【ボット(bot)とは】
Twitter の機能を使って作られた、機械による自動発言システム。語源はロボットから来ている。特定の時間に自動ツイートする bot、ユーザーの bot 宛の発言にリプライする bot、特定のキーワードに反応する bot 等、様々な bot が存在する。
※ちなみに、私はこちら↓のサービスを利用して作りました。ずぶの素人の私でも作ることが出来ました
ただ、自動的にツイートするだけで、上記説明のようにリプライや特定ワードに反応とかする機能は良く判らないので設定していません(汗)
■twittbot - 簡単にbotを作成
帝王学―「貞観政要」の読み方 (文春文庫)
(1990/09)
山本 七平
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■敵国外患なき者は、国恒(つね)に亡ぶ
確かに、どんな細かいことでも、すべて自分で判断して自分で決裁していたら、身心とも疲れはててノイローゼになってしまう。
そこで権限の委譲は当然なのだが、さてそうなると今度は「めくら判」を押すにすぎないという状態になりかねない。
人間だれでも安楽な方がよく、いつの間にか、上も下も、安楽な「ナア・ナア」になっていくからである。
そうなると二つの問題が生ずるが、まず第一の問題からはじめよう。
「貞観十五年、太宗、侍臣に謂いて曰く、天下を守ることを難きや易きや、と」(君道第一第五章)。
これに対して魏徴は「甚だ難し」と答えた。
太宗がさらに、「賢者・能者に権限を委譲して政務を行わせ、部下の厳しい忠告を聞きいれればよいのではないか」というと、魏徴は次のように言った。
「昔からの帝王を見ますと、困難な時、危機の時には賢者を任用し、部下の忠告も受け入れるものです。
しかし安楽な状態になりますと、必ず『寛怠(かんたい)を欲す』すなわち、気がゆるんで楽をしたいと思うものです。
安楽な状態に依りたのんでこの『寛怠を欲す』になりますと、直言がうるさくなりますので、臣下もついつい恐れて何も言わなくなります。
そうなると、日に月に徐々にすべてが頽勢に向かって行きまして、ついに危亡に至ります。
聖人の『安きに居りて危きを思う』理由はまさにこのためです。
安らかにして、しかも常に警戒する。
これは実に困難だと言わざるを得ません。」
『孟子』に有名な「敵国外患なき者は、国恒(つね)に亡ぶ」という言葉がある。
一見矛盾するようだが、これを「競争なき独占は恒(つね)に滅ぶ」と読むと面白い。
いずれにせよ、こうなると部下は恐れて直言しないという「情報遮断」が起こるが、同時に、部下同士も、なるべく論争などにならず、なるべく内部の意見の対立などないようにして、一応、表面はすべてうまく行っているように取りつくろうという状態を現出する。
そうなると、現実に何か進行しているのか、だれにもわからなくなる。
いつものように出社したら、会社が倒産していた、などという、あリ得ないようなことが現に起こっている。
このような状態を招来するのが、第二の問題である。
■上下雷同は危険だ
「貞観元年、上、黄門侍部王珪に謂いて曰く……」(政体第二・第二章)にはじまるこの章が、この問題を取り上げている。
当時の中国では「尚書」という省があり、これが大体、国務院ないしは内閣に相当して宰相が執務し、「中書」が詔勅の起草などを行っていた。
これと並んで「門下」という省があり、中書で起草した詔勅の審議と発布、臣下の上書などを司り、また天子に諌言するのもここの仕事であった。
【参照:唐の統治機構「三省六部」の図↓】
ところが「中書省の出す詔勅が甚だしく意見が同じでないものがある。
あるものは錯誤・失策であるのに自らこれを是とし、間違った考えを基に互いに修正している。
中書・門下の両省を置いたのは、過誤を防ぐのが目的のはずである。
人の意見は、一致しないのが普通である。
そこでその是非を互いに論じ合うのは、本来、公事のためのはずである。
ところがある者は自分の足らない所を隠し、その誤りを聞くのを嫌い、自分の意見に対してその是非を論ずる者があれば自分を恨んでいると思う。
これに対してある者は恨まれて私的な不和を生ずることを避け、また『相惜顔面』すなわち互いに相手の面子を潰しては気の毒だと思って、明らかに非であると知っても正さず、そのまま実施に移す者がいる。
一役人の小さな感情を害することをいやがって、たちまち万民の弊害を招く。
これこそ、まさに亡国の政治である」と。
『貞観政要』の中にはさまざまの学ぶべき点があるが、何やら日本の欠点を指摘されているような気持になるのがこの部分である。
前に塩野七生氏と「コンスタンチノープルの陥落」について対談したとき、その国を興隆に導いた要因が裏目に出ると、それがそのままその国を亡ぼす要因となる、と私か言うと、氏は即座に賛成され、間髪入れず、日本の場合はそれが「和」であろうと指摘された。
確かにわれわれは論争を嫌い、相手の感情や面子を尊重して、「マア、マア」で全体の和を保とうとする。
そして、これが実に能率的だということは「論争が国技である」イスラエルに行くとつくづく感じて、「国の破産状態をよそに、論争ばかりしているから、何一つてきぱきと解決できないのだ」という気がする。
