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一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

「みずのみ」ってご存知ですか?

田舎(岩手)の親族の結婚式に参加してきたが、、、疲れた。

本来なら新幹線で楽したいところなんだが、懐がキビシイ。
(何しろヨメ・義母・子供の四人なので車のほうが経済的なのである)

そこで、車で往復したのだが、帰りの東北道で渋滞に巻き込まれてしまった。
何とか午前様は免れたのだが、翌日出勤ということでヘトヘトモードである。

また、田舎の披露宴というのは時間が長い。
今回も、3時間半以上掛かった。
なにしろ、学芸発表会のようなノリなのだ(何しろ新郎新婦が座る上座の反対側に、体育館にあるような舞台があるのだ)。
謡いあり、舞踊あり、カラオケありと、次々に出し物が演じられる。
そりゃあ、3時間半も掛かるわけだ。

そんなこんなで更新する元気も余り無いのだが、今回の旅行で新たな味覚を発見したのでブログで発表しておこうと思う。

その食べ物というのがこれ↓
みずの実っこ

従姉妹の祖母が持参していた野草で一見キモイ形状をしているが、なかなかうまい。
コブの部分の食感は、シャキシャキしているのだが、それでいてオクラを食べたときのようなヌメリもある。塩漬けしてあったものを、塩抜きしてシソで味付けしていて、これが結構いけるのだ。

名前を尋ねたところ、「みずのみ」と呼んでいたので、早速ネットで調べてみた。

関東のスーパーでは見かけたことがないけれど、東北地方では、結構食べるんだろうか?

何はともあれ、新たな発見があるというのは刺激的でいいモノですねぇ。
今日はこんなとこでオシマイ。お粗末ですた。

採る前のイメージ写真はこちら↓
みずのみ写真
上記写真は「山菜ネットショップ里山人」のHPから引用させていただきました。

【以下参照先URL】

・みずの実(むかご)

・みずの実っこ 醤油漬

・土産シリーズ:秋田;みずの実っこ

・みずのむかご


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業務連絡~4・5日間更新中断であります~

田舎の冠婚葬祭で、帰省しますのでここ4・5日ぐらい更新できなさそうです。
また、コメントにもレスできません。

ということで、お詫びにでも、心和む猫画像を貼っておきます。

ヨロシク…ニャ
更新できず悪いけど、そこんとこヨロシク!


それくらいいつものことやん!ってツッコミなしでプリーズ。

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最近のニュースネタ

貴重なネタ元の「日本のスイッチ」が連載終了になってしまいました。

そこで、どうしようか…と思ったのですが、陳胡痒さんのブログを真似してみることにしました。
続くかどうかも怪しいですが、とりあえず週一ぐらいで、ランダムに気になった記事に一言入れていくつもりデス。

・「IT製品、ソースコード開示せよ」…中国が外国企業に要求へ

本気で要求しているとはおもえん。これを引っ込めた後の要求が真の狙いか?そういや、アジア共通のスイカとか研究している記事を過去見かけたがこれもやめてもらいたい。偽造されるのがオチです。

・【コラム・断】歴史に学ぼう

政治には、スーパーヒーローなぞいないのにね。大学教授が妄想文書いてちゃ…。

・「韓中外交に正しい姿勢で臨むべき」河野氏、若い政治家に苦言

自らの行動を反面教師として言っているのなら、見直してもいいけど…。素で言ってるから困る。

・携帯電話の通話モードで精子の「質」が低下と 米研究

胸ポケットに入れていた俺は勝ち組??

・高校の文化祭でボンベ爆発、15人がけが 東京・豊島

だんだん、常識が欠けた人間が増えていくような気が…。やっぱりゆとり教育も一因か…。

・賢治命名「イギリス海岸」姿見せて 命日にダム放流制限

どうりで、見に行ったけどわからなかったわけだ。ガイドブックにはそんな事情載ってなかったゾ。

・野中広務氏「日本は中国、韓国、北朝鮮、ロシアとともにEUのような国づくりを」

またまた、途方も無いご冗談を…。どうしたらそんな発想が浮かぶのでしょうか?


今日はこんなとこで…、お粗末ですた。


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情緒に流されるべからず

今回のエントリーは、お玉さんのブログのコメントを見ていて、思いついたことをだらだら書いていきましょう。

まずは、そのリンク先と自分の投稿コメントを引用します。

・冷静に論理することと感情で批判すること (←参照リンク先)

■感情は大切だけどね…

もちろん感情が基本にあるのは否定しないが、現状を見るとどうも感情に左右され過ぎではないでしょうか。

日本人がリアリストになれないのは、余りにも情緒優先で、判断の際、好悪や善悪の感情に囚われ過ぎているせいだと思う。

リアリストに徹しきれないということは、だまされやすいということになりますね。

たとえば、今でもイラク戦争報道で、アメリカ軍を鬼畜のように報道するのを見かけるケースもありますが、アメリカが悪いからといって醜悪に描き、それに対して許せないという感情をぶつけるような行為は無意味だし、むしろ正確な状況を把握するためには、有害でしかない。

