@yuukakubu そうですね。小林多喜二『蟹工船』にも白首に「ごけ」の振り仮名が振ってありますし、北海道や樺太の歓楽街には「通称、白首屋(ごけや)という酌婦をかかえた店」(北見市「ヌプンケシ5号」)が存在していたようです。
10-30 23:40
改造社『現代日本文学全集』37「現代日本詩集 現代日本漢詩集」
https://t.co/39bA7xGWP7
10-30 20:12
なる。押し出しが立派になる。貫禄がつく。」の意で、近代の作品からは小栗風葉『青春』春・一二(明治38年)の「躰にも鰭が付いたし」が例文に引かれていて、これは太ったほうの意味合いです。『結婚難』の方は、貫禄がついたということですね。すぐ辞書引いてよかった。意味を取り違えかけました。
10-30 19:19
「はい。――あのお嬢さんも、去年の暮あたりから、滅切鰭がおつきに成つたやうでございますね。お十七にしては、更けてお見えなさるぢやございませんか。」
徳田秋聲『結婚難』一(「読売新聞」明治36年12月27日連載分)より。「鰭がつく」は日本国語大辞典によると「からだが太って横幅が広く
10-30 19:16
外に漏れちゃいけないことを電車内で喋ってる人っていますよね。あるドラマのチョイ役の女の子が☆☆☆☆して降板になった、表沙汰にはしてないけど再来週から配役が変わるよ云々、と番組スタッフが連れの人に話しているのを直ぐそばで聞いたことがあります。
10-30 18:59
@yuukakubu 初版の書影を見ると、確かにこちらにもピンク色のカバーが付いていますね。
全国遊郭案内(初版。函に「発禁」と書かれた赤シール貼付)
http://t.co/UcMWQXGUkn
10-30 15:02
@yuukakubu こちらに初版と二分冊を比較した方の書き込みがあります。
http://t.co/zpFmY7q1ap
勿論ブログのコメントを鵜呑みには出来ませんが、かなり具体的に書かれていて信憑性は高そうです。お知り合いに両方持っている方がおられるといいんですけど。
10-30 14:28
@yuukakubu 二分冊版表紙には「内務省届済」とありますし、やはり初版と二分冊を付き合わせなければ論は立てられないと思います。
10-30 12:14
@yuukakubu 『赤線跡を歩く(完結編)』『近代庶民生活誌⑭ 色街・遊廓Ⅱ』では二分冊は「改訂版」と説明されているようですが、改訂とは「書物などの内容の一部に手を加えて改めなおすこと」(大辞林 第三版)という意味ですので、内容が異なっているのではないでしょうか。
10-30 12:13
@tonton1965 あれはネアンデルタール人まで遡っちゃってますね。
10-29 11:49
@tonton1965 そうでしたか。他には、
中村隆資『秋津洲物語』(PHP研究所、平成8年)、こちらも「史上初の縄文小説」だそうですね。
田中幸作『縄文小説』(文芸社、平成15年)というのもあるようです。
10-29 11:38
@tonton1965> 水木しげるにあるな。あとたつみや章。
未読ですが、荻原浩の新作小説もあるようですね。
【著者に訊け】荻原浩氏 縄文時代小説『二千七百の夏と冬』(NEWSポストセブン、2014年7月20日)
http://t.co/D8W2Nqu54B
10-29 10:49
以前話題になった後家の序でですが山口誓子の「京都・樺太の記」に大泊の町の料亭の話題があり、〈私達は料亭を料亭とは云はず「白首屋(ごけや)」と呼んでゐました。土地の言葉で「白首」といふ酌婦がそこにゐたからです。〉と書かれています。ごけが白首ですか…… うっかり後家にもなれませんね。
10-29 01:16
@yuukakubu 仰るとおり有効な調査方法と思います。
10-29 01:01
@yuukakubu しかも、④の本の分冊の表紙
http://t.co/rWzLcXl2n3
には「内務省届済」の文字も見えますね。ひょっとして初版は届けてなかったのでしょうか。
10-29 00:59
@yuukakubu 二分冊の方は発禁にならなかったので、分冊にした効果はあったということですしね。初版と分冊とでは内容が少し違うということはないですか?
10-29 00:51
『全國遊廓案內』(日本遊覽社)の近代デジタルライブラリー本は、鷹目遊里史板
http://t.co/XnmN4ppZ7I
で説明されている①の初版で、「改定後の合本(=④)」を見た事はありません」と言っているのは下記
http://t.co/rWzLcXl2n3
の本でしょうね。
10-29 00:33
濁点つきの漢字。近世文書ではしばしば見かけます。
大日本古文書 大徳寺文書別集 真珠庵文書之六 第八六二号文書(八)「大徳寺画箱入日記案」寛永元年七月七日より。
「御゙祈願゙所゙」(ゴキガンジョ)など。
http://t.co/lVYvuqpUFX
10-28 20:01
@y42613763 こちらこそありがとうございます。ぜひ見てみます!
