悪い気がしたので序でに買ったというのが正しいです(でもロートのはいい本ですよきっと)。
ルリユール叢書のフリードリヒ・フケー『魔法の指輪 ある騎士物語』(上・下)(池中愛海、鈴木優、和泉雅人訳)があれば入手するつもりでしたが未入荷でした。これは読みたい欲がむくむくと湧いてきます。
05-30 15:29
①ヨーゼフ・ロート『ウクライナ・ロシア紀行』長谷川圭訳、日曜社、2021年6月。
②新潮社「波」2022年6月号。
久しぶりに書店を訪れて、ロートの『ウクライナ・ロシア紀行』と、入手困難になっている賀喜遥香さん表紙の「波」6月号を入手しました。
……というか、「波」だけ無料で貰って帰るのは
https://t.co/M2R3m2ZSII
05-30 15:25
「しとやかな女性は君子の妻とするに相応しいものだ」の意。
「惣巻頭(そうかんどう)」は、本来の意味は巻のはじめのこと、または巻の中で最も優れたもののこと。役者評判記の役者の技芸の等級において、最後の「惣巻軸」に対立する位であり(巻頭、巻軸では巻軸が高位)、「巻頭」よりも上位。
05-27 16:55
【女中の惣巻頭】
〈詩に云わく、「窈窕(ようてう)たる淑女は、君子のよきたぐひなり」とは、女中の惣巻頭(そうくわんどう)。乱は天より降すにあらず、婦人より為るとはその裏なり〉
(清涼井蘇来「当世操車」巻4-1「物部新蔵娘お弓事」冒頭)
「窈窕淑女、君子好逑」(『詩経』「周南・関雎」)は
05-27 16:55
ということで青野季吉が読売新聞社に勤務した大正4年秋には徳田秋聲は既に客員を退いています。
05-26 23:56
「運動欄、学生欄の主任として吉岡信敬を招き、また徳田秋聲、上司小剣、松本雲舟、正宗白鳥、佐藤紅緑を文芸欄に専属せしめ、小宮豊隆、阿部次郎、安倍能成、森田草平を客員とす」
とあります(前掲年譜によれば発表は3月21日ですね)。
秋聲が読売新聞の編集業務から退いたのは、大正3年12月末です。
05-26 23:45
青野季吉が読売新聞社に勤務したのは大正4年の秋から大正8年にかけてであったと256頁(135コマ)に書かれています。
秋聲は大正3年1月から「読売新聞社編集局に客員として十数年ぶりに復帰」(徳田秋聲全集年譜)、
そして『読売新聞八十年史』(読売新聞社、昭和30年12月)には、大正3年3月31日、
05-26 23:33
青野が〈「黴」「足跡」〉と書いているのは秋聲の代表作を単行本化される毎に読んだことを示しているのかなと思います。
〈〔読売新聞社の〕文芸部の客員と云ふ形で徳田秋聲、正宗白鳥が時折ぶらりとやつて来て、小剣と連れ立つて出掛けた〉
同「新しい環境」より。
https://t.co/qimybCwFFL
05-26 23:31
に描かれた人生は、その時になつて、その翳の細かい所まで私に分るやうな気がした。押しつめた描写にも底光りのするやうな物があつた〉
青野季吉「「黴」と「微光」」(『一つの石』有光社、昭和18年7月)。
https://t.co/oH3AWT7vNH
新聞連載は『足迹』が先ですが、単行本は『黴』の方が先なので、
05-26 22:09
【青野季吉と秋聲文学】
〈秋聲の「黴」「足跡」が出版されたのも、その頃で、この二作は、とかくうすれ勝ちだつた小説の感動を、私のために取戻してくれた。秋聲の短篇は、田舍で時折読むには読んだが、人生に屈した、何か私からは遠いもののやうな気がしてならなかつた。ところが長篇「黴」「足跡」
05-26 22:08
決まり文句だったようですね。
「どたまかち割ったる」みたいなもんでしょうか。
05-25 17:25
【あごたを切って切りさげる】
「言ひぶんが悪いとあごたを切つて切りさげる」
清涼井蘇来「後篇古実今物語」巻2-3「難波の次郎矢矧の母を殺す事」より。
「あごた」は顎のこと。日国に、談義本・地獄楽日記(1755)四「いま一言いうて見よ、腮(アゴタ)を切つて切下げん」の用例が出ていることから、
05-25 17:25
れた。
