前回、問いかけの詐術についてご紹介しました。
今日はいよいよ最終回となります。扇動に欠かせない「一体感の詐術」とはどういうものなのか。
山本七平のわかりやすい解説をご堪能ください。
ここまでくれば、あとは起爆剤があればよい。
そして起爆剤の役をするのが(三)一体感の詐術である。
もっともこの(三)は、大体、(一)編集の詐術(ニ)問いかけの詐術と並行して用意されていく。
ただこの一体感の詐術は、軍隊ではほとんど必要がない。
一団の人間が共通して死に直面すれば、否応なく一体感を持たざるをえない。
またマニラや南京の法廷の場合も同じである。
傍聴人ははじめから被害者と一体感をもっている。そこで、前述のように扇動という意思が、裁判官、検事に全くなく、従って(三)が欠落していても、扇動されたと同じ結果になってしまうのである。
従って「大久保清」の裁判ではこういう状態にはならない。
なぜなら被害者と傍聴人は、全く一体感がないからである。これが前に、こういう状態にはならない場合もあるといった理由である。
アントニーの場合は、群衆は、その前にブルータスの演説をきいているから、被害者シーザーとの間に何の一体感もなく、いわば文字通り「傍聴人」なのである。
従っていかにして一体感を錯覚さすかということが、アントニーにとって最も重要な点であり、また実はこれが、扇動の最も重要な点なのである。
言うまでもなく殺されたのはシーザーであって群衆でない。
その証拠に群衆はアントニーの演説を聞いているわけである。
だがただ聞いているだけでは何のエネルギーも起らないから、(ニ)によって、彼らに、自分で判断し、自分で結論を出したかのような錯覚を抱かせるべく判断を規制するとともに、さらにこれに対し、「シーザーの痛みを痛みとし」「殺されたシーザーの側に立ち」自分たちは何の被害もうけていない安全地帯の第三者なのに、あなたも「シーザーの被害は自分たちの被害」であるかのように思いこませ、そこで「殺された側に立つ」と錯覚させ、それによって、「生きている」のに「シーザーの死を自分の死」と感じて、その死を払いのけようと、シーザーの加害者へと殺到する――それを自らの意思と決断で行ったように思わせるため「問いかけ」で誘導する、という方法がとられるわけである。
アントニーはまず、「遺言状」の内容をほのめかし、シーザーの遺産相続人が「ローマ市民」であるような、ないような、それを読むような、読まないような態度でみなの注意をひきつけ、「遺産相続者」ということで、群衆を「第三者」ではなくしてしまい、まず一体感の第一歩へと引き入れてしまう。
そうしておいて、まず着衣の上からシーザーの傷口を一つ一つ説明し、だれがこれを刺し、だれがここを突き、と説明していって、まるで群衆が自分が刺されたかのように錯覚して、「シーザーの痛みを自分の痛み」と感じてきたところで、いきなりその着衣をはぎとって「ごらんあれ、これこそ彼自身、これこの通り反逆者どもによって斬りきざまれたシーザーを……」といって死体そのものを示す。
すると全員が「殺されたシーザーの側に立つ」結果になる。
この辺がいわば「殺人ゲーム的ハイライト」だが、「創作記事」でもあれだけの集団ヒステリー状態になるのだから、実物を見せられれば、爆発寸前になるのが当然であろう。
ところがアントニーはここでわざと群集を抑える、抑えれば抑えるほど爆発力は大きくなるから、まずブルータスを弁護するようなしないようなことをいって、「彼らの声を聞こうではありませんか」といったまことに「民主的?」な詐術の問いかけをする。
ついでそれに対しては「シーザーの傷口に語らせよう」といい、いわば、アントニーと群衆の間のやりとりが一種の増幅装置のようになって、集団ヒステリー的一体感を極限までもりあげ、そこで最後に、じらしにじらした「遺言状」を公開して、シーザーは全財産を諸君に寄付し、それは子々孫々まで諸君のものだといって両者を「一体にし」、そうやって群衆を、一斉にブルータスとその一党に殺到させるのである。
これが(三)一体感の詐術であって、ここに扇動は完了し、群衆は「自分の意思」で行動し、アントニーは身を隠してしまう。
人間が集団ヒステリー状態になる一番大きな原因は、「共通する死への恐怖」である。
これに直面すると、人びとは時間の前後がわからなくなり、「危険があった、死があった」ということと「危険が来る、死ぬかも知れぬ」ということとの差がわからなくなる。
一番良い例が関東大震災で、表へとび出して恐怖にふるえている人は、生きている、生きているから恐怖している、死者は恐怖を感ずることさえない。
自分が恐怖しているのは生きている証拠でそして屋根の下でないから、死はすでに過ぎ去った、危険はまぬかれた、ということは理屈ではわかっていても、人の死を目前にし、その人を死に至らしめた恐怖を共感して、死者との「一体感」が成立すると、その「死の恐怖への共感と死者との一体感」が、逆に、自分の死が目前に迫ったような錯覚になり、その目前に迫った死の恐怖から逸れようとして集団ヒステリー状態になり、その「架空の迫った死の恐怖」を排除しようとして、その「死」を連想させる者を排除しようとする。
そのため「シナという名をその胸からえぐり出し」「山本という名を消すため、同姓のものを絞首台に送る」という結果になる。
そして、(三)一体感の詐術とは、この関係を、人為的に起させる論理なのである。それはアントニーの演説に余すところなく記されている。
イギリス人は一番「扇動」に乗りにくい民族だという話をきいたが、こういうものを小さいころから読ませられれば、確かに扇動されにくくなるだろう。
あまりにその実体がみごとに描かれているから、これさえ知っていればだれかが扇動しようとしても、その実体はすぐ見破ることができるであろう。
もっとも私は、ここの描写の原型は聖書ではないかと思っている。
あの有名な場面、群衆の叫びが「十字架につけよ」「十字架につけよ」になって行くあの場面と、実によく似ているように思われる。
しかし私は文学者でないから、そう見るのが正しいかどうかは知らない。
いずれにせよ、扇動されにくい、ということが、彼らを、「発令者が全責任を負う明確な命令でなければ動かない」者にしたのであろう。
しかし日本軍はそうではなかった。
そしてそれが、戦犯という問題になると「命令された」「いや、命令は、していない」という押問答になってしまう。
これは結局、群衆はアントニーに命令されたのかどうか、という問題と非常に似てくるのである。
以上が「扇動の論理」または扇動者がそれを意識しない場合には「軍人的断言法の迂説的話法」の概要だが、こういう状態をもう全くあきあきするほど見せつけられ、そのたびに、殺したり、殺されたり、ぶら下げたり、ぶら下げられたり、という状態に接してきた人間には、これはもうどうにもならないのではないかという、一種の暗い絶望感に襲われることもある。
タクシーのラジオから、まことに幼椎きわまる見えすいた「アントニーの論理」が流れ出てきて、その「アントニーの劣等生」のような人間の演説でさえ、また時にはシェークスピアが吹き出しそうな演説にさえ、人びとがワッと騒ぎ出す声を聞くと、その騒ぎの中から「シナか、なに、別人のシナか。かまうもんか、シナなら殺してしまえ」「砲兵も憲兵もあるもんか、山本ならぶら下げてしまえ」という声がきこえてきて、「もう、こりゃ、ダメなんだ」という気さえする。
「殺される側に立つ」という錯覚で自分の殺人や暴行を正当化しては、人は人を殺しつづけて来た――『百人斬り競争』はその典型ではないか。
「『南京大虐殺』のまぼろし」の上に、その仕上げとして、向井・野田両少尉の死体を積みあげたのは、結局、日本人自身ではないか。
そしてそれを防ごうとした人間は、結局、中国人の隆文元氏だけではないか。
こういう人を見ると私は一瞬ホッとして、「大丈夫だ、人間はまだ大丈夫だ、こういう人がいるのだから」という気がする。
一体、扇動された集団ヒステリーの謎とは何なのか、それは、動物的恐怖なのである。
いわば「判断停止」の「馬の目」をしながら、異状なエネルギーはもっている状態なのである。その顔を見てきた者には、そのときの顔を見ればわかる。
そしてこの動物的恐怖に対抗しうるものは、別の形の動物的恐怖による応酬ではなくて、結局、隆文元氏のもっていたような「人間の勇気」しかないのである。確かに、それしかない。
(終わり)
【引用元:ある異常体験者の偏見/アントニーの詐術/P102~】
以上、「アントニーの詐術」全文を引用させていただきました。
こうした記述を読むたび、
山本七平の人間観察力の鋭さ、そして、それを具体的でわかりやすい言葉で表現する筆の力というものに感心してしまいます(何しろ、私でも理解できるくらいなのですから)。物事をわかりやすく伝える事については、
山本七平というのは傑出していたと思わざるを得ません。
それはさておき、扇動に戻りますが、なぜ日本軍は、「命令」ではなく「扇動」で動いていたのか?
