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一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

人はみな「選択的良心」の持ち主である。

今回、ご紹介する山本七平のコラムの記述は、非常に示唆に富むものです。
ちょっと長めですが、是非目を通していただきたい。

■「カハン報告」に生きるユダヤの歴史

「カハン調査委員会報告」と言っても、その名を知る人は殆ど皆無であり、また、この「報告」が日本のマスコミに取り上げられることもないであろう。

だがこの報告の英語版が出来るやいなや、世界のマスコミ関係者はもちろん、各国政府はじめ諸機関の強い関心を呼び、ちょっとしたベストセラーになっているという。

では、「カハン調査委員会報告」とは何か。

一九八三年九月中旬ベイルートで起こった虐殺事件の調査委員会の報告である。

委員はイツハク・カハン最高裁長官、アハロン・バラク最高裁判事、ヨナ・エフラット予備役少将の三人である。

そしてこの調査が、世界中から強い関心をもたれていることは、多くの問題について、さまざまな示唆をわれわれに与える。

まず第一に、この調査への世界の信頼性がきわめて高いという点である。
いわば調べているのがユダヤ人、調べられているのもユダヤ人だが、彼らがこれをきわめて公正に行い、ユダヤ人に不利なこと、また反ユダヤ的宣伝に利用されそうなことは故意に隠蔽しているであろうとは、少なくともユダヤ人との接触が長かった世界では、考えられないということである。

なぜであろうか。

報告書には次の言葉がある。
「選択的良心の持主のために、この調査は意図されたのでなく……事実に到達するため」行われた、と。

一体ここで言われている「選択的良心の持主」とは、どのような人を指しているのであろうか。

簡単な例をあげれば、例えばベトナム戦争のとき、米軍のソンミの虐殺は猛然と糾弾してまことに良心的だが、北のユエの虐殺には一言も発せず、その事実さえ、報道しないという形で隠蔽してしまうような人たちのこと、簡単にいえば、良心発動の対象に選択がある人のことである。

もちろんこの世界に、選択的良心の持主が多々いることを彼らは知っている。

いな、知っているどころか、「ディアスポラ」(離散)二千年の彼らの歴史は、良心的な、まことに良心的な、しかし選択的良心の持主に苦しめられつづけ、迫害されつづけて来た歴史であった。

例はいくらでもあるが、たとえば子供が行方不明になる。それを必死で探す人びとはまことに良心的な人びとである。

ところが、ユダヤ人が誘拐して幼児犠牲の祭儀を行ったのだというデマがとぶ。このとき最も良心的な人が、ユダヤ人を捕え、拷問し、あらゆる残虐の限りをつくして虚偽の自白をさせ、処刑する。

これで彼らの良心は満足する。

いわば彼らの良心は選択された対象にのみ発動されても、その選択外には発動されないのである。これが典型的な「選択的良心の持主」である。

では、これに対してどう対抗すべきなのか。

それはあくまでも事実を究明し、それを記録に残し、「時間という名の法廷」に提訴する以外にない。

これが彼らが、その長い苦難の歴史から学んだことであった。そして、カハン調査委員会の行き方は、まさにその伝統を継承しており、欧米はその伝統を知るがゆえに、この調査委員会の報告は最も信用されるのである。

われわれには、こういう歴史的体験はない
そのためか、マスコミの「偏向」が問題とされることはあっても、「選択的良心」とは何か、何故そのようになるか、といった探究は無いと言ってよい

従ってマスコミは、「良心的」ということ、「選択的良心的」ということを、自らの中で厳然と峻別し、後者が実は最も非良心的な行き方だなどと考える余地は全くないように見える。

われわれが極東の小さな島国であった時代は、それでもよかったのかも知れぬ。

そのため、マスコミの選択的良心が外国の選択的良心と呼応して日本政府を攻撃するといったことを、われわれは不思議と感じないほど、この問題に不感症になっているのかも知れない。

しかし、国際社会におけるわれわれの位置は昔通りではなく、われわれ自身が、何かの場合に選択的良心の攻撃の対象にならないという保証はないのである。

そうなった場合、「選択的良心の持主のために、この調査は意図されたのでなく、事実に到達するために行われた」のだと、堂々と国の内外に言い、かつそれが国際的にも広く信頼されうるような機関をわれわれはもっているであろうか。

残念ながら、現在のところは、「ない」と言わねばならないであろう。

いな、昔からこのような調査委員会を設けて、あらゆる方法でただ「事実に到達する」ことのみを目的とするといったようなことは、日本では起こらなかった。

そのような事実を公にすれば国の恥になるといった感覚から、いまわしい事件の多くは隠蔽され、そして消されて来たわけである。

だが、情勢が変化すると、消したことが逆に、選択的良心の持主のために、無限の膨張を招来することもあるのである。

その際に「カハン調査委員会報告」に等しいものが無いという状態は、民族の将来を思うとき、打ち切るべき状態であると思う

【引用元:「常識」の非常識/P154~】


選択的良心の持ち主……それは、私自身も含め大多数の人が該当するのではないでしょうか?
こうしたことを、ダブルスタンダードと言って批難しているのを、ネットでもよく見かけますね。

でも、そうした批難を浴びせる方だって、選択的良心の持ち主が殆どです。
というか、全てにわたって良心を発動できる人なんていないと思う。

なぜなのか。
それはやっぱり、人には「偏見」がつきものであるからでしょう。

山本七平は、「ある異常体験者の偏見」の中で、次のように指摘しています。

聖書には「ヤハウェ(神)は、かたより見ないもの」という面白い言葉がある。これを逆に読めば、「人は、かたより見るもの」なのである。


つまり、人間は偏見から逃れ得ないということなんですが、どうもこのことを自覚しないでいる人が多いような気がします。
というのも、「偏見を持ってはならない」という主張をする人が余りにも多いと感じるから。

例えば、NHKは偏向しているとよく言われます。
勿論、国民の税金で運営されているNHKですから、かたよりがあってはならないとは思いますが、かといって神の立場には立ち得ないのですから、所詮NHKといえども偏向はまぬかれ得ません。
(私個人の意見としては、NHKには日本国の国益を守るとか日本の主張を内外に宣伝するといった「かたより」を持つべきだと思いますけど。)

