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一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

「原子力の日」に思う。

今日は「原子力の日」だそうです。
そこで、今回ご紹介しようと思うのが、これについて書かれた山本七平のコラム。

昭和60年前後に書かれたものらしく、核燃料サイクルなどについては当時の知識で書かれており、山本七平自身も科学技術は専門分野ではないことから、そうした前提を頭に入れて幾分割り引いて読む必要があるとは思います。

私がネットで調べた範囲では、今現在に至っても、核燃料サイクルの要となる高速増殖炉プルサーマル発電は稼動していないようですし。

ただ、それでも彼の意見には、参考にすべき点があると思います。では、引用開始。

「常識」の非常識 (文春文庫)「常識」の非常識 (文春文庫)
(1994/01)
山本 七平

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◆原子力の日

十月二十六日は「原子力の日」だと言っても、その日をはっきり意識した人は少ないであろう。

さらにこの日は、日本ではじめて原子力発電が行われた日であることを知る人も少ないであろう。

だが私は、後代は人類の歴史を原子力以前・以降と分けるのではないかと考えているので、この日は日本史にとっても最も重要な記憶されるべき日となるかも知れないと思っている。

人類史を大きく変えたような発明も、その当初においてはきわめて冷たい目で見られ、過小に評価されるのが普通であった。

蒸気船がはじめて大西洋を横断したとき、当時のロンドンっ子は次のように嘲笑したという。

「風が船を運んで来るのだが、この船は風を運んできた」と。

この船は燃料とボイラー水を積み込んで大西洋を横断するのが精一杯であったため、イギリスに着いたときは船倉は空であった。

これを「風を運んできた」と嘲笑したわけで、いずれにしろ「役立たず」、しかも平均一〇ノットといわれた当時の最新鋭の帆船より速度が遅かった。

従って、原子カヘの同じような批判があったとしても不思議ではない。

だが蒸気船は地球の地図を塗りかえてしまい、「黒船」として日本にも来航して日本を開国させ、日本文化史に新たな一章を加えただけでなく、世界史にも新局面を開いたわけである。

もちろんそのすべてが蒸気船によって行われたわけではないが、この技術革新が与えた影響力を無視して近代史はない。

そして、新しい技術がこのように世界史および一国の歴史に大きな影響力を与えることは少しも珍しくはなく、前記の蒸気船はその一例にすぎない。

こういう観点から原子力を見ると、この開発・利用が人類の文化に与える影響は、画期的といわねばならない。

というのはこれは「火でない新しい別の火」であり、人類の今世紀初頭までのエネルギー利用とは全く別のものだからである。

もちろんはじめは「蒸気船」のように他の燃料より劣り、ついで競合関係となったが、これが原子燃料サイクルとして確立され、かつ十分に利用されるようになれば、今までのエネルギーにはない新しい特色を発揮するであろう。

すでにご存知の方は居られると思うが、このサイクルを要約すると次のようになる。

①探鉱、
②精錬、
③転換(六フッ化ウランにする)、
④濃縮(ウラン235の割合を三~四%にする)
⑤再転換(濃縮した六フッ化ウランを粉末状二酸化ウランにする)、
⑥成型加工(燃料棒に成型し十数本まとめて燃料集合体とする)、
⑦原子力発電(燃料として三~四年燃えつづける)、
⑧再処理(一%ほど残るウラン235と新たに生成されたプルトニウムを分離する)、
⑨再利用(分離・回収したウランプルトニウムを再利用するために、それぞれ転換施設や成型加工施設に運ばれる)、
⑩そこで再び燃料として用いられる。

言葉にしてしまうと簡単だが、こういう新しいエネルギーと、それによって生産される電力が社会で用いられるエネルギーの主体となると、人間の社会はどう変化するであろうか。

過去における戦争は、しばしば食糧とエネルギーをめぐって起こった

戦前の日本では「石油の一滴は血の一滴」などといわれ、これと食糧とが、世界恐慌の後遺症に苦しむ日本が満州に進出しようとした主要な動機であったといえる。

当時の記録を見ると、開拓民として満州に渡ったのは農村の土地なき二男、三男であり、その多くは寒冷・積雪地である。

今その順位を記すと、①長野、②山形、③宮城、④新潟、⑤福島、⑥群馬、⑦熊本、⑧石川、⑨秋田といった順になっている。

歴史に「もし」はないが、当時日本が豊富なエネルギーをもち、これらの地に工業を興して就業の機会を得られるようにしていたら、満州事変から太平洋戦争へという悲劇を防ぎ得たであろう

もちろん現在でも問題はすべて解決したわけではなく一方で過密を生じ、その一方で過疎を生ずるという問題は残しているとはいえ、昭和初頭のような苦しい状態ではない。

日本の農地は限られているが、就業人口は減少して多くが第二次、第三次産業に移っている。
それを可能にしたのが豊富なエネルギーであることはいうまでもない。

従ってエネルギーの確保は日本の死命を制する問題であるとともに、その創出は日本の将来に大きな可能性を与える

と同時に、原子力はある国または地域がエネルギーを独占して国際政治に猛威を振るうことも抑止しているわけであり、原子力はこの点でも「エネルギーなき国」といわれた日本の将来と国際政治に大きな力をもっている。

このような点から見れば、「原子力の日」は日本にとって、新しい方向へと踏み出した重要な日だと言わざるを得ない。

毎年この日には必ず、エネルギーと日本の将来という問題を、各人の問題として考えたいものである。

【引用元:原子力の日/「常識」の非常識/P88~】

原子力発電に関しては、どうも極端な意見に分かれることが多いように感じます。

もちろん、この問題のメリット・デメリットを論ずること自体はよいのです。

ただ、山本七平が指摘するように、エネルギー問題が、日本では重大かつ決定的な要因であること、そして、過去を振り返ってみれば、そのことを巡って日本の命運が左右されたことを肝に銘ずるべきではないでしょうか。

反原発の主張もよいですが、この問題を考える際には、必ず「エネルギー安保」という視点から考えることをお願いしたいものです。

【関連記事】
・資源問題に関する日本人の「現実的」態度は、世界に比べて現実的だろうか?

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八百長のある国、日本。八百長の無い国、アメリカ。【追記あり】

最近の鳩山民主政権の対米交渉ぶりを見ていて危なっかしい感じがしませんか?

