今日はいよいよ「扇動」について具体的に説明が始まります。この部分の説明は実にわかりやすく、私は初めて読んだとき、非常に新鮮に感じた記憶があります。では引用開始します。
ではここで、軍人的断言法の迂説的話法すなわち「扇動」という問題に入る。
一体「扇動」とは何であろうか。扇動は何も軍隊だけでなく、日本だけでなく、また現代だけのことでもない。
「扇動」は外部から見ていると、何かの拍子に、何かが口火となって、全く偶発的にワッと人が動き出すように見えるが、内実はそうではない。
「扇動」には扇動の原則があり、扇動の方法論があって、この通りにしさえすれば、だれでも、命令なくして人を動かし、時には死地に飛びこますことができるのである。
これは非常に恐ろしい力をもつ一種の誘導術であって、その術を完全に心得て自由自在につかえるのが、いわば二型(叱咤・扇動型)の指揮官である。
原則は非常に簡単で、まず一種の集団ヒステリーを起させ、そのヒステリーで人びとを盲目にさせ、同時にそのヒステリーから生ずるエネルギーがある対象に向うように誘導するのである。
これがいわば基本的な原則である。ということはまず集団ヒステリーを起さす必要があるわけで、従ってこのヒステリーを自由自在に起さす方法が、その方法論である。
この方法論はシェークスピアの『ジュリアス・シーザー』に実に明確に示されているので、私か説明するよりもそれを読んでいただいた方が的確なわけだが、――実は、私は戦争中でなく、戦後にフィリピンの「戦犯容疑者収容所」で、『シーザー』の筋書き通りのことが起るのを見、つくづく天才とは偉大なもので、短い台詞によくもこれだけのことを書きえたものだと感嘆し、ここではじめて扇動なるものの実体を見、それを逆に軍隊経験にあてはめて、「あ、あれも本質的には扇動だったのだな」と感じたのがこれを知る機縁になったわけだから、まずそのときのことを記して、命令同様の効果をもつ扇動=軍人的断言法の迂説的話法に進みたい。
まず何よりも私を驚かしたのは『シーザー』に出てくる、扇動された者の次の言葉である。
市民の一人 名前は? 正直にいえ!
シナ 名前か、シナだ、本名だ。
市民の一人 プチ殺せ、八つ裂きにしろ、こいつはあの一味、徒党の一人だぞ。
シナ 私は詩人のシナだ、別人だ。
市民の一人 ヘボ詩人か、やっちまえ、へボ詩人を八つ裂きにしろ。
シナ ちがう、私はあの徒党のシナじゃない。
市民の一人 どうたっていい、名前がシナだ……
市民の一人 やっちまえ、やっちまえ……
こんなことは芝居の世界でしか起らないと人は思うかも知れない――しかし「お前は日本の軍人だな、ヤマモト!ケンペイのヤマモトだな、やっちまえ、ぶら下げろ!」「ちがいます、私は砲兵のヤマモトです、憲兵ではありません」「憲兵も砲兵もあるもんか、お前はあのヤマモトだ、やっちまえ、絞首台にぶら下げろ」といったようなことが、現実に私の目の前で起ったのである。
これについては後で詳述するが、これがあまりに『シーザー』のこの描写に似ているので私は『シーザー』を思い出したわけである。
新聞を見ると、形は変っても、今も全く同じ型のことが行われているように私は思う。
一体、どうやるとこういう現象が起こるのか。
扇動というと人は「ヤッチマエー」「ヤッツケロー」「タタキノメセエー」という言葉、すなわち今の台詞のような言葉をすぐ連想し、それが扇動であるかのような錯覚を抱くが、実はこれは「扇動された者の叫び」であって、「扇動する側の論理」(?)ではない――すなわち、結果であって原因ではないのである。
ここまでくればもう扇動者の任務は終ったわけで、そこでアントニーのように「……動き出したな、……あとはお前の気まかせだ」といって姿をかくす。
というのは扇動された者はあくまでも自分の意思で動いているつもりだから、「扇動されたな」という危惧を群衆が少しでも抱けば、その熱気は一気にさめてしまうので、扇動者は姿を見せていてはならないからである。
もっとも、指揮者の場合は、大体、この「二型(叱咤・扇動型)」が「一型(教祖型)」の仮面をかぶるという形で姿をかくすが……
従って、扇動された者をいくら見ても、扇動者は見つからないし、「扇動する側の論理」もわからないし、扇動の実体もつかめないのである。
扇動されたものは騒々しいが、扇動の実体とはこれとは全く逆で、実に静かなる論理なのである。
これは『シーザー』の有名なアントニーの演説を子細に読まれれば、だれにでもわかる。そこには絶叫や慷慨はない。
彼は静かに遠慮深く登壇し、まずシーザーの死体を見せる。そして最後をシーザーの「遺言書」で結ぶ。
いわば「事実」ではじめて「事実」で結ぶ。