10-27 19:55
光成信男に連れられて岩野泡鳴を訪問しました。泡鳴はちょうど「現代将来の小説的発想を一新すべき僕の描写論」を発表した頃で、若い井伏に一元描写の話をひとしきり述べますが、まだそういう話はよくわからないので何か挿話的な話をと返された時の泡鳴の発言が上記の引用です。
10-27 00:12
は、何となく大きく響く感じを持つてゐるからね。それに有名な岩野泡鳴といはなくては花柳界に行つたとき、ちつとももてないからね。」
井伏鱒二「追憶の岩野泡鳴氏―泡鳴忌に際して(二)」(「時事新報」昭和5年5月12日)より。井伏は大正7年、早稲田の予科一年のときに同郷の政経科学生
10-27 00:10
「君は、僕の伝記でも書くのかね? しかし僕はまだ死なゝいぞ。死ぬやつはばかだ。僕は年をとつたら名前を変へようと思つてゐる。泡鳴といふ名前は、いかにも旧式な雅号みたいで、流行作家らしくないからね。以前、僕はホーマーを愛読してゐたので、ホーメイといふ名前にしたんだ。ホーメイといふ発音
10-27 00:09
ただし、大杉氏は「巻之二、『緑陰結夏集』所収」と書いていますが、巻之二は「釣唱集」で、「緑陰結夏集」は巻之三ですので、再刊の機会があれば訂正してほしいですね。
なお、梅辻希烈(星舲)『星舲祝三品家稿』は、文政七年甲申、滕和聲の序を附し、九卷六册に版行、と『國書解題』にあります。
10-26 19:13
の秋聲の創作態度にまで踏み込んだ大杉重男の『小説家の起源』第3章の冒頭部分は、なかなか示唆に富んだ論考です。秋聲の『無駄道』八にも琴希聲の詩集を買って来て「面白い」「代々琵琶湖畔の神官らしいんで、兄弟とも詩人です」と兄に語る場面があって、私もちょっと調べていたところでした。
10-26 19:11
脳に風が吹き通るやうな感じだつた」(徳田秋聲『光を追うて』二十五)
秋聲が大阪の兄の許に寄食していた頃を書いた当文章に着目し、引用の詩句の原詩が琴希聲(梅辻春樵)ではなくその弟星舲(梅辻希烈)の『星舲祝三品家稿』(内題「幽獨晤言」)に収められていることを指摘して、自然主義時代以後
10-26 19:10
「或る時彼は御堂筋か何処かの古本屋で、近江の神官であり、湖畔詩人であつた琴希聲の端本の詩集と菜根譚とを見つけて来て、机の上におき、独りになるとそれに読み耽つた。(中略)読書深々に解するを要せずといふ其の詩句のとほり、何の詩も清逸な文字に充たされたもので、文字面だけを見てゐても、頭
10-26 19:09
フォロー外の方から返信を頂いても通知されない仕様になっているのかな。今回『百合子、ダスヴィダーニヤ』のDVDについて教えて下さった方のはたまたま気付いて良かったけれど。
10-26 13:20
RT @y42613763: @kameiasami 初めまして、RTから参りました。私はDVDで観ました。公式サイトから購入できますよ。宜しければ⇒ 『百合子、ダスヴィダーニヤ』待望のDVD化! | 『百合子、ダスヴィダーニヤ』オフィシャルサイト
http://t.co/ZF…
10-26 13:08
@y42613763 はじめまして。ご教示ありがとうございます! オンラインショップばかり探していました。
10-26 13:08
湯浅芳子といえば、中條百合子との同性愛を描いた浜野佐知監督作品《百合子、ダスヴィダーニヤ》を見たいのだけれど、DVDは出ていないのですね。
10-26 02:06
サルトィコフ=シチェドリンの作品は、湯浅芳子訳の『ゴロヴリョフ家の人びと』(岩波文庫)を中学2年生の夏頃に読んで以来いまでも時々読み返しています。ポルフィーリイ(通称・ユダ)の描写が出色です。『シチェドリン選集』(未來社)の新訳より湯浅訳が断然優れています。
10-26 02:00
ロシアのWebサイトをあちこち見ていたら、ずっと探していた肖像画を見付けました。 サルトィコフ=シチェドリン(Михаил Евграфович Салтыков-Щедрин)。岩波文庫『ロシア文学史』旧版所載の物と同じ肖像画です。
http://t.co/68D4mr2C5J
10-26 01:44
徳田秋聲書幅《長奥麻呂歌》
http://t.co/fJJ37QejfI
大宮の内まて聞ゆ網引すと
網子とゝのふる海人の呼聲
長奥麻呂の歌 病秋聲謹書
(箱書)
愛國百人一首
長奥麻呂歌
昭和十八年春 老秋聲書
10-25 00:48
昭和24年(1949年)の小林政子。出典『アサヒグラフ』 1949年3月9日号(朝日新聞社)
https://t.co/SF2lBplhHh
Wikipedia『縮図』より。
10-24 23:52
@niina_noriko そうです。小学校の図書室に置いてありそうな本なので、ひょっとしたら思いました。
10-24 08:14
@niina_noriko 今ちょっとリンクが張れないのですが、国会図書館のサイトで調べました。詳細表示で前記の掲載情報が見られるかと思います。
10-24 01:55
@niina_noriko 『少年少女科学名著全集』第19巻(昭和40年、国土社)かもしれませんね。「詩と科学―子どもたちのために」が177頁に入っているようです。
10-24 01:06
結城蓄堂といえば、彼が編纂した『和漢名詩鈔』(文会堂書店、明治42年10月)がGoogleブックスで閲覧できます。私の好きな亀井少琴の「答雷首」も載っています。
http://t.co/2FHGOhIPRl
10-23 23:03
を主宰していたとありますが、この雑誌を大正7年に創刊したのは結城蓄堂(本名、琢)で、彼の死後は妻の青鸞がずっと事業を継承していたと思っていたのだけれど、昭和期には犀東が主宰していた(時期もあった)のでしょうか。実物を確認したいです。
10-23 21:56
徳田秋聲の四高時代の学友、國府犀東(新聞記者、官僚、漢詩人)のウィキペディア。