そもそも、世の中には絶対的な悪とかあり得ないし、善悪だけで世の中が動いているわけでもない。それに正義が通れば、問題が万事解決するわけでもない。

感情を大切に思う方は、感情におぼれる危険性をもう少し自覚した方が良いと思う。

感情は大切だが、冷めた頭のほうがもっと大切じゃないかな。

[2008/09/12 18:47] URL | 一知半解


上記のとおり、なるべく感情を排したほうが良いと書き込ませていただいたのですが、書き込まれたコメントを見ると、やっぱり感情に重きを置く人たちが多かったような気がしますね。

また、下記のエントリーのコメントを読んでいたら、わくわく44さんのコメントが目に付きましたので、以下引用します。

・NHK BS 世界のドキュメンタリー 「ブッシュの戦争」(←参照リンク先)

■戦争と戦闘と戦場

戦場の悲惨さ、特に原爆投下後の広島長崎の惨状などは、「二度と戦争はやってはならない」と思い起こさせるものがあります。
それと同じような光景が、イラクやアフガンだけでなく、グルジア、ソマリアにも見られる。目の当たりにすればするほど、気持ちとしては理解できます。

しかし、戦争は「政治」の世界の話であって、単なる感情論だけでは語れないところに難しさがあります。

民主国家の最大の使命は、国民の生命財産を保護し、権利自由を最大限保障すること。そして、国家が国家として機能せず、憲法が機能しないとなれば、これらはすべて吹っ飛んでしまうわけです。

反戦平和を唱え、護憲を唱えている人たちの最大の欠点は、「論点ずらし」です。
今、私が掲げた課題をクリアすることなしに、論点をずらして持論を正当化しようとするところが、護憲の説得力が失われる最大の原因だということに目を向けていない。

戦場は悲惨です。戦争は悲劇の発端となります。軍備の拡張は緊張を増します。軍備の縮小は主権侵害のリスクを増やします。戦争の回避は悲劇を防ぎますが、自国民の権利利益を、理不尽であっても制限される怖れが出てきます。

利害対立が発生したとき、その解決の最終手段は実力行使です。それ以外にも解決手段はありますが、いずれも「それさえあれば」というものではありません。なんだかんだ言っても、実力行使以上に最終的に解決する方法は、人類は見つけ出してはいないのです。

このトレードオフの関係が厳然として存在する以上、戦場の悲劇をもって戦争の抑止を唱えるだけでは、実際には戦争は止められない、という事実を認識し、その上で「それさえあれば」というものがないということも素直に認めて、「いや、それでも、実力行使に至らないまでに解決する道を模索する」というマインドにならないと、反戦平和の思想は虚しいだけになってしまいます。

[2008/09/19 14:12] URL | わくわく44


わくわく44さんが書いたコメントてのは、私も言いたいことなんですよね(わくわく44さんのように、理路整然とわかり易く書くことは出来ないのは実に残念ですが…)。

これらお玉さんのエントリーやコメント欄を見ていて、思うのは「感情を大切にしている」んだなぁということ。要するに、情緒豊かな人たちなんだなぁ…ということで、まあ、それ自体はいいことなんですが。

ただ、情緒豊かというものが、現実というものを直視することにどんな影響を与えるか?ということになると、マイナスにしか働かないような気がしてならないんですね。

山本七平も、日本人の欠点に、リアリストになり切れないということを挙げていたが、お玉さんの処のコメンテイターを見ているとそれが如実に窺えるように思えてならないんだよなぁ。
(そういう自分も、リアリストかと言われると非常に疑問ではありますが…)。

日本人てのは、どうにもこうにも情緒に流されすぎるんだよね。

私はこの情緒に流されやすい性質こそ、逆に戦争の発端になりかねない…と思うのですが。

たとえば、真珠湾攻撃時、「暗雲晴れて一気に…」といった一般国民の感情。
これも情緒優先で、心理的には解決したのだろうが、現実的に解決したわけではなかった(むしろ逆行した)のは結果を見ればわかることなのですが…。

戦後の「戦争は嫌だ」という風潮も、結局のところ、情緒オンリーで全く変っていないと思う。

戦前は、この情緒が無謀な戦争に突入させ、戦後は、とにかく戦争は嫌だという方向に向いてしまった。ベクトルが違うだけで、いずれも情緒に左右されているとしか見えません。

そこで、果たして戦争が嫌だというベクトルに突き進めば、戦争は防ぐことが出来るのか?という疑問がふつふつと湧いてくるわけですが…。

もちろん、現実を無視して、平和など維持できるわけも無いわけで。
(逆の意味で、戦争を引き起こしかねない。)

そこを情緒をもってごまかし続けているのが、護憲派に多いのではないのだろうか。

また、逆を見てみれば、いわゆるネット右翼が主張している、「核武装論」とか、「自立独立」とかいう”威勢の良い”議論も、ある意味、情緒優先が窺えてならないんですよ。

つまるところ、右も左も、極端な人たちほど、表現やベクトルが違うだけで、その根本は全く同じ情緒というものに左右されているだけなんじゃないか?という感がぬぐえないんですね。