この二つの「事実」の間を、一見まことに「静かで遠慮深い問いかけ」を交えつつ、あくまでも自分は「事実」の披露に限定するという態度をとりつづけ、いわゆる意見や主張をのべることは一切しない。
その論理の一部を紹介しよう。かっこ内の私の敷衍は読んでも読まないでもいい。
「ブルータスさんは彼(シーザー)が野望を抱いていたといわれます。
ブルータスさんは人格高潔な方です(からこれは事実であって嘘ではないでしょう。しかしもしそうだとすると、まことに不思議なことに)シーザーは、多くの捕虜をローマにつれて来まして、その身代金は全部国庫に収めています(から果してそういえるでしょうか)という言い方である。
かっこ内の敷衍は、おそらくその時に聴衆が頭に浮べたであろうと思われる言葉だが、アントニーはもちろんこれを口にしない。
彼が口にするのは「事実」だけで、この事実の並べ方で誘導しているわけである。
そしてこれに「問いかけ」をまぜる。
すなわち「こういうシーザーが本当に野望家に見えるでしょうか(みなさん、ちょっといっしょに考えてみましょう、そんなことかありうるでしょうか)」とつづけ、次に新しい「事実」へと進む。
「貧民たちが泣き叫んだときシーザーもともに泣きました……」「といっても私はブルータスさんの言葉を反駁するためにこんなことを言っているのではありません。私はただ現に私が知っている事実を述べていますだけで……」といういい方を積みあげていく。
いわば、死体と遺言書という目前の事実の間を、事実、事実、事実、事実とつなぎ、その間にたえず「……でしょうか? ……でありましょうか? ……のことを考えてみましょう!……たとえそう見えたとしても……ではないでしょうか?」という言葉でつなぐ、これをやっていくうちにしだいしだいに群衆のヒステリー状態は高まっていき、ついに臨界値に達し、連鎖反応を起して爆発する。――ヤッチマエー、ぶら下げろー、土下座させろー、絞首台へひったてろー、……から、ツッコメー・ワーッまで。
これを一応「アントニーの原則」と呼んでおこう。
一体この論理のトリックはとこにあるか、一見扇動とは無関係に見えるこれをやられるとなぜ集団ヒステリー状態になるかは後述するとして、最近のもので、ほぼ「アントニー」の原則通りと思われるものを調べてみよう。
何度も言うようだが、全く天才とは不思議な人である、というのは、日本軍でも起り(いや起し)、マニラの戦犯法廷でも起った(これは「起した」ではなかった)ことが、日本でもほぼ原則通りに起るのである。
というのは本多勝一氏の『中国の旅』で『殺人ゲーム』が報ぜられたころ、この「創作記事」の「増訂版」を読んで、日本中がほぼ集団ヒステリー状態になったことである。
私は鈴木明氏の『「南京大虐殺」のまぼろし』の中の引用部分と、「百人斬り競争』の真相糾明に必要な部分しか読んでいないので、全編にわたってそうかどうかわからぬが、いわば「事実」「事実」「事実」と事実が提示され、その間に「かりにこの連載が中国側の〝一方的な″報告のように見えても、戦争中の中国で日本がどのように行動し、それを中国人がどう受けとめ、いま、どう感じているかを知ることが、相互理解の第一前提ではないでしょうか」といったような、まことにアントニーそっくりの控え目な「問いかけ」が入っている。
しかし糾弾とか弾劾の言葉はいっさい入っていないのである。
従って私は「アントニーの原則」を全編にあてはめてこれを分析してみれば、非常に面白い結果が出るのではないかと思っている。
こういう言い方には、本多氏は非常に不満かも知れない。
しかしどうか誤解のないように…私は必ずしも本多氏が意識的に扇動したと言っているのではない。それならば興味はないから、はじめから取り上げない。
これは実に不思議なことなのだが、本多氏の意図がどうであれ、結果において「アントニーの原則」通りになっていると、扇動になってしまうのである。
(~次回へ続く~)
【引用元:ある異常体験者の偏見/アントニーの詐術/P83~】
出てきましたね、本多勝一。この山本七平の記述を読んでから、彼の書いた中国の旅を読み直してみれば、本多勝一の文章がこの「アントニーの原則」に忠実に従っていることが見てとれると思います。
長くなったので今日はこの辺でやめておきましょう。皆さんも、ここでようやく今回のシリーズタイトルが「アントニーの詐術」となっているか納得できたのではないでしょうか。
そして、何となく「扇動」の原則がおわかりいただけたのではないでしょうか。
え、まだわからないって…、それは次回以降読んでいただければ十二分にわかりますって。
では、次回をお楽しみに。
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