https://t.co/sw1MIwlt1f
つい最近に新規作成されたようです。CiNiiで国府種武のエッセイ「国府犀東」を再確認しようとしていて、たまたま見付けました。種武の文章には犀東が『詩林』
10-23 21:56
『徳田秋聲全集』別巻の著作目録には「代作か」とありますが、私は概ね秋聲の文章と思います。終盤のあわただしい纏め方は秋聲らしくもあります。
10-23 08:00
終列車に乗り遅れ、駅近くの空き地で時間を潰していると、飲んだくれの亭主に半殺しの目にあった女が助けを求めてきて、その身の上話を聞くうちに怖くなり一人で家へ引き返します。二人が介抱した女がその近くで死んで発見されたことで、喜代子は様々な苦難に見舞われます。
10-23 08:00
うに、若い女性向けの通俗小説で、私などは少女の頃ならさぞ夢中で読んだにちがいないと思いながら始終にやにやしていました。
早くに両親を亡くし、祖父母のもとで御蚕ぐるみで育てられた喜代子は、親類の新三という遊び人にそそのかされ、あまり気の進まぬまま駆け落ちしようとしますが、東京行きの
10-23 00:11
徳田秋聲『愁芙蓉(しうふよう)』(「山陽新報」明治33年4~6月『うき雲』の題で連載。35年9月改題して矢嶋誠心堂より刊)。冒頭「自序」に「誠心堂の主が剪栽の手にかゝりて、かくは世に出づる幸にあひつ。婦人女子半霄の睡気催しに繙きたまはゞ、心々に哀れと見たまふ節もやあらむ」とあるよ
10-23 00:11
この句は佐々木春夫の雨奇晴好楼と関係があるのかな。
10-22 00:00
@ebaranakanobu81 長い期間を描くドラマなので本棚の書物の刊行年まで時代に合わせていくのは無理というものでしょうね。でも登場人物がどんな本を読んでいるのかまで考えてセットを組んでいるのがわかって面白いです。
10-21 23:33
10月20日放送のマッサンの本棚に岩波書店『寺田寅彦全集』(後姿の右側)と 改造社『子規全集』(右の本棚3段目)を発見。大正9年夏の時代設定なので実は両全集とも未刊行ですが、理系の人だから寺田寅彦ということなんでしょうね。#マッサン
http://t.co/qN9xAU0RYU
10-21 23:03
@zinofrancescatt 福地書店で売られている宇田淵の砂子の短冊でも5,000円ですから、中島静甫の無地の短冊なら1,500~2,000円くらいが妥当な値段の気がします。
10-20 23:36
@zinofrancescatt 安いですよね。
10-20 23:00
中島静甫 肉筆短冊
http://t.co/A2xrmpAxCp
翻字すると「晴好楼申雨亦奇 静甫」かしら。
読みを間違えていたら訂正お願いします。#ヤフオク
10-20 22:31
いた頃の定宿の親類の娘で一時期妾にもしていた、という風に設定を変えた客観小説であり、お冬のモデルのような密淫売(または女給)ではないからかも知れません。でもお品に連れ子の女児がいたり、不快に思いながら二度訪れた点も似ているので、気付いていれば一言触れても良かったのではと思います。
10-20 00:56
会して関係を持ったとされる出来事から材を得た作品であることは明らかです。野口冨士男が「『何処まで』の成立」に於て『好奇心』を「お冬もの」(『北国産』の主人公お冬の関連作品)に加えなかったのは、主人公の糅山が運輸事務に携わる勤め人、その妻は女学校出の才女、お品は糅山が東北を視察して
10-20 00:55
『北国産』『何処まで』の女主人公のその後を描いた『花が咲く』『未解決のままに』の一節かと見紛う文章ですが、これは徳田秋聲『好奇心』(「改造」大正9年11月)という短篇からの引用です。発表は『何処まで』の連載が開始された大正9年10月のすぐ後で、秋聲が蔦代のモデルと13年振りかで再
10-20 00:55
「内へ声をかけると、障子蔭に女の姿が動いて、長みのある、色の黝んだ陰鬱な顔が、そこに現はれた。糅山は見それてしまつた。(中略)年月が、すつかり其の若さを吸収してしまつた。」
「そして彼女は座布団を持出すと同時に、鈍い目で彼を見たが、暗いその目が彼に好い感じを与へなかつた。」
10-19 22:59
「糅山はこの十余年を、お品が何ういふ風に暮して来たかを知りたくもあつたし、何んな女になつたかを見たくもあつた。」
「広い郊外の町を彼は尋ねゝゝして漸とその家を捜しあてた。そこは町はづれの寂しいところにある小さい平屋で、植木屋の門のなかにある借家の一つであつた。」
10-19 22:58
明治維新以前は、[辶+麦](違)、皈(帰)、㕝(事)のように現在異体字とされている文字の方が使用頻度が高かったりしますが、翻字の際はすべて現行の新字体に直すのが一般的ですね。現在異体字・変体仮名含めほぼ原史料そのままに組んでいるのは『大日本古文書』『大日本史料』などごく僅かです。
10-19 22:55
@niina_noriko そうですね、たとえば崎・﨑・嵜みたいに、偏を冠にしたり旁の字形を変えたりするのはざらですよね。中島静甫の本名も、戸籍は民之助だけれども民之介のほうが格好良いから使ってたんじゃないかという気がします。
10-19 01:04
脇田嘉一の漢詩人としての名は脇田氷山です。この人は『山本露滴遺稿』に岩野泡鳴、中川小十郎、碧川企救男らとともに追悼文を寄せていて、孫の山口誓子は「外祖父は氷山の号を用ひて、ひとり漢文調の文章を綴つてゐる。そのとき泡鳴氏から来た手紙は惜しいことに散佚して今はない。」と書いています。
10-19 00:40
大竹蒋径(蒋徑)は、大竹蒋逕のことですね。蒋徑と書いてある書籍も結構あるようで、あながち蒋徑が蒋逕の誤記とは言いきれないところ。逕と徑は語義もほぼ同じです。
10-18 23:25
目からうろこの三文豪「秋声が描いた女たち」