同じく山人の門弟でも、泉鏡花氏は未だに毎朝顔を洗つて、飯を食ふ前に先づ山人の写真を礼拝するさうである。さすが鏡花氏は、昔の名人気質のやうな俤があつて面白い」
谷崎潤一郎「十千万堂主人」(「夏日小品」より)『芸術一家言』金星堂、大正13年10月。
https://t.co/GzTQfKcp9f
05-25 11:28
放つて済まして居た。
『そんならあなたはなぜ紅葉の弟子になつたのです。どうして露伴の門下に趨らなかつたのです。』
予は重ねてきいた。
『露伴はあんまりえら過ぎて、訪ねて行くのが恐ろしいやうな気がしたのさ。――しかし君がそんなに紅葉を褒めるのなら、僕ももう一遍読み返して見よう。』
と云は
05-25 11:27
【秋聲の尾崎紅葉観】
「山人の門弟で、方今文壇の老大家を以て目されて居る徳田秋聲君と、先日本郷の豊国で落合つた時、予は極力山人の作物を激賞して、同君の意見を叩いた。すると意外にも同君は、
『紅葉なんぞ、そんなにえらい作家ではないよ。露伴の方がズツトえらいさ。』と、雑作もなく云ひ
05-25 11:27
@tonton1965 みな似たように見えてしまうのであれば、なおさら本に作品名を書く際には再確認が必要と思いますよ。
『あらくれ』のような有名作品は文学辞典に梗概が載っていますし。
05-24 11:47
画像検索で静止画を幾つか見ていると、何だか人が良さそうな方に思えて来ますね。この人も悪役にありがちな「みかけハこハゐがとんだいゝ人」かも。
#市村昌治
05-24 07:19
昨夕、BS日テレでやっていた《桃太郎侍》(第111回)を観ていると、以前に別の時代劇で「ダニみたいな奴」と言われていた物凄い風貌の役者さんがまた下っ端の悪役で出ていたので調べてみると、市村昌治という人でした。お名前が判ってスッキリしました。
#備忘録
05-24 07:09
「ほうやほう」は子供の囃し言葉。この場合、母親が近所のおじさんと一緒に蚊帳の中で寝ているのを発見した子供による、やや卑俗な囃し立てですね。
〖類例〗
〈十七八の娘が立膝にして、毛のはへ所が少し見えければ、ふえ「ほうやほうとふき出しければ〉
(落語「独楽新話」より「下かた」)
05-24 01:53
【ほうやほう】
〈〔引用註:倅辰之助は〕
「かかさまはお帰りか」
とそのまま座敷へ行きけるが、この体(てい)を見て、
「やあかかさまとおぢさまと、一つに寝てほうやほう」
と大きな声して云へば、下女も行灯を持ちながら肝をつぶして〉
(清涼井蘇来「当世操車」巻3「浮橋頼母妻女の事」より)
05-24 01:52
お読みになってからかなりの年月が経過しているので内容についての記憶が曖昧だったと思われますが、あやふやなままで本に書いてしまうのはよくないですね。
https://t.co/wF8VV4Grw7
05-24 01:34
ちなみに小谷野氏は徳田秋聲の『あらくれ』を読んでおられなかったわけではなく、24歳の時にお読みになったそうです。他に『仮装人物』を27歳、『黴』『縮図』を33歳の時に読まれたとのこと。これらの中で「藝妓や娼婦に淪落する女を描い」た作品に当てはまるのは『縮図』(藝妓)のみです。おそらく
05-24 01:16
〈紀要論文「徳田秋聲のダンス・ステップ」(『人文学報』2022・3)の中で指摘したことだが、私は川端の代表的な短篇の一つである「禽獣」は、秋聲の「町の踊り場」にインスパイアされていると考えている〉
前掲、大杉重男ブログ「川端康成と徳田秋聲」より。これはたいへん興味深い指摘です。
05-24 01:14
この写真では島崎藤村だけ時代劇の悪役(名和宏とか中山昭二とか)みたいな顔してますね
ちょうど時期も時期だし
05-23 23:04
大杉重男ブログ:川端康成と徳田秋聲(2022.5.22)
https://t.co/tZYu53BoKv
小谷野敦『川端康成と女たち』(幻冬舎新書、2022年3月)について。
05-23 17:17
米映画《紅薔薇行進曲》の日本公開は昭和13年9月なので、その頃の出来事と思われます。