戦争を止めるものは、情緒などではなく、徹底的に現実と取り組むしかないと思うのですが…。

右も左も情緒優先で、はなはだ心もとないですねぇ。


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名文章ご紹介シリーズ【その10】~人は人に狼(ホモ・ホミニ・ルプス)~

このコーナーは、山本七平の著作の中から、読んだ私が「うむ、なるほどっ」と感心した文章を選りすぐり、私の下手な解説抜きでご紹介しようというものです。

今回は、「人は人に狼(ホモ・ホミニ・ルプス)」について。

こういう戦場の状態について、なんら想像もせずに、一方のみを非難する人をよく見かけますが…。

言及するときは、少なくとも、戦場におかれる人々の状況やその人たちが陥る心理について、慮ることを心掛けたいものです。

「人は人に狼」ということを自覚すること。このことが、戦争を知り、戦争を防いでいく上で重要なことではないでしょうか?



(~前略~)

何しろ当時はアメリカ人は全部「鬼畜」で、アメリカ兵は「獣兵」で、現地の対米協力者というのはいわば「チッソ(註)」で、親英米派はその「係長」のようなものだから、よってたかって、撲ったり、蹴ったり、土下座させたり、殺したりするのは、あたりまえのこととしている者が圧倒的多数であった。
(註…日本の化学工業の会社の一つ。戦後の高度成長期に、水俣病を引き起こしたことで世界的に広く知られる。wiki参照

何しろ戦場では、兵士や下級幹部(率からいうとこれが最大だが)は、双方とも確かに被害者で、バタバタ殺され、手がとび足がとび、頭が変になり、病気になったり餓死したりしている。

従って自分たちは被害者だから、加害者にそれくらいするのはあたりまえだと思っている。だがその瞬間、自分が同じような加害者になっているのに気づかないのである。

この関係は、戦場にいくと非常にはっきりした形で実に明瞭に出てくる。

銃器をもった人間は、自分はあくまでも人間だと思っている。そして銃器をもっている相手は猛獣だと思っている。

ところが相手もそう思っている。すなわち戦場では、お互いに銃器をもち、お互いに、自分は人間相手は猛獣だと思っているわけである。

「人は人に狼(ホモ・ホミニ・ルプス)」という諺はおそらくこの関係を的確に表わしたものであろう。

だからみなお互いに猛獣に対するような態度で相手に接し自分は人間で相手は猛獣だと思っていても、その瞬間自分も人間でなく猛獣になっているとは思えないわけである。

従って相手を「鬼畜」といったら、そういった者も「鬼畜」になっていると考えてまずまちがいない

いわば、「鬼畜」「鬼畜」ということによって自分が「鬼畜」になってしまうから、撲ったり、蹴ったり、上下座させたり、殺したりを、いとも平然と正義感にあふれて、堂々とできるようになってしまう。

(~後略~)

by山本七平

【引用元:ある異常体験者の偏見/アンソニーの詐術/P94~】




【関連記事】
・名文章ご紹介シリーズ【その1】
・名文章ご紹介シリーズ【その2】~ショックと麻痺~
・名文章ご紹介シリーズ【その3】~飢餓における人間と動物の違い~
・名文章ご紹介シリーズ【その4】~無責任な応援~
・名文章ご紹介シリーズ【その5】~戦場では偽善が成り立たない~
・名文章ご紹介シリーズ【その6】~「臆病」がもたらす被害~
・名文章ご紹介シリーズ【その7】~戦場には二種類の人間がいる~
・名文章ご紹介シリーズ【その8】~日本語では戦争はできない~
・名文章ご紹介シリーズ【その9】~百人斬りが通用する背景には~


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面白動画紹介:猫版「だるまさんが転んだ」

今日は手抜きでスミマセン。
タマにゃほのぼのとした記事でも上げてお茶を濁しちゃいますね。
てゆーか、気分転換!?

猫好きなオサーンとしては、たまらない動画を見つけたので↓貼っておきますネ。



これを見ていたら、死んでしまった愛猫と鬼ごっこして遊んだことを思い出してもうた。
やっぱり、猫は可愛いですのうwww





今日は、これでお休みするニャ。
おやすみなさい猫
皆さんも、いい夢を見るだニャ


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だまされないためにも、「自立心」と「想像力」が必要だ

以前にも、北海道で民間ロケット「カムイロケット」開発に携わっている植松先生のカムイスペースワークス・ブログを取り上げましたが、非常に考えさせられる記事を書いてらしたので、以下、引用させていただこうと思う。

景気対策(植松)

高知のホテルでテレビを見ています。
ある団体が、ガソリン値下げや補助を政府に訴えています。
でもね・・・・
もうちょっと考えて欲しいです。

ガソリン代の値上げ分の補填を政府にねじ込んだとします。
政府は、税金で補填します。
税金は、訴え出た「国民」が収めます。
集めるために、お金がかかります。
分配するためにも、お金がかかります。
だから、税金は効率が悪いです。
ガソリン代を10円補填してもらおうと思ったら、きっと、15円くらい払う羽目になる覚悟が必要です。