私なりに考えてみました。
思いつくのが、日本軍の命令というのが、現場にとっては実行不可能なものだったからじゃないかと。実際、アメリカ軍に比べて日本軍は兵隊の命を粗末にしていましたし。
つまり「命令」を聞いていたら命がないという状況では、単に命令を下すだけでは兵隊は動かなかった。そこで「扇動」という手法を使わざるを得なかったのではないでしょうか。
また、日本軍は決して「アンチ・アントニー」の存在を認めなかったと
山本七平が指摘していますが、これも判断の規制に役立つわけで、その結果、責任を負わざるをえない「命令」でなく、無責任に兵を動かせる「扇動」に流されていったのかも知れません。
それに、日本人は感情を移入しがちという点も、「一体化」しやすいことに通じますから「扇動」には適していたと思います。
こんなとこしか思いつきません…ていうか、
山本七平の言っている事をアレンジしているだけのような気もしてきました(笑)。
とにかく、
山本七平は、「扇動」の仕組みを解き明かしてくれました。
あとは我々が、如何にこのプレゼントを活用できるか…だと思うのですけど。
コメント欄でも書きましたが、例えば、高校生の国語の授業とかで、この「アントニーの詐術」や「ジュリアス・シーザー」を必修にするとかどうでしょう。なまじ「道徳」とか「修身」とか教え込むより、いい案だと思うんだけどな。
結局のところ、扇動されにくくなるためには、やはり教育を通じてこうしたことを教えていくしかないような気がします。
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前回は、(一)編集の詐術によって、判断が規制されてしまい、扇動に乗せられる第一歩であることまで説明がありました。
今回は、アントニーの詐術の(ニ)問いかけの詐術についてご紹介していきたいと思います。
話は横道にそれたが、ここでアントニーの原則の(ニ)問いかけの詐術に入ろう。
一体「問いかけ」とは何であろうか。
原則からいえば「自分に理解不明のことをだれかに質問すること」が問いかけのはずである。
従ってアントニーとアンチ・アントニーが並立していて、聴衆がどちらを正しいと判定しているかわからないときには、アントニーが聴衆に問いかけてもおかしくない。
しかしアントニーは、一方向に向って、一定の基準で編集した事実を並べ、それで聴衆の判断を規制して、一定の方向へ導こうとしているのだから、「問いかけ」なぞあるはずはない――しかし問いかけている。
用心した方がいい、こういうあやしげに問いかけをする者は必ず扇動者なのだから。
(一)編集の詐術はまだいい、しかし(ニ)が加わったら必ず扇動者である。
一体この「問いかけ」の実体は何であろうか。簡単にいえば、実はそれは「問いかけ」でなく、わざと結論をいわないことによって、聴衆の「判定の規制」を誘発する方法なのである。
このアントニー型の「問いかけ」は、絶対に「質問」と同一視してはならない。
いうまでもなく、一定方向に編集された「事実」は、すでに一種の「並列的な」「確定要素」の「連続」になっている。そしてその一つ一つの「事実」は確定要素という点では、数字と同様な動かしがたい要素となっている。
従って事実+事実+事実……という図式は1+1+1という形に似ているわけである。
1+1=2は子供でもわかることだが、これをわざと、「1+1ではないでしょうか?」という言い方をする。
これが詐術なのである。
聴衆は内心で「2だ」とする。ところがこの場合、2以外の答えは出ない。しかし聴衆は「自分で、自分の自由意思で、自分で判断して、自分で結論を出した」と錯覚するのである。
そしてその錯覚を見とどけてから「さらにプラス1ではないでしょうか」と「問いかけ」る。聴衆は「3だ」と結論を出す。
このようにして次々と「さらにこの事実があります」「さらにこの事実があり」すなわち「プラス1、さらにプラス1」という言い方をし、その間に、「たとえ〝一方的″なように見えても、事実をただのべていくと、そういう結果が出てきてしまうのは当然ではないでしょうか」といって、そのときの総計を相手に確認させる。
聴衆は自分で確認したのだから、この総計は自分で動かせなくなる。そうやっていくと数字の総計はついに臨界値に達し、そこで連鎖反応を起し、ついに爆発するわけである。
ところがここにアンチ・アントニーがいるとそうはいかない。
アントニーが「1+1ではないでしょうか?」というとすぐアンチ・アントニーはそれに反する事実をあげて「(-1)+(-1)ではないでしょうか?」というからである。
従ってこれをいわれては扇動者はどうにもならない。
そこで、アンチ・アントニーを黙らすため、あらゆる手段をとるのである。その一つがいわゆる「きめつけ」「レッテルはり」「罵詈讒謗」「ダマレー」等で、これは軍人的断言法の直接話法の一つの型だが、実は最も拙劣な例で、立派(?)な軍人はもっと巧みであった。だがこれについては次にゆずる。
(~次回へ続く~)
【引用元:ある異常体験者の偏見/アントニーの詐術/P101~】
扇動者の「問いかけ」というのは、「質問」とはまったく違うものだ、という
山本七平の指摘は、実に鋭いなぁ…と私は感心してしまいます。
この「問いかけ」のテクニックは、人間の心理を利用した誘導術とでもいうのでしょうか。素直で真面目な人ほど引っかかりやすそうな気がしますね。
編集された事実を並べ、問いかける。そしてアンチ・アントニーを排除する。
確かにこのような環境に陥れば、誰しも自分の判断が規制され誘導されても不思議ではないでしょう。
次回は、こうした扇動の仕上げとして、(三)一体感の詐術についてご紹介する予定です。
お楽しみに。
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前回は、集団ヒステリーに対峙することの難しさについて説明がなされました。
今回はようやく、「アントニーの詐術」の一つである「編集の詐術」に入っていきます。
そこで私に相談に来るわけだが、私は学生から軍隊へ直行したから何も知らない。
従ってみなが相談に来たのは、私か目当てはなく、私のボスにそれとなく聞いて相手の考え方を打診してくれということであったと思う。私はある事情で米軍将校の私的な仕事をやらされていた。
最初のボスはL中尉でユダヤ人で本職はニューヨークの弁護士、これが一番長かったと思う。
二代目はS中尉でアイルランド系、本職はカンサスの警察署長であった。
いわば弁護士と警察署長だから、こういう人から何かを聞き出してくれれば、何とかなるかも知れないと思ったからであろう。溺れる者はワラでもつかむのである。
幸い二人とも親切な人だったから、一生懸命いろいろときくのだが、さて、こちらの言うことがさっぱり先方に通じないのである。原因はもちろん私の英語がダメだということだが、この質疑応答が全くトンチンカンになってしまう。
そのとき思い出したのが、学生時代、居眠りしながら聞いた講義の中の「シナ」であった。
謎をとく端緒は、ここにあった。
そこでS中尉にたのんで『シーザー』を借りてもらって――これが意外なほど入手困難だったが、その間の事情は省略する――読んだ。
そしてアントニーの演説には三つの詐術があることを知った。
この三つの詐術がいわば「アントニーの原則」であり「扇動する側の論理」である。
そして「扇動」という意識なくこの論理で話を進め、相手の判断を規制していって、命令同様の効果をあげるのが「軍人的断言法の迂説的話法」である。
もちろん「直接話法」も併用するが、それは次にゆずって、まず、この「アントニーの原則」の「三つの詐術」からはじめよう。
すなわち、それは
(一)編集の詐術、
(ニ)問いかけの詐術、
(三)一体感の詐術、
この三つである。
まず(一)から説明する。
(一)編集の詐術。これは編集者なら説明なくしてわかることと思う。
これを知らない編集者がいるはずがなく、もしいれば、その人は「編集者失格」である。
本多氏も新井氏もたしか編集委員であったと思うから、お二人には説明の必要はないはずであるが、編集という仕事を知らない読者のために少し詳しく説明しよう。
アントニーはまずシーザーの死体を示す、これは事実である。最後に「遺言状」を示す。これも事実である。そしてこの二つの間を事実・事実・事実でつなぐ。これも事実である。すべて一点疑いなき事実であって、だれもこれを否定できない。
ところが実はこれが「トリック」なのである。
なぜか、もう一度いうが編集者なら御存知であろう。説明の必要はあるまい。知らないならまだよい。だが、知っててこれをやってはいけない。
少なくとも編集という仕事をしている人間にとって、常に直面しなければならないのが、「事実に基づくトリック」をどうやって克服するかという問題のはずだからである。
自分の体験に基づいて非常にわかりやすい例をあげよう。
前に私のところで『ジョン・バチェラーの手紙』という本を出した。実に売れなかった本である。
この本は有名な「アイヌの父」ジョン・バチェラーの手紙を、集められるだけ集めて、それを編年史的に編集し、手紙という「事実」だけで構成した「伝記」を作ろうと意図したものであった。
もちろん絶対に手紙の内容には手をふれない。解説が必要なら、小さい字で手紙のあとに短い解説をつけ、それもほとんどすべて同時代の資料だけを利用して、ほぼ資料のまま入れる――という形である。
ところがこれが何年かかっても本にならない。
もっとも私のところは、本になるまで良ければ七年、短くて二年はかかるからこれだけが例外というわけではないが、この場合はちょっと特別で、私自身が何とも編集できなくなってしまったからである。
バチェラーのような人は、がんらい「可もなし不可もなし」のはずかなく、従って非常に性格のきつい面、いわば相当に「我」が強い面があり、いわゆる「敵」も多く、従ってバチェラー嫌いという人もいる。
一方アイヌの間では「神様のような人」というのが定評であった。
また日本人の中にもファンがおり、その事業を高く評価する人もいれば、「売名屋で、アイヌをくいものにし、上流社会にとりいった」という人もいる。
しかし世評はどうでもいい。「事実」を知りたい。
そこで「手紙という事実」だけを集めた。ところがどうにもならない――というのは編集の仕方でどうにでもなる。
ある「手紙という事実」だけを集めてつなげれば彼は文字通り神様になってしまう。
そしてそれが確かに事実だけなのである。
ところが別の「手紙という事実」だけを集めて並べれば彼は「アイヌをくいものにした、くわせもの」になってしまう。
そしてそれも、まぎれもない事実なのである。
従って、そのようにしていけば手紙の集め方で「売名屋」であれ、「上流社会にとり入った男」であれ、はたまた「守銭奴」であれ、全く自由自在、編集者の指先一つで、何とでもなる――それていて、並べてつなげているのは、まぎれもない、動かすことのできない、本人が書いた手紙という「事実」なのである。