『国民年鑑 昭和15年』(昭和14年10月)817頁上段、〈〔九月〕コロムビア、E・F・グリフィース「紅薔薇行進曲」〉。
https://t.co/gktsMNDTdX
05-23 15:32
井伏鱒二氏が着流し無帽で挨拶されて行かれた〉
室生犀星「日記抄」(『一日も此君なかるべからず』人文書院、昭和15年9月)より。
https://t.co/cLqO6Vb3Lg
たぶん室生犀星研究では年月日が特定されていると思われますが、生憎手許に年譜がないので……。
05-23 15:31
【紅薔薇行進曲】
〈大阪ビルの試写室で「紅バラ行進曲」を見る。
けふはこれからお茶を喫みに行かうと思ふが奈何かと中村武羅夫氏が珍しくさういふ。楢崎勤、板垣鷹穗、徳田一穂氏等と同道、資生堂に赴く。
(中略)
銀座四丁目の角で一穂氏が私を小衝いてほらほらと注意したので、気がつくと
05-23 15:31
日本文章学院編『通俗新文章問答』(新潮社、大正2年6月)より。
https://t.co/H9LZkrVcaF
秋聲の肖像は大正初年頃の家族写真から採られているので、数えで42歳くらいでしょうか。若いですね。
#田山花袋 #国木田独歩 #島崎藤村 #徳田秋聲 #正宗白鳥
https://t.co/YUj2fd0Klw
05-23 14:32
徳田秋聲も第1巻(16コマ)の執筆者一覧に名を連ねています(執筆項目例:第1巻、557コマ「硯友社」。水木京太との共同執筆)が、おそらく名義貸しと思われます。
05-20 14:32
藤村作編『日本文学大辞典』第2巻(新潮社、昭和8年4月)。
https://t.co/iP25IMgwYN
『出産』(269コマ)『新世帯』(343コマ)『爛』(522コマ)
以上、執筆者の「(加藤)」は加藤武雄。
05-20 14:29
藤村作編『日本文学大辞典』第3巻(新潮社、昭和9年6月)。
https://t.co/VZgDLH8tIZ
「徳田秋聲」(33コマ)『藪かうじ』(553コマ)
同、第1巻(昭和7年6月)。
https://t.co/uDz3qeNmX0
『足迹』(42コマ)『あらくれ』(67コマ)『黴』(328コマ)『雲のゆくへ』(479コマ)
05-20 14:28
とあるとおり渋面、顰めっ面をすること。九面は「十面>九面」ですから、十面(渋面)を少し和らげること。それが出来かねるというのだから、「十面は作つても九面が出来かね」は「ずっと顰めっ面のまま」の意でしょうね(たぶん)。
05-20 12:55
【十面は作っても九面は出来かねる】
「親父も十面(じうめん)は作つても九面が出来かね」(清涼井蘇来「当世操車」(明和3年)巻2「唐物屋久左衛門娘が事」より)「十面」は「俚言集覧」中巻に
「澁面の音なりと云り澁面の壓面なとをいふ歟」
https://t.co/pPP5vgt3n1
05-20 12:55
日光滞留中の花袋を評したとも言える〉
『田山花袋記念館研究叢書』第3巻「花袋周辺作家の書簡集1」館林市、1994年3月、271頁(執筆:小林一郎)。
※花袋は大正2年5月から10月まで日光南谷の医王院に寄寓。
05-19 20:38
〈いつ、秋江が秋声に会ったのかは判明しない。(中略)大正二年七月十六日、神楽坂東陽軒で秋声の『爛』の出版記念会があったので、その時、あるいはその二三日の間かもしれないということである。秋声がどういう意味で秋江に「田山君は矢張エライ」と言ったのか実態は分らないが、
05-19 20:37
徳田(近松)秋江は大正2年9月2日消印の田山花袋宛書簡に
「先〻月上京の砌り徳田秋聲氏に会つて、田山君は矢張りエライと言つてゐました」
と書き送っており、先々月といえば「たゞれの会」が開催された7月ですから、ちょうどそのころ秋聲は花袋文学に大いに感服するところがあったのだと思われます。
05-19 20:36
生方敏郎、本間久雄、鈴木三重吉、森田草平、水守亀之助(幹事)。
参会者には著者署名入りの特装版を配布したとのこと。
なお小剣は
「▲謙譲な秋聲氏は、『其の中一つ「花袋会」をやらうぢやないか。「花袋会」なら確かに意義があるよ』と静かな調子で言つてゐた」