交渉相手がどういう相手だか把握した上で交渉するのだったら構わないのですが、どうもひとりよがりっぽく交渉している気がしてなりません。
(まぁ、これはあくまでも私の印象に過ぎないのですが…)

なぜそう思えるのか考えていて、ふと思い出したのが次に紹介する山本七平の記述です。

今日はアメリカ人とはどういう相手なのかが、それを示唆している彼の記述を「日本人とアメリカ人」の中から紹介していこうと思います。
この本は、昭和天皇の訪米をきっかけに書かれたもので、その際のエピソードも出てきます。

日本人とアメリカ人―日本はなぜ、敗れつづけるのか (ノンセレクト)日本人とアメリカ人―日本はなぜ、敗れつづけるのか (ノンセレクト)
(2005/04)
山本 七平

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◆「いやなら出て行け」を許す空間

では一体アメリカとは何なのか。
アメリカという形で統一された「伝統なき空間的モザイク」が、組織として機能するように構成している枠組みは何なのか。

「憲法です、そしてそれに基づく法規です。アメリカとはそれだけの国で、それ以外には何もありません」。

これは、細川氏と話している所に入って来た『デンバー・ポスト』の論説主幹の言葉である。
氏の言葉をきいていると、「法的規制以外にアメリカ人を規制するものはないし、あってはならない」というふうにも聞こえる。

その通りかもしれぬ。

否応なしにモデイク型に多様化した文化が併存するなら、文化的統合とか伝統的・慣習的規制とかは許されず、ましてや文化の中心である中央への指向で統合するわけにもいかず、「明記された法」という枠組み以外のことでは、各人は勝手たるべしと言う以外にない。

ところが各人勝手といえば、「法の間隙をうめるため」、各人勝手に法とか規約とか規則とか相互契約とかをつくり、その構成員とその当事者はそのルールを守るという以外に、統合の方法はなくなる。

そこでアメリカとは「法だらけ」の国で、「石を投げたら弁護士にあたる」という形になる。

まず合衆国憲法にはしまり、州憲法、州法、古法、町法、村法から、私的な法、いわば博物館法、店内法、家法とでも言うべきものまで、各人が勝手に判定しているという感じである。

そして法がそれより”上級”の法と衝突すれば、弁護士のお出ましとなるわけであろう。

「何かといえばすぐ弁護士、こんなに法だらけではきゅうくつでたまらんでしょう」

「いえ、アメリカにはスペースがありますからネ、その州の州法がいやなら、気に入った州法の州へ行け、ということですな。端的にいえば、ばくちをやりたくなったらネバダ州へ行け、死刑反対なら死刑のない州へ行け、禁酒州にいたいなら酒をのむな、ということなんです」

とNさんは言った。

「じゃ、全部いやだったらどうすればいいんですか」

「そんならアメリカから出てけ、でしょうネ。ここは何しろ、”入ってきた人間の国”ですから、いやなら”出てほかへいけ”という発想が絶えずあるんです。これは町にも、村にも、店にもあります」

(~中略~)

そしてこれは店でも変わりはない。
いわば、ここはオレの店だ、オレの店に入ってくるなら、オレ様の定めた店内の法規に従え、いやたら出てほかへいけ、であって「お客様は神様」ではない。

このことを最初に知らされたのは、ワシントンでNさんとコーヒーハウスに入ったときであった。

見ればカウンターの上に「禁煙」と書いてある。
店主の定めた店内法規であろう。私は内心甚だ不愉快であった。

◆コーヒーハウスにもある”店内法”

というのは、それは、国務省での討論のあと、コラムニストのコノー氏に会いに行く途中で、簡単にいえばコーヒーを飲んでいっぷくしたいから入ったのである。

喫茶店に入って、「禁煙」とやられては、欲求不満がつのり、余計にタバコが吸いたくなる。

「禁煙をやぶったら、どうなります」「つまみ出されるかもしれませんな」と言ってNさんは、南部の禁煙バーでの体験を話してくれた。

禁煙バーとか禁煙コーヒーハウスとかは、アメリカでは少々流行らしい。

そういうバーに入って、Nさんがカウンターで喉をうるおしていると、町のオニイちゃんといった風体の二人づれが入って来て、禁煙を無視してタバコに火をつけた。

その瞬間、店主が、ものすごい見幕で、「タバコが吸いたきゃ、ほかの店へ行け。オレの店に入るのならオレの店のルールに従え。いやなら出て行け。」 と怒鳴った。

アメリカ人が拳銃をつきつけるのは、ああいう時なんですよ。二人はすぐ出て行きましたから、それですみましたけれど……」ということであった。

(~中略~)

◆法による規制には文句を言わぬ

店内法、館内法、ホテル内法でこの有り様、全くアメリカ人は「それは法規だ」と言い出すと、始末の悪い問答無用の人間になる

もっとも多人種モザイク国家にはこれ以外に秩序を保つ方法はないのかもしれぬが、サンフランシスコの市警の交通整理を見たときには、問答無用のその荒っぽさには少々あきれ、つくづくと「日本でこんなことをやったら、大変なことだろうな」と思った。

一言でいえば、ルール違反者に対してはきわめて”非民主的”であり、全く”人間性無視”の”物理的規制”を平然と、無表情でやってのけるのである。

それは、その日の三時ごろだったと思う。

千葉県知事、いわゆる殿様知事の故加納久朗氏の弟さん、二世の加納久憲氏(氏については後述する)を都ホテルに訪ねようと、ホテルを出た。

すると次の十字路に人だかりがしており、交通はストップで、名物の電車もとまっている。
セント・フランシス・ホテルから天皇が出てくるところらしい。

こういう交通規制に対して、アメリカ人は少しも文句をいわず、急ぐものは迂回し、暇なものは見物している。

アメリカ人は、権利の主張はうるさいが、「天皇のため交通どめまでして……」といったような、日本的な小姑的批判は皆無である。

見れば、とまった電車の前の窓に腰を掛けて、カメラをかまえているひま人もいる。
警戒は厳重で、上空をヘリがとび、周囲の高いビルの屋上には、ライフルをもっているらしい者が、ジーッと下をにらんでいる。

白バイが二台、パトカーが二台、次に何かの車があって、そのうしろの大型車が天皇の車、つづくのが市長の車であろうか。それがホテルの入り口に並んでいる。

群集は歩道に並んで見ている。
だが、並んでいると、天皇から遠くなるにつれて天皇の方がよく見えないから、遠い者はつい隣のものより車道へ首を出す結果になる。

するとその隣のものは車道へ半歩ほど出る。
その隣はさらに出る、何しろ車止めになっているから、ついついみなが車道へと出てしまう――どこの国でもこういう風景は同じことで、結局天皇の行進方向の道路の歩道からは、天皇の車から離れるに従って次第に人が車道へとはみ出して来て、天皇の車のあたりを底辺にした長辺二等辺三角形の人垣ができ、その人垣の頂点は行進方向の車道のまんなかになり、道路をふさいでしまった形になっている。

日本なら「車道へ出ないで下さい」「道をあけて下さい」と拡声機で怒鳴りつづけるところだろうが、パトカーも警官も平気でこれを放置している。

一体この、車道にあふれた群集をどう整理するつもりなのか。

◆群集すれすれに突っ走る白バイ

天皇が出てきたらしく、ホテルの入り口が少しざわめいている。
その瞬間、私は思わずアッと言いそうになった。

白バイが二台、走り出した。

この二台が、車道に出ている人の列すれすれにダダダダッと走るのである。
群集は驚いてダダッと後ずさりする。
二台は一定のところまで行くとUターンをして、またものすごい勢いで、女性のバストすれすれにつっ走る。

