はてなキーワード: コストとは
増田すごくいい奴で俺は好きだ。
増田の友達が幸せになるかどうかって生活の安定とかだけじゃなくて、支えたい人のために自分は頑張るってのも一つの幸せとしてかなり大きいと思うよ(子育てとかそれそのもの)
まぁ懸念する増田の気持ちもとてもわかる。わかるけど、心配していることを伝えたのなら、あとは相手の選択を受け入れるフェイズだと思う。
友達を大事に思う気持ちが強すぎて、増田は相手が意見を飲んでくれない限り、そのもやもやを引きずって仲違いまでに発展することもありえそうで、そうなったらほんともったいない。
今後友達がうまくいかなかった場合、増田はその友達から愚痴を沢山聞かされると思うけど、それはその人のいいところが裏目に出た結果にすぎない。好きな人と友達やっていくための必要なコストだと思ったらええよ。
一応友達には、うまくいかなくても、その結果を受け入れられるように責任をもって選択しようとは強くいったほうがいい。うまくいかない可能性が十分あったのにそれで悲劇のヒロインされるのは違うと思うし。
なにはともあれ、友達でも突き詰めれば、ただの他人とか言って投げやりにならないことを切に願う。そんなに大事にしたい友人を持てたことはとても幸福なことなので。
イーロンマスクの伝記にはイーロンが追うべき数字を設定する場面が何度か出てくる。注意深く読むと普通の感覚とはだいぶ違う数値を設定している事に気がつく。
ロケット打ち上げの時は「省略する部品の数」だった。多ければ多いほど良い。普通の感覚ではロケット打ち上げに必要な推力(エンジンの出力)を目標設定すると思う。もしくは一機あたりのコストとか。でも結果的に部品を減らす事が打ち上げ成功につながっていた。
その次はテスラ。積載するバッテリーの量だった。普通は航続距離を目標設定にする。バッテリーの積載量を目標設定すると「バッテリーの使い方をしない選択をする事になる。目標は技術者が考えた最大積載量を遥かに上回る数字で、しかも全て犠牲にしたらイーロンの数字がピッタリ上限になった。
戻ってSpaceXの打ち上げ成功後はラプターエンジンの「1日あたりの生産量」を目標設定した。普通の感覚なら打ち上げ数や打ち上げあたりのコストだ。しかしここでもやはり正しかった。
そして極め付けはTwitterでエンジニアを解雇する際、直近で書いたコードを全て印刷させて少ない順に切っていった。エンジニアの質を「書いたコードの量」で比較するのは玄人目からしても愚の骨頂だろう。コードを自動生成するコードもあるし、強力なライブラリを使えば一行でインパクトを出せる。素人目には「アクセプトされたPRの数」を評価指標にすべき。しかしここでもTwitterを停止させずに首を切る事に成功した。
Twitterのサーバーはイーロンが買収した直後にサクラメントからポートランドに移動した。このサーバーはNTTの厳格な手順書によって管理されていた。しかしイーロンが「移動できたサーバーの数」を目標設定したため無理矢理配線を引っこ抜きガードもほぼないまま自前のトラックで移動させた。サーバーを移動するのはサクラメントが高かったからだが、であれば「1日あたりのコスト削減」を目標設定すべきのように思う。物理的にサーバーがどこにあるかはコストが下がればどうでも良いはずだ。必要な手順を抜いて自前のトラックで運んで壊せばバカ高い追加費用が必要になり本末転倒だ。しかしここでもやはり大幅なコスト削減に成功した。
これらを俯瞰するとイーロンは一般人がコストや評価メトリクス(推力など複数の数値を組み合わせた数値)を見ところで、小学生にも判別可能なくらい物理的な目標設定をする。もちろんテスラの生産台数やSpaceXの打ち上げ回数もKPIとして出てくるが、そのKPIを追うときの現場の目標設定が極めて不自然でナンセンスに見える。