チラシのPDFファイルがUPされました
http://t.co/VBbS1iBSJn
市井に生きる女性や、女弟子と自身の愛憎劇を、すぐれた文学作品として発表した徳田秋声文学のツボを、秋声が描いた女性を通じて紹介します。
10-18 21:01
@zinofrancescatt 雨山、静甫、脇田嘉一、朴泳孝、このへんは交流関係がありそうですね。朴泳孝が曽祖父様の食客となったのも詩友のつながりのような気がします。
10-18 16:26
祖父が韓国の亡客朴泳孝をかくまつたことは他の自叙伝にも書いた。ともに亡命して来た金玉均は吉野の山林王土倉庄三郎にかくまはれた。」
山口誓子「自叙伝」(『山口誓子全集』第5巻、明治書院、昭和52年)より。
10-18 16:09
曰く遠藤舟渓、曰く江馬天江、曰く服部蘇天。これらの詩人が会を催してゐたのだ。それなら祖父もこの仲間だつたにちがひない。中島静甫と江馬天江の名は私も屢々聞かされてゐた。静甫は私も知つてゐた。
10-18 16:09
「祖父(脇田嘉一)の漢詩のことについて私は知ることがなかつたが、岡崎の医師木村得善が祖父の詩友だつたことを覚えてゐた。こないだ京都でその四男で私の幼馴染の潔氏に会ふことがあつたから聞いて見た。潔氏はたちどころに父得善の詩友の名を挙げた。曰く長尾雨山、曰く大竹蒋径、曰く中島静甫、
10-18 16:01
@niina_noriko @zinofrancescatt 職業タイプ」であり、中等教育は「明治前半期においては主に庶業の子弟に開かれていた」ともあります。
10-18 13:42
@niina_noriko @zinofrancescatt ありがとうございます。中村牧子『人の移動と近代化』(有信堂高文社、平成11年)によれば、庶業とは「公務関係の職業の総称。官吏のほかに教員なども含む」とありますね。「庶業とは、先にも述べたが、主に旧士族やその末裔のついた
10-18 13:41
@niina_noriko 西山翠嶂の略年譜に「明治31年頃から旧淀藩士中島静甫について国漢を学ぶ。」とありますね。こちらこそよろしくお願いします。
10-17 23:35
@niina_noriko 静甫さんは、生業は何かまだ判らないんですよね。「庶業」って何なのか。詩集もたぶん、私家版か何かの形で出しているような気がします。ネットで判る範囲以上のところが、たいへんそうですね。
10-17 23:17
@niina_noriko 『梅清処文鈔』第1~2巻(頁不詳)「中島靜甫也」
あたりが筋が良さそうです。
10-17 23:07
@niina_noriko 自分の守備範囲外の書籍から拾ってくれますからね。
検索結果の中では、前出『太陽』と
『京都出版史』96頁「中島民之介(靜甫)」
『百花欄』第11~20号、538頁「字靜甫通稱民之助嘉永六年」
『文庫』第12巻 第1~6号、不二出版、403頁「中島靜甫」
10-17 23:06
@niina_noriko Googleブックスは誤検出や文字化けが多いので、実際の書籍で確認してみると結構当たり外れはあります。ダブルクォートを外すと検索結果の幅は広がりますが、誤検出も格段に増大します。
10-17 22:33
@niina_noriko Googleブックス
http://t.co/NMu1nIo4P0
で、
"中島靜甫"
"中島静甫"
"静甫中島"
"靜甫中島"
"中島民之介"
"中島民之助"
等のキーワードで検索するといろんなのが引掛って来ます。『鳴門市史』は検索結果の上位ですね。
10-17 22:31
『辻』より『忿翁』が好き、とか言ったら叱られるのかな。
10-17 20:41
帰宅してマッサンの録画を見直したところ、ドラマに出てきた目覚まし時計はヘソ形ではなく数回打目覚時計というタイプのようです。
http://t.co/FCFp3ouOvv
の「1922年(大正11年)尚美堂時報 10月号より」の製品に近い形状でしたが、かなり高価ですね。 #マッサン
10-17 20:05
今朝放送のマッサンに目覚まし時計が出てきたので(大正中期)、日本にはいつから市販の目覚まし時計があったのか調べてみました。
【ヘソ形ニッケル目覚時計】精工舎、1899年(明治32年)
http://t.co/eNFOudSy77
これが最初? #マッサン
10-17 13:04
次韻した詩は次韻とか次韻詩と言うけれど、その元になった詩は正しくはなんと呼ぶのでしょう。原詩でいいのかな。
中島静甫が次韻した近重物庵の詩も参考までに掲げておきます。
http://t.co/VG4bPNa7eT
10-17 12:35
後半、話の展開に偶然が多すぎたり、終盤姑と小姑が俄に心を入れ替えて「最と老実なる慈母となり、愛姉とな」るあたりはご都合主義に過ぎますが、最後はめでたしめでたしの大団円で終ります。
10-17 02:33
徳田秋聲『大破裂』は、田舎から嫁入りのため単身上京したお嶋をいびる姑と小姑の酷薄さと憎々しさ、将来の夫・隆二の不在中ただ一人お嶋を庇い味方になってくれた弟との関係さえ疑う婚家の人々の心根の卑しさに、読んでいてムカムカと来るほどで、中盤までは通俗小説として良くできていると思います。
10-17 02:33
尾閭(びりょ)
「《「荘子」秋水から》大海の底にあって絶えず海水を漏らしているという穴。」(goo辞書)
曲亭馬琴『糸桜春蝶奇縁』「海水俄に渦巻て、尾閭の潮(うしお)を容るゝが如く、鯨鯢(くじら)の水を吸ふごとく、さしもの海舶(おやふね)枢々(くるくる)とうち繞りて」
10-17 01:46
大越美恵子・高橋美和子編『中国人のための漢字の読み方ハンドブック』(スリーエーネットワーク、平成9年)を見ると
「仲人 なこうど 媒人,月下老人,月下冰人」
http://t.co/Tg4Y90HM0X
とありますが、あちらでは通じるのかしら。
