伯母のヨゼフィーネがそう言うと、母は「陛下から煙草を吸ってよいとお許しがあったのでしょう、そうでなければあんまりですもの」と言葉を挟み、父は小首を傾げて「ビスマルクにたいしてならワーグナーも、かならずそんな態度には出なかったろうに」と述べた。
02-08 22:39
もうもうと煙草を吹かし続けていた。「けれどルートヴィヒさまは、この人物にたいする興味で夢中になっていらっしゃるので、年の行かない官吏の娘がていねいに膝をかがめて御挨拶申し上げたのにもお気づきにならなくて。」
02-08 22:38
ハンス・カロッサ『美しき惑いの年』の「家系学」の章。
ルートヴィヒ2世がブリエン街でヴァーグナーが歩いてくるのに行き会わせ、常用の馬車を停めさせた。「けれどワーグナーの態度といったら何という軽々しいものだったか」。巨匠は国王が言葉をかけている間中ずっと、片足を馬車の踏板に掛けて
02-08 22:38
に訪れた従兄弟の言によれば、家の住人がこのような不埒な所業を行った場合にのみ災難が家族に及ぶのであって、今回は下手人の青年だけが呪われるとのこと。
これはビスマルクの逝去の年で、日本では明治31年にあたります。初読の時には、ドイツにもそんな民間信仰があったのかと妙に感心しました。
02-08 19:30
ハンス・カロッサ『美しき惑いの年』の「休暇」の章で、カロッサ一家のドナウ河畔の家に昔から住んでいる家附きの蛇を、ある愚かな青年が誤って打ち殺すという「悲しい事件」が起ります。この蛇は家の主で、家を護ると信じられており、殺すと祟りがあるといわれていたのですが、蛇が死んだことでお悔み
02-08 19:29
“溺れた狂人”、そして自分は“反逆の狂人”と、ゴンブローヴィチは分類している。“狂人”という点では三者は同類だったのであろう。もうひとつシュルツと自分との共通点として、ゴンブローヴィチは“形式を玩ぶこと”を挙げている。〉
(工藤幸雄『ブルーノ・シュルツ全集Ⅱ』解説Ⅰより)
02-08 17:51
〈ゴンブローヴィチによれば、彼自身もシュルツも、決してヴィトカツィの文学の門下生ではない。「シュルツは彼から大して汲み取るところはなかったし、彼に夢中だったわけでもない。シュルツ作品にヴィトカツィの痕跡は認められない」という。(中略)ヴィトカツィは“絶望の狂人”、シュルツは
02-08 17:49
@moji_ka 主に銀座を舞台に「インテリ崩れの人達の悶腕き」(作者の言葉)を描いた作品で『縮図』とは全然別物です。『巷塵』は雪華社版秋聲全集第13巻(昭和36年12月)に収められるまでは掲載紙「都新聞」に当るしかなかった作品ですので、あるいは読まずに書いたのかも知れませんね。
02-08 03:25
@moji_ka 徳田秋聲の『巷塵』は通俗小説で、『縮図』との類似点は、女主人公(レストランのレヂスタアの仕事をしている郁子)が映画好き、ということくらいですので、「単に『都新聞』に連載していた『巷塵』が中絶したという解釈」が正しいと思います。
02-08 01:32
彼が言うには、もしも自分が画家ではなく、音楽家だったら、まったくハウアーのように作曲しただろう。彼の作品はまるで自分自身の秘められた作品のようだ。そう言うのだ。君はどう思う?』(ルイゼ・カルピシェック宛)〉
「秘教芸術―イッテンとハウアーの場合」(高橋巌『ディオニュソスの美学』)
02-08 01:00
ハウアーはピアノに向かい、特に私にすすめられて、黙示録的幻想曲(作品5、1913年―引用者)を弾いた。それで十分だった。その時この曲は本当に黙示録的だった。つまり啓示だったのだ。眼の見えないものが色を見たのだ。イッテンはただ黙って坐っていた。我を忘れたようだった。(中略)
02-08 00:59
〈ハウアーとイッテンの関係について、興味深い手紙が遺っています。ハウアーの竹馬の友の、中学教師であり、哲学者だったフェルディナント・エープナーの手紙です。
『月曜日にヨハネス・イッテンと少し知り合えた。彼は私の気に入った最初の「霊的な」人間だ。だから知り合えて、とても嬉しかった。
02-08 00:59
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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