を反映して大幅に加筆されているようです。
ただちょっと気になった点を一つ。第8章 資料から見る「戦争」1で、『縮図』未定稿に登場する「華族の庶子」の野田とその愛人は均平と銀子
04-13 01:45
大木志門『徳田秋聲の昭和 更新される「自然主義」』(立教大学出版会)を手に入れました。竹久夢二の絵や山田順子の肖像写真等、図版が豊富です。これから読みます。
https://t.co/tkRa7oQ45P
04-12 20:06
「鼻も梅の花なりであつた」―いったいどんな鼻なのか、よくわかりません。先を読んでいくとこの人、花柳病に罹っている感じです。
04-12 20:03
「年は誰でも首筋のところへ出るものだが、この人は別けても詰り加減な顎から咽喉のあたりの皮膚の皺に、それが刻まれてゐた。口に締りがなく、鼻も梅の花なりであつたが、お品のわるい顔ではなかつた。姿は好い方で、形がちやんと出来てゐた。」
徳田秋聲『彼女達の身のうへ』(「改造」昭10.1)
04-12 12:56
明治後年代の宿泊料と交通費(箱根の温泉)
https://t.co/sS6DSvCo5O
浅間温泉旅館及宿泊料(大正7年)
https://t.co/ZLbRT3OOYp
吉野詳山及熊野方面及其附近の宿料其他一覧表(昭和12年)
https://t.co/phGa702Cxs
04-12 00:08
「彼は源氏の頁を少しめくつて見たが、相変わらずへなりくなりとした其の文脈と、朧ろげな感じだけで行かうとした、謎のやうな言葉が、じれつたいほどなよなよと区切りもなく続いてゐるのに、うんざりした。」
徳田秋聲『稲妻』(「行動」昭和9年10月)
04-11 23:31
槓杆【こうかん】梃子に同じ。*徳田秋聲『稲妻』(「行動」昭和9年10月)「さうした心の重荷が亦彼の物憂い生活にとつての槓杆となつてゐる。」→この「槓杆」は「てこ」と訓む。
04-11 23:24
〇闕畫 擡頭 平出 闕字 邨岡良弼(『皇典講究所講演』95、明治26年1月)
https://t.co/hIHpzb7Ap2
04-11 22:52
獲得:あなたの年齢は18歳! 色の見え方によるあなたの年齢は? https://t.co/28XftkYlD8 @play_buzz さんから
04-11 08:22
ロシア作家肖像集(Портреты русских писателей)
https://t.co/OMF73mizHi
04-10 01:37
さっきの地震、亀岡市が震度3だったらしい。突き上げてくるような感じでした。
04-10 01:30
Pierre Peyrolle « Hommage à l'Ile des Morts »
oil on canvas, 150 x 125 cm 1990. Private collection.
https://t.co/0pIACynEUt
04-10 00:43
Toteninsel Revisited - in 3D
(Hommage à Arnold Böcklin)
https://t.co/Q2UPvzfdYG
04-10 00:38
江戸時代の妖怪本などで、妖怪の目が怖いからか、目が墨で黒く塗り潰されていることがありますが、この気持ちはすごくよくわかります。私の子供の頃も、目のいっぱいあるお化けの絵がこわくて、マジックで体全体を真っ黒に塗り潰したことがあります。正視できないほど怖かったのを覚えています。
04-09 22:52
そういえば子供の頃、頭を洗った後、目を開けると何か居そうで怖かった。
04-09 13:56
人の鼻をつまむシーン。
https://t.co/Af9Rm7SpXb
04-09 01:19
沈思熟考のしぐさだと書いてあった。これは医者や化学者のよくやる姿態だという。これも多分、鼻が顔の真ん中に出っ張っているので、外からの刺戟や心に浮かぶ表象をこの一点に集めて、考えに耽る、考えをまとめるのに都合がよいのであろう。」『千田是也演劇論集』第8巻335頁。
04-08 22:52
「手で鼻をつまむ動きやポーズはユーモラスな反面に沈思熟考を表現することが多い。」神野寬『現代舞踊の美学』492頁。
「〈鼻を摘む〉とは、いやな匂いのやってくる入口を塞ぐため、それが〈鼻摘みもの〉というように、不快一般の表現になるのだとばかり思っていたら、物の本には〈鼻を摘む〉のは
04-08 22:52
(徳田秋聲記念館報「夢香山」第8号「新収蔵資料紹介」、平成28年)
なお当記念館の今年度の企画展の予定は、
・7月24日~10月29日「川端康成展」(仮称)
・11月3日~3月12日「秋聲全集物語展」(仮称)
だそうです。私は特に後者に興味津々。それまで生きていられますように。
04-08 22:27