その批判の根底には、「不偏不党でなければいけない」とか「偏見はいけない」とかあるわけですけど、これって「人は、かたよりみるもの」という現実を理解していないとしか思えないのです。

逆説的ではありますが、下記引用のとおり山本七平は「『偏見をもっていない』と主張する人こそ、最大の偏見をもっている」と述べています。

(~前略~)

ただ違う点があるとすれば、ヘブライ人やギリシャ人は、人間とは元来そういうものであるという前提に立って、何とかこれを克服する方法を発見しようとした、という点にあるであろう。

彼らは「偏見をもってはいけません」と「公正中立純客観的立場」の人がいい、「ハイ、わかりました。以後もちません」と人びとがいえばすべてがすむといったような「論説委員」的偏見はもっていなかった。

これこそ、人間なるものへの最大の偏見であろう

従って「偏見をもっていない」と主張する人こそ、最大の偏見をもっているはずである。すべての人には偏見があり、すべての人には先入観があり、すべての人には誤認がある。

(~後略~)

【引用元:ある異常体験者の偏見/一億人の偏見/P272~】


余談ですが、ここでちょっと思い出すのが、朝日新聞の綱領です。

一、不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す。

【参照先URL】朝日新聞綱領


朝日新聞は、自らが神の立場に立ったつもりでいるのでしょう。マスコミの傲慢さが良く現れているような気がします。

それはさておき、偏見から逃れられない以上、「選択的良心の発動」ということからも逃れ得ない、と思うのです。

そうだとしたら、どのように対処すればいいのか。

まず、第一に山本七平のいうとおり、「事実を究明し、それを記録に残し、『時間という名の法廷』に提訴する」というやり方を採る必要があるでしょう。

ただ、「事実を究明する」という一点においても、人にはかたよりがありますから、「事実の認定」ひとつをとっても難しいのが現状です。

そこで問題になるのが、「選択的良心」の傾向が強い人ほど、平気で「事実の認定」を歪める傾向が強いということです。

政治的立場で「事実の認定」を歪めることを、ロマン・ロランは”最大の不正”としましたが、このことを大したことではないと思っている人が実に多いのです。

「事実の認定」を政治的立場で歪めれば、歪めない人びとを「嘘つき」にしなければなりません。
私の偏見で一例を挙げれば、反歴史修正主義者の方たちなどは、そうした状況に陥っているとしか思えないのですが…。

ただ、いわゆるネットウヨクによく見られる「日本はまったく悪くなかった」という実に一面的な歴史観も、日本が起こした「いまわしい事件」を隠蔽するものと捉えられ、そのことが反歴史修正主義者の反発を招いていることも否めません。

こうした状況を打開するには、やはり、思想信条に関わらず「事実は事実だ」と言えるかどうか…に掛かっていると思います。

自分が選択的良心の持ち主であることを自覚し、目を背けたくなる事実であっても事実だと認める姿勢を持ち続けること。

そして、自分の見解に対立する者の口を封じたり、無視しないこと。

このことも実に重要な点でしょう。

以上のことから、気をつけねばならないポイントを簡単にまとめますと、次のことになるかと。

・「事実の認定」を政治的立場で歪めない。

・人は偏見から逃れられないこと、また、選択的良心の持ち主であることを自覚する。

・都合の悪い事実を隠蔽しない。

・対立する意見を封じたり無視しない。


これらが出来ないと、いつまでたっても日本版「カハン報告」というものは出来ないのかも…。

最後になりますが、今後、我々の日本が、選択的良心の発動の対象になりかねない…そうした懸念をもっと抱く必要があるような気がしてなりません。


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コメント

todoさんへ

todoさん、こんばんは。コメントありがとうございます。

>そういう意味で信頼できる新聞は「日経」と「赤旗」だと。
しかし、この時代なら「日経」と「赤旗」が同列に比べられたんですねぇ。今昔の感無量です。


あー、それは私も読んだ記憶があります。
立ち位置がはっきりしているから、外国人にも分かりやすいのでしょうね。
赤旗は、そういう意味では自らの信念に忠実なだけ、良心的かもしれません。

山本七平は、日本のマスコミを無定見だとも指摘していましたが、無定見になる理由というのもこの「立ち位置」がはっきりしていないが故かもしれませんね。

  • 2008/10/23(木) 21:17:31 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

日本人とユダヤ人

>自らに偏見があるかもしれないとの恐れを自覚して報道するのと、自分は公正な立場に立っているんだと思い込んで報道するのでは、全然意味が違ってくると思いますし、実際、朝日新聞をはじめとするマスコミの態度を見ると、後者であるとしか思えないのです。

どこに書いてあったか忘れましたが、イザヤ・ベンダサン。
公正などという立場は神以外にはありえない。
人はすべて何かの当事者なのだから、立ち位置を明確にしたものでなければ信じられない。
そういう意味で信頼できる新聞は「日経」と「赤旗」だと。
しかし、この時代なら「日経」と「赤旗」が同列に比べられたんですねぇ。今昔の感無量です。

  • 2008/10/23(木) 06:20:56 |
  • URL |
  • todo #-
  • [編集]

 間違えました…orz

 悪文でしすが、 ×
 悪文でしたが、 ○

  • 2008/10/21(火) 01:56:29 |
  • URL |
  • 1読者 #-
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1読者

 ちょっとネタ振りのつもりで、「言論統制や宣伝行為を考慮しない前提で」という部分を残したのですが不発だったようです…orz(もちろん、わこさんに証明してもらうつもりでしたがw)

 引用したウィキの文章は、確かにちょっと癖のある(哲学風の)悪文でしすが、意味は通じると思います。あ、ちなみにマスコミのことは全然書いてありません。

  • 2008/10/21(火) 01:38:31 |
  • URL |
  • 名無しの権助 #-
  • [編集]

1読者様にお尋ねします

通説は誰によって作られるか?
マスコミによって作られる。
マスコミは誰の意を受けて流しているか?
広告主及び時の政府(NHK)である。
どちらも検証が不可能な場合は、通説に反する事を言う陰謀論の方をはいかがわしいとする。
つまり政府、資本家の言う事が正しく、それに反する考え方はいかがわしいとせねばならない?
と言う事ですか?

