虚報『百人斬り競争』のため処刑された野田少尉の「遺書」を読むと、南京の軍事法廷もこれらと非常に似た雰囲気であったことがわかる。
私はこの雰囲気をある程度知っているだけに、向井・野田両少尉の中国人弁護人隆文元氏には、ただただ感嘆するとともに、全く偉い人もいたものだと思い、一種「まいった」という気になってしまった。
そして「申弁書」と「遺書」を何度も読みかえし、ただただこういう人が本当に勇気のある人なんだなあー、と思い、頭を下げた。
同一所属、同一役柄、同姓といった理由で人を処刑されることは許されるのか、それは正しいことなのか。
私の念頭からは常に「シナ」が離れない――「ちがいます、私は砲兵の山本で憲兵の山本ではありません」「砲兵でも憲兵でもかまわない、絞首台にぶら下げろ」。
チッソ(註)の係長が土下座をさせられている写真を見る。チッソは今では、日本軍である。
(註…日本の化学工業の会社の一つ。戦後の高度成長期に、水俣病を引き起こしたことで世界的に広く知られる。wiki参照)
確かに水俣病の患者は恐るべき被害をうけた人たちである。しかしマニラの市民もおそらく南京の市民も、多分、それよりはるかに恐ろしい被害をうけている。
その係長はかつての私のように加害者集団の同一所属なのだ。「チッソの山本」かも知れぬ。
ではこの「チッソの山本」を土下座さす権利がだれにあるのか、あるというなら「砲兵の山本」を絞首台にぶら下げる権利がだれかにあったのか。あると思う人はあると言っていい。ただ自分がその立場に立たされたとき、逃げてはいけない。
土下座させられているチッソの係長の傍らに立って、見るも痛ましい被害者の方を向き、またその被害者の側に立つという人びとの怒号のただ中にあって、「あなた方は被害者であっても、この人を土下座さす権利はない」といい切る勇気のない人間、顔をそむけ、見て見ないふりをしてその傍らを通りすぎる人間、いやそれどころか、被害者のうしろから大声をあげて正義家ぶっている人間には、この隆文元氏の勇気は、想像することもできないであろう。
そして想像することも出来ないから、氏の「申弁書」を読み、野田少尉の「遺書」を読んでも、だれも何も感じないのであろう。
考えてみられるがよい。その地は南京である。
公開の法廷には黒山のように群衆が集まっている。そのほとんどが自分の親子兄弟を殺された人びとである。その前に向井・野田の二少尉が立つ。
面白半分に『殺人ゲーム』を行い、次々に人を殺して数をきそった男、人びとの目は大久保清や森恒夫を見る群衆の顔よりすごい――なぜなら、彼らはそのようにして自分の親子兄弟が、なぐさみのため殺されたと信じているのだ、日本の新聞が報じたのだから、それは動かすことのできない証拠であって、はじめから「自白」しているに等しい。
その傍らに立って、その二人を弁護するのが、それがどんなに勇気のいることか。
到底、土下座させられたチッソの係長の傍らに立つ比ではない。
それは立場を逆転させて、もし今アメリカ人がこのようなことを日本人にし、その二人が日本の法廷に立たされ、傍聴席がその遺族でうまった場合どうなるか、を想像されればよい――いや、朝日新聞にあの『殺人ゲーム』が報じられたときの、一種の集団ヒステリー的状態を思い浮べられればよい。
そのときですら、二人を弁護できた日本人が一人でもいたか――幸い、いた。
『「南京大虐殺」のまぼろし』の著者鈴木明氏である。
いれば良い。
たとえ一人でもいればそれでいい。
一人いたということと一人もいなかったということは、実は、数の差でなく絶対的な差だからである。従って氏の「大宅賞受賞」は、私には、本当にうれしかった。
マニラのことを思い、南京を連想し、また『殺人ゲーム』報道時のことを思えば、集団ヒステリーの攻撃にさらされたとき、これに対抗することが実に困難なことはわかる。
何しろ剛直なブルータスが逃げ出したのだから――従って軍隊がこれを逆用して、攻撃に使えば、少なくとも瞬間的突撃力においては実に強く、これに対抗することは非常にむずかしいことは、だれにでもわかるであろう。
そしてこれが実に「命令」以上に強い拘束力をもちながら、「一兵に至るまで」自らの意思で突撃しているので、命令されているのではないという錯覚を抱かすのである。
