そこでは、「事実の提示」と「問いかけ」という技法がキーポイントだったわけですが、なぜキーポイントなのでしょうか?
その理由を記す前に、まず、山本七平自ら体験したフィリピンでの戦犯法廷の事例が、取り上げられていますので、その部分について今回紹介していきます。
私はこの記述を読んで、初めてシェークスピアという人の凄さを知りました。これが非常にはっきり出て来たのが外地の戦犯法廷である。
弁護人はもちろん検察官も裁判官も、傍聴人や検察側の証人を扇動しようという気はない。
ところが、まず「シーザーの死体」に等しい「証拠」がおかれる。起訴状が抑制された声で読まれる。
事実、事実、事実、とつづき、弁護人の問いかけ、検察側の応答、また事実、事実、事実……すると不思議なことに傍聴人も検察側証人もしだいしだいにヒステリー状態になっていく。もっともならない場合もあるが、そのことについては後述する。
やがて証人の尋問がはじまる。
被害者の母親が証人台に立って、娘が強姦され殺されたと証言する。
はじめは彼女も前にいる被告は、同姓異人らしいと思って極力自己を抑制して証言していても、証言しているうちに次々と恐ろしかった情景が浮んてきて、いつのまにか次第にヒステリー状態が高まり、別人らしい被告と加害者の像が二重写しになっていく。
その上さらに事実、事実、問いかけ、事実、事実、問いかけ……と進んでいくと、法廷内は異状な雰囲気となり、その雰囲気が逆に母親のヒステリーを高め、ついに興奮してわけがわからなくなり「この男だーッ」と叫んで指さして気絶すると、検察側証人がいっせいに「これだ」「これだ」「これだー」と叫ぶ。
その瞬間、傍聴人がワッと総立ちになり「ジャップ・ハング、ジャッブ・ハング、ジャッブ・ハング」「パターイ、パターイ、パターイ(殺せ)」と叫び、全員一斉に被告に殺到し、あわやリンチということになりそうになる。
この集団ヒステリーのものすごさは、その憎悪の対象にされたのでなく、単に弁護側の証人として出廷した者にも本当に骨身にこたえるもので、マニラから戦犯容疑者収容所にモンキー・カー(檻つきジープ)で帰されてきた証人たちも、その恐怖がまだ醒めず、魂を抜かれたような顔をしていた。
そういうわけでY大尉は「デス・パイ・ハンギング」と宣告された。
「いや、そのとき私は比島にいなかった」といくら抗弁しても、もうそうなるとだめ。
彼は確か鉄兵団で、十九年の十一月末に比島に来、それまでは満州の孫呉にいた。彼は満州出発の際、一枚のハガキを家に出した。運よくそれが無事に家につき、家は戦災にあわずに残っており、ハガキもあった。それが証拠となって、一転して無罪。
だがすべての人がそのように好運だったわけではない。
それだけでも不幸なことだが、「虚報」のためにそのようにして処刑され、さらに三十年後にまた「虚報」で殺人鬼として足蹴にされては、全く遺族はたまったものではあるまい。
まことに「創作記事」のような話になってしまうが、ポピュラー・ネームが恐ろしかったのである。
山本だの加藤、鈴木、斎藤、中村などというのは、一番危険だった。
「全くなあ、姓のために処刑されるなんてなあー、無事に内地に帰れたら、オレすぐ改姓するよ」。そんなことを本気で言いあっていた。
何しろその国の人にとっては、外国人は、みな似たような顔に見えるらしい。一方軍隊はみんな制服・制帽だから、印象はきわめて似ている。
そして何回も耳にしているポピュラー・ネームだけが記憶に残っている。
すると、自己のうちにある残像に最も適合した同姓の者を処刑してしまうという結果になってしまう――私が『シーザー』を思い出したのはこの時であった。「どうたっていい、名前がシナだ、名前がシナだからやっちまえ……」といった意味のあの台詞。
さらにケンペイはいけなかった。