と記していますが、
05-19 06:52
https://t.co/8n1nYeclTP
単行本『爛』(新潮社)の刊行は大正2年7月15日付で、徳田秋聲全集年譜には16日に神楽坂東陽軒で出版記念会が開かれたとあります(但し「たゞれの会」とは書かれていません)。
参加者は、徳田秋聲、上司小剣、滝田樗陰、中村武羅夫、小川未明、岩野泡鳴、正宗白鳥、
05-19 06:51
【たゞれの会】
「▲あるところに『たゞれの会』といふのがあつた。徳田秋聲氏の最近の長編『たゞれ』の出版を機としてこれを推讃し、作者を表彰するといふのが名目で、また『秋聲会』とも呼び得べきものであつた」
上司小剣「たゞれの会」(『小ひさき窓より』大同館書店、大正4年3月)
05-19 06:47
当作品の別の箇所から用例が引かれています)。
徳田秋聲の作品にも用例を探しましたが、発見できませんでした。
05-18 17:03
は、
〈朝野は私の言葉にかまわず「――小柳はあんな子供つぽい風をしてゐるけど、案外カマトトかもしれんが……」
「カマトト?」
「あんたもなかなかカマトトの感じですな」
「カマトトツてなんですか」〉
とあり、昭和14、5年当時でも耳慣れない言葉として描かれています(日国でも近代作家では高見の
05-18 11:01
用いられていたとの記述があり、日国では文久年間の滑稽本「人情穴探意の裡外」三「年に似合ずかまととばかり云ふ妾さん」の用例が引かれていますが、実際に書物で目にするのは主に昭和10年代に入ってからですね。
たとえば高見順の小説『如何なる星の下に』(「文芸」昭和14年1月~15年3月)の用例で
05-18 10:59
【蒲魚(かまとと)】
辞書には
「知っているくせに知らないふりをして、上品ぶったりうぶを装ったりすること。また、その人。多く女性についていう。
[補説]蒲鉾(かまぼこ)は魚(とと)か、と尋ねたことに由来するという。近世末、上方の遊里で用いはじめた」
(デジタル大辞泉)
と、幕末から
05-18 10:58
清涼井蘇来「後篇古実今物語」巻4-2「烏川にて鬼五郎と牛太郎争ひの事」より。
この「姫の身がはり丸いもので拵える」の意味がよくわかりません。「丸く収める」ということでしょうか。
05-18 10:35
【丸いもので拵える】
「イヤこりや牛太郎そちや見事宗盛公の上使を済すか。ヲヽサ云にやおよぶすまさいでそちや又なんで済すときめつくれば。鬼五郎鼻いからしアヽ慮外ながら熊鷹と名を取たわれら。(中略)姫の身がはり丸ひもので拵へる」
https://t.co/vmrTvbivzu
05-18 10:35
ヤギェウォ大学(Uniwersytet Jagielloński)の片仮名の字面を目にすると、いつも白いヤギを連想してしまいます。
#ヤギ大
05-17 17:10
新小説にも如此作無し〉
「雲中語(露伴 緑雨 学海 鷗外 篁村 紅葉 思軒)」(「鷗外全集」第2巻、大正13年10月)より。
https://t.co/VCBHLyikjy
※引用元は『都おち』⦅六⦆。用字は秋聲の原典と若干異なります。
05-17 16:05
に、子守児なりと人に思はるるが恥かしくて、いつも家を離るれば、私かに取脱して袂に捩込みし心の我の強かりし事など、只今の如く胸を掠めて起れば云云」の前後には、めでたき節少からず。すべて新著月刊の小説たる特色を備へたりともいふべく、又宙外風ともいふべきにや。文芸倶楽部には如此作無し。
05-17 16:04
【徳田秋聲『都おち』雲中語評】
〈都おち
頭取。(中略)徳田秋聲の作なり。
晶屓。秋聲といふ人の作は、今まで二つ三つ見たるやうなるが、心にとまるもの無かりき。そのやや心にとまるやうなるは此篇を始とす。お浜が古志に往き著きたるあたり、「そそけたる鬢を括鉢巻して抑へではと、母の窘むる
05-17 16:04
形身の薙刀を渡して切腹します。牛若は、姫の名を静と改め傍近く召し使うこととし、長範の罪を許します」