彼らもそれに気づいているらしく、もちろん冗談だが「日本の大蔵省と通産省をそっくり輸入し、和を第一としたら……」などと言う。
確かにそう言える面があるが、塩野氏の指摘通り、「和」には恐ろしい一面がある。
太宗はつづける。
「隋の時代の内外の役人たちは、態度をはっきりさせず、どっちつかずの状態にいたために、亡国の大乱を招いてしまった。
多くの人は、この問題の重大さに深く思いを致すことはなかった。
そうしていれば、どんな禍いが来ても自分の身には及ばないと思い、表面的には『はい、はい』と従って陰で悪口を言い合いながら、それを憂慮すべきこととは思わなかった。
後に大乱が一気に起こり、家も国も滅びる時になって、わずかに逃げのびることが出来た者も、また刑罰・殺戮にあわなかった者も、みな艱難辛苦の末やっと逃れたのであり、その上、当時の人からひどく非難・排斥される結果になったのである。
そこで諸官は私心・私的感情を除き去って公のためにつくし、堅く正道を守り、腹蔵なく善いと思う意見を述べ、絶対に、『上下雷同』すなわち上と下が付和雷同するようなことがあってはならない」と。
■「和」によって亡ぶ
前に記した「玄武門の変(wiki参照)」のときの太宗と部下との関係を見ると、みな実にずけずけと意見を述べている。
危機のときはそうなっても、安楽な平和がつづくとついつい、「なるべく衝突は避けよう、どちらにしろ大した問題じゃない」という気になってしまう。
危機の特は、だれでも、判断を誤れば直接身に危険が及ぶという気になるから、必死になって意見をいう。
だが平和なときは、不知不識のうちに「これでオレの命が危なくなるわけでもないし……」が前提になっている。
だが、部下が激論してはじめて問題の焦点が明らかになるわけで、そのような「和」ですべてが表面的には丸くおさまっていれば、太宗にも何もわからなくなる。
隋はそのようにして一歩一歩と破滅へ進んでいった。
そして最終的には、小さな摩擦を避けて、これが安全と思っている者が、ひどい目にあった。
これへの太宗の批評を見ると、私は日本の軍部のことを思い出す。
「軍部内の和を乱すまい」――不思議なことに、国の存亡がかかわるという状態になっても、このことが優先している。
塩野氏の指摘された「和によって亡ぶ」は必ずしも未来のことでなく、過去にすでに経験ずみなのである。
軍部内にも、合理的な意見があったのは事実である。
たとえば多田駿参謀次長の「無条件撤兵論」などがそれで、中国から無条件で撤兵しても、相手は海軍がないから追撃はされず、日本の国益は何一つ損ずることがない。
目的の明らかでない作戦を四年も継続し、いつ終わるか見当もつかず、何のためにやっているのか政治的目的もはっきりしないといった状態は、自らこれを打ち切ろうと思えばできるのである。
それができない。
軍の面子にかけての反対が出るにきまっているし、そうなれば激論になって「和」は保てない。
東京裁判の東條被告の副弁護人であった松下正寿氏は、「それでは部下がおさまりません」が、日米開戦の理由であった旨、述べているが、これもまた「軍部内の和が保てません」で、まさに「上下雷同」なのである。
さらに、海軍は内心では開戦に反対なのだが、「陸海軍の和」と、マスコミと一部政治家が醸成した「上下雷同」に押され、絶対に「反対」とはいわず、「総理一任」という形で逃げている。
いわばあらゆる面における「相惜顔面・上下雷同に基づく和」を崩すまいとし、衝突がないからそれが一番安全と思い、それによって破滅する。
その結果国民は苦しみ、責任者はみな、隋の遺臣を評した太宗の言葉通りの運命に陥っている。
危急存亡の時になってもこうだったということを頭におくと、日本は将来「和によって亡ぶ」という塩野氏の言葉は、一種の不気味さをもっている。
これは企業でも同じで、坪内氏が再建に乗り出す前の佐世保重工を見ると、「経営者と組合の和」が絶対化され、これまた「上下雷同」で、厳しい言葉を口にする者はだれもいない。
まさに「相惜顔面」だが、そうやっていても、自分の身に禍いが振りかかると思っていない。
そして進駐軍が進駐して来てはじめて目が覚める。
(後略~)
【引用元:帝王学「貞観政要」の読み方/「十思」「九徳」身につけるべき心得/P64~】
帝王学―「貞観政要」の読み方 (文春文庫)
(1990/09)
山本 七平
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◆はしがき
「帝王学」
そんなものは現代には関係ない、『貞観政要』そんな本は聞いたこともない、と人はいうかも知れない。
だが見方を変えれば、現代に最も必要なものは「帝王学」かも知れない。
というのは、昔は権力・権限が一人に集中していたから、その一人がこれを学べばよかった。
だが、民主主義は権力を分散する。
権力の分散は、権力の集中より安全であろうが、これは、裏返しに見れば、数多くの小帝王を生じうるということである。
それだけでない。
複雑な現代社会は、あらゆる所に「生殺与奪」の権を握る公的ないしは私的な権力をもつ小帝王を生じうる。
