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徳田秋聲 (徳田秋声) の文学を中心につぶやきます。
― 亀井麻美 (@kameiasami) · Xより転載 ―

亀井麻美 : 2014/09/29のツイートまとめ

kameiasami

メシアン『アッシジの聖フランチェスコ』 ケント・ナガノ指揮ハレ管。ヨセ・ファン・ダム他。
オペラでも情緒纏綿とした楽曲よりも叙事的なのが好み。
09-29 22:31

好きな曲。ヒンデミット『画家マティス』ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放響。ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、ジェームズ・キング他。同『世界の調和』ヤノフスキ指揮ベルリン放響。フランソワ・ル・ルー、ロベルト・ヴェルレ他。
http://t.co/E2Q0kYsReb
09-29 22:29

  1. 2014/09/30(火) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/28のツイートまとめ

kameiasami

Silva Iaponicarum Fasc. 2
http://t.co/Q9Ydo9HEoK
『南方録』のポーランド語訳。岩波文庫9頁~16頁。
Silva Iaponicarum Fasc. 11
http://t.co/f1ovh6G5FA
同上。岩波文庫42頁~57頁。
09-28 23:44

(続き)
 新年雪
枝たわにつもるもうれし雪みんとたてつる門の松ならねとも
 新年祝
君か代をうたふ声のみ聞ゆなりみやこもひなも年をむかへて
- - - - - - - - - - - - -
雑歌
 遊女
おのかみのいつはり多き心もて人のまことをなにねかふらむ
09-28 12:22

が粗くて読みにくいのが難点ですね。
序文が目当てでしたが、京都向陽会の幹事を長く務めた人らしい、いかにも旧都の華族向きの桂園風の和歌もなかなか良かったです。
以下、宇田淵(栗園)『栗廼花』より

春歌
 歳旦天象
たちかへる年のあしたの初日影くもらぬ御代をそらにしるかな
09-28 12:05

  1. 2014/09/29(月) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/26のツイートまとめ

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宇田淵『栗廼花』(宇田豊四郎、明治37年)
http://t.co/4UMZrQhnQd
を読みました。国立国会図書館デジタルコレクションでは『栗迺花』となっていますが「の」の仮名字母と見做せば「廼」で良いように思います。初期のデジタルコレクションはモノクロ二階調なので画像のきめ
09-26 22:57

  1. 2014/09/27(土) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/25のツイートまとめ

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だったセバスティアン・ヴァイグレの名を呼び、「最近は指揮やってるんだって?」「駆け出しです」「今日はホルンで参加?まだ吹けるの?」「まあお聴き下さい」という微笑ましいやりとりが聞かれます。父スイトナーへの深い愛情の籠められた、良いドキュメンタリー映画でした。
09-25 23:40

イゴール・ハイツマン監督「父の音楽 指揮者スイトナーの人生」(原題 Nach der Musik, ZDF/Filmkombinat制作)より、十何年かぶりにベルリン・シュターツカペレの指揮台に立つ85歳のスイトナー。かつてホルン奏者
http://t.co/UHJqrNBmkU
09-25 23:31

  1. 2014/09/26(金) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/24のツイートまとめ

kameiasami

なおここで愛子が融に読ませようとした評論は、前掲書の「徳田秋聲氏の文章」
(国立国会図書館デジタルコレクション)
http://t.co/hInUxjtqBV
と思われます。
09-24 23:08

「お止し、見つともないから。」
「それ!こゝを読んでごらんなさいと言ふのに。」
「ちよつ。止せつて言つてるぢやないか。」
と叱りつけ、愛子のほうも無邪気な表情が見る見る変わって怒り出す場面からは、愛子の軽薄さとお人好し加減がよく窺えます。
09-24 23:06

軽井沢滞在中にM、S君が署名してくれた最近の感想随想集(おそらく、室生犀星『庭を造る人』改造社、昭和2年6月)を帰りの車中で読んでいた愛子が、
「先生、M、Sさん大変貴方を讃めてゐるわ。ほら、これご覧なさい」
と嬉々としてページを開いて差し出すと、融は不愉快そうに顔を顰めて
09-24 23:04