群集はまたダダッと後ずさりする。

警官は全く無表情でこのUターンを数回くりかえし、結局、一言も発さずに、群集を”物理的”に歩道に押し上げてしまった。

それを見きわめてパトカーが走り出し、ついで天皇の車も動き出し、一行は飛行場の方へ走った。

こういうときの警察官の表情は、まるで仮面のように無表情、そしてこれは「法の命ずるところで私の意志ではない」といった態度、文字通りの法の執行吏である。

確かに「車道に出るのはルール違反」であろう。

違反と知ってやっているのだから、これを規制するには、何の注意も必要がない、”物理的”に規制すればそれでよろしい、というのがおそらく彼らの考え方である。

そして不思議なことに(否、アメリカ的感覚では当然なことなのかもしれぬが)、これに対して抗議らしい態度を示したものは、一人もいない。

みんなそれがあたりまえ、という顔をしていた。

日本なら「権力的」とか「非民主的」とかいった非難の大合唱になるであろう。

だがこういうことは、この国では「個人の生命の安全」のために、必要不可欠のことかもしれない。

真珠湾攻撃のパニックのとき、なぜハワイで、日系が手引きしたというデマのもとに日系狩りが起こらなかったのか、多人種国家の中で、関東大震災の朝鮮人殺害のような悲劇がなぜ起こらなかったかを調べてみた。

そして何よりも驚いたのがその瞬間における徹底した物理的規制である。

外出禁止令と電話使用禁止令ですべての人間を家にとじこめて遮断し、これを群集化させず、デマの電話交換をやらせず、ラジオによる一方的指示のほか一切を断って魔女狩り的騒動を防いでいる。

これで見ると、アメリカとはこういう荒っぽい統制以外に、統制の方法がない国という気もする。
いわば文化的中央による心理的統制、簡単にいえば天皇制がないのである。

「荒っぽい」と感じたのは、この警察官の行動だけではなかった。
ワシントンで、国務省に行く前に、『ワシントン・ポスト』社へ立ち寄るうとしたとき、ちょうど同社のストに出合った。

サイモン編集長に会う約束だったのだが、ピケのために入れない。

ところがこのピケが、一見まことにだらしなく、またプラカードを下げている人びとも、全く「やる気」がなさそうで、ピケとは名目だけ、簡単に入れそうに見える。

私は突破する(というほど大げさに考えなかったが)つもりだったのだが、Nさんから「それはおやめになった方が良いと思います。アメリカ人は八百長が全然ない人種ですから……。

日本なら”断固粉砕”の鉢巻きで気勢をあげていても、本当に粉砕されることはありませんが、アメリカ人は正当な法的権利を侵害されたと感じたときは、何をするかわかりませんから……」といわれた。

私はそのときふと、戦場の米兵を思い出した。

彼らもまことにデレっとしており、ついついそれを誤断する。
これが非常に危ない。
「同じことかな」と考えてやめた。

やめてよかったのである。
「スタッフの一人がピケを破って外に出ようとし、撲られて相当なケガをした。とても出られそうもないから今日は社に泊まり込む。残念ながらお目にかかれない」と、サイモン編集長から国務省に電話があったのだから……。

◆八百長のないアメリカの”怖さ”

マナジリを決してテンションの極限にあるように見えても、「六〇年安保」の例を持ち出すまでもなく、日本という国は、どこかに八百長的合意がある国だ、だからそのつもりでアメリカで生活していると、とんだことになる、とNさんは言った。

アメリカは怖いと言いますけど、日本の怖さとは違うんです。私はまだアメリカで”インネンをつけられた”という経験はありません。

日本なら盛り場でコワイおニイさんから何かいわれたといった経験はだれでもあるでしょうが、どんなスゴ文句を並べたって、どっかで妥協がつくとお互いに思っているし、事実、妥協がつくんです

だがアメリカ人は、そうはいかないんですなあ。
だから不意にやられたと錯覚する……。

どうもこの点、日本の対米外交も対米世論も危なっかしく見えますなあ。繊維交渉のときも、日本側には、どこかに八百長のつもりがあったと思いますよ」

結局、警察官、労働者、兵士、博物館員、ホテルのマネージャー、店主から町のオニイさんまで共通する行き方は、アメリカそのものの基本的行き方でもあろう。

相手がルールに違反して国境というピケを破って真珠湾に突入したと感じた瞬間、今までデレっとしていたように見える人びとが、八百長的妥協なき戦いへと、一斉につっぱしってしまう

アメリカはこの点確かに怖い国だが、これを”護持”しないとアメリカ自身が成り立たなくなるのであろう。

そしてその怖さは、Nさんの言う通り、「日本的な怖さ」とは別物である。
だがそのアメリカ人が、逆に、どこかで日本を恐れている(気味悪がっている?)ことは否定できない。

『フォーリン・アフェアーズ』誌のバーンズ氏は「いま日米間には何の問題もありません。しかし相手が日本だと、われわれは問題があればあるで、なければないで神経質にならざるを得ません」と言った。

同じようなことは国務省インド担当のブラウン氏も言った。

「アメリカとインドの関係は、どんな大問題が発生してもお互いに神経質にならないのですが――日本はネェー」と。

結局、こちらの八百長的テンションを、向こうは、本気で受けとめ、向こうの本物のテンションはこちらが八百長でうけとめるという妙な関係が常に存在するらしいのである。

【引用元:日本人とアメリカ人/第六章 天皇制のないアメリカに君臨する「オレ様が法」/P134~】

最後の記述は、アメリカ人と交渉する上で、肝に銘ずる必要があると思いますね。
鳩山民主党政権にそうした認識があるかといえば…、多分ないだろうなぁ…。

【追記】
この「日本人とアメリカ人」のあとがきに、「解説にかえて――山本学の真髄」という題で、稲垣武氏が解説をしているのですが、大変わかりやすいものなので一応追記紹介しておきます。

(~前略)

と同時に天皇といった「文化的中央による心理的統制」を欠いた「伝統なき空間的モザイク」であるアメリカが統一された組織として機能する枠組みとしては「憲法とそれに基づく法規」しかなく、その法規の間隙を埋めるために、「各人勝手に法とか規約とか規則とか相互契約とかをつくり、その構成員とその当事者はそのルールを守るという以外に、統合の方法はなくなる」と分析し、コーヒーハウスにすら「店内法」があり、禁煙はおろか人種差別まで平然と行われ、それを無視すれば叩き出されるか、それが嫌なら徹底的に店主と論争しなければならぬ現実が紹介されている。