税金は、日本人の総力の集中投下のためにあります。
個々のレベルでの暮らしの補填に使うくらいなら、その分を減税した方が絶対に安いです。

かつて、国が商品券を配ったことがありました。
2万円の商品券を、役所の職員が個別配達しました。
商品券を印刷するためのお金もかかりました。
その費用は、2万円の商品券を受け取った人も含めて、「国民」が税金として払ったのです。
3万円くらい払って、2万円をもらって喜んでいるのです。

あほか。

道ばたのゴミを拾うのはゼロ円です。
「ゴミを拾え!」と市役所に電話して清掃車をまわしてもらうと、数万円です。
自分でやればゼロ円です。
頼ると、支出が増えるのです。

どうしてそんなかんたんなことがわからないのでしょう。
自分の選挙権を安売りしてはなりません。
選挙権をたてに、税金を自分のために誘導してはいけません
貴重な選挙権が、安くなるんです。

安易に補助をすると、以前から考えて備えていた人が損をします。
だから、安易に補助をしてはいけません。
この厳しい時代を、知恵を使って乗り切れば、
日本の経済構造は新しく生まれ変わります。
税金を使って維持すると、借金がふくらみ、おまけに、変化しません。

「よりよく」は、維持の延長にはありません。
「よりよく」は、変化です。
だから、努力しお金をつぎ込むのであれば、維持ではなく、変化に使うべきです。
楽をする道を選んではいけません。

そしてね、重要なことですが、生活が厳しいのは、生活費がかかるからです。
その生活費の内訳をしっかり考えましょう。
もしかしたらね、自分たちがしている仕事そのものが、社会の生活コストを高騰させ、結果的に自分たちが苦しんでるかも知れないんです。
よーく考えてみてください。

奪うと、奪われます。

【カムイスペースワークス・ブログより引用】


文中にある商品券って、地域振興券(?)のことでしたっけ?
これって公明党が推進して、実現させた政策ですよね。公明党はこれを自画自賛していたけど、植松先生のご指摘どおり、これほどアフォらしい施策もないよなぁ…。

植松先生の言うとおり、日本人は他者に依存しすぎです。
他者にたかることばかり、頼ることばかり考えていて、それらは全て日本国へとツケが回され、結果として国民自らがかぶることになる。

なぜそうなってしまうのか?

それは、やっぱり想像力が欠けているからです。
そして自立心が欠けているからです(依存心が強すぎるともいう)。

要は、ババ抜きやっているだけなんです。結果、貧乏くじ引くのは国民自身です。

そのことをごまかし、目先の利益へと誘導するような政治は、悪徳商法の詐欺同然です。
このことに気付きましょう。

気付くためにも、一人一人が、意識を変えなければいけない。

そう思いませんか?


【関連記事:日本人に足りないのは、「公の心」と「判断力」


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第300回日本のスイッチ結果発表~!

すっかり最近ご無沙汰でしたが…。第300回という大台だったので久々に取り上げマス。

今週の日本のスイッチ投票結果を公開します。

●出題者:羽生善治
●実施期間: 9/1(月)~9/3(水)
●参加者: 31191人↓あなたの答えは■で示されています

1.オリンピックが終わって、少し寂しい気分です
■はい…40%(12504人)□いいえ…60%(18649人)

2.スポーツ選手の強化は、もっと国策でやるべきだ
□そう思う…52%(16266人)■そうでもない…48%(14861人)

3.子供の頃に始めた趣味で、今も続いていることが
■あります…41%(12843人)□ないです…59%(18295人)

4.中学体育で武道とダンスが必修へ。自分だったら
□武道はパス…28%(8837人)■ダンスはパス…70%(21750人)

5.実は、自分は結構おしゃれな方だっていう自信
□あります…21%(6641人)■ないです…79%(24491人)

6.「成金」や「高飛車」は本来は将棋の用語だってこと
■一応知ってた…62%(19283人)□意識なかった…38%(11869人)

7.不動産や株など、ギャンブル性のある投資って
□面白そう…25%(7880人)■抵抗ある…74%(23217人)

8.ところで、この1年間で正座をしたことって
■あります…82%(25444人)□ありません…18%(5724人)

日本全国にあなたと全問同じ回答の方が……439人いました。
第300回日本のスイッチ


今回は羽生善治先生の出題だったんですね。
どうりで、設問6があるわけだ。
ひょっとして設問8も、関係しているのか…?対局って正座だったっけ?

ところで設問4だが、自分にあてはめてみると、中学生だったとしたら恥ずかしくて無理。高校生だったら考えてもいいけど、悲しいかな出身が男子校だったりするので絶対ヤダ!