熊坂長範と熊鷹鬼五郎の苗字が似ているのは偶然ではないでしょうね。
05-17 15:54
静御前の前身が浄瑠璃姫であったという話は「鞍馬獅子」にも見られます。西形節子『日本舞踊の心』第4巻(演劇出版社、2003年6月)169頁から一部梗概を引くと、
「矢矧の長者実ハ熊坂長範で、わざと牛若の手にかかり、常盤御前を討った次第を物語り改心して、娘浄瑠璃姫を牛若に頼み、
05-17 15:54
「後篇古実今物語」では牛若丸や常陸坊海存(海尊)のほか、目下大河ドラマで市川猿之助が胡散臭い怪僧として演じている文覚が、観世音の妙智力を備えたありがたい上人として登場します。文覚上人の導きによって、浄瑠璃姫は名を変えて静御前となり、義経の傍近くに仕えることになります。
05-17 15:27
牛太郎はとどめをさし」なおこの物語で常陸原牛太郎は剃髪し、父の法名海園と母妙存からそれぞれ一字を取って常陸坊海存(海尊)と名乗り、源義経の家来となります。
05-16 21:11
加川兵蔵の娘更科、姫の姉御らは代わる代わる一太刀、手負いの鬼五郎を思うさまなぶり斬りにし、牛太郎が止めを刺します。
「にくさもにくしと姫更科サア一の太刀ハ此浄るり。二の太刀ハ此更科サア姉さまも諸ともに。親の敵おほへたかと。思ひゝゝのなぶり切。こゝちよくこそ見へにけり。
05-16 15:43
浄瑠璃姫を物にするために邪魔な母親を亡き者にしようと、手先の「深山の小猿といふ盗人」を上使難波次郎に仕立てて無理無体を云わせ、従わぬ母親を無礼打ちにさせたのでした。
なるほど、いくら何でも描かれ方が酷かったはずです。
悪事の発覚した鬼五郎は常陸原牛太郎に討ち取られ、浄瑠璃姫、
05-16 15:41
【やはり難波次郎ではない】
「蘇来がこの尊大で卑怯未練臆病極まる難波次郎を「平治物語」「平家物語」に登場する難波次郎(二郎)経遠と同一人物のつもりで描いているのかは不明」と以前書きましたが、「後篇古実今物語」巻4-3によればやはり偽者だったようです。熊鷹鬼五郎は、
https://t.co/If0XZsnGtT
05-16 15:41
『老骨』口絵右上の落款と同じ。後者の欄外に「渡部審也画」とあるので『過去の罪』の口絵も渡部審也作と判ります。とすれば表紙の秋聲肖像も渡部の作の可能性が高いでしょうね。
ちなみに『過去の罪』も『老骨』も代作の疑いありとされています(私は後者は翻案と思っていますが)。
https://t.co/tApk2lL1Rm
05-12 13:43
【イケメン秋聲】
徳田秋聲『過去の罪』(金港堂、明治36年11月)表紙の徳田秋聲肖像。
https://t.co/9yMpAJ3pWN
よく似てますが、若干(それとも相当?)イケメン化されてますね。
装画家は不詳ですが、折込口絵(2頁大)の落款は「SW」で、「新小説」第11年第7号(明治39年7月)所載の徳田秋聲作
https://t.co/acJE0zwuKC
05-12 13:40
「おふた方ともお目にかゝつた事は無之候へども徳田さんは昔から五十位に思はれ田山さんはいつ迄たつてもはたち前後に思はれ候(大正九年十月十二日)」
水上滝太郎「秋聲花袋両氏祝賀会に際し余の感想」(『貝殻追放 第二』東光閣書店、大正12年7月)。
05-12 12:30
@tonton1965 上田秋成は「胆大小心録」(48)で「則天は大也、呂后は小也、中をとつて尼君じや」と書いているので、則天武后や呂雉に匹敵する稀代の悪女・淫婦を描きたかったのでしょうね。
05-11 17:01
故に、事によせて家を亡ほさしむ〉
上田秋成「妖尼公」(天理巻子本)、「上田秋成全集」第8巻、中央公論社、371-372頁。
05-11 16:58
中に、素袍の袖に火つきたり。あわやとて、けさんとす。一女ひも刀をとりて、帯をたち切て、ついに衣服をうはへり。尼も又、赤はたかになりて、重たゝに組む。くまれていかにせんと思ふうちに、□(一字抹消)陽精のうこき出て、ついに徹夜のたのしみをなせり。さて、後にはめせとも来たらす。
05-11 16:57