  • 2008/10/20(月) 07:02:08 |
  • URL |
  • わこ #dN1wHbUA
  • [編集]

 横レスになりますが、ご参考まで。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E8%AC%80%E8%AB%96

『陰謀論とは、
1. 歴史上の出来事は、ある個人・団体の陰謀、策謀に基づき生じた
2. ある個人・団体の活動に、目的や内容が隠蔽されている活動がある
とする考え、もしくは考え方である。

陰謀論は一般に、強い権力をもつ者(一国もしくは複数の国の政府、警察、軍隊、あるいは巨大資本、宗教団体、民族集団など)が一定の意図を持って一般人の見えないところで事象を操作している、とする主張である。具体的には、
* 政府は国民に秘密で何事かを行っている
* 世界や国家は何らかの団体にコントロールされている
* ある戦争や事件は通説とは別の理由で起こったものだ
などが代表的なものである。

(論理的)脆弱性

 言論統制や宣伝行為を考慮しない前提で、論理の構造を考察した場合、通説は、検証により棄却されない仮説を消極的に採るという行為の積み重ねにより信頼性の高まったものであると理想化されるのに対して、陰謀論は、検証により棄却されない仮説を、通説に対抗的な特定の意図(対立するイデオロギー・政治的宗教的意図)にもとづき積極的に採る事が多いとされる。陰謀論は疑いを捨てられない状況において疑いを支持することや、未検証の仮説を検証されたものと同等に採用することで生じるとも言う。

このため陰謀論は通説と比較して信頼性が著しく低い場合が多く、また採用すべき仮説に対する全くの誤解や無理解、誤解釈に基づく事も多いという批判が可能である。…』

 田中宇さんの記事は私もいくつか拝読したことがありますが、話し半分(もしくはそれ以下w)という態度で接するのが無難かもしれません。もともと彼自身は自ら取材するわけでもなく、欧米の記事を繋ぎ合わせて自分なりの解釈を披露しているだけのものですし、まぁそういう解釈も面白いかもね、というのが率直な印象です。

  • 2008/10/19(日) 22:02:53 |
  • URL |
  • 1読者 #-
  • [編集]

失礼ながら

あいまいな言い回しでは、分かり難いとのお申し越しでしたので、あからさまでちょっと気がひけるのですが、書いてみました。
(自分のブログに書いたコメントの写しを、又此処に、コピーしておきますね。)
* * * * * 
管理人のみ閲覧・一知半解様
あからさまに武器商人のエージェントと疑っているなどと書いては失礼かと思い控えていましたが、お望みのようですので、はっきりとここに書かせていただきます。
尚最後のコメントを削除しましたのは、そうしなければ、コメント拒否にならないと(前回コメ拒否をした時)に思ったので、コメントを削除したのでした。(それでも効き目はなかったようですが・・・・・)
田中宇さんは、確かに陰謀を設定した論を述べておられ、その陰謀が事実かどうかは、今は誰にも(当事者以外には)分からない事ではありますが、
先にご紹介しました、「イスラエルの戦争と平和」http://tanakanews.com/080909israel.htm に書かれていることは、歴史的事実を年度と関係者の名前を書いて、検証しておられますので、この記述は信用できると思っています。
それにこの記事を読む前から、私はイスラエルは軍事産業関係者から、戦争を続けさせられているのではないかと思っていましたので、尚更この記事に納得したのです。

PLOのアラファト議長でしたかしら、先年亡くなった時、彼のフランス人の愛人の事が、ちらっとニュースバラエティーで、言われていたのを耳にしました。
その時私の疑いは確信に変わりました。
アラブもイスラエルも、その指導者達は、自分の同胞を犠牲にしているだら漢で、
何時までも終わり無き戦争を続ける役目を、請け負っている武器業者の手先であるに違いないと。

一知半解さんは、田中さんのことを、その論の何処がいかがわしかを言わないで、
陰謀論であるというだけで、切り捨てられましたね。

陰謀論が如何して排斥されるのか?
陰謀が政治の世界に全然有り得ない事だからではないでしょう?
出鱈目な陰謀論を唱えて、人心を撹乱してはいけないからなのではないですか?

政治に陰謀は付き物であると言う事も又一面の真理であると思います。

ですから何であっても、陰謀を唱えているから、出鱈目な奴だと言う論は、誠実な態度とは言えないと思います。
それは陰謀を企んでいる政治家の援護射撃をしているのと同じ事だと思います。
陰謀の話を聞いた時には、その蓋然性、可能性を考えて、成否を判断するべきものであって、陰謀論だから嘘だと決め付けるのは、それだけで誰かの手先であるか、
またはプロパガンダに騙されやすいだけの人と言う事になると思います。

私は一知半解さんの事を、余り良く知らないので、なんとも言えないのですが、
それ程の低脳とも思えませんでしたので、そえれならばエージェントであろうと思った次第です。

エージェントは普通頭が良いから、人をだますのも上手で、一見筋が通っているような事を言っているからと言って、うっかり聞いていると騙されてしまいます。
ですから私は、エージェントだと思ったら、コメント拒否にしているのです。
これは了見が広いとか狭いとかの問題ではなく、騙されやすい自分と言うものを知っているからです。
そして多くの若者は、経験が少ない分、もっと騙されやすいのではないかと思います。
ですから、私のブログを介して騙される人を作ることだけはしたくないから、コメントを排除する事にしているのです。

お求めでしたので、詳しく書かせて頂きました。
失礼の段、お詫びします。

  • 2008/10/19(日) 15:12:45 |
  • URL |
  • わこ #dN1wHbUA
  • [編集]