オサーンとなった今なら、選ぶとしたら当然ダンスかな。もちろんチークのみでお願いします(笑)
(実際のところ、コンパニオンとしか踊ったことがないのが悲しい。。。でもなんだかんだ言っても、それはそれで楽しかったけどネ)


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最近の嫌韓・嫌中傾向についての雑感

今日は、近頃思っていることを軽く書いてみたい。

最近、ネット上では嫌韓嫌中の言論が蔓延している。
むろん、私も正直言ってこの両国は好きでない。というかズバリ嫌いである(笑)。

ネット利用者ほど、マスコミで取り上げられることのない両国のネガティブな情報に触れる機会が増えるのだから、そういう傾向になるのもある意味仕方のないことかもしれない。

ただ、ここで気になるのが、我々日本人の受け止め方である。
どうも自らの基準で、容易に断定しているきらいがないだろうか?

そもそも、この両国は近いといえども、決して一衣帯水の国ではない。
肌・容姿等日本人とあまり変わらないながらも、その思考様式・行動様式は全く別物である(←この意識が余りにも欠如しているのも問題だと思う)。

彼らの判断や行動には、彼らなりの背景があるはずである。それを全く考慮せずに、民度が低いなどと軽々しく断定し、相手を蔑視してしまう。

確かに、我々の基準に照らせば、民度が低いと言えるのかも知れない。
ただ、民度が低いと言っても、彼らの社会ではそれが当然で、(他国と比べなければ)問題とはされない事なのかも知れない。

大体、その国の民度が低かろうが、そのことが、我々の生活にとって何の影響があるのだろう?

果たして、民度が低いと馬鹿にする行為に何か意味があるのだろうか?
(あるとすれば、自らの優位性を再確認するだけのような気がするが…)

そこで、思うのだが、我々日本人は、物事を好悪の感情を以って、判断しすぎるきらいがあるとしか思えない。

好きなものには、何の批判もなくすり寄り、嫌いなものには、とかく馬鹿にした対応をとる。
私にはそんな傾向が窺えてならないのだが…。

ただ馬鹿にしただけなら何の問題もないが、そこで思考が停止してしまっているのでは…。
所詮奴らは民度が低いから…という結論で終わってしまっていないだろうか。

相手を軽蔑しあなどることで、相手を正しく把握することが出来なりつつあるのではないだろうか。
そして正しく把握できないがために、対応が間違ってしまわなければよいのだが。

現実問題として、毒ギョーザ事件の対応などを見ていると、どうも中国というものを正確にわからないまま、自らの基準で容易に断定してしまい、問題を複雑にしているようにしか見えない。

ちょっと心配である。


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山本七平の「最後の言葉」から、「反省」について

ここのところ、山本七平の「私の中の日本軍」から、百人斬りに関する記述を幾つか紹介してきました。

今日は、その「私の中の日本軍」の終章「最後の言葉」について紹介したいと思います。

多少長くはなりますが、読んでいただき、戦後のマスコミが主張してきた「反省」とは一体何だったのか?考えるきっかけとなれば…と考えています。

向井少尉と最後まで同じ拘留所にいたK氏のその手紙の一部を次に引用させていただく。

〈前略、失礼いたします。
偶然な機会に「週刊新潮」七月二十九日号の「南京百人斬り」の虚報で死刑戦犯を見殺しにした記者が……云々の記事を見ました。

私は当時南京戦犯拘留所で向井、野田、田中、その他の人たちと一緒にいた者で、彼らが内地から送還されて来た時から死刑になるまで共に語り合った者ですが、当時の拘留所は木造の二階建で、元陸軍教化隊であるとかで一階が各監房、二階半分が監理室、半分が軍事法廷になっており、耳をすませば二階の裁判の模様がわかるほどでした。

(中略)

彼らは死刑判決を受け、直ちに柵を隔てた向うの監房に収容されたが、書籍、煙草を送ることや、話をすることは出来た。しかし判決前に彼らが話していたのは、貴誌既報の如く、全くの創作、虚報であり、浅海がこのことを証明してくれるであろうといっていた。

そして判決後、その浅海記者の証言書をとりよせるため、航空便を矢つぎ早に出した。彼らにはその費用もなく、僕の背広を看守に流して、その金で航空便や、彼らに煙草の差入れをした。

そしてやっと待望の証言書が届いた。彼は独房から、きましたかと、声をあげて泣いた。しかしその内容は誠に老獪というか狡猾というような文章で、創作であるとは言いてなかった。そして彼らは執行された。

われわれ残る者は泣いて浅海記者の不実をなじった。浅海記者になんの思惑があったかは知らないが、何ものにもかえ難い人命がかかっていたのに新聞記者なんて不実な者よと憤慨した。

裁判もまたでたらめであった。たしか二回ぐらいで次は判決であったと思う。証拠もその記事が唯一の証拠であった

彼らは克明に日記、遺書等を言いていた。われわれは手分けしてこれらや遺髪、爪を遺族に届けることにした。

(中略)

向井のは彼に上海拘留所へ移転したとき、無罪で帰還する三重県の人に託し、巣鴨拘留所に帰ってから向井夫人(北岡千恵子)に照会したところ、確かに受取っていた。

私はこの手紙を書くに当って、今さら空しいことをとも考えたが、僕たちが最後まで世話し、そして新聞記者の虚報のために犠牲となって死んで行った彼らのためにあえて言きました(後略)〉