いたる。其夜、雪ふりたり。この所にては事のもれんとて、庭中の亭に、雪をふんてあゆみたまへり。重忠かしこまりて、あとにつく。亭のひろさ、わつかに十席、石灰炉に炎〻たり。尼(そ)こに座して、ちかくとめす。重忠膝行していたる。うしろより女はらとりつきて、先烏帽子をうはふ。是はとおとろく
05-11 16:57
ような所業を縷々書き連ねています。畠山重忠と情交に及ぶ場面なんて、あんまり滑稽なので笑ってしまいました。
以下はその箇所。
〈尼又、秩父か大男にて、実体の、かたちよしとてめすとも、来たらさるをしりて、実朝の弑逆につきてはかり事[□せん](「あらん」ト改)とて、夜めす。重忠いんきんに
05-11 16:56
(随筆「胆大小心録」134でもほぼ同じ話が語られています)、何か怨みでもあるのかというくらい政子が怪畜生に描かれていますね。頼朝をはじめとする源氏三代や北条氏についてもボロクソです。
秋成は始めの方で
「尼公婬を好みて兄弟、親子の分無し。鳥獣の春気を得て相孳むに同じ」
とまで言い、その
05-11 06:56
【みだらな尼将軍】
上田秋成が婬乱暴虐のかぎりを尽くす北条政子を描いた「妖尼公」(「春雨物語」天理巻子本/天理冊子本。中央公論社「上田秋成全集」第8巻所収)を「……んなアホな」と突っ込みを入れながら読んでいました。複数の草稿と断片として残されている作品で、あまり知られてはいませんが
05-11 06:54
佐藤春夫「「風流」論」〈二、挿話〉(『新選佐藤春夫集』改造社、昭和5年5月)
https://t.co/yB2NtpiivV
新潮合評会第10回で佐藤春夫が風流について開陳した説について、老大家徳田秋聲が「達見でない」と窘めたとか、久米正雄その他がああ言ったとかこう言ったとか。それらに対する反論。
05-10 10:46
そのさま」と日国にあります。
牛太郎の身代りに、上使難波次郎殺害の罪を一身に背負って切腹しつつある浄瑠璃姫の傅(めのと)加川兵蔵が、我が首をお上に差し出すように、さもなくばここでお前と刺し違える、と熊鷹鬼五郎に後事を託しているときに、わかったからしつこく言うなというわけです。
05-10 10:03
【ねちみゃく】
「いやさ何のそのやうにねちみやくいふそふ」清涼井蘇来「後篇古実今物語」巻3-1「常陸原牛太郎上使を討つ事幷兵蔵切腹の事」より。これも熊鷹鬼五郎の台詞。
「ねちみゃく/ねぢみゃく」は、「ぐずぐずして決めかねること。思い切りが悪くしつこいこと。さっぱりとしないこと。また、
05-10 09:58
誤:兵衛
正:兵蔵
※章題は「常陸原牛太郎上使を討つ事幷兵蔵切腹の事」が正しい。
兵蔵は、浄瑠璃姫の傅(めのと)、加川兵蔵のこと。
05-10 07:06
この鬼五郎が浄瑠璃姫を妻にすればこの家のあるじはこの俺だと言っています。
鼻(はな)は、「《鼻をさして示すところから》男性が自分自身をさしていう語。おれ」(デジタル大辞泉)。この作品で悪党どもが発するどぎつい台詞はいかにも浄瑠璃風ですね。
05-09 23:54
【鼻】
「今ははや、母もばらしてしまふた上は(中略)姫を女房にすれば矢矧岡崎両家のあるじはこの鼻」
清涼井蘇来「後篇古実今物語」巻2-3「難波の次郎矢矧の母を殺す事」より、熊鷹鬼五郎の台詞。「母をばら(殺)した」とは難波次郎常遠が浄瑠璃姫の母を無礼打ちにしたこと。これで
05-09 23:53
ヒロインがそこまでやっちゃ駄目でしょという…… でも江戸時代の一般的な読者の受け止め方はまた違ったかも。
ちなみに蘇来がこの尊大で卑怯未練臆病極まる難波次郎を「平治物語」「平家物語」に登場する難波次郎(二郎)経遠と同一人物のつもりで描いているのかは不明。
05-09 16:35
にする。
②それを聞いた姫の従兄弟の常陸原牛太郎が直ちに難波次郎を討ち取る。
③浄瑠璃姫は牛太郎が持ってきた難波次郎の首を「母の敵おぼえたか」と守刀でめった斬りにして「嬉しや本望や」と言葉を漏らす。
④続いて侍女たちも「こいつがこいつが」「思ひしつたか」と首を踏んだり蹴ったりする。
05-09 16:34
【そこまでやる?】