わこさんへ

わこさん、こんにちは。
どうやら私のコメントがご迷惑をかけているようなので、これで最後とし、以後どうしても反論したい場合は自ブログで取り上げてTB(これも出来ないんでしたっけ)するか鍵コメでお知らせするように致します。

>この前のコメント(もうご商売のお邪魔はしません・・・と書いたもの)が、そのご通知の積りだったのですが・・・・・

そうでしたか。わたしは鈍感なので察することができませんでした。
わくわく44さんに対してコメ削除・禁止の措置を取ったときのように、はっきりわこさんのブログで宣言していただければ、第三者にもわかりますが、黙ってコメ削除されるとまるで私が反論しなかったかの如く思われてしまいます。
できれば、今からでもわくわく44さん同様に処置していただければありがたいのですが…。

余談ですが、ちょうど今、私がブログで取り上げている「アントニーの詐術」シリーズにおいて、「扇動がどのようにおこなわれるか」を説明しているのですが、まだブログで紹介していない部分ですが、わこさんが私やわくわく44さんに取った態度にも該当するかと思われますので以下、参考までに引用しておきます。

確かに偏見とか偏向とかは非常にこまったことだが、これを是正する方法は実は一つしかないのである。それは「アンチ・アントニーの存在を認める」という以外にない

すなわちシーザーの死体の頭のところにアントニーが立って、事実・事実・問いかけ、をくりかえしていると、同時にシーザーの死体の足のところに「アンチ・アントニー」が立って、同じような方法で、アントニーの言う「事実」に反する「事実」を、同じように、事実・事実・問いかけという形でのべる以外にない。ここで聴衆は、相反する二つの事実を示されることによって、「自分の判断」ができるはずである。

従って真に「偏向」しているものは何かといえば、それは「アンチ・アントニー」の存在を認めず、あらゆる方法でそれを排除し、その口をふさいでしまう者のはずである。

日本軍は絶対に「アンチ・アントニー」の存在を認めない。従って、この存在を認めない者を、私は日本軍同様と見なす。それが何と呼ばれていようと――。


思うに、わこさんをはじめ護憲を標榜されるブロガーの大半は、「アンチ・アントニー」の存在を認めないでいます。

きつい言い方をして申し訳ありませんが、いくら平和を志向していようと、実際の行動はかつての日本軍と同様であるということを、ご自覚いただくべきではないか…と思わざるを得ません。

  • 2008/10/19(日) 11:54:08 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
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コメント頂き恐れ入ります。
この前のコメント(もうご商売のお邪魔はしません・・・と書いたもの)が、そのご通知の積りだったのですが・・・・・

私はパソコンが未だに習得できていないらしく、
禁止措置をとったつもりでも、又コメントの書入れが出来るようです。

でも、もう私などお気になさらなくても・・・・・

  • 2008/10/19(日) 06:56:51 |
  • URL |
  • わこ #dN1wHbUA
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わこさん、1読者さんへ

>わこさん

どうやらわこさんの限界に抵触してしまったようですね。私もこのエントリーに関して、これ以上お返事差し上げるのは差し控えさせていただきます。
前回のレスをわこさんのコメント欄にもコピペさせていただいたのですが、削除されてしまったのは残念でした。今回のレスはコピペするのはやめておきます。

コメント削除の措置を受けて、今後、もし、他のエントリーでわこさんのブログにコメントする時、果たして書き込みができるのか心配になってきました。ひょっとしてコメ禁止措置が採られてしまったのでしょうか?
もし、そうだとしたら、せめてそうした措置を採ったということぐらいは、私にご通知いただきたくお願い申し上げます。


>1読者さん

コメントありがとうございます。私の記事など、山本七平の引用ばかりでお恥ずかしいですけれど、喜んでいただければ記事更新の励みになります。

>予断に基づき特定の人間または集団の責任を追求するために行なわれるとしたら…まさに、この危険性こそが山本七平氏が指摘したかった点であり、選択的良心の真の問題点ですね。

なんか私よりうまくまとめていただいて、参考になります。このようにまとめられるようであればいいんですが、私の場合、うまくまとめられないのでつい引用ばかり…となってしまいます(汗)。

>これは厳密にはダブルスタンダードとは異なります。ダブルスタンダードは、性質の異なる二種類の事実に対して異なる基準で判断する場合を指しますが、その区分が合理的なら問題はありません。

そのとおりですね。ちょっと私の記事ではそこら辺の区別があいまいでした。ダブルスタンダードも1読者さんのおっしゃる場合なら問題ないケースもあるでしょう。

>とくに歴史的事実に関しては、偏見に基づいた特定の歴史観が固定してしまえば、それと矛盾する事実は忘却され、もはや覆すことは不可能になってしまうのですから。

この点は、私も本当に憂慮しています。山本七平が世間知らずのお坊ちゃんと揶揄した「進歩的文化人」のたぐいの連中が、今もたくさん日本人の中にいて、道徳的優越感を漂わせながら、こうした歴史観を内外にアピールしているのを見ると、本当に「日本人の敵は日本人」と思いを強くするこの頃です。

>「アントニーの原則」とは、これまた印象的なテーマを取り上げて下さいました。ゆっくりと読ませて頂こうと思います。

ありがとうございます。この「アントニーの原則」は、現代の日本人にもっと知ってもらいたいなぁと考えたので、僭越ながら取り上げてみました(といっても、丸々引用しているだけですが…汗)。今後、「トマスの不信」とかも取り上げていければ…と思っています。よろしくお願いします。

  • 2008/10/18(土) 21:56:25 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

 「依存症の独り言」さんを経由してこのブログを知りました。今でも山本七平さんの著作を取り上げている方がいらっしゃると知り、かつての愛読者の1人として嬉しくなりました。
 今回取り上げられたコラムは、私もかなり印象に残っています。当時は次のようなことを考えていました。

 たとえば、歴史学(本来は、社会科学全般及びジャーナリズムを含む)は、次のような論理過程を経て考察されるべきものです。

(1) 過去の事実の確定(事実認定)
    ↓
(2) 特定の事実もしくは事実群の取捨選択(編集権?)
    ↓
(3) 歴史的な意味付け・解釈(歴史観?)