自分の体験、自分の幸運、そしてこの人だちと同じように処刑されて行った人びと、それらを思うと、一種、胸に迫る手紙である。

人は明日の運命を知ることはできない。

それは個人であれ、民族であれ、同じことであろう。

無錫の食後の冗談のとき、彼はそれが、自分を処刑場にひっぱって行こうとは夢にも思わなかったであろう。そしてもしそれを予言する者がいたら、彼自身がその人を気違いと思ったであろう。

未来がそのように予知できないという点では、昔同様今も変りはないのである。

くりかえす必要はないと思うが、「南京大言殺」がまぼろしだということは、侵略が正義だということでもなければ、中国にそしてフィリピンに残虐事件が皆無だったということではない

それは確かに厳然としてあった。第一「恩威並び行われる皇軍」などというものは、私の知る限りでは、どこにも存在しなかった。

だがそのことは、隆文元弁護人がのべているように、二人の処刑を、そしてまた私の知る多くの無実の人の処刑を、絶対に正当化はしない

それを正当化することはまず、本当にあった事件を隠してしまうだけであり、ついで犠牲者がいるとなると、今度はこういう犠牲者に便乗して、本当の虐殺事件の張本人が、ヌケヌケと自分も戦争犠牲者だなどと言い出すことになってしまうからである。

現にその実例があり、私には少々黙過できない感をもっている。

虚報に虚報を上塗りし、「百人斬り競争」を「殺人ゲーム」でなぞっていると、そういう全く不毛の結果しか出てこないのである。

だがこれについては、辻政信復帰の場合を例として「文藝春秋」で記したから、これ以上はここではふれまい。

南京大虐殺の「まぼろし」を追及された鈴木明氏のところへ、「反省がない」といった手紙が来たそうだが、この世の中で最も奇妙な精神の持主は、そういった人びとであろう。

第一に、反省とは自分の基準で自分の過去を裁くことのはず

従ってそのことはあくまでもその人の問題であって、他人は関係はない。まして国際情勢も中国自体も関係はないはずである。

両国の問が友好であろうと非友好であろうと、そんなことによってその人の反省が左右されるはずはあるまい

確かに明日のことはわからない。

「親アラブ」ですでに一部の雑誌で岡本公三が英雄化されているから、また情勢が一変すれば、太平洋戦争は「アジア解放の聖戦」で、向井・野田両氏は殉国の英雄で、南京軍事法廷こそ不法で暴逆だと言い出すことになるかも知れない。

確かにこの法廷は、完全に批判をまぬがれることは不可能だからである。そしてそういう時代が来れば、いま「反省がない」といってきめつけているその人が、まっさきにまたその「時代の旗」を振るであろうことは、浅海特派員のその後の経歴がすでに証明していると言ってよい。

私自身は、そういう奇妙な「反省」なるものを、はじめからはっきりおことわりしておく。

反省とはその基準を自らの内に置くものだから、たとえ世の中がどう変ろうと、私は、今まで自分が書いてきたことに対して、浅海特派員が自分で書いた記事に対して自ら採ったような態度をとる気は毛頭ない。

「週刊新潮」には次のように記されている。

〈便乗主義者にとって最もやっかいな相手は、自分自身の言動なのであった。最後にもう一度、浅海氏が発言を求めてこられたので加える。

「戦争中の私の記者活動は、軍国主義の強い制圧下にあったので、当時の多くの記者がそうであったのと同じように、軍国主義を推し進めるような文体にならざるを得なかった。そのことを私は戦後深く反省して、新しい道を歩んでおるのです」


これが「反省」なのか、これが「反省」という日本語の意味なのか。

もしそうなら、こういう意味の「反省」をする気は私には毛頭ない。

また「懺悔」という言葉もさかんにロにされた。

しかしこの言葉が、『罪と罰』にあるように「四つ辻に立って、大声で、私は人を殺しましたという」といったことを意味するなら、この「百人斬り競争」という事件だけをとってみても、一体全体どこに懺悔があるのか

四つ辻に立って、大声で、私は虚報を発して人を処刑場へ送りました、といった人間が、関係者の中に一人でもいるのか

もしいれば、それは懺悔をしたといえるであろう。

だが、そういうことは、はじめから関係者のだれの念頭にもない。

それどころか、虚報をあくまでも事実だと強弁し、不当に処刑場に送った者の死体を自ら土足にかけ、その犠牲者を殺人鬼に仕立てあげているだけではないか。

それは懺悔とは逆の行為であろう。

私の中の日本軍(下)/最後の「言葉」/P329~より引用】


流石に、今現在、このように反省を迫る人びとというのは減ってきたと思います。

しかし、それは山本七平が指摘(予言)しているように、そうした人びとの担ぐ「時代の旗」が変っただけではないでしょうか。そうした反省を迫る人びと自体が減っているわけではなく、反省を迫る対象が変ってきているだけである気がします。

最近、日本は悪くなかった…とか、日本軍の蛮行などはなかった…とかネットでもちらほら見受けますが、こうした人たちというのは、今まで日本軍の蛮行を指弾していた人たちが、時代の波に合わせスタンスを変えただけであり、その思考様式・行動様式というのは同一といっても言い過ぎではないのではないでしょうか。