10-17 00:50
「月下氷人」は、『大辞林』第三版によれば〈(「続幽怪録」や「晋書索紞伝」より。「月下老人」と「氷人」からつくられた語)結婚の仲立ちをする人。なこうど。媒酌人。月下翁。〉とのこと。「結ぶの神」はともかく「月下氷人」は少くとも現代日本では殆ど意味が通じないのではないでしょうか。
10-17 00:48
〈『まあ可いぢやないか。其とも痛入る理由があるのかね。月下氷人(むすぶのかみ)だから、放(うつち)やつておけなからうぢやないか。』
『否余り月下氷人(むすぶのかみ)なんぞと言つてもらひますまい。』〉
徳田秋聲『大破裂』四十三(「中外商業新報」明治33年3~5月)より。
10-17 00:47
中島静甫
嘉永六年(一八五三)~。名は民之助。京都の人。庶業。
【出典】『鳴門市史』別巻「鳴門に関する文芸作品集」(鳴門市、昭和46年)
10-16 20:02
とあります。
中島静甫
同
觸石狂瀾声発霆
跨龍海若颶風腥
尾閭漏泄何時止
淼々涵天鏡浄青
石に触れて狂瀾声霆を発し
龍に跨する海若颶風腥し
尾閭の漏泄何れの時か止まん
淼々として天鏡の浄きを涵して青し
10-16 20:02
中島静甫の漢詩。
近重物庵(明治3年~昭和16年。名は真澄。化学者・漢詩人)の七言絶句への次韻詩。静甫は大道雷淵、川田雪山、宮野古愚に続く四人目の詩作。
「次韻物庵博士観潮
於鳴門海峡之作
物庵博士 潮を鳴門海峡に
観るの作に次韻す」
http://t.co/cAKwb5g5x7
10-16 20:01
@niina_noriko 未確認なのでどんなものが収録されているのか、本当に入っているのか判りません。
10-16 13:12
@niina_noriko (「太陽」明治32年2月5日 第5巻第3号)
に漢詩十編が入っているのと、あと大阪大学附属図書館に架蔵されている
『詩林』第41~50号、詩林社、大正10-11年の80頁に「靜甫中島」の名があるようですが、
10-16 13:12
@niina_noriko すみません、書き直しです。
ネットで検索した限りでは冊子体の漢詩集は見あたらないですね。国会図書館の検索でヒットする『明治二百五十家絶句』『蒼官余韵 前篇』『穆如集 第一編』の外には、
「静甫中島先生(十絶集、其百三十六)(漢詩十編)」
10-16 13:12
旧京都博物会、中島民之介編『山本亡羊先生小傳』明治42年5月、太田利三郎
http://t.co/JhwFjoCXAv
こちらの編纂兼発行人中島民之介の住所は
「京都市上京区下本能寺町四十一番戸ノ一
士族旧博物会員」とあります。『送仮字弁 和読必携』の著者と同一人物でしょう。
10-16 00:52
奥付に
「京都府士族
中島民之介
下京区第九組高辻大宮町四番戸」
とあり、明治21年頃の中島静甫は現在の京都市立松原中学校の近くに居住していたことが判ります。
10-16 00:35
中島民之介(中島静甫)『送仮字弁 和読必携』明治21年6月、河合卯之助
http://t.co/wQcZsm90PS
10-16 00:26
目からうろこの三文豪「秋声が描いた女たち」
http://t.co/DE0LhNBCwY
秋声文学は難しそう……と思っていませんか。
名前は知っているけれど、読んだことがない!という方も多いのでは。
現代人が読んでも面白い秋声文学のツボを、徳田秋声が描いた女性を通じて紹介します。
10-15 22:38
大杉重男ブログ:「中国」という概念
http://t.co/q6e0W7bsAE
〈武田泰淳の「滅亡について」は、戦後文学の名高い評論だが、現在から見ると問題になりそうな部分を含んでいる。それはこの評論を有名にしたまさに次のような比喩である。
日本は「滅亡」に対してまだ「処女」で
10-14 12:59
@zinofrancescatt @niina_noriko 講演で曾祖父様のお名前を耳にしたら、それは驚きでしょうね。
10-13 23:53
@niina_noriko @zinofrancescatt わくわくしますね。
「風雅の会の相場は、大体一回一万円くらい」これも高くて驚きです。
それから、稻本義彦さんの曾祖父の稲本春畦という人が出てきてびっくりです。
10-13 23:29
@niina_noriko @zinofrancescatt そうですね。ここがたいへん面白かったです。
10-13 23:16
@niina_noriko @zinofrancescatt そうなのですね。ご教示ありがとうございます。
先生の講演を拝読して、漢詩の採点も短歌俳諧などの添削と同じで、各人の作品をいったん全部取り纏めて清書し、名前を伏せて採点していたことを初めて知りました。
10-13 23:11
@niina_noriko @zinofrancescatt にずっと死ぬまで在籍していたということでしょうか。
10-13 22:56
@niina_noriko @zinofrancescatt 共研唫社が終って、櫻井桂村の嚶求唫社が明治35年に始まるまでもっと間が開いていると思っていました。私の勘違いです。先生の講演では「明治三十四年に宇田栗園と江馬天江が亡くなったあと」とありますね。栗園のあと天江が共研唫社
10-13 22:53
@niina_noriko @zinofrancescatt そうでしたか。共研唫社が明治30年代まで続いていたことを知りませんでした。
10-13 22:30
@niina_noriko @zinofrancescatt 宇田栗園の共研唫社に20代の点者がいたということですね。漢詩社ではよくあることなのか、こんな若い人は珍しいのかは、不学でわかりませんが、興味深いです。
10-13 22:13