一体全体どうしたらよいか。
とうとう最後には、思いあまって、結局何もかも含めて全部の手紙をただ年代順に並べ、おそろしく膨大なものを出版した。
いわばどうにもならなくなっての「編集放棄」であり、仕方ないので「資料集を出したのさ、資料集としては立派なものさ」と負け惜しみを言ったが、それなら二年も三年もとりくんでいる必要はないはず、従って正直にいえば、本当は投げ出したのである。
バチェラーという一人間、そうスケールは大きくない一人間の生涯すら、「事実」だけで構成して、神様にもできればおそらく悪魔にもできる。
これが毛沢東ともなれば、「事実」だけで構成しても、神様にも悪魔にも仕立てあげることができて当然である。
これがさらに規模が大きく複雑な対象、たとえば日本軍ともなれば、「事実」の編集だけで「神兵」にもなれば、「獣兵」にもなろう。
当然である。
人間は神と獣の中間だそうだから、編集の仕方で「神兵」にも「獣兵」にもなるとすれば、それは日本の兵士は人間であったという証拠のようなものであろう。
だがさらにこれとは桁違いというべき想像を絶する巨大な「中国」というような対象となれば、「事実」の並べ方だけで「天国」にもなれば、「地獄」にもなるのはあたりまえであって、そうならなければ不思議である。
編集者なら、そんなことはわかりきったことのはずである。
アントニーは、扇動の第一歩として、シーザーを「神様」にする「事実」だけを編集しているわけである。
そしてその一片一片の事実は、バチェラーの個々の手紙の如くに、あくまでも事実だから、だれもそれを事実でないということはできない。
典型的な「編集の詐術」なのであり、これが実は扇動の基本であり、また「判断の規制」の基本なのである。
新聞が偏向しているとかいないとかいう議論があるが、いかに偏向しまいと思ってもすべての出版物は結局は何らかの偏向を免れることはできないのであって、今私か書いていることももちろん偏向している。
従って私ははっきり「偏見」とことわっている。確かに偏見とか偏向とかは非常にこまったことだが、これを是正する方法は実は一つしかないのである。
それは「アンチ・アントニーの存在を認める」という以外にない。
すなわちシーザーの死体の頭のところにアントニーが立って、事実・事実・問いかけ、をくりかえしていると、同時にシーザーの死体の足のところに「アンチ・アントニー」が立って、同じような方法で、アントニーの言う「事実」に反する「事実」を、同じように、事実・事実・問いかけという形でのべる以外にない。
ここで聴衆は、相反する二つの事実を示されることによって、「自分の判断」ができるはずである。
従って真に「偏向」しているものは何かといえば、それは「アンチ・アントニー」の存在を認めず、あらゆる方法でそれを排除し、その口をふさいでしまう者のはずである。
日本軍は絶対に「アンチ・アントニー」の存在を認めない。
従って、この存在を認めない者を、私は日本軍同様と見なす。それが何と呼ばれていようと――。
ところがアメリカ軍はそうでないのである。
そのために発令者が全責任を負う「命令」というものが明確に存在するのである。
すなわち「命令」という形式が存在することは、対立意見があることを前提としているのであって、「アントニーの詐術」には命令は存在しえないのである。
そして明確な命令があってはじめて責任の所在が明らかになる。しかし扇動には責任者が存在するはずはないのである。
私は偏向者にも扇動者にもなりたくない。そういうものはもうたくさんである。
私は自分の言うことを偏見とことわっているのだから、新井宝雄氏(註)にも徹底的に反論してもらいたい。
(註)…毎日新聞社の編集委員。この「ある異常体験者の偏見」を書くきっかけとなる山本七平の論争相手。
罵詈讒謗でも悪ロでも何でもかまわない。コテンパンにやっつけてもらいたい。というのは、反論されれば、同時に、資料も提出してもらえるからである。
私にとっては、これくらい有難いことはない。
どうか私を徹底的にやっつけて下さるようお願いする―ーもちろんその節は、その反論は全部「資料」として私の方にいただく。それをしてはじめて事実が解明できるはずである。
同時にそれはアントニーとアンチ・アントニーが併存することだから、私は絶対に扇動者にならないですむから。
これがおそらく、「アントニーの原則」の(一)編集の詐術から自分も脱却でき、また、聴衆にも読者にも何の迷感もかけずにすむ、唯一の方法ではないかと思う。
従ってその人が扇動者か否かを見分ける重要なポイントは、その人がアンチ・アントニーの存在を認めるか否かにあると思う。
(~次回へ続く~)
【引用元:ある異常体験者の偏見/アントニーの詐術/P95~】
かつて私はマスコミの偏向報道について怒っていたのですが、この記述を読んで認識が改まりました。
偏向しているのがむしろ自然なんだ、と。
従って、偏向していることそのものに怒りを向けるのではなく、「アンチ・アントニーの存在」を認めないものに怒りを向けるべきなのだ…と思うようになりました。
例えば、
朝日新聞は偏向していると批難するのもいいのですけど、問題にすべきは、そうした批難に回答しなかったり、間違っていたとしても訂正記事を書いたりしない
朝日新聞の「態度」であって、「偏向」そのものではないと思うのです。
橋下府知事が
朝日新聞を批難しているのが最近の話題になっていますが、今まではそうした批難をしてもマスコミからは黙殺され、一般市民に知らされず闇に葬られることが多かったように思います。
橋下府知事の批難は、確かに適当でないかもしれない。
しかし、府知事の批難に対して
朝日新聞は自らの主張で応戦すればいいのではないかと思います。
どちらが妥当かは、第三者が判断するでしょうから。
今までマスコミが取り上げなかったことを、ネットが発信しはじめているという事実は、ネットが扇動から逃れる新たな「ツール」となりえる可能性を示しているのではないでしょうか。
市民をコントロールする手段を失いつつある第4の権力者であるマスコミが、ネットを敵視するのも当然かも知れませんネ。
それはさておき、次回はいよいよ「問いかけの詐術」に入っていく予定です。お楽しみに。
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前回は、フィリピンでの戦犯法廷の実体について説明がありましたが、今回は南京法廷における
百人斬り競争の裁判について、そして集団ヒステリーに対峙することの難しさについて話が展開していきます。
虚報『百人斬り競争』のため処刑された野田少尉の「遺書」を読むと、南京の軍事法廷もこれらと非常に似た雰囲気であったことがわかる。
私はこの雰囲気をある程度知っているだけに、向井・野田両少尉の中国人弁護人隆文元氏には、ただただ感嘆するとともに、全く偉い人もいたものだと思い、一種「まいった」という気になってしまった。
そして「申弁書」と「遺書」を何度も読みかえし、ただただこういう人が本当に勇気のある人なんだなあー、と思い、頭を下げた。
同一所属、同一役柄、同姓といった理由で人を処刑されることは許されるのか、それは正しいことなのか。
私の念頭からは常に「シナ」が離れない――「ちがいます、私は砲兵の山本で憲兵の山本ではありません」「砲兵でも憲兵でもかまわない、絞首台にぶら下げろ」。
チッソ(註)の係長が土下座をさせられている写真を見る。チッソは今では、日本軍である。
(註…日本の化学工業の会社の一つ。戦後の高度成長期に、水俣病を引き起こしたことで世界的に広く知られる。wiki参照)
確かに水俣病の患者は恐るべき被害をうけた人たちである。しかしマニラの市民もおそらく南京の市民も、多分、それよりはるかに恐ろしい被害をうけている。
その係長はかつての私のように加害者集団の同一所属なのだ。「チッソの山本」かも知れぬ。
ではこの「チッソの山本」を土下座さす権利がだれにあるのか、あるというなら「砲兵の山本」を絞首台にぶら下げる権利がだれかにあったのか。あると思う人はあると言っていい。ただ自分がその立場に立たされたとき、逃げてはいけない。
土下座させられているチッソの係長の傍らに立って、見るも痛ましい被害者の方を向き、またその被害者の側に立つという人びとの怒号のただ中にあって、「あなた方は被害者であっても、この人を土下座さす権利はない」といい切る勇気のない人間、顔をそむけ、見て見ないふりをしてその傍らを通りすぎる人間、いやそれどころか、被害者のうしろから大声をあげて正義家ぶっている人間には、この隆文元氏の勇気は、想像することもできないであろう。
そして想像することも出来ないから、氏の「申弁書」を読み、野田少尉の「遺書」を読んでも、だれも何も感じないのであろう。
考えてみられるがよい。その地は南京である。
公開の法廷には黒山のように群衆が集まっている。そのほとんどが自分の親子兄弟を殺された人びとである。その前に向井・野田の二少尉が立つ。
面白半分に『殺人ゲーム』を行い、次々に人を殺して数をきそった男、人びとの目は大久保清や森恒夫を見る群衆の顔よりすごい――なぜなら、彼らはそのようにして自分の親子兄弟が、なぐさみのため殺されたと信じているのだ、日本の新聞が報じたのだから、それは動かすことのできない証拠であって、はじめから「自白」しているに等しい。
その傍らに立って、その二人を弁護するのが、それがどんなに勇気のいることか。
到底、土下座させられたチッソの係長の傍らに立つ比ではない。
それは立場を逆転させて、もし今アメリカ人がこのようなことを日本人にし、その二人が日本の法廷に立たされ、傍聴席がその遺族でうまった場合どうなるか、を想像されればよい――いや、朝日新聞にあの『殺人ゲーム』が報じられたときの、一種の集団ヒステリー的状態を思い浮べられればよい。
そのときですら、二人を弁護できた日本人が一人でもいたか――幸い、いた。
『「南京大虐殺」のまぼろし』の著者鈴木明氏である。
いれば良い。
たとえ一人でもいればそれでいい。
一人いたということと一人もいなかったということは、実は、数の差でなく絶対的な差だからである。従って氏の「大宅賞受賞」は、私には、本当にうれしかった。
マニラのことを思い、南京を連想し、また『殺人ゲーム』報道時のことを思えば、集団ヒステリーの攻撃にさらされたとき、これに対抗することが実に困難なことはわかる。
何しろ剛直なブルータスが逃げ出したのだから――従って軍隊がこれを逆用して、攻撃に使えば、少なくとも瞬間的突撃力においては実に強く、これに対抗することは非常にむずかしいことは、だれにでもわかるであろう。