  1. 2014/09/25(木) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/23のツイートまとめ

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義姉の夢子(坪内美子)にけしかけられ、お見合い相手の男がこっそり見ている前でフルーツポンチを6杯平らげる八重子(高杉早苗)。夢子は八重子に好きな人がいるのを知っているので、みっともない姿を見せて見合い話が破談になるよう機転を利かせた。
http://t.co/v1tXkf5mtK
09-23 18:08

野村浩将監督「母の戀文」という昭和10年の日本映画をDVDで観ました。高杉早苗・坪内美子ほか出演です。今観てもあまり古さを感じさせない、良質のラブコメディですね。オープニングクレジットの背景画が、光の角度でキラキラ瞬いて素敵です。
http://t.co/hwJKxHvtTm
09-23 18:05

〈「面白い。あの男の全部だ。」融は声を出して快笑つた。〉
昭和2年6月に正宗白鳥が秋聲の『春来る』を酷評したばかりの頃で、白鳥の多方面的な仕事が質量共に輝かしいのに比べ〈融自身の破綻だらけな生活や卑小な仕事が、いかにも惨めなものゝやうに思へた。〉とあります。
09-23 15:30

みつ子は大正5年、12歳で疫痢で死んだ長女瑞子のことです。十年前はみつ子が死んだ後で、娘の死の記憶とこの地を訪れた頃の思い出が交錯しているのでしょう。
翌日、融は俳人でもある宿の主人から、
〈行く当てもないのに急ぐ旅路かな〉
と書かれたM、H―氏(正宗白鳥)の短冊を見せられます。
09-23 15:21

その旅行のあひだよく泣いた。学校へ上るやうになつてからは悉皆それを忍ぶことを覚えた。そして年々に誰れよりも優れた頭脳と才能の芽生を見せて来た。
「あんな子が何して死んだのかな。今でも不思議だな。」
いつかしら彼は愚に返つてゐた。
「死んだ家内はあれ一人を頼りにしてゐた。」〉
09-23 15:18

ころ紫山楼は家族風呂や部屋を新築したばかりで新しい廊下にはまだ壁の塗られていない箇所があると書かれています。
愛子と湯に浸りながら、融は明治42年に家族とここを訪れた時のことを想い出します。
〈何だかみつ子が泣いてゐるやうな幻が浮んで来た。十年前まだ四つか五つであつたみつ子は、
09-23 15:15

徳田秋聲『歯痛』(「中央公論」昭和3年1月)。昭和2年7月、次男(襄二)の養子問題で愛子(山田順子)を伴って信州諏訪湖畔に滞在した融(秋聲)が、帰途浅間温泉(紫山楼)に立ち寄り、その後軽井沢に降りてM、S君(室生犀星)やY、N子(吉屋信子)に会った時のことを書いた私小説です。その
09-23 15:13

  1. 2014/09/24(水) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/22のツイートまとめ

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鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』のDVDを観ていたら、書斎にこんな本棚が出てきました(重みで若干傾いているようにも思えました)。Revolving Bookcase といいますが、ちょっと憧れます。
http://t.co/Djnm6Kql56
09-22 23:48

@yuukakubu 歴史的仮名遣では、原則として拗促音を小書きにしません。ただし、外来語の片仮名表記では誤読を避けるため拗促音を小書きにした例がよく見られます。ちなみに「ちょうど」の歴史的仮名遣は「ちやうど」になります。
09-22 23:25

彼は海軍の軍医あがりで、プシユキンかチエホフの作品にも出て来さうな奇人であつた。」
徳田秋聲「浅間温泉」(「旅行と文芸」大正11年7月)
09-22 22:56

「私はどこへ行つても、一二度は其の土地の医者の厄介になる方だが、浅間には異つた先生が一人ゐた。彼は好い頭脳と熱心な研究心とをもつてゐたが、最近では十五六になる令嬢と二人で、ちやうどロシアの田舎にでもありそうな、荒い木造の家に住んでゐて、馬で付近の病家を廻つてゐた。
09-22 22:56

土器の最古級平仮名は古今集和歌 平安京の貴族邸宅跡から出土
(中日新聞、2014年9月22日)
2011年藤原良相邸跡から出土した9世紀後半の土器片の最古級平仮名は、古今和歌集にある「幾世しも」の歌とする新説を南條佳代仏教大講師が発表
http://t.co/U8KCbYmras
09-22 10:58