〈昭和16年に開戦した太平洋戦争下、その翌年に日本文学報国会が結成され、秋聲は小説部会長に就任しました。軸に記されているのは、「万葉集」に収録された長奥麻呂の和歌で、その箱書きにより同会企画の「愛國百人一首」に採用されたのち、何らかの記念として揮毫されたものと考えられます。〉
04-08 22:26
毎年見るのを楽しみにしている枝垂れ桜。盛りを前に雨で大分散ってしまいました。
https://t.co/JSZOyFQIad
04-08 21:17
徳田秋聲記念館ブログ『寸々語』2016年4月2日「病秋聲謹書」にある、記念館に現在展示されているという自筆掛軸は、下記のものでしょうね。徳田秋聲記念館が購入なさったのであれば、いちばん良いところに収まりました。
https://t.co/eZePKk1oCD
04-08 16:19
六十代前半の徳田秋聲が、自分の長男とほぼ同い年の恋人、小林政子(芸者。当時28歳くらい)に出した手紙です。この後「余り酒に浸させたりすさませたりするのは辛いことなのだ。」「余り芸者にはしたくないのだ。(これは普通の芸者らしい芸者になつてもらいたくないといふ意味なのだ」と続きます。
04-07 20:56
「先日は君を少しいぢめたりしてごめんなさい。今夜のやうに(今夜は芳蘭亭で二十七日会があつた)会の帰りなどにさびしい家にかへつてくるとき行きどころもないやうな気持かつひあんな厭がらせみたいない形になつてしまふのだ。」
徳田秋聲から小林政子への手紙(年不詳)
04-07 20:38
鼻の穴涼しく睡る女かな 日野草城
04-07 20:32
小出次雄は、東大大学院比較文学比較文化専攻を出た芦川進一という人の恩師だそうで、『ゴルゴタへの道』で随分熱心に論じているようですが、未読です。
https://t.co/bech3irSIi
こちらの「なか見!検索」233頁に小出次雄の著作一覧が載っています。
04-07 19:42
でも、女は男が帰ってきたときに、座ったままウトウトしているふりなどをして気を引くこともありますよ。
04-07 16:37
@ballet_kko いえいえとんでもありません、さすが専門的な分析ですね。勉強になりました。わざわざ聞いてくださって、ありがとうございます。
04-07 16:23
@juns_sikosiko 恐れ入ります。序でですが、『三輪田眞佐子 人間の記録167』(日本図書センター、平成17年)74頁にも「媒酌の労をとったのは、宇田淵、山中静逸と松尾多勢子であった」とありますね。以前調べたのを思い出しました。
04-07 15:45
【訂正】
親類惣代は、和田栄治郎ではなく「和田栄太郎」。
04-07 14:55
@juns_sikosiko ありがとうございます。お手数をお掛けしました。でもよく見ると「和田栄治郎」でなくて「和田栄太郎」ですね。
04-07 14:49
三輪田米山「米山日記」(写本)明治2年4月9日条:
https://t.co/8C3rjQnOYr
@juns_sikosikoさん、どうもありがとうございました。
04-07 14:20
ことも考えたが、結局父母はその儘にして、新婦の身内は実母、本人、栗園の三者とし、親類惣代に和田栄太郎を立てて婚礼を行った。
恐らくこのことから、事情をよく知らない者が栗園と瀧野が梅野の父母であると勘違いし、三輪田真佐子は宇田栗園の娘である、と誤って伝えられたのだと思われます。
04-07 14:19
「米山日記」(写本)明治2年4月9日条所引の綱一郎書簡によれば、明治2年2月23日、綱一郎と梅野(真佐子の幼名)は宇田栗園媒酌により婚礼す。信州人弁事山中静逸と竹村お堂勢も媒酌人に加わる。中条次郎(侍郎)が遠方により婚儀に列席できないので、当初は宇田栗園の養女として体裁を調える
04-07 14:19
. @juns_sikosikoさんの調査「三輪田真佐子出自考」(https://t.co/tpk7oJ5BJj)をまとめますと、三輪田真佐子は高倉家家来・中条侍郎の養女。母瀧野は夫と死別後、侍郎と再婚し、真佐子も入籍したが実父は未詳。真佐子の夫となった三輪田綱一郎の兄・米山の
04-07 14:19
@juns_sikosiko はじめまして。ではその部分を書き換えますので、togetterも置き換えて頂ければ幸いです。宜しくお願い致します。
04-07 14:14
@tonton1965 これは @taqqqqqqq9 さんのツイートを拝見して、急いでまとめたものですので、小出節子の『若き娘の告白』はまだ読んでいないのです。もし小出次雄と関係があれば、そのことについて何か書いてあるかも知れないですね。
04-07 00:49
@tonton1965 さっきの小出といいますと?