そしてこれが実に「命令」以上に強い拘束力をもちながら、「一兵に至るまで」自らの意思で突撃しているので、命令されているのではないという錯覚を抱かすのである。
従って全員が「自主的」「自発的」に死地へとびこんでいるような形になるわけである。
そして同じように自主的・自発的に捕虜を殺したり住民を殺害したりした者が、さて戦争が終って「戦犯」となると――そして「だれの命令でやったか」と問われるとどうも何か変で、「だれかに命令された」はずなのだが、実は、だれも「命令は、していない」というまことに奇妙なことになってしまうのである。
何しろ当時はアメリカ人は全部「鬼畜」で、アメリカ兵は「獣兵」で、現地の対米協力者というのはいわば「チッソ」で、親英米派はその「係長」のようなものだから、よってたかって、撲ったり、蹴ったり、土下座させたり、殺したりするのは、あたりまえのこととしている者が圧倒的多数であった。
何しろ戦場では、兵士や下級幹部(率からいうとこれが最大だが)は、双方とも確かに被害者で、バタバタ殺され、手がとび足がとび、頭が変になり、病気になったり餓死したりしている。
従って自分たちは被害者だから、加害者にそれくらいするのはあたりまえだと思っている。だがその瞬間、自分が同じような加害者になっているのに気づかないのである。
この関係は、戦場にいくと非常にはっきりした形で実に明瞭に出てくる。
銃器をもった人間は、自分はあくまでも人間だと思っている。そして銃器をもっている相手は猛獣だと思っている。ところが相手もそう思っている。
すなわち戦場では、お互いに銃器をもち、お互いに、自分は人間で相手は猛獣だと思っているわけである。
「人は人に狼(ホモ・ホミニ・ルプス)」という諺はおそらくこの関係を的確に表わしたものであろう。
だからみなお互いに猛獣に対するような態度で相手に接し自分は人間で相手は猛獣だと思っていても、その瞬間自分も人間でなく猛獣になっているとは思えないわけである。
従って相手を「鬼畜」といったら、そういった者も「鬼畜」になっていると考えてまずまちがいない。
いわば、「鬼畜」「鬼畜」ということによって自分が「鬼畜」になってしまうから、撲ったり、蹴ったり、上下座させたり、殺したりを、いとも平然と正義感にあふれて、堂々とできるようになってしまう。そして「戦犯」となる。「だれの命令か」といわれると、「さて……」ということになるわけであった。
(~次回へ続く~)
【引用元:ある異常体験者の偏見/アントニーの詐術/P91~】
私は、初めてこの記述を読んだ時、自問しました。果たして自分はどの人間だろうか?…と。
(1)「この人を土下座さす権利はない」といい切る勇気のある人間
(2)顔をそむけ、見て見ないふりをしてその傍らを通りすぎる人間
(3)被害者のうしろから大声をあげて正義家ぶっている人間
まず、(1)ではないだろう、と思います(小心者なので)。
いいところで(2)か、下手をすると(3)かもしれない。
そもそも、
山本七平を読まなかったら、こういう疑問すら持ちえなかったかもしれません。
そして、仮に(1)のようになれなくても、せめて(2)のようになりたい。
間違っても(3)のように最低な人間にはなりたくない…と思うようになりました。
そう思っていたとしても、第三者からみれば、私など依然として(3)の立場に立っているだろう…と判断されることもあるかもしれない。
ただ、そうした恐れを常に自覚している必要はあると自分に言い聞かせています。
こうした認識を一度持ってみると、如何に(3)のような人間が跋扈しているかを感じ取れるようになりました。個人的な偏見かもしれませんが、特に反歴史修正主義者にその雰囲気を濃厚に感じます。
昔はただ単に正義感を以って、怒りをぶつけていただけの視野の狭い自分でした。
山本七平と出会えた事で、そうした自分の視野が少しは広がった…かな?
まあ、視野を広げてくれた
山本七平には感謝してます。
そんな事もあって、私は
山本七平をブログで紹介しているわけです。
それはさておき、次回はようやく具体的に「アントニーの原則」のうち、「編集の詐術」について説明が始まります。次回もお楽しみに。
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前回は、「アントニーの原則」という扇動の論理について説明がなされました。
そこでは、「事実の提示」と「問いかけ」という技法がキーポイントだったわけですが、なぜキーポイントなのでしょうか?
その理由を記す前に、まず、
山本七平自ら体験したフィリピンでの戦犯法廷の事例が、取り上げられていますので、その部分について今回紹介していきます。
これが非常にはっきり出て来たのが外地の戦犯法廷である。
弁護人はもちろん検察官も裁判官も、傍聴人や検察側の証人を扇動しようという気はない。
ところが、まず「シーザーの死体」に等しい「証拠」がおかれる。起訴状が抑制された声で読まれる。
事実、事実、事実、とつづき、弁護人の問いかけ、検察側の応答、また事実、事実、事実……すると不思議なことに傍聴人も検察側証人もしだいしだいにヒステリー状態になっていく。もっともならない場合もあるが、そのことについては後述する。
やがて証人の尋問がはじまる。
被害者の母親が証人台に立って、娘が強姦され殺されたと証言する。
はじめは彼女も前にいる被告は、同姓異人らしいと思って極力自己を抑制して証言していても、証言しているうちに次々と恐ろしかった情景が浮んてきて、いつのまにか次第にヒステリー状態が高まり、別人らしい被告と加害者の像が二重写しになっていく。
その上さらに事実、事実、問いかけ、事実、事実、問いかけ……と進んでいくと、法廷内は異状な雰囲気となり、その雰囲気が逆に母親のヒステリーを高め、ついに興奮してわけがわからなくなり「この男だーッ」と叫んで指さして気絶すると、検察側証人がいっせいに「これだ」「これだ」「これだー」と叫ぶ。
その瞬間、傍聴人がワッと総立ちになり「ジャップ・ハング、ジャッブ・ハング、ジャッブ・ハング」「パターイ、パターイ、パターイ(殺せ)」と叫び、全員一斉に被告に殺到し、あわやリンチということになりそうになる。
この集団ヒステリーのものすごさは、その憎悪の対象にされたのでなく、単に弁護側の証人として出廷した者にも本当に骨身にこたえるもので、マニラから戦犯容疑者収容所にモンキー・カー(檻つきジープ)で帰されてきた証人たちも、その恐怖がまだ醒めず、魂を抜かれたような顔をしていた。
そういうわけでY大尉は「デス・パイ・ハンギング」と宣告された。
「いや、そのとき私は比島にいなかった」といくら抗弁しても、もうそうなるとだめ。
彼は確か鉄兵団で、十九年の十一月末に比島に来、それまでは満州の孫呉にいた。彼は満州出発の際、一枚のハガキを家に出した。運よくそれが無事に家につき、家は戦災にあわずに残っており、ハガキもあった。それが証拠となって、一転して無罪。
だがすべての人がそのように好運だったわけではない。
それだけでも不幸なことだが、「虚報」のためにそのようにして処刑され、さらに三十年後にまた「虚報」で殺人鬼として足蹴にされては、全く遺族はたまったものではあるまい。
まことに「創作記事」のような話になってしまうが、ポピュラー・ネームが恐ろしかったのである。
山本だの加藤、鈴木、斎藤、中村などというのは、一番危険だった。
「全くなあ、姓のために処刑されるなんてなあー、無事に内地に帰れたら、オレすぐ改姓するよ」。そんなことを本気で言いあっていた。
何しろその国の人にとっては、外国人は、みな似たような顔に見えるらしい。一方軍隊はみんな制服・制帽だから、印象はきわめて似ている。
そして何回も耳にしているポピュラー・ネームだけが記憶に残っている。
すると、自己のうちにある残像に最も適合した同姓の者を処刑してしまうという結果になってしまう――私が『シーザー』を思い出したのはこの時であった。「どうたっていい、名前がシナだ、名前がシナだからやっちまえ……」といった意味のあの台詞。
さらにケンペイはいけなかった。
「アンタは砲兵だから肋かったんだよ、憲兵で山本であってみろ、有無をいわさず、これさ!それにしても、オレなんざわかりゃしない」といって、ある大尉は手の平を自分の喉にあて、すっとこするような手つきをしてつづけた。
「実際なあー、何でもかんでも今では憲兵のセイにしやがってさ。ピリ公(フィリピン人への蔑称)に嫌われたのはいいさ、だがな同じ日本軍じゃねえか、それに同じ収容所にいてよ、オレが通ると顔をそむけやがる。人情紙の如しか! あーあ、それにしてもいつもアンタんとこへ来て愚痴ばっかりいってすまんなあー」という状態だった。
フィリピン人のいう「ケンぺイ」は憲兵より意味が広かった。
これは事実で、私のいたところでも、住民は警備隊のこともケンペイといっていた。いわば治安維持の任務にあたっているものは、みなケンペイだったのである。
理由はおそらく単純なことで、ケイビタイは非常に発音しにくいがケンペイは発音しやすくて、すぐおぼえられるからであろう。
同時にわれわれも、彼らがケンペイと言った場合、それが警備隊のことを言っているのだとわかっていても、わざわざ訂正せず、彼らの言い方にあわせてこちらもケンペイと言っていた。
こういうことは、ほかの場合にも多くあると思うが、いわばフィリピン語のケンペイと日本語の憲兵は、その意味内容に大きな差があったわけてある。
ところが、たとえば普通の歩兵の警備隊の山本が何か犯罪をおかした場合、住民はそれを「ケンペイの山本」といって訴える。
すると全部の罪は自動的に憲兵がかぶってしまう。
山下大将と同時に絞首刑になったのは確かに植田憲兵司令官とアズマダ(東田だったと思う)憲兵隊通訳で、アズマダ通訳は確かフィリピン人との混血であったと思う。
こういう場合、処刑されているのは実は「名前」であって本人ではない……すなわち軍司令官、憲兵司令官、憲兵隊通訳という名前が処刑されるわけだが、この場合、この三つの名前は当時としては実に象徴的である。
特に通訳への反感は非常にあったと思う。これは戦後の「進駐軍通訳」へのある一時期の何か妙な反感のようなものを思いうかべていただけれはある程度推察していただけると思う。
いわば名前とか肩書(これも名前だが)といったものを処刑するという形になるわけだが、これはシナの場合も同じで、群衆の一人は「シナという名をその胸からえぐり出してやる」という言い方をしている。
まさにその通りで何度もくりかえすが、全く天才とは不思議な人である。だが胸をえぐられたり、首をつるされたりしたら、名前でなくて人間が死んでしまう。
(~次回へ続く~)
【引用元:ある異常体験者の偏見/アントニーの詐術/P88~】
私はこの記述を読んで、初めて
シェークスピアという人の凄さを知りました。
恥ずかしながら
ジュリアス・シーザーという作品を読んだ事が無く、しかも、