日本にはそのような法や規則があっても、どこか八百長めいた融通性があるが、アメリカ人はルール自体が異議申し立てで改変されない限り、ルールはルールとして容赦なく遵守を要求する。

それがアメリカの怖さであり、真珠湾奇襲で日本がルールを破ったと感じた瞬間、「今までデレっとしていたように見える人びとが、八百長的妥協なき戦いへと、一斉につっぱしってしまう」。

幕末以来、日本はアメリカと優に一世紀を越すつきあいがあるが、まだ山本さんのいう「アメリカの怖さ」が判っていないのではないか

主張すべきことを明確に主張せず、八百長的な腹芸で妥協しようとするために、外交交渉でもアメリカに押しまくられてしまう

その結果、嫌米ムードが瀰漫(びまん)し、それがまたアメリカにはねかえって対日態度をますます硬化させてしまう

今ますます深刻化している日米関係のきしみは、日本人とアメリカ人の文化の違いが根本原因ではなかろうか。

(後略~)

【引用元:日本人とアメリカ人/解説にかえて――山本学の真髄/P200~】



【関連記事】
・”ひとりよがり”がユダヤを破滅させた。翻って日本はどうか?


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「直近の民意」を振りかざしすぎでは?

忙しいのですが、どうも気になったので書かずにはいられません。

今日の朝、みのもんたの「朝ズバッ」をたまたま見ましたが、ちょうど岡田外務大臣が出演していて、普天間基地をどうするのだ、と突っ込みを入れられていました。

今日は、そのことに関して思うことを書いていきます。

その発言内容については、毎日新聞のニュース↓をみればちょっと参考になると思います。

<普天間移設>米長官「大統領訪日前に結論を」…外相は難色

20日に行われた岡田克也外相とゲーツ米国防長官との会談で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題について、ゲーツ長官が11月12~13日に予定されているオバマ米大統領の来日までに結論を出すよう求めていたことがわかった。

関係者によると、ゲーツ長官は会談で「現行計画は唯一実現可能なもの。11月のオバマ大統領訪日までに普天間問題の結論を出してほしい」と強調した。普天間問題が大統領来日に悪影響を及ぼすことを米側が強く懸念していることを示したものだ。

これに対し、岡田外相は22日午前のTBSの報道番組で「選挙(衆院選)で示された民意がある。短期間に『米国の言うことを受け入れてやります』という結論にはならない」と述べ、来日までに結論を出すことに否定的な考えを示した。

一方で外相は、鳩山由紀夫首相が来年1月の同県名護市長選挙後に先送りを表明したことに対しては「選挙、選挙と言っているとどんどん先送りされる」として、年内の結論を目指す考えを改めて示した。

また、平野博文官房長官も22日午前の会見で「オバマ米大統領の来日時(まで)に政治的判断をするのは、首相の発言を踏まえると難しい」と述べた。【西田進一郎、野口武則】

【引用:10月22日12時8分配信 毎日新聞】


案の定、岡田大臣はみのもんたやらコメンテイターから、普天間基地移設問題について突っ込まれていましたが、その回答がいただけないというか、言い訳がましいというか…。

要は「直近の民意があるから、すぐには結論出せません。」と言っているだけなんですよ。
かといって、現実的な代替案は、米軍の求めるプランしかないことも認めているようだし。

これでは、余りにも苦しすぎる「言い訳」のように思えてなりません。
なんか学校に行くのが嫌で言い訳をいうワガママっ子のような態度を連想してしまいます。

そもそも、ロクな代替案も示せないまま、「直近の民意」オンリーで相手が納得するとでも思っているのでしょうかね?それが通用すると考えているならそうとう甘ちゃんだよなぁ。

そんなことを言えば、仮に来年1月の名護市長選で、基地容認派の首長が誕生したらまたコロッと転向するのでしょうか???
(岡田はともかく、鳩ぽっぽは、以外にコレを狙ってそうですね。赤字国債発行の件に関しても、民意に従うとか言い訳してましたし…)

岡田大臣は頑固者だと評されていますが、これでは信念があっての頑固じゃなくて、「民意」を言い訳にしているだけの頑迷オヤジではないでしょうか。

それはさておき、思うのは「直近の民意」を”印籠”にして正当化する人間ってほんとに、扱いにこまりますね。
主体性がないというか、世論をバックにトラの威を借りるというか。
そういう人間に限って、都合の悪い時は知らん振りを決め込む傾向が強いように思えてなりません。

そういえば、外国人地方参政権の問題なんか、民意に従ったらとても立法できるはずはないんですよね。そういう時は民意を無視するか、架空のサイレント・マジョリティを勝手に作り出して正当化するか。いずれかでしょう。

そもそも、「直近の民意」ほどあてにならんものは無いでしょう。
「女心と秋の空」のようなものですから。

政治家に必要なのは、民意にさからっても国益に適うとなれば、その民意を説得する能力であるはずです。それが無い政治家は、民意に迎合する政治屋でしかありません。

民主党政権は、それがあまりにも濃厚すぎます。

だいたい、庶民感覚とか、国民目線でとか、そんなものは二の次であって、政治家の本来の役割は、今も昔も経世済民のはずなんですけどどねぇ。

まぁ、この問題は、政治家だけに帰する問題ではなく、国民自身の意識が問われているような気がしますね。決して政治家だけの問題ではない。そう思います。

ところで、朝ズバッを見ていて思ったのですが、「民意」というのが誰もが疑いのないような前提で話し合われていたのには、残念でした。
本来ならば、コメンテイターがそういう疑義を呈する必要があると思うのだけれどねぇ…。

何だかいつもながらのとりとめもない文章になってしまいましたが、そんなことをつらつら思った次第なのです。


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民主党のタテマエとホンネを見事に言い表したネタを発見!

相変わらず忙しいので、今日はネットで見つけた秀逸なネタをご紹介。
(あちこちで転載されているようなので、もうご存知の人もいるかも知れませんが)
手抜きで申し訳ない。

<選挙直後>↓に向かって読んでください

民主党:待ちに待った日がやってまいりました!
有権者:在日外国人に選挙権をあげたりする?
民主党:そんなことはありません!
有権者:財源はちゃんと確保されてるんだよね?
民主党:当然です!
有権者:投票した人たちを裏切ったりする?
民主党:いいえ、決してそんなことはいたしません。
有権者:景気をよくして雇用も所得も増やすんでしょ?
民主党:もちろんです。どんどん増やしますよ!
有権者:赤字国債は発行するの?
民主党:永遠にありえません!
有権者:日本人が住みやすい国にしてね

<選挙45日後>↑に向かって読んでください

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

読み易いように↓並べ直してみました(なかなか気が利いてるでしょ)。

◆民主党のホンネ

有権者:日本人が住みやすい国にしてね
民主党:永遠にありえません!
有権者:赤字国債は発行するの?
民主党:もちろんです。どんどん増やしますよ!
有権者:景気をよくして雇用も所得も増やすんでしょ?
民主党:いいえ、決してそんなことはいたしません。
有権者:投票した人たちを裏切ったりする?
民主党:当然です!
有権者:財源はちゃんと確保されてるんだよね?
民主党:そんなことはありません!
有権者:在日外国人に選挙権をあげたりする?
民主党:待ちに待った日がやってまいりました!