人事権、許認可権、それにまつわる賄賂や情実、それらが新聞記事などになると、私はときどき、「ウーム、こういう人のもつ権力は、行使しうる範囲が昔の帝王より挟いというだけで、その権力の強さは昔の帝王以上かも知れないな」と思わざるを得ない。
だが同じことは、経営者にもいえるし管理職にもいえる。
それらの権力は、時にはある一家族を他の果てに追放し、ある人間を自殺に追い込むほど強力である。
だが、現代で最も大きな権力を握っているのは「大衆」かも知れない。
この点、西部邁氏の『大衆への反逆』は示唆に富む面白い著作だが、「大衆=帝王」にうっかり反逆したら、たちまち抹殺されてしまうであろう。
だが、これは大衆が愚かだと言うことではない。
本書にあるように「嗜欲喜怒の情は、賢愚皆同じ」であり、一人ひとりを見れば、大衆こそ賢者なのかも知れない。
しかし、いかなる賢者も権力をもてばおかしくなり「三年でバカになる」という諺もある。
さらにこまったことに、「大衆」という権力は常に責任を負わないですむ。
そして、責任を負わないですむことは、自制心の喪失になり、これが最もよく現われるのが群集心理である。
たとえば、見ず知らずの他人の車に、理由もなく、火をつけてひっくりかえせ、などと言われても個人の責任ある行為としてこれをなし得る者はいない。
だが群集はいとも簡単にこれを行ない、それを自己の責任とも思わず、被害者のことも考えない。
その大衆が権力を握り、「大衆=帝王」となったらどうなるか。
それは人類史上最大の暴君かも知れず、これは現代が抱えている最もむずかしい問題かも知れぬ。
権力の周辺には、必ず「阿諛追従の徒」が集まる。
これが、本書に出てくる「六邪」である。
失脚した政治家、経営者、高級管理職などを見ると、必ず「六邪」という「取りまき」がおり、そのため「十思・九徳」を失い、「兼聴」でなく「偏信」となり、「終わりを全うできない十ヵ条」をそのまま行なっている。
こういう点では、人間も社会も、まことに昔と変わらないものだと思わざるを得ない。
「六邪」は権力を握れば必ず出現するのだから、「大衆=帝王」が出現すれば、「マスコミ」という名の「六邪」が出現しても不思議ではない。
そして「六邪」の言葉は常に耳に楽しく、潜在的願望をくすぐり、それに耳を傾けていれば破滅だとわかっていても、ついそれだけに耳を傾け、「偏信」となり「兼聴」を失う。
そして失脚する。
では、「六正・六邪」をどうやって見分けるか。
これは情報の選択、社員の採用、抜擢等における最も重要な「基準」だが、これをペーパー・テストで計ることはできない。
中国もペーパー・テストの国だったから、この点には大変に苦労したらしいが、本書に記されているように、「六正・六邪」にもやはり判定の基準はあるのであって、それをわれわれが忘れているだけである。
さらに、平和な「守成の時代」に、どのようにしたら組織を活性化できるかという問題もある。
組織が同じなら、同じように機能するなどということは決していえない。
人びとが「相惜顔面」すなわち互いに面子を立て、相手の感情を害すまいとすれば、問題は見えなくなり機能を失う。
それを上がそのまま承認すれば、「上下雷同」となる。
だが、こういう状態はその組織内にどっぷりつかっていると、何の衝突も生じないから、逆に安全な状態のような錯覚になる。
だがそれは、組織が現実から遊離して全く機能しなくなり、いずれは崩壊するということにすぎない。
それをどうやって防ぐか、こういう問題も論じられている。
本書を読んでいけば、いま話題になっているすべての問題は、すでに論じつくされていると言っても過言ではない。
~中略~
では、『貞観政要』とはどのような本なのか。
~中略~
この本は実に、平安時代から一貫して、日本人の「帝王学」というより「リーダー学」の教科書であった。
日本は中国と違って、鎌倉時代以降は、権力分散の時代であったから、さまざまなリーダーが、本書によって、リーダーはいかにあるべきか、どのようにしなければ終わりを全うできないかを学んだわけである。
おそらく日本で、最も長く読みつがれて来た本であろう。
だが、本書もまた戦後に消え、今では『貞観政要』という書名を知る人もほとんどいないようになった。
~中略~
私が『貞観政要』を読んだのはもうずいぶん昔のことで、さらにそれは、今回利用させていただいた原田種成博士の校訂本文(一章参照)のような、立派な版本ではなかった。
それでも、「草創(創業)と守文(守成)といずれが難き」とか「六正・六邪」「相惜顔面」「上下雷同」などは、自己の戦争体験との関連で、強く印象に残っていた。
今回、読みかえしてみて、私自身、忘れたようでいて、実は、ずいぶん深く本書の影響を受けていたと思わざるを得なかった。
本書を傍らに置くことは、常に、遠慮なく厳しく注意してくれる人を傍らに置くようなものである。
何となく皆が、周囲にさからうことや、マスコミに叩かれそうなことは言わなくなった現代は、まさに「相惜顔面」の時代かも知れぬ。
こういう時代こそ、諌言・直言・苦言を傍らに置くことは、各人にとって、特に権力・権限のあるものにとって、必要不可欠のことであろう――特に、終わりを全うするために。
~中略~
◆いま、なぜ『貞観政要』なのか
■権力者の落とし穴
「守文」とは、簡単にいえば、「組織ができてしまった」状態である。