バーナード=ショウの「人間の欠点ならばあれほど深い理解を示した
シェークスピアだったが、
ユリウス・カエサルのような人物の偉大さは知らなかった。『
リア王』は傑作だが、『
ジュリアス・シーザー』は失敗作である」という批評を目にしていたせいか、この
ジュリアス・シーザーについては駄作だと思い込んでいたのです。
確かに、
バーナード=ショウが指摘したように、
シェークスピアは
ユリウス・カエサルの偉大さを表現できなかったかも知れません。
ただ、
山本七平が文中で再三指摘しているように、短い台詞に扇動のエッセンスを詰め込んだ
シェークスピアというのはやはり天才だったのだなぁ…と考えざるを得ないですね。
さて、次回は
百人斬り競争の南京法廷について話が展開していきます。
まだまだ、「事実の提示」と「問いかけ」がなぜ、群集のヒステリーを引き起こすのか…についてたどり着きませんが、そこにたどり着くまでの過程も読みごたえがありますのでお楽しみに。
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前回は、日本軍の指揮官のタイプを解説したところまで、ご紹介しました。
今日はいよいよ「扇動」について具体的に説明が始まります。この部分の説明は実にわかりやすく、私は初めて読んだとき、非常に新鮮に感じた記憶があります。では引用開始します。
ではここで、軍人的断言法の迂説的話法すなわち「扇動」という問題に入る。
一体「扇動」とは何であろうか。扇動は何も軍隊だけでなく、日本だけでなく、また現代だけのことでもない。
「扇動」は外部から見ていると、何かの拍子に、何かが口火となって、全く偶発的にワッと人が動き出すように見えるが、内実はそうではない。
「扇動」には扇動の原則があり、扇動の方法論があって、この通りにしさえすれば、だれでも、命令なくして人を動かし、時には死地に飛びこますことができるのである。
これは非常に恐ろしい力をもつ一種の誘導術であって、その術を完全に心得て自由自在につかえるのが、いわば二型(叱咤・扇動型)の指揮官である。
原則は非常に簡単で、まず一種の集団ヒステリーを起させ、そのヒステリーで人びとを盲目にさせ、同時にそのヒステリーから生ずるエネルギーがある対象に向うように誘導するのである。
これがいわば基本的な原則である。ということはまず集団ヒステリーを起さす必要があるわけで、従ってこのヒステリーを自由自在に起さす方法が、その方法論である。
この方法論はシェークスピアの『ジュリアス・シーザー』に実に明確に示されているので、私か説明するよりもそれを読んでいただいた方が的確なわけだが、――実は、私は戦争中でなく、戦後にフィリピンの「戦犯容疑者収容所」で、『シーザー』の筋書き通りのことが起るのを見、つくづく天才とは偉大なもので、短い台詞によくもこれだけのことを書きえたものだと感嘆し、ここではじめて扇動なるものの実体を見、それを逆に軍隊経験にあてはめて、「あ、あれも本質的には扇動だったのだな」と感じたのがこれを知る機縁になったわけだから、まずそのときのことを記して、命令同様の効果をもつ扇動=軍人的断言法の迂説的話法に進みたい。
まず何よりも私を驚かしたのは『シーザー』に出てくる、扇動された者の次の言葉である。
市民の一人 名前は? 正直にいえ!
シナ 名前か、シナだ、本名だ。
市民の一人 プチ殺せ、八つ裂きにしろ、こいつはあの一味、徒党の一人だぞ。
シナ 私は詩人のシナだ、別人だ。
市民の一人 ヘボ詩人か、やっちまえ、へボ詩人を八つ裂きにしろ。
シナ ちがう、私はあの徒党のシナじゃない。
市民の一人 どうたっていい、名前がシナだ……
市民の一人 やっちまえ、やっちまえ……
こんなことは芝居の世界でしか起らないと人は思うかも知れない――しかし「お前は日本の軍人だな、ヤマモト!ケンペイのヤマモトだな、やっちまえ、ぶら下げろ!」「ちがいます、私は砲兵のヤマモトです、憲兵ではありません」「憲兵も砲兵もあるもんか、お前はあのヤマモトだ、やっちまえ、絞首台にぶら下げろ」といったようなことが、現実に私の目の前で起ったのである。
これについては後で詳述するが、これがあまりに『シーザー』のこの描写に似ているので私は『シーザー』を思い出したわけである。
新聞を見ると、形は変っても、今も全く同じ型のことが行われているように私は思う。
一体、どうやるとこういう現象が起こるのか。
扇動というと人は「ヤッチマエー」「ヤッツケロー」「タタキノメセエー」という言葉、すなわち今の台詞のような言葉をすぐ連想し、それが扇動であるかのような錯覚を抱くが、実はこれは「扇動された者の叫び」であって、「扇動する側の論理」(?)ではない――すなわち、結果であって原因ではないのである。
ここまでくればもう扇動者の任務は終ったわけで、そこでアントニーのように「……動き出したな、……あとはお前の気まかせだ」といって姿をかくす。
というのは扇動された者はあくまでも自分の意思で動いているつもりだから、「扇動されたな」という危惧を群衆が少しでも抱けば、その熱気は一気にさめてしまうので、扇動者は姿を見せていてはならないからである。
もっとも、指揮者の場合は、大体、この「二型(叱咤・扇動型)」が「一型(教祖型)」の仮面をかぶるという形で姿をかくすが……
従って、扇動された者をいくら見ても、扇動者は見つからないし、「扇動する側の論理」もわからないし、扇動の実体もつかめないのである。
扇動されたものは騒々しいが、扇動の実体とはこれとは全く逆で、実に静かなる論理なのである。
これは『シーザー』の有名なアントニーの演説を子細に読まれれば、だれにでもわかる。そこには絶叫や慷慨はない。
彼は静かに遠慮深く登壇し、まずシーザーの死体を見せる。そして最後をシーザーの「遺言書」で結ぶ。
いわば「事実」ではじめて「事実」で結ぶ。
この二つの「事実」の間を、一見まことに「静かで遠慮深い問いかけ」を交えつつ、あくまでも自分は「事実」の披露に限定するという態度をとりつづけ、いわゆる意見や主張をのべることは一切しない。
その論理の一部を紹介しよう。かっこ内の私の敷衍は読んでも読まないでもいい。
「ブルータスさんは彼(シーザー)が野望を抱いていたといわれます。
ブルータスさんは人格高潔な方です(からこれは事実であって嘘ではないでしょう。しかしもしそうだとすると、まことに不思議なことに)シーザーは、多くの捕虜をローマにつれて来まして、その身代金は全部国庫に収めています(から果してそういえるでしょうか)という言い方である。
かっこ内の敷衍は、おそらくその時に聴衆が頭に浮べたであろうと思われる言葉だが、アントニーはもちろんこれを口にしない。
彼が口にするのは「事実」だけで、この事実の並べ方で誘導しているわけである。
そしてこれに「問いかけ」をまぜる。
すなわち「こういうシーザーが本当に野望家に見えるでしょうか(みなさん、ちょっといっしょに考えてみましょう、そんなことかありうるでしょうか)」とつづけ、次に新しい「事実」へと進む。
「貧民たちが泣き叫んだときシーザーもともに泣きました……」「といっても私はブルータスさんの言葉を反駁するためにこんなことを言っているのではありません。私はただ現に私が知っている事実を述べていますだけで……」といういい方を積みあげていく。
いわば、死体と遺言書という目前の事実の間を、事実、事実、事実、事実とつなぎ、その間にたえず「……でしょうか? ……でありましょうか? ……のことを考えてみましょう!……たとえそう見えたとしても……ではないでしょうか?」という言葉でつなぐ、これをやっていくうちにしだいしだいに群衆のヒステリー状態は高まっていき、ついに臨界値に達し、連鎖反応を起して爆発する。――ヤッチマエー、ぶら下げろー、土下座させろー、絞首台へひったてろー、……から、ツッコメー・ワーッまで。
これを一応「アントニーの原則」と呼んでおこう。
一体この論理のトリックはとこにあるか、一見扇動とは無関係に見えるこれをやられるとなぜ集団ヒステリー状態になるかは後述するとして、最近のもので、ほぼ「アントニー」の原則通りと思われるものを調べてみよう。
何度も言うようだが、全く天才とは不思議な人である、というのは、日本軍でも起り(いや起し)、マニラの戦犯法廷でも起った(これは「起した」ではなかった)ことが、日本でもほぼ原則通りに起るのである。
というのは本多勝一氏の『中国の旅』で『殺人ゲーム』が報ぜられたころ、この「創作記事」の「増訂版」を読んで、日本中がほぼ集団ヒステリー状態になったことである。
私は鈴木明氏の『「南京大虐殺」のまぼろし』の中の引用部分と、「百人斬り競争』の真相糾明に必要な部分しか読んでいないので、全編にわたってそうかどうかわからぬが、いわば「事実」「事実」「事実」と事実が提示され、その間に「かりにこの連載が中国側の〝一方的な″報告のように見えても、戦争中の中国で日本がどのように行動し、それを中国人がどう受けとめ、いま、どう感じているかを知ることが、相互理解の第一前提ではないでしょうか」といったような、まことにアントニーそっくりの控え目な「問いかけ」が入っている。
しかし糾弾とか弾劾の言葉はいっさい入っていないのである。
従って私は「アントニーの原則」を全編にあてはめてこれを分析してみれば、非常に面白い結果が出るのではないかと思っている。
こういう言い方には、本多氏は非常に不満かも知れない。
しかしどうか誤解のないように…私は必ずしも本多氏が意識的に扇動したと言っているのではない。それならば興味はないから、はじめから取り上げない。
これは実に不思議なことなのだが、本多氏の意図がどうであれ、結果において「アントニーの原則」通りになっていると、扇動になってしまうのである。
(~次回へ続く~)
【引用元:ある異常体験者の偏見/アントニーの詐術/P83~】
出てきましたね、
本多勝一。この
山本七平の記述を読んでから、彼の書いた
中国の旅を読み直してみれば、
本多勝一の文章がこの「アントニーの原則」に忠実に従っていることが見てとれると思います。
長くなったので今日はこの辺でやめておきましょう。皆さんも、ここでようやく今回のシリーズタイトルが「アントニーの詐術」となっているか納得できたのではないでしょうか。
そして、何となく「扇動」の原則がおわかりいただけたのではないでしょうか。
え、まだわからないって…、それは次回以降読んでいただければ十二分にわかりますって。
では、次回をお楽しみに。
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前回は、教祖型の解説を引用したところで終わりましたが、今日はその続きを紹介して行きます。
まずは、
山本七平が一番辟易した型、叱咤・扇動型から、暴行・威圧型、技能型まで。