従って全員が「自主的」「自発的」に死地へとびこんでいるような形になるわけである。
そして同じように自主的・自発的に捕虜を殺したり住民を殺害したりした者が、さて戦争が終って「戦犯」となると――そして「だれの命令でやったか」と問われるとどうも何か変で、「だれかに命令された」はずなのだが、実は、だれも「命令は、していない」というまことに奇妙なことになってしまうのである。
何しろ当時はアメリカ人は全部「鬼畜」で、アメリカ兵は「獣兵」で、現地の対米協力者というのはいわば「チッソ」で、親英米派はその「係長」のようなものだから、よってたかって、撲ったり、蹴ったり、土下座させたり、殺したりするのは、あたりまえのこととしている者が圧倒的多数であった。
何しろ戦場では、兵士や下級幹部(率からいうとこれが最大だが)は、双方とも確かに被害者で、バタバタ殺され、手がとび足がとび、頭が変になり、病気になったり餓死したりしている。
従って自分たちは被害者だから、加害者にそれくらいするのはあたりまえだと思っている。だがその瞬間、自分が同じような加害者になっているのに気づかないのである。
この関係は、戦場にいくと非常にはっきりした形で実に明瞭に出てくる。
銃器をもった人間は、自分はあくまでも人間だと思っている。そして銃器をもっている相手は猛獣だと思っている。ところが相手もそう思っている。
すなわち戦場では、お互いに銃器をもち、お互いに、自分は人間で相手は猛獣だと思っているわけである。
「人は人に狼(ホモ・ホミニ・ルプス)」という諺はおそらくこの関係を的確に表わしたものであろう。
だからみなお互いに猛獣に対するような態度で相手に接し自分は人間で相手は猛獣だと思っていても、その瞬間自分も人間でなく猛獣になっているとは思えないわけである。
従って相手を「鬼畜」といったら、そういった者も「鬼畜」になっていると考えてまずまちがいない。
いわば、「鬼畜」「鬼畜」ということによって自分が「鬼畜」になってしまうから、撲ったり、蹴ったり、上下座させたり、殺したりを、いとも平然と正義感にあふれて、堂々とできるようになってしまう。そして「戦犯」となる。「だれの命令か」といわれると、「さて……」ということになるわけであった。
(~次回へ続く~)
【引用元:ある異常体験者の偏見/アントニーの詐術/P91~】
私は、初めてこの記述を読んだ時、自問しました。果たして自分はどの人間だろうか?…と。
(1)「この人を土下座さす権利はない」といい切る勇気のある人間
(2)顔をそむけ、見て見ないふりをしてその傍らを通りすぎる人間
(3)被害者のうしろから大声をあげて正義家ぶっている人間
まず、(1)ではないだろう、と思います(小心者なので)。
いいところで(2)か、下手をすると(3)かもしれない。
そもそも、山本七平を読まなかったら、こういう疑問すら持ちえなかったかもしれません。
そして、仮に(1)のようになれなくても、せめて(2)のようになりたい。
間違っても(3)のように最低な人間にはなりたくない…と思うようになりました。
そう思っていたとしても、第三者からみれば、私など依然として(3)の立場に立っているだろう…と判断されることもあるかもしれない。
ただ、そうした恐れを常に自覚している必要はあると自分に言い聞かせています。
こうした認識を一度持ってみると、如何に(3)のような人間が跋扈しているかを感じ取れるようになりました。個人的な偏見かもしれませんが、特に反歴史修正主義者にその雰囲気を濃厚に感じます。
昔はただ単に正義感を以って、怒りをぶつけていただけの視野の狭い自分でした。
山本七平と出会えた事で、そうした自分の視野が少しは広がった…かな?
まあ、視野を広げてくれた山本七平には感謝してます。
そんな事もあって、私は山本七平をブログで紹介しているわけです。
それはさておき、次回はようやく具体的に「アントニーの原則」のうち、「編集の詐術」について説明が始まります。次回もお楽しみに。
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