日本軍を必要以上に貶めたりすることも無意味ですし、逆に賞賛することも無意味。

ましてや、それを梃子にして相手にこのような「反省」を迫りつつ、自分の主張を飲ませるような行為をしてはならないと思います。

反省とは一体何なのか。
今からでも、その意味を問い直す必要があるのではないか。

山本七平のこの記述を読み直すたび、そう思えてなりません。

【追記】
初めて私のブログにこられた方には、浅海特派員とは何者かわからないかもしれないので、ごく簡単に紹介しますと、東京日日新聞(現在の毎日新聞)の記者で、「百人斬り競争」の記事を書いた人物です。

この創作記事を書き、二人の少尉を見殺しにした浅海特派員が、戦後どのような言動をしているか上記中にもありますが、その他参考となる発言を「私の中の日本軍」から追加引用しておきます。

この「美談化」がいかに恐ろしいかは、「週刊新潮」の浅海特派員の次の談話にはっきり現われている。

〈……「諸君!」によれば、向井さんは”日中友好のために死んでいく”といっておられる。

感銘を受けましたね。敬服している。

今、田中内閣もようやく日中復交をいい出したが、あの二人の将校こそ、戦後の日中友好を唱えた第一号じゃないですか。

こんな立派な亡くなり方をなさった人たちに対して、今はもう記憶の不確かな私が、とやかくいうことはよくないことだ………私は立派な亡くなり方をなさった死者と、これ以上論争したくないな……〉


偽証により二人を処刑場に送ったその人が、この処刑自体に一種の意義づけをし美談化し、それをまず自分が信じてしまう。

私の中の日本軍(下)/戦場で盗んだ一枚のハガキ/P57~より引用】


おそらく罪の意識から、このように美談化し信じてしまうのでしょうけど、それにしても、こうした人が唱える「反省」とは一体…???
そうした発言に惑わされず、徹底的に追及した山本七平の鋭さには、感心してしまいます。

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名文章ご紹介シリーズ【その9】~百人斬りが通用する背景には~

このコーナーは、山本七平の著作の中から、読んだ私が「うむ、なるほどっ」と感心した文章を選りすぐり、私の下手な解説抜きでご紹介しようというものです。

今回は、誤訳や一方的断定がもたらす影響について。

誤訳や一方的断定というのは、大変な誤解を招きかねないものだ…ということなんですが、我々は普段あまりその危険性を認識していないような気がします。



今でも「叩く」とか「斬る」とかいう表現は使われている。

しかし「叩く」と言っても、本当に叩くわけでなく、また「創価学会を斬る」といっても、本当に斬り込むわけではあるまい。これらは一種の慣用的誇大表現であろうが、陸軍にもこれと全く同質のことがあり、それが戦後、ひどく誤解されている面も確かにあると思う。

その好例は「斬込隊」であろう――もちろん他にも多いと思うが……。

私はサンホセ盆地の入口のビタグの隘路へ派遣された斬込隊の第二線隊長であったが、私が斬込隊に出たといっただけで、知らない人はすぐ「ヘエー、山本さんが!ヘエー、で何人斬った?」と反問するのである。

反問する人はもちろん、私が敵陣へおどり込んで「百人斬り」でもやったのかと思うらしいが、私の知る限りでは、斬込隊とはいわば「斬る」「叩く」的な表現の言葉で、その実態は「戦車・重火器破壊班」とでも名づくべきものなのである。

近代戦とは兵器の戦いだから、目標は「人」でなく「重火器」である。

極端な例をあげれば、だれにでもわかることだが、戦艦は沈めればそれでよく、B29は落せばそれでよいのであって、搭乗員の生死は、実は問題外なのである。

日本刀を背負って泳いでいって舷側をよじのぼって水兵一人斬ったところで近代戦では無意味だが、一方、艦底に爆薬を仕掛けてこれを沈めれば、その際、乗員の全部が無事に逃れて助かっても、大戦果となるわけである。

陸上の戦闘でも、原則は同じで、斬込隊が持っていくのは、われわれの場合は「フトン爆雷」という自殺兵器であった。下士官一・兵二の三人一組を三組、計九名、指揮官の将校一で総計十名が一編成である。

フトン爆雷というのは、ダイナマイト四キロをゴムの袋に入れ、それをドンゴロスの二重袋に入れたもので、ちょうど椅子用の座ぶとんと同じ形をしている。フトン爆雷の名称はそれから出たのだと思う。

これに「一式点火管」という点火器がついていて、その紐をひくと四秒で炸裂する。戦車の上にのせれば、その鋼板を完全に打ち抜く威力があった。炸裂までの四秒間に逃げてくれば助かるわけだが、これは実質的に不可能である。従って自殺兵器にならざるを得ない。

これをもって飛び込むのが斬込隊で、日本刀を振って斬りかかるわけではない。それがいつのまにか、斬込隊という名称から、日本刀をふるって敵陣に斬り込んだような錯覚を多くの人びとに抱かせているのではないであろうか