「アンタは砲兵だから肋かったんだよ、憲兵で山本であってみろ、有無をいわさず、これさ!それにしても、オレなんざわかりゃしない」といって、ある大尉は手の平を自分の喉にあて、すっとこするような手つきをしてつづけた。
「実際なあー、何でもかんでも今では憲兵のセイにしやがってさ。ピリ公(フィリピン人への蔑称)に嫌われたのはいいさ、だがな同じ日本軍じゃねえか、それに同じ収容所にいてよ、オレが通ると顔をそむけやがる。人情紙の如しか! あーあ、それにしてもいつもアンタんとこへ来て愚痴ばっかりいってすまんなあー」という状態だった。
フィリピン人のいう「ケンぺイ」は憲兵より意味が広かった。
これは事実で、私のいたところでも、住民は警備隊のこともケンペイといっていた。いわば治安維持の任務にあたっているものは、みなケンペイだったのである。
理由はおそらく単純なことで、ケイビタイは非常に発音しにくいがケンペイは発音しやすくて、すぐおぼえられるからであろう。
同時にわれわれも、彼らがケンペイと言った場合、それが警備隊のことを言っているのだとわかっていても、わざわざ訂正せず、彼らの言い方にあわせてこちらもケンペイと言っていた。
こういうことは、ほかの場合にも多くあると思うが、いわばフィリピン語のケンペイと日本語の憲兵は、その意味内容に大きな差があったわけてある。
ところが、たとえば普通の歩兵の警備隊の山本が何か犯罪をおかした場合、住民はそれを「ケンペイの山本」といって訴える。
すると全部の罪は自動的に憲兵がかぶってしまう。
山下大将と同時に絞首刑になったのは確かに植田憲兵司令官とアズマダ(東田だったと思う)憲兵隊通訳で、アズマダ通訳は確かフィリピン人との混血であったと思う。
こういう場合、処刑されているのは実は「名前」であって本人ではない……すなわち軍司令官、憲兵司令官、憲兵隊通訳という名前が処刑されるわけだが、この場合、この三つの名前は当時としては実に象徴的である。
特に通訳への反感は非常にあったと思う。これは戦後の「進駐軍通訳」へのある一時期の何か妙な反感のようなものを思いうかべていただけれはある程度推察していただけると思う。
いわば名前とか肩書(これも名前だが)といったものを処刑するという形になるわけだが、これはシナの場合も同じで、群衆の一人は「シナという名をその胸からえぐり出してやる」という言い方をしている。
まさにその通りで何度もくりかえすが、全く天才とは不思議な人である。だが胸をえぐられたり、首をつるされたりしたら、名前でなくて人間が死んでしまう。
(~次回へ続く~)
【引用元:ある異常体験者の偏見/アントニーの詐術/P88~】
恥ずかしながらジュリアス・シーザーという作品を読んだ事が無く、しかも、バーナード=ショウの「人間の欠点ならばあれほど深い理解を示したシェークスピアだったが、ユリウス・カエサルのような人物の偉大さは知らなかった。『リア王』は傑作だが、『ジュリアス・シーザー』は失敗作である」という批評を目にしていたせいか、このジュリアス・シーザーについては駄作だと思い込んでいたのです。
確かに、バーナード=ショウが指摘したように、シェークスピアはユリウス・カエサルの偉大さを表現できなかったかも知れません。
ただ、山本七平が文中で再三指摘しているように、短い台詞に扇動のエッセンスを詰め込んだシェークスピアというのはやはり天才だったのだなぁ…と考えざるを得ないですね。
さて、次回は百人斬り競争の南京法廷について話が展開していきます。
まだまだ、「事実の提示」と「問いかけ」がなぜ、群集のヒステリーを引き起こすのか…についてたどり着きませんが、そこにたどり着くまでの過程も読みごたえがありますのでお楽しみに。
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