https://x.com/tanukiponkich/status/1866565985278497193?s=46&t=GHp5sAn76vcK9epq7fOUWQ
世帯年収800万、子無し(今後も予定無し)、現在の家賃が諸々含めて10万弱。
こんなに家賃払うくらいならマンション買ったほうがいいじゃんと思い、探し始めてはや数ヶ月。
中古ならそこまでせんやろ~~~なんて甘く考えていた。
ところが築30年超のマンションでも3,000万は余裕で超えてくる。
もちろん駅からめちゃくちゃ遠いところを選べば値段は下がるけど、
通勤の関係上、せめて自転車で駅にアクセス出来るところでないとまずい。
駐車場も最低一台分は必要。広さも今と同等…と考えるとほんとに選択肢がない。
これに駐車場代まで入れたら3.5万~4.5万円は毎月かかってくる。
今の家賃と同レベルのコストを毎月払う範囲でローンを組むと想定すると、
ローンに回せるのは月に5.5万円~6.5万円。
今後収入がぐっと伸びてくる気はしないし、生活コストは上がり続けている。
そのへん考えると余計に背伸びしたローンなんて組めない。
先が見えない業界で働き始めたのがそもそも間違いだったのだろうか。
学生時代の同級生なんかは何だかんだ安定した職についたり田舎で頑張ったりして、
家なりマンションなりを手に入れている。
大人しく保土ヶ谷とか鶴瀬とかで一人暮らしすればいいのにそのへんだんまり決め込んで駒沢大学とか祐天寺とか代々木八幡みたいに妙に諦めの悪さが漂う高家賃のエリアからテコでも動こうとせずに買われた買われた涙溜めてる奴のほうが多いからな
田舎に医者が不足している問題で、田舎に開業する医師には保険料を財源とした補助金が出される案が検討されている
田舎は人が少ないので、生活インフラの維持が非効率的でコストがかかる一例だろう
東京一極集中も問題があるが、それが経済合理性に基づき起こっている限り、行政が金の流れに介入して変えていくしかない
これは拡大していく貧富の格差を、再配分の強化で是正していく動きに似ている
富めるものにさらにお金が集まるように、人口が集中するほどさらに人が集まりやすくなる
しかし、福祉に文句を言う人間がいるように、田舎に補助金が出されていくことに文句を言う人間もいるだろう
その分断が大きくなっていくかもしれない
「ちょっと融通の利く定期券」的な、都心の通勤ラッシュを捌くためだけに作られて
それを無理矢理他用途で使いまわしてるだけのままでずっと停滞していたSuicaがやっと重い腰を上げそう。
「都心の通勤ラッシュを捌く」という世界で東京大阪ぐらいにしかない課題を解決するためのベストプラクティスを
20年以上前に作ったことは疑いようのない偉業だが、いかんせん用途が限定的過ぎた。
新幹線は無理矢理乗れるようにしたけど料金体系が複雑な在来線特急券はいまだに紐付け出来ないままだ。
余談だが、JR九州は在来線特急券はQRコードで解決するに至った。QRコード乗車スゲー楽でいいよ。
駅に設置するのも最小構成はタブレットとQRコードリーダだけでいいみたいだから、クッソ高い改札機の改修なんかは利用客の多い駅だけでやってるみたい。
ネットで買ったのにチケット発券が必須なせいで発券専用機にすら行列出来てて発券間に合わずに乗れなかったこととかあったけど
アレをもう経験しなくていいってのがQRコード乗車最高。田舎はこれでいいんじゃないかな。
正直遅すぎるとはいえ、完全チケットレスに向けた料金体系の整理と乗車体験の改善がやっと進みそうなのは素直にうれしい。
よほどコスト低減でもしない限り地方にはSuicaはオーバースペックな時代がもう来てる。
どんなに短くても今後半世紀ぐらいは地方は末端から壊死していくからね。
それでも、在来線特急券がやっとチケットレス化に向かうってのはいいと思う。