当然に、上はさまざまな権限をもち、時には下の運命を左右する権力をもちうる。
これはトップだけでなく、一部門の担当者でもいえる。
そして、ある人間をどこかへ「とばす」こともできれば「引きあげる」こともできる。
組織である以上、一定の権限をもつことは必要不可欠だが、しばしばこれがプラス・マイナスさまざまに作用する。
「今は自由主義・民主主義だから、そうはいえないな。昔の中国の帝王なら別だろうが……」といった錯覚をもっている人は意外に多い。
だが独裁者とは、近代になってはじめて出て来たことを忘れてはなるまい。
伝統的社会の帝王は決して無限の権力を振るい得なかった。
たとえば『旧約聖書』に記されたイスラエルでは、王とは神との契約に基づいて王なのだから、その契約の内容である「律法」をおかすことができず、もしも犯したら、預言者に糾弾された。
これは有名なダビデ王でも同じで、預言者ナタンに糾弾され、荒布をまとい、灰の中に座し、断食して悔い改めねばならなかった。
中国では、皇帝は「徳」があるゆえに天命によって皇帝になったのだから、「聖人」と呼ばれる。
朱子は『近思録』で、聖人(孔子)に学んで聖人の通りにすればだれでも聖人になれると言っており、従って皇帝は、聖人(孔子)に学んで定められた通りに行わねばならない。
それをしないと、諌臣が遠慮なく皇帝に諌言する。
預言者のかわりに、諌議大夫などというそれが専門の職がある。
こういう点から見ると、今の社長や大学の医学部教授の方が「独裁者的傾向」が強く、「こりゃ、諌議大夫が必要だな」と思われる社長も教授もいる。
そういう人は新聞に話題を提供して失脚し、「守文」に失敗しているが、こういう点では、自由主義の時代の方が、昔以上に無規範なリーダーがいるし、また無規範な社員もいるのである。
といっても昔が決して理想的だったのではなく、神との契約が絶対なはずの同じ『旧約聖書』の「伝道の書」に次のような言葉がある。
「貧しくて賢いわらべは、老いて愚かで、もはや、諌めをいれることを知らない王にまさる。たとい、その王が獄屋から出て王位についた者でも、また自分の国に貧しく生まれて王位についた者でも、同じである」と。
困ったことに権力はしばしば人を、わきまえのない子供以下にし、善悪の判断さえつかなくしてしまう。
通俗史家ウェルズは、ネロやカリグラのような史上有名な暴君は、一見まことに異常人間のように見えるが、絶対的権力を握ればだれでもそうなりうると述べている。
「権力を握れば三年でバカになる」という言葉があるが、まさにその通り、むしろそれが普通であって、これは中国の代表的暴君、殷の紂王や隋の煬帝でも同じことであろう。
ということは、われわれもそうなりうるということである。
問題は、この「なりうる」という自覚をもって、自らを制御すること、同時に魏徴のような諌議大夫を置いて、その人の言葉に謙虚に耳を傾けうるか否かにあると言ってよい。
■危険な「阿諛追従の徒」
こういえば、あるいは人は言うかも知れない。
「それは昔の話であって、今ではそんな権力をもっている人間はいないから、今日のわれわれには関係ない。確かに政治家や社長や医学部教授などには、絶対的権力を握っている人もいるだろう。だが多くの人はそうでない。第一、どんな小さな部門に対しても私は権力などもっていない」と。
だが、そう簡単に片付けるわけにはいかない。
社会が複雑になると、まず、さまざまな部門に小権力を生ずる。
そして権力とはいずれの場合もまことに魔物であって、昔の帝王以上にその人を「貧しくて賢いわらべ」以下にしてしまい、是非善悪の判断がつかなくしてしまう。
預言者もいなければ、諌議大夫もいないから、人事権という権力を握れば医大の教授が五百万円を受け取ったり、気に入らなければどこかへ飛ばしたりする。
また許認可権という権力もある。
新聞に「新薬の許認可にからみ製薬メーカーの生殺与奪の強権を握っている」と記されていた中央薬事審議会の汚職もある。
また、被告と情を通じようとした裁判官もいる。
いやこういう例を日々の新聞でひろって行けば際限ないほどで、まことに近代社会とは、あらゆる所に「権力」を生ずる組織だなと思わざるを得ない。
確かに、権力が一人に集中しているより分散している方が安全だが、これは「権力」という魔物のとりこになる人が、それだけ多いということである。
そういう位置にいる人は、まず「諌議大夫」を雇ったつもりで本書を読む必要がある。
もちろん中国にも常に魏徴がいたわけでなく、暴君の例は多いが、『貞観政要』その他に反面教師として登場する例もあるから、それにゆずろう。
だが、いずれにせよそれらは、ことごとく「守文」に失敗していると言ってよい。
というのは、前述のように創業時代は、大変だといってもその大変さは陽性であり、成果は目に見えるし、また「乱世だから、創業だから、ある程度のことは仕方あるまい。何しろあの能力はかけがえがないから」ということにもなりうる。
太宗にも創業時代にはそれがある。
だが、「守文」となると、陰性で「シンドイ」大変さだから、上であれ、下であれ、無規範な横暴さは耐えがたいものとなる。
と同時に、権力の固定は必ず「阿諛追従の徒」とはいえないまでも、「イエス・マン」を生じ、陰性の横暴な権力を振るう。