こういう文章を考え付く人って、頭いいなぁ…とつくづく思いますね。
まるで回文みたい。
こういう型の文章ってはじめて見るような気がしますが、似たような形式のテンプレって昔からあったのでしょうか?いずれにしろ、秀逸な出来ですよねぇ。

しかしながら、ホント、民主党政権発足後の経過を見ていると、一体どうなっちゃうんだろう?と恐ろしいものを感じます。「政権交代=景気後退」とはよく言ったものだ。

そういえば、衆議院選挙のときの自民党のCMって、ネガティブ・キャンペーンだのなんだの言われてましたが、そのまんまの展開になってきましたね。
ネガティブ・キャンペーンどころか、事実を指摘していただけなのに。

もう忘れている人も多いでしょうから、サルベージしておこう(笑)
◆【自民党ネットCM】プロポーズ篇


◆【自民党ネットCM】ラーメン篇


今後、どのような展開になるかわかりませんが、世論調査などを見る限り、未だ「政権交代」の余韻に浸っている人が多そうですから、まだしばらく民主党のグダグダした政権運営が許されちゃうのかなぁ…?

そんな悠長なことをしている時ではないと思うのだが…。
困ったものだかお


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”ひとりよがり”がユダヤを破滅させた。翻って日本はどうか?

最近、民主党政権になってから、従米・屈米だった自民党と違って、アメリカに対して「対等に物申す」ことを期待する”雰囲気”というのが、反米的な一部のブログ(右にも左にも)に見かけられるように思います。

そこで山本七平の記述も引用紹介しながら、アメリカに対して「対等に物申す」ことや、日本がどういう「立場」に置かれているのか、を考えていきたいと思います。

そもそも、「対等」とはなんぞや?と思ったりしたのでとりあえず辞書で調べてみました。

二つの物事の間に上下・優劣のない・こと(さま)。同等。


つまり、アメリカと日本の関係を、上下・優劣のない状態にすることが、「対等」といってよいと思います。

そこで思うのですが、実際「対等」を実現する為に必要なことはなんでしょうか?
私が思うに、実力が拮抗していれば、対等になるのは比較的簡単です。

問題になるのが、実力が乖離している場合です。どうやったら「対等」になれるのでしょうか?
実力以外の要素(例えば、格式とか地位とか)が、両者を拘束している場合は、あり得るかもしれません。

しかしながら、国と国の間でそうした要素が働くかといえば、私は非常に懐疑的です。
というか、幾ら国際協調の時代になっても、依然として、弱肉強食、実力がものいう世界だと思うのです。

となれば、アメリカと「対等」に付き合うということは、即ち、「アメリカと同等の国力を蓄える」ということが必要条件になるかと思います。

そこで、反米派の「対等」に戻りますが、彼らの意識の中に、「アメリカと同等の国力を蓄える」という意図は果たしてあるでしょうか?
仮にあるとしても「現実的に可能な」対策はあるでしょうか?

彼らの主張を見る限りにおいて、どうもそうした対策があるとは思えません。
右の対米自主独立派の主張を見ても、左の反米護憲派の主張を見ても、対米関係はかくあるべき!という主張ばかりで、具体的にどのようにそうした目標を達成すべきかを指し示しているものは殆ど見受けられません。

結局のところ、反米派のいう「対等」というのは、「アメリカに対抗しうる国力を備え、その力を背景に物申すこと」ではなく、アメリカに対して「嫌だから”ノー”と言ってみたいということ」に過ぎないのではないかと思います。

要は、単なる子供のワガママ、鬱屈を晴らしたいという欲望だけなのです。

さて、そうした場合、実力もないままアメリカに対して「”ノー”と言うこと」が果たして、日本にとって良いことなのか、悪いことなのか考えていく必要があると思います。

それを考えていく前に、まず日本の「立場」というものを、きちんと把握しておく必要があると思いますが、それでは、対等を主張する人達が、日本の立場を把握しているでしょうか?

ちょっと考えていきましょう。

例えば、「対等」関係を望む護憲派の主張によく見られるのが、コスタリカとかフィリピンの例を挙げて対等になれると主張しているケースです。

また、よく北欧とか理想の国を例に挙げて、日本もそうなるべし、と主張している人たちがいますけれども、それが、本当に参考になるでしょうか?

そもそも、日本とコスタリカ・フィリピン・北欧はそれぞれ全く異なる国なのですから、当然「立場」も異なります。
ですから、そうした違いを考えない「主張」というのは、日本の「立場」を把握しているとはとてもいえないでしょう。

つまり、他国を例に挙げるだけの主張というものは、あまり参考にならず、説得力を持たないと言って差し支えないのではないでしょうか。

そもそも、日本の「立場」をどのように見るか?
これ一つとっても難しいものがあります。

どうも気安く対米「対等」を主張する人たちの見方というのは、自らの見方に固執して、他国からどのように日本が見られているかという「視点」が欠落しているように見受けられます。

例えば、反米左翼のイメージする日本は、平和憲法を戴く平和国家になります。
そこには、アメリカの同盟国という意味合いはありません。
まるで中立国家であるかのような立場です。

また、反米右翼のイメージする日本は、今すぐにでも核武装したり、自主独立できる実力があるかのようです。

いずれも一方的に思い込み、自らの見方を「絶対化」して、他者からどのように見られているのか、まで考えが及ばないということですね。

要は、右も左も”ひとりよがり”なのです。

さて、日本の「立場」で、このような「ひとりよがり」が、どのような結果をもたらしかねないのか?