04-06 23:36
@niina_noriko 短冊は、意外に安価で売られていますね。
04-06 23:32
@niina_noriko そうですね。師の梁川星巌は蓮月尼と懇意で、
三十一文字 孰其稱色絲 満朝簪纓貴 不及一老尼
という詩を読んでいますし、江馬天江とも親交がありましたから、接点はいくつもありそうですね。
04-06 23:30
徳田秋聲『一茎の花』(「文芸春秋」昭和9年4月)より。 秋聲の「悋気しい」全開の小説。仙子は小林政子。鼻をつまむ男、融は秋聲。そうそう、人が寝ているときに鼻をつまんだりする男っていますよね。
04-06 21:04
〈仙子は枕元に読みさしの一冊の探偵小説を伏せたまま、鼾を立てて寝てゐた。(中略)下向の細い鼻をつまむと、仙子は丸い手で払退けるやうにして目を開いた。
「昨夜二時頃に女給さんを連れこんで来た二人連のお客があつたのよ。」仙子はさういつて、現に手を延して彼の手を捜した。〉
04-06 21:03
@niina_noriko そうでしたか。未確認ですので正確な引用ではありませんが、尾島庄太郎の「富岡鉄斎夫人の和歌」に「母(春子)は、はじめ宇田淵(えん)さんに自作を見てもらっていましたが、大田垣蓮月尼に見せたこともしばしばでした」とあるようです。
04-06 20:51
『若き娘の告白』(仏蘭西書院、昭和24年7月。「序」小堀杏奴)。他に「祓所と竹林路」(妙齢会「小説集第1輯 年輪」昭和15年)、「犬」(妙齢会「小説九人集 」昭和16年)、「蔓薔薇の家など」(霜月会「七人集」、昭和16年)、「「桔梗忠」夫婦」(霜月会「沐雨集」昭和17年)。
04-06 20:18
小出節子(生没年不詳)作家。「妙齢会」(のち「霜月会」に名称変更)同人。小説「雨の夜」(妙齢会「作家を描いた短篇七つ」昭和16年5月)、長篇小説『樋口一葉』(三笠書房、昭和17年11月20日。「雨の夜」を改作し第一章に所収)、
https://t.co/0cB8MwF80s
04-06 20:17
尾島庄太郎「富岡鉄斎夫人の和歌」政界往来 1968;34(4):73-75.