それが取り巻きになると、ますます無規範がひどくなり、同時に「情報遮断」を生ずる。
個人の破滅、事業の失敗、一国の破滅はまずこのあたりからはじまる。
だが、現在では諌議大夫が直言してくれない。
そこで、われわれはそうならないため、「書物の諌議大夫」の言葉を聞くことが必要であろう。
■「民」が「主」の時代
だが、「自分はそういった一切の権限に無関係で、小権力さえもっていないから関係ない」という人がいるかも知れない。
だが、そういう人は、今が民主主義の時代であることを忘れている。
「君」「主」はいうまでもなく「君」に権力が集中して絶対権があり、そこで諌議大夫がしっかりしていないと「民」が被害をうける。
この歴史は長いから、何となく図式化されて固定観念となっているが、民主主義とは「民」が「主」の時代であり、オルテガ・イ・ガセットに従えば、大衆が権力をもつ時代である。
こうなると「主」がもつ問題点を「民=大衆」がもつということになる。
それは各人が自覚せずに、実に強力な一種の権力をもつ結果となる。
そして、自覚なき権力がもっとも恐ろしい。
もっとも「主権を行使できるのは四年に一度だけ」、いわば選挙のときだけだと言う人がいるかも知れない。
だが、四年ごとに「国権の最高機関」のある人を罷免し、ある人を任命するというのは大変な権限であり、こういう強権を自由に行使し得た君主は必ずしも多くはないし、それぞれの機関でこれだけの権限を行使している人も決して多くはない。
ということは、この権力に対して当然に「阿諛追従」が起こり、民衆の耳ざわりにならないことだけをいって、真の情報を遮断してしまう者が、いわば民衆の「佞臣」ともいうべきものが発生する。
そして、それは発生して当然なのである。
こうなると今後は「民」が、「老いて愚かで、もはや、諌めをいれることを知らない王」になってしまい、「賢いわらべ」に劣る状態、いわば子供にもわかることがわからない存在になってしまう。
「貞観の初、太宗、侍臣に謂いて曰く、君たるの道は、必ずすべからく先ず百姓(人民)に存すべし。もし百姓を損じてその身に奉ぜば、猶お脛(はぎ)を割きて以て腹に啖わずか如し。腹飽きて、身斃る」と。
これは『貞観政要』の「君道第一・第一章」の冒頭の章の言葉だが、確かに、君主が苛斂誅求で人民を苦しめて疲弊さすことは、自分の足の肉を食って満腹するような状態であり、満腹したときに「身斃る」となって不思議ではない。
「スネをかじる」という言葉はこれから生じたのかも知れないが、親のスネならともかく、自分のスネをかじればどうなるか。
もちろん「身斃る」だが、そうならないためにどうするか、という問題は、実に、民主主義の時代になっても変わらないだけでなく、さらにむずかしい問題となる。
というのは、前記の場合は、「民」が「君」を倒せば問題は一応解決する。
だが、「民=大衆」が「王」である社会は、民がそれぞれ自らの「脛を割きて以て腹に啖わすが如し」といった現象を呈する。
そうなると、一国が破産し破滅することがわかっているのに、煬帝のような浪費をする。
これは、敵が自分の中にいるような一種の自殺行為だから、何かを倒すことでは解決できない。
いわば、国民全部が「明君」になるよう自らを正す以外にないわけだが、しかし、直言して諌める者もない。
言論はすべて商品化するから、もしいればこれを黙殺するか、遠ざけるか、沈黙さすかすればよい。
だがそうなると、やがて自分か斃れる。
理屈ではそれがわかっているが、やめられない。
だが、これは暴君も同じだったらしい。
後述するように、煬帝にはそれがわかっていたし、ネロやカリグラにも予感があった。
だがやめられない。
これも、また権力の魔力であろう。
こう見ていくと、全く同じことが「民」という「主」に生じて、同じ運命をたどっても少しも不思議ではないのである。
というのは、ウェルズのいうように、ネロやカリグラは別に異常な人間でなく、権力という魔力のとりこになれば、だれでもそうなる可能性があるからである。
ということは、「民=大衆」が「主」の時代には「民」がそうなる可能性があり、こんなことしていればいずれは破滅だとわかっていても、「脛(はぎ)を割きて以て腹に啖わすが如し」がやめられない。
日本国が破産するのではないかという危惧を感じつつも、あらゆる要求をして一歩もゆずらないという結果にもなる。
さらに、そこに「阿諛追従」の「佞臣」ともいうべきマスコミが民衆にゴマをすると救いがたい状態になる。
「佞臣」は必ず「断固おやりなさい」とすすめても、諌議大夫のように、死を賭してもそれを思いとどまらせることはしないからである。
■書物としての諌議大夫
民主主義の破産は、民の無制限の要求にはじまることは、プラトンの指導下のディオンの民主主義革命が失敗して以来、常に起こってきたことである。
そして「君主」は一人だが、民は全員であるだけに、こうなるとまことに始末が悪い。
それを克服する道は、「民主主義とは、民衆の一人一人が君主なのだ」という自覚をもつ以外にないということである。
その一人一人が、明君にもなりうれば暗君にも暴君にもなりうる。
そう考えれば、民主主義の「守成」とは、一人一人に、諌議大夫が必要だということになる。