それを考える際に、ヒントとなるのが古代ユダヤの歴史です。

よく古代ローマに滅ぼされたカルタゴを、現代の日本とダブらせ警鐘を鳴らす主張は過去にもありました。
確かにカルタゴと日本とは、非常に似通った位置に見えると思います。

しかし、ある意味、日本の「立場」は、カルタゴより古代ユダヤに似ているのではないかと思います。

そこで今回、山本七平著「一つの教訓・ユダヤの興亡」から、日本と古代ユダヤの「立場」の類似点について、アンチ・セミティズム黄禍論の類似性を絡めながら述べている箇所を紹介して行きたいと思います。

一つの教訓・ユダヤの興亡一つの教訓・ユダヤの興亡
(1987/11)
山本 七平

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◆序にかえて

(~前略)

問題は、前記のベン・アミ・シロニー教授の指摘のように、アンチ・セミティズム黄禍論はつねに連動していることである。

そしてこの黄禍論という言葉は、はっきりいってしまえば「日本禍論」であり、それはアンチ・セミティズムという言葉が反ユダヤ主義を意味するのに似ている。

「黄」といっても、現代ではそれに中国人や韓国人は合まれないように、「セム」といってもそれにアラブ人が含まれるわけでない。

一言でいえば、それは「ユダヤ禍論」であり「日本禍論」なのだが、なぜこのような概念が存在しうるのか。
なぜ、この両者は「禍い」の根元のように見られるのか。

両国とも決して大国ではない。

二千年前のユダヤ王国は、ローマの勢力範囲内にあり、その面積は四国よりやや大きい程度で、国土はほとんど荒地であり、資源というべきものは何もない。
これはユダヤ人が一心に開拓した現代でも余り変りはない。

一方日本は、これより大きいとはいえ、アジア大陸に近接する四つの島にすぎず、これまた資源皆無に近く、その面積は二十世紀のローマ帝国たるアメリカのカリフォルニア一州に及ばない。

それは大帝国になりうる前提を欠いた国土であり、この点で見る限り、「禍い」と規定されるような脅威を与えうる国でも民族でもないはずである。

だが、この「はず」の通りなら、はじめから問題にはなるまい。

では、なぜ問題にされるのか

まず問題の第一は、その時代の中枢文化を担い、自らの文化を人類普遍の文明と信ずる者にとって、両者とも一種の異端であり、かつまた、あったということである。

異端は異教ではない。
そして関係なき異教の方が、むしろ問題は少ないのである。

そして異端であったということは、両者ともそれぞれの中枢文化と実に複雑な関係にあったということである。

中東の中枢はバビロニアとエジプトであろうが、この両者にはさまれたイスラエルはセム文化圏に属しながら、一神教という点、いわば宗教という当時の基本的な点で、この二大中枢にとって異端であった。

それが次にギリシア・ローマ圏に組み入れられる。
しかし彼らは、ヘレニズム文化から見ても異端であった。

ギリシア人が、ローマさえ認める自己の文化的権威を認めようとしない彼らに、嫌悪感を抱いてもこれは不思議でない

一方日本は、儒教文化圏に属していたはずである。

だが、日本が儒教的体制となったことは、その歴史において一度もない。
さらに、漢字を離れて「かな文字」を創出し、彼らには理解できない文化を創出し、さらに幕藩制やら武家社会などを形成していく。

それが、次に西欧文化圏に入り、その目はもっばら欧米の文化へと向う。
だが欧米から見れば、その言語といい文字といい宗教といい風貌といい、到底自らの文化圏の一員と思うわけにいかない

もちろん世界には、この種の辺境文化・辺境民族は少なくない。

だが、それがパーリア民族(註)として、弱少かつ劣性な状態で細々と生存しているなら問題はないし、恩恵的な援助を与えて優越感にひたるのも悪い気持はしないであろう。

(註)…儀礼的に社会的世界から遮断されている客民民族のことを指す。

さらにそれらが、優等生的な段階に発展したら、ほめてやってもよい。

だがしかし、もし自らを凌駕するようなことがあれば許しておけない

シロニー教授がいうように、それは彼らの自画像を破壊する行為である。

そこで日本人にとってもユダヤ人にとっても「成功は罪」なのであり、そうなったとき、その存在は「禍い」なのである。

(後略~)

【引用元:序にかえて/一つの教訓・ユダヤの興亡/P3~】

上記の記述を読んでみると、日本とユダヤの置かれた「立場」の相似性にちょっと驚きますね。
ユダヤは古代ローマ帝国の”異端”だったし、日本は西欧をスタンダードとする世界の”異端”なのです。

それでは、そうした「立場」における”ひとりよがり”がどう世界から受け止められるか?
そのことについて述べられた箇所を同書から引用紹介します。

(~前略)

ユダヤ人とギリシア人の争いは一転して、ユダヤ人対ローマ帝国の戦いとなったわけである。
なぜ、こうなったのか。

それはユダヤ人が富と特権をもち、これを当然の「権利」としてきたことへの反動があったであろう。

彼らはローマの市民権をもっても兵役を免除され、それでいながらパクス・ロマーナと広大で平和な市場を享受し、ユダヤの律法通りの自治を許され、富を蓄積してきた

そのことへの反感、さらにギリシア・ローマ文明の優越性を認めようとしないこと、これが傲慢と感じられたのであろう。

◆ユダヤ人より上まわる現代日本人への反感

それは戦後の日本と一脈通ずるところがある。

彼らが「カエサルの与えた特権」をもつように、日本人は「マッカーサーの与えた憲法」により軍備の重荷はなく、パクス・アメリカーナの維持にこの面で何一つ寄与せぬとされつつ、これを市場として百パーセント活用して富を蓄積してきた

そして日本人はそれを当然のこととし、高らかに平和論を口にしつつ、この面のアメリカの努力には全く敬意を払わず、むしろ批判し非難しつづけてきた

そして自らの独自の生き方を当然とするだけでなく、それが欧米よりはるかに勝ると信じ、勝るがゆえに今日の富強を招来したと信じて疑わなかった。

そして、確かにそれは一面では正しい。

それをしていれば、「お前たちは貸す者となっても借りる者とはならないであろう」という旧約聖書の『申命記』の言葉は確かに日本にもあてはまる。

だが、それがどれだけ大きな反感になるか

現代の日本人への反感が、かつてのユダヤ人へのそれを上まわっていることには多くの例証がある。

かつてある国際会議で、天谷直弘氏が、「ソビエトヘの防衛が問題になっているが、各国の自国産業の防衛が自由貿易体制を崩壊させようとしている、この”防衛”も問題とすべきだ」と述べた。

それに対して「GNPの一パーセントも自由世界の防衛に負担しようとしない日本があのようなことをいっている」といった趣旨の返答があり、同時に満場われんばかりの拍手になって、その雰囲気に異常なものを感じたという。

「義務を負担せず、カネばかりもうけている」

これが二千年間つづいた反ユダヤ感情の一つであり、それは実にローマ時代にはじまっている。

ラッセル・ブラッドンの『日本人への警鐘』のように、警鐘を鳴らしている者もいるのだが、それは日本人の耳に入らない。

ユダヤ人にもう少し協調性があれば、あのようにはならなかったであろうというユダヤ人が今ではいる

だが律法絶対、憲法絶対という絶対主義はつねに、人をある世界の中に心理的に閉じこめて一人よがりにするために、そのような協調性はもち得ない状態に陥れるのである。

彼らはそれで破滅した

他山の石とすべきであろう。

【引用元:ユダヤを破滅させた”ひとりよがり”の教訓/一つの教訓・ユダヤの興亡/P260~】


この本は、昭和62年に刊行されていますが、20年以上たった現代でも(自衛隊の海外派遣など、幾分、「立場」に見合う活動を展開しつつはあるものの)、基本的に日本の「立場」変わっていないように思います。

ここで民主党政権が、給油活動を停止し、それに代わる具体的な国際貢献策を世界にアピールできないとしたら、再び「義務を負担せず、カネばかりもうけている」という批難が強まることは避けられないでしょう。

「ひとりよがり」がどのような結果をもたらしたか。
それは、過去のユダヤ人の歴史を見れば参考になるはずです。

律法(トーラー)絶対が、ユダヤ人の「ひとりよがり」の原因であったように、平和憲法絶対が、日本の姿勢を「ひとりよがり」なものにしているのかも知れません。

それでは、一体日本はどう対処していくべきなのか?