 しかし、実際には、過去の事実といっても膨大な事実群の集合であり、そこから特定の事実を取捨選択した時点で、すでに一定の価値判断が入り込んでしまいます。まして、最初から特定の価値判断に基づいて事実を取捨選択し検証しても、それは片寄った歴史的断面を切り取ることにしかなりません。さらに、予断に基づき特定の人間または集団の責任を追求するために行なわれるとしたら…まさに、この危険性こそが山本七平氏が指摘したかった点であり、選択的良心の真の問題点ですね。
(これは厳密にはダブルスタンダードとは異なります。ダブルスタンダードは、性質の異なる二種類の事実に対して異なる基準で判断する場合を指しますが、その区分が合理的なら問題はありません。もっとも、不合理なら選択的良心の場合と非常によく似た状況になりますが。)

 では、こうした危険性にどう対処するべきか。
 これは、山本七平氏や一知半解さんがおっしゃるように、いかなる思想・信条を持っていようとも、できるだけ客観的な立場から「事実を究明し、それを記録に残し、『時間という名の法廷』に提訴する以外にない」ということですね。とくに歴史的事実に関しては、偏見に基づいた特定の歴史観が固定してしまえば、それと矛盾する事実は忘却され、もはや覆すことは不可能になってしまうのですから。


>最後になりますが、今後、我々の日本が、選択的良心の発動の対象になりかねない…そうした懸念をもっと抱く必要があるような気がしてなりません。
 いや、すでに日本は南京事件や従軍慰安婦問題などで巻き込まれているのではないでしょうか?
 ただ、選択的良心の危険性に対する認識は、ユダヤ人だけでなく欧米諸国でもある程度共有されていることと、対象とされている歴史的問題が比較的新しい(まだ生存者がいる)ということがその深刻さを隠しているに過ぎないように思われます。
 また、今後はその時々の政権に不都合な歴史的事実を抹消することを伝統とする国々(支那や朝鮮半島)が絡んでいるということによる困難さも、自覚しておく必要があるでしょうね。


PS:すでに新しいエントリーが揚がっていますね。「アントニーの原則」とは、これまた印象的なテーマを取り上げて下さいました。ゆっくりと読ませて頂こうと思います。

  • 2008/10/18(土) 03:52:30 |
  • URL |
  • 1読者 #-
  • [編集]

ご商売のお邪魔をして済みませんでしたね。
もうお邪魔はしませんので・・・・・

  • 2008/10/15(水) 23:26:07 |
  • URL |
  • わこ #dN1wHbUA
  • [編集]

わこさんへ

>わこさん

こんばんは。再コメありがとうございます。

>彼らの狙いは、日本に戦争をさせることによって、武器を売りつけることなのですから

仮に武器を売りつけることが目的だったとしても、彼らは戦争なぞ望んではいませんよ。
現代の戦争とは総力戦になりかねませんから、そうなったら武器を売りつける相手が居なくなってしまいます。

武器には、まぎれもなく「抑止力」というのがあります。人が武器を持つことによって平静でいられるというのは否定できません。したがって、これを考えない平和論と言うのは、机上の空論に過ぎません。そうした点から目をそらしてはならないと思います。

>要するにむやみに戦争を煽る人は、信用ならないというのが私のスタンスですので・・・・・

まあ、核武装とか、日本独立とか叫んでいるのは、確かに軽率極まりないとは思いますが…。
ただ、私も戦争煽っているつもりはまったくないんですけどねぇ~。

私がこのブログで山本七平のことを紹介しているのも、むしろどうしたら戦争を起こさないで済むか皆に考えてもらいたいからなのですけど。

なお、田中宇さんについては、私も昔読んでいたのですが、どうも陰謀論くさくて最近は読んでいません。
私のブログによくコメントを寄せていただいているmugiさんも下記リンク先↓のようにあまり評価していませんでした。

・知日家外国人学者、その正体は…
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/75eb6ac50adc22c9b8e561aaebc3593d

余計なお世話かもしれませんが、あまり、田中宇さんの説を鵜呑みにするのはどうかと。
参考にする程度がよいと思います。

  • 2008/10/15(水) 17:05:32 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

ちょっと酷すぎる

わこさんの言説は、いくらなんでも度が過ぎます。はっきり言って、わこさんは、陰謀論に限りなく近い形での思考と感情を抱いてしまっている。

わこさんの言動に「?」がありまくっていた私ですが、謎が解けました。失礼な言い方をして申し訳ないですが、わこさんは、私が思っていた以上に基本知識がないまま、単に警戒心と猜疑心だけで安全保障や国際紛争を見てしまっている。言い換えれば「田中宇のレポートを、最も読んではならない人」だということです。

物事を考えることはいいことですが、自分と正反対の見解を「肯定的に見て考える」ことを繰り返して、ぜひともリテラシーを養わないといけないですね。失礼なことを申しましたが、あまりにも酷すぎるのでひとこと。

  • 2008/10/14(火) 13:09:37 |
  • URL |
  • わくわく44 #-
  • [編集]

何度もすみません

親武器製造業者、武器販売業者、軍産複合体仮にそうした勢力があったとして、日本に影響力を及ぼすためには、政権政党に取り入らなければなりません。そうすることでその政党に代弁させるわけですから、私の前のコメントがそれほどピントが外れているとは思いませんとの事でしたが、私はエージェントたちは、政党と直結している者ばかりではないと思っています。
色々の政党の悪口も言いながら、国民の輿論を戦争を許容するものに変える為に、あらゆる方策を使っていることでしょう。
彼らの狙いは、日本に戦争をさせることによって、武器を売りつけることなのですから、
政治に関わることを言うのも、近隣の国と仲良くしないように誘導したいだけで、その他のことには余り興味は無いようです。
だから、原子力発電所のことも、格差社会の事も余り興味が無いし、
税金が逼迫していると言うのに、むやみにアメリカから武器を輸入する事にも、
少しも疑問を持たないのでしょう。
そして逼迫した我国の予算の中、米軍へどれだけの予算を毎年計上しているかも、全然気にならないのでしょう。