  1. 2014/09/23(火) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/20のツイートまとめ

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散らし書きについて書かれたもっとも詳しいWEBサイトは、おそらく小泉吉永「往来物倶楽部」の下記ページでしょう。
「往来物講座」
http://t.co/SBTatyaCyF
「往来物講座(続)」
http://t.co/zCqH0vjjRl
09-20 23:49

⑪御うれしさ、しやうちやく(正嫡)のき、
⑫かんよう(肝要)にて、りやうほう(両方)はんしやうの

 かもとのへ 申給へ
09-20 20:14

(ここから裏面)
⑦かもしに思ひまいらせ候、
⑧文にても申たく候へとも、よくゝゝ御心へ候て、つたへ
⑨まいらせられ候て、給候へく候、又この
⑩ちよくしよ(敕書)、けさんに入候て、
http://t.co/9RsIio6e0u
09-20 20:12

⑬事にて候へく候、
⑭よろつ申たく候へとも、
⑮二日さんゝゝの事にて、さなから
⑯にて候、かしく、
09-20 20:10

①昨日は、思ひよらす、けさん(見参)にたも入て、
②御うれしさ、めてたき
③ことともにて、我身も
④かならすまいり候へく候、
⑤ことに色々しよう(至要)なる
⑥御心つかひ、せかましく、
(⑦~⑫は裏面)
http://t.co/sZGkFXz2pC
09-20 20:09

大日本古文書「大德寺文書 別集眞珠庵文書之八」(東京大学史料編纂所、平成25年3月)を調べていて目に付いた散らし書き。第1074号文書「二﨟御局書状」(文安6年4月17日)。なかなか味わい深いです。どういう順番で読めばいいかというと、
http://t.co/HjEsGVu6G5
09-20 19:15

  1. 2014/09/21(日) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/19のツイートまとめ

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@moji_ka 今確認できませんが、「新愛知」に「偉人暦」を載せることにきめたのは、主筆の桐生悠々だったと「森銑三著作集」で読んだ気がします。載っているとしたら第12巻の雑纂でしょうか。
09-19 16:11

@oresama_knight @niina_noriko 下記のツイッターにも書かれていますが、彼の本名はブロズで、ティトー自体が愛称です。ヨシップはジョセフ(英)、ヨーゼフ(独)と同系統の名前で、愛称にするとヨーゾになります。
https://t.co/s6JtKU811A
09-19 13:48

  1. 2014/09/20(土) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/18のツイートまとめ

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@Nishimuraumiush @tonton1965 オリジナルはウィリアム・アドルフ・ブグローの「賞賛(L'admiration)」ですね。
http://t.co/aDA5yeWPLC
うまく加工していると思います。
09-18 22:44

@HenSorge
https://t.co/MSaMm4LOs8
に翻字してみました。新体歌ですね。
09-18 19:29

湖畔、草のつゆふかくほたるひそみをり月夜の冨士の前に
薰園(印)
精進湖畔にて
https://t.co/Z7Tau3FTwJ
09-18 19:22

  1. 2014/09/19(金) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/17のツイートまとめ

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笑った。
https://t.co/bdfSVE4QRH
09-17 23:27

徳田秋聲色紙
http://t.co/QUBsAYRRmX
思文閣さんでも崩し字読み違えるんですね。この句は
「春雨の草履濡しぬ芝居茶屋 秋聲」です。
09-17 22:52

大杉重男ブログ《蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』》
http://t.co/8f1RU3WvAh
「私はこの本を読んで、私がかつて書いた『徳田秋聲論』の問題点の一部が分かった気がした。私は秋聲論という作家論ではなく、たぶん「あらくれ」を論じるだけで一冊の本を書くべきだったのだ。」
09-17 22:32

国立国会図書館デジタルコレクションで『金魚養玩草 前編』
http://t.co/nuLI8b2cTk
を読んでしまいました。現今の金魚の飼育本の原型ですね。金魚の由来から体の部位の解説、雄雌の見分け方、飼育法、餌、繁殖法、病気、等々懇切丁寧で感心しました。おもしろい。
09-17 00:47

Googleブックスで
『徒然草諸抄大成』第1巻
http://t.co/LBrFLF8guJ
を読んでいたら、「金魚養玩草」の広告が3回も出てきたので、気になって
09-17 00:27