第二がいわば叱咤・扇動型である。
叱咤と扇動とはその内容が違い、扇動については後述するが、この型はほぼ叱咤を併用したので――これがいわば軍人的断言法の直接話法の一つ――まとめて一つの型にしておこう。
代表的な有名人をあげれば、辻政信参謀であろう。
この型は相当多く、いたるところに小型政信が存在したが、特に前述の秀才参謀にあった型で、本人は自分をどう思い、どう自己評価しているか知らないが、末端の部隊の本部付にとっては全く疫病神のような存在であった。
この型にはもう全くまいった。
これこそ「日本軍なるものの欠点」を一身に具現しているタイプだと思ったのは、私だけではあるまい。
全く世の中には私の常識では到底判断がつきかねることが多い。
「俺を殺すやつこそ殺人罪だ」といっている『百人斬り競争』の向井少尉を処刑場におくり、三十年後にその人を殺人鬼に仕立てあげて再登場させたかと思えば、その同じ新聞が、少なくとも軍の内部では「実はあの男が多くの虐殺事件の本当の責任者なのだ」という定評のあったその参謀を、勝手に大戦略家に仕立てあげ、参議院議員にしてしまう
――一体全体これはどうなっているのだろう。私には全くわけがわからない。――話は横道にそれたが、この型の指揮官の部隊は、好調のときはいいが、逆境に弱く、すぐ潰乱するといわれた。
第三が暴行・威圧型で、よく例にひかれるのがビルマの花谷師団長である。
詳細は高木俊朗氏が『戦死』に書いておられるから省略するが、簡単にいえばだれかれかまわず撲りつけどなりつけ、「腹を切れ」というだけではなく本当に自殺に追いこみ、下級将校はもちろんのこと連隊長でも兵器部長(大佐)でも容赦せず、しかも傲慢無礼のありったけをして、団隊長会議などでは、両足を長靴のままテーブルの上にあげて司会するといった傍若無人ぶりで、徹底的に他の人格を無視し、いわば「恐怖政治」で統率していく型である。
この型は、戦後よくとりあげられるので、日本の軍人の典型のように思われがちだが、私はこれもむしろ例外ではないかと思っている。だがこの型の指揮官にひきいられた部隊は、案外苦戦に強いのである。一種「スターリン政権の強固さ」に似た面があるのだと思う。
戦争中は日本軍の将校はみな一型(教祖型)のように書かれ、戦後は三型(暴行・威圧型)のように書かれるわけであろうが、新聞だねとか話題になるのはいずれの時代でも例外なわけで、一番多かったのが第二(叱咤・扇動型)+第三型であったと思う。
もちろんこういった分け方は便宜的類型的な分け方だから、一型を気取り、実質的には二型で、これに三型を加味するというのが最も平均的なタイプであったと思う。
だがいろいろ考えてみると、これはただ軍人だけではないようにも思う。
このほかにいわば「技能型」ともいうべき第四の型もあった。これは特科部隊にある型で、一般社会の「一芸に徹した人」にあるタイプと同じであり、従って、部下はみんな「弟子」になるわけである。
私の部隊長はこのタイプで、この型が私には一番親しみやすく、おかげで大変に楽をしたと思い、今でも感謝している。だが今回はこの型は一応除く。
(~次回へ続く~)
【引用元:ある異常体験者の偏見/アントニーの詐術/P81~】
長くなったので今日はこの辺で引用を終わりにします。
次回はいよいよ「扇動」の解説に入っていきます。では次回をお楽しみに。
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今日から、「
ある異常体験者の偏見」の一章「アントニーの詐術」を丸々紹介していこうと思っています。かなり長いため十数回に分けてご紹介することになると思います。
初回の今日は、まず日本軍の指揮官の型について説明するところから始めます。
その前に、この「アントニーの詐術」のなかでたびたび使われる用語「軍人的断言法」について、
山本七平自らの説明を引用しておきましょう。
これを説明しておかないと話がわからなくなると思いますので。
(~前略~)
ここではまず、なぜ「軍人的断言法」という言葉を造ったかを説明しておこう。
それは「戦犯容疑者収容所」で造ったのだから私にとっては新造語ではない。外地の戦犯裁判はいろいろな問題を合むが、その一つに「言葉の問題」があった。
陸軍は「英語」にも「英語的発想」にも無関係な集団で、士官学校出はほとんどがフランス語、ロシア語、ドイツ語であった。私は当時の水準で、またその集団の中では英語が出来る方だったわけで、そこでいろいろな相談をうけたわけである。
その中で一番悲惨なのは、部下は「命令された」と証言し、上官は「命令していない」と延言して対立するケースである。
この場合、まずは必ず部下が負ける。なぜか。
これには英語の「命令(オーダー)」「命令法(インペラティヴ・ムード)」「命令口調(コマンデイング・トーン)」といったものとは全く別な、英語的発想では絶対に命令ではないのに、また、どう読んでも絶対に命今ではないのに、実際には命令に等しい拘束力をもつ言い方が「軍隊語」にはあったと言うことが、大きな理由の一つなのである。
従ってその「言い方」を見つけ出し、ない知恵をしばって、それが「命令でなくても命令に等しい」ことをだれにでも納得できるように論証することは、当時の私にとっては「新造語」の作成という言葉の遊戯ではなく、人の命にかかわることであった。
そして私が見つけ出したものが「軍人的断言法(ミリタリー・アセヴェラティヴ・ムード)」であった。
この英語が正しいかどうか知らないが、これを巧みに使えば、その者は、発令の責任を一切負うことなしに人を拘束でき、時には人を殺すことさえできるのである。
それだけに私にはこの言葉は恐ろしい。だがこれについては後章「アントニーの詐術」で取りあげることにして先へ進もう。
(~後略~)
【引用元:ある異常体験者の偏見/軍隊語で語る平和論/P38~】
それでは本編に入っていきますが、
山本七平は、指揮官のタイプを説明しながら、日本軍における「命令」がどのようなものであったのかを解説していきます。
まずは、教祖型から。
軍人的断言法――いわば「判断を規制していって命令同様の一種の強制力を発揮する言い方」、これは、ことによったら日本軍の特徴あるいは日本人における特徴的要素ではないかと思われる点もあるので、少し詳細に記してみたいと思う。
もちろんこれと非常によく似た言い方は部分的には外国にもあると思う。というのはこの断言法には直接話法と迂説的話法があり、この迂説的話法はほぼ「扇動」と同じだからである。といっても全く同じではないが、一応同じものとしておこう。
扇動はどの国にもあり、また軍隊だけのことではない。従ってこの迂説的話法=扇動の方が読者には理解しやすいと思うので、まずこれからはじめよう。
日本軍とは「天皇陛下の命令だ」といいさえすれば何でもできるところだったという神話が今では定説のようで、これに基づいてルパング島も押しかけたようだが、これは「タテマエ」にすら反する。
第一、人間の社会は、いずこであれそう単純にはいかない。特に「生死」という絶対的な問題に直面した場合、人間は、いや少なくともわれわれは命令では動かない。
厳密な意味での「命令」いわば「命令形」という言葉のもつ意味における「命令」は日本軍にはなかったのではないかとさえ私は考えている。
もし命令だけで動かしうるならば、「作命」(作戦命令)を本部書記に書かして部隊長がハンコを押ずばそれだけで十分なはずで、これでは、名指揮官とか統帥の神様とかいったものが存在する余地がなくなってしまう。
こういう人が存在したことは、兵を動かすのに、命令以外にさまざまな要素が介入していたこと、というより命令は形式で、この要素の方が本質であったのではないかと思われるほど、何らかの要素が強く作用していたことを示している。
その要素を指揮官のタイプ――もっとも私か知っているのは下級指揮官だが――で分けると、だいたい次の四つになると思う。といってもこれはあくまでも便宜的類型化であって、たいていの人が、二つ三つの要素を併有していた。
第一が教祖型である。
この場合部下はみな信徒だといってよい。この典型の一人は「ガ島の神兵」軍神若林中尉であろう。
彼のことは下級指揮官の模範として、常に講話や講義に引用された。事実非常に立派な人であったらしく、彼の上官であった連隊長が豊橋予備士官学校で彼について語ったとき、語るうちに涙があふれ、ついに講壇上で絶句したことをおぼえている。
話をきくと彼のひきいる中隊はまさに「若林教」の信徒団ともいうべきものであったらしい。
彼が戦死したとき、先に後方に撤退していた中隊付准尉は、その報をきいて、「オレはもう生きる望みはない」といって自殺用手榴弾をもち、彼が戦死したジャングルヘと戻っていったのは有名な話である。
この准尉は非常にクセのあった人で、転任してくる中隊長は次々に実質的には彼に追い出されたのだそうである。嫁のイビリ出しのようなもので、こういうことは、日本軍では、階級や命令ではどうにもならない。
兵隊をブルーカラーとすれば、准尉はその頂点にいる中隊の「ヌシ」のような存在で、少尉などはもちろん歯がたたない。中隊長職の古参中尉ですら歯がたたない場合も少なくない。
この一クセもニクセもある准尉に対して、若林中尉があらゆる誠意と忍耐とをもって接し、自らも精進と修養に徹し、それをもってついにこの准尉を心服させた態度は、いわば下級指揮官の模範として強調されたことであった。
お前たちもこれを見習えというわけだったのだろう。形式的な命令や星の教だけでは、ましては単なる組織論では、日本軍という組織は絶対に動かなかった。
若林中尉の態度は一貫して教祖的であり、ついに全中隊を「若林教」の信徒にしてしまうのである。
大体寡黙で、もの静か、名指揮官といわれたこのタイプの人たち、中でも特に老将校には「老僧」といいたいようなタイプの人もいた。
これがいわば当時の模範型であり、この型の指揮官にひきいられた部隊は、最も苦戦に強いというのが定評であって、「若林中隊」はその意味でも模範とされた。
そして戦後、部下の罪を負って絞首台にのぼったというような人は、ほとんどこのタイプである。
私は今でもこういう人を尊敬している。もちろん私とその人たちとは考え方も生き方も違う。
しかしその人たちは、他を律するのと全く同じ基準で自己をも律し、そのためには処刑されることも辞さなかった。これはなかなかできない。
他を批判したその批判の基準で自己を律することさえ実に困難なことは、『百人斬り競争』という記事の周辺の人びとを見ても明らかであろう。
たとえば「殺される側へ立つ」というなら「不当に処刑された側に立つ」のかというと、実はそうではない。自己や自社を律する基準はあたりまえのように、別にしてあり、そのことに少しも矛盾を感じていない。