清涼井蘇来「後篇古実今物語」巻3-1「常陸原牛太郎上使を討つ事幷兵蔵切腹の事」より。
いくら親の敵が憎いからといって、浄瑠璃姫がその首級をこんな風に扱うのは、ちょっと興ざめしますねえ。
経緯を書きますと、
①平宗盛の寵臣、難波次郎常遠が浄瑠璃姫の母を理不尽に無礼打ち
https://t.co/fD1OtxTKIN
05-09 16:33
爪に火を灯す(ひどく吝嗇である)ためには爪が長く伸びているはずなので、欲深い人は爪が長いことになるらしいです。
05-06 16:38
【爪が長い】
「ちいさい時から欲ふかく爪が長いといふ事から熊鷹といふ悪名を取りて」
清涼井蘇来「後篇古実今物語」巻2-2「鬼五郎謀計を以て難題を言ふ事」より。
「爪が長い」は「欲が深い。貪欲である」意なので、上記引用は重複表現ですが、意味を強調しているのでしょう。
05-06 16:34
読んで俄に「HAYDN EDITION」から取り出したチェロ協奏曲、演奏の素晴らしさも相俟って、この連休中にもう10回くらい聴き返しました。
楽曲に対する感想は大杉氏と概ね同じなのですが、私は第2番への愛着がより深いですね。このような優れた演奏で聴くと偽作とされる第4番もそんなに悪くはないです。
https://t.co/r7kajomEck
05-05 22:29
ハイドン:チェロ協奏曲第1番、第4番、第2番
ヤン・フォーグラー、ルートヴィヒ・ギュトラー&ヴィルトゥオージ・ザクソニエ
HAYDN EDITION: BRILLIANT CLASSICS(Berlin Classics 原盤)
大杉重男氏のブログ〈「らしさ」について〉(2022.5.1)を
https://t.co/5dmlCwyYg5
05-05 22:20
@mizukami_jidai webページの方を確認しました。早速にご対応いただきまして、ありがとうございました。
05-05 11:23
私の調べた限りでは、農民の名の「兵衛」は「衛門」よりも遅れて出現(室町末期~戦国)。
05-05 01:35
農民の名前に「衛門」「兵衛」(もとは官職名)などが見られるのはおおよそ室町中期(応永年間)からであることを東京大学史料編纂所古文書データベース及び百合文書Webで確認。おそらく南北朝、鎌倉時代までは遡らない。
【以下も参照】
「昔の人名「ざえもん」は……」
https://t.co/aQ6lM1ZLlF
05-05 01:26
@mizukami_jidai ありがとうございます。お手数をおかけしますが、よろしくお願い致します。
05-03 20:15
ちなみに私がこのことを2015年12月にTwitterでマゾッホのドイツ語原文を引いたりして説明しているのは、足立論文を未読だったからで、知ってたらそこまでやらなかった。いずれにせよ欧米ではずっと以前に判明していたことです。
05-03 12:18
「Reading cafe ほたる」でCD化されたようですがそちらの解説はどうなっているのでしょうか。
【参考】
足立和彦「メズロワ,リシュパン,ザッハー=マゾッホ―― 英訳モーパッサン「偽作」の調査報告」(西洋文学研究 2014; 34: 1-15)の7頁6行目、Caught の原作は Sacher-Masoch の Gefangen と記載。
05-03 11:51
宇宙の文学:徳田秋聲『女装』(「女子文壇」明治41年1月)
https://t.co/LgVyfdYOz0
秋聲が翻案した当時はモーパッサン作と信じられていましたが実際はマゾッホの作、と明記して欲しいけど(英訳本がモーパッサン作として掲載)、このサイトはもう直せないのかな。
05-03 11:38
揚げ足取りみたいで山崎さんには申し訳ないですが、1990年代にはそれだけ裏柳生、影柳生という架空の存在が浸透していたせいでこのような発言になったのかな、と。
05-03 00:28
にいる柳生宗矩、「影柳生(裏柳生)」といわれる忍者たち、それからこれは創作だと思いますが、高麗人の裔で日本に流れ着いて一族をなしている風魔と称する忍びがいる〉