  1. 2014/09/18(木) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/16のツイートまとめ

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静岡県立中央図書館
くずし字解読講座 テキスト一覧(古文書解読)
http://t.co/ea1sDYR8VZ
手取り足取り、懇切丁寧で良いサイトです。
09-16 23:59

  1. 2014/09/17(水) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/14のツイートまとめ

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「声が妙である。葵山氏の声とは違ふ。咽仏のところから幽かに顫へて出る。舌は少しも働かないやうな声である。誰れでも初めて秋聲氏に接した時には、秋聲氏独得の此の声に、一番気がつくであらう。口は重い方である。」
09-14 17:26

中村武羅夫『現代文士二十八人』(日高有倫堂、明治42年7月)より
「德田秋聲氏」
http://t.co/KmLd5h0YhP
09-14 17:25

  1. 2014/09/15(月) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/13のツイートまとめ

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@yamifupass 新潮社版ドストエフスキー全集で江川卓が訳しているのは『分身』『地下室の手記』『悪霊』『書簡(Ⅲ)』『創作ノート(共訳)』のみで、『カラマーゾフの兄弟』は原卓也訳です。江川卓訳の『カラマーゾフの兄弟』は、集英社世界文学全集「ベラージュ」の45~6巻所収です。
09-13 22:49

@yamifupass はい。装釘は亀倉雄策です。ご存じとは思いますが同社刊のトルストイ全集の本体も色が赤なのが違うだけで同じ装釘です。
ドストエフスキーの全集としては、全27巻別巻1の新潮社版のほうが新資料が豊富でよく纏まってはいますね。
09-13 20:44

最晩年の論文「アジアはわれわれにとってそもそも何であるか/問いと答え」もなかなかすごいです。
「ヨーロッパでは、われわれは単に食客で、奴隷に過ぎなかった。がアジアへは主人として出現するわけだ。ヨーロッパではわれわれは韃靼人だったが、アジアではわれわれでもヨーロッパ人なのだ。」
09-13 20:16

河出書房新社『愛蔵決定版 ドストエーフスキイ全集』の装釘は綺麗ですね。洋書みたい。写真は、第15巻『作家の日記 下』。
所収の「コンスタンチノープルはわが有たらざるべからずというのは可能か」はドストエフスキーの極右ぶりで知られた論文。
http://t.co/GeVRmpU0LR
09-13 20:00

@tiburius B6判くらいに見えますね。私もこのくらいの大きさの本は好きです。
09-13 00:29

  1. 2014/09/14(日) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/12のツイートまとめ

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シュティフター『晩夏』初版第2巻を繰る。
Der Nachsommer - Band 2
https://t.co/8LUPyDizFf
男の人の手が大きいせいもあるのでしょうが、私が想像していたよりも小さな本でした。
09-12 23:58

お小夜は心ここにあらずで、夫が秣と言ったのを枕と聞き違えています。
部分的に面白い表現のある作品ですが、『村の平和』(「新声」明治36年4月)と同様、疎髯禿頭、赫顔肥満、青山碧水、菜圃麦隴、沮洳場裏などの漢語(特に四字述語)を多用したせいで、全体的に表現が紋切り型になっています。
09-12 23:35

「『這麼空ツ騒は以来舎して了つて、田圃でも作つてる方が、余程利巧だ。其でなければ、牧畜でも行つて、盛に豕や牛を蕃殖させる。(中略)お前も其気になつて、秣の世話ぐらゐ為てくれなくちやならんよ。』
『枕ですか。』と何か考えてゐたお小夜が、どぎまぎする。」
(『《換菓篇》ゆく雲』十一)
09-12 23:04

門下が連載したものの中の一篇です。零落した豪農の家に生れた野々山春作は、故郷の有志に推され選挙に出馬しますが、演説が不敬罪に問われ獄に繋がれます。彼が服役している間、妻のお小夜は夫の旧友の猨渡順之介と関係して妊娠しますが、出獄した夫に打ち明けられず自責のあまり入水する、という話。
09-12 00:01

  1. 2014/09/13(土) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/11のツイートまとめ

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のち『出獄』に改題。
「庚寅倶楽部」を調べると、明治23年6月17日、愛国公党・自由党・大同倶楽部の3派が合同した政治結社とのこと。小説の舞台が実在の政治結社とは思いませんでした。すると、壁間の党の主領の肖像画とは板垣退助のものでしょうか。この作品は、病床の尾崎紅葉に奉贈するため
09-11 23:35