それが不可能なら、「書物としての諌議大夫」の言葉を続行以外に方法がないであろう。
その意味で『貞観政要』は、少なくとも現在では、国民の一人一人に無関係の書とはいえないのである。
こういう点で、『貞観政要』はさまざまな示唆を与えてくれる。
それは主権者である国民の一人一人にも、政治家にも、また社長にも、さらにさまざまな権限をもつ者にも、もし今の状態すなわち「民主主義」と「経済的繁栄」を維持しようと思うなら、何をすべきか、また何をしてならないかの、基本的な心構えを知らせてくれるのである。
【引用元:帝王学「貞観政要」の読み方/はしがき・いま、なぜ『貞観政要』なのか/P3~】
私の中の日本軍 (下) (文春文庫 (306‐2))
(1983/05)
山本 七平
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(~前略)
前述のように私は、こういった配慮が非常に少なく、何でもズバズバ言い、何でも徹底的に聞きただし、納得しない限りおさまらない人間と思われていたらしい。
だが、それはただそう見えるだけで、いざとなればその行き方はみなと同じであった。
本当にそういう人間だったら、あらゆる場合にもっと合理的に行動したはずである――自分の行動が合理的であったと思えたことは、ただ一度しかない。
そして「遺族たちにはあまり語りたくない」といわれれば、「事実は事実だ」といってこれをつっぱねることは、私には到底できないのである。
昭和二十二年一月二日、佐世保の近くの南風崎から復員列車に乗る直前であった。
どこかで見覚えのある一人の男が私の前に立った。そしていきなり「少尉殿」と言った。
私は驚いてその男を見た。
戦争が終ってもう二年目、少尉殿などといわれれば、言われた方が驚くのが当然である。
その男は私に「S軍曹殿の遺族のところに立寄ってから東京に帰るつもりか」ときいた。
私は無愛想にうなずいた。
すると相手はいきなり大声で「行かんで下サレ」と叫ぶと、今にもつかみかかりそうな勢いで私につめよった。
私はあまり激する方ではないのだが、何しろ内地上陸以来、それまですっかり忘れていた寒さに痛めつけられ、その上連日徹夜の復員事務、さらに正月の休みで、どこの部課も責任者は休みであり、当直の人は、無理もないことだが、「正月早々仕事なんか出来るか、まったく変なときに上陸しやがって……」と毒づいてまことに不親切、という情況にもまれて疲労困憊し、すっかり神経が高ぶっていたので、つい言葉が荒くなった。
「ナニィ、そんなことは貴様にとやかく言われる筋合はない。行こうと行くまいとオレの勝手だ」
相手は答えて
「そりゃ勝手じゃろう。
だが行って一体遺族に何を言わっしゃる気だ。
いつもの伝で何もかもズバズバ言わっしゃる気か!
墓ば掘り起こして手ばブッタギッタの足ばタタッキッタ(註)の死んだ人間の女房子供に言わっしゃる気か!」といった。
(註…山本七平は部隊長に命ぜられ、一度土葬した部下のS軍曹を掘り出して、遺骨を日本に持ち帰るため、自らの日本刀で遺体の親指を切断した事を指す)
私はぐっとつまった。
前にもちょっと触れたが、私のいた部隊は東京と九州との混合編成であり、第一中隊が九州で、S軍曹はこの第一中隊と共に私たちより先に比島に来ていた。
彼は、温厚・篤実、すべて的確で沈着、思慮深くて機敏で壮健、社会のどの部門に行っても、またどんなに世の中が変っても、必ずリーダーになる資質を備えていた。
それでいて一面非常なはにかみ屋だった。
彼は兵技下士官だったので、編成完了と同時に自動的に本部付となったが、第一中隊の人事係准尉が「兵技でなきゃ絶対に手ばなさん」と何度も何度も私に言い、また第一中隊の兵士が何かの用事で本部に来たときは必ず彼のところに挨拶に来るほど、上にも下にも人望があった。
そしていま私の目の前に立っている男は、その第一中隊の兵士であった。
従って、私は彼の名を知らず、顔もどこかで見たような気がするなという程度にしかおぼえてなかったわけである。
S軍曹の家は唐津の近くであった。
当時の交通事情からすれば、東京に帰る前に彼の遺族のところに立ちよるのが常識であった。
復員切符は途中下車無制限であったし、またたとえそこがどんな辺鄙なところであろうと、また宿がなかろうと車がなかろうと、食うや食わずの野宿や徒歩行軍を当然と考えて来たわれわれには、それはもとより問題ではなかった。
しかし「……何を言わっしゃる気だ……」と言われたとき、私は不意に虚をつかれたように感じた。
「何をいうか」などということは、全然私の念頭になかったからである。
相手は目ざとくそれを見てとって言葉をつづけた。
彼がくどくどと言ったことを要約すれば次のようなことであったろう。
戦場と内地では全く規範が違う。
つまらぬ情緒的自己満足のため無益に兵士を殺したことが逆に人道的行為のように見え、部下のことを考えて最も的確に処理したことが非人間的冷酷もしくは残酷にさえ見える。
私はあなたとS軍曹が、上官・部下というより親友であったことを知っている。
だからこそ、あなたのことを遺族に誤解させたくない、また遺族を無用に苦しめたり悲しませたりしたくもない。