そういう訳で反対政党だと分かったら、議論を打ち切るつもりかといわれたら、黙っているわけにはいきませんでした。
武器屋さんのエージェントであるという疑い以外で、議論を打ち切る積りはありません。

要するにむやみに戦争を煽る人は、信用ならないというのが私のスタンスですので・・・・・

イスラエルが50年以上対アラブ戦争を続けさせられている現状を見るにつけても、イスラエルの一般の人たちが気の毒でなりません。
この間の事情を、田中宇さんが歴史的事件を並べて、くわしくせつめいしておられました。
http://tanakanews.com/080909israel.htm

  • 2008/10/14(火) 08:11:19 |
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  • わこ #dN1wHbUA
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わこさん、mugiさんへ

>わこさん

>もう無いものと諦めていました。

こんばんは。レス遅くなって済みませんでした。なかなか実生活が忙しくコメント返せなくて申し訳ないです。

>話の前後から当然お分かりいただけると思って、余りあからさまに書きたくなかったのであの様に書いたのですが、或る勢力とは勿論外国の(日本では武器は作っていないはずですから) 『武器製造者、販売者、軍産複合体』を指した積りでした。

もちろん、分かっていたつもりです。
ただ、仮にそうした勢力があったとして、日本に影響力を及ぼすためには、政権政党に取り入らなければなりません。そうすることでその政党に代弁させるわけですから、私の前のコメントがそれほどピントが外れているとは思いませんし、ましてや、わからない振りをしていた積もりもございません。

わこさんに、そうした勢力の代弁をしている、と思われているのはちょっと心外でした(当方、市井の一市民にすぎません)。
ただ、私の反論も、わこさんサイドから見れば、産軍複合体の代弁をしているように見えてしまうのも分からなくもないですけど…。なかなか議論というものは難しいモノですね。

>mugiさん

こんばんは。再コメありがとうございます。

mugiさんが指摘するように、山本七平は親ユダヤだったのかも知れません。
ただ、親ユダヤとして、絶対化・一体化していなかったと私は思いますし、仮にそうだったとしても、その立場で、反ユダヤに対し批難や攻撃を加えてはいなかったと思います(ユダヤに甘い論調で、結果的に味方したと思われても仕方ないとは思いますが)。

彼の著作を読んでいて感じるのは、彼が執念を以って原因の追究に取り組み、かつ批判していたのが太平洋戦争という愚行に突入していった「日本人の思考・行動様式そのもの」であって、親ユダヤ的立場で日本人を親ユダヤ化しようとしていたわけではない…ということです。

私が、山本七平に共感するのも、彼が日本人の思考・行動様式について自らの体験を以って後世の人間にもわかる様に解説し、本当に反省すべきことは一体何なのか示唆しているくれているからなのです。

ちなみに、私のユダヤについてのスタンスは、mugiさんのブログや「原爆ホロコースト」の実態などのHPを見たことも影響していますが、警戒的・批判的な立場に立っているつもりです。

  • 2008/10/14(火) 00:32:58 |
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  • 一知半解 #f2BEFQoE
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一体化

ベンダサン著『日本人と中国人』にはこのような文章がありました。

「日本の場合は、対象と自分を対立関係におくことを拒否することを、「親」と考えることに特性があるといえる。この場合、中国とかアラブとかいう対象は、実は日本人の内なるイメージであり、日本人はまずこれを絶対化し、ひたすらこれと自己を一体化することに努める。そして一体化したと思い込めない限り、精神的に安定できない…」

これぞ、親ユダヤの山本の心情を表したものだと痛感しました。だからこそ、死ぬまでユダヤ人を演じ続けられた。イスラエルに散骨されたのも山本の本望でしょうし、ユダヤと一体化することに努めた人生の完結でした。
しかし、「親」アラブ、中国、ユダヤでも絶対化、一体化しなかった人もいたはずです。そのような人物は「親」○国派からは、反○国派と糾弾される。

アラブにも凄まじい内ゲバがあり、一同団結できないのが現状。イスラエル元首相ネタニヤフが「アラブの大儀など、ちっぽけなものだ」と嘲るのも当然。これを「親」アラブ日本人は伝えず、もし告げようとする者がいたのなら、米帝の手先と呼ばれかねませんね。

  • 2008/10/13(月) 21:42:33 |
  • URL |
  • mugi #xsUmrm7U
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お返事下さっていたのですね。

もう無いものと諦めていました。
ところで
「或る勢力」と仰いますが、政党政治である以上、どの政党も「それぞれの勢力」の代弁をするのが当然であって、「或る勢力」だからといって、議論を避け排除するのはおかしいと思うのですけど…。
と仰っていますが、私は政党の積りではありませんでした。
話の前後から当然お分かりいただけると思って、余りあからさまに書きたくなかったのであの様に書いたのですが、或る勢力とは勿論外国の(日本では武器は作っていないはずですから)
『武器製造者、販売者、軍産複合体』を指した積りでした。
もしかしてわざと分からない振りをしておられるとか?
それならもうご商売のお邪魔はいたしませんので・・・・・

  • 2008/10/12(日) 17:47:50 |
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  • わこ #dN1wHbUA
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コメントありがとうございました。レス遅くなって済みません。

>わこさん

返事が遅くなり済みません。
何度もコメントありがとうございます。

>明らかに或る勢力のための代弁をしている者を、 その勢力から如何にして国を守るかと言う議論をしている時に迄、その意見に耳を傾けるのは、弊害が多すぎると思います。

う~ん、「或る勢力」と仰いますが、政党政治である以上、どの政党も「それぞれの勢力」の代弁をするのが当然であって、「或る勢力」だからといって、議論を避け排除するのはおかしいと思うのですけど…。

>わくわく44さん

コメントありがとうございます。

>「戦争を避けたいなら、戦争への覚悟を決める」

逆説的ですが、そのとおりだと思います。

いつもわかりやすいコメントで、非常に参考になります。

>mugiさん

こんにちは。

>当然イスラム世界では信頼性は極めて低い。
>中朝露に口をつぐむ平和団体と同じく、山本も含め日本のユダヤシンパは、イスラエルに都合の悪い事実は黙殺しますね。


私もネットで検索してみたのですが、カハン報告に関して日本では知られていないせいか余りヒットしませんでした。参考になりそうなHPはこれくらい↓かな?