そして「百人斬り競争」や「殺人ゲーム」が今なお事実として通るには、こういった表現上の誤りやそれに基づく誤解や一方的断定が相互に作用しあっているからであろうか。

というのは、過日ちょっと「朝日新聞」の「天声人語」を見たところ、ヴェトナムのアメリカ軍が「殺す」といわず「駆除する」「処分する」という言葉を使っていると非難している文章が目に入った。これはおそらく誤訳から来た誤解、もしくはそれに基づく一方的断定であろう。

そして「駆除」は、軍隊語の「排除」のことではないかと思う(原文が記載されていないので確言はできないが)。

もしそうなら、この「排除」すなわち「前面の敵を排除し……」とか「所在の敵の抵抗を排除し……」といった言葉は、おそらく世界に共通する軍隊語で、北ヴェトナム軍も同じ言葉を使っているのではないかと思うが、この言葉は「殺す」とは意味が違うのである。

軍隊には元来「殺せ」という命令はない――そして「ない」が故に、戦争ほど悲惨なものはないのである。

あれだけ苦しい戦争を体験しながら、このことが、どうして理解できないのであろうか。

そして、こういう誤訳や誤解や慣用的表現の誤った受けとり方などが一方的断定と結合してしまうことが、虚報が今なお事実で通用する素地になっているのではないであろうか?


by山本七平

【引用元:私の中の日本軍(下)/日本刀神話の実態/P100~】



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名文章ご紹介シリーズ【その8】~日本語では戦争はできない~

このコーナーは、山本七平の著作の中から、読んだ私が「うむ、なるほどっ」と感心した文章を選りすぐり、私の下手な解説抜きでご紹介しようというものです。

今回は、日本語と軍隊語の違いについて。

私が、常々赤旗のスローガンに違和感を感じるのも、赤旗の表記にそういう傾向があるからかも知れません(そうではなく、単に私の気のせいかも知れませんが…)。

それはさておき、このコーナーを始めるにあたって約束した、引用は800字以内…は守れそうにありません。紹介したい部分が多すぎ!(苦笑)
長い文章ですが、ご勘弁願います。



軍隊語とは、単なる言いまわしや表現の問題ではなく、主語や時制が明確でない日本語では、軍隊の運営も戦争もできないがゆえに特別に造られた言葉であって、この言葉を正しく分析すれば、それだけで戦争というものの実体がつかめるのではないかと思われる言葉である。従って語系が違うと考えた方がよいかも知れない

「大阪弁では喧嘩はできない」などといわれるが、もっともっと徹底した意味で「日本語では戦争はできない」のである

私自身はこのことを非常に誇りに思っている

たとえば普通の日本語の「お待ちしております」では戦争はできない。
そこで軍隊語では「小官当地ニテ貴官ノ来訪ヲ待ツ」という言い方になるわけであって、この語順が何語に一番近いかは説明するまでもあるまい。

しかしそれだけではない。軍隊語といってもいわば「軍隊文語」「軍隊口語」「将校語」「兵隊語」の別があって非常に複雑で、その表現も実に多岐にわたるが、これらの言語の背後にある「哲学」とでもいうべきものは、言うまでもなく、人間を戦争にひきずり込むこと、いわば「戦争指向の精神構造」に基づく言語哲学とでもいうべきものである。

それは厳然として存在するものであって、そして、存在するのが当然である。

軍隊時代、自分の方から興味をもったものと言えば、この「軍隊語」と「軍隊内地下出版物」だけだが、軍隊語の方は、私が本部付で常に「命令」「報告」「指示」等の起案・起草をやらされたため、否応なしにこれと取っ組んでマスターしなければならないという事情も確かにあった。

しかしそれ以上に興味をもったことも確かで、今でも日本語と軍隊語の差はほぼ正確に指摘できると思う。

私はいつもこの二つの言葉を比較して、「なるほど、戦争とはこういう言葉を使わないと出来ないものか! そして、こういう言葉を使うことは、戦争を指向する証拠のわけか!」と思っていた。

言葉そのものから体系的に組みかえて行かない限り戦争はできないのだから、軍隊語は「戦争語」だといっていい。

前に新井氏(註…毎日新聞社記者で山本七平の論争相手)の文章に軍人的断言法があると書いたが、新井氏はむしろその要素は少ない方で、ひどい人になると昔の軍隊語と全く同じ語系の言葉で、平気で、いわば「戦争語で平和を叫んでいる」のである

これはその昔「……東洋平和のためならば、なんて命が借しかろう」という軍歌をわれわれに歌わせた軍人たちが、「軍隊語=戦争語で平和を叫んでいた」のと全く同じで、私にとっては、これくらい気味の悪いものはない

というのは、内容は平和でも言葉自体が戦争を指向しているからである。両者とも、どう見ても嘘をついているとしか思えない

それはその内容をその言葉自体が否定していることから明らかなはずで、平和は「平和語」でしか語れないはずだからである。

by山本七平

【引用元:ある異常体験者の偏見/軍隊語で語る平和論/P36~】



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