私の原隊のH大尉という若い大隊長もそれで、兵隊から分裂症(痴呆性?)という渾名をつけられていた。女郎屋から連隊に朝帰りして、その足で営庭に出て兵隊に、実に荘重きわまる口調で、滅私奉公の精神訓話をすることに少しも矛盾を感じていない人だったので、このあだ名がつけられたのだが、どういうわけかこのタイプは秀才に多いようである。
これほど厚顔でなく、その矛盾に大きく煩悶はしても、他に課した基準を自らに課して絞首台に行けるかとなると、いざとなると、ほとんどの人は「処刑」で崩れるのである。
従って人が何といおうと、それが出来た人を私は尊敬する。
ただ私の体験では、これが出来ないのに、それが出来るかの如くに教祖型を気取る人間の方が多く、実際にはこういう人の存在は例外に近いほど少なかったと思う。
もっとも戦争が終って、わが身が安全になれば、また、あたかも自分がそういう型であったかのように気取る人は、これまた実に多いけれども――。
(~次回へ続く~)
【引用元:ある異常体験者の偏見/アントニーの詐術/P78~】
次回は、第二の型 叱咤・扇動型の指揮官の解説に入っていきます。
今日はここまで。次回をお楽しみに。
【関連記事】
★アントニーの詐術【その2】~日本軍の指揮官はどのようなタイプがあったか?~★アントニーの詐術【その3】~扇動の原則とは~★アントニーの詐術【その4】~同姓同名が処刑されてしまう理由~★アントニーの詐術【その5】~集団ヒステリーに対峙する事の難しさ~★アントニーの詐術【その6】~編集の詐術~★アントニーの詐術【その7】~問いかけの詐術~★アントニーの詐術【その8】~一体感の詐術~FC2ブログランキングにコソーリと参加中!
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今日は久しぶりに、(読みたくも無いのに読まされている)
赤旗ネタでも取り上げましょうか。
赤旗って(実現可能かどうかは別にして)確かに弱者に優しい政策を訴えていると思います。その点については、それなりに評価したいのですが……、
ただ、
赤旗を読んでいて、どうしても、嫌になるのはその主張の根本にある「嫉妬心」でしょうか。
他にも、たかる事しか考えず生産性の無いところとか、自助努力のかけらも感じられないところも嫌いです。
以下実にくだらない記事ですが、数日前に、そんな嫉妬心が窺える記事がありましたので引用します。
■麻生首相、今年は何軒“はしご”?
麻生太郎首相は七日夜、東京都内の高級飲食店三軒を「はしご」しました。同日の衆院予算委員会で「国民はまずは景気対策という気持ちが強い」と連発した首相ですが、国民の生活苦などおかまいなしです。
首相が最初に向かったのは、紀尾井町にある中華料理店「維新號」。
自民党の大島理森、公明党の漆原良夫両国対委員長、河村建夫官房長官、松本純官房副長官らと約二十分間にわたって会食しました。ここで首相は二〇〇八年度補正予算案について「政府側も気を引き締めて頑張るので、よろしく」と早期成立への結束を要請しました。
その後、同所のホテルニューオータニにある日本料理店「藍亭」で、松本副長官らが経済人を招いて開いた勉強会に顔を出し、同じホテルの「カトーズダイニング&バー」に移って秘書官と一時間半を過ごすという具合です。
首相就任前から、政治資金を使って東京・銀座や六本木、赤坂などの高級クラブや高級料亭などを「はしご」する麻生氏の行動は有名。二〇〇七年の会合は判明しているだけでも百二十三回にのぼっています。
国民の生活が苦しいから、料亭を使っての会合はけしからん、という記事ですが、それじゃあ一体どうせよというんでしょうか。一国の総理に公民館の会議室でやれとでもいうつもりなのか?それとも赤ちょうちんだったら庶民的でOKなのですか?
昔の聖人君子のように振舞えば、良い政治が行なわれたことにでもなるんでしょうか???
それよりも政治結果をきちんと出してもらえれば、それくらい飲み食いしてもらっても、私は何ら構わないのですけど。
そもそも、政治資金をそうした政治活動に使って構わないのであれば、使ってもらえばいいじゃありませんか。その方が利用してもらえる料亭にとってはいいことなのですから。
確かに、ひもじさに耐えている人びとから見れば、高級料亭をハシゴなんて許せないことかも知れません(そりゃ、私だってそういう感情は全く無いとは言わない)。
ただ、「感情的に許せない」から、「批難すれば済む」わけでもないでしょう。
大体、金持ちには節約してもらうより消費してもらったほうが世の中にとってはプラスでしょ。
嫉妬も大概にセエといいたいですね。
以上、
赤旗のつまらん批難記事への感想でした。
この記事に見られるように
赤旗の主張ってあちこちに、金持ちに対する嫉妬や敵意がこもっているのですが、こうした考え方では、所詮、世の中を良くすることは出来ないと思うんですよね。
「共に産みだす党」ということなんだろうけど、何にも産みだそうとしてない。
金持ちから、国から、お金の有るところから、奪い取るだけ、たかるだけ。
それさえ出来れば、幸せになれる、うまくいく、と考えている。
実際はといえば、自分の足を喰っているタコのようなものに過ぎないのに。
富の再分配は必要だと思うけれど、
赤旗の主張はそればかりなのが不満です。
【追記】
でもまあ、考えてみれば嫉妬心丸出しの記事ってあちこちで見かけますよね。赤旗だけじゃないんだよな。週刊誌とか、そんな記事ばかりだし…。
そうした記事ばかりになるのは、読者がそれを要求しているからでもあるわけで…。
結局のところ、そうしたものを好む読者を写しているだけなんだろうなぁ。
でも、やっぱり赤旗は、嫉妬心が濃いです。そういう読者が多いっつう事なんでしょうね。
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今回、ご紹介する
山本七平のコラムの記述は、非常に示唆に富むものです。
ちょっと長めですが、是非目を通していただきたい。
■「カハン報告」に生きるユダヤの歴史
「カハン調査委員会報告」と言っても、その名を知る人は殆ど皆無であり、また、この「報告」が日本のマスコミに取り上げられることもないであろう。
だがこの報告の英語版が出来るやいなや、世界のマスコミ関係者はもちろん、各国政府はじめ諸機関の強い関心を呼び、ちょっとしたベストセラーになっているという。
では、「カハン調査委員会報告」とは何か。
一九八三年九月中旬ベイルートで起こった虐殺事件の調査委員会の報告である。
委員はイツハク・カハン最高裁長官、アハロン・バラク最高裁判事、ヨナ・エフラット予備役少将の三人である。
そしてこの調査が、世界中から強い関心をもたれていることは、多くの問題について、さまざまな示唆をわれわれに与える。
まず第一に、この調査への世界の信頼性がきわめて高いという点である。
いわば調べているのがユダヤ人、調べられているのもユダヤ人だが、彼らがこれをきわめて公正に行い、ユダヤ人に不利なこと、また反ユダヤ的宣伝に利用されそうなことは故意に隠蔽しているであろうとは、少なくともユダヤ人との接触が長かった世界では、考えられないということである。
なぜであろうか。
報告書には次の言葉がある。
「選択的良心の持主のために、この調査は意図されたのでなく……事実に到達するため」行われた、と。
一体ここで言われている「選択的良心の持主」とは、どのような人を指しているのであろうか。
簡単な例をあげれば、例えばベトナム戦争のとき、米軍のソンミの虐殺は猛然と糾弾してまことに良心的だが、北のユエの虐殺には一言も発せず、その事実さえ、報道しないという形で隠蔽してしまうような人たちのこと、簡単にいえば、良心発動の対象に選択がある人のことである。
もちろんこの世界に、選択的良心の持主が多々いることを彼らは知っている。
いな、知っているどころか、「ディアスポラ」(離散)二千年の彼らの歴史は、良心的な、まことに良心的な、しかし選択的良心の持主に苦しめられつづけ、迫害されつづけて来た歴史であった。
例はいくらでもあるが、たとえば子供が行方不明になる。それを必死で探す人びとはまことに良心的な人びとである。
ところが、ユダヤ人が誘拐して幼児犠牲の祭儀を行ったのだというデマがとぶ。このとき最も良心的な人が、ユダヤ人を捕え、拷問し、あらゆる残虐の限りをつくして虚偽の自白をさせ、処刑する。
これで彼らの良心は満足する。
いわば彼らの良心は選択された対象にのみ発動されても、その選択外には発動されないのである。これが典型的な「選択的良心の持主」である。
では、これに対してどう対抗すべきなのか。
それはあくまでも事実を究明し、それを記録に残し、「時間という名の法廷」に提訴する以外にない。
これが彼らが、その長い苦難の歴史から学んだことであった。そして、カハン調査委員会の行き方は、まさにその伝統を継承しており、欧米はその伝統を知るがゆえに、この調査委員会の報告は最も信用されるのである。
われわれには、こういう歴史的体験はない。
そのためか、マスコミの「偏向」が問題とされることはあっても、「選択的良心」とは何か、何故そのようになるか、といった探究は無いと言ってよい。
従ってマスコミは、「良心的」ということ、「選択的良心的」ということを、自らの中で厳然と峻別し、後者が実は最も非良心的な行き方だなどと考える余地は全くないように見える。
われわれが極東の小さな島国であった時代は、それでもよかったのかも知れぬ。
そのため、マスコミの選択的良心が外国の選択的良心と呼応して日本政府を攻撃するといったことを、われわれは不思議と感じないほど、この問題に不感症になっているのかも知れない。
しかし、国際社会におけるわれわれの位置は昔通りではなく、われわれ自身が、何かの場合に選択的良心の攻撃の対象にならないという保証はないのである。
そうなった場合、「選択的良心の持主のために、この調査は意図されたのでなく、事実に到達するために行われた」のだと、堂々と国の内外に言い、かつそれが国際的にも広く信頼されうるような機関をわれわれはもっているであろうか。
残念ながら、現在のところは、「ない」と言わねばならないであろう。
いな、昔からこのような調査委員会を設けて、あらゆる方法でただ「事実に到達する」ことのみを目的とするといったようなことは、日本では起こらなかった。
そのような事実を公にすれば国の恥になるといった感覚から、いまわしい事件の多くは隠蔽され、そして消されて来たわけである。
だが、情勢が変化すると、消したことが逆に、選択的良心の持主のために、無限の膨張を招来することもあるのである。
その際に「カハン調査委員会報告」に等しいものが無いという状態は、民族の将来を思うとき、打ち切るべき状態であると思う。
【引用元:「常識」の非常識/P154~】
選択的良心の持ち主……それは、私自身も含め大多数の人が該当するのではないでしょうか?