http://www.asyura2.com/0304/war32/msg/426.html

これを読むと、カハン報告書が信頼されるに足るとは確かに言い切れない気が…。
所詮、山本七平と言えども、人間ですから偏向はまぬかれえないのでしょうか。

まぁ、彼の場合、あらかじめ自ら異常体験者の「偏見」と断っているだけ、まだマシかもしれません。「ある異常体験者の偏見」は、毎日新聞論説委員の新井宝雄氏との論争をまとめたものですが、その中で次のように述べています。

>私は偏向者にも扇動者にもなりたくない。そういうものはもうたくさんである。私は自分の言うことを偏見とことわっているのだから、新井宝雄氏にも徹底的に反論してもらいたい。罵詈讒謗でも悪ロでも何でもかまわない。コテンパンにやっつけてもらいたい。というのは、反論されれば、同時に、資料も提出してもらえるからである。私にとっては、これくらい有難いことはない。どうか私を徹底的にやっつけて下さるようお願いする――もちろんその節は、その反論は全部「資料」として私の方にいただく。それをしてはじめて事実が解明できるはずである。

ですから、mugiさんのような指摘は、実は彼にとってもありがたいものかも知れないなぁ…とも感じました。

  • 2008/10/12(日) 13:10:58 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
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政治ショー

この裁判は政治ショーが濃厚なものです。「世界の信頼性がきわめて高い」といえ、当然イスラム世界では信頼性は極めて低い。
ユダヤ系が欧米のマスコミを牛耳っているのは有名で、自己正当化プロパガンダに実に長けています。中朝露に口をつぐむ平和団体と同じく、山本も含め日本のユダヤシンパは、イスラエルに都合の悪い事実は黙殺しますね。

'82年9月に起きたパレスチナ難民虐殺事件(サブラ・シャティーラ事件)で、直接の加害者はイスラエルの支援を受けたレバノンのキリスト教徒民兵ですが、イスラエル軍の監視の下に行っている。その時のイスエラル軍責任者こそ、当時国防大臣だったシャロン、後に首相です。彼は国防大臣を解任された程度でした。
また、この委員会はサブラ、シャティーラの3日問を調査しただけで、レバノン各地の9ケ月に及ぶ占領下でいったい何が起こったのかについては未調査です。実態は大いなる茶番劇だと私は考えます。

イラク戦争を支持した米国ユダヤ系紙「ジューイッシュ・ウィーク」発行者は、社説でこう記しました。「ユダヤの律法でも、あなた方の敵が貴方を殺そうとしている時は、まず敵を殺せと教えている。自衛とは許されているものではなく、命じられているものなのである」。
元イスラエル首相シャミルいわく、「ユダヤ教の論理もユダヤ教の伝統も、どちらも戦闘手段としてテロリズムを禁じてはいない」。

それにしても、山本が上記のようなイスラエル擁護をしていたとは、興ざめです。
ベンダサンは著書で外国の基準で日本を見ることを批判していたのに、ユダヤの権威を借りて日本を律したのですね。「国際社会は~」といえば、無条件にひれ伏す日本人の悪癖を熟知しているからでしょう。
「金はどんな汚れでも落とす石鹸だ」-ユダヤの諺

  • 2008/10/09(木) 23:22:15 |
  • URL |
  • mugi #xsUmrm7U
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最も危険な「平和への希望」

自分自身の利害得失やステークホルダーの利害得失に関わるものについては、「最大利益」をもたらすためにダブルスタンダードになる傾向は、人間ならば誰しも持っています。

日本国政府や議員も、最大の使命は「日本国民の最大利益を図る」ことにあるのですから、一方的に批判を受けるものではない。
そして「与えられた条件の中での」という前提条件は、現実問題としては不可避ですから、「どこまで損を防げるか」というネガティブな考えもまた「最大利益の実現」なのです。

国内であれば、裁判所が法の公正性を審判し、その執行を警察等の「暴力装置」の担保を下に着実に行うことができます。つまり「法が機能しやすい」のです。

ところが、国際社会の場合、当事者を仲介する機能に「強制力」がありません。主権は最上のものであり、特殊な場合を除いては侵害することが許されないものです。
このような状況の中で、自国民へ最大利益を実現するのですから、「力の担保」が必要となります。財政、経済、教育、技術、信頼、軍事と「力」は多岐にわたりますが、そのどれが担保になりうるのかは、個別に違いますから、一概には言えません。
そして、肝心なことは「国民自身が覚悟をする」ことです。

「戦争を避けたいなら、戦争への覚悟を決める」

矛盾しているようですが、「戦争だけは嫌だ」という国民感情は、外交にとっては「付け入る隙」にしかなりません。わこさんたちが考えているようなものなど、まったく通用しないのです。これが現実なのです。

反戦平和も軍縮も、国際貢献はさらにそうですが、その現実を踏まえた上で思考し、実現するという思想信条にならなければならないのです。
言い換えれば、私に言わせれば、むしろ、わこさん側が、反戦平和団体が考える「反動」に陥りやすい状態にある、ということです。

  • 2008/10/09(木) 16:42:13 |
  • URL |
  • わくわく44 #-
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又コピーしました

お返事有難うございました。
又例によって、こちらにもコピーさせて頂きますね。
*****
コメント有難うございます。
仰る通り、反対意見を一切聞かないと言うのは、扇動者になる第一歩かもしれませんが、
明らかに或る勢力のための代弁をしている者を、
その勢力から如何にして国を守るかと言う議論をしている時に迄、
その意見に耳を傾けるのは、弊害が多すぎると思います。

ですから私は或る程度までは、相手の意見に耳を傾け、
自分に改めるべき所が有るなら改め、
相手を説得できるものなら説得たいという考えで、ブログのコメントに対してきた積りです。
しかしながら、ものには限度があると思います。
自分がそう確信したらと書きましたのは、限度を越えたと思ったらという意味なのです。
其れから、みかじめ料という物にも、やっぱり限度と言うものがあると思うのです。
要求されるまま、時には要求される以上に奉って、
自分の政治家としての地位を獲得維持しようとしていた(している)政治家が多すぎるとは思われませんか?