それについては、次回以降、山本七平の記述を紹介しながら考えて行きたいと思います。
ではまた。

【関連記事】
・昔から「機能&経済」至上主義だった日本人
・ソマリア海賊問題から「海上秩序の傘」について考える
・資源問題に関する日本人の「現実的」態度は、世界に比べて現実的だろうか?

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名曲紹介:「Lily's Eyes」 from Musical「The Secret Garden(秘密の花園)」

久々に音楽ネタです。
クラッシックが好きなのは以前にも書いているのでご存知の方も多いかと思いますが、実はミュージカルも大好きなんですよね。
今日は、自分の好きなミュージカル・ナンバーのひとつをご紹介したいと思います。

多分日本ではまだ日本語での公演とかされていないと思うので、余り馴染みがないのではないでしょうか。

そのミュージカルというのは、「The Secret Garden(秘密の花園)」。

秘密の花園」をご存知の方も多いかと思いますが、ネットで調べてみたらあったので、一応あらすじ↓を引用しておきましょうか。(注:ミュージカル版ではないので、ちょっと名前が違ってます。)

(あらすじ)

メアリー・レノックス(ケイト・メイバリー)はインドの大邸宅の中で、誰からも愛情をそそがれずに育った10歳の少女。突然インド全域を襲った大地震で両親を失ってしまった彼女は、イギリスに住む伯父クレイヴン伯爵(ジョン・リンチ)のもとへ送られることになった。霧雨の降るリヴァプールの港でクレイヴン家の家政婦であるメドロック婦人(マギー・スミス)に迎えられたメアリーは、強風の吹きすさぶイギリスの風景を見て暗い気持ちになるが、親切な召使いのマーサ(ローラ・クロスリー)に、生まれて初めて人間に対する親近感を抱く。クレイヴン家の館は巨大な迷路のような不思議な場所だった。自分の部屋の壁掛けの裏に小さな通路を見つけたメアリーは、その中で10年前に亡くなった伯爵の妻のリリアスの写真を見つける。その写真にはリリアスにそっくりなメアリーの母の笑顔も写っていて、メアリーは彼女たちが双子の姉妹だったことを知るのだった。さらにメアリーは引き出しの中に1本の鍵を見つける。その鍵が、リリアスの死後伯爵の手によって封印された秘密の花園の鍵だと思いあたったメアリーは、庭園の奥にある扉を開いた・・・。メアリーはマーサの弟ディコン(アンドリュー・ノット)に秘密の花園のことを打ち明ける。さっそく2人は荒れ果てた花園を蘇らせるための協力を誓い合う。日毎に健康になっていくメアリーは、ある夜不思議な声で目覚めた。そしてその声がする部屋へ入ると、そこには伯爵の息子コリン(ヘイド・プラウズ)がベッドに横たわっていた。病弱なコリンは自力で歩くこともできず、生まれてから一度も外へ出たことがないと言う。メアリーはコリンを秘密の花園へ誘う。コリンは生命を蘇らせる花園と共に日増しに元気になり、ひとりで歩けるようになった。一方、家にいることが少なかったクレイヴン伯爵は、久しぶりに屋敷へ帰って来た。すると枯木だらけの花園であるはずの場所からは、春の香りが漂っていた。元気な子供たちの声が響き、そこにはまっすぐ2本の足で立つコリンの姿があった。伯爵はその姿を見た瞬間、心の中に長い間忘れていた生きることの喜びと、自然への感謝の気持ちがあふれるのをはっきりと感じるのだった。

【引用元】
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD10286/story.html


このミュージカルから今回ご紹介する一押しのナンバーは「Lily's Eyes」という曲です。
このミュージカルの中で一番の人気曲だと思います。youtubeで検索したらたくさんヒットしましたから。

この曲は、男声ニ重唱の曲なのですが、非常にかっこよく盛り上がっていく曲なのです。
最後のハモリ部分を聴くと、私などいつもしびれてしまうのですが…あせ
幾つかチョイスして載せますのでぜひ聴いてみてください。

・Lily's Eyes - Secret Garden - Anthony Warlow & Philip Quast

↑私が持っているオリジナルキャスト(Mandy Patinkin, Robert Westenberg)のCDと似ている演奏なので、それほど違和感が無く楽しめます。

なお、何を歌っているのかわからないと思いますので、英語の歌詞↓を転載しておきます。
英語力がないので訳せませんが、そんなに難しい単語も無いので何となくわかるような気もするんですが。
要は、「姪っ子のメアリーの瞳が、亡くなった妻のリリーにそっくりで、うんちゃら~」ってことを歌ってるんだと思います。
(歌っている男二人は兄弟で、アーチボルトはリリーの夫、ネビルってのはアーチボルトの兄弟。ネビルもリリーが好きだった…のか?)
誰か上手く訳してくれませんか??


NEVILLE:
Strangely quiet, but now the storm
Simply rests to strike again.
Standing, waiting, I think of her.
I think of her.

ARCHIBALD:
Strange, this Mary, she leaves the room,
Yet remains, She lingers on.
Something stirs me to think of her.
I think of her.

NEVILLE:
From death she casts her spell,
All night we hear her sighs,
And now a girl has come
Who has her eyes.

She has her eyes.
The girl has Lily's hazel eyes,
Those eyes that saw him happy long ago.
Those eyes that gave him life
And hope he'd never known.
How can he see the girl
And miss those hazel eyes?

ARCHIBALD:
She has her eyes.
The girl has Lily's hazel eyes,
Those eyes that closed and left me all alone.
Those eyes I feel will never ever let me go!
How can I see this girl who has her hazel eyes?

In Lily's eyes a castle
This house seemed to be,
And I, the bravest knight, became,
My lady fair was she.

NEVILLE:
She has her eyes.
She has my Lily's hazel eyes.
Those eyes that loved my brother-never me.
Those eyes that never saw me,
Never knew I longed
To hold her close,
To live at last in Lily's Eyes!

ARCHIBALD:
Imagine me, a lover!

NEVILLE:
I longed for the day
She'd turn and see me standing there.