@zinofrancescatt @niina_noriko 中島静甫は嘉永六年生で、栗園、天江、桂村の子供くらいの世代ですよね(共研唫社のころだと20代後半?)。漢詩社ではどういう位置だったのでしょう。
10-13 18:13
@zinofrancescatt @niina_noriko すばらしいです! 朴泳孝が日本に二度目の亡命をしていたのは明治28年から明治40年までなので、最後のほうのころですね。
10-13 17:47
@zinofrancescatt @niina_noriko でもそれが「中島静甫の紹介」かどうかはちょっとわかりません。
10-13 17:41
@zinofrancescatt @niina_noriko それはすごいです。朴泳孝は亡命中漢学者と親交が深く「書画と囲碁で日々を過ごし、時折入る書代がすべての収入源」だったと言われているので(姜健栄『開化派リーダーたちの日本亡命』)、その関係で食客になったのかも知れませんね。
10-13 17:40
@niina_noriko それは良かったです。但し紹介文が不正確でした。「朴泳孝ノ用務ヲ帶ヒ渡韓」とあるので
「漢學敎師の中島民之助が渡韓して朴泳孝と交流を持っていたらしい」
ではなくて
「日本亡命中の朴泳孝と交流のある漢學敎師の中島民之助が渡韓していたらしい」
が正しいです。
10-13 16:20
静甫が数えで72歳の時「聚老会」記念撮影で撮った写真が「新島八重と宮田小文」に公開されています。大正13年(1924年)9月15日岡崎中并別荘ニテ記念撮影、とあります。
http://t.co/dTv2RrIGUb
写真の最後列中央の、背の低い如何にも漢学者らしい白髯の老人です。
10-13 13:16
http://t.co/Xi7sxiXWQl
で公開されています。
中島静甫の本名は民之助で、誓子の回想によれば朴泳孝と交流があったのはほぼ間違いないと思われるので、上記駐韓日本公使館記録の中島民之助は漢学者中島静甫と見做してよさそうです。
因みに嘉永六年(1853年)生まれの
10-13 13:09
を調査したというもの。
「本人ハ從來漢學敎師ニシテ政治上ニ關係シタルコトナシ然ルニ昨三十二年ノ末ヨリ朴泳孝等ト交情厚ク本年二月朴泳孝ノ用務ヲ帶ヒ渡韓シ四月歸朝八月再ヒ渡韓ノ際ニモ朴泳孝ノ用務ヲ帶ヒタルモノゝ如シ同人カ友人某ニ送リタル書面ニ據レハ九月中ニハ歸朝ノ筈。」
この資料は、
10-13 13:04
『山口誓子全集』第5巻「自伝回想集」(明治書院)に出てくる朴泳孝、中島静甫、江馬天江について調べていたところ、明治34年9月10日の駐韓日本公使館記錄にこんな資料を見付けました。
漢學敎師の中島民之助が渡韓して朴泳孝と交流を持っていたらしいので、仁川領事館附警事が内偵して性行履歷
10-13 13:02
@with_Jun0126 これは、「舞台発音」(Bühnenaussprache)、または「舞台ドイツ語」(Bühnendeutsch)とよばれるもので、誤訳ではありません。独墺系のオペラやリートでは現在も舞台発音が使用されます。
https://t.co/dkaP8S8zDW
10-12 23:14
《花嫁の突落し》
「越中国射水郡の一地方にては、花嫁さんの輿入れを途中で待ちうけ、村内の壮者どもが乱暴にも、小川などへ突落し鬨のこゑを揚げて逃げ出した悪習があつた。」
風俗研究会編『一国一奇面白風俗噺』(大正6年9月、日本書院)より
http://t.co/k3VHrft62z
10-12 00:09
牛のせて舟泛びけり春の水
水郷の春まだ浅し島隣り
梅さくや藁屋々々の日章旗
(徳田秋聲俳句「ホトトギス」昭和13年5月)
知人二人と佐原を訪れ、川魚料理を食べて、舟で利根の分流に泛び、川裾の広みに十六もの島があり農村を形成していて、牛で田を耕している景色などを眺めて詠んだ句です。
10-11 23:34
徳田秋聲「裸体問題折衝」(「日本一」大正8年11月)より
「女の裸体像を禁止するなら男のも禁止すべきだと考へます。」
10-10 22:51
多いようです。早くは『大破裂』(「中外商業新報」明治33年3~5月)十四「顔は少々二の町でも」に用例があります。「二の町」より下は「三の町」とも言いますね。曲亭馬琴『近世説美少年録』第三輯巻之五に「寝貌を熟うち目戍りて。是を黄金に比れば。二の町過ぎて三の町。四月初旬の初堅魚と。」
10-09 23:36
「二の町」は二級、二流の意で、「帚木」品定めの「これは二の町の心安きなるべし」が辞書の用例としてよく引かれますが、近代の作品からは徳田秋聲『仮装人物』二十二の「奥さんも、顔は少々二の町だけれど、派手な訪問着なんか着て、この人はたゞ人柄がいいといふだけのものなの。」が引かれることが
10-09 23:35
ところがこれがキイキイ、ドンドンと大変に騒々しいゲンダイオンガクで、雪山の荘厳さのかけらもない(と私は思う)。第六部「ベルククリスタル(水晶)」で聞こえてくる変なサイレンみたいな音は何のつもりなのだろう。ごめんなさい全然わかりません。
http://t.co/K15DNiZvB2
10-09 20:56
「秋は地上に咲く草花の数多く色彩の最も濃厚なるを愛し候、嗜好の果物は無花果と柿など、然し食物の嗜好は年により日により甚しきは同じ日にても腹具合、舌の加減にて変動あり一概に言ひがたし。」
徳田秋聲「秋の感想」(「讀賣新聞」明治42年10月5日)
10-09 00:27
変ホ長調の主部にそっくりなメロディーが流れてきたのでおや?と思いました。あまりにも似過ぎているので引用かなという気もしましたが。BGM自体はその場面にそぐわしいものでした。
この回のお話からは、アンの周囲の人達の深い愛情が伝わってきて感動的でした。
10-08 22:40
10月6日に録画しておいたBSプレミアムで放送中のアニメ《赤毛のアン》第27話「マシュウとふくらんだ袖」を観ていたら、アンへのクリスマスプレゼントにする衣装の仕立てをマシュウから頼まれたリンド夫人が、馬車に乗って生地を買いに行く場面のBGMに、ボロディンの交響曲第1番第1楽章の