「捲いた緑の窓帷の窓から、三時半頃の日が斜に、壁間の党の主領の肖像画を照してゐるが、彼等は長方形の卓子を囲んで、果を肴に、手々にビイルのコツプを控へてゐる。庚寅倶楽部の楼上で、十畳ばかりの質素な西洋室である。」
徳田秋聲『《換菓篇》ゆく雲』(「二六新報」明治36年6月)より。
09-11 23:27

この写真好き。能年玲奈ちゃんと登坂広臣さん。 #ホットロード
https://t.co/I1KKycjF2d
09-11 23:26

http://t.co/gVZOjfZoiH
に「≐」の用例があります。「≐」と「≒」は同じ意味で、左右の式または値がほとんど同じ。「≈」は同相あるいは微分同相で幾何の分野の位相幾何でたびたび使われる概念(前掲『身近な数学の記号たち』)だそうです。
09-11 01:21

@tonton1965 原典は、Anton Steinhauser (1802-1890), Lehrbuch der Mathematik, Algebra (Wien, C. Gerold's Sohn, 1875.) viii, 366 p. の292頁です。
09-11 01:20

  1. 2014/09/12(金) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/10のツイートまとめ

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@tonton1965 1875年にドイツのA.シュタインハウザーが『代数学』で初めて使った。「=」と「≠」の中間の記号として、点を1つあるいは2つ残して現在の記号が出来たという説がある、と岡部恒治ほか『身近な数学の記号たち』(オーム社、平成24年)の22頁に書かれています。
09-10 21:21

@tonton1965 「≒」は「=」と「≠」の中間ということで作られたらしいです。
ユニコードではU+2252 "approximately equal to or the image of"
latexではamssymbのパッケージで\fallingdotseqと書きますね。
09-10 20:38

ドストエフスキーから妻アンナへの手紙より。
こういう手紙おもしろいですね。自分が貰うのは困りますが、ひとのを読むのは大好きです。
http://t.co/bhQMKdzLDo
09-10 13:41

少しも早く逢いたいものだ)。お前の足の指と、それから唇と、そしてまた(一語抹殺)に接吻する。全身すべてお前の ドストエーフスキイ」と書いています。問題の語を後から抹消したのは妻アンナです。手紙の末文で若い妻の(一語抹消)をどうこうしたい、という一文を付加えるのが彼のへんな癖です。
09-10 01:37

ドストエフスキーは先程の手紙に続けて「お前の手紙によると、私に抓られた痕が青痣になったとのことだが、わたしはかわいさ余って抓ったのだ。ところで、ここにいる間にわたしの愛情が募ってきたから、これから先も、愛が冷めるまで抓ると約束しておく。(中略)わたしの天使、また逢うまで(ああ、
09-10 01:31

と書いています。その一方グロスマンの年譜によれば、1873年あるドイツ通信文に寄せた文章で「深遠な課題を山積みにしたワグナーの音楽のような現象があることは、少なくとも、ドイツの、洞察の鋭い芸術作品がまだ生きている証拠であり」(松浦健三訳)と賞賛しています。なかなかの二枚舌ですね。
09-10 01:13

1879年8月7日、エムス滞在中のドストエフスキーは妻アンナに宛てた手紙の中で、「ここの音楽はなかなかいいけれど、ベートーヴェンやモーツァルトは時たまで、いつもワグナー(有名ではあるけれども、退屈このうえないドイツ式の山師だ)や、そのほかのやくざなしろ物ばかりだ。」(米川正夫訳)
09-10 01:12

に無心するも断られる。25日ベートーヴェン『エグモント』序曲、モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』序曲を聴く。この間ずっとドストエフスキーはルーレット三昧で妻の持ち物などを質入れしています。それにしても随分コンサートに通っているものです。
09-10 00:31

シュトラウスの魅惑的なワルツを聴く。17日ベートーヴェン『交響曲第2番』ニ長調に感動。22日にバーデンに移動。27日ロッシーニ『スタバート・マーテル』。28日トゥルゲーネフを訪問しロシアと西欧に対する理想の相違から衝突。7月2日フロベール『ボヴァリー夫人』購入。14日ゴンチャロフ
09-10 00:31