私が話す、どう話すかは私にまかせてくれ、そして「仏心があるなら」生涯S軍曹の遺族には会わないでくれ、何も言わんでくれ、と言った。
彼の言うことは理解できた。
彼が私に注意したのは、一に私への親切からであった。
私は自分の非礼を詫び、まっすぐ東京へと帰った。
しかしその結果、S軍曹の遺族は、「事実」は何も知らされていないことになった。
そしてこれが全日本的規模で行われたように思われる。
一方、彼の言葉は、私にとっては戦場への決別となった。
そして、戦場そのものへ入ったときにも、同じことを逆の立場で言われたのであった。
それは前にもちょっと触れたが、マニラに上陸してすぐ、一人の兵士が日射病(?)で昏倒し心臓麻痺(?)を起したときであった。
当時は輸送編成で、私は輸送本部付だったが、すっかり慌てて、すぐさま船舶輸送司令部に伝令をとばして野戦病院の場所をきき、倒れた兵士を担送しようとした。
そのとき、本部の先任将校であったS中尉が「山本!ヤメロ、ほっとけ」と言った。
私は驚いてS中尉の顔を見た。
私はかねがねS中尉を尊敬していたので、この非常にきつい一言に一瞬戸惑いを感じた。
彼は私を見て言った。
死んだ兵隊のために動いてはナラン、それをすると、次から次へと部下を殺す。
彼の言ったことは事実であった。
ほかの兵士も同じように、「地獄船」の異称のあったあの輸送船の船倉から出てきたばかりで、しかも乾期の真っ最中のマニラの炎天下にいるのである。
もし倒れた兵士を担架に載せて、四人の兵士にこの炎天下を野戦病院まで担送させたらどうなるか――その四人も次から次へと倒れて心臓麻痺を起すかも知れない。
結局それは、一見、人道的・人間的なように見える処置だが、実は次から次へと部下を殺す残虐行為にすぎないのである。
確かに一般社会なら、「もうだめだ」とわかっても病院にかつぎ込み、万全の処置を講ずるのは当然のことであろう。
そしてそれをしないのは生きている人間をも大切にしていない証拠だといわれても、一言の反論もできないはずである。
路上に死体が放置され、人が冷然とその傍らに立っている社会などというものは、病的な社会に相違あるまい。
しかし一方から見れば、死者を丁重に扱い、あるいは盛大な葬儀をするということは、死者自体には関係なく、生きている人間の情緒的自己満足にすぎないともいえる。
病院にかつぎ込まれようと桟橋に放置されようと、死者自体は何も感じはしない。
従ってこの場合、これを野戦病院へかつぎ込もうとすることは、私の自己満足のための行為にすぎないのである。
もしその自己満足のため無理な担送をやらせ、そのため兵士が倒れたら、それは自己満足のため部下を殺したということにすぎない。
前述のように、その夜はシナ人墓地で野営した。
S中尉は何度も何度も、
「一般社会の常識的規範を戦場にもち込んではならない。
それをすれば、立派な行為のように見えても、結局は部下を殺すだけのことになるのだ」
と私に語りつづけた。
そしてそれがいわば「戦場の入口」であり、すべてが逆転する地点であった。
彼の言うことは理解はできた。
しかし理解できたということは、いざというときにそう行動できたということではない。
いささか自己弁護めくが、われわれは他の民族よりも、情緒的自己満足のために行動し、あるいは行動させる傾向が強いのではないであろうか。
「やるだけはやった。やれることは全部やってやった、心残りはない」という自己満足。
確かにあの兵士を野戦病院にかつぎこめば、たとえそれが出発点においてすでに死体であっても、私は「やれることは全部やってやった」と感じたであろう。
だが、もしその担送のため別の兵士が心臓麻痺で倒れたら、確かに私は自己満足のため部下を殺したとなるであろう。
だが、このことを一般の社会で話したらどうなるであろう。
野戦病院にかつぎ込もうとした私が人道的人間に見え、断固これをとめて放置させたS中尉は、逆に冷酷無情な鬼畜のように見えるであろう。
南風崎で「行かんで下サレ」と私につめよった兵士が、くどくどと言ったことも、煎じつめればこのこと。
すなわち「私が冷酷無情にみえて、遺族が不当に悲しむから」ということであった。
そしてここが「戦場の出口」だった。
「何かのために何かをしてやった」という情緒的自己満足のため人を殺し、それを人道的行為と考える。
これは「岡本公三(wiki参照)の論理」であり、同時に「死者を担送する論理」だが、この論理は実に根強くわれわれの中に巣くっている。
赤軍派や学生運動のリンチにもこれが見られるだけでなく、NHKの通信員まで、同じ論理で淡水の工場排水の濃度を廃棄物で高め、この中に魚を入れて無理矢理魚を「虐殺」している。
彼のやった「行為」は魚を殺したということだけで、彼はそれ以外に何もしていない。
しかし彼は「環境問題キャンペーン」のためで、「基本的に私のやったことは間違いでない」という。
「公害キャンペーンのため」といって、むりやり「魚を殺して」虚報を発し、それを「間違いでない」とする考え方は「戦意高揚のため」「百人斬り」という虚報を発し、その結果二人の人間を処刑場に送っても平然としていられる考え方と同じであろう。