と発言していて、この言い方だとまるで風魔は創作だけれども影柳生(裏柳生)という忍びは歴史上存在したみたいに聞こえますね。
05-03 00:25
扱われていて、その浸透力の凄さに驚かされます。
山崎正和は丸谷才一との対談「演劇的時代としての戦国・安土桃山」(『日本史を読む』中央公論社、1998年5月)で隆慶一郎の『影武者徳川家康』について
〈魅力的な忍者がたくさん出てきます。伊賀、甲賀はもちろん、家康の敵になった息子の秀忠の周り
05-03 00:24
ドラマでは所謂「裏柳生」の長として忍びの活動を行うので、折れやすい刀に代わる武器を常に携えているのかも。
ちなみに「裏柳生」は小池一夫が《子連れ狼》(1970年~1976年)で創作した言葉であり集団とされていますが、この《柳生一族の陰謀》やその後の柳生家関連の小説やドラマで当り前のように
05-03 00:22
る」云々とあったことで、兜割(かぶとわり)というものであると判りました。よく見ると刀身の根元に枝鉤が付いていますね。
ドラマで十兵衛はこの武器で敵を刺し貫いたり、刀を折ったり、物を叩き割ったりします。
実在の柳生十兵衛が兜割を脇差にしていたかどうかは知りませんが、
https://t.co/IGQG9gwebV
05-02 23:14
TVドラマ版《柳生一族の陰謀》(1978年~79年)で千葉真一演ずる柳生十兵衛が脇差にしているのが、刀身の断面がほぼ正三角形で、強く湾曲し先の鋭く尖った特殊な刀で(握りも普通の刀と違います)、あれは何だろうと思っていたのですが、第25話「禁じられた殺意」の台詞に「十兵衛の兜割の利き手を封じ
https://t.co/9H20uxuxLu
05-02 23:04
東映時代劇YouTubeに昨日アップされた《騎馬奉行》(1979年)の主役が六代目市川染五郎で、それを観たあとに大河ドラマ《鎌倉殿の13人》で源義高を演じていた八代目市川染五郎を観ると、目元のあたりが若い頃のお祖父さんにそっくりなのに気付きました。
#鎌倉殿の13人
05-02 22:55
〈私の考える批評とは、「らしさ」という想像界を解体し、そこにテクストの「現実」を開口させることである〉
大木志門氏の「この欧化主義反対の雑誌に俳句を寄せた漱石に対して、生涯唯一発表された新体詩を寄せた秋聲についても『アンチ漱石』の著者大杉さんには聞いてみたい」とのリクエストにも応えておられます。
05-02 20:19
大杉重男ブログ:「らしさ」について(2022.5.1)
https://t.co/doXfGdit7u
〈私はハイドンを聴く上でも、秋聲を読む上でも、通常曖昧に想定されている「らしさ」のベールが破れ、別の世界に移行する瞬間を経験することに批評的快楽を感じる〉
05-02 20:07
今朝は、息子(乳幼児)の手足がうんこまみれになって、うわーたいへんだとか言いながらお風呂場で洗う夢をみました……
04-30 21:46
物語の運びもややまだるっこしいです。
画家とトリルビーとのハッピーエンドを予想していましたがそうはなりませんでした。スヴェンガリにとってはハッピーエンドですね。但し演ずるバリモアとマーシュとの年の差は30歳。娘ほどの年の差の少女と死を代償に結ばれるというのはちょっとグロテスク。
https://t.co/VohHHwjw9Q
04-30 21:37
映画《悪魔スヴェンガリ》(1931年)はヒロイン、トリルビー役のマリアン・マーシュ(1913-2006)がチャーミングで可愛らしいだけの映画でした。シェークスピア俳優として名高いジョン・バリモア(1882-1942)は身振りや台詞回しが大袈裟で鼻につきますね(舞台映えはするでしょうけど)。
https://t.co/eO06ep7HY8
04-30 21:36
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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