  • 2008/10/09(木) 06:41:47 |
  • URL |
  • わこ #dN1wHbUA
  • [編集]

お返事有難うございました

又自分のブログに書いたお返事をコピーしておきます。
****** 
コメント有難うございます。
お説のおおよその部分については、私も同感です。
要はどう実行(物事の把握のされ方も含めて)されているかと言う事ではないでしょうか?

それと、明らかに職業として(それによって利益を得ようとしている人の代弁である事を隠して、もっともらしい理屈を言っている人)ものを言っていると自分が確信した場合、自分のブログからその人は排斥しても良いというより、排斥すべきではないかと思います。
何故なら、そういう人に誰かの考えを汚染させるチャンスを、自分のブログが作ることになりかねないと思うからです。
あくまでもブログは自分の考えを発信するところですから、取捨選択の自由はあると思います。
読者にも取捨選択の自由があるのですから・・・・・

アメリカから、ISAFに出兵しないなら170億ドル(1兆7千億円)出せと要求されたと言う記事を見ました時、下手をしたら日本もこれから、迫害される事になりかねないのだと思いました。
日本の指導者は、どう解決してくれる事でしょう?

  • 2008/10/08(水) 08:04:10 |
  • URL |
  • わこ #dN1wHbUA
  • [編集]

わこさんへ

わこさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。

なぜ麗々しく主張しなければならなかったのでしょう、との疑問を抱かれているようですが、私が思うに、山本七平が言いたかった事は、ユダヤ民族同様、選択的良心の発動により、日本民族も迫害に遭う可能性があるのだ、ということではないかと。
日本人はこの点(自らが迫害の対象になる可能性)について、余りにも鈍感すぎると思います。
(そういえば日本民族はたった60数年前、原爆や大空襲といった迫害を受けたばかりではありませんか。)

ただ、確かにわこさんが指摘するように、ダブルスタンダードにさえ気付かない人たちがいるのかもしれません(そういう私自身でさえ気付いて事があるかも…)。

ダブルスタンダードを追及すること自体を、私はやめろと言っているのではありません。
お互い指摘しあうことで、ダブルスタンダードに気が付く事だってあるでしょうから。

しかし、追及するに当たって、「事実の認定」を歪めてはならないこと。そして、相手の発言を封じないこと。これらが守られていないことが多すぎるような気がしてならないのです。

多少事実を歪めても、目的がよければ良いということであれば、その行き着く先は、シーシェパードのように人を傷つけてもクジラを守るとか、GPのように窃盗すら正当化するような世界でしょう。
こういった例は極端かも知れませんが、自分も似たようなことをすれば、彼らの行為を咎めることに説得力はあるでしょうか?私はないと思います。
本当に現状を改善したいと思うのなら、そのために自分の主張に説得力を持たせたいと考えるのなら、そうした点について留意すべきだと思うのです。

それと、新聞が公正を理想として謳ってなんら問題がないとのことについて。
確かに公正を理想とすること自体は構いませんが、私が言いたいのは「偏見から逃れ得ない」という前提を認識して公正を謳っているとは到底思えないということです。

自らに偏見があるかもしれないとの恐れを自覚して報道するのと、自分は公正な立場に立っているんだと思い込んで報道するのでは、全然意味が違ってくると思いますし、実際、朝日新聞をはじめとするマスコミの態度を見ると、後者であるとしか思えないのです。

  • 2008/10/08(水) 00:08:19 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
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コメント有難うございました。

私方のブログにコメント有難うございました。
選択的良心と言うのは多かれすくなかれ、誰にでも有るということは、厳然とした事実であると私も思います。
只気になりましたのは、一つの事件についてだけだったら、日本にだって良心にのみ乗っ取った判定をする人たちを集める事もできると思いますよ。
ユダヤ人がそれをしたからと言って、すべてにおいて、そうしているわけではないのですから、如何してそんなことを麗々しく主張せねばならないのか、疑問を感じました。
多分イザヤベンダサンとしての山本七平氏の、
ユダヤを持ち上げたい選択的良心のなせる技だったのでしょうね。
私達は常に選択的良心の中に生きていますが、それを知らないでマスコミの言うことを丸信じしてしまう者が大多数であると言う事も事実であろうと思います。(それが現在の信じられないような、庶民踏み付けの政治を、国民に選挙で選ばせている大きな原因ではないでしょうか?)

又選択的良心は、誰にでも有る普通のことであるからと言って、
新聞社が公正を理想として謳っても、なんら問題は無いと思います。
不正を仕方ないと諦めて正そうとする気持ちを持たないと、不正はどんどんエスカレートしていって、目も当てられない事になるでしょう。
アメリカの金融破綻も、行き着くところまで行ってしまいましたが、新自由主義なるものを理想に掲げていたから、
反省の仕様もないしブレーキのかけようも無いから、行き着くところまで行ってしまったのだと思います。
だから私達は、それが現実社会では不可能と思えることであっても、理想(中庸)を何時も意識し、それにたがうことは無いか常に反省する必要が有ると思います。
問題はその理想が、本当に理想であるかどうかなのではないでしょうか?

政治に物申すのも、そういうことが動機であり、人間不完全だから見逃せよでは、何も書かないのと同じであると言うより、間違っている現状を肯定することを誘うことになり、むしろ書かない方がましだと思います。

もし現状を改善したいと言う動機でブログを書いているのならばですが。

  • 2008/10/07(火) 10:08:28 |
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  • わこ #dN1wHbUA
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Author:一知半解
「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
日々のツイートを集めた別館「一知半解なれども一筆言上」~半可通のひとり言~↓もよろしゅう。

http://yamamoto7hei.blog.fc2.com/

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