こうしたことを、ダブルスタンダードと言って批難しているのを、ネットでもよく見かけますね。
でも、そうした批難を浴びせる方だって、選択的良心の持ち主が殆どです。
というか、全てにわたって良心を発動できる人なんていないと思う。
なぜなのか。
それはやっぱり、人には「偏見」がつきものであるからでしょう。
山本七平は、「
ある異常体験者の偏見」の中で、次のように指摘しています。
聖書には「ヤハウェ(神)は、かたより見ないもの」という面白い言葉がある。これを逆に読めば、「人は、かたより見るもの」なのである。
つまり、人間は偏見から逃れ得ないということなんですが、どうもこのことを自覚しないでいる人が多いような気がします。
というのも、「偏見を持ってはならない」という主張をする人が余りにも多いと感じるから。
例えば、NHKは偏向しているとよく言われます。
勿論、国民の税金で運営されているNHKですから、かたよりがあってはならないとは思いますが、かといって神の立場には立ち得ないのですから、所詮NHKといえども偏向はまぬかれ得ません。
(私個人の意見としては、NHKには日本国の国益を守るとか日本の主張を内外に宣伝するといった「かたより」を持つべきだと思いますけど。)
その批判の根底には、「不偏不党でなければいけない」とか「偏見はいけない」とかあるわけですけど、これって
「人は、かたよりみるもの」という現実を理解していないとしか思えないのです。
逆説的ではありますが、下記引用のとおり
山本七平は「『偏見をもっていない』と主張する人こそ、最大の偏見をもっている」と述べています。
(~前略~)
ただ違う点があるとすれば、ヘブライ人やギリシャ人は、人間とは元来そういうものであるという前提に立って、何とかこれを克服する方法を発見しようとした、という点にあるであろう。
彼らは「偏見をもってはいけません」と「公正中立純客観的立場」の人がいい、「ハイ、わかりました。以後もちません」と人びとがいえばすべてがすむといったような「論説委員」的偏見はもっていなかった。
これこそ、人間なるものへの最大の偏見であろう。
従って「偏見をもっていない」と主張する人こそ、最大の偏見をもっているはずである。すべての人には偏見があり、すべての人には先入観があり、すべての人には誤認がある。
(~後略~)
【引用元:ある異常体験者の偏見/一億人の偏見/P272~】
余談ですが、ここでちょっと思い出すのが、朝日新聞の綱領です。
一、不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す。
【参照先URL】朝日新聞綱領
朝日新聞は、自らが神の立場に立ったつもりでいるのでしょう。マスコミの傲慢さが良く現れているような気がします。
それはさておき、偏見から逃れられない以上、「選択的良心の発動」ということからも逃れ得ない、と思うのです。
そうだとしたら、どのように対処すればいいのか。
まず、第一に
山本七平のいうとおり、「事実を究明し、それを記録に残し、『時間という名の法廷』に提訴する」というやり方を採る必要があるでしょう。
ただ、「事実を究明する」という一点においても、人にはかたよりがありますから、「事実の認定」ひとつをとっても難しいのが現状です。
そこで問題になるのが、
「選択的良心」の傾向が強い人ほど、平気で「事実の認定」を歪める傾向が強いということです。
政治的立場で「事実の認定」を歪めることを、ロマン・ロランは”最大の不正”としましたが、このことを大したことではないと思っている人が実に多いのです。
「事実の認定」を政治的立場で歪めれば、歪めない人びとを「嘘つき」にしなければなりません。
私の偏見で一例を挙げれば、反歴史修正主義者の方たちなどは、そうした状況に陥っているとしか思えないのですが…。
ただ、いわゆるネットウヨクによく見られる「日本はまったく悪くなかった」という実に一面的な歴史観も、日本が起こした「いまわしい事件」を隠蔽するものと捉えられ、そのことが反歴史修正主義者の反発を招いていることも否めません。
こうした状況を打開するには、やはり、
思想信条に関わらず「事実は事実だ」と言えるかどうか…に掛かっていると思います。
自分が選択的良心の持ち主であることを自覚し、目を背けたくなる事実であっても事実だと認める姿勢を持ち続けること。
そして、自分の見解に対立する者の口を封じたり、無視しないこと。
このことも実に重要な点でしょう。
以上のことから、気をつけねばならないポイントを簡単にまとめますと、次のことになるかと。
・「事実の認定」を政治的立場で歪めない。
・人は偏見から逃れられないこと、また、選択的良心の持ち主であることを自覚する。
・都合の悪い事実を隠蔽しない。
・対立する意見を封じたり無視しない。
これらが出来ないと、いつまでたっても日本版「
カハン報告」というものは出来ないのかも…。
最後になりますが、今後、我々の日本が、選択的良心の発動の対象になりかねない…そうした懸念をもっと抱く必要があるような気がしてなりません。
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産経新聞が運営するizaには、【
コラム断】というコーナーがあって、色んな先生がコラムを寄稿しているんですが、私にとってその中で参考になるのは、評論家の
呉智英氏のコラムでしょうか。
そんな
呉智英氏のコラムから、今回、
朝日新聞が報じた
麻生首相の
大東亜戦争発言について取り上げていましたので、以下引用します。
■【コラム・断】「大東亜戦争」名称肯定論
十月一日の朝日新聞が「『大東亜戦争』首相が表現」と報じている。
前日、首相官邸で記者団と談話の際、麻生首相が先の大戦を「大東亜戦争」と表現したというのだ。
記事中、言葉の解説として「『大東亜戦争』は当時の政府が決めた正式名称だが、戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が公文書での使用を禁止」とあるほかはほとんど事実報道だけで、論評にあたる文章がないのが興味深い。
悪意にとれば、首相の失言を取り上げてみたものの、よく考えると別に失言ではないので中途半端な記事に終わったとなろう。
善意にとれば、首相の発言を機に「大東亜戦争」禁圧の経緯を読者に啓蒙(けいもう)しようとする苦心の記事だと言えよう。私は善意に解釈したい。
終戦後の一時期GHQ(実質、米軍)は原爆被害の報道も禁圧。「大東亜戦争」はその言論弾圧の一環として使用が禁止された。
言論の自由を叫び、反米の姿勢の強い左翼・革新人士が米軍のこの言論弾圧の共犯者であることに彼らの不誠実と無知が表れている。
大東亜戦争を「大東亜戦争」と呼ぶことは、その評価とは別だ。
他でも書いたが、私は全共闘の学生だった頃、ベ平連の指導者小田実の著作で、大東亜戦争には欧米列強からのアジア解放戦争の一面があったことを教えられた。
同時に、この戦争が理念とは裏腹に内外民衆に多大な惨禍をもたらしたとの認識も揺るがない。かかる矛盾した戦争の性格は「大東亜戦争」の名称であってこそ読み取れる。
歴史の隠蔽(いんぺい)と偽造に加担してはならない。(評論家 呉智英)
【朝日新聞元記事URL↓】
・麻生首相、「大東亜戦争」と表現 戦争観問われ
戦後ずーっと
朝日新聞は、
GHQの宣撫機関だったわけですが、今回の報道を見てもその片鱗をハッキリと窺うことができますね。
「大東亜戦争」禁圧の経緯を読者に啓蒙しようとする苦心の記事……なんて
呉智英先生もなかなか皮肉屋なようで。
こういう報道にお目にかかると、
山本七平が”宣撫”の基本原則に、
「深く考えさせないこと」と
「直接的情報を受けさせないこと」を挙げていたことを思い出します。
今回の記事においても、
朝日新聞の言いたいことというのは「
GHQが禁止した」からその前で思考を停止せよ、ということでしょう。
そして、その「
GHQの命令」に従わない
麻生首相は、”問題だ”といいたいのでしょうけれど、これだけネットが普及すると昔のようには宣撫できないでしょうね。
そういう意味では、インターネットの普及というのは、「直接的情報を受けさせないこと」を不可能にし、「深く考えさせること」を可能にしたという意味で、マスコミ権力を脅かすものに他なりませんナ。
既存のメディアが、ネットを敵視するのもうなずけますね。
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