在来線特急券をやっとチケットレスにするための施策をJRがやろうとしている、それが素晴らしい。
これから先働き手が減っていくのは日本全体がそうなんだから、維持不可能な複雑な割引サービスなんか統廃合してシンプルにしていいよ。
みどりの窓口で駅職員が手作業で発券しなきゃ買えない割引なんかどんどん廃止すればいい。
便利にしてくれればそれでいい。
フリーランスのエンジニアで月100ぐらいもらってるけど、お仕事もらっている先のお金のかけ方がしょうもなくて、空き時間にぼんやりしてる。
紙の節約とかツール導入を渋るとかしょうもないコストを削る一方で、結果的に作業工数が増えてしまい、人が余っている状況を目の当たりにすると、ほんとアホだなあと思う
デスクワークのコストの大部分を占めるのは人件費であり、人が効率よく働けるようにするのが一番効率がいいのに。
僕は半分も稼働していないので、月50万はドブにすててるんだよ。
なので小銭も旧札もない場合、買えなくなる
いや、命がかかっているのだ
なぜかというと、ここのコーヒーがないと仕事ができなくなるのだ
ここのコーヒーなしでは仕事を休んでしまいそうになるから、ライフラインと言ってもいいくらいだ
だから、今は迷っている
運営会社に新札が使えるようにして欲しいと要望を出すかどうかだ
自販機を新札対応にするにはコストがかかるだろうし、無理は言えない
それを平日1ヶ月で20日としたら、自販機で9000円以上使ってることになる
太客だ
その客の要望なら、聞いてくれるのでは?
いやいや、そんな思い上がった気持ちは良くない
ここは様子を見よう
お札は私が自分で旧札や小銭を用意すればいいのだ
んんwwww 拙者としては、その薄っぺらい擁護論調に少々呆れを禁じ得ませぬな!あまりに表面的な理解でReactを持ち上げるとは、お見受けしたところ、あなたの「強力な武器」とやらはただの小枝程度ではありませぬか?
Reactの複雑さを「大規模開発では必要」などと得意げに語られますが、その主張はあまりにも浅薄。幾多のプロジェクトで、最初はReactに憧れたものの、周辺ツールやベストプラクティスの沼にはまり、自らの開発速度と思考力を削り取られたエンジニアたちがいかに多いか、ご存じないのですかな? その「柔軟性」とやらが本当に業務効率を担保するとでも?実際には、下手なトリックを組み合わせて、頭でっかちになるだけのケースが後を絶ちませぬ。あなたの“管理が困難になる”というjQuery批判も、Reactが生み出す過剰な抽象化と結局大差ないことに気づきませぬか?
また、学習コストの減少などとぬかしておられますが、拙者から見れば、その「学習リソースの豊富さ」こそReactがどれほど歪に肥大化しているかの証左に過ぎませぬな。新人エンジニアに「怠慢」とレッテルを貼る態度も滑稽な限り。フレームワークが偏屈な難しさを内包していることこそ問題であり、それを喝破できぬのは、あなたがReact信者的ポジショントークに溺れている証拠ではありませぬか。
「強力なコミュニティ」や「頻繁なアップデート」といった定型句で飾り立てても、根底にある不自然な複雑さや導入過剰による開発コスト増大の現実は消えませぬぞ。妄信を指摘されているのに、自らを省みず「スキルセットを見直せ」とは、逆にあなたが凝り固まった思考から抜け出せない証拠ではございませぬか? 実に浅はかで狭量な反論、お見事ですな。今一度、時代に追随するのと本質を見失うことの違いを、しっかりと噛みしめていただきたいものですな!
んんwwww増田氏の意見、なかなか味わい深いですな。しかし、拙者の乏しい見識をもってすれば、React.jsの評価には少々偏見があるように感じますぞ。たしかに、Reactのエコシステムは複雑かもしれませんが、それこそが強力な武器になることがお分かりでしょうか?