10-08 22:37
@tonton1965 そうみたいです。
10-08 22:36
@with_Jun0126 どうもありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
10-08 01:18
最後のほうに『水晶』も収録されていますね。
余談ですが、シルヴァーノ・ブッソッティに『水晶』(Bergkristall)というバレエ音楽作品があります。原作はもちろんアーダルベルト・シュティフター。
http://t.co/s6vmU1qw3d
10-08 00:15
赤堀又次郎 校訂『語学叢書 第一編』明治34年3月、東洋社
(国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)
http://t.co/pfOUYni0HI
変体仮名いっぱいの活版印刷で気に入ったので。
契沖の「和字正濫鈔」「和字正濫要略」なども入っています。
10-08 00:06
「大坂の市中犬猫すくなし」(馬琴「羇旅漫録 壬戌 下」より)
http://t.co/HgsxYDZWuv
この話、どこかで聞いた覚えがあります。
10-07 23:27
シュティフテル『深林の恋』小島貞介訳、青磁社、昭和23年
http://t.co/PonWmrQGT9
原作は、Adalbert Stifter: „Der Hochwald“
10-07 23:07
古浄瑠璃『待賢門平氏合戦(たいけんもんへいじかつせん)』寛永二十年(1643年)
http://t.co/RMq0Tdvkdz
中央見出し「へいじかつせん 二たんめ」
10-07 23:00
@yuukakubu 積み木の家ですか
http://t.co/fHfMKlj30n
10-07 12:55
『日本国語大辞典』には、*仮名草子・浮世物語-一・二「平氏(ヘイジ)の一族かとも言ふ」が引かれていて、「〈音史〉近世まで「へいじ」か。」とあります。「浮世物語」の刊行は寛文五~六年頃なので、少くとも江戸初期には「平氏」を「ヘイジ」と読んでいたのでしょう。
10-07 09:36
中世までは「平氏」を「ヘイジ」と読んでいたようですね。御橋悳言『神皇正統記注解』にも「平氏(ヘイジ)」とふりがなが振ってあります。
駒大総合教育研「ことばの溜め池」(komazawa-u.ac.jp/~hagi/ko_tame4…)の「平氏(ヘイジ)」の項には『日葡辞書』にFeijiとあるとも。
10-07 00:42
@ISOGAI_1 年齢は不詳ですが、たぶん仰るとおりと思います。こちらにも何枚かあります。
ウェブサイト《徳田秋聲》より、
http://t.co/w7Ui0dKGNw
10-06 01:04
@ISOGAI_1 これなんかどうでしょう。
http://t.co/RsEAMQErEn
10-06 00:51
「卯杖」は、尾崎紅葉、巌谷小波、角田竹冷、森無黄、大野洒竹らが明治28年10月に結成した「秋声会」の俳誌です(明治36年1月創刊)。徳田秋聲記念館《寸々語》2012年7月25日の記事に、明治41年7月5日号で秋聲が「旋風器」のお題で俳句の選をしたことが書かれています。
10-05 17:27
秋聲の明治30年夏の句に「蛭賣りに来りけり」というのがあり、この時代は蛭を売りに来る人がいたのだとわかります。高浜虚子も
蛭賣の聲もねむたき一つかな
と詠んでいます。鬱血を吸わせたのでしょうか。現在でも医療用蛭(medical leeches)というのが使用されているそうです。
10-05 13:53
@PolishOnline ありがとうございます♪
10-05 12:42
@mainichi_haiku こちらこそ、リツイートまでして下さって恐れ入ります。
10-05 12:40
これも秋の句になりますね。
https://t.co/CR6PM6gNYp
秋聲は「卯杖」(明治37年10月25日)の〈花野想像〉に、花野の語の入る句ばかりを15句投稿していて、この句はその中の一つです。
10-05 02:06
たまたま《德田秋聲》というサイトで短冊を見ていたら「㞮」を発見
http://t.co/pLszWzKX8b
小春日の佛を負ふて人歸る
森を出れば冨士見ゆる空や秋晴れて 修善寺にて
折々は妻のうとまし冬籠
昼顔の秣にましる二三輪
画像が不鮮明なので、崩し字の読違いがあるかも。
10-05 00:54
徳田秋聲の秋の句
山の井や笹葉しづみて秋の雲
秋もやゝ早稲かる空の定まりぬ
(以上、明治31年9月)
百舌鳥啼くや街道近く浅き森
松葉搔けハ菌少し裏の山
森まはらにして森毎に楢紅葉
(以上、明治31年10月)
10-04 01:28
というか、「全集」の検索結果は
https://t.co/9MhfYwCGsJ
10-04 01:07
『益軒全集』第1巻
https://t.co/AOZqRMaqj4
『蕃山全集』第1巻
https://t.co/fFVhabunXT
『默阿彌全集』第1巻
https://t.co/fOzJpFaNL4
『樗牛全集』第1巻
https://t.co/BfszDVufsW
10-04 01:06
『秋聲全集』第1巻
https://t.co/WJpo0kBNHJ
『花袋全集』第1巻
https://t.co/GrhQGbdkzD
花袋全集は第12巻が欠本ですね。
10-04 00:31
Ять - Главная страница
http://t.co/RL08KQ2fD1
ロシアの古書がPDFでダウンロードできます。
10-04 00:22
寝しなに読む本。Шинель: повѣсть (Н. В. Гоголь).