1867年、妻とドレスデンに滞在中のドストエフスキー。グラン・ジャルダンで6月2日ヴァーグナーの『リエンツィ』序曲、同5日モーツァルトの『アンダンテ・カンタービレ』『メヌエット』『アレグロ』、10日ベートーヴェンとヴァーグナー、11日ベートーヴェン『メヌエット』とヴァーグナー、
09-10 00:31

  1. 2014/09/11(木) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/09のツイートまとめ

kameiasami

@niina_noriko 文部省 編『日本教育史資料』五(明治24年5月)
http://t.co/0nHNhPKIff
を見ると「諸生」が多用されてるようです。
デジタル大辞泉を引くと「多くの学問をする者たち。多くの学生や門弟。」とあります。
09-09 15:01

@niina_noriko そうですね。門人とか門生ともいいますね。
09-09 14:02

@niina_noriko 門弟はだめですか?
09-09 13:48

  1. 2014/09/10(水) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/08のツイートまとめ

kameiasami

あくまで推測ですが、やはり「勢」が原文ママ、「せ」は読者の読みやすさを考慮して付けた、ということではないでしょうか。時代は下りますが、
市地英「馬琴小説の平仮名字母の研究」成蹊國文 2013;46:103-116
http://t.co/c6RQNjLBi5
が参考になります。
09-08 13:27

西鶴『諸艶大鑑』(貞享元刊、池田屋三良右衛門)より
http://t.co/DLJjVBhrgv
をご覧下さい。「爪も人に切ら勢(せ)。髪結までも二人かゝり。」とあります。「勢」に「せ」と振り仮名が振ってあります。
09-08 13:25

@ochitohfu ご返信ありがとうございます。私の知る限り、(変体)仮名に振り仮名を傍記した例は珍しくありません。
例えば、
09-08 13:00

明治33年に小学校令で仮名の標準字体が定められた際、それ以外の字体を変体仮名と呼ぶようになったので、江戸時代に普通の平仮名・変体仮名の区別はなかったのでは。但し、いろは歌書写の平仮名字体は古くからほぼ一定していた(矢田勉)ようです。
https://t.co/r91l0UUloB
09-08 00:25

  1. 2014/09/09(火) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/07のツイートまとめ

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の娘が」
という文章など、一部外国作品から材を得ているのではないかと疑いたくなる箇所もあります。
09-07 22:35

祐文社版の中扉裏には〈熱狂はごりきーの「おーろふカツぷる」を翻案したるもの。附録の臨終は小生の創作なり(秋聲)〉とあります。『親子』(『臨終』)が秋聲の創作というのは嘘ではないでしょうが、
「貧に逼り死に瀕した哀の病婦は、如何なる神の御心によりてか、今夜端なくヱンゼルのやうな其末
09-07 22:34

(胃癌)の末期で、弟子達が入替り立替り夜の病室の付添いをしていました。重湯云々の件りにはその頃の師の様子が反映しているのでしょう。
『熱狂』はゴーリキーの«Супруги Орловы»(1897)の英訳“The Orlov Couple”(tr. 1901)からの翻案です。
09-07 22:33

  1. 2014/09/08(月) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/06のツイートまとめ

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精々おも湯をお茶碗に半分位なものですよ。』〉
徳田秋聲『親子』(「文芸界」明治36年5月。後に『熱狂』(祐文社、明治40年9月)に収められる際『臨終』と改題)より。死病でもう長くない母親を見舞いに行った末娘が、臨終を看取るまでを書いた短篇です。この短篇の執筆当時、師の尾崎紅葉が癌
09-06 23:10

〈『其で、病気は何(どう)なんでせうね。』とお金は内儀さんの方を向いた。
『何でもね、酷い胃癌だとか仰るんですよ。其でもね秋の頃は、起きて働いたり何か出来たんですけれど、先月の初つころから、滅切お弱んなすつて、月中頃からどつと床にお就きなすつた限り、食べるものと言つちや、精々
09-06 23:00

私の小学四年生といえば、クラシック音楽に夢中になってヴァイオリンを習いに行き始めた頃だ。子供用の鈴木バイオリンを買ってもらった時は嬉しくて何日も枕元に置いて寝たものです。
その鈴木バイオリンは背が大きくなって年少の子にお譲りしたけれど、2本目のカールヘフナーは今でも家にあります。
09-06 12:43