04-06 16:34
@niina_noriko 宇田淵とでしょうか。
04-06 16:32
@Tapkara 十五世市村羽左衛門がハーフというのは、清閑寺健(野口武雄)「混血児羽左衛門」、里見弴『羽左衛門伝説』以来定説となっていますが、「公として」ではない、という意味で断りを入れているのかも知れません。
04-06 13:22
@ebaranakanobu81 そのまま、「おれい」と読みます。
04-06 13:11
「豊公の文筆を無視せる、奈破崙の自ら弾丸を運べる、華盛頓の月桂冠を辞せる、彼等豈に些の私欲を其の胸腔に挟まむや、英雄は只生れたるまゝに生長せるのみ、彼等豈に俗情の覊絆を取来りて其条々の感情の上に横へたるものならむや。」
徳田秋聲『断片』(明治28年)第七。引例が興味深かったので。
04-06 12:50
【誤植】徳田秋聲全集第17巻91頁下段6行目。
『一茎の花』
誤「今のいさこそをけろりと忘れ」
正「今のいさこさをけろりと忘れ」(昭和11年『勲章』所収、初版)
04-06 12:41
大正12年12月3日、近松秋江と生後50日の長女、百合子。この写真、好き。
https://t.co/XIzNwrbL8z
04-06 00:09
近松秋江『新古典趣味』(春陽堂、大正2年9月)口絵。
自著の巻頭に載せるくらいだから、自信のある写真だったのでしょうね。
https://t.co/RINJWZNfYa
04-05 23:36
「向田邦子賞に「ちかえもん」の藤本有紀さん 時代劇で初」(https://t.co/9cF3XUekZ4 2016年4月5日)
https://t.co/I7k7ct3rgS
藤本有紀さんのお顔、初めて見ました。
04-05 23:08
「川端香男里、川端康成―ノーベル文学賞秘話を中心に」(2016/4/1)
https://t.co/r2aVIPkEIh
04-05 22:22
やっぱりトルストイかしらね。
https://t.co/DSFiftPyF1
04-05 01:02
書斎の徳田秋聲。後ろにレーピン画のトルストイの肖像画が飾ってあるように見えるんですけど――秋聲はトルストイがあんまり好きでなかったような気が……
https://t.co/MLmXs6E0G0
04-05 00:32
昭和14年の徳田秋聲。掛けている愛用の丸めがねは現在、徳田秋聲記念館の収蔵品。
https://t.co/KtwwlyOCs3
04-04 20:38
バレエ娘@ballet_kkoさんがご指摘下さった、掛物の原詩全文を掲げておきます。
朱熹「醉下祝融峰作」
〈我來萬里駕長風 絕壑層雲許盪胸 濁酒三杯豪氣發 朗吟飛下祝融峰〉
〈我は來り萬里長風に駕す、絕壑の層雲許(かく)胸を盪(うごか)す、濁酒三杯豪氣發し、朗吟飛び下る祝融峰〉
04-04 19:45
大正11年1月、東京市外代々木山谷132にあった花袋居宅での撮影です。大正12年ではありませんでした。お詫びして訂正いたします。
04-04 19:37
@ballet_kko 細かい処までご解説下さってありがとうございます。さすがに達眼でいらっしゃいますね。大正11年1月、東京市外代々木山谷132にあった花袋の居宅での撮影で、私も一目で惹き付けられました。
04-04 19:36
RT @ballet_kko: @kameiasami ほんとうによいお写真。しみじみと眺めてしまいました。
正月飾りの鏡餅
上座に木彫の大黒像、手前は梅(白梅)
下座は南天か
壁は聚楽というよりも漆喰にみえます
掛物は朱熹(1130~1200)「醉下祝融峯」
twitter.com/kanshi_bot/sta...