段落替えがきわめて少ない。
http://t.co/cA4kDYd2ZU
10-03 23:55
画像もたくさん入ってるんですよね。この写真はヴァンフリート館(Villa Wahnfried)にて。1881年。
http://t.co/aQAmDDGCuW
10-02 23:29
直接は関係ないですが、これは電子書籍版リヒャルト・ヴァーグナー全集(ドイツ語版。コジマ・ヴァーグナーの日記を含む。)で"Undine"を検索したところ。
やっぱり電子書籍は便利。
http://t.co/DesHjs2IBq
10-02 23:02
ゾフィーのソニア・ペトロヴァーをリヴィア・ジャンパルモ、という豪華な顔ぶれです。特に、ヘルムート・バーガーの迫真の名演技と、ジャンニーニの絶妙な台詞回しとは、切り離せないものでしょうね。
10-02 22:45
ヴィスコンティ《ルートヴィヒ》のイタリア語吹き替えは、ルートヴィヒのヘルムート・バーガーをジャンカルロ・ジャンニーニ、ホフマン神父のゲルト・フレーベをコッラード・ガイパ、エリザベトのロミー・シュナイダーをマリア・ピア・ディ・メオ、
http://t.co/3tEdmb4Gk6
10-02 22:45
【備忘録】
NetLibrary版徳田秋聲全集(全3期42巻+別巻1)
合計価格 753,452円
http://t.co/hwobshlsRk
NetLibrary版近松秋江全集(全13巻)は、合計価格 226,733円とのこと。
10-01 13:45
@uso_honto_uso_ 『小説の作り方』(大正7年。初出『創作講話』大正3年)は加藤朝鳥らの代作です。八木版全集第24巻所収の『明治小説文章変遷史』(文学普及会、大正3年、のち大半を『日本文章史』に流用)は岡栄一郎の代作です。第24巻所載の他の文章もみな代作でしょう。
10-01 01:35
数ヶ月後大阪へ帰ろうと船に乗った彼は、例の老人と再会し、その胸に骨壺がぶら下がっているのを目にします。
「娘をお酌に売った」という表現が胸にズキンと来ますね。
10-01 00:04
徳田秋聲『紀行の一節』(「新小説」明治36年9月)。
緑川丸に乗って大阪から九州の別府に渡ろうとする語り手が、生活に窮して「花の蕾のような」娘をお酌に売った老人と同乗し身の上話を聞きます。別府に着いた語り手は、ある芸者が馴染みの客とのいざこざで殺害される事件に遭遇しますが、
09-30 23:59
『弱き罪』三に「犀狼既に門に薄(せま)つて」という表現があります。債権者たちが実力行使に訴えるべく迫って来つつある様子を表しているのでしょう。出典は知りませんが、この表現ちょっと気に入っています
09-30 23:47
と若干似ているのが興味深いところです。
また、越後油田(秋聲の小説では当時の呼び方で「石脳油」などと書かれています)を当て込んで大損したり、鉱山を買って破産寸前になる男も、自然主義以前の秋聲の小説にしばしば登場します。そういう人物が身近にいたのかも知れません。
09-30 23:36
を失うことになります。
この、奥という高利貸しが大金を手にした経緯が、金を貯め込んでいた友人がにわかに死んで手許に大金が残ったが遺族が見付からないのでそのまま預かっているというもので、『あらくれ』第三回でお島の養家が自家に泊めた旅の六部の頓死によりその持ち金を自分のものにした経緯
09-30 23:35
が現れ、跡継ぎを欲しがっている高利貸しが借金を肩代わりしてくれるという話を持ち込んでその娘と有夫を強引に結婚させ、節子には嘘をついて有夫を諦めさせその後自分の妻にしてしまいます。意に染まぬ結婚をした有夫と節子はやがて互いに接近しますが、有夫は自身の意志薄弱と優柔不断のせいですべて
09-30 23:35
徳田秋聲『弱き罪』(「文学界」明治36年8月)。工学士磯村有夫は節子という婚約者のある身でしたが、ある資本家と結託して無価値の石油鉱区を3万で買い、連帯責任で5千円の負債を作ってしまいます。節子は有夫と共に苦労をする覚悟で結婚を望んでいましたが、有夫の旧友の南というおせっかいな男
09-30 23:14
徳田秋聲『黴』中国語訳 德田秋声《霉》
http://t.co/lUDhdgbQLS
09-30 20:24
@tonton1965 不良っぽいのもいいんですよ。実際につきあうのと違って、小説ですからね。
三島の小説などは中高生の頃にあらかた読んでしまって、その後あまり手に取っていないので、今読めばよほど印象が違うかも知れません。
09-30 00:55
@tonton1965 高校生の時に読みましたが面白かったですよ。頭の良い首領の少年に惹かれました。
09-30 00:49
もちろん三島由紀夫の原作は読んでいますが、台本がないとやっぱり何を言ってるのかよく掴めませんね。日本語の歌詞なのに、ブックレットの梗概を読みながら状況を思い描く感じになります。
09-30 00:38
ずっと行方不明だったハンス・ヴェルナー・ヘンツェのオペラ『午後の曳航』のCDが奥の方から見付かったので聴き始めました。序奏から打楽器と金管が騒々しいので夜間に聴き続けるのはやめにしましたが、ずいぶん調性的で聴きやすく感じました。初聴の時と違い日本語の歌詞も5割程度は聴き取れます。
09-30 00:22
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
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