拙者はこの件でマウントを取らせていただく所存ですぞ。まず、React.jsは確かに複雑ですが、それはスケーラビリティとコンポーネントベースの設計における柔軟性を提供するためのものですぞ。大規模なプロジェクトやチーム開発の現場で、コンポーネントの再利用性は非常に重要な要素であることをご理解いただきたく存じます。
また、jQueryなどの伝統的な方法では処理が複雑化し、管理が困難になる部分もあるのですぞ。Reactの状態管理やフックは、そのような部分でしばしば役立つのです。確かに学習コストはありますが、自動化ツールやコマンドラインの進化により、その導入障壁はかつてと比べてだいぶ低くなってきております。
新人エンジニアがReactの導入で消耗するという話も、学習リソースが豊富に存在することを考慮すれば、単なる怠慢ではないかと拙者は考えますぞ。時代の流れについていくこと、そしてツールをうまく活用することがエンジニアには求められているのですからな。
Reactの「絶対正義」としての扱いに違和感を持つ意見もわかりますが、Reactが持つ強力なコミュニティと頻繁なアップデートは、常に最新のウェブ技術を享受することを可能にしているのですぞ。それを妄信とし決めつける前に、増田氏は一度自身のスキルセットを見直し、Reactの利点を再評価することをお勧めする次第でありますぞ。
最近のフロントエンド開発界隈で持て囃されるReact.jsだが、正直言って、その過剰な複雑さと必要以上に手間ばかり増やす構造には嫌気が差す。ごくシンプルなタスク――たとえばAPIからデータをfetchして表示する程度のことが、なぜこれほどまでに意味不明なコンポーネントや状態管理ツール、無駄なベストプラクティスの学習コストにつながるのか?
jQueryなら数行で済むところを、Reactでは「Hooksがどうの、カスタムフックがどうの、Routerはどれ使うか、ReduxかRecoilかZustandか」と、次々に沼へ引きずり込む。現場のエンジニアが「これは本当に生産的なのか?」と疑問を抱くのも当然だろう。Reactの複雑さを「モダンなフロントエンド開発の必然」などと擁護する声もあるが、実際は一部のフロントエンドオタクが自己満足に浸るための余興でしかない場合も多い。
本来、フロントエンドは「エンドユーザーにとって使いやすいUIを短期間で組み上げる」ことが重要なはずだ。しかしReact導入後は、下手をすると新人エンジニアがReact+周辺ライブラリの難解な世界に消耗し、基本的な機能実装に時間を奪われる。挙句の果てに、保守運用でも「なぜこんな遠回りな実装を?」と後悔したくなるコードが山のように残る。
一部の巨大プロジェクトや複雑な状態管理が要求されるケースではReactの恩恵もあるだろう。しかし、その「本当にReactが必要な場面」以外で、このツールキットを無批判に使い続けることは、多くの場合オーバーエンジニアリングの極みだ。Reactを「絶対正義」のように祭り上げる風潮こそ、現実的な業務効率を蔑ろにした妄信に他ならない。
React信者たちが喜々として新しい手法を生み出し、複雑さを自己正当化する姿は、もはやエンジニアリングではなく一種の祭りに近い。合理的な判断を放棄し、ツールに踊らされる人々が多い限り、Reactの過剰な複雑さと生産性の低下は続くだろう。もう少しシンプルに物事を進められないのか? React中心主義に染まった業界は、その問いに真摯に向き合うべきだ。
うむ、増田の意見も一理あるのじゃが、それだけでは単純すぎるのじゃよ♡ 確かに人間にしかできない温かみや特別な価値は求められておるが、それだけではないのじゃ。
まず、技術が進歩するたびに新しいニーズや問題が出てくるのじゃ。例えば、新しい技術の導入には管理やメンテナンス、トラブルシューティングが必要で、これには人間の労働がほぼ必須なのじゃ。これにより、古い職種が減っても新しい職種が増えるのじゃ。
また、経済的な側面も考えねばならぬ。企業は利潤を追求するが、コストを削減するために労働力を使うことも多いのじゃ。自動化できる部分はできるだけカットしたくとも、かかる初期費用や運用コストを考えると、今のところ人間を使った方が安くつく場合もあるのじゃ。