04-04 19:08
大木志門『徳田秋聲の昭和 更新される「自然主義」』立教大学出版会。
「知られざる秋聲像(モダニティ)の探求/資本主義と戦争の時代の中で自然主義/私小説作家のイメージを刷新するこれからの秋聲研究のスタンダード」
https://t.co/cIGuFedjz5
04-04 01:10
「J.Y.」は山田順子。「小出」は前述の「哲学者」小出次雄です。小出は昭和12年ごろ順子と同棲して『神の火を盗んだ女』に題字と口絵を書いてやり、本が出る頃にはもう別れていたわけでした。
04-04 00:26
「又二十八九日頃J.Y.が本をもつてやつて来る。不相変召使の女を一人つれてゐる。躰が弱つてゐる様子。新作を読んでくれとのこと。小出とか云ふ人としばらく同棲して、この頃別れたといふ話。」
徳田秋聲「日記抄」昭和13年1月条より。
04-04 00:16
の講師をしたことがあるが、その後はほとんど定職につかなかった(風間道太郎『暗い夜の記念 戦中日暦』未來社、昭和56年1月)」。著作に『内村鑑三』(国土社、昭和40年)。
04-03 23:48
小出次雄(1901-?)静岡県出身。昭和2年3月、京都帝国大学哲学科卒業。昭和12年、山田順子『神の火を盗んだ女』(紫書房、昭和12年12月)の題字と口絵(「順子甦る」)を書く(「自序」では順子の師、徳田秋聲に続き「哲学者」と紹介される)。
「京大哲学科を卒業して、一時、自由学園
04-03 23:48
銀子の父親の出自について、初読の際に私は全く気付かなかったばかりか、そのことを論文で知った時も、そうなの?って感じでした。父親の出自がそうだと言い切っていいのかどうかもよく判りません。「物語にちょっとアヤをつける点描にしかなっていない」という見方もありますが、それすらどうかしら。
04-03 02:43
文壇的処女作『藪かうじ』で被差別部落出身の父娘を描いた徳田秋聲は、晩年の最後の長篇『縮図』において同じ境遇に身を置く女性の半生を描くことになるだろう――銀子は当時の部落産業の靴職人の徒弟であった――といった指摘は、秋聲と部落問題とを論ずる際に屢々指摘されることですが、
04-03 02:34
でも孤独死で数か月後に腐乱死体で発見、住んでたところが事故物件に、なんてのはやだな。やっぱり死んだことにすぐ気付いてくれる人がいてほしい。
https://t.co/b1bTg3zzhz
04-03 02:26
「おまんまにしよ」なら母親がごくたまに言ってましたが「おまんましよ」は斬新かも。
https://t.co/dHnT4ggj0W
04-02 23:39
「大抵文学の才ありと誇称するもの、他人の著述に就きて其思想の痕跡を辿り得るのみ。おのれ自ら一思想を開拓せむと試むれば、右往左往に昏乱するなり。強ひて成就せむとすれば得るところの群書より拾ひ集めたる記臆(ママ)の片々より組織されたる薄弱なる一塊の文字ならんのみ。」
徳田秋聲「断片」
04-02 23:32
戦前の日本の看護婦の制服がパフスリーブ(puff sleeve)なのは、西洋の影響じゃないでしょうか。
https://t.co/NPnyxItFJp
下記の写真は1889年の看護学生。
https://t.co/aSyMLZbVDv
04-02 23:14
揮毫する田山花袋(大正11年1月)。
筆蹟は、「朝來偏怕雨兼風 李落桃飛歸一空 唯有薔薇花最後 紏纒放出滿」まで読めます。花袋の漢詩集「買山樓初集」に収められている漢詩で、この後「籬紅」と続きます。
https://t.co/2IaUbrH3XW
04-02 10:10
なぜそういう事態になっているのか、近現代史を繙きながら、自身の体験や、文学・サブカルチャーの動向なども踏まえ詳細に語られています。著者の傾向として脱線が多いですが、そのなかに思いがけない発見があったりもします。一読をおすすめします。
04-01 21:07
面白かったです。著者は共和主義者にして徹底した現実主義者。身分制度に反対なので天皇制は廃止すべきだし、国防のためには日米同盟を維持し、自衛隊を正式な軍隊にして憲法九条は廃止すべきという考え。しかしこうした意見は現代日本では右派からも左派からも強い反発を受けます。
04-01 21:06
小泉さんって小泉義之のことかしら。
#エアリプ
04-01 20:03
小谷野敦さんの『反米という病 なんとなく、リベラル』(飛鳥新社、平成28年3月)の題字が気になっていたのですが、購入して確認したところ、盛岡市在住の書家、伊藤康子さんによるものでした。ひょっとして著者直筆かも、と思ってました。
04-01 12:56
京都市内は観光客だらけですね。道や、バスの行き先をよく聞かれます。昨日は、フランス人の親子4人連れが市バスに乗っていて、降りるときに4歳くらいの男の子が「アリガトウ」と何回も言ってて可愛かった。
04-01 12:22
と思しきおねえさんが電車の座席の隣に寝ていて、酒臭かった。
04-01 12:12
#嘘か本当かわからないことを言う
朝帰りした
04-01 10:32
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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