NEVILLE: ARCHIBALD:
Would God have let her stay! Would God have let her stay!
She has her eyes. She has her eyes.
She has Lily's hazel eyes. My Lily's hazel eyes.
Those eyes that saw me
Those eyes that first I loved so! Happy long ago.

How can How can
I now forget I now forget
That once I dared to be That once I dared to be in love.

To be alive and whole Alive and whole
In Lily's eyes, In Lily's eyes,
In Lily's eyes! In Lily's eyes!

【引用元】
http://www.stlyrics.com/lyrics/thesecretgarden/lilyseyes.htm


こちらの映像↓もどぞ。
・Lily's eyes - Anthony Warlow & Philip Quast

↑最初に紹介したyoutubeで歌っている人がコンサート形式で歌ってます。ちょっとオリジナルと違っていて私にはいまいち。

・Lily's Eyes - The Secret Garden

↑これもなかなか良いけど、クライマックスでの高音部が伸びきっていないように聴こえるのが惜しい。


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テンプレ「詭弁15条」について

最近、知った詭弁15条というテンプレについて取り上げてみたい。
これは2ちゃんねるに書き込まれていたテンプレらしいのだが、私は愛読している「あるウソつきのブログ」さんの紹介で初めて知った。

このテンプレは、詭弁のパターンを実にわかりやすく分類していて、具体例がないと理解できないことの多い私には、最適な分析である。

例:「犬ははたして哺乳類か」という議論をしている場合
あなたが「犬は哺乳類としての条件を満たしている」と言ったのに対して否定論者が…

1.事実に対して仮定を持ち出す
「犬は子供を産むが、もし卵を生む犬がいたらどうだろうか?」

2.ごくまれな反例をとりあげる
「だが、尻尾が2本ある犬が生まれることもある」

3.自分に有利な将来像を予想する
「何年か後、犬に羽が生えないという保証は誰にもできない」

4.主観で決め付ける
「犬自身が哺乳類であることを望むわけがない」

5.資料を示さず自論が支持されていると思わせる
「世界では、犬は哺乳類ではないという見方が一般的だ」

6.一見関係ありそうで関係ない話を始める
「ところで、カモノハシは卵を産むのを知っているか?」

7.陰謀であると力説する
「それは、犬を哺乳類と認めると都合の良いアメリカが画策した陰謀だ」

8.知能障害を起こす
「何、犬ごときにマジになってやんの、バーカバーカ」

9.自分の見解を述べずに人格批判をする
「犬が哺乳類なんて言う奴は、社会に出てない証拠。現実をみてみろよ」

10.ありえない解決策を図る
「犬が卵を産めるようになれば良いって事でしょ」

11.レッテル貼りをする
「犬が哺乳類だなんて過去の概念にしがみつく右翼はイタイね」

12.決着した話を経緯を無視して蒸し返す
「ところで、犬がどうやったら哺乳類の条件をみたすんだ?」

13.勝利宣言をする
「犬が哺乳類だという論はすでに何年も前に論破されてる事なのだが」

14.細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる
「犬って言っても大型犬から小型犬までいる。もっと勉強しろよ」

15.新しい概念が全て正しいのだとミスリードする
「犬が哺乳類ではないと認めない限り生物学に進歩はない」


確かに、私もブログを書いている以上、反論されることも多い。

それがまっとうな反論なら、たとえ自説と全く違っていても、素直に受け止めることが出来るし、考えさせられることも多く、自らの視野を広げるのに役立つから、そうしたコメントがされることは嬉しいし有難くもある。

ところが、詭弁を使った反論は、非常に扱いが難しいんですよね。
そもそも相手を論破してやろうという為に、詭弁を用いるのだろうけど、詭弁を弄する相手は最初から対話しようと全く考えてないから不毛なやりとりになってしまう。しかも、その詭弁に反論する為だけに、多大な時間を要してしまう。

また、それを見ている第三者にとっても、詭弁というのは厄介な代物だと思う。
よくよく見ていないと、きちんと反論できているように見えてしまうし、その反論のどこがおかしいのかはっきり見定めることができず惑わされる結果にもなりかねない。

そんな時に上記のテンプレが非常に参考になりそう。

これを見ていると、過去のApeman先生の主張なんか、ばっちり当てはまるんだよなぁ。

あるウソつきのブログ」さんでは、上記15条を指針として活用されていると書いていたが、これからは自分もそうしようと思う次第。


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海外でのMRJ(三菱・リージョナル・ジェット)初受注獲得おめでとさん。

最近、いろいろと忙しくなかなか更新する暇がありません。
それに、取り上げてみたくなる嫌なニュースは数あれど、あまり書く気が起こらないんだよなぁ…。

しかし、今日は航空好きの血を騒がせるグッド・ニュースが飛び込んできたので、簡単に取り上げておきます。

<三菱航空機>小型ジェット100機 海外から初受注

三菱重工業などが出資する三菱航空機(名古屋市)は2日、開発中の国産小型ジェット旅客機「MRJ(三菱リージョナルジェット)」について、米国で地域航空会社2社を傘下に持つ「トランス・ステーツ・ホールディングス(TSH、ミズーリ州)」から100機を受注したと発表した。海外企業から受注するのは初めてで、全日本空輸と契約済みの25機と合わせたMRJの初期受注は125機となった。

小型旅客機の売り込み競争が激しい米国市場で受注を獲得したことは、今後の営業活動の追い風となりそうで、国が開発費を支援する「日の丸ジェット」プロジェクトは本格的な離陸に向け、前進した格好だ。

TSH傘下の地域航空会社2社は1日計350便を運航、米国内50都市を結び、年間約500万人の乗客を運んでいる。また、USエアウェイズなど大手航空会社の路線の運用も受託している。

TSHのリチャード・リーチ社長は2日の会見で「MRJの燃費効率の高さや経済性は、競争で有利に働く」と評価。三菱航空機の江川豪雄社長は「今回の受注を契機に、さらに世界的な販売に力を入れる。今後20年で1000機の受注獲得を目指したい」と意欲を示した。TSHに対しては、14年から5年程度かけてMRJを順次納入していく方針。

MRJは70席と90席の2タイプを持つ小型ジェット旅客機。経済産業省が旗振り役となり、民間では三菱重工業を主体に08年4月に事業化した。三菱航空機は、採算ラインとされる300機以上の受注を目指しているが、新規参入で受注実績が無いことなどがハードルとなり、受注はこれまで全日空からの25機にとどまっていた。【坂井隆之】

【引用元:10月2日20時47分配信 毎日新聞】


今まで全日空の25機しか受注実績がなく、その後音沙汰がさっぱり無かったので心配していたのですが、これでちょっと一安心。
ただ、まだまだ採算ラインじゃないので、これを契機に受注獲得に弾みをつけて欲しいですね。



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一知半解

Author:一知半解
「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
日々のツイートを集めた別館「一知半解なれども一筆言上」~半可通のひとり言~↓もよろしゅう。

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