徳田秋聲記念館「寸々語」|「たたきつける」2014年9月6日
http://t.co/OFvyTmsRxC
たしかに小学四年生の「徳田秒聲」「頭にたたきつけました」の書き違えは可愛い。
09-06 12:25

  1. 2014/09/07(日) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/05のツイートまとめ

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熊代彦太郎・幸田露伴編の『俚諺辞典』(明治39年9月)に「豚に念佛、猫に經」の項があって、「其甲斐なしとの義。牛の前に琴と同義なり」とあります。「ウ」の部には『祖庭事苑』の「對牛彈琴(牛に対して琴を弾ず)」なども引かれています。對牛彈琴(对牛弹琴)はよく耳にしますね。
09-05 01:06

@niina_noriko そうですね。「豚に念佛、猫に經」のほうが日本的ですね。
09-05 00:51

@niina_noriko 馬に経文とも言いますね。上方いろはかるたに「むまのみみにかぜ」というのがありますが、猫・犬・牛・馬・豚にはその手の諺が多いですね。
09-05 00:30

@niina_noriko 牛に経文
09-05 00:18

犬に小判、犬に念仏猫に経というのもあった。
09-05 00:15

@niina_noriko 「犬に論語」ですね。
09-05 00:14

  1. 2014/09/06(土) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/04のツイートまとめ

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この小文の最初の方に
〈「阿母さんのやうな南瓜党に成るなよ。」
「不好(いや)ですね。貴下だつて随分甘いものを召食る癖に。」〉
という会話があります。南瓜党は、甘党ほどの意味でしょうが、この小品の登場人物と同様、秋聲は甘いものが大好きだったようです。お酒は殆ど飲めなかったとか。
09-04 23:57

徳田秋聲『夏の夜』(「近事画報」明治36年9月)より。涼しくなってきたので、それに相応しい会話をと思い引用しました。ごく短い文章ですが、同年7月に生まれた一穂を思わせる子供が出てきますし「肩を鯱子張して、丸で犬殺しのやう」とは『黴』の頃の秋聲の一面を表しているようにも思えます。
09-04 23:41

「四月でしたつけ。」
「お前もあの時分は、可成美人であつたが、もう秋が来たのだな。」
「貴下だつて、余り毎も春でも有ませんよ。貴下あの時分頑固だつたのね。下宿に在(いら)しつて、毎でも踵の擦減つた靴を穿いて、太いステツキを持つて、肩を鯱子張して、丸で犬殺しのやうだつたわ。」〉
09-04 23:39

〈「夜分は大分涼しくなつたね。」
「はあ、滅切秋めいて来ました。」
「此分ぢや、今十日も経つたら、袷の必要を感じるだらう。」
(中略)
「あゝ好い月だな。水のやうな空の色だ。虫が大層啼くね。」
「何だか心細いものですね。秋は可けませんね。」
「春が可いか。新婚旅行も春だつたな。」
09-04 23:37

  1. 2014/09/05(金) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/03のツイートまとめ

kameiasami

@niina_noriko でも秘密組織で大きな窓で解放的なところは難しそうですね。地下室とかそんな感じがします。秘密組織だけに、賢い男性はいっぱいいそうです。
09-03 12:33

@niina_noriko ええ、想像するのにはいいですよね。
09-03 12:24

私には一種の幽閉願望があった。物語では幽閉されるのは美女やお姫様と相場が決まっているからな。
それはさておき、この映画の西田敏行って(軍人メイクのせいもあるけど)痩せてて結構ハンサムね。
09-03 12:21

映画『敦煌』(佐藤純彌監督、東宝。昭和63年6月公開)で、趙行徳(佐藤浩市)が三年間座敷牢に閉じこめられて西夏語の辞書を作らせられる場面を思い出しました。そういう生活もいいかなと一瞬だけ思いました。
https://t.co/hTk8vQtgjv
09-03 12:19

@tonton1965 岡田時彦・岡田茉莉子とも大谷崎の命名でしたね。
09-03 01:14

そういえば坪内ミキ子がテレビに出るとよく「逍遙の孫」だと教えてくれたものですが、この人はNHKなどで坪内逍遙の孫として紹介されていたので、勘違いとはいえませんね。実際は坪内逍遥の兄・義衞の三男・士行の娘です。士行は逍遙の養子だったことがありますが、後に養子縁組を解消されています。
09-03 01:12