結局「何かのために何かをしてやった、それは意義あることであった」という自己満足のためには、虚偽でも虚報でも無差別銃撃でもリンチでも魚の虐殺でも、何でもゆるされるという考え方であろう。
本当にゆるされるのか。
これが「ゆるされる」とするあらゆる美辞麗句は、実は、人間が戦争をはじめたり、虐殺を行なったりするときに、必ずロにする言葉なのである。
この場合の「人」と「魚」との差は、普通の人が考えているほど大きくはない。
ヴェトナム戦争でも多くの報道がなされた。
すべてに目を通したわけではないが、私の見た限りでは、そこに共通するものは、書く者と読む者とが共に往む平和な社会における情緒的自己満足は充足させても、前述のように規範の逆転がすべてにのしかかってくるという状態の中で、ひとりひとりの人間がどう行動すべきかという基準を全く考えずに、また、一見人道的に見える情緒的自己満足のための行為が実は最も残酷な行為になるということを全く理解しようともせずに、すべてを知らず知らずのうちに自らの「情緒的自己満足」の充足のため批判しているように見える。
確かに逆転した情況の中で生きた体験がないから、そうなるのは当然のことだ、といわれればその通りであろう。
だが、それならば一方的断定は避けて、そこに何か、自分たちがいま生きている社会とは全く別の「理解しきれない何か」があるのではないか?
自分たちの批判が基準になったらさらに残酷なことになるのではないか?
という疑問は抱いてほしいと思う。
それをよく考えないと、向井・野田両少尉を断罪すると同じような、全く見当はずれの奇妙な断罪を人に加えて、それによってただ情緒的な自己満足に酔いしれて、まるで酔漢がからむように、だれかれかまわず一方的にきめつけるというタイプの人間になり下がってしまうであろう。
先日、曽野綾子氏から『ある神話の背景』をお送りいただいた。
氏はこの中で、沖縄の「伝説的悪人」赤松大尉のことを、あらゆる方法で調査しておられる。
この中に多くの人の「赤松大尉糾弾」の辞が収められている。
確かに彼には糾弾さるべき点はあったであろうし、戦場にいる限り、それはもちろん私にもある。
ただ私にとって非常に奇妙に見えたのは、ある評論家の「糾弾の方向」である。
それはまるで「死体をかついで野戦病院にかけこまないのはもってのほかだ」と言っているように私には思えた。
赤松大尉の副官であったかつての一見習士官が「では一体、私たちはどうすればよかったのですか」と問うている。
それにはだれも答えられない。
そして曽野氏は、この「神話の背景」にあるいま私が要約したような「規範の逆転」を察知しておられる。
戦場を知らない女性でも、「目」のある人が本気で調べれば、それは察知できるのである。
従って、それを知ろうともせず「逆方向の糾弾」をしている者――いわばマニラの埠頭での私の行為を人間的人道的と見、S中尉を冷酷非人間的と糾弾するような批判をしている者――その者は、ただその人が無知無感覚でかつ魯鈍な知的怠惰者であることを、自ら証明しているにすぎないであろう。
「情緒的自己満足のための行為」はそれを聞いた安全地帯の人びとを情緒的に満足させるから、この行為はすぐ「美談」になる。
戦場の美談の裏側は愚行であると言ってよい。
どこの国のどこの戦場であれ、日本国内で美談化されている行為がもしあれば、それはすべて愚行に違いない。
【引用元:私の中の日本軍(下)/S軍曹の親指/P124~】
(以下一部抜粋)
「命が大事」ということは誰だってわかっている。
私もそう思っています。
当たり前の話です。
しかし、それだけではないでしょう、とちょっとでも異を唱える人は誰もいなかった。
責められたくないからでしょう。
私は責められています。
毎日のように「殺人者」などと書かれたメールがいっぱいくる。
これだけ騒がれているにもかかわらず、何ら避難措置などを発令していないから。
しかし、たとえば、他の自治体では、どんどん措置を発令して、その結果として、いま、住民の居住地などを把握することが困難化し、にっちもさっちもいなかなくなっているところもある。
昨日も、福山官房副長官に「非難命令に従わなければ、罰則規制があるか、とたずねたら、「罰則規定はありません」ということだった。
そうなんでしょうね。
当初、累積放射線量は年間100ミリシーベルトまでは大丈夫ということだった。
ましてや、政府は計画的避難地域の導入に合わせて、この地域の累積放射線量の基準値を事故発生から1年間で50ミリシーベルトから20ミリシーベルトに下げました。
この措置は、この村を避難地域に入れたいためだったとしか思えない。
「1年間で20ミリシーベルトを超えるから、この村から出なさい」という理屈を作るため、ということです。
そうなったのは、みなさんがたが政府を責めているからでもある。
みなさんの声が、早く住民を地元に戻すべきである、というように変わるようにと信じています。
(引用終了)
Author:一知半解
「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
日々のツイートを集めた別館「一知半解なれども一筆言上」~半可通のひとり言~↓もよろしゅう。
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