私の母は高見恭子が高見順の娘ということは知っていました。集英社『日本文学全集65 高見順集』なども読んでいたようです。ただ、加賀まりこが加賀乙彦の娘だとも思い込んでいて、それについては私が訂正しました。
https://t.co/zukOdxHrpL
09-03 00:23

  1. 2014/09/04(木) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/02のツイートまとめ

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すれば直ぐに古写真が見付かる旅館・松屋に「自分」が投宿した折、同宿の二十七八の男の身上話を聞く、という内容。作品に書かれたような不運な身の上の男が実際に泊り合せたかは判りませんが、その風景描写から明治30年代の観海寺温泉の様子を知ることができる資料として、屢々言及される作品です。
09-02 23:58

この作品は、『徳田秋聲全集』第43巻年譜に「(明治三十五年)四月五日、観海寺へ一人人力車で行く。午後三時に着く。九日、同宿の人たちと鉄輪に行き、海地獄を見る。午後、馬車で発ち、午後五時に別府に着く。」と書かれている旅中での見聞を基にした短篇です。「観海寺 松屋」でgoogle検索
09-02 23:31

大分県速見郡教育会編『豊後速見郡史』(大分県速見郡教育会、大正14年12月)に引用されている『観海寺温泉記』
(国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid…
の記述に近いようです。
09-02 23:03

奏した。此が此の温泉の始まりで、維新の際廃寺となり、今は湯場の背に小な庵室が残つてゐるばかり。」
徳田秋聲『観海寺の五日』(「中学世界」明治36年3月)より、観海寺温泉の由緒書です。典拠は脇蘭室の『観海寺温泉銘幷序』かしらと思い調べてみましたが、そうではなく、
09-02 23:00

となり、付近の十余村を埋没したといふ。
宝永年中立石村字観海寺千石の領主、京の吉田町萩原三位員従(かずのり)卿の継室、病気の砌、医療術尽きたのを、薬師如来の夢窓によつて、字笹山下に温泉ありて湧けり、三七日入湯せば平癒すべしとのことに、取あへず九州へ下つて、病気忽ち平癒の効を
09-02 22:36

「今から千有余年のむかし、仁聞菩薩の開基とあつて、其後大友公の祈願時となり、七堂伽藍、宏大を究めたものであるが、天正九年の兵火に滅寺となり、本尊薬師如来字笹藪の下に庵を結んだが、慶長七年の六月二十日天忽ち灰をふらし、二十一日大風雨、二十二日大地震動し、山鳴り谷撼いて、扇山の崩頽
09-02 22:34

  1. 2014/09/03(水) 00:00:00|
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亀井麻美 : 2014/09/01のツイートまとめ

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居間の方から女性のオーガズムの声が大音量で聞こえてきたのでびっくりして駆け足で見に行ったら、「恋人たちの予感」という映画でメグ・ライアンがレストランでやったフェイク・オーガズムの場面が番組で流されていただけでした。何事かと思った。
09-01 20:49

漢語を多用した地の文や会話からは、同時期の秋聲作品とはやや異質な印象を受けます。題材から見ても翻案ぽいですね。
09-01 20:33

ここで始終目にしますね。
さて、このあと校長は、公金を横領していたことが明らかとなり、警官に連行されて幕となります。
秋聲最初の短編集『花たば』(日高有倫堂、明38年12月)に収められた短篇で、まさか代作ではないと思いますが、
09-01 20:33

噞喁(けんぐう)とは、魚が水面に口を出して呼吸する意ですが、ここでは漢語大詞典に「2.仰望期待貌。」とあるように、深い谿間から外へ出たい思いであっぷあっぷしている様子を表しているのでしょう。「轗軻不遇といふのは、君のことだ。」という台詞もあります。そういえば轗軻不遇を託つ呟きは
09-01 20:31

「偖吾輩は此で満足が出来ない。谿流にばかり噞喁してゐちや詰らないと思つた。」
徳田秋聲『村の平和』(「新声」明治36年4月)より。
山間の楽土とも言うべき小村で人々の尊敬を一身に受けている小学校の校長が、もっと広い世界に出たいという思いを友人に吐露する場面で発せられる言葉です。
09-01 20:30

  1. 2014/09/02